先日、琥珀と二人で夜歩きはしていたけど、京楓とこうも夜道を歩くのはいつ以来だろう。勿論どこかに出かけて夜に帰るということはあるけど、夜からどこかに出かけるという経験は、京楓とはめっきりしていない。
そして今の格好は、かつて着ていた制服だ。陽が落ちてから制服を着て外に出たのは、恐らく彗星観測を京楓と大誠とした時以来だろう。
それより、最近制服なんてエッチの時にしか着てなかったから、久々にこれを着て外に出て、しかもそれが夜となるとどことなく扇情的……ゲフンゲフン。
「うーん、制服着てこの時間に外を歩くのも久々だなー」
「あ、そっか、女子テニス部の」
「そうそう」
時刻はまだ20時台とかで、だから帰宅を急ぐ会社員だとかは普通に見かけるし、車の通行量もそこそこにある。だけど、本来は制服で出歩く時間ではないからこそ、俺たち二人が町から浮いている錯覚を覚える。
そりゃぁ、土曜日とはいえ部活や塾の関係で制服で出歩く生徒はいるし、俺たちだって現役の時はこの時間に制服で出歩くこともあったけれど。それでも、日が完全に沈んでから制服で出歩くということが一つの特異点なように感じるし、少し何かから外れた行為をしているような気持ちにもさせる。実際にしているけど。
「主将やってるとさ、雑用も多くてさ。朝も早いし……本当に、暁には助けられたよ。あれがなければ学院時代主将なんてやれなかったもん」
「別に、家族の世話というか、家事は誰かがやらなくちゃいけないんだし、それをあの頃は俺が一手に引き受けていただけだよ。だから、別にそこまで思ってなくてもいいのに」
「ほんとだって。大学入ってから、改めて私もちゃんと家事をやるようになってわかったもん。本当に暁には負担をかけっぱなしだったなって」
確かに、京楓も家事をやるようになってからはだいぶ助かっている。琥珀と併せて、気付けば殆どターム的になってるし、今後も特別な事情がなければそれが続くのだろう。
それにしても、見ていると、最近は学院生の部活や塾帰りの時間もどんどん遅くなっている傾向があるように思う。学院の完全下校時刻が18時だったから、京楓は大体18時半までには帰ってきていて、外で練習している時は更に一時間遅いかどうかだった。
今は、見た範囲それより更に一時間は遅いように見える。大誠の塾は、もっと遅い時間に終わっていたように思うけど、塾の時間も同様に遅くなっているように見えるから、全般的にみんな睡眠時間か余暇のどっちかが減らされているはずだ。
そんな時間に京楓が帰ってきていたとして、俺はどれだけ京楓のために尽くしてやれたのだろう。嫌でも京楓と過ごした就寝前の時間は、きっと俺たちの絆をこれ以上なく深めるのに不可欠な時間だった。双六以前の、学院在学以前の、京楓と付き合う以前の時間で、一番戻ってきてほしい時間は、きっとここだ。
「それより、この時間でこれだと、ラケット持ってないのが違和感あるなぁ。学院祭とかそういうのがなければ、必ず携帯していたから」
「そうだろうね。俺としては、家に帰ってきて、開口一番『ご飯まだー?』だなぁ」
「そんな人を腹ペコ大王みたいに……」
「違うのか?」
「違っ、くもないけど……でも、部活が終われば一番楽しみになるのはいつも暁のご飯だったの! 悪い!?」
「まぁ、結局部活でも一緒にやるはずだったテニスを結局俺が反故にしちゃった格好でもあったからなぁ……それくらいはね」
「――また、やろうね。最近暁とやれてないもん」
「いいけど……京楓的にはヘボテニスになって面白くないんじゃないか? 本当に腕なまっちまったぞ」
「暁とやることに意義があるからいーのっ」
そう口にするが早いか、京楓が俺の腕に抱きついてくる。ふわりと、嗅ぎ慣れた、俺が一番好きな匂いがした。お互いの制服姿と相まって、親友以上恋人未満家族以上の関係だった、学院生時代の視界に一瞬だけ戻る。
そうだ、今日はきっと彗星を見に行く日。いや、ただ学校に忍び込むだけの日にしよう。彗星を眺めたのは、それこそみさきがよくなるようにと願ってだった。今でこそ、みさきは完全に元気になったのだから、わざわざ彗星があったとして願うまでもない。俺のことは……見ないふりをする。
「――うりうり」
「そんな腕に胸当てなくても」
「だって、一回はやってみたかったんだもん。結局、暁とは夜の制服デートなんて出来なかったもんね。暁は散々鬼無水とかと二人きりで放課後過ごすみたいなことやってて、付き合い始めてからもっとそういうことをやれればよかったのにってなった。せめて暁が行く買い物を、早い段階でもうちょっと一緒に行ければよかったのにってなったから」
夜の制服デートという図は、確かにぱっと見でも魅力的だ。そしてこれだけは、現役時に終ぞすることが出来なかった。夕暮れ時に帰ることはあっても、日没していつもせいぜい一時間ぐらいのもので、夜を前提としたデートは、制服姿ではからきしだ。
正直、現時点でまたやりたいとなっている。だから、これ限りにならないように。早く片を付けられるようにと、それだけを願う。
――あぁ、そうだ。もしかしたらこれから関係あるかもしれないことを、京楓に話していなかった。
「七不思議だけど、今俺たちが向かってる職員室の机の話が、やはり一番有名なんだそうだ。というより、他はどれもまことしやかに囁かれているだけなのに、これだけは明確に実害が出ていて、だけどお祓いとかでどうにかなったわけでもないからどうしようもなくて、それで対応に苦慮してるんだって」
「だったら、余計どうにかしてやりたい、とは思うけど、暁にこれ以上無理をしてほしくないしなぁ……」
「まずいことになりそうだったら、途中で止めた方がいいか? 場合によってはそれが正解かもしれないし、致命的な間違いになるかもわからないけど」
「ううん、まずは『頑張りすぎないで』って言うかな。どうせもう言っても止まらないでしょ?」
「まぁ、そうだな。多分、やりきるか否かになると思うよ。見てみないとわからないけど……」
さて、何が待ち構えているだろうか。まさか鬼が姿を現して俺たちを飲み込むことまではないと思うのだけれど。でも、まず俺が俺でなくなってしまうようなことだけは避けなければ。
不意に、腕に絡まる京楓の力が突然強まった。腕に押し付けられる京楓の胸の柔らかさに、それまでの思考が溶かされる。
「ぎゅ~~~~~っ!」
「おっどうしたどうした」
「今の内に暁成分の補給っ」
「そんな大層なもんじゃないけどな」
「大層なものなの!」
ぼんやりと、これが傍から見ればバカップルと呼ばれるのだろうかとなんとなく考えて。でもこの後何が控えているかわからないからこそ、今の内にこの空気を楽しみたかった。
だから、辿り着くまでは、この調子でも許されるだろう。
だって、そこは鬼が出るか蛇が出るかの予測もつかないのだから。
「夜の学校への侵入なんて、普通に通ってた時でも思わなかったよね」
「彗星の観測の時もちゃんと許可取ったもんなぁ。あれからシステムがそう大きく変わってるってことはないと思うけど……」
とはいえ、入学時点では防犯システムだとかはしっかり整備されていたし、特段状況が変わっているとも思えない。寧ろ、完全に締切になっている方が、誰かが入っただけで警報が鳴るから厄介だ。
そして、物陰から窺ってみようと確認してみた母校の門は。
「校門……」
「開いてるね……」
恐らく、部活動か何かで合宿っぽいことをしているのが、誰かいるのだろう。文化祭が近くはなかったかとは思うが、その辺りはおおらかな学校だ。寧ろ土日で合宿紛いのことを何かやってる方が、タイミングだけなら自然かもしれない。それこそ屋上で天体観測だろうか。今日は小望月で、つまり満月自体は明日だけど、つまりだいぶ月齢も満ちているから、月の観測かもしれない。今日は割と雲も多いから、どれだけきれいに見えるだろうか。
とはいえ、こう言うのもなんだが、なんというか不用心だ。これでは部外者の勝手な侵入を許してしまう。まぁ誰あろう俺たちの事なんだが。
ご時世的に防犯カメラはそりゃ付いているけど、格好自体は制服なのだし、寧ろ変におどおどしている方が却って怪しい。誰かに見られているわけではないことだけを確認して、堂々と中に入る。
寧ろ、誰かがいるらしいのは助かった。それこそ誰かがいるだけで警報が鳴るシステムの場合、入っただけで不法侵入がバレてしまう。
「靴は……どうしよっか」
「そのままでいこうか、下手に履物変える方が不自然だ。靴そのままは申し訳ないけど……」
それこそ、清掃員さんには一番謝らなくてはいけないかもしれない。外の路面が濡れていたとかそういうのはなかったから、変に汚すことはないと信じるしかない。
リノリウムを踏む心地は、病院とかでない限り、今後の人生では滅多にないだろう。そういう意味では、学校に通う期間は、合法的に、それでいて健康的に定期的にそれを踏む唯一の期間なのかもしれない。
――学校でも、病院でも絶えず踏んでいたみさきはどのような感慨を抱いているだろう。聞けるようなことではないけれど、少し気になった。
そして向かう先は職員室だ。まことしやかに囁かれる七不思議の内、明確に危険度が高いとされる、その現場。
「失礼しまーす……って、誰もいるわけないね」
「まぁ、礼には礼を尽くして、な」
一応の自己弁護をしながら入った。まぁ、ここで返事があったら寧ろまずいし、儀礼的なものだ。
昔は職員室をとても広いと思っていた。だけど、よくよく見れば、教室二つ分程度の広さしかなくて、宮殿の広間か何かと思うぐらいに広いと感じていた時に比べれば、存外に狭いのだと知る。
「どう? 見つかりそう?」
と、言ったところで、正直痕跡などあるわけもないと思っている。四年も前に急逝した教師の机が残っている職員室があったとしたら、余程広くて整理しなくても賄えるレベルか、もしくは逆に異様に空いててどうにかなる場合だ。
事件があって、後付けに聞いた話だが、やはり俺たちが巻き込まれた事件は、一部ではかなり騒がれていたらしい。だから、人によっては、この学校に何らかの形でかかわることを拒否する人もあると聞いた。
そういえば、俺たちの生活路線の阪急京都線、その地元の西院~西京極の駅の間は、関西圏の鉄道の中でも突出して人身事故が多い。誰だったか、その理由は賽の河原があるからで、それに引き寄せられているからだという言説を話していたように思うのだけど、あれは大学のオカルト研究をしているような人が喋っていたんだったか。
そんなことを思い出していると、ふと目の前の机に意識が吸い寄せられた。それはぱっと見そこにあるのが当然のようでいて、でもよく見ると違和感を醸し出している。
てっきり、学年や教員自体の転入転出によって一から探さなければいけないものだと思っていた。実際、各種配置はどれも変わっている。だけど、その机だけは、四年前から時が止まったように位置も何も変わっていなくて、そしてうっすらと窓の外から差し込む月の明かりが、机の上に置かれたものに積もる埃を照らしていた。
この部屋は、整理しなくても賄えるレベルの広さを持つわけではない。さりとて空いているわけでもない。なのに、それはそんな律など関係ないとでも言うように、ただ鎮座ましましている。
「――あった」
「あったの!?」
「うん……間違いない、これだ」
それは、見慣れたというより、記憶の残滓に引っかかっていたものに手が届いた感触だった。来て初めて、確かに学院生時代、クラスメートのノートを運ぶだとかして、ここにはよく訪れていたという記憶が、縁によって結ばれた心地がする。
それは、それこそ、何故か片付けられていないものだと言える。だけど、それこそ恐らく、当事者以外から見れば、不自然なことが多すぎたあの事件の、その渦中だった教師に関わることの整理を拒まれた結果だった。
いや、拒まれたというより、この机が拒んでいるのか。よく見れば、机の端には盛塩の山があった。それが、正に答えなのだろう。
「やっぱり、七不思議の内の一つは、本当だったのかもしれないな」
