――秋津市西側・住宅街――
自分自身の心の動きが分からない。人は誰だって完璧であるわけではない。自分自身の事でさえも完璧に掴みきっているとは言えないことが多々あることだろう。
間桐慎夜との一連の再会を終えて、住宅街の中を寄る辺なく歩く円華は自分の気持ちが分からなくなってしまった。
自分にとって何が大事なのか、言葉として口にするのならば簡単なのに、いざ、心と吐きだす言葉をマッチングさせようとすれば、どうしても言いよどんでしまう一面があった。
コルテスは隣にはいない。円華へ選択を迫ってから、円華は1人で公園を出たが、それを後ろから追ってくる様子はなかった。今の円華に何かを口にしたとしても逆効果になるしかないと思ったのか、あるいは円華を放置しておくこと自体も含めて得意の悪巧みが続いているのか、心をかき乱されてばかりの円華にはわからなかったが……、円華の足は自然と間桐の屋敷へと向かっていた。
先ほど、詳細な説明をすることもなく、別れる羽目になった慎夜に対して、自分の現状を説明しなければいけないと思う心を原動力にして、不安を抱えながらも足を進めていく。
脳裏に過るのは、先ほど、自分とコルテスがこれまでに行ってきた性交の経験を聞かされた時の慎夜の表情だ。青ざめて、信じられないモノでも見るかのような表情で円華を見たあの表情に胸が痛む。言葉にしなくても、あの時の慎夜は円華に裏切られたと思う感情がそのまま表情に出ていた。
(それはそう、だよね……。慎夜君の記憶は、私と駆け落ちした時で止まっている。目を覚ましたら、恋人がいきなりサーヴァントと身体を重ねていたなんて聞かされたら、驚くし、戸惑うのは当たり前のこと、だよね……)
だからこそ、自分でも嘘をつき通すべきだと考えていた。少なくとも、少し時間を経て、これまでのことをしっかりと説明できていれば、驚きや戸惑いはあっても慎夜の感じ方も変わっていたかもしれない。
(でも……信じては、欲しかったな)
円華の反応が悪かったのは自分自身が一番分かっている。けれど、慎夜があの場ですぐに自分たちの目の前から離れずに話を聞く態度を向けてくれれば、少なくとも事情を説明することは出来たはずだった。
(自分の恋人が理由もなく、そんなことをするはずはないってはっきり言ってほしかった、なんて思うのは私の自分勝手だよね……、私だって、何度もコルテスと身体を重ねてその総てが無理矢理だったわけじゃないことも分かっているもの……)
自覚はしないようにしていた。心の奥底で芽生えていた感情から目を背けて、聖杯戦争が終われば、帳消しになってしまう関係だからと、わざと物わかりの悪いふりをしていた。
けれど、コルテスに選択をしろと口にされて、慎夜とコルテスを自分の中で天秤にはかる形で意識した時にはっきりと自覚してしまった。
自分は既に初めて出会った時のようにエルナン・コルテスを相手に殺意や憎しみだけを持っているわけじゃない。
むしろ、そうした負の感情はほとんど消え失せて、信頼にも似た情を抱いている。慎夜の言葉に対して咄嗟に反応できなかったことも、コルテスを一方的に悪者にすることへの忌避感があったし、コルテスに対して平手打ちをしたのは、期待や信頼を裏切られたように一方的に思ってしまったからだ。
(……酷いな、慎夜君からあんな顔をされても仕方ないよ。口ではコルテスのことを倒すだの殺すだの口にしていても、たぶん、私は……その時になっても、もうそれができなくなっている)
エルナン・コルテスと言う男が単純に悪逆非道で円華を聖杯戦争に勝つための駒、あるいは奴隷程度にしか考えていないのであれば、憎悪や殺意を持続させることは出来たはずだ。いつか必ずと臥薪嘗胆の想いを抱いて、日々を生きぬくことが出来たはずだ。
けれど……、コルテスと言う人物は円華に対して何処までも真摯であり本気な相手だった。出会い方こそ最低最悪のモノであったことは事実だが、個人的な感情を抜きにすればコルテスが協力をしてくれなければ、慎夜は間違いなくあの場で死んでいたし、円華もどうなっていたかわからない。
唯一神理教との戦いで心の支えになっていたのは間違いなくコルテスであり、彼の協力がなければ勢至姆組を打倒することもできなかったかもしれない。
コルテスは常に円華に対しては彼女を第一に動いていた。円華に向ける言葉も、身体を重ねる理由も色々と並び立ててはいるが、結局は円華を好いているからだ。ずっと隣に立っていれば、同じく異性に恋心を芽生えさせている者として自覚できる。
何度も助けられ、支えになっていた相手に恋慕を抱かれて、魅力的な女であると言われて嬉しくない女なんて当たり前の話だがいない。最初は嫌悪だったが、今はその気持ちもどこまで本物かわからない。むしろ、言葉にすることで自分自身に言い聞かせている節すらもある。
もしも、自分とコルテスの出会い方が聖杯戦争のパートナーとしてありふれたモノであったとしたら、その感情を自然に受け取れただろうか。
今現在の円華には慎夜がいる。けれど、それは……ただ円華の横に慎夜が早く立っていただけでしかない。その席は決して永久不変のものではない。
ふるふると頭を振って、邪な思い込みを忘れようとする。
(最低だ……私、慎夜君がいなければなんて、一瞬でも思ったら、絶対にダメだ……!)
