――秋津市東側・住宅街・七星流剣術道場――
起き抜けに昨日以上の疲労感を覚えて、自分で考えている以上にギリギリの状態で戦っていたんだと言うことを自覚してしまう。
七星の血の覚醒、あたしが出せる以上の力を十二分に発揮したうえで激突し続けた結果として、あたしは兄さんを退けることに成功したわけだけど……、正直、勝ったと言えるほどの結果であったかと言われれば素直には頷けない。
最後の方は兄さんが踏み止まって戦いを終えたようにも思えるし、無我夢中で戦っていたあたしには、どこまでが自分の頑張りだったのかもわからない。
(でも、不思議と倦怠感だけを覚えているわけじゃない。なんだろう、昨日にお母さんの話を聞かされたからかな。気持ちだけは十分に高ぶっている。そんな風に思える)
「起きたか、桜子」
「あ、お父さん……、そうだ、時間、学校……!」
「あれだけの騒ぎがあったんだ。学校が開いているわけないだろ。今日は休校で、改めて月曜日からって話しだ。まだ休んでいるのなら、寝ていろ。起きるのなら、朝食が出来上がっているから、準備をするぞ」
「うん……ありがと。そっか、そりゃそうだよね……」
考えてみれば、当たり前のことだ。あれだけの騒ぎが引き起こされて、街中が被害をこうむったのだから、何事もなかったかのように日常が戻って来るなんてありえない。
昨日を以て、街中を騒がせていたキャスター陣営とバーサーカー陣営が倒されたことで、ようやく秋津市も活気を取り戻していくだろう。
起き抜けに洗面場で顔を洗い、まだ微睡んでいた頭をクリアにして、居間へと足を運べば、設置されているテレビからは、秋津市のニュースが流れていた。
『昨夜未明、勢至姆組所属若頭、神丘奉氏の遺体が秋津市で発見されました。遺体には銃痕が残っており、既に勢至姆組内部で殺害に及んだとされる人物が警察に自首を届け出ています。奉氏は秋津市で引き起こされた連続襲撃事件及び動画サイトに連日投稿されていた無差別猟奇殺人事件の主犯格であると目され、その他にも組長である典嗣氏殺人の嫌疑もかけられております。警察は勢至姆組への強制捜査に踏み切ると共に、事件の真相究明に乗り出すとのことです』
「この街も、これでようやく静かになるな」
「……だね」
「これで、聖杯戦争も終われば、ようやくうちの撥ねっ返りも落ち着くってもんだ」
「たぶん、明日には決着がつくんじゃないかな」
「……そうか」
お父さんはあたしの言葉に深く聞きだすようなことはしない。ただ、一家の食事の最中、当たり前の日常会話の一つとしてあたしたちは互いに言葉を交わしていく。
決して、言葉の数は多いわけではない。お父さんだって、全部が全部安心できているわけではない。あたしの聖杯戦争の事が完全に終わらない限りは、胸をなでおろす事なんてできないんだと思う。お父さんにこれ以上の心配を掛けさせないためにも、あたしは生きて帰らないといけないんだと思う。
「………昨日さ、聖杯戦争の中で、お母さんの話しが出たんだ」
「桜のか!?」
「うん、15年前の戦いでお母さんが最後に何を望んでいたのかって話し」
あたしは昨日、アフラ・マズダから聞かされた話をお父さんに伝えた。それで何かが変わるわけじゃない。お母さんを失ったお父さんの15年間が帰ってくるわけじゃない。
でも、伝える必要があると思ったから、あたしは自分が覚えている限りのことを伝えた。そしえ、伝え終わった後にお父さんは静かに天井を見上げて、啜りあげるような音が鼻から鳴った。
「そうか……、桜は最後にそんなことを願ったか。結局、その願いが聞き届けられたところで、誰にも知られることはなかったって言うのに、それでもあいつは願ったのか。
最後にどうなったかが分からないにしても、きっと、最後まで願いを叶えるために必死だったんだろうとは思っていたが……そうか、あいつは最後まであいつのままだったな」
