あとエロがないのも済まぬ……
一日目1
鬱蒼としげる木々に挟まれた線路の上を走る汽車がある。
空には月も星もなく、僅かな光すらささない暗闇を汽車の前照灯が切り裂くように照らし、進んでいた。
乗客席に座ってうつらうつらと船を漕いでいた立香は、ふと目を覚まして、大きな欠伸とともに目を開いた。
「ん……」
目尻の涙を指で擦りつつ、つぶやく。
まだ醒めきらない頭で視線をめぐらし、首を傾げた。
「やっと、起きたの?」
向かいから少女の声。
ぼんやりと線向けると、着物と藍の袴をはいた彼女の知る少女の姿が向かいの席にあった。
「エリセ?」
宇都見エリセ。
平行世界からの漂流者にして、カルデアに最近所属した準サーヴァント。そしてーー
そんなことをつらつらと考えていると、窓越しに鳥の鳴き声に似た長い音が耳に届いた。
「汽笛……?」
そこで立香はようやく、自分が見覚えのない客車にいることに気付いた。
周囲を見回す。
木造の床や壁は長い年月を得たように深く沈んだ色で、そこかしこに黒い染みのようなものがある。
まるで戦前のドラマに出てくる、昔の車両みたい、と立香は思った。
「ここはどこ?」
「寝ぼけてるの、姉さん?」
呆れたようにエリセが言う。
「姉さん?」
戸惑いとともに鸚鵡返しに言う。
うわあ、とエリセは苦い顔。
「ほんとに寝ぼけてるのね、姉さん。妹の顔を忘れちゃった?」
「…………はあ!?」
記憶を遡る。
確か昨日は……
(朝起きたあと、マシュと朝ごはんを食べて、そのあとお昼まで種火を周回で収穫して、午後はメディアさんの講義を受けて、トレーニングルームでランニング。夕ご飯を食べたあとは女子会して……)
そのあと、ベッドに入って眠ったところで記憶は途切れている。
混乱する頭を落ち着かせ、息を吸って、こっそりと魔術回路を熾す。
心臓に火が点るイメージ。身体に
パスをチェック。身体から外へと繋がる紐のイメージに
しかし、その伝わり方が妙だった。
(細い、いや薄い、かな)
いつもならもっとはっきりと感じる感覚があやふやで心許ない。
以前受けたエルメロイ二世の講義を思い出す。
曰く、マスターとサーヴァントのパスは客観時間ではなく互いの主観時間に拠るものであり、その為、レイシフト先にマシュや他の契約サーヴァントが同行せずとも時間軸による断絶は起こり得ない、と。
つまり、これは幻覚や通常の夢ではなく、下総国やムネーモシュネーのときと同じく精神だけ呼ばれたか、身体ごと攫われたか。
そこまで考えて、息を吐いた。
熾した魔力を霧散させて独りごちる。
つまり、いつものイベントというわけだ。
「姉さん?」
「……ん、ごめん。やっぱりちょっと寝ぼけてるかも」
言って、ふわぁ、とわざとらしく口を大きく開けて欠伸をする。
「もうっ、はしたない」
「二人だけなんだし、いいでしょ」
事実、立香達が座る席の乗客車には二人以外誰もいなかった。
窓の外を見る。
空はどこまでも暗く、昏い雲が一面に覆いかぶさり、月も星もない。
窓辺に映る鬱蒼とした森は、幾重にも樹木が重なり文明の明かりを拒絶して、どこまでも果てのない闇のよう。
まるで深海の底を走ってるみたいだ、と立香は思い、死後のあの世へ黄泉平坂という言葉と連想し、ぞっとした。
――と。
「くしゅんっ」
くしゃみをした。
気付けば、妙に肌寒い。
ただ、この寒さは冬の寒さというにはおかしい。