九重円華にとって隣に立つべき相手は間桐慎夜であって、エルナン・コルテスではない。コルテスとはあくまでも聖杯戦争を勝ち抜くことを共に誓っただけなのだから、それを忘れて誤った方向に感情を持ちこむようなことをしたら、今度こそ後戻りできなくなってしまう。自覚を覚えてしまったのなら、それこそ最後まで気持ちを抑え込んで、あくまでもパートナーとして終わらせるべきだ。
(それでいい、これで間違っていない筈なんだ。私は慎夜君のために戦いを始めた。その気持ちがある限り、私が最後に帰るべき場所は決まっている……、コルテスが聖杯戦争を譲ることが出来ないのなら、私は全力でアイツを聖杯戦争に勝たせる。その後は私たちの知らないところで勝手にしてくれればいい)
いかにコルテスだって、聖杯戦争を勝ち抜くことが出来れば、自分のことを諦めるはずだ。万能の願望機なんてものに比べたら、私に対しての執着なんて子供の遊びもいい所。世界中を今度こそは自分のために征服すると口にした態度のままに突き進んでいくだろう。
「本当に最後まで勝てるかどうかなんてわからない。だけど、あいつが私に向けてきた信頼には応えたい。最後まで……聖杯戦争の終わりまでは、私はあいつのマスターなんだから……」
コルテスの言った通りに、自分は共に勝利を目指すと言った。その目的を私は既に達してしまったけれど、それで抜けると言うのは筋が通らないと言うことも分かる。
ここまで駆け抜けてきた日々に対して背を向けるようなことはしたくないと思ってしまうから。
最後まで聖杯戦争を戦い抜く、それをまずは慎夜君に理解してもらおう。その上で、私は私が望んだ日常へと戻っていく。
その決意を固めて、私は改めて間桐邸へと足を進めていく。
・・・
「お爺様は知っていたんですか、円華と奴の、ライダーの関係のことを……!」
「ああ、知っていたとも。それがどうかしたのか?」
円華が間桐邸へと向かっている頃、一足先に間桐邸へと戻ってきていた慎夜は自分の感情の赴くままに、間桐の大旦那へと疑問をぶつけていた。
円華とコルテスの関係、円華が自分からコルテスに靡くようなことをするはずがないと慎夜も信じている。そこには明確などうしようもなかった理由があったのであろうことも。
ただ、それでもあの場では自分に対して弁明をしてほしかった。あんな男よりも自分への愛の方が上回っているんだと、円華の口からはっきりと聞きたかった。
駆け落ちまでして、聖杯戦争を戦い抜いてきた彼女の愛を疑う必要なんてないのに、それを聞けなかったことが結局、あの場から離れる選択をさせてしまった。
今日という日を迎えるまで、ずっと眠り続けてしまっていたという負い目も慎夜にとっては、コルテスに敵意を向けつつも反論できなかった理由であった。
現実的にはコルテスの言う通りだ。自分は何もできていない、円華が最もつらい時期に何もできずに眠っていたことはどれだけ取り繕った所で間違いのない事実であるのだから。
その苛立ちを円華に否定してほしかったのは事実だ、円華がはっきりと慎夜を擁護する言葉を告げてくれれば、コルテスに毅然とした対応をすることもできたと言うのに。
そうしたモヤモヤとした感覚を抱えながら、戻ってきた自分の家で、聖杯戦争に大きな関わりを持っている自分の祖父はさも当たり前のように全てを知っていたのだと口にした。ここ数日間に何が起こっていたのかを全く知らない慎夜ですらも、祖父の言葉から円華とコルテスの関係を知っているのであろうことは明白であると理解させられた。
「どうして……、どうして、教えてくれなかったんだ。そんな大事なことを!」
「…………」
「いや、別に教えてくれなかったことを怒っているわけじゃない。むしろ、円華が苦しんでいることを分かっていて、どうしてお爺様は放置していたんだ。間桐の力を使えば、サーヴァントの一体程度、どうにかすることなんて簡単だっただろう。最悪の場合、僕の繋がっている令呪を潰してでも、円華を救う方法だってあったはずだ。それなのに、どうして……!」
