この15年に決着を――前編
――秋津市西側・繁華街入り口――
『桜子、ロイ・エーデルフェルトと戦うのならば、自分以外の総てを疑ってかかれ』
決戦前夜、七星の家を出立する前にかろうじて意識を取り戻した櫻一郎は、時間がないとばかりに前置きもなく、そう語り始めた。
『エーデルフェルトの魔術師が得意としているのは、流体制御。あらゆる魔力の流れを自在に操り、動作と静止を自分たちの意のままに操ることができる。魔術を使う仕手の実力に依ってしまう所もあるだろうが、練度を深めたエーデルフェルトの魔術師ならば、周囲に存在するあらゆる魔力の流れを全て自分の意のままに操ることができるだろう』
桜子の脳裏には、かつて初めてセイバー陣営と戦った際に、蓮司とリーナが激突し、何もない場所から無数の攻撃が蓮司に繰り出されていたことが思い出される。
ロイよりも劣ると自ら口にしているリーナでさえもそれを為し遂げることが出来たのだから、相手がロイであれば、それは当然に出来るモノであると考えるべきだ。
『しかし、幸いなことに俺達は七星、魔術師を狩るために何世代もの時間を掛けて魔術の研鑽を積み上げてきた者たちだ。自分の周囲に敵意を持った魔術が生まれたのならば斬ればいい。単純な話しだ、何があろうとも動じるな』
6日目に直接、ロイと激突した櫻一郎はロイの底知れないほどの魔術の才覚を自分でも目の当たりにしている。あの戦いで櫻一郎がロイに敗北しなかったのは、ひとえに櫻一郎の斬撃が何処から放たれた魔術であっても切り裂くことが出来たからに他ならない。
突破口があるとすればそこだ、ロイ・エーデルフェルトと魔術の技量で勝負をすれば敗北は免れないが、エーデルフェルトと七星の魔術師同士の戦いに持ち込むことが出来れば、決して一方的な敗北はない。
『桜子、あとはお前の潜在的な魔力と七星の血次第だ。エーデルフェルトの魔術を捌き続けろ。これは根気の戦いだ、お前がロイ・エーデルフェルトの物量を捌き切れないか、奴の手札が底を尽きるか、そのどちらかこそが、勝負を決する大きな節目となるだろう』
『………ありがとう、兄さん。何処から攻め込めばいいのか難しくって答えが出ていなかったから、助かったよ』
『少しでもお前の力になることが出来たのなら、こちらも救われる。こんなことを言える立場ではないかもしれないが、お前が母さんの願いを叶えることができるように祈っているよ』
『うん……!』
そして今、目の前に飛び込んでくるのは無数の魔力にとって流れてくる弾だ。大中小、足下、中空、頭上、あらゆるところから飛び込んでくる攻撃を不可視の刃を次々と展開させて、迎撃していく。
無理な攻撃を放つことは考えなくていい、攻撃を組み立てるうえで最も重視するべきは防御、ロイと言う絶対的な強者からすれば、待ちきれなくなったあたしが攻撃の為に防御を薄くすることこそが狙いだ。
(ロイだって、全知全能の神って訳じゃない。今のように余裕のある攻撃であたしを倒せないと分かれば、いつかは大技を使わなければいけないって判断をするはず。それを防げば、隙が生まれる……あたしはそれを待つ。確かに忍耐との戦いだ)
故に、チャンスは多くても二回か、三回程度が妥当な所だろう。もしも、攻撃をすることができる機会が生まれたのなら、ロイへの余計な手加減なんて一切考えずに勝負を決めるための一刀を放つべきだ。
思考を進める間にも足元が蠢き、空にサイケデリックな光が灯る。桜子の周囲を覆う光景が僅かたりとも変化しなかった瞬間はない。
まさしく櫻一郎が口にしたように桜子以外の総てが敵になってしまったかのように、自分の足元も、空を照らしている満月より広がる夜闇の世界も何もかもがいつ自分に牙を剥いてくるのかが分からない。
おぞましい光景だ。ただ物質の動きを制御する魔術、それを極めたという世界の事象の一部分だけを切り取った魔術であると言うのに、ロイがその魔術を使用するだけで、世界そのものが敵になったかのように次々と攻撃が襲い掛かってくる。
「―――凄い」
その戦いを見ている蓮司は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。桜子は未だに何かをしたわけではない。あくまでもロイの攻撃を最小限の動きだけで捌き続けているだけの状態である。一秒ごとに世界が目くるめく変わっているような状況の中で、数秒ごとに変わっていく対処方法が正しいかどうかなど分からない。
しかし、判断を誤れば即座に劣勢へと陥り敗北へと落しこまれる。重圧も集中力も尋 常ではないほどかかってきていることは間違いないのに、戦えているのだ。
リーナとの戦い、そして同じ魔術師であるからこそ、ロイの規格外な戦闘力を理解させられている蓮司は感嘆の声を上げる他ない。悔しいが、もしも、自分が同じ空間の中で戦えと言われれば、数分戦闘を続けるのが限界だろう。
今の桜子と自分の実力の差が、目の前で展開されている戦いだ。現実はいつだって残酷で、成長速度は誰もが同じであるはずがない。分かっている。分かっているからこそ、蓮司は桜子たちの戦いを見届けることを決めたのだ。
(今は見ていることしかできない。でも、必ず追いつくんだ。遠坂の当主としても、彼女の隣いるためにも……!)