この数日の間で、一番安心した表情をお父さんが浮かべてくれた。それだけでも、今の話をした甲斐があったと思う事が出来た。お父さんだって、ずっとお母さんがどうして願いを叶えることが出来なかったのか、最後はどうなってしまったのかを不安に思っていたはずだ。
「もう15年も経った。思い出だって色褪せていることだってある。二度と知ることができないだろうと思うことがようやく知ることが出来た。それだけでも儲けものだな。俺の妻は、誰にとっても恥になるようなことをしなかった。七星って言う呪われた血に苛まれながら、それでも最後まで自分を貫き通した立派な女だったわけだ」
敵わねぇなぁと呟くお父さんの姿は肩の荷が下りたような反応で、満足しているような様子だった。あたしだって、お母さんの話しは悲しくはあったけれど聞けて良かったと思えたんだから、お父さんにとってはその想いはひとしおだろう。
「こんなことを言うのは恥ずかしいけどさ、あたしはお父さんとお母さんの娘に生まれることが出来て良かったって思うんだ。そりゃ、七星の血とか普通の人が背負わなくてもいいものまで背負うことになったけど、それでも、今日まであたしは何不自由なく生きてくることが出来た。それは二人があたしのために頑張ってくれたからだってわかっているから」
「桜子……」
「だから、大丈夫だよ、あたしはちゃんと帰ってくる。二人の頑張ってきた意味を無駄になんてさせない。聖杯戦争に勝って、あたしが今度こそ、七星の血に終わりを迎えさせるから」
勝てるかなんて分かんないけど、ロイに及ぶのかなんて分からないけど、それでも自分が信じることが出来なくっちゃ誰も信じることなんてできないと思っているから、あたしははっきりとそう宣言した。
「ああ……期待しているよ」
やれやれといった反応でそう言ってくれたお父さんは期待をしていないのかもしれないけれど、不安だけの気持ちではない様子だった。お父さんを悲しませないためにも、あたしはちゃんと自分の足でこの家に帰ってこなくちゃいけない。勝ち負けがどうであったとしても、残された家族の哀しみを知っている者として、それだけはしっかりと果たさないと。
「あとは、兄さんが帰ってきてくれれば一番なんだけどな」
バーサーカー陣営との戦いの後に兄さんはどこへともなく消えてしまった。もしかしたら、勢至姆組という帰る場所が無くなってしまった以上、もう兄さん自身も、この世にはいないんじゃないだろうかという不安な気持ちも押し寄せている。
あたし自身が責任を負うべき話じゃないのは十分分かっているつもりだけど……やっぱり、どうしても気になってしまうし、できることならもう一度無事な姿を見せてほしい。
戦いの中であったとはいえ、互いに傷つけあってしまったのは本当のコトな訳だし。
「――――ん?」
そんな折であった。玄関先から何かの物音が聞こえて、お父さんが反応する。あたしも何があったのかわからなかったから、一緒に立ち上がって、玄関先へと足を進ませて、そこで目にした光景に思わず言葉を失ってしまった。
「櫻一郎……」
「兄、さん………」
「まったく無様なこと極まりない。あれだけデカい口を叩いておきながら、結局、こうしてもう一度、ここに脚を踏み込んでいる。命を繋ぎとめたのは結構なことだが、こんな有り様では笑えてくると言う他ないな……」
兄さんの姿は決して見ていられるものではなかった。全身埃まみれで服には至る所に血痕が刻まれている。顔色だって決して良いとは言えず、むしろ、今すぐにでも倒れてしまいそうだ。額からは尋常じゃない汗を流していて、足も引き摺っている。
やっとのことで、この七星の家まで辿り着いたであろうことは明白で、そのボロボロな姿の原因があたしとの戦いに会ったのであろうことは間違いなかった。
「櫻一郎、何があった。お前がここに来るなんてことは、生易しい状況じゃないだろう」