「だとすると……どうするの」
「んなもん、やるしかねぇだろ、俺たちが、俺が」
触らぬ神に祟りなし。この学院で出した結論はそれだったのだろう。対処できる人がいないんじゃ、それはもう仕方がない。
だけど、お陰で面倒なことになった。恐らく、触れれば蛇どころじゃないものが出てくるのだろう。もっと奇抜なものかもしれないし、もっと重いものかもしれない。拍子抜けするということはないということだけは確かだった。
だけど、お陰で助かった。俺が、やるしかない。解決できれば、きっと俺が鬼を把握する一助にもなれる。
「暁……手、握ってる……? ――いや、握る! 私は私の意思で巻き込まれる!」
「――わかった」
俺一人がとも思ったけど。でも、きっと京楓はどんなに拒否しても一蓮托生であろうとするだろう。だったら、協力してもらおう。俺に何かあって、悲しむのは京楓だ。そうさせないように。
無茶しないでね、と京楓が目線で語りかけていた。それに俺は、伏し目がちに、善処すると応える。
「それじゃぁ、始めるぞ」
「――うん」
左手が、ぎゅっと、京楓の両手に包まれる。その手は、俺以上に震えていた。
そっと、右手を机に伸ばす。ツン、と突いても、何も変化はない。
見掛け倒しということは恐らくないだろう。机がとは聞いていたけど、とはいえ机そのものは問題ないらしい。とするならば、机の上に無造作に置かれている物が問題なのだろう。
そして、机上の何かに指先が降れた、その瞬間。
「――っ……!」
「暁っ……!?」
思わずすぐに指を離した。いや、弾き飛ばされたというのが正しいか。熱せられたヤカンに意図せずして触れて火傷しそうになった時のように、反射的にそうなったものだ。
やけに、苦しさを感じた。確かにこれは、ずっと触れていると、本当にそのまま吸い込まれそうな心地を覚える。それでいて、何か俺のものではない別の記憶が僅かに流れ込んできていた。
なんだ、この光景は。少なくとも、俺の記憶じゃない。例えるなら、双六で黎に黎の過去をひたすらに見せられた時のような――。
「――成程な……」
あぁ、これは、物に付着した鬼の記憶の残滓だ。俺が鬼と縁を結んでいて、鬼が積極的にそれを強めているからこそ、関係する物に触れるだけで鬼の記憶が俺に流入してきてしまう。
そして案の定、これを俺は読み取れた。『読み取れてしまった』。今ここで生気を吸われるということはないだろう。だけど、これはきっとあとで揺り戻しがくるパターンだ。
――いや、違うな。これこそが縁だ。『鬼が今も現実に向けて伸ばしている縁』そのものだ。
「暁……大丈夫?」
あぁ、やっぱり京楓には隠せないや。いや、京楓じゃなくてもか。
「触れた途端、当時の記憶とでも言うのかな、鬼の記憶が流れ込んできた。その記憶を指差して、『引き込まれる』と形容したんだろう。京楓には……行ってないか?」
「いや、私は大丈夫」
「よかった。想像以上に長丁場になるかもしれないな、これは」
知らないで触れる分には、そういう理解になっても仕方がない。得体のしれないことが起こって、ともすれば実害もありそうな、何か危険な机。そりゃ、おいそれと片付けも出来やしない。
「それで、実際は――」
「どうだろうな。多分、本当に引き込まれることが起こり得るなら俺だけだと思う。それは、『俺が鬼を縁を結んでいる』から」
本当に、俺以外の誰かがこれらに触れたとして、自意識が奪い取られそうになるとするのならば、それは。
「――これを、他の人が触れた際に起こり得るのは『鬼と縁を結ばされる』という危険だ」
「っ……!」
「確かに、これは盛り塩がいるよ。盛り塩自体に意味はなくても、この机の上にあるものが危険だとするならば、それを示すものにはなるからな」
だから、俺にはこの盛り塩が、鬼の墓標に見えて仕方がなかった。一応は人間として、物部総司として生きた証として、この机が遺されていると。
つまり、これはきっと、鬼が現実と自身とを繋ぐ臨界点みたいな場所だ。それこそ存在が賽の河原のそれで、だからこそこの盤双六と縁を結ぶことで、現実に復活するための縁を手に入れられるように手ぐすね引いているのだと。
それでも、いつかは片付けられなくてはいけない。それは、この墓標の向け先が鬼でなくてもだ。存在自体が百鬼夜行と化しているこの双六を、呪われた存在でなくすために。
そして、俺みたいな人を他に出してはいけない。あまりにも双六が放つ縁を結ぼうとする力が強すぎて、却って今みたいに弾かれてしまうけれど。それでも、いつか誰かが鬼と縁を結んでしまったら、その時は、鬼は俺でなくとも縁を結んだ相手を取って食おうとして、そしてこの現実に復活しようとするだろう。
「それで、見た感じ、どう?」
京楓が、何を感じたのか尋ねてくる。それを事細かに口にするとするならば。
「――双六盤面で見た時と状況が変わってないな。盤双六がそのまま残っているし、机自体は本当に使わないようにしただけで、当時の生徒の個人情報以外は手を付けられていない」
「本当にずっとそのままってことだね……」
まず入り込んできたのは、ボードゲーム同好会に合鍵で侵入して、みさきの許可など取らずに勝手にここまで盤双六を持ってきた時の状況だった。その時の鬼は、如何にしてみさきを『盤にするか』ということしか考えていなかった。
次に流れ込んできたのは、いつ双六盤面を広げるかということであった。すなわち、俺と京楓を毒で制そうとする機会。何れにしても、俺たちをどのようにして甚振ろうかということしか考えてなくて、それが故に悪意が直接流入してくる。
俺たちの顔は浮かんでこなかった。鬼にとって、いつかの双六の時に忘却をさせられた相手の表情は、靄がかかったかのように見えて、それを読み取ることは叶わない。
あぁ、本当にこれは四年前の状態そのままだ。そして、鬼がかつて永沈した時の、その感情の残滓がありありと残ってしまっている。
だからこそ、悪意が直接伝わってきた。自分の望みを果たせないまま沈む無念。そしてそれをお前たちのせいでと、責任をあてこするかのような意識。そのままそれが誰に対して言っているのかもわからなくなって、ただ『天縁を欲しいと思う意識』だけが漂白され、そして先鋭化した記憶。
そういう、鬼の一挙手一投足の記憶が物に伝播して、そして俺はそれを読み取らされている。事件から四年が経過した物にまで残留思念が色濃く残っていて、その思いの強さにただただ恐怖する。
――逆恨みじゃねぇか。俺たちはお前の駒だったかもしれないけれど、同時に俺たちはお前なんて関係なく生きてきたんだ。
だけど、俺たちが鬼を忘却したからこそ、天縁を持つ者が誰だかわからなくなってしまったからこそ。その意識だけが卓上に残された物に色濃く残されて、そして鬼が現実と繋がるためのよすがとなり、無差別的に触れた人の生気を、縁を吸うようになってしまったんだ。だったら、それは取り除かれなくてはいけない。
「やっぱり、俺がやるしかねぇな……」
「無理だけはしないで、お願いだから……」
「――可能な限りな」
だったら、俺が、鬼から、この双六に通ずる縁を奪い取ってしまえばいい。触れて、その縁を、全て俺が吸収してしまえば、鬼は俺以外に現実との接点を失う。
つまり、この双六と鬼の縁を断ち切ったら、現実とのよすがとしての縁の向き先が全て俺になるんだ。すなわち、鬼は限りなく俺との縁が強まって、そしてそれは夢の中で更に俺が縁に引っ張られるようになるということでもある。
だから、結局は全てを抱え込む俺が耐えられるかどうか。更に鬼の縁を強めることになってしまうから、夢は余計悪化するだろう。
嫌だと言いたかった。あれより悪い夢を見せられるようになるのは、本当に精神が持たなくなる。そして京楓に泣きつけば、きっと無理しなくていいって抱き締めてくれて、そして甘やかしてくれるだろう。
でも、止めてもらいたいわけではない。それに、そのまま放っておいたとして、どの道緩慢な死を迎えるだけになるだろう。早いか遅いかでいうならば遅いに越したことはないのだけれど、でもやるべきことをやらずに同じ結果になるとするのなら、結局は最後に後悔して終わることになるんだ。
「これは……どうだっ」
「暁……それ脂汗……っ」
現実での記憶は、然程なかった。だから、吸い取る記憶は、すぐに鬼が双六で過ごした時のそれになる。そして同時に、鬼との縁が強まる心地も覚えた。
鬼はどうやって双六で他者を蹴落として来たのかが、触れる度なんの制御も無しに流れ込んでくる。どんな陰惨な手を使ってでも、ただ自分だけが上がり、そして戒を奪うということ以外の何もかもを考えずに過ごした、いつかの鬼の記憶。
それは、ある意味では鹿乃の絶縁より壮絶なものだったのかもしれない。理性的に競合相手を永沈させ、だけど鬼とは縁を結ばされた上で二度と浮かび上がらせないようにするもの。関わったが最後、鳥辺野の麓から抜け出すことも叶わない。
だから、今見ている景色は、恐らく鬼と向き合わされ、そして永沈させられた幼子たちの記憶だ。永沈して尚、盤に縛り付けられ、抜け出すことも叶わない亡霊の悲痛な叫びだった。
これは、賭けだ。どこかで鬼を倒すとするならば、この縁はどこかで吸い取らなくてはいけないものだ。だけど、現時点ではどのようにして鬼に立ち向かえばいいのかもわからない。でも、いつか鬼を倒した時のやり方が今回も有効ならば、これはきっと有効なはずなんだ。
そして、学院に次いつ入り込めるかなんてわからない。だから、今やるしかないんだ。
「まだまだ……っ」
「大丈夫なの!? 大丈夫じゃないよね!? 無理してるよ、一旦止まろうよ!」
例えるなら、薔薇の枝を素手で握って、生えている棘を自らに吸収するようなもの。薔薇の枝の棘は折れて枝はすべすべになるかもしれないけれど、枝を握った際に手は棘が刺さって出血するし、吸収した棘はその内体内で暴れ回ることがわかっている。
そして、既に体内に取り込まれつつある棘は、既に俺の中で暴れ始めていて、グサグサと内側から刺すような痛みを与えに俺に襲い掛かってきていた。痛みに身体は熱を持ち、段々と痛みは麻痺してきている。
プチプチと、髪の毛を無理に引っこ抜くような感触を覚える。その感触がする度、一人一人、戒を奪われ、鬼と縁を結ばされた相手の存在が認識できなくなった。それと同時に、鬼ではない誰かの双六での記憶が瞬間的に流入する心地を覚える。黒光りした誰かの視界が曖昧模糊に脳裏に焼き付けられ、俺自身の記憶と混ざり合う。いつしか俺が俺でなくなってしまうかのような心地を覚えて、やがてはゆっくりと双六に『吸い込まれて』行くような――。
「――暁っ!」
グイッっと、唐突に右腕が強い力で引っ張られた。同時に、黒光りしていた光景が断絶して、月明りだけが差し込む職員室の風景に切り替わる。
「今、呑まれかけてたように見えた」
表情をどうにか押し殺した京楓が、淡々と事実を俺に告げる。気付けば握られた京楓の手があまりにも冷たく感じた。どちらのともわからない手汗でぐっしょりと濡れている。
「――悪い、助かった」
「ねぇ暁……お願いだから少し休も……?」
「もうちょっと、あとちょっとなんだ……」
「なら、せめて十分は……」
「そうだな……」
俺の事を慮ってくれるのは本当にありがたいし、寧ろ京楓を心配させてしまっているほうが心苦しい。
でも、実際、あとちょっとだった。双六に結ばれている縁の力が弱まってきていて、その分鬼の悪意がどんどん直接流れ込むようになってきている。
現時点で、双六でのかつての鬼の悪行が既に俺の中に流れ込んできていた。その中に俺たちの知ってる誰かと関わった記憶はなかったのだけれど、逆に言えばそれ程この鬼が様々な悪行をしてきたということでもある。
こんなもの、京楓に話すわけには行かない。少しでも内訳を話せば絶対にショックを受けるし、何よりそれで鬼との縁が結ばれてしまうという俺の懸念が現実になってしまえば、また新たな対策をする必要が出てきてしまう。
だから、今だけは俺が全てをやるしかない。俺自身の寿命が縮まろうとも、それがまだ一番影響が少ないと断言できるからこそ。