戦局は早くもこう着状態へと陥り始めている。ただ、そのこう着状態があまりにも高次元すぎるがために誰も目を離すことができない。
「想像以上だな」
逆にこのこう着状態こそを予想していなかったと反応したのは、悉く自分の攻撃を桜子に切り裂かれ続けているロイだった。
この戦いは彼にとっても宿命の戦いだ。手を抜くつもりはなく、油断をしている素振りは一切ない。ただ無意識のうちにこれがあくまでもセミファイナルであることだけは念頭に置かれていた。この後にもう一度戦いがある。それを考えれば、消耗し尽くしてしまうことは懸念が当然に残る。
ライダーは自分からこの絵図を創り上げた。であれば、必ず何かしらの策略を張っているだろうと言うことは明らかだ。
余力を残して突破しようにも桜子を相手に手加減できる道理もなく、結果的に桜子が対処できないほどの攻撃を重ねることによって一気に制圧する他なかったわけだが、ロイはその判断自体が少しばかり性急であったことを理解させられた。
いや、その言い方も語弊がある。端的に言えば桜子を舐めていたと言うべきか。
「安易な戦いの運び方を考えるべきではないか。どれだけ後ろから追ってくる相手だったとしても相手は七星、かつてエーデルフェルトが敗北した相手なのだから」
「――――くっ、動きが変わった」
これまでの絨毯爆撃に近い攻撃から、放たれる魔術が時間差で放たれ、軌道も静動を絡みあわせることによって、大きく変貌を始めている。
「わざわざ変えてくる必要なんてないってのに」
「いつまでも同じことばかりしていても芸がないだろう。捌いて見せろ、こっちの手札を出し尽くしたいんだろう?」
桜子が苦い表情を浮かべる。目的が悟られていることはやはり嬉しくないが、少し考えてしまえば分ってしまうことか。七星流剣術の総てを絶え間なく放ちながら、余計なことを考えている余裕はないと、その苦い気持ちを忘れる。
(ロイだって学習してる。あたしの圧倒的に少ない手札でどこまで対抗できるかわからない。あたしの力だけじゃ、ロイの大きな隙を生み出すことはできない)
そう、これはあくまでも聖杯戦争だ。ロイ・エーデルフェルトと七星桜子の魔術師同士の決闘だけではない。
もう一つの戦局がどのように転ぶのかによって、聖杯戦争の趨勢は大きく変わっていく。
(あたしは必ずその活路まで耐えきって見せるから。マルテルさん、期待させてもらうからね)
桜子の言葉では伝わらない想いは果たして、相棒たる彼女に伝わっているのか、マスター同士の激突と同様に真正面から戟とランスが幾度となく激突を続ける。
機械の腕より繰り出される圧倒的な膂力と、身の丈の倍はあるであろうランスの質量、どちらも退くことなく、真正面から相手を吹き飛ばすために幾度となく激突を続け、鉄と鉄がぶつかり合い、火花を散らしていく。
「セイバー、どうやらすべてが本調子と言うわけではないようですね。未来視のごとき行動の洗練が落ち込んでいるように見えますよ」
「隠すことは出来ぬか、ランサー、貴様の想像通りだ。我が戦術予測、バーサーカーとの戦を以て、機能の喪失を果たした。魔力を注げども、完璧な復調を果たせず、不十分な予測を弾きだすのみ。完璧でない予測は戦士の勘に劣る。ならば、捨てるに未練なし!!」
「情報を秘するつもりはないのですね」
「既に察しているであろう相手に不開示をするは己の能力に不安があればこそだ。戦術予測が喪われようとも、我が身の駆動、一切変わらず。その細腕で我が躯体を砕くことが叶うなどと思ってくれるな、西の将よ!!」
ランサーとセイバーの背丈はそれこそ子供と大人の程の差がある。ましてやセイバーの身体は機械によって構成されている。人間が魔力を込みで放つことができる膂力と、機械が潤沢な魔力のバックアップを受けて放つ一撃では、どちらが圧倒的であるのかなど聞くまでもないことである。