「………生き恥を晒してでも生きろと言われ、た。ずっと世話になった人に、お前はこの世界から離れろ、って……、だが、ずっと勢至姆組で生きてきた俺に今更変える場所なんて残されていない。真っ当な道に戻れるのかもわからない。気が付けば、ここに来ていた」
「じゃあ、兄さん、昨日の戦いからそのままで……」
「七星の血の経験が生きた。魔術師としてはお前よりも一日の長がある。傷を治す程度の魔術は使えるとも。最も、失った体力、まで回復は出来なかったが……」
言葉を続けているうちに、兄さんの身体が崩れ落ちて玄関に膝を落してしまう。慌てて、あたしは兄さんの下へと近づこうとするけれども、兄さんは震える手であたしに向かって手を翳す。
「父、さん……今更なことであるとは思っています。これまでに何度も何度も人の命を奪ってきたような男です。本当であれば、今仕えていた主と共に命を捨てるのが道理であることくらいは自分が一番分かっていることだ。だが、生きろと言われた。なら、簡単に命を捨てることはできない。自分勝手を承知で頼む。どうか―――」
「さっさとあがれ。そんなところでいつまでも汚い姿を見せていたら、こっちも何もできないだろうが」
櫻一郎の言葉を待つことなく真一郎はそう告げた。10年前に姿を消してから、連絡もまともにすることはなかった。数日前にこの屋敷を訪れたことでさえも、聖杯戦争の為であり、家族としての体を為すためではなかった。
そんな自分が今更身勝手にもう一度迎え入れてほしい等と口にすることがどれ程、家族に対してみっともない姿を見せているのか、櫻一郎が一番自覚をしている。
拒絶だって出来た。この玄関より先に踏み込ませないための手段など、それこそいくらでもある。
「七星の家の人間が、そこから先に上がるのに、誰の許可がいるんだ。ちっとばかし、家出の時間が長かっただけ。それだけの話しだろうが。外で何をしてきたかどうかなんてのは、生まれた場所には何の関係もないだろ」
「…………ありがとう、父さん」
今度こそ力が抜けてしまったのか、崩れ落ちる兄さんに寄り添って、肩を背負って立ちあがらせる。兄さんの傷は酷い。あたしがやったことなんだけど、それを今更謝るようなことを兄さんだって求めているわけではないことは解ってる。
だから、後は回復してくれることを祈るしかないと思うんだ。少なくとも、あたしと兄さんとの間の聖杯戦争は終わりを迎えた。もうあたしたちが兄妹同士で戦う必要は何処にもないんだから。
「お帰り、兄さん」
「ああ……、昨日は感じている暇などなかったが、こうして隣で背負われていると、お前が本当に大きくなったことを理解させられるよ」
「なにそれ、女の子に言うセリフじゃないんですけど」
「……俺はお前のことを、もっと小さく弱い者であると思っていた。今のお前を見ることなく、ずっと昔のお前を思い描いているだけだった。成長したお前を見ても、お前では耐え切れないと勝手に決めつけていた」
「まぁ、実際にあたしも昨日は暴走していたに等しいし……そんなことはないとは言い切れないんだけど」
「いや……、お前はいずれ俺よりも強くなる。その経験不足を解消することが出来れば……きっと、母に匹敵するほどの七星の使い手となることができる」
「どうかな……一応、あたしとしては聖杯戦争に勝って七星の血と決別するつもりなんだけど?」
「なら、そうできなかったときはと考えておけ。願いを叶えたのなら素直に称賛を。そうでなかった時には……、俺が母の代わりに七星の力との向き合い方を教えてやるさ」
「……うん、期待しておく」
兄さんの口からそんな希望的な言葉が出てくるのは、意外と言えば意外だったけれど、兄さんなりのケジメだったのかもしれない。
兄さんはずっとあたしが七星の力を使うことに対して、懐疑的だった。お前に使いこなせるのか。力を使えばお前が不幸になる。使うのならば俺が潰すと何度も何度も否定されてきた。
結局、迎えた直接勝負で、あたしは自分自身の力で兄さんに勝てたわけじゃない。あたしの身体の中に宿っている七星の血そのものが、あたしに勝利をくれたに等しい状況だった。