これを吸い取れば、『盤である資格』を鬼から奪いきることが出来る。他人の戒を奪うという戒を持った鬼から、初めて奪うその資格。
「――途切れろっ!」
そして、勢いよくその手を再び伸ばす。また、引っ張られる。意識だけは手放さないように、いつしか全身に抱き着きながら左手を握ってくれている京楓の両手へと感覚を集めて正気を保つ。意識は双六へ。縁の糸の向きを双六から俺自身へ。
奥底で、何か悲鳴みたいなものが聞こえた気がした。それと同時に、ブチッっという、勢いよく何かが断線したかのような心地を覚える。そしてパソコンを強制シャットダウンさせたかのように、急に何も感じなくなった。
触れているものはただの紙類で、それはいつも生活する中で触れるそれと特段変わりがない。強いて言うなら盤双六が古くなってるから、丁寧に扱うべきかということぐらいか。
「――出来たか……っ?」
「ほんとっ!?」
縁は――全て吸い取れた、と思う。そうでなければ、あんな唐突に終わりを迎えるような感覚にならないはずだ。
試しに、もう一度だけ触ってみる。その机上に置かれたものは、果たして、どれも何も語りかけてはこなかった。
「悪い……少し、触ってみてくれないか……?」
「うん……」
それは、危険なお願いだった。触って、それでも生気が吸い取られるような感覚がするならば、まだ縁があるということだし、何より京楓が鬼と縁を結んでしまうかもしれないものだ。
京楓が、恐る恐る双六に手をかざして、そしてぴたっとその手のひらをくっつける。
「何も感じないよ……?」
「ほんとか!?」
「ほんとだよ、ほら、こうやって持つことも出来る」
そう言って、ひょいと双六を持ち上げる京楓に、目立った変化は見られない。だから、本当に別の人が触っても魂を吸われる感覚というのは消えたのだろう。
つまり、これでこの机一式は、傍から見た呪いが、全て除去されたことになる。少なくとも、実害を持ってこの場所にずっと鎮座ましましていることにはならないだろう。
「これで無効化出来たんだ! やった、鬼の縁を一つ断ち切れたぞ!」
それ自体は、純粋な喜びだった。別に俺のせいではないとはいえ、俺が関わっていたことで、誰かに危害が及ばなくなるというのは、単純に安心する。
「でも、暁、体が重そう……」
「――そう、だな……」
やはり、バレるか。縁を身体に取り込んだ重さがずっしりと後からやってきて、その倦怠感に引きずり込まれそうになる。全身が胃もたれしているかのような感覚だ。
「はぁ……はぁ……っ」
双六と鬼との縁を断ち切った際に、内側から刺す棘のような痛みは消えた。だから、今は鬼との縁も一旦は落ち着いているのだろう。それが故に、熱を持ったその倦怠感は痛みでごまかすことが出来なくなっている。
「……君たちの無念は、俺が引き継ぐから……成仏しろよ」
ふと、双六で『初めて』鹿乃と出会った時のことを思い出す。鳥辺野の麓の怨霊を、あの時鹿乃は絶縁で暴力的に成仏『させていた』。
今、あそこに怨霊はまだ残っているのだろうか。少なくとも、あの鬼と関わらされて永沈した子だけでももういなければと、そう思う。
「他、どこにも、なかったよな……」
「でも、暁、あっても、これ以上は……」
「他は大丈夫、なはず……。とにかく、死して尚、俺や、俺の関係者以外の誰かに対して危害が及ぶのは絶対になくしたかった。だったら、何と言われようとも、その縁を、俺が吸収するさ。それはともすれば、鬼を討つのに生かせるかもわからない。今は、それだけを信じることにするさ」
そしてそれは、今現実で鬼と結ばれている俺にしかできないことだ。俺以外は、鬼と結ばれた確固たる縁はない。
「そもそも、ここ以外に鬼が現実と自身とを『よすが』にしていたポイントはないはずだ。他に何かあるかもわからないけれど、恐らく本や偉人の言葉の引用ばかりで、つまりそれは俺が思い出せばいいだけのことだ。だから、場所としての無効化はこれだけで、そして効果はかなり大きかったと思うよ」
そう、それだけが救いだ。これ以上あったら、それこそ身が持たないだろう。幾ら安定している時にやったとしても、きっと次はその縁に吸い込まれてしまう。
だからあとは、今少しこの場で休ませてもらって、その上でどうにかして脱出すればいい。ひとまず、単純にそう思っていたのだけれど。
その時、コツン、コツンとした音が廊下から聞こえてきた。誰かが、こっちに、歩いてくる。
「やっべ、誰か来るぞ!」
「ちょっと! どうすんの!」
「まずはやり過ごそう……流石に何言われるかわかったもんじゃないからな……」
というより、今していることは文字通り不法侵入だ。それこそ警察に突き出されてもおかしくはない。卒業生だからと言って、情状酌量の余地があるかと尋ねられたら、そりゃないだろう。
幾ら実害を伴っていた七不思議の内の一つを処理してましたと言ったところで。幾ら俺がしていたことが陰陽師のそれだとして。結局は不法侵入だし、事情を知らなければそんな危ないことをするなで片付けられるだろう。
椅子を引いて机の下のスペースに二人して入る。互い違いに体育座りをして、空いたスペースにお互いの上半身を埋め込ませれば、なんとかして二人して収まることが出来た。
特に京楓の体がだいぶ柔らかめだからこそ、少々無理な格好をしてもどうにかなった。京楓にはだいぶ無理な格好をさせてしまっているけど、今だけはどうにか辛抱してもらうしかない。
そして刹那の間を置かず、職員室の扉がガラリと開かれた。カツカツとした足音が急に大きくなって、室内に反響する。
「目的地だったみたいだな……」
怒られればいいというものではないことをしている自覚があるからこそ、今だけは誰かに見つかるということがとても怖かった。それは、それこそ百鬼夜行に遭遇しそうになっているような心地を覚えて、二人して静かに震えることしか出来ない。
幽霊より生身の人間の方が怖いと言ったのは誰だったか。相手からしたら、俺たちの方が得体のしれない幽霊のそれだろうけど、存在がバレてない内はそれこそ目に見えない木霊で押し通せる。
ぎゅっと握られた手からは、京楓の血流がかなり早くなっていることが分かって、そこから心臓が早鐘を打たせていることを理解させる。それは誰かに見つかるのが怖いのか、それとも俺の体調を案じてくれているのか。
『誰か』は、職員室内のどこかの机へと向かったようだ。実際に、何か取りに来る用事があったのだろう。なら、そのままやり過ごせば問題ない――。
その時、カラン、と机の上から音がした。それは俺たちにとっても不意打ちで、だから俺も京楓もドクンと心臓が飛び跳ねる心地がする。
「ひっ――!」
京楓が悲鳴を上げそうになって、慌てて自分で自分の口を塞ぐ。音をたてないように、俺の喉元近くに口元を持ってきて、そしてキスするかのように唇を埋めた。
――誰かいる……?
その呟きが広い職員室のしじまに消える。それに反比例するかのように、俺たちの心拍数はどんどん上がっていって、留まるところを知らない。
「――っ」
首元に甘い痺れが走る。耳元で、蚊の鳴くような唸り声が聞こえて、あぁ、京楓が必死に耐えて、そして俺の首元を吸い上げることで声をこらえているんだとわかった。
カツカツと、透けて消えているわけでもない二本の足が近づいてくる。息が上がる。縁を吸収したばかりの俺はそれだけで過呼吸になりそうで、それを隣の京楓を見てなんとか落ち着かせる。
――音の出処、この辺りだったよな……うわ、呪いの机のとこか……。
そして俺たちにとっての百鬼夜行が目の前までやってきた。大きい溜息をつくだけで、きっと俺たちの存在がバレてしまう。だから俺も、京楓と同じように、京楓の首に自分の唇を埋め込んだ。少しだけ京楓がピクリと動いて、だけどなんとかそれ以上の動きを留める。
――あれ、呪われてる机、誰か触れたのかな……少し配置が変わってるような……。
『呪われた机』の下、お互いに体育座りをして縮こまりながら、声をこらえようとしてお互いの首元をひたすらに吸っている。傍から見れば滑稽なのだろうけど、極限状態に置かれた俺たちにはそれを気にする余裕もない。
――あぁ、双六が滑って、その先の鉛筆立てに当たって転がしたのか。でもこの双六って、ずっと張りついたように動いてなかったような……。
音がしないから、机の上の物に触ることもせず、ただじっと眺めているだけらしい。そして俺たちは、その時間が終わるのをただずっと待つことしか出来ない。
――やめよう。曰くつきには何かがあるよな……触らぬ神に祟りなしっと……。
そしてそのまま、足音が遠ざかって行って、扉の開け閉めがあって、俺たちの息遣い以外に他の音がしなくなる。俺たちの心音も、段々と落ち着いたものに変わっていって、取り急ぎの危機は去ったのだと、そこでようやく頭で理解できた。
廊下に響いていた足音が全く聞こえなくなって初めて、京楓と二人、その場で床に転がって伸びる。キィ、と椅子が甲高い金属音を立てるが、それが誰かに聞かれてないかという注意をかける余裕もなかった。
二人してゼエハアと荒い息をする。さっきまで鼻だけで薄すぎる空気を求めていたんだ。やっと大きな息が出来る状況になって、ゆっくりと頭にも酸素が回り始める。
「行ったね……」
「そ、うだな……」
「だ、大丈夫? ほんとに……」
正直、まだ大丈夫じゃない。酸欠になりかけていたというのもそうだけど、縁を吸収した身体の悲鳴はまだ収まっていなくて、今はまだこの場で休ませてくれと叫んでいる。
「はぁっ……はぁっ……」
「暁、まだ収まらないの……?」
「――正直、まだまだかな……少しはましにはなってきたが……」
「でも、それじゃぁ帰り着くことも出来ないよ……まず学院から出れない……」
少しそのままでいればきっと落ち着くだろうけど、だけどこの場所にずっといるわけにもいかない。だから、少しばかり、別のところへ移動をしなくてはいけないだろう。
今となっては恐らく正門も閉まっているだろうし、そこで抜け出せれば話は早いけど、閉まっていれば無駄な動きが増えてしまう。そしてそれをやるまでの動きがかなり厳しいのも本音だ。
「行くか……ここよりはまだバレづらい場所にでも……」
「行く宛あるの……?」
「とりあえずあそこかなって……駄目元だけど……」
だったら、今行くべきはあそこだろう。なんとか動ける程度までには回復した今の内に、そこまでは向かわないと。こっちはこっちで賭けだけど、鹿乃から聞いた『慣習』が残っていれば、あるいは。
それは正門まで出向くよりは、まだ楽で、そして危なくない場所だ。そこが駄目なら、また別途考えるしかない。
机の上の盛り塩をさっと床に叩き落とす。危なくなくなりましたよということを示すために。百鬼夜行は過ぎ去りましたよということがわかるように。それともそれこそ百鬼夜行が払いのけたとでも思われそうだけど、どうせなら。
「今の内に移動するぞ……足音立てないように……」
どのように動けばいいか、四年経ったけど案外覚えているものだ。廊下の配置だとか、どこがどの教室だとか。それは過ごした期間より、その後の期間の方が長くなっても、中々忘れないものらしい。
あぁ、これは。初めて出会った時の夜道を共に駆けたのにも似ている。得体のしれない相手から逃げて、どこへ向かえばいいのかもわからない状況で、俺たちは暗い空気の下を彷徨っている。
今回は俺たちの方が不審者ではあるけれど。それでも、逃げるという感覚があの時と同じで、それが故にどこかで走馬灯の如くいつかの景色がフラッシュバックする。
そして辿り着いたのは、ある小部屋が並ぶうちの、その一室だった。――よかった、『慣習』は、今も残っていた。
「ここって……」
「俺にとっては勝手知ったる部屋ってとこかな……いや久々だし真っ暗だと何もわかんないけど」
そこは、俺が三年間学内で居城にしていた一室。教室以外で唯一、自分だけのスペースがあった俺の居場所。勿論扉は鍵がかかっていて、だけどその隣の縦長の小窓は、ある程度痩せていれば、大人一人なんとか通れる程度には開いていた。