慎夜は感情任せに間桐の大旦那へと非難の言葉をぶつける。何も出来なかった無力感を自分の中だけで消化しきることが出来ず、外部の他人へとぶつけているわけだが、間桐の大旦那は慎夜の怒りに釣られて自分も怒りをぶつけるなどと言ったことはしない。
むしろ、慎夜から話を聞かされた時から一切反応は変わっていない。黙々と慎夜の言葉を聞き続けた上で、一言、慎夜へと問いを投げた。
「何故、教えねばならぬ。何故、邪魔をせねばならぬ。我々にとって困る出来事など、この聖杯戦争の最中に何一つとして起こってはおらぬではないか」
「え……?」
その言葉があまりにもあっさりと口から出たから。今日の出来事を語るくらいの平坦な口調で祖父の口から出て来たから、思わず慎夜は間抜けな声を出してしまった。
「慎夜よ、お前は何か勘違いをしているのではないか? 我々は間桐、秋津の街にて聖杯戦争を始めた始まりの御三家の一つ。遠坂やアインツベルンには随分と差をつけられてしまったが、それでも聖杯戦争のたびに魔術師を輩出してきた家系よ。
聖杯戦争が始まっている最中に、最も優先されるのは聖杯の獲得、コルテス殿と円華嬢は自分たちの目的に真摯に対応し、この数日間で儂は彼らであれば聖杯を掴むに足りると確信を覚えた」
「なにを、何を言っているんだ、お爺様……」
「故にこそ邪魔立てなどせぬ。歯車が最もうまく絡みあっている状況を自ら崩すなどと愚かの極みと言う所であろう。慎夜よ、お前に聖杯戦争を勝ち抜けるほどの魔術の才覚はなく、我々も此度の聖杯戦争における敗北は必定であると割り切っていた。
それがどうだ? お前の不慮の事故から引き起こされたことであるとはいえ、いよいよ聖杯戦争も最終局面、我々間桐は未だに残っている。勝ちの目が残っている。儂に必要なことはそれだけだ。いよいよ聖杯が儂の下へと届くやもしれぬ。
なぁ、慎夜よ、もう一度問うぞ? 何故、邪魔をせねばならぬ?」
自分の祖父がこれほど饒舌に夢を語る姿を慎夜は見たことが無かった。枯れ木のようにただ余生を送るだけの終わってしまった魔術師、慎夜から見れば好々爺に映った時すらもあるだろう。
しかし、今の祖父はもはや聖杯戦争の事しか考えていない。孫である慎夜の想いなどよりも積年、待ち望み続けてきた願いを果たせる時が来たことをこそ喜んでいる。
「……聖杯戦争が終わるまで、僕に大人しくしていろってことですか」
「そうしておいたほうがいい。聖杯戦争が終われば、円華嬢はお主の下へと戻って来るであろう。彼女はあれでお前のことを本気で好いている。あれほどの才覚と度胸、そして儂ですらも見目麗しいと思わせるほどの容姿、天に愛されているとはああいうもののことを言うのであろうな。慎夜よ、お前には勿体ないと言えるほどの相手だが……、案ずるな」
「案ずるなって……それは、まともなサーヴァントだったらってことでしょう。あいつは、あのエルナン・コルテスは真っ当じゃない。円華は明らかにあいつに脅されている。聖杯戦争を勝ち抜くために、従っているだけじゃないか。
僕が意識を失っていたことが最も悪かったことは自覚している。でも、自覚しているならこそ、今の円華の境遇を放置することなんてできない。僕は目覚めた。目覚めたのなら、やらなくちゃ……!」
慎夜の考えていることも決して間違いではない。円華とコルテスの始まりは確かにコルテスが無理矢理に戦いを強要したことから始まった。彼ら二人の関係性が決してあたたかな物語、正道の物語であると言えるだけの話しではなかったことは確かだろう。
ただ、対照的に眠っていた慎夜であるからこそ、知らない関係性も有り得る。自分たちで体感した経験は時として、他人が聞かされた物語とは全く聞こえを異なるようにさせることが多々ある。