それを分かったうえで、兄さんはあたしに七星の血との向き合い方を教えると言ってくれた。それは七星の血を宿した上での七星桜子を少なからず認めてくれたということでもあると思えて、ようやくあたしたちの間にあった見えないわだかまりがほんの少しでも解けたのだと思う事が出来た。
きっと、まだまだ本来の兄妹、本来の家族に戻るには様々なハードルを越えていかなければいけないんだと思う。兄さんがいなかった10年間が帰ってくるわけではない。兄さんだって、あたしたちと一緒に元の普通に戻ることが本当にできるのかもわからない。
でも、時間を掛けてでも、乗り越えていきたいと言う気持ちだけは本物だ。今はこうしてここに戻ってきてくれただけでも十分すぎる。それだけでも、兄さんがあたしたちと向き合おうとしてくれたことが本当だってわかるから。
実の兄と妹で刃を向けあうなんて馬鹿げたことをして、もう二度とやりたくはないけどさ、この結果が得られたのなら、あたしたちの物騒な兄妹喧嘩にも意味はあったのかなって思うんだ。
「………おかえり、兄さん」
兄さんがこの屋敷を出てからずっと空き部屋だった兄さんの部屋に布団を敷き、兄さんを寝かしつけた。傷が完全に治るまでにはまだまだ時間を要するけれど、とりあえずは体力を回復しなければ何も始まらない。
兄さんが休息をしている間に、聖杯戦争はきっと終わりを迎えてしまうだろう。今度、兄さんと会話をすることができるのは聖杯戦争が終わった後。
(また一つ、生きて帰ってこなくちゃいけない理由が出来たな。うん、それでいい。そういう理由があればあるほど、自分の気持ちが引き締まる。特攻覚悟でなんて、下手に思いつめていたら、本当にそうやりかねないんだから)
自分が無茶しがちなのは自分が一番よく分かっている。昔は何もできない自分に焦って、無茶をしてでもと思っていたこともあったけれど、今はそう思っていない。あたしにはあたしなりに出来ることがあって、それが何かを変えることだってできるんだってわかっているから。
「桜子」
「マルテルさん……」
兄さんの部屋から出て、改めて居間へと戻ろうとした時に、廊下でマルテルさんが声を掛けてきた。そういえば、昨日も色々なことがあって、マルテルさんと言葉を交わしている時なんてなかったっけ。改めて思い返すと昨日のあたしはほんとにダメダメだな……。
「七星櫻一郎が戻ってきたこと、よかったですね。刃を交えた相手とではと考える者もいるかもしれませんが、貴方であればそのように考えることもないでしょうから」
「うん……そうだね、何があったとしてもたった一人の兄さんであることに変わりはないから。ほんとうはもっと早くこうなってくれていればよかったんだけど、それは今更思った所で変えられないもんね」
「…………」
マルテルさんは、あたしの言葉に視線を逸らして、何かを考え込むようなしぐさをした。マルテルさんは基本的に、あたしの言葉には自分なりの考えを沿えて言葉を返す。
それが当たり前に行われていることであるからこそ、なんだか、その反応は不自然なように思えてしまった。
「マルテルさん、どうかした……?」
「聖杯戦争に勝ち残れば、桜子はあらゆる願いを叶えることが出来ます。アフラ・マズダが言ったことに間違いがないのであれば、私たち二人は勝ち残ることによってそれぞれの願いを叶えることが出来るでしょう」
「うん、それはそうだけど、いきなりどうしたの……?」
「ずっと、前から思っていたことです。桜子、貴女の人生は決して幸福であるとだけ言えるものではなかったはずです。母を失い、兄と別れ、そして自分の身体の中に流れる血すらも貴女を苛んでいる。率直に言えば、自分の人生を嘆いても決して非難されるわけではないでしょう。ですが、貴女は自分の人生を決して否定するようなことだけはしない。