激突を続ければ、身体の態勢を崩されて、致命傷となる一撃を叩きつけられる可能性は決して否定できない。戦術予測が全く機能しないのであれば敢えて小回りを利かせて翻弄する作戦に出るべきだろうか。
「否―――」
ランサーは足を踏み込み、あえてこれまでと変わらない真正面からの踏込を選択する。それが自分の身を危険に晒す事であると分かっているが、戦術予測を捨てたセイバーが己の弱点をそのまま放置しているなどと考える方が楽観視が過ぎる。
戦術予測を捨てたとしてもなお、己は勝てると考えなければこの戦場には立たないし、自分から弱点を口にするようなこともない。
(目の前の鉄の将は、私に勝ると劣らぬ戦の将。であれば、この戦場に立った時点で己は絶対に勝つという自負を持ち合わせているはず……)
行くも地獄、退くも地獄。目の前の絶対的な将を前にして楽な道などなく、であれば、騎士の本領を発揮するのみと、一見、無謀にも見える真正面からの決闘じみた激突を続行していく。
ランサーの見立ては決して間違ってはいない。セイバーの戦術予測が喪われたところで、彼もまた大多数を相手にし、それらを屠り続けてきた歴戦の将軍である。
大軍を指揮し、戦略的な勝利を手にすることにかけてはランサーに軍配が上がるだろうが、こと目の前の相手を撃滅するための戦、どれほど血を流してでも勝利をすればいいと言う戦であれば、セイバーはランサーの追随を許さない。
セイバーからすれば、その安易な餌に釣られてくれていれば、勝てると踏んできた愚かな獲物を粉砕するだけで済んだが、ランサーにその程度の心理的な揺さぶりは通用しない。
絶大なる敵を相手にするとき、困難な道を通ることが時として勝利を呼び込むことがあることを、ランサーは知っている。多くの不利な戦に晒されながらも勝利を手にしてきた経験と勘が、そちらを選ぶべきであると叫んでいる。
真っ向から打ち付けた一撃がセイバーの戟へと叩き付けられ、思わずセイバーの身体が後ずさる。膂力の上では圧倒的に劣っているはずのランサーがそれを実行できるのは、魔力の上乗せ分の力があるからこそだろうか。
(想像以上に後先のことを考えずに戦っているか。それとも……そうでなければ勝てないと思っているか)
「ロイ・エーデルフェルトも貴方も先を見据えているようですね」
「局所的な勝利により、大局の勝利を失うのであれば意味をなさない」
「ええ、道理です。ですが、出し惜しんだことによって明確な敗北を刻まれる可能性を考えないのは、傲慢が過ぎるのではないですか?」
「生憎と、負けるなどと言うことはほとんど経験したことが無いのだ。今更、サーヴァントになったところで器用に戦い方を変えることなど出来ないだろう!」
白起という武将は敗北など経験することもなくこの世を去った。
生じた戦は全戦全勝、あらゆる戦で圧倒的な勝利を収めたからこそ、秦帝国は中原の支配者の王冠を手にすることが出来た。
中華における実質的な皇帝である始皇帝による秦が生まれたのは白起が世を去ってから大幅に時間が過ぎてからの事ではあるが、その統一の足掛かりを作ったのは間違いなく絶対的な力を持った白起なのである。
常に前へ、前へ、群がってくる敵の総てを屠り、勝利をこの手に。そのスタンスを決して変えることなく闘い続けてきたからこそ、絶対的な軍神としての地位を確立した。
ランサーが戦術として真正面からの激突を選択したとすれば、セイバーは己の生き方故に激突を選択する。それぞれが異なる理由ではあるが、共に稀代の名将であるからこそ、互いの判断が決して誤りではないと理解している。
では、それが千日手となってしまうのかと問われればそれもまた否である。ランサーは激突を繰り返しながら、セイバーの行動の所作をずっと注意深く見つめ続ける。
(戦術予測が発動しなくなったのであれば、今のセイバーは自分の行動理念に従って動いている。ならば必ず、その癖が見えてくる。機械であったとしても、理性がある限り、行動が一つに集約することを避けることはできない……!)