慎夜が立ち止り、それを理解しようとしたのならば、風向きも変わったかもしれないが、慎夜とコルテスの出会い方、円華の反応は、そうした立ち止まって物事を考える冷静さを奪わせてしまった。
元より、間桐慎夜という人物は思い込みが深い人物である。自分と円華が添い遂げるために聖杯戦争を利用した駆け落ちを画策したように、自分の願いを叶える為であれば、周囲への悪影響を懸念して行動するというタイプでは決してないのだ。
「慎夜よ、お主、何を考えておる……!」
「お爺様、僕が聖杯戦争に参加することを決めた理由は円華です。手が届かなくなりそうだった彼女を自分の下に留めたかったから、万能の願望機に願う、あるいはそう理由をつけて彼女を自分の下に置きたかった。だから、僕は聖杯戦争よりも円華を優先します。」
「いかん、慎夜よ。お前のそれは――――」
あわや、口論へと突入しようとした頃合に、間桐邸宅のインターホンが鳴る。この家を訪ねてくる人間など随分と珍しく、そしてタイミングとしては出来過ぎている。自覚したうえで、慎夜はインターホンを鳴らした相手を確認すれば、
「………円華」
やはりというか、なんというか、運命はまだまだ彼らの歯車を歪めることを忘れていないようであった。
どこまでも、どこまでも、深みにハマっていくことを忘れないように、事態を進展させていこうとする。
「どうした、会いに行かんのか。待ち望んでいた相手だろうに」
祖父が意地の悪い言い方で慎夜に円華と会うことを求める。慎夜は一度大きく息を吐き、祖父に向けて分かっているとでも言いたげに外に向かって足を進めていく。
(正直な所、今は積極的に顔を合わせたいと思っていたわけじゃなかった。まだ僕自身の心の整理がついていない。円華と何を話すにしても冷静でいられる自信が無かったから……)
踏み止まってしまったのはそうした理由に他ならない。ただ、祖父が口にしたように、円華との時間を最も大切にしたいと思っていることも事実だ。これまでの数日間に何の役にも立つことが出来なかったからこそ、それを埋め合わせるような何かが欲しいと誰よりも願っているのは慎夜なのだから。
玄関の扉を開き、中庭にまで足を進めていくと、そこには自分と同じように不安な様子で所在なさげにしている円華の姿を見つけた。
「慎夜君……!」
「円華……、さっきはごめん。なんだか、君を責めたてるような形であの場を離れてしまって」
「ううん、私こそ、ちゃんと慎夜君に向き合って話をする覚悟を以て臨んでいなかったから、ああなってしまったの。ごめんなさい、時間を経てから何もかもを話そうと思っていたけれど、その判断自体が間違っていたんだと思う」
慎夜は円華の言葉が意外だった。むしろ、此処まで来て責められるのではないかと後ろ向きな態度で臨んでいたが、目の前で会話をしているのはやはり、これまでと変わらない、自分がイメージしている通りの円華だ。
(やっぱり、あの時の円華はあいつに脅されていたんだ。だから、あんな無言の態度を取らずにはいられなかった。円華だって本心ではアイツのことを拒絶したかったに違いない。だから、此処まで来てくれたんだ)
誤解を解きに来てくれたことは純粋に慎夜としても嬉しかった。眠っていたからこそ、どうにも詳細なパワーバランスと言うものが分からない。円華の本心を掴みきれなかった面はあったが、慎夜はやはり円華は何も変わらず、エルナン・コルテスと言う存在に依って、態度を強制的に歪められているのだと言うことを強く実感した。
「……ストレートに聞いちゃうけど、アイツの言っていたことは本当?」
「……うん、本当のこと。自分と一緒に聖杯戦争を勝ち抜くのなら、相応の対価を用意しろって言われたわ。勿論、正規の魔術師ではない私に引き出せるものなんてないし、コルテスは私のことを初めて会った時から気に入ったようだったから……、結果的に慎夜君が見ていないところで、慎夜君を裏切るようなことをしてしまったわ。本当に、謝っても許してもらえるのかはわからないけれど……ごめんなさい」