自分が持てる限りの力で現状を変えようとする。しかし、聖杯を前にして、より大きな願いを抱いても罰が生じることはないのではないですか?」
「えっと、マルテルさんは何が言いたいの?」
「私は、聖杯を掴んで過去を変えるつもりでいます」
「―――――!」
「私の祖国は確かに私の甥であるシャルルマーニュの時代に大成を果たしました。しかし、本来であればより強大であり強固な国家となるはずであった国は、シャルル自身がさまざまな問題を解決する中で未来を置き去りにしてしまった。我々が未来に問題を先送りにしてしまったがためにです。もしも、私が王位についていれば、彼により良い形で王位を継承することが出来たのにと……死を迎えた今でも後悔に苛まれています」
「だから、過去を変えて自分が王様になるって事?」
「かつての時代に女は王になることができませんでした。そういう時代でしたから。しかし、万能の願望機であればそんな不条理すらも打破することが出来るでしょう。私は聖杯の力を使って、私が真に実現したかった未来を生み出したいと思っています」
「…………」
考えてみれば、マルテルさんの願いをあたしは初めて耳にしたのかもしれない。あたしは自分の事だけで精いっぱいだったから、マルテルさんと聖杯を掴んで、自分の願いを叶えること以外にほとんど無関心と言えば無関心だったのかもしれない。
どう反応すればいいのかわからなかった。マルテルさんが悔しい思いをしたのはその言葉尻からも伝わってくる。自分が命を落とした後も英霊としてあたしたちの時代のように、後の時代に召喚されて、自分の王国がどうなったのかを知って、忸怩たる思いを抱いたのだろうことは分かる。
分かるけれども……、あたしはどう反応すればいいのか正直なところ分からなかった。マルテルさんの言っていることが正しいことなのかどうか、どうにもあたしには判断をつけることが出来なかったからだ。
「私は過去のやり直しを求めています。だから、単純に私は疑問だったのです。何故、桜子はそれほどの非道な運命に晒され、総てを変えることができるかもしれない状況に立たされながらも、今ある自分を貫こうとしているのか。より良い幸福を求めることは決して愚かなことではないでしょう」
「それは……」
「バーサーカーのマスターは自分の人生が偽物であると口にしていた。それはそれで、ここまでに生きてきた総てを否定することとして、容認することが出来るかどうかは別の事ですが、貴女の場合は、貴女に関係のない所で無数の悲劇が起こってきた。それを変えることができるのだとすれば……私は飛びつくべきだと思う。自らの力でここまで聖杯戦争を戦い抜いてきた貴女にはそれをするだけの資格があると私は思う」
告げるマルテルさんの視線は真剣そのものだった。先ほどの視線を逸らすような行為でさえも今にして思えば、あたしにその指摘をするべきかどうかを悩んでいる様子だったように思える。
マルテルさんの願いは、彼女にとってとても真摯なモノなのだろう。何度か、マルテルさんはあたしにどうしてやり直したいと思わないのかと告げてきたことがあった。
きっと、心の中ではずっと今口にしたことを考えていたのだろう。
「やはり、受け入れられませんか?」
「えっ……?」
「自覚のあるなしは関係なく、なんとなくではありますが、私と貴方の願いは根本的に交わらないように思っていました。おかしなものですね、聖杯に選ばれるサーヴァントは、マスターに性質の似通った存在が選ばれる。にもかかわらず、私達は願いの質からしてどうにも異なっている」
「あたしは……よくわからないんだ。全部変えたところでそれが幸せなのかどうかが。今ある生活だって、色んな事が重なり合ったことで出来たモノだから、あたしはそれにある程度の満足を覚えていて、それを全部なかったことにするなんてことは考えていなかったから」
「それで今ある自分よりも幸福になれるとしても?」