いつも窓は開けているという、卒業直前に『俺が作った』慣習は変わってなく、そこからうまく身を捩らせてその部屋に二人して滑り込む。中の備品はなんだかんだ大きいものが多いから、窓が開いていようと持ち出せるものは特にない。
盗めるものも特にないとはいえ、慣習が変わっていなかったのは僥倖だった。窓も、案外頑丈で、手をかけて入り込む分にはびくともしない。問題なく開閉出来るところを見るに、適宜動かしているのだろう。この窓はそういうものだ。
「電気は……つけない方がいいよね」
「まぁいつバレるかわからないしなぁ……俺が手探りで物の配置確認するよ」
「あ、片方私の手繋いでてよ。離しちゃうとどこにいるのかもわからなくなっちゃうし」
「了解。それもそうだな」
念のため、声などが外に聞こえないように窓を閉める。扉の入り口に窓はあるけれど、そちらは入り込んだ時点で暗幕がかかっていたから、特にいじる必要もなさそうだ。加えて、その窓にも掛かっている暗幕を閉めれば、廊下に面した側からは何もわからない。そして、外に面した側の窓の暗幕を開ければ、月の光が部室の中に差し込んでくる。
スマホをつけ、画面の明かりと併せて室内を窺う。俺のと京楓のと、二つ明かりがあれば大体様子はわかる。特に足元に何かが転がっている様子もなく、だけど殺風景というわけでもないぐらいには物はあって、つまり殆ど室内構成は変わっていなかった。俺がいつか寄贈したグッズも割とそのままだ。
「ふむ、基本的に配置も何も変わってないっぽいな。鹿乃以降の後輩らもそのままにしてくれたしい」
まぁ、なんだかんだ途切れずにここが続いている、ということだけでもびっくりだけど。OBとしては純粋に嬉しい。
「……さて、どうしようか」
誰かには見つかったというか、誰かがいるということがバレてしまっている。ここに隠れてるというのはバレてないとは思うのだけれど、暫く様子を窺った方がいいだろう。部室の窓に暗幕がかかっているからここにいる、ということには気づかれないと信じたい。
それはそれとして、ずっと誰かに見つからないように動くというのはかなり疲れるものだ。それこそ、四年前までずっと感じていた鬼の視線をも思い起こされて、気分的にも宜しいものではない。
「とりあえず、疲れた……」
そう呟きながら椅子に座る。占ってもらう側の椅子は、背もたれもない、簡単なものだ。さっきまでの内側から刺すような痛みは一旦治まったとはいえ、だからこそ疲れが出て、背もたれか何かに寄り掛かりたい心地にさせる。
これなら、反対側の、背もたれのある椅子にどっかり座ればよかった。だけど、今から立ち直す程の気力もない。
「――ねぇ」
ひとまず、京楓は背もたれのある椅子にゆったりと座ってもらえればと思ったのだけれど。
「暁の上、座らせてよ」
「お、おぅ」
その声は、繋いだ手以上に熱を帯びていた。直接吹き付けられれば、それだけでその熱がそのまま伝播しそうだ。
「ん、よいしょ」
「え、向き合うのか!? それって……」
「――言わせないでよ、馬鹿」
心臓が甘く跳ねる心地がする。つまり、その後『する気』が満々ということだ。期待していなかったかと言われれば嘘になるけど、学院から出れるかどうかを先に考えていたから、そこまでの状況になると思っていなかった自分もいる。
「それに、今からこうしていた方が、暁が寄っかかれるでしょ、私に。まだ、見てて辛そうなんだもん……」
「……すごく、助かる……」
俺が普通に椅子に座って、京楓が俺と向かい合うように俺の膝の上に座って。抱き合うようにして身を落ち着かせれば、全身に広がるのは京楓の温もり。これ幸いと俺も京楓の方へと重心を倒して、それとなく京楓に寄り掛かるような感じになる。
端的に言えば対面座位だ。大学に受かって、そして誰も来ないことがわかっていて、その際にこの部屋で、この椅子で、この格好で致していたことも何回かあった。この椅子は背もたれがないから、『そういうこと』がしやすかったというのは実際ある。それで臭いが籠るようになったから、事後は窓を開けておくことを常にしていた。そしたら、それを勘違いした鹿乃が、それがいつものことだと思って、そのまま形骸的に慣習として残ることになった。
室内に光源体もなく、局所的に月明りしか光も落ちない室内は、お互いがお互いの顔を拝むことすら叶わない。スマホのライトさえ落としてしまえば、視界に広がるのは漆黒に近い闇だからこそ、京楓の熱と、吐息と、その声だけに支配された宇宙に俺と京楓は漂っている。
本当に静かだ。外からは足音一つも聞こえない。だからこそ、本当に俺と京楓の息しか音を立てるものがなくて、無に近い視界のお陰で抱き締めた心拍ははっきりと生を主張する。
「少し……場所動かした方がいいか……? 月の光とか……」
「いい……このままでいて……」
その声が、しじまに消えて、再び無音の世界が訪れる。状況的に寧ろ興奮してもおかしくないのに、今は抱いている熱を温もりと認識しているからか、心拍はとても穏やかで、京楓と二人、時だけを刻んでいる。
すぅ、と京楓のうなじに鼻を沈めて、目を閉じて深呼吸をした。少し酸っぱい、汗を含んだ京楓の匂いが鼻腔の奥まで流れてきて、そこで初めて興奮の前振りを覚える。
「あっ、やっ、今は……」
「制汗剤してない、っていうんだろ?」
俺がそう漏らすと、膝の上の京楓が身震いする程に動揺した。図星ではあるんだろうけど、来る前に仕切りもなく同じ部屋で着替えてたんだから、それくらいはわかっている。
「だ、だったら、私も暁の汗嗅ぐよ!? いいね!?」
「別に俺はいいって言ってるだろ」
「~~~~~っ、そういうとこ……っ!」
「でも京楓は俺の匂い嗅ごうとしても自重しないじゃん……」
「私はいいのっ!」
「えぇ……」
まぁ、俺が匂いフェチというか、京楓の『そういう匂い』にめちゃくちゃ興奮するってのは、付き合って早い内にバレてる話ではあるけど。でも反対に京楓が俺の匂いを嗅ぐようになるまではおっかなびっくりで、だけど箍が外れると俺がかいた全身の汗を全て舐めとる勢いで舌をそわすから、それこそ全身が京楓の唾液でべたつく勢いだ。緩急にもなってないその差があまりにも激しい。
「第一さ! なんで暁はそんなに匂いフェチなの! いや理由なんてないとは思うけどさ! でもそのせいで私までこんなのになっちゃったじゃない!」
だけど、その回想は、京楓のその投げやりな質問で止まってしまう。それは尋ねられれば答えないわけにはいかないのだけど、だけど出来れば墓場まで持って行きたかった話で。
「あれ、今言ったことが自分でも矛盾してるのはわかってるんだけど……おーい。それとも責任転嫁させちゃった?」
「――いや、そうじゃなくて……いや、これを今話すかってのはあるんだけど……」
それこそ、先日黎と公園を訪問して全て思い出したことだ。仮にその時のことで京楓が思い詰めてるならって、俺としては思ったから。
「死にそうになってる時って、生存本能が高まるから、それで性欲が高まるとかあるだろ。フェロモンというか、匂いとか、そういうのに敏感になるっていう。で、京楓に拾ってもらった時が、俺のこれまでの中で一番そういうのが反応した時で、そしてその時はまだそういうことも知らないガキだったからさ……」
先日の身投げしかけた時もだけど、あれは京楓に包まれて落ち着く、というのが先に来た。それよりこの時は、知識も何もなくて、あの時死にそうになっていたからこそ、初めて嗅いだ、漂ってきた京楓の匂いによって、あの時生物としてそういう本能が目覚めてしまって――。
「だから……お恥ずかしながら、俺の性の目覚めって、そういう意味では京楓でさ、それでそれもわかってなかったから、『汗臭い』としか表現できなくてさ……」
「え、えっと……」
「まぁ、だから、正直に言うと、制汗剤の匂いもそれはそれとして落ち着くんだけど、こうやって京楓の匂いがする状態は、正直何を差し置いても興奮します……」
死にそうな時こそ子孫を残そうとする欲求が高まる。そして俺は京楓に拾ってもらった時こそがそれで、実質性欲自体も、あの時が初めてだったというのもあって。
「――墓場まで持ってこうと思ってたのに」
「えっと、何を?」
「制汗剤の理由! そうよ、あの時暁に臭いって言われたから! 状況的に仕方なかったとは思うけど、それはそれとして傷つくとこは傷つくの! そしてそれは確証を得たとしても、隠したいって思ってるかなって思ったら言わないでいてよ!」
「そ、それを言ったら人生で一番ラッキーだった話を暴いたのは京楓じゃん! 先にしたのはどっちだよ!」
「でも女の子のそういうデリカシーな部分を暴かないでよ! 今更聞かされてどう答えればいいわけ!?」
「だから悪いとは思うよ! それでも気にしてたら悪いなって思ったから! というか俺もテニスしてた時に制汗剤頑なに使わせなかったけどそうとか言わないよな!?」
「――っ!? な、なんでそれ知ってるのよ!」
「いや知らない! 今のは京楓が墓穴堀った! というかそういうことなんだな!? 一緒じゃねーか!」
部屋に反響していた声が、木霊を残して消え去る。あくまで、誰かしらから逃げ隠れているという事実をすっかり忘れていた。
そして落ち着いて、改めて今の状況に、俺と京楓の体温が上がるのを感じる。抱き締めたお互いの心臓はまだうるさかった。
「まぁ、その、俺の言葉が原因だとするなら、すまなかった。言葉が足りなかったで終わらす気はないけれど、でも、そういうことだったんだ」
「ううん、どうせその内自分からし始めてたと思うし、気にしなくていいよ。どうせ、暁が気にしなくても、私が臭くないかなって気にしただろうから。あと今度、やましい意味ではなくて、暁の好きそうな匂い、教えてよ。それで制汗剤買ってきたい」
「お、おぅ」
確かに、身だしなみとして制汗剤をというのはわかるんだけど。テニスの後には使いたいのはわかるし、それは自分もだし、周りに対しての配慮だ。
とはいえ、今後、どれだけ京楓もテニスが出来るだろう。テニスが常に出来る環境には身を置けなくなるわけだから、制汗剤の減り方も鈍くなるはずだ。どうしようか。
まぁ、それは後々考えればいいだろう。『少しのお金でどうにかなるもの』は、余程の期間限定でない限り、後からでもどうにかなる。
「ふふっ」
「ど、どうしたの暁? 突然笑って」
「いやぁ……可愛いなって思った」
「かわっ!? いやあのっ、今言われると思ってなくて、その……」
「ずっと俺は可愛いと思ってるよ……って、あまり頻繁には言ってほしくないんだっけ」
お金は大事だ。何よりも大事だ。お金があったから俺は育ててもらえたんだという思いがある。こんな、無一文だった俺を。どうなるかもわからない、口うるさいだけだった青二才を。お金がなければ、育ててもらえるきっかけも与えてやくれなかっただろう。
だけど、俺が大切にしたいものは、ずっと育んできた縁であって、それはお金なんかじゃ手に入らないものだ。そして京楓は、それを元に、ずっと俺と深い縁を結び続けてきてくれていた。
「勘違いしないでほしいんだけどさ」
「――うん」
「京楓は、間違いなく『女の子』だと思うんだよ。出会った時から、可愛い女の子だった。そりゃぁ、今となっては女性って呼ばれたいと思うだろうけど、また別問題だ。今の京楓は、可愛い女の子とも、綺麗な女性とも言えるとは実際思うから」
「……うん」
「だけど、俺にとっての京楓ってのはさ。初めて出会って、そして拾ってくれた時の『可愛い女の子』のイメージが何よりも鮮烈に残っているんだ。それは、ずっと京楓と過ごしてきても消えるようなものじゃなかった。寧ろ、一緒に過ごしてきたからこそ、その印象が固定化したとさえ言える。ただ外面が可愛いだけじゃない、内面もすごく素敵な女の子で、そしてそんな子が俺のために色々と尽くしてくれていたんだって、一緒に過ごして強く思えたから」
「尽くしただなんて、そんな……」