「僕の方こそ、取り乱してしまってすまなかったよ。うん、僕も正直に言う。ショックだった。円華とアイツがそういう関係になっているってことを聞かされて、自分でも信じられないくらいに全身を打ちのめされるような気分になってしまったんだ。
馬鹿だよね、君の心が簡単に変わるわけがない。僕たちの絆はそんな安いものじゃない筈なのにさ」
その思いが強い嫉妬心の現れであることを慎夜も自覚していた。何も出来なかった自分がいて、円華と聖杯戦争を戦い抜いてきたコルテスと言う存在を比較して、どうしようもないくらいに深い嫉妬心を覚えずにはいられなかったのだ。
円華が悪いわけでもないことは重々理解しているが、円華の口から謝罪の言葉を聞けたのは、慎夜の自尊心を保つ上でも十分に意味のあることであった。
円華がコルテスに心を許しているわけではない、あくまでも円華が求めているのは自分と一緒に向かう未来であると言うことが確約されるだけで慎夜は救われるのだ。
サーヴァントとしてどれ程大層な活躍をしたところで彼女の心を奪うことなんてできない。九重円華という人物は自分を選んでくれている、それは今の深夜にとって強い自負心を与えてくれるのだから。
「その上で、慎夜君に聞いてほしいの。私は……あともう少しだけ聖杯戦争を続けたい。ううん、最後まであいつと一緒に聖杯戦争の結末までを見届けたいの」
ただ、何もかもが思い通りに行くわけではない。何も九重円華と言う少女は間桐慎夜の人形ではないのだから。
「ちょっと待って、円華。自分が何を言っているのか分かっているの? それとも、あいつに脅されているの? だったら、もうそんな心配をする必要は―――」
「違う、違うんだよ、慎夜君。これは私が自分で望んだこと。私は自分の意志で聖杯戦争を戦うことを選んだ。コルテスはあいつなりの理由があったにしても、ずっと協力してくれたことに変わりはない。私だけの力じゃ、今日まで生きて来れたとは思えないの。
何もかもを無かったことになんてできない。せめて、あいつと最初に交わした約束だけは守りたい。それが私なりの、この聖杯戦争に対するケジメだと思うんだ」
これより先に悩みを抱えているのは決して慎夜だけではない。円華とて、慎夜とコルテスの間でどんな選択をするのが最善であるのかを考えて動いている。
「私はアイツと聖杯戦争を戦い抜いて、最後まで終わらせてから、慎夜君の下に帰るよ。私のも心は今でも慎夜君の隣にある。それは信じてほしいんだ。だけど、やらなくちゃいけないことがある。それも理解してほしい。その上で―――」
「わからないよ」
その上で、慎夜自身も協力してくれるのであれば、きっと自分たちの陣営は勝利でこの聖杯戦争を終えることができるだろうと円華は確信にも似た想いを抱いていた。
けれど、慎夜が口にした言葉は違う。円華を肯定するのでも否定するのでもなく、わからないという言葉だった。
「円華の言っていることが分からない。だって、円華は僕が意識を失って、もう帰ってこないかもしれないから聖杯戦争を戦っていたわけだろう? だったら、その目的は果たされているじゃないか。あいつに義理立てする必要なんてないじゃないか。円華を襲って無理矢理従わせていたような奴だよ、すぐにでも離れた方がいい」
「だよね、私もそう思う。思うけど……、一度始めたことは投げ出したくないんだ。ちゃんと終わらせないとずっと引きずることになりかねない」
「それで、今度は円華が危険な状態になってしまったら、どうするのさ……」
「慎夜君……」
「僕は円華のことを心配している、きっとこの世界の誰よりも君のことを常に想っている。君が頑張る必要なんてどこにもないじゃないか。理由が無くなったのなら逃げたっていいじゃないか……」
「…………」