「あたしが幸福になれても、他の皆がどうなるのかはわからない。あたしはそれが不安なんだよ。だって、ほんの少しの擦れ違いであたしは家族とだってぶつかることになった。蓮司君だって大切な人を失うことになった。それが今まで生きてきたこと自体を変えるなんてことになったら、誰も彼もが本当に幸せになれるのかなんて、あたしは自分でも保証できない」
だから、今ある流れの中でと考えてしまっているのかもしれない。無意識で全く自覚なんてなかったけれども、マルテルさんと言葉を交わしあってそんな風に自覚することが出来た。
「だから、あたしは今のままでいい。今のままで、与えられた条件の中で幸福を見つけていくことが出来ればいい。そう思うから……」
七星の血の因縁さえ超えることが出来れば、あとは自分の人生の問題だと思うからこそ、マルテルさんが告げた甘美な誘いの言葉に首を横に振った。受け入れればきっと心地よいことは分かっている。
万能の願望機にはそれを叶えるだけの力があることも理解している。
でも、あたしはこの世界が嫌いじゃない。両親に育てられて、多くの人に助けられてきて生きてきた自分の人生を決してなかったことにはしたくないと思うから。
「そうですか。桜子の考えは理解できました。何も私の願いを貴方に強制するつもりはありません。私達は主と従者、共に互いの聖杯戦争の願いを叶えるために邁進すればいい。今日という1日を過ぎれば、私達の戦いがどんな結末を迎えるのかにも答えが出る。互いに悔いのない結末としましょう」
「………うん」
頷くものの、どうしても心の中で素直に頷けない部分があった。きっと聖杯戦争は明日を以て終わりを迎える。なんとなくだけど、その予感はある。あとたった1日、それで私たちの関係は終わりを迎えることになる。
意識しなければしないままに終わるはずの違和感……けれど、あたしの中でその感覚はどうしても拭い去ることが出来なかった。それが合理的ではないことが分かっていたとしても……。
――秋津市中央部・駅前ホテル――
「いよいよ、ここまで来た。今日の夜、日付が変わる時に俺達エーデルフェルトと、因縁深き七星との決着はつけられる。そして、誰がこの聖杯戦争で勝利を勝ち取るのか、それも決定づけられることだろう」
芝居がかった口調で語るのは自分自身も熱に侵されているからなのだろうか、最終決戦へと駒を進めたセイバーのマスター、ロイ・エーデルフェルトはこれまでの戦いを思い起こしながら、ホテルの一室で己の相棒であるセイバーと自分にとっての最愛の家族であるリーナ・エーデルフェルトに向かって感慨深げに言葉を口にしたのであった。
「勝利を信じていないわけではなかった。自分の実力は自分が一番よく分かっている。凡百の魔術師たちとの戦いでは負けないと言う自負を以て、この聖杯戦争に臨んだのは事実だ。しかし……思い返せば思い返すほどに痛感するよ。俺の力だけではこの聖杯戦争を勝ち抜くことは出来なかった」
セイバー陣営がこれまでに闘ってきたキャスターもバーサーカーも魔術師1人の単独の実力だけで突破できるような生易しい相手ではなかった。
無数の罠を張り巡らせ、実力差を跳ね返すための準備を積み重ねて、何度も何度も激突を繰り返しながら、圧倒的なセイバー陣営にあわや土をつけかけるところにまで及んでいたことは事実だ。
「ですが、それでも勝ちあがってきたのは我々です。戦争のさなかにどれほど、相手を脅かしたとしても勝利を手にすることが出来ぬのであれば、それは所詮記憶にしか残らぬこと。勝利こそが記録に残る」
「その通りだ。俺達は勝利を頑なに信じてここまで戦ってきた。敗北するために戦ってきたわけじゃない。だから、今日という日に変わった何かをする必要はない。
俺達は変わることなく、勝利へと邁進すればいい。最優のサーヴァントを従える最も強きマスターとして、勝利を手にするまでだ」