全身のバネを利用して、槍を叩きつけ、その鎧を粉砕せんと振うが、その巨体のどこに動く余地があるのか、セイバーは致命傷になりかねない攻撃を戟と身のこなしだけで避けていく。
特別なスキルや何かがあるわけではない。総ては蓄積された経験と戦闘躯体という人間よりも遥かに戦闘を実行するに相応しき身体へと調整された存在であればこその力である。
ランサーが全身の骨と筋肉が常に軋むのではないかと思えるほどの行動を起こしている傍らでセイバーは何の事無く行動を続けている。
(基礎的なスペックではやはりこちらが圧倒的に劣っている。桜子も同じ状況でしょうが、やはり何らかの相手の虚を突く行動をしなければなりませんね)
なおかつ、その虚をつく行動が何度も通用する相手でない以上、その本道ではない攻撃をこのセイバーに通さなければならないのだ。生半可な技術で出来るものではなく、そんな技がそのまま存在しているのかと思わずにはいられない。
「ランサーよ、その武芸たるや見事、しかし、いつまでも続くわけではあるまい。その連撃の数々、止まった時が終わりと思え」
「そう簡単に終わらせると思っていますか。我がマスターも必勝の時を信じて攻撃を耐え続けているのです。私が先に根を上げるわけにはいかないでしょう」
「その理解が既に間違っている。我が主、ロイ・エーデルフェルトと貴様の主の実力差ははっきりしている。どれほど待ち望んでいたところでその時が来ることはない。
主の戦いの花道を飾るために、我もまた勝利を飾るのだ」
「忠義実に大儀であると言わせていただきましょう。ですが、その忠義が叶うことはありません。ここで勝利をするのは私だ。桜子とロイ・エーデルフェルトの戦いがどうなろうとも、私は私の願いを叶えるために貴殿を屠らなければならない」
「ここまでの戦闘を繰り返した中でそれが出来ると本気で思うか!」
「出来ると思っていないのであれば、最初からこの場に立ってはいない!」
セイバーの防御をこじ開けるためにさらにランサーは力強く、魔力を籠めた形でランスを振っていく。しかし、所作自体は先ほどまでと変わらない。
いかにセイバーの癖を見抜くために攻撃を続けているとしても、ランサーの攻撃が続くほどに体力は消耗し、セイバーにとってもランサーの隙を窺うだけの時間を与えることになる。
元より、セイバーを完全に制圧するためには、宝具の使用が絶対不可欠なのだ。その黄金の光にセイバーを呑み込ませるために、セイバーを行動不能の状態に陥らせなければならないが、その突破口をこじ開ける、小手先の技が全く通じていない。
「ランサーよ、それほどまでに己の願いを叶えたいか」
「ええ、叶えたいですね。私の悲願です。むしろ、セイバー、貴方は己の願いを叶えたいと思わないのですか? それほどまでの強さを誇っておきながら、貴方は常に満たされていないように見える。それは生前の無念を背負っているからではないですか!?」
「肯定―――確かにこの身は生前の在り方を決して良しとはしない。されど、見誤っているぞランサーよ、この身はもとより戦闘躯体、ただ戦の勝利以上に求めるものなどない。それを満たしてくれる主であればそれで十分だッ!!」
ランサーの振った槍に対応する形でセイバーの戟が遂に動く。ランサーの振う軌道に合わせる形で身体ごとランスに激突し、ランスが弾かれるとセイバーの戟がランサーの脇腹を抉る。
完全に身体半分を破壊される軌道で放たれた一閃であったが、ランサーの直感めいた反応が、戟が届くわずか一瞬の間に回避を選択させた。
「ぐっ……はぁ………」
「今ので終わらせるつもりであったが、存外粘るな。もっとも、ここからは動きが落ちていくばかりだ」
「ふふっ、さて、どうでしょうか……」
セイバーの口にしていることはランサーも間違いないと分かっている。負傷は次の負傷を生み出す。連鎖が始まればそこから逃げ出すことは到底できない。
(腕の腱を斬られなかっただけマシと考えましょう。桜子とて、今は目の前に全身全霊、私に構っている場合ではない。私自身の手でセイバーを打倒しなければ勝利は不可能だ)
元よりマスターに頼らなければ勝利が出来ないなどと口にするのでは、フランク王国の常勝将軍の名前が泣くというもの。これより来るであろうセイバーの猛攻を防ぐために、立ち回らなければならない。