「尽くしてくれたんだよ。ただでさえ拾ってくれて、当座の生命の危機は脱して。だけど、そもそも『一緒に暮らそう』って、まず最初に言ってくれた。そして、それを有言実行してくれて、ちょっと事件もあったけれど、それでも『俺から離れない』ことを第一に動いてくれた。そんな経験、後にも先にもあれだけだった。双六ですらそこまでのことはなかったんだ。なかったんだよ。そりゃ、双六の時は、誰しもが自分の事で手いっぱいだったから仕方なかった節はある。それでも、俺が欲しかったのは『一緒に生きて一緒に死ぬ』事だったのかもしれない。みさきはそれに近かった。それでも、みさきも、まずは『みんな』が大事だった。勿論それはそれでいい。だけど、みんなを大事にして、その実輪から外れたと思っていた京楓のことを考えると、全部が全部、みんなをとは、俺はどうしても言えないんだよな。そして俺が一番大事なのは京楓だ。だから、まずは京楓を、京楓だけに対して、それを思えるようになりたかったんだ、ずっと」
俺と出会ってから、京楓はずっと俺と一緒に生きてきてくれていた。双六では確かに離れちゃっていたけれど、それ以外では出会ったあの日から、ずっと二人三脚のように生きたいと、俺は願っていた。だから、俺が京楓に対してやれることは、何があってもやってきたつもりだ。
「京楓さ、裏で『おとこんな』って呼ばれてたこと、あったじゃないか」
「それは……」
「今だから言うけど、俺は本当にそれが許せなかった。一緒の小学校に編入して、最初に聞いたのがそれでさ。だけどあの時は、前日に初めて出会ったみさきと大誠以外では、本当に京楓だけが俺の頼れる相手だった。そんな京楓が、学校では根拠のない謂れを受けている。だけど本当の京楓は、とても優しくて、親身になってくれて、ともすれば一緒に生きてくれる覚悟さえ持ってくれている子だった。可愛いと最初に思ったのは本当だけど、触れていくうちに、内面までとても素敵な人だって知った。そんな京楓が、そんな風に言われてるのは、どうしても我慢ならなかったんだ。それが、京楓を守れるようになりたいと思った最初の事」
思えば、特定の誰かの悪意に直接触れたのは、きっとあの時が初めてだったのだろう。京楓と出会ってすぐに出くわしたあの変質者は、自身の欲を満たすための相手に俺たちが選ばれかけたというだけで、京楓や俺への特定の悪意を持っていたわけではなかった。今は名前も思い出せないあの男子は、京楓個人への悪意を明確に持っていて、それは俺にとって見過ごせないものだったんだ。
ずっと、俺が不幸になったのはどれも偶然そうなったことで、仕方のないことだと思っていた。家族が死んだのも、篠月学園で俺に目を向ける人がほぼいなかったのも、脱走の時誰も気に留めなかったのも、誰かの悪意がそこになかったからこそで、だからいつしか諦めるということが常になっていて。
だからこそ、余計に敏感になったのかもしれない。俺を救ってくれた京楓への意図的な悪意。元々の家族以外では、初めて俺に無償の善意を向けてくれた京楓に向けられたものだったからこそ、到底俺には許せなかった。
「本当に俺が守れたか、正直そうだとは思えない。でも、せめて、これだけは改めて伝えさせてほしい」
万感の思いを込めて、愛しい人へ。
「本当に綺麗になったよ――京楓」
「っ……」
京楓の腕の力が少し強まった。そして、俺の胸で京楓がグリグリと顔を押し付ける心地がする。
「恥ずかしいよ……」
「可愛いと言われるのだったら?」
「――どっちも嬉しい、かな……」
「そっか」
じゃぁ、これからもっと積極的に言うようにしよう。事ある毎に伝えようとしていたけど、京楓が嬉し恥ずかしになるまで、いっぱい、もっと。
「えっと、そういえば、さ」
不意に、京楓の腕の力が弱まった。表情は見えないけれど、押し付けられていた京楓の顔も、目線を合わせるようにして向いていることだけはわかる。
「暁が占いに手を出すようになった理由、ちゃんと聞いてなかった気がする」
自然と、顔が歪んだ気がする。明るくてそれを見られていれば、京楓からは苦虫を噛み潰した顔とでも評されていただろう。
「急に、野々宮神社のお守りを買ってきたかと思えば、私の手相まで見始めてさ。あの時の暁だけは、本当に人が変わったように見えてて、少し怖かったんだ。その後は自分から意識的に調べるとかしてたから、興味を持つ事柄が出来たんだと思って追求しなかったけど。でも、きっかけとしては、なんだったのかなって」
「――あぁ……」
それは、意図的に伝えてなかったのが半分、単純に伝えられることがなかったのが半分だった。前者は、伝えたところで得られるものが、同情か何かしかなくて、俺はそれを欲してたわけではない。
その上で、正直に言うと、後者は。
「覚えてないんだ。少なくとも、開眼というか、京楓の手相を見ようとしたところまでの記憶は、本当に今もすっぽり抜けている。まるで、誰かに操られていたみたいに」
あの時の自分は、今思い返しても寒気がする。夢遊病のように動いていて、気付けばお守りを買っていて、気付けば手相を調べていて、気付けば京楓の手を握っていた。
その前後の記憶は本当にない。それは京楓の手を握っていることに気付いた瞬間から今に至るまで、折に触れて思い起こす記憶の欠落だった。
「でも、その後、傾倒と言える程占いをするようになった理由なら言える」
正直、俺だって自分でどうしてここまで傾倒するようになったんだっけというのはある。だけど、そこに至るきっかけだけなら、それはとても明確だった。
もう、それ自体は伝えるべきだろう。真っ先に占おうとしたのが手相だったから。それは、いつかの朧げな記憶を手繰り寄せた、俺が『彼女』を忘れないようにと願いも込めて。
「元々占いって、霞が好きだったんだ。まぁ占いってか、手相を見ること限定だけどな」
京楓が息を呑む音が聞こえる。そうだよな、こんなこと誰にも話したことなかったし、よもや死んだ妹がきっかけだとは思うまい。
「だから、昔はよく頼んでもいないのに手相を見られたよ。でも、毎日同じ手を見たところで、そんなほいほい変わるわけもないから、毎回のように話す内容が変わってた。俺以外にやってもいたらしいけど、いつものように付き合ってくれるのはお兄ちゃんだけだからって言って。それは、あの当日だってそうだったんだ」
バス事故に遭遇する当日の朝も。日課として朝食後の出かける前準備で忙しい合間を縫って、駄々をこねる霞に見てもらったんだ。
「その時の結果が小吉だったのは、よく覚えてる。『何かあっても、お兄ちゃんは必ず幸せが手に入る』って、そうも言ってくれた。そしてその言葉は、数年間、呪いとして俺を蝕み続けてきたんだ。京楓と出会うまでな」
この時、大吉と言われていた方が、まだよかったのかもしれない。すぐに訪れた不幸に対して、全然そんなこともなかったと言うだけで終わったと思うから。だけど、この時霞が伝えたのは小吉で、そしてだからこそ。
「少しの幸せすら、あの事故は残してくれなかったって思った。俺は、そんな世界を恨んだよ。幸せに思えた何もかもを連れ去って、そして俺の元には何もなくなった。霞のことを救うことも出来なくて、だからそれが俺への罰だと思うしかなかった。別に家族がいた時が幸せじゃなかったと思っていたわけじゃない。それでも、自覚があった上でそれが奪い去られるのは、ともすればなくしてから失ったものの大きさに気付く以上に、辛いことだったかもわからないさ」
京楓に拾われてから最初の内は、よく夢に見た。だから何回か、京楓を夜中でも起こしてしまったのは申し訳なかったと思う。篠月学園の茫漠とした時間と、それより前の幸せだった時間とがいっぺんに襲ってきて、京楓の隣で寝ているのが現実だとすぐに認識することも出来なくて、だから暫くは混乱もしたっけ。
「そして、俺を救ったのも、また占いだった。どうしてって、ただの思い込みだったんだ。だけど、『母さん』が死んで、落ち込むというより、自分をも見失っている京楓が、とにかく見ていられなかったんだ。そしたら、霞がやっていた占いを、唐突に思い出して、そして元気づけるためにやってみようってなった。すごく短絡的だけど、占い好きな女の子は多いからな、ステレオタイプだけど、まずはそれに乗っかってみようとおもったのが始まり」
「それは……」
「そしたらこうなっちゃった。正直、手相を学んでいた時とか、西院野々宮神社のお守りを買ってきた時とかの記憶がないのも正直なとこなんだけどな。ミイラ取りのつもりはなかったんだけど、結果的にミイラ取りがミイラになっちまった」
俺にでもすぐに出来る、京楓を元気づける方法はなんだろうと考えて、やっと浮かんだのがそれだった。だってこの時は、それまで京楓や俺がやれていたこととは違う全く別のことである必要があったから。
「まぁ、だから、正直なんでもよかったのかもな。それが宗教ではなく他でもなく、たまたま占いだっただけってこと」
「それは……そんなのって……一度は恨んだのに……」
「そう。だから、どうしてここまで俺がこうも占いに傾倒したのか、自分でもわからない節はあるよ。だけど、それを踏まえて、自分の中で出した結論ならある」
これだけは胸を張って言えること。あくまで自分の規律として用いるだけだけど、ひいてはそれがきっかけで誰かのために動けるようになれればいいと願って。
「占いなんてあくまで当たるも八卦当たらぬも八卦だ。だけど、自分にとって少しでも物事を好転させられる機会が、そのきっかけがあれば、それはきっと自分のためになるんじゃないかって思ったんだ。それが、京楓と出会って暫くして、ふと思い出して、霞の遺志を継ごうって思ったこと」
「そんなの……」
「呪い、じゃないよ」
確かに占いは得てして呪いになる。実際に俺は一度はそうなった。だけど俺が霞から継ぎたかったのはそんなことじゃないんだ。
「俺はあくまで、自分を変えるきっかけとして占いをやろうって思っただけだ。京楓に拾われて、ただ与えられるだけの自分が急に恥ずかしくなって、与えられるだけの自分を変えたいって思った。だから自発的なだけだし、それにあくまで自分と、それと京楓のためを思ってだったからな。結果的にあまり役に立たない俺個人の趣味にはなっちゃったけど」
それ自体は、正直申し訳ないと思う。だからせめて、占いにまつわる史実や伝承といった、勉学や日常生活にいい影響を与えることにはまじめに取り組もうとは思ったんだ。
「本気で学びたいと思ったのは事実なんだ。きっかけは占い。そこから、京楓らと出会ってずっと過ごしてきた京都の町を、西院を、本気で調べたいと思った。勿論サイキックのサイトでの、クレアを起点とした縁もある。だけど結果的に、それを元として今の大学に行きたいとはなったし、それを踏まえて研究も行えた。そして教授からはそれを続けないかというお誘いも来ている。正直、お金のことを考えると中々頷けるような状況ではなくて、みんなに申し訳ないとは思っているんだけど、それでもこの四年間やそれまで、『占いに端を発した縁』に救われ続けてきたことだけは間違いじゃないんだ。例え鬼がずっとそれを利用してきたとしても」
そしてそれは、京楓と出会ってから、京楓に依らない俺個人の楽しみとして根付くことになったんだ。これをいうと誤解を招くだろうから口にはしないけど、京楓が全く関係しない物事だったからこそ、自分一人で熱中できる趣味となったのだろう。
そして、そこから様々な知識を得たいと思って、それが勉強の動機になったんだ。
例えば歴史。京都の街を調べて、それと史実と紐づけて理解を深める。お陰で、特に日本史の点数は、みさきや大誠に勝るとも劣らない点数を維持することが出来た。
例えば古典。歴史と併せて、どういった話があったかを読み解いて、その頃の文化を理解する。どういう文章が出て、それらの登場人物がどういう動きをしているかを、当時の文化とも照らし合わせて理解することが出来た。