これまでのロイには珍しいほどにストレートに強気な言葉が口から零れる。これまではどこか自分の強さに対して自虐めいた言葉を使うこともあったが、最終決戦を前にして、ロイも自分がこの聖杯戦争の中で名実ともに最強のマスターであることを受け入れる腹積もりが固まったのだろう。
ただ、そう思う事が出来たのは自分でも口にしたように、ロイだけの実力で得られたわけではない。傍らに立つ機械兵士、ロイの求めに応じ、常に最良の結果を叩きだし、時には叱咤激励を施してくれた相手がいたからだ。
「決戦を前にこんなことを口にするのもおかしな話かもしれないが、感謝するよセイバー。俺はこの聖杯戦争に勝つことができる絶対的なサーヴァントを求めた。君の逸話を知り、例え、暴れ馬であったとしても、俺自身が制御をすれば苦難は合っても乗り切れると思っていた。だが、蓋を開けてみれば、支えられてきたのは俺だ。君の強さに、君の忠義に、何度も助けられてきた」
「………その言葉を与えられただけで、我が身に刻まれた無数の傷が報われる想いです。元より、我は主に勝利を捧げるために生み出されし存在、かつては果たせなかった主と共に手にする勝利をただ掴むために戦うのみです」
「勝利、か。………そういえば、本当に今更なことだが、俺はキミが聖杯を掴んだ時にどんな願いを叶えたいのかを聞いたことが無かった。セイバー、君は叶えたい願いを聞かせてもらえるか?」
ロイは興味本位でセイバーにその問いを投げた。どんな答えを返してきたとしても、ここまで忠誠を尽くしてくれた相手の願いを受け入れるつもりがロイにはあった。
元々、ロイ自身とて明確な叶えたい願いがあるわけではない。リーナの為に戦っているに等しいロイにとって求めているのは、勝利の栄光とエーデルフェルトが聖杯を勝ち取ったという事実だけなのだから。
「――――申し訳ありませんが、主よ。我が願いを叶えると言うことはできません。何故ならば、我が抱きし未練より生じた願いは既に叶えられているのですから」
「そう、なのか?」
「ええ。かつての我は、王へと勝利を捧げるために戦う最中で、王に裏切られ、この身の機能を停止させました。英霊となった我が願ったのは己の力を十全に発揮し、我の力で勝利を求めてくれる主と共に戦うことであった。ロイ・エーデルフェルト、リーナ・エーデルフェルト、貴方がたは我を召喚したその時に、我の強さを見込んで召喚したのだと口にしてくれた。我が願いは既にその時に多くが叶えられていたのだ」
機械の身体に、生前の逸話、かつて己の強さを求めておきながら、その圧倒的な力を見た王は、恐怖を以て白起を処刑した。ただ命令を守り、戦っていただけだった白起にとって、それは酷い裏切りであっただろう。機械の合理的な思考の中で王の恐怖も嫉妬も理解することが出来なかった。
多くを求めていたわけではない。ただ、己の役割を十全に果たすことを求めてくれる主であればそれで良いと願い、召喚された先で出会ったマスターは彼の力を全幅に信頼してくれた。
君の強さが欲しい、勝利のために力を貸してほしいと二心無く告げられた言葉に、どれほどの救いがあったのかは白起本人にしかわからないだろう。
己を信じ、命を預けるに足りる主と出会う事が出来たそれだけで、彼の願いは半ば果たされていたのだと言っても良い。
「だが、そんな我にも欲が生まれた。主に仕え、ただ戦い抜くだけでは、どうにも今の我は満足できぬらしい。かつて生前に果たすことが出来なかった偉業、己が勝利を捧げたいと願った主と共に勝利の杯を手にすること。その瞬間を共に分かち合うこと。
我が願いなどその程度のモノ。聖杯に叶えてもらう必要などない。己が手で叶え、貴殿をこの聖杯戦争至高の主と証明して見せよう」
「セイバー……、本当に君が俺のサーヴァントで良かった。むしろ、才能しかない俺には勿体ないサーヴァントだよ、君は。俺も同じだ。君の願いを叶えるために絶対に勝利を掴むと約束しよう。だから、最後まで俺の剣として、その強さを十全に発揮してくれ。頼りにしている!」
「―――承知」