それでも、円華は慎夜の甘い言葉に頷こうとはしない。結局、慎夜もコルテスもどちらも円華には理解が出来る話だった。どっちつかずの態度と言われてしまえばそれまでかもしれないが、どちらかを切り捨てられるほど簡単な話しではない。
むしろ、慎夜の中に浮かんでいるのは焦りであるとさえ言ってもいい。どうして、円華は自分を理解してくれないのか。いや、分かったと言いながらもどうしてあいつに義理立てするのか。
慎夜がここまでに聞いてきた話を総合すれば、コルテスは自分のやりたいように戦って、結果的に円華は生き残って来ただけだ。円華を大事にしようとしている様子なんて見えず、自分の方が遥かに彼女のことを想っている。
なのに、なのに、なのに、なのに………気持ちは届かない。どこかすれ違いを続けてしまっている。
「わかったよ」
「慎夜君……」
「円華の気持ちは分かったよ、責めるようなことを言ってごめん。今日まで頑張ってきたキミならそう思うのだって、当たり前だよね、僕はそれを経験していないんだから。大丈夫、聖杯戦争はもうすぐ終わるんでしょ。なら、その時を待つよ」
慎夜はそう言って、円華に微笑む。慎夜が自分の偽らざる本音を理解してくれたと思ってか、円華もため息を零す。
慎夜と円華の間に本来であれば二人を遮るような何かは存在しえないのだ。すれ違ってきたさまざまなものが二人の間を狭めているが、慎夜が円華の想いを受け取ってくれたおかげで、元の流れへと戻ってくれるだろうという思いは円華にとってありがたいものだったからだ。
(そうだ、円華は最初から何も悪くない。そもそも、円華を責めたてていること自体が間違いだった。円華は危機が迫る状況の中で自分のやれるだけのことをやっていただけじゃないか……悪いのは、円華をたぶらかそうとしているアイツだ)
けれど、人の心とはその個人にしかわかりえない。本人が心の中で何を想っていようともそれが他人へと伝わるわけではない。
(あいつだ、あいつがいなければいいんだ。サーヴァントがいなくなれば、聖杯戦争を続けることはできない。お爺様だって諦めざるを得ないし、円華だって同じだ。そうさ、本当のマスターは円華じゃない、僕なんだ。だから……、サーヴァントはサーヴァントらしく主の命令に従っていればいいんだ)
慎夜の中でどす黒い感情が浮かび上がっていく。自分の中にこんな感情が存在していることを慎夜はこれまでまったく自覚していなかった。
嫉妬心と焦燥感、そしてすれ違いが引き起こした感情は誰にとっても予期せぬままにその感情だけを脹れあがらせていく。本来であれば言葉を紡ぐことによって解決可能であっただろうその感情は、誰に止められることもなく、静かに静かに爆発するその時を待ち望んでいるのだった。
――秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
『慎夜がどうにも面倒な動きをしておるようですな、あまり刺激するよりもむしろ、放置しておいた方がよろしいのではないですかな?』
「そんなことはお前に言われずともに分かっている。いっそのこと、暴走して円華に手を出してくれた方が都合がいいんだがな。そうすれば、円華も自ずと俺様とあの小僧、どちらが自分にとってふさわしいのかを理解しただろうに」
地下クラブの定位置に座り、蟲からの報告に耳を傾けながら、コルテスはひとりごちた。その表情はいつもの自信に溢れた物でも、会話の対象を嘲笑するような態度でもない。むしろ、その表情は彼には珍しいほどに苦々しい様子にすら見てとれる。
『声に余裕がありませぬな、コルテス殿にしては珍しい』
「そう聞こえるか?」
『ええ、何を心配していらっしゃるのか。慎夜が目を覚ましたところで、円華嬢は貴方のことを放逐するような人物ではないことは知っておりましょう。彼女は情が深い、自分の命の危険を覚えながらも慎夜の為に聖杯戦争に参加したほどだ。少なくとも聖杯戦争が終わるまで、貴方を忘れるなどと言うことはありませぬでしょう』