セイバーが再び動く。残念ながら、その思考をしているだけの時間は許されず、劣勢の中での戦いを求められる。これまでの猛攻は既にセイバーにとって見切り、自分の攻撃を放つことが許される程度の状況とされてしまっている。
端的に言って、ランサーは追い込まれたと言ってもイイだろう。
「このまま終わらせてもらう!」
「―――ええ、そうですね。いい加減、こう着状態も飽き飽きでしょう」
ランサーが負けじとランスを振った。横薙ぎに払われたそれをセイバーは正確な身体の動きによって回避するが―――
「黄金の光よ、私に勝利の栄光を!!」
ランサーが叫び声を上げた瞬間である、ランスの先端、その中央部分が開き、聖槍の中に入りこんでいる黄金の偽槍が姿を見せる。
いわゆる聖槍の限定解放―――これまで、真名解放の一歩手前の威力を発する攻撃として利用されていたそれだが、此度のセイバーは一撃を放つにはあまりにも近すぎるし、その挙動が分かりやすすぎる。
一度、バーサーカーとの決戦でも聖槍がただの槍ではないことを示していることも含めて、この場でその姿を見せることは明らかな悪手でしかないと思われた。
――――であればこそ、この一撃は完全な奇襲として機能した。
「ぬ、ぐぅぅああああああああああああああ!!」
その光の斬撃にセイバーはこの戦いの中で初めて自身の高速演算が測定不能な数値を弾きだしたことを理解した。知らない、こんなものは記録されていない。
ランサーの槍の中央から露出した黄金の光が収束固定され、黄金の剣の如く斬撃武器へと転じるなどと何故、想像できようか。
横薙ぎへと振るわれたはずのランスは黄金の光を斬撃武器へと転じた瞬間に、一直線に真下に振るわれた。無論、槍の一撃が縦に振るわれる可能性がないなどと考えることは早計だ。此処までの戦闘でも縦横無尽とばかりにランサーの攻撃は縦にも振われてきた。
振るわれてきたが、それは縦へと振るう動作をランサーが引き起こしたことによって生じるモノであり、今のように横に振るわれた攻撃が突如として縦へと変わる。なおかつ、槍の中心から黄金の光が収束して斬撃武器へと変わるなどと言う情報は全く存在せず、セイバーは機械であるがゆえの判断の空白を生んでしまった。
槍がセイバーの身体に衝突したのであれば、鈍痛を引き起こし、機械の腕がひしゃげる程度で済まされたかもしれないが、振るわれたのは黄金の光が収束した斬撃、触れたものを焼き尽くす黄金の光が斬撃武器として使われた以上、何が起こるのか等明白だろう。
セイバーの戟を握る腕が、二の腕の部分から先がセイバーの身体から真っ二つに離れていく。セイバーの腕から離れたことによってランサーの身体を穿つはずだった戟は轟音を立てて、地面に転がっていく。
誰の目にも明らかなほどに大きく戦局が動いた瞬間であることは言うまでもない。たった一度の奇襲を成功させなければならない状況で、ギリギリまで自分の切り札を徹底的に隠しながら、ランサーは放つ瞬間、成功のための道筋、それら全てを一切誤ることなく、セイバーの利き腕切断と言う形で成果を上げて見せた。
戦術予測の不備に加えて利き腕の消失、いかに圧倒的なセイバーであろうとも、それらは絶対的な振りの要因としてここから先にも働いていくであろうことは明白だった。
「ぬっ、ぐぅぅ!!」
されど、セイバーとて猛将、例え一時の判断における誤りが生じたとしても、それで戦意が喪失してしまうなどと言う弱みは見せない。
一撃を振ったランサーに腕が吹き飛んだ瞬間には激突を起こし、ランサーの身体が宙に浮く。空中にてランスを握り、素早く元の聖槍の形へと戻ると、それを地面に突き刺し、ランサーは地上へと着地するが、すぐさま、自分へと迫る攻撃に反応し、ランスで再び受ける。
その攻撃は言うまでもなく、もう片方の腕に戟を握り直したセイバーの攻撃である。
「よもや、そのような奥の手を持ち合わせているとは思ってもいなかった。これまで一切隠しておいたか」
「いいえ、少しばかり違いますよセイバー。この技は生前から使いこなしていた技ではありません。桜子が使う七星の魔術に端を発した剣術に基づいて私が即興で作り上げたものです」