ただ覚えはあった。
この生者を排するような、冷たい空気。
これは――
(冥界の寒さに近いかな……)
思ってみれば、車窓の景色も山の山林だが、どこか闇のように深い。
死者を運ぶ汽車のいえば、宮沢賢治が執筆した「銀河鉄道の夜」を思い出す。
立香にとっては子供の頃に視たアニメ版(登場人物が猫のやつだ)が印象に残っていて、ふとつぶやいた。
「近くの席にジョバンニとカムパネルラでもいるのかしら」
「この汽車は天国じゃなくて信州行き。だいたいあれはジョバンニが見た夢じゃない」
「そうだっけ?」
はて、あの話にそんなところあったっけ、と内心首を傾げていると、くしゅん、とまたくしゃみ。
「エリセ、カイロ持ってない?」
「懐炉? そんな贅沢品あるわけ無いでしょ」
そもそも今は夏だよ、と呆れたように言われる。
「そっかー」
(そういえば使い捨てカイロとかは戦後の発明だったっけ)
そんなことを考えながら、さてどうしたもんかと悩んでいると、エリセがすくっと立ち上がった。
何を、と問う前にそのまま立香の膝の上にちょこんと座る。
「エリセ?」
「ほら。こうすれば少しは暖かいでしょ」
まあ確かに。
押し付けられたエリセの背から感じる少女特有の温かさを感じて妙に気恥ずかしく、立香は頬を掻いた。
ちらりと見ると、後ろから見えるエリセの耳が赤い。
エリセもやはり恥ずかしいらしい。
立香は肩をすくめると、エリセを抱き寄せた。
「――♪」
エリセは鼻歌にも似た上機嫌な吐息を漏らすと、そのまま背中からもたれかかってきた。
――どうせまだ目的地まで時間はあるのだ。妹とじゃれついても問題ないだろう
立香は羽織っていた
(――あれ?)
目を閉じた瞬間に覚えた違和感に、立香は目を開いた。
今、私はなんて考えた?
エリセを妹と認識し、目的地がまだ遠いということをなぜ認識している?
外套?
そこで改めて自分の纏っている服に気づいて絶句した。
黒い立襟の上衣、黒いスラックス。
胸元のボタンを開いて、中を見てみれば男物の洋シャツ。
いわゆる戦前の書生スタイルというやつだ。
ただし、男装である。
どうせならエリセのようにかわいい大正モダンなやつがよかったがしょうがない。
二人分の外向けの服を買う余裕はなかったのだ。
実家の近所付き合いのあった書生さんのお古を貰えただけ幸運なのだろう。
初めて袖を通したとき、エリセが妙に熱っぽい視線を向けていたのは気になるが。
(――まただ)
自分の経験でないはずの過去がでっち上げられている。
カルデアの藤丸立香である自己認識はそのままに、今ここにいる自分が「女書生でエリセの姉である藤丸立香」という
書き換えられている、という感じはない。
言葉にするなら、役に嵌まり込むという感覚に近い。
つまりこれは、
「チュートリアルってところか」
小さくつぶやく。
自分をここに呼んだのが誰なのか、人外なのか、そもそも人格のある存在なのかすらわからないが、確信はある。
自分は何らかの
問題は、
「ん……どうかしたの、姉さん?」
なかば夢心地だったらしいエリセがぶつぶつとつぶやく姉に気づいて、しょぼしょぼとした声で聞いてきた。
「あ、いや、なんでもない」
「そう……」
それきりエリセは口を閉ざし、やがて、すうすうと心地よさげに寝息を立て始めた。
そう、問題は、
(姉に熱の籠もった視線を向ける妹の必要性ってあるの……?)