「ああ、そうだ。そんなことは勿論分かっている。だが、アイツの心の方向があの小僧へと向いているのも事実だ」
コルテスが口にしているのは聖杯戦争の勝利云々という話ではない、むしろ、それとは全く別のベクトルの話し、円華がどのようにこの先の未来を見据えているのかという話であった。
「目覚めなければ、いくらでもやりようはあった。聖杯を掴んだところで、その瞬間まで円華が何を願うのかは決まっていない。そこでなら、いくらでも手の出しようはあったが……小僧は勝手に目を覚ましやがった。そうなれば、円華の心は小僧に向く」
これまでのあらゆることを踏まえても、九重円華の心は未だに間桐慎夜へと向いている。例え、身体を穢されても、誇りを傷つけられても最初の初志を忘れずにいる気高い女だからこそ、コルテスは円華を欲しているのだから。
コルテスにとって重要なことは、慎夜が今日という聖杯戦争の最終局面に邪魔をしてきたことではない。聖杯戦争そのものはコルテスの中では勝利の絵図がすでに出来上がっている。問題は聖杯共々手を届かせようとしていた円華の存在がここに来て、大きく手から零れ落ちそうになっていることだ。
九重円華と言う存在を誰よりも見て来たからこそ、コルテスはその事実を実感してしまっている。しかし、ならばまったく勝ち目がないかと言えばそうでもない。
円華が慎夜とコルテスを前にして、慎夜への暴露を即座に否定することが無かったのが何よりの証拠だ。コルテス自身に対しても円華は決して劣るとは言えないほどの譲歩抱いている。
『コルテス殿は偉大なるアステカを滅ぼした征服者ではなかったですかな』
先ほどまで無言を貫いていた間桐の大旦那がポツリと言葉を口にした。
「………何が言いたい」
『我々間桐は、コルテス殿に聖杯戦争を託しました。キャスター陣営を討ち果たした以上、我々間桐は最後まで貴方に協力をします。コルテス殿は受肉を果たすことが出来れば、聖杯の中身を欲することはないでしょうから』
「横から掠め取りたいって話しだろ、好きにしろよ。お前がいなければできなかったことも無数にあった。褒美くらいは取らせてやるよ」
『我々は慎夜一人の命で聖杯が手に入るのであれば、安いものであると考えておりますが?』
「……………」
『何もかもを奪ってしまえばいい、征服してしまえばいい。貴方にはそれが出来るでしょう。聖杯を掴み、円華嬢を奪い、我々はその恩恵に授かる。元々、我々にとっては負け戦、元より慎夜が撃たれたあの瞬間に全てが終わるかもしれなかったのです。
ならば、我々も夢を見るためにそれ相応の対価を支払うのは当たり前の事でしょう』
人は何かしらの対価を与えられなければ動かない。コルテスとてそれは分かっている。間桐は聖杯を掴むためであれば、身内さえも切り捨てることを提案した。半端な覚悟ではないだろう。下手をすれば、彼らはここで断絶するやもしれぬのだから。
それでも、聖杯が欲しい。六度目の聖杯戦争、これまでで最も手を伸ばすところにまで辿り着いた聖杯を欲するためであれば、この老獪な魔術師は決して躊躇することはないだろう。
「………、爺、お前に一つ頼みがある。叶えることができるのなら、聖杯の中身はお前にくれてやる」
『何なりと』
静かに状況は三人を中心に据えながら、着実に、確実に最悪の方向へと突き進み始めている。狂いだした歯車は止まらない。
誰もが自分の願いに真摯であるがために止まることは有り得ない。その果てに誰がもっとも意味のある未来を手にするのか、当事者である三人でもそれは分からないことなのかもしれない。
3人とも、それぞれが自分にとっての正しいと思うことを貫いているからこそ、分かり合うことはできないんだよなぁ。
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