ふと、機械であるがためにいつもであれば、鉄面皮を貫いているセイバーが笑ったように見えた。それはほんの少しの表情の変化で見間違えたかと錯覚してしまう程度の変化であったが……、ロイはそれが見間違えではないと信じた。短くない時間を共に過ごすことによって、単なる主従以上の関係を自分たちは築き上げることが出来た。
才能しかないと思っていた自分にとって、傍で支えてくれる者たちは何よりの宝であると言っても良かった。
「まったく、殿方同士は気持ちよさそうに語っていていい身分ですね。聖杯戦争はまだ終わったわけでもないと言うのに」
「リーナ、気持ちは分かるが、水を差すようなことを言わなくてもイイじゃないか。それとも……何か言いたいことでもあるのか?」
「………こういう時だけは相変わらず察しがイイですね」
「兄だからな、妹の事ならすぐに分かる」
リーナは拗ねるような態度を浮かべており、何かをロイに訴えたげな様子だった。それを察してかロイはリーナに問いを投げ、気付いてくれると思っていたのであろうリーナは閉ざしていたはずの口を開く。
「ねぇ、兄様……この聖杯戦争で勝利したら、本当にエーデルフェルトを出ていくのですか?」
「……ああ、それが俺とエーデルフェルトのお歴々の約束だ」
「無意味です」
「かもしれないな。だが、約束は約束だ」
「私は……兄様がこのまま当主を続けるべきだと思います。エーデルフェルトの歴史がどうであれ、聖杯戦争に勝利した当主を女性ではないからと追放するなどと、そんなことは馬鹿げています」
「リーナ……」
「兄様、考え直していただけませんか。聖杯戦争に勝利したとしても、私と共にエーデルフェルトの発展に寄与していただけると。良い思い出が無いことは分かっています。ですが、私は……兄様こそ相応しいと」
ロイはリーナの言葉に驚きを覚えた。常にエーデルフェルトをこそ第一であると考え続けてきたリーナが、エーデルフェルトの伝統に逆らってまで、ロイを当主として担ぎ上げたいと口にしたこと。ずっとリーナの心の中では思い描いていたであろうその言葉を口にしたことは十分に驚くだけの意味があったと思えるのだ。
リーナも変わった。ずっとエーデルフェルトと言う鳥かごの中に囚われて、エーデルフェルトのための人生を生きてきた彼女も、外の世界に触れて変わり始めようとしている。それはとても喜ばしいことで、ロイにとっても、この先の未来を見ることがとても楽しみなことではあるが。
「それでも、俺は出ていくべきだ。あの家を継ぐのはお前でなくちゃいけないよ、リーナ」
「ですが……!」
「リーナ、病み上がりの所ですまないが、少しばかり試させてもらおうか」
瞬間、ロイが手をかざすとホテルの一室であったはずの空間に一気に奥行きが増し、空間そのものが無地の何もない空間へと変質した。
「兄様……?」
「思えば、俺達は互いに魔術を競い合うなんて機会はなかっただろう? エーデルフェルトは俺に魔術を使わせたくなかったからな。だから、一度くらいいいじゃないか。ほんのわずかでいい、リーナ、お前に出来る全力を俺に向けて来てくれ」
「そんなことをしても意味なんて―――」
「意味ならあるさ」
断言するロイの言葉にリーナは気圧され、対峙することを強制されていく。無論、リーナではロイには及ばない。歴代のエーデルフェルトの当主でもロイに及ぶものなど数えるほどしかいないだろう。
(荒療治なのはわかっているが……、迷える妹にこんなことしかできない兄だ。茶番ではあるが、付き合ってもらうぞ、リーナ)
「兄様は本当に身勝手で仕方がありません」
「仕方がない、それが俺だ。こんな形でしか何もできないなんて今更だろう?」
「まったく、七星桜子と戦えなくなったって知らないですからね!」
それは二人以外の何物にも影響を与えない、この場にいる者しか知りえない戦い、けれど、僅かに願いの矛先を違える二人にとっては実に意味のある戦いである。