「―――――」
「予測がついた状況では貴方に勝らないと言うのであれば、勝る状況を生み出すほかない。結局はそういうことでしょう。セイバー、負けるはずがないなどといつまでも私達を侮らない方がいい!」
ランサーの言葉はセイバーにとって理解不能な内容が幾つもあった。そもそも、ランサーを相手に楽に勝てる相手であるなどと考えていたことはなかった。警戒度で言えば、バーサーカーと同じかそれ以上に警戒をし、そのためにあえて、激烈な攻撃を控えて様子見を行ったほどだ。
しかし、この聖杯戦争の最中で、自分の持てる力を増やした。新たなる技を会得した。何だ、それは。そんなことが可能であるのか……機械は冷静に状況を判断する。
自分にとって理解できない事象であったとしても、目の前で実行された以上、それは可能な事象であったと言うことだろう。
その状況に対して、驚きを覚えたのは何もセイバーだけではない。常に互いの状況が伝わってくる最中で激戦を繰り広げているロイと桜子にとっても同じであり、セイバーの腕が切断された時に思わず、ロイはその反応をセイバーの方へと向けてしまった。
「七星流剣術―――伍ノ型『桜吹雪』」」
面制圧のための一刀を放ち、ロイの魔術を砕くと、桜子はロイの意識がセイバーへと向かったその瞬間を待っていたとばかりに、これまで決して踏み込むことが出来なかったロイの懐へと一気に魔力放出で近づき、不可視の刃をロイの身体目掛けて放つ。
瞬間的に目の前に魔力障壁が生じたが、そんなものは七星の刀の前には何の意味もなさない。呆気なく魔力障壁は霧散するとロイの剥き出しの身体に向かって、一刀が吸い込まれていくはずだった……が、その一刀が入り込む前に不可視の刃の魔力が減衰し、その形を保っていられなくなる。
「いかに七星の力と言えども、それも魔力であるのならば操れない道理はない。七星櫻一郎との戦いは、決して無駄ではなかったと言うことだな」
「――――ッ!!」
桜子はすかさず、自分の手に握られた刃だけではなく、自分が展開できるだけの数の刃を一気に現出させて、ロイへと放つが、数が増えたところで対処法が変わるわけではない。目の前の天才魔術師にとって、その程度の対処は何ら難しいものではない。
一瞬にして、数十はあるだろう魔術の刃の動きが堰き止められ、自由を失ったかのようにそれらがすべて霧散していく。千載一遇の機会が巡ってきたはずであるのに、桜子に待っていたのは絶望的なまでの力の差を痛感させる結果に他ならなかった。
「むしろ、そっくりそのままお返ししようか」
ロイが口にすると、あっさりと先ほどまで消えていたはずの魔力刃がその場に再生し、方向を桜子へと変更すると一気に襲い掛かってくる。新たな魔力刃を発生させて相殺させていくが、至近距離で全てを受け止めることができるわけもなく、桜子はせっかく詰めた距離を再び開かざるを得ない。
「千載一遇のチャンスだったが、早々簡単に突破できるとは思わないことだ」
「まだまだ余裕があるって感じだね」
「そうでもない。さっきの一瞬に焦りを覚えたのは本当だ。随分と連携が取れている。聖杯戦争の最終日であるからと言うことを差し置いても、これまでで最もコンビネーションが上手く取れているように見えるな」
「最後だもん、あたしたちだって気持ちは一緒だよ」
「そうだな、そこについては疑う理由はない。セイバーの腕を斬られることは流石に痛手だ。このまま悠長に闘っていれば、何をしでかされるのかわからない恐ろしさもある」
頭で理解はしているつもりだったが、改めて身を以てロイは理解させられた。目の前の相手は最強の挑戦者。自分が勝利し、退けなければ価値を手に入れることができない相手なのだから。
「セイバー、宝具を使うぞ!」
「―――御意」
ロイの命令を聞いたセイバーが声を発すると同時に、周囲の空気が一気に凍てつく。氷結の魔術が使われたわけではない。周囲の空間の変節と共に、その場にいる人間たち自身が寒気を覚えているのだ。そのあまりのもおぞましさに、あまりの怨嗟の声に。
英雄・白起の伝説に、長平の戦いにて、彼は敵対する軍勢約40万人の首をその大地に埋めたと言う。動くことすらままならずに餓死を迎えるしかなかった者たちの嘆きと怨嗟の声で長平の地は染め上げられた。