そもそもここにいるエリセが、自分が知るカルデアのエリセが
宇津見エリセの場合、その背景から英霊の座に登録されているか怪しいので、立香は限りなく前者と見ているが、後者も無いとも言い切れない。
そもそもなぜシスコン化しているのか。
結局わからないことづくめということだ。
まあ、いつものことである。
吐息して、目を閉じる。
そのまま身を委ねるように、追加されていく自分の
氏名、藤丸立香。
年齢、十九歳。大正十一年生まれ。(この時点で年齢詐称だ)
地方の生まれ。(具体的にどこの地方が思い出せない。上京したという設定のためだろう)
地元の高等女子学校を二年前に卒業したあとは、学士に憧れ上京し、T大に入学。女書生としてとある篤志家の邸宅に下宿。(女性が大学に入れたっけ? まあいい)
下宿費や学術書の費用にのためにほそぼそとアルバイトをしながら勉学に励む。
だが、時代は世界大戦前夜、日本が軍国主義に染まり、やがて学生が戦地へと送り出されていく時代である。
立香は女性ということで招集されることはないだろうが、やはり時代というものだろう。
女が学問なんて、という奇異な視線と、整った容姿もあって、それほど稼ぎのいいアルバイトもなく、其日々々を食いつなぐのがやっとという有様であった。(妖しいアルバイトはたくさんあった。なぜそんなところだけディティールが細かいのか)
そんな時だ。
今年になって妹のエリセが立香を追って上京し、もともとかつかつだった下宿費が赤字に。
以前から下宿先の篤志家は妹さんの下宿代は気にしなくていいと鷹揚に言っていたが、さすがにまずかろうということで、なけなしの希望を求めて、新聞の求人欄を見たら、不思議な広告を見つけたのだった。
『書生、求ム、月給一千円也 鮎川』
場所は信州の山奥。怪しいことこの上ない。
当時の貨幣価値から言っても、あまりに法外な給料である。
立香は悩んだあと、急いでその山奥の屋敷に電報を打った。(……電報って何?)
『当方、T大学生、女、新聞広告拝見、至急連絡乞ウ 藤丸』
数日後、『至急、当地ニ来ラレタシ』という折返しの電報が明らかにお釣りのほうが余る出立費用とともに送られてきた。
当初は一人で行くつもりだったが、出立する直前になってエリセが「私も行く!」と駄々をこねて、根負けした立香はそれを受け入れた。
そして今、立香とエリセはその山奥の屋敷へと向かっている。
そこまで、自分に振られた
(何、このテンプレ。明らかに館モノのミステリーじゃない!)
どう考えたって詐欺か厄ネタしかない。
そもそも怪しさしか無い求人に応募するな私。
ドロドロの愛憎が織りなす殺人劇。
着いた途端に屋敷に閉じ込められて謎の怪人から逃れる脱出モノ。
巨大な鋏を持った猟奇殺人鬼がいきなり現れて襲ってくるホラー。
そして、最期は館の炎上オチ。
考えれば考えるほど、嫌な予感しかしない。
立香はそこまで考えて、小さく溜息とついて頭を振った。
(まあ、なるようにしかならないか)
こういうときの自分の前向きになれる気楽さは誇るべきなのだろう。
ゴルドルフ新所長あたりが聞いたら、もっと緊張感を持ちたまえ! と頭を抱えて叫ぶだろうが。
それに今自分の腕の中で寝息を立てているエリセが自分の知っているエリセかはわからないが、自分を慕ってきているのだ。
護ってあげないと。
――さて、この感情は元々の自分から発せられたものか、
そんな事を考えながら、立香は今度こそ目を閉じて、眠りについた。
汽車は闇の中を進む――
当時の書生事情とか女学生とか貨幣価値とか汽車とか調べてたらすごい時間がかかって、頭を抱える。
あとこの立香は「僕の考えたとてもつよい立香」補正がかかっているので頭の回転が早い仕様です。
だってワトソン役はエリセに振るとしても、ホームズ役が本人も代打ちもいないんだもん!
以下、ツッコミが来そうなところの解説
>肌寒い
当時、牽引する機関車から供給される蒸気で客室を温める蒸気暖房が存在したので、本来は肌寒くなることはないはず。
これには後の明かされる理由がある。
>法外な給料
現代の金額に変換するとおよそ「いっせんまんえん」。(白目)
詐欺というレベルではない。