例えば地理。どこに何があるか、かつてどういった暮らしがあって、どういった土壌があったからどういう農産物を栽培していたか、海産物は淀川を遡って京の都まで運ぶのにどれくらいかかったか。京都の街の理解に大いに役立ったことは疑いようがない。
例えば天文学――。
「夏の大三角ってあるだろ」
「あるけど……それがどうかしたのか?」
「あれの内の二つの星は、夏の大三角としてもそうだし、でもそれ以上にベガとアルタイルは、七夕って言った方が通じるよな。夏の大三角を答えられなくても、七夕なら誰でも知ってる」
「あぁ、七夕伝説」
「で、織姫と彦星、ベガとアルタイルを結びつけたのは、夏の大三角のもう一つ、デネブなんだよな。デネブははくちょう座の尾の位置にあるけど、中国でははくちょう座は織姫と彦星を結ぶ天の川に架かるかささぎの橋としての謂れがあるんだ。日本――というかこの近くだって、少し南に行けば『ふるたなばた』、北に行けば『たなばたのあとぼし』、『あとたなばた』なんてデネブを呼ぶところもあるよ。『あまのがわぼし』ってのもあったな。まぁつまり、口悪く言えば、七夕伝説の『おまけ』みたいなもんだ」
だけど、デネブがいなければ、かささぎの橋がかかることはなかった。つまり、織姫と彦星は出会うことがなかったわけだ。
「初めてみんなでキャンプに行って、それで真夜中、京楓と二人きりで天の川眺めたの、覚えてるか?」
「――覚えててくれたんだ……」
「約束したからな。もっと言えば、あの日は八月七日――丁度あの年の旧暦での七夕当日だった。それをどうしてだか漫然と知っていたから、本当はあの時俺はずっと夏の大三角だけしか見ていなかったんだよな」
「暁もだったの……?」
「京楓も見てたのか? 夏の大三角を」
「見てたも何も、それだけしか見つからなくて、だけど織姫と彦星みたいだなんて思っちゃったから! だから、見つけても暁には言えないでさ……」
「そっか、だから感嘆の声が漏れてからなんでもないって取り繕ったんだな」
「うう……全てバレてる……」
やっぱり、似た者同士だと思った。だって、俺だって同じように――。
「それで、眺めながら思ったんだ。織姫と彦星はいつか出会えるのだろうか、いつか離されないようになる日が来るのかって。それを、俺の元々の家族にも重ねちゃっててさ……」
「そんなの……そんな辛い気持ちで眺めてたの……?」
「ずっとそうだと思ってた。でも、違ったんだ。今だからわかる。あの時、彦星が俺で、織姫が京楓で、それであぁやって年に一回しか出会えないとしたら、俺は耐えられたんだろうかって、そのことも同時に考えてしまっていたんだ」
今、この部屋の中はあの時同様殆どが暗闇で、そして無機質な天井に蓋をされて空を見上げることも叶わない。記憶の中の夏の大三角が、あの京楓と毛布の温もりと共に瞬間蘇って、そしてすぐに幻だったかのように記憶の引き出しの中へとしまわれていく。
それでも、京楓への想いだけはしまわれずに残っていた。あの時感じたときめきが、今は両腕で抱えきれない程大きくなったえも言えぬ感情へと成長して、そして今はそれ以外のことを追い出して心の中の全てを占めている。
「ぶっちゃけ、誰がデネブでもいい。それは鬼かもわからない。でも、誰かデネブという存在がいたから、俺と京楓は出会えたんだ。そのことだけは、そのことだけを、俺は信じていたい」
「うん……」
俺たちがベガとアルタイルだとするならば、かささぎの橋は誰が架けてくれてたんだったか。
「京楓」
夏の大三角を形作る上で、ベガとアルタイルからは遠く離れたデネブのことを。
「――好きだよ」
それはきっとずっと俺のことを見ていて、いつしか不幸と共に、一かけらの幸運も運んできてくれていたんだ。
「私も、好きだ……」
暗闇だから、どちらからしたのかもわからない。だけど、京楓の顔がどこにあって、顔をどう運べばキスが出来るのかということは、自ずから分かった。
「ちゅっ……ちゅるっ……っちゃっ……じゅっ、んっ……」
奥底から声が漏れる。ぴちゃぴちゃと水音が響く。お互いの口の奥から唾液が生成されていて、それが絡めた舌に伝わってお互いのそれと交換を繰り返す。
「はぁ……はぁっ……息もできないよぉ……」
「させてくれないのは京楓だろ……」
「だってぇ……こんな、気持ちいいのぉ……我慢できない……」
「俺だって気持ちんっ! んれっ、れろっ……ちゅぷっ……」
俺が何かを言うより先に京楓が俺の舌を捕食して、そして延々と離さない。
「んっ! ちゅぱっ、ちゅるっ……はむっ、んんっ……」
そして、俺もそれに絆されたかのように、絡め取られた舌を自分の元へ引き込もうとして、お互いの口端から涎が零れ、糸を引く。
あぁ、俺たちは。最愛の相手に愛おしいと思うだけで時間が尽きてしまう。これからするだろう事と、その後の事の所要時間が、キスの快楽に占拠された頭の隙間で計算されて、余りにも時間が足りなさすぎるという一つの結論が弾き出される。
もっと時間があればいいのに。時間さえ尽きてくれなければ、こんなにも愛おしくて、それが故に胸を搔きむしる程の情動に身を焦がすこともないのに。
「ぷはぁっ……! ねぇ……ボタン、外させて?」
「……っ」
「やっぱり……暁の肌と……こすり合わせたいよ……私のも外して……」
いいとか駄目だとか、それを口にするより前に、先に京楓の手が伸びてきていた。ぷちぷちと、一つずつワイシャツのボタンが外されて行って、そしてだらんと首にかかるネクタイ以外は、胸元が全開になる。
「暁も外してよ、私の……」
そのまま無言で京楓の制服のボタンを外す。制服には既にどちらかの涎が落ちていて、ただボタンを外すだけなのに、その湿り気に余計に倒錯を覚える。
そして残ったブラジャーを上にたくし上げると、ブルンと勢いよく乳房が震えた。震えた際、俺の手と京楓の乳首が少し擦れて、京楓が声にもならないような驚きの声を上げる。
「すごい、勃ってる……」
「仕方ないでしょ……だって……その……期待しちゃうもん……」
不意に京楓と目が合う。一回合ってしまえば、そのままその瞳の奥に吸い込まれるようにして、唇が再び吸着して離さない。
「んっ……んっ! ん~~~……っ!」
そのまま手を京楓の胸に持って行く。大きくて張りのある乳房を揉んで、乳首を親指で跳ねるようにすると、文字通り京楓の身体が少しビクンと跳ねた。これは、軽くイったか。
いつからこの手に収まらないぐらい大きくなっていったのだろう。付き合い始めて、行為を重ねて、その都度優しく揉んでいたら、いつの間にか成長が見られていた。
「こうしてみると大きくなったよな……今はDだもんな……」
「前だってかなりC寄りのBだったけどさ……でも鬼無水やクレアさん程じゃなくても、もうちょっと欲しかったんだぞ……」
「今は……抱いた時のこの心地が……何よりも気持ちいい……」
「ばか……」
洗濯はここのところずっと京楓任せだ。それでも、京楓の下着は、それこそ行為の時に外して見る機会がある。新しい下着だった時に、カップ数が変わったと聞いた時は結構驚いたものだ。その時は恥ずかしそうにしながらグーで頭をコテンとされたっけ。たまに下着俺の好みのものを選びたいからと言ってランジェリーショップに行くこともあったからわかっていたとはいえ。
「暁の胸板も……気付けば固くなってて、ずっともたれかかってたいよ……」
「っ……」
それは。反則だ。男のそれの価値なんて、それこそ女性の胸と比べ物にならないだろう。それとも、男の俺がそう思っているだけで、本当は男がおっぱいに希求するような感覚があるのだろうか。
「えへへ、シャツをはだけさせて出てくる暁の胸板、しゅきぃ……」
「だったら……いつも何か着てた方がいい?」
「いや……何も着てない方が全身で暁を感じられるから……いつもはお互いに何もない方がいいな……でもたまには、こうやって何か着ててがいいな……制服とか……」
「だったら……今までと一緒だな……基本的に何も着ないで……たまに意識的に制服とか着てて……それと別にその場の状況で着たまま雪崩れ込むとか……」
「うん……変わらずがいい……変わらずに暁を愛したい……暁に愛されたい……」
俺も、京楓を同じように愛したいし、愛されたい。それがずっと続くことを願っている。
そんなことが頭に浮かんでいると、つーっと、京楓の指が胸から腹にかけて下って行った。そのまま、それをも越して、股の間から、優しくゆっくりとひだを延ばすように男の小巾着を揉みしだかれる感触を覚える。
「あっ! うっ……っ!」
京楓の指使いが兎角上手い。玉を指で挟んだり、少し小突くようにしたりして、だけど袋そのものをいじる手つきは優しい。その絶妙な力加減に俺は声にならない悲鳴を上げることしか出来なかった。
「暁の反応、かわいいなぁ……」
少し惚けたような京楓の声に、だけど返事を返すことが出来ない。急所を誰かに握られているという冷えるような感覚と、それが最愛の人にされているという熱を持つ感覚が同居している。それは真逆なように見えて、その実子孫を残すための本能が反応しているという点で同じだ。
あぁ、今、俺は京楓に精液を作ってもらっている。その事実にすら興奮している自分がいて、だけど、俺が京楓を可愛がれてない。
どうせなら、俺だって、もっと。
「あん……っ、そんな、胸っ、吸っちゃ……あぁん……」
京楓の右胸に顔を埋め、舌で乳首を舐め回す。右腕も、京楓の背中から回して、左胸を揉みしだくようにしてふにふにとその柔らかさを楽しむ。乳首はもう立っているから、あと何回か攻めれば、その内。
だけど、京楓はそれには満足できないようで。もう片方も舐めようと顔を上げたその時、それまで右腕で揉んでいた左胸が少し遠ざかる感触を覚える。
「暁がその気なら、私だって……っ」
ぺたり、と胸板に京楓の手が貼られた。目の前にあったと思っていた京楓の頭が消えたと思うと、ちゅぅと、右乳首に走る甘い刺激。
「うおっ……っ!?」
「えへへ……お返しっ」
今度はこっちが跳ねる番だった。京楓を落とさないように、思いがけず京楓の腰に回した左腕に力が入る。
今ので、下腹部がいっぱいいっぱいになってしまった。もう苦しいぐらいに下着の中のスペースの余裕がない。さりとて、ここまで大きくなると、ファスナーを下ろすだけでは、陰茎がファスナーに擦れて痛くなる。
「ズボン……少し下ろしたい……」
「だったら……腿までにして……それが一番脚で固めやすい……」
固めやすい、というところに京楓の性的な倒錯感を感じた。いつも抱き着いて、可能な限り脚を絡めているのは、イく時に一つになっていたいからというのは聞いてはいるけれど、改めてそれを聞かされるとドキンとする。着衣のまま事に及ぶ時は、お互いにどれも脱ぎ切らないのがセオリーなのだけど、極限までくっついていたいと思うのは、お互いが全裸の時とも変わらない。
カチャカチャと両手でズボンのベルトを外して、ファスナーをおろす。腰回りの締め付けが段々と弱くなって、大きくなろうとも窮屈に押し込められていた俺の陰茎が少しずつあるべきスペースを主張し始める。
「腰、少し上げて……」
片腕を支えに、上に座る京楓ごと持ち上げると、勢いよく京楓にズボンを腿の途中までおろされた。そして、物理的な枷を失った俺の陰茎が、その存在を主張するかのように勢いよく外界へと跳ねあがった。外気を受けて少しだけ冷やされる心地を覚えるも、孕んだ熱は衰える気配を見せない。
「あはっ……もうこんなに元気だぁ……」
「そうだな……でも人の事が言えるかなっ」
「ひゅぅっ!?」
京楓が一番隠したい場所を隠す布は、既にぐっしょりと濡れていた。これではもう下着としての役目を果たせていない。おまけに、俺の陰茎が直に触れた途端、更に湿り気が増していた。
「京楓もこんだけ濡らしてんだろ……」
「言わないでよ……バカぁ……」
一枚の布を挟んでいて、これだ。俺だけが知る桃源郷が、轟々と音を立てる勢いで源泉が湧き出していることを裏付けている。
「暁が……押し当てるからだ……」
視界が殆どない中では、そのぬめりが、殊更に存在を主張する。そして俺の陰茎の裏筋の辺りが余計に京楓の秘所に擦られて、更にぬめりがあふれ出てくる。