それは言うまでもなく恐怖、恐るべき他の何者にもかえることができないものであったことは想像に難しくない。
「我が機械の身体に刻まれた原初風景、あの日に刻まれた虐殺の記憶―――貴様が掲げる黄金の光と、我が恐怖、どちらが勝るのか、試してみるのも悪くなかろう」
瞬間、世界そのものが変化した。この場にいる人間すべてを取りこむようにして、心象風景を形へと変えるセイバーの宝具が雄たけびを上げる。
「『卒四十萬人――挾詐而盡院殺之』!!」
そして、世界は変わる。おぞましく殺戮風景に、おぞましく虐殺の世界に。ここは長平四十万人が生き埋めにされた戦場、誰もが行きたいと言う願いと虐殺を果たした章分に対しての怨嗟の声を轟かせて憚らない地獄の戦場が世界に顕現を果たした、
「うっ……」
「ほ、ホムンクルスの私でさえも……、おぞましく思うほどのこれが―――」
「セイバーの心象世界、そう、貴方はここまでの地獄を経験し、それでもなお戦うことを選ぶのね」
蓮司もノルンも、そして発動した側であるリーナですらも思わず目を背けたくなるほどの世界がそこにはあった。ここが魔術によって構成された仮初の世界であることは明らかだと言うのに、血生臭い匂いまでもが伝わって来るかのようだった。おぞましい世界風景、こんなものがこの世界のどこかに本当に存在していたと思わされるだけでも、理解しがたい吐き気を覚えるが―――
「それがどうしたッ!」
ランサーは構う事無く、ランスを叩きつけ、セイバーへと変わらぬ猛攻を続けていく。
「この程度の地獄、生前に何度も味わっている。ああ、おぞましい。こんなものが世界にある以上、私は願いを叶えないわけにはいかない!」
戦場とは地獄の連続だ、楽な場所など何処にもなく、昨日まで笑いあっていた戦友が次の日には屍となっている世界を肯定しなければならないのだ。
そんな世界の中で勝利を重ねてきたランサーにとって、おぞましくはあっても、それに身震いをするつもりはない。指揮官が臆し、指示を出すことができない軍団など、崩壊するのを待っているに等しいのだから。
「無論、貴様に通じぬことなど百も承知―――、あくまでも己の力を高めるがために使ったに過ぎん。だが、マスター同士も同じであると言えるか?」
「――――!」
ランサーはそこで理解する。この宝具をセイバー陣営が切った理由の一端が何であるのかを。
戦場の空気を直に知っているランサーは耐えられるだろうが、桜子までもが同じであるとは限らない。
むしろ、蓮司やリーナのような反応こそが当たり前なのだ。聖杯戦争でしか戦いと言うものを知らない桜子にこの戦場の空気に耐えろと言う方が酷であることはランサーに改めて問いただすまでもない。
「……これで二度目だが、やはり慣れないな」
「うっ……ぷっ……」
桜子が思わず膝をつく。戦闘態勢を取りつづけなければならないことは百も承知だが、身体が精神がこの怨嗟と死が充満した世界の中で正気を保っていることを良しとしない。
精神的な摩耗を以てこのまま倒れ込んでしまいたい、そう思えてしまうほどにその世界は恐怖に満ち満ちていた。
対峙するロイ自身も思わず膝を屈してしまいそうになるが、そこは経験の差であるのかギリギリで踏ん張る。以前はリーナを傷つけられたことに対しての怒りによって恐怖を覚えることなど忘れていたが、やはり冷静にこの宝具を展開すれば、その精神汚染から逃げることはセイバーのマスターであっても不可能だ。
敵も味方もあらゆる全てに恐怖と怨嗟を与え、その中でただ1人、それらの感情を与える者として君臨するのがセイバーであるのだから。
「ぬぅぅぅ」
桜子のことを気に掛けるべきだが、余所見をしていられる暇など目の前の相手が許すはずもない。既に片腕を失いながらも、この怨嗟の世界のこそが己の居場所であるとばかりにセイバーは猛り、上段より檄を振りおろし、ランサーのランスと激突する。
先ほどまでと何ら変わりのない光景ではあるが、ランサーは自然と自分の腕が震えていることを自覚した。この空間に自分の精神が呑み込まれ始めている。戦場という死が充満した世界の中で戦い続けてきたカール・マルテルすらも規格外の死に包まれた空間は、取りこもうとしているのだ。