「……っ!?」
そして、あろうことか、そのまま京楓が腰を押し付けて、少しばかり前後に動かし始めた。
「すごい……止まらないよぉ……早く……はや、くぅ……」
自らの陰茎を以て滅茶苦茶にしたいという欲求と、ひたすらに優しくありたいという理性が俺の中でせめぎあう。堪えがたい衝動が込み上げて、熱を以てして俺の中の一部分がこれでもかと成長をする。さっきからそれとなく硬くはなっていたけど、俺ももう段々と我慢の限界に近づいていた。それを覆い隠すように、先程とは逆の京楓の左胸に吸い付く。
「ちょっと待って……」
不意に、俺の右腿から重みが消えた。京楓が足をあげて、曲げた膝を濡れて重みがある下着が通過していく。片足だけ脱いで、ピンと足を伸ばすと、暗闇につま先が消えていっている。その間にも、
「ほんと、やわらけーな……」
その一連の動作に、この後の動作への期待が高まる。いつも、あの脚が、俺の腰に脚に絡みついて、そして離してくれないんだ。
「お待たせ……」
下着が腿に引っ掛けられた状態で、既に京楓は脚を俺の背中に絡めていた。太ももに京楓の全体重がかかっていて、そしてその間からはトロトロと温かい蜜が今も零れ落ちて俺の小巾着の辺りへと滴り落ちる。
すぐにでも挿れたい。でも、せめて、その前に。まずは俺の手で軽く京楓をイかせたい。
「あっ、駄目、そこ、はっ……あっ!?」
胸を揉んでいた手をさっと膣口に添えて、一回転させるが如く貝殻から飛び出た小さな豆を捻るようにいじった。耳にも心地のいい、京楓の快楽の声が響く。
「あああっ……ああっ!」
「……軽くイった?」
「か、るくじゃ、ないっ……!」
それが聞こえるのが早いか、今俺がしたのと同じような動きを、京楓の舌で俺の左乳首にされた。乳首の周囲を這いずり回られ、そして乳首が吸い上げられた瞬間にまた声が漏れそうになる。もう俺の乳首は両方とも京楓の唾液でベタベタだった。京楓の乳首も、俺が両方舐め回したから同じようになっている。
「おかえしっ……」
くい、と頭が京楓の腕に抱き寄せられて、葉が衝突しかける勢いで京楓の唇が吸い付いた。負けじと、舌で京楓の口をこじ開けて、俺の唾液を京楓の口腔に流し込む。京楓も、同じように舌で唾液を送り込もうとしていた。
「じゅるっ……んっ……ちゅっ、んちゃっ……」
唾液が口の端から零れることも厭わないで、お互いの口の中へ舌を入れることをやめない。零れて糸を引いた唾液が滴り落ちて、俺の陰茎の裏筋を撫でた。
「――っ!」
危うく暴発をしかけそうになった。京楓を白くドロドロに汚すのも悪くはないのだけれど、真っ暗な視界では汚してもわからないし、何より膣で全てを吐き出して、一緒に気持ちよくなりたい。
「ねぇ……もういいよね……? もう待てない……」
徐に、ぎゅっと京楓の腕の力が強まった。双方の唾液で濡れたお互いの乳首同士が擦れて、二人して呻くような声が漏れる。
「びゅーびゅーとわたしのなかにいっぱいだしてよぉ……あきらといっしょにいきたい……きもちよくなりたいよぉ……」
そして俺は。その言葉に、自身の欲求に遂に白旗を上げる。
「は、やくひ、とつになりたい……っ」
「じゃぁ……いいよね……いいんだよね……っ!」
早くしてくれないと、本当に暴発しそうだ。いつもが早いわけではないのだけれど、ずっと対面座位で圧がかかってて、キスで昂って、その上京楓が自分を慰めるように秘所を押し付けつつ動かれたら暴発しそうにもなる。
「が、まんで、きない、よぉ……っ!」
絡めた足に器用に強弱を入れるようにして、京楓の腰が上がる。そしてぬめりが直接京楓の秘部に触れた途端、興奮が最高潮に達し、お互いに一つの事しか考えられなくなる。
「ねぇ……はやく……してっ……!」
あぁ、もぅ我慢しなくていいんだ。やっと、京楓の奥底をいっぱい白くできる。
「ふさぐよ……っ!」
「いわれなくても……っ!」
ストン、と腰が落ちてきて、そのままニュルンと京楓の一番深いところまでを一気に貫く。
「うっ……っ!」
最奥まで貫いた瞬間に、京楓の膣内がこれ以上なく締まった。
「あぁ、あああああぁぁぁあああっ!」
瞬間的に僅かに亀頭が収縮して、刹那の間を置かず、俺の白濁液がギュウギュウに締め上げる京楓の宇宙に解き放たれる。それは星が生まれ落ちるのにも似ていた。
絶頂に達した京楓が絡める脚と抱き締めた腕が、京楓が仰け反るのに相対して俺にも前傾の動きを強制させる。だから俺の陰茎は、更に京楓の奥深くまで突き刺させて、その最奥部を白く染めることを厭わない。
「あひっ、はぁ……! あひ……らぁ……」
京楓が俺を呼ぼうとする譫言にまた興奮を覚えて、中々射精が止まらない。全てを白く染めようと陰茎がジタバタと暴れようとするけど、京楓の膣圧に押さえつけられて、却って一直線に膣奥に子種を力強く打ち付ける。
腰が、少しだけ軽くなったような心地を覚えた。散々待ち侘びた結果、頭が真っ白になる程に大きかった超新星爆発が、俺の下半身から精気も生気もごっそりと奪い取っていく。
一なる温もりの証は、止めどなく溢れ出して尚も湧き上がり続けている。あまりの快楽に、ずっと目も開けていられなくて、息も止まっていたから、だからこそ俺を束縛する京楓の腕と脚の締め付けと、耳元にかかるぜぇはぁとした京楓の粗くて熱い吐息までもが、俺の陰茎の歓びの踊りの興奮の一点だけに注ぎ込まれていた。
「――あつ、い、よぉ……」
吐息とは異なる、京楓のか細い声が耳を震わせて、くすぐったさと同時に扇情的なものを感じて、出したばかりだというのに全く昂ぶりが収まらない。あまりの気持ちのよさに未だに目を開けるのも億劫で、それが余計に耳元の感覚を増長させる。
「今日は……一段と早かったね……」
「京楓もだろ……」
「でも……一緒にイくのって、本当に気持ちよくて……しああせ……」
狭苦しい宇宙に浮かんだ二つの恒星が一つに溶け合っている。少し腰を動かして、ドロドロになって尚も未だにギュウギュウに締め付ける京楓の肉壁に俺の陰茎をこすりつけると、京楓からうめき声が漏れた。
「し、ぼりと、りすぎ……」
「だっ、てぇ……あんっ」
絶頂に達してから初めて目を開けた先には、二つの別の深い宇宙を湛えた瞳しか視認出来ない。瞳の上側にトロンと落ちる瞼が、俺が京楓を溶かしているという証拠だ。同時に俺も溶かされた。
暗くてまともに見えないとはいえ、見下ろしたところで、結合部は、京楓のスカートで隠されているから全容が見えない。だけど却って、ダイレクトに結合部の感触が伝わってくる。
「やっ、ぱり……このかっこが……暁を向いてられて、それで奥まで突き刺してくれるから、好きだな……」
「目閉じてたら顔見れないのに……?」
「それでもかな……やっぱり暁とはずっとこうやって向かい合ってたいんだもん……」
そう口にしながら、自分で自分の胸を抱えるようにして持って、そして未だに立ち続けている京楓の乳首の先端が、俺の乳首の先端とこすり合わされる。
「向かい合ってちゅーも出来るし……おっぱいも押し付けられるし……ね?」
「んっ!?」
ビリッ、っと電流が走った。同時に、京楓の膣も軽い締め上げがあって、イったばかりなのに俺まで少し感じる心地を覚える。
「京楓も感じてんじゃねぇか……というか少しイっただろ今……」
「えへへ……一緒に気持ちよくなりたいもん……」
あぁ、やっぱり京楓が愛おしい。人生の途中から、ずっと一緒に育ってきて、一緒に過ごしてきて、そして可能なら死ぬ時まで一緒にいて欲しいと願う人。
そういえば、今京楓のスカートをたくし上げたらどうなるのだろう。
「なぁ……ちょっと、スカート、上げてみてくれね……?」
「えっと……こう?」
もわっと、濃密な俺たちの愛液の濃厚な甘酸っぱい匂いが、熱と共に俺たちの胸の間を駆け上った。
「あっ!? あ~~~~~っ!」
ギュゥッと、京楓の膣が締まった。それによって、長い射精後もとめどなく作られていた俺の精子が、圧搾機にかけられたかのように膣内に絞り出される。俺自身もイったばかりで、だからこそ敏感なままで、匂いだけで大きくイったのかと思う余裕もなく、不意打ちで俺をも襲った快楽に声が漏れる。
「は……はじゅかしい……っ!」
やりすぎた……わけではないが、想像以上だった。同類、というとアレだけど、でも性癖が俺と同じようになっていることに、秘かにほくそ笑む。性癖は、共通項が多ければ多いほど、同じプレイ内容でお互いが楽しめる。
とはいえ、ちょっと落ち着こう。俺もインターバルがほしい。いつもなら、もっと京楓をいじめたい――どの道先に同じくらい京楓にいじめられるのが最近は常だ――となるのだけれど、先程の疲れがダイレクトに出始めている。
腕の力を強めるようにして、京楓に再度もたれかかるようにした。少し匂いを発する上半身のべたつきは、俺と京楓がそれぞれ垂れ流したものと考えれば、気持ち悪さよりも寧ろ愛おしさの方が上回る。
「うりうりー」
そう思ってたら、京楓が上半身をくねらせてきた。お互いの乳首周りを濡らしていた唾液の、そのベトつきが引き延ばされていく。
「――なんだか足りない」
「足りないって、これ以上何をっ! んっ! んらっ!」
「んっ……あん……舌……出して……」
歯が当たる勢いで唐突に唇を押し付けられ、そのまま俺の舌をほじくり出された。そしてべちょべちょと音を立てて京楓の舌が俺の舌を蹂躙する。
いやらしい音を立てながら分泌された唾液が、舌と舌の隙間から滴り落ちて、俺と京楓の上半身を濡らしていく。まるでローションを塗るかのように京楓がそれを塗りたくって、段々と胸元全体が濡れてきた。一部の唾液は更にたくし上げられたスカートの内側にまで至って、ダイレクトに結合部に落ちた暁にはそれだけで京楓が軽くイって、キュウキュウと膣を締め上げる。
暫くして、やっと舌が解放された。うっすらと、お互いの舌に唾液の橋がかかって、やがて自重でゆっくりと落下していく。それは、既にベトベトになった胸元を新たに濡らす要因にはならなかった。
「……これだけぐちゃぐちゃにしちゃって、まぁ」
「いっぱい一緒に汚れたいなと思って」
「誰だよこんなに京楓をエロくさせたの」
「残念、今は鏡は持ってないや」
徐に京楓がもたれかかってきた。ずっと真っ暗だったから、さっきの唾液が結合部に直に落ちた際の、俺の舌を引っ張りながら京楓の赤く染まったイき顔をしっかりと拝めなかったのは心残りだ。
まぁ、辛うじて瞼が落ち切らず、だけどトロンとした目とをしながら、ちゅうちゅうと俺の舌を引っ張ろうとする表情はわかったけど。明るい場所で見れば多分後々見抜きも出来た。
「この部屋でもさ、いっぱいシたよね……」
「京楓が誘いまくってたんだろ……」
「えー、暁もノリノリだったじゃん」
「京楓がエロかったからって俺は言いたいよ……」
「だって暁が欲しかったんだもん」
「うち帰ってからでも出来たんだから場所考えろって……まぁ確かに今となっちゃあの時しか出来ない経験だったかもしれないけどさ」
「……その『あの時』って、今のこと?」
「――あぁ……」
そうだ。確かに、今こそ四年前に過ごした状況そのものだ。時間帯とかは違うけど、研究会の部室で、京楓と二人きり、蜜月の時間を過ごすということに絞れば、これは四年前の追体験だった。
「気付いてなかった?」
「言われてみれば、かな……」
「私は嬉しいよ」
「俺も、かな……」
ぎゅっと、京楓の腕と脚が改めて俺の身体に絡みつく。ずっと繋がりっぱなしではいるけど、この抱擁はエロさを感じるものじゃなくて、色気もなくいちゃついている時のそれだ。
「えへへ……暁でいっぱいだぁ……」
その言い回しは、どこか小学生の時に京楓とじゃれついてて出た言葉だった。
ここに来る少し前まで思い返していた、俺と京楓が歩んできた道のりが不意に思い出されてしまって――。
――京楓っ、なんでそんな急に抱き着こうとしてくんのっ。
――いーじゃんいーじゃん、減るもんじゃないんだし。
――わーっと、苦しいって! 力強い強い加減して!
――えへへー、つっかまえたー。暁は私のものだー!
――まぁ別にいいけど……そんなに拘るものかなぁ……。
――えへへ、全身暁でいっぱいだぁ……。
「えっ、あき――」
「ごめん、激しく、する……っ!」
「あっ、いやっ、あきっ、はげ、あっあっあっ!?」
「そんなっ、かわいいことっ、いうなよっ……!」
「あっ!? あっ、あんあっあああああっ!」
拘ってくれてる。拘ってくれてるんだ。全部俺の色になってくれている。京楓の全てを、俺という存在以外の一切を排すことが出来ている。
俺は京楓のものだ。京楓のものでなくてはいけないんだ。京楓は俺のものだ。絶対に、京楓のことは誰にも渡さないんだ。
あの時苦しいと感じた力加減は、寧ろ今はそれぐらいの強さであってほしい。力が強ければ強い程、俺たちは一つに近づける。どこまでも同じ高みへと、上り詰めることが出来る。
「イってる……! イってるからぁ……っ! すこしとまってぇ……っ!」
「こんな……止まれるわけねぇだろ……っ! もっと見たいっ……! 京楓がイってるとこ、いっぱい見たい……っ!」
「はげ、しいっ……はげしいよぉ……あき、らぁっ! あっ! あああああ……っ!」
腰が止まらない。達磨状に抱き着く京楓は動ける術がない。だから、腰かけている俺が、突き上げるようにして京楓の奥深くまでを掘っていく。その度に絶頂に達する京楓は、自身のスカートと反脱ぎにした俺のズボンと下着を濡らしながらガタガタと俺の腰の上でヨガっては大きく震える。
だけど、体勢的にそれを続けるのは些か無理があって。俺がヨガる京楓に胸を押されるようにして、背中側にバランスを崩しかけ始めた時には、それを修正する術も残っていなかった。
「あっ……!?」
「うわっと……!」
カッという音を立てて、椅子が後ろに倒れる。半分弱だけ脱いたズボンと京楓の脚とが絡まって、咄嗟の受け身の体勢が取れない。
頭を打つわけにはいかないから、なんとか咄嗟に体を捩じって、俺の右肩から床に落ちるようにした。そのままガコンという音と共に、椅子があらぬ方向へとすっ飛んで、暗闇へと消えていく。
瞬間、少しだけ冷静になる。変な打ち方はお互いしていないようだ。あれだけ離すまいと締め付けていた京楓の膣も、今だけはその力が弱くなっている。
「ごめん……痛くなかった……?」
「これくらいなら平気……あと京楓の右肩痛めさせるわけにはいかなかったから……」
視界が、急に明るくなった。窓の外から月明かりが落ちる位置に俺と京楓の顔があって、だから俺から見て、京楓の顔だけがぼんやりと漆黒の背景に浮かび上がっている。
その顔は、火照っていた。瞼がトロンと落ちて、そして月の光だけでわかるぐらいに赤らんだ顔は、俺の中の劣情を再びかきたたせ、抜けないままになっている陰茎が、再び京楓の膣の中でムクムクと成長を始める。
だけど、それ以上に、俺はその顔に見とれていた。どこか惚けていても、その輪郭は崩れず、そして京楓自身が持つ美を失わない。
だって、それは。
「綺麗だ……」
それは、本当に。
「綺麗だよ、京楓……」
艶めかしく、だけどえも言えぬ美を纏っていて、ただただそう表現することしか出来ない。
「反則だよぉ、暁……」
再び膣がキュッと締まった。甘く勃っていた陰茎が押し潰されないようにと、反発するかのように大きくなって、結果的に俺と京楓の境界線がまたわからなくなる。
「ねぇ……少し回って?」
「こう……?」
コロリとゆっくり、90度回転して、俺は月に背を向ける。それに歩調を合わせるかのように、京楓の脚が、全てを包み込むようにして、艶めかしくゆっくりと俺の脚を絡めとっていく。
「これで……全部暁にくっつけるね……」
来た。京楓の脚の、その動きが、これから起こる行為を期待させて、俺の息を荒くさせる。
「ぎゅ~~~~~……」
それは、マーキングだった。これ以上する必要もない、だけど俺も京楓もせずにはいられない、お互いに自分自身を刻み込むための動き。
「ねぇ……大好きだよ……」
雲が抜け、何物にも遮られない月の光が差し込んできて、艶やかな京楓の唇を光らせた。誘蛾灯に引き寄せられるかのように、そのままその唇に吸い寄せられる。
「んっ……じゅるっ、れろっ、ん……」
京楓に床に押し付けられるようにして、再びコロンと床に背中が付く。今度は空から京楓の口が降ってくる。俺はそれを落とさないように丁寧に受け止める。零してしまわないように、舌を錨のようにひっかけて、俺から離さないように。
「暁の舌……優しい……」
口を離して、京楓が上半身を起き上がらせると、漆黒の背景に京楓が浮かんだ。半面光で顔の左半分は暗いけれど、却って輪郭が際立って、そしてそれに沿って朱く惚けた表情が視認できる。
見れば、先程吸い付いていた京楓の首筋に、俺がつけたキスマークも浮かび上がっていた。独占欲が刺激されるかのようにドクリと甘い痺れにも似た興奮が下半身に走る。
「あん! 突然おおきくするなぁ……」
また京楓が軽くイく。もう京楓の膣は俺が動かなくても勝手にイぐらいには敏感になっていて、だからこそ突きたい衝動をどうにかしてこらえる。
四年もずっと付き合っていて、その間ハイペースで二人で溶け合っていれば、流石に京楓も軽くイくのにビクンビクン跳ねるような状況に都度なることもなくなった。代わりに、大きくイく時に、絶対的に俺をイかせるようなぐらいには締め付けが強くなったのだけど。
「今度は……私が動かさせて……。床が痛かったらごめんね……?」
そして、無意識にでも何回も俺をイかせるために、京楓が上下に動き出す。最初はゆっくりと、だけど段々と加速していって、やがては摩擦熱をも生むように。
「あん! 奥っ、突かれてるぅ……っ!」
「あっ……かっ……! きょっ、んあっ……!」
「いいよっ、きもちいいよ、あっ、きらぁ!」
俺の脚は京楓の脚に絡めとられたままで、だからこそ京楓が動く度に、俺の腰は少しばかり浮いて、そして京楓が腰を振り落とす度に尻が床に叩きつけられる。痛くないと言えば嘘になるが。それより陰茎に走る、リズムよく膣奥に突き刺す甘美な刺激が麻酔となって、痛みを覚える余裕もなかった。
京楓が上下に動く度、スカートに隠されていた結合部が刹那の間だけ月の光に照らされる。さっき出したばかりの白濁液が結合部から流れ出し、京楓が腰を動かすことによってそれが音を立ててスカートの内側に跳ね散らかされていた。
京楓の頭で月が見えたり隠されたりして、強い快感に目をぎゅっとしても、その強すぎる光が明滅して、下半身の快楽と同化する。時折快楽の波が引いて目を開ければ、上下に揺れる京楓のおっぱいが目に入って、その震え方に俺の征服欲が刺激されて、また陰茎が硬くなる。
「かたっ、くする、なぁ……っ!」
俺の脚が、京楓の腕に上から押さえつけられている。京楓がイく度、京楓の腕もガクガク震えて、その震えがダイレクトに俺の脚をも震わせた。
上下運動で、京楓の喘ぎ声が収まることはない。同時に、京楓が腰を強かに打ち付けて、その振動で俺も喘ぎ声が止められない。喘ぎは奥底から込み上げるものだから、二人して止められることは叶わず、その二重奏は暗くて狭い宇宙へと溶けていく。
不意に、京楓の手が脚から離れた。途端に、京楓の脚が再び締め上げらてきて、また俺の脚が宙に浮く心地を覚える。
「やっぱり……顔、みたいっ……」
京楓の手が俺のお腹を押す。空気はひんやりしてるのに、熱を持った手がガスのようにお腹を熱して、下腹部が今京楓を突いてるのとは別にもう一つ生まれ落ちる感覚があった。
そのまま、ぺたりと、聴診器のように俺の胸に置かれた京楓の両手が、俺の両乳首まで伸びる。そしてそのまま俺の乳首をコロコロと指先で弄び始めた。
「さっきのおかえし……っ」
ゾクゾクっと、静かに、だけど煽情的な声に、また甘い欲望が駆け上がろうとしている。何よりひんやりとした手とこねくり回される乳首の感触がアンバランスで、それが故に陰茎と京楓の膣が持つ熱が浮いていて、その熱に俺からも腰が上げられる。
月に照らされた京楓の顔は妖艶のそれで、聴覚は跳ねるような水音に支配されて、触角は下腹部の快感のそれだ。どれを意識しても陰茎の先端を膨らませるには十分で、そしてギュウギュウに締める京楓の膣を無理やり拡げさせる。
だから、せめて視界だけでも塞ごうと思って、せめて京楓にも同じ快楽を味併せてやろうと思って、だから上半身を起き上がらせて、京楓の胸に顔を埋めた。今度こそ、この乳首を吸って。
「あき、あああっ!」
ピンと立った京楓の乳首をチュウと吸い上げると同時、京楓の嬌声が響く。
「あっ、駄目っ、駄目ダメラメらめっ、あっああああぁぁっ!」
頭が、強く京楓の腕に抱き締められて、顔が京楓の胸の一部となった心地がした。薄い月光の明かりは閉ざされ、どちらのものともつかない垂れた涎と、そこから浮かび上がった京楓の汗とに脳が犯される。
「うっ、ああっ……!」
ギュッっと膣が締め上げられた。激しく動きながらもきつく搾り上げるそれと、愛液にも似た、唾液と汗が混ざった生臭く甘酸っぱい匂いは、再度俺の陰茎に超新星爆発を起こさせるには十分だ。
「あっ!? またすこしおおき、あああん!」
陰茎が尚も肥大化しながら再び膣奥に子種液を叩きつける。大きくイったはずなのに、京楓はすぐに細かく絶頂を繰り返しているのが締まりでわかった。玉のような汗が京楓から浮き出て、それに刺激されるかのように白濁液がひたすらに注ぎ込まれていく。尚も弱まらない京楓の腕は、京楓の汗の匂いを吸い込むことを強制させて、酸素不足に陥りかけている俺の脳を犯すことをやめない。
暫くして、腕の締め付けが弱まった。やっとのことで京楓の胸から頭が解放される。徐に見つめ合えば、お互いに息も絶え絶えだ。
「息も出来なかった……」
「ごめん……でもイくのが止まらなくて……」
「俺まで何回もイかされたぞ……何回も一緒にイけるのは、そりゃ幸せだけどさ……」
「うん……私も……」
ゆっくりと、不器用に言葉を紡ぐ京楓の唇が、おいしそうに見えた。だから俺は理性もなく、ただその唇にむしゃぶりつく。
だけど、舌を先に入れてきたのは京楓だった。薄く開かれた目は捕食者のそれで、真っ暗な瞳孔の奥には、一つだけ六等星が浮かんでいる。
口の中を、そして唇をペロリと舐め回して、やがては離れる。
「