「理解したか、ランサー。これが我が宝具の神髄。敵も味方もなく、あらゆる存在より忌み嫌われた罪過。勝利の為にと手を汚したあらゆる全てがこの世界に内包されている。
されど、この世界は我が歩み、我が勝利の代償、踏みにじってきたあらゆる全てが、我を憎み、同時に我が勝利を証明している!」
「呑み込まれれば、その時が私の敗北であると。お前はそう言いたいのか!」
「理解できるぞ、貴様の動きが鈍り始めてきていることを。人である限り、恐怖と言う極大の感情から逃げ出すことは出来ぬ。この光景が途絶えぬ限り、貴様は徐々にその力を奪われていくだけだ」
「何を言う。私は戦場の中で、光を見た!」
再びランスの先端が開き、そこから黄金色の光が浮かび上がり、セイバーへと振るわれる。二度も同じ攻撃を受ける道理などないとセイバーは避けるが、此処までの猛追がそこで一度、途切れたことは確かなことである。
「この黄金の光はカロリングの光であり、同時に恐怖と混沌渦巻く戦場の中で、兵士たちを導いた眩き光である。この光が途絶えぬ限り、我が心が恐怖に屈することなどない。セイバーよ、この世界は確かに貴様が支配する世界だ。しかし、私は屈さない。この光が必ずや、お前のこの世界を滅する」
「――――ならば果たして見せよ。もはや此処から出ることができるのは我らのどちらかのみであるが故に」
ランサーは恐怖に屈していない。彼女の言葉が何処まで真実なのかは定かではないが、彼女の宝具を完全な形で破らなければ、この勝負に勝利することはできないとセイバーも理解した。
(こちらも決して万全とは言えぬ。しかし、侮れば間違いなくこちらが食われるのは必定。であれば、完膚なきまでに倒す。そうであろう、主よ)
サーヴァント同士の戦いは互角、であれば、マスター同士の戦いが大きく趨勢を変える可能性は非常に高い。
最も、そうなれば、不利なのは間違いなくランサー陣営側である。先ほど、桜子が膝をついたことからも明らかなように、周囲の恐怖と怨嗟の声が精神を支配し、摩耗させていく。ロイと言う強大な敵を相手に一時たりとも集中を切らすわけにはいかない桜子にとって、今の状況は明らかに敗北へと沈んでいく流れが生まれてきていた。
「はぁ………はぁ……、くそ、情けないな、こんなことで、ランサーは頑張ってるのに」
「万策尽きる時と言うのはある意味、あっさりとしているのかもしれないな、俺でさえもかなり精神を削られているんだ、そう悲観することでもない。呆気ない終わりだと思うかもしれないが、勝たせてもらうぞ、桜子」
ロイの魔術が展開する。この死の荒野を照らすように光った魔力の群れが、戦意を挫かれている獲物を喰らい尽くさんとばかりに放たれる。
だが、ロイは気付かなかった。桜子の目がまだ死んではいないことを。その瞳はただ迫ってくる相手を迎撃することにだけ向いていることを。
「はぁッ!!」
「―――――――」
思わず息を呑んだ。ほんの一瞬前まで、力なく項垂れていることしかできなかった相手が、手加減抜きで放った攻撃に順応して見事に切り払ったのだ。その事実、受け入れるには理屈が無ければ納得できない。
「何をした――――?」
「確かに、あたしはランサーのように恐怖を振り払うなんてことは出来ないよ、そこまでの経験は持ち合わせていないから。だけど、恐怖を忘れることはできる。
あたしは――――七星の血族だから!」
「まさか、七星の血をッ!」
桜子の心の中に絶え間なく囁かれ続ける声が聞こえてくる。目の前の魔術師を殺せ、勝利しろ、血を与えろと叫び上げる声は、獲物を倒す事だけを考え、桜子の心の中から一時的にではあるが、恐怖と言う感情を忘れさせていく。
まさしく、麻酔を以て痛みを忘れているに等しい。だが、この過剰すぎる麻酔は今、この場においては最適解の如く機能した。
「ロイ、決着をつけなくちゃいけないのなら、あたしは貴方を斬るわ。七星の血族として」
「望むところだ、想像とは違う展開だが、七星を完膚なきまでに倒さなければ俺の戦いは終わらない」
血風吹きすさぶ戦場の中で、最後の時は着実に近づいている。この宿命の戦いが終わりを迎える時が来る。勝利の女神がどちらに微笑むのかはまだ誰にも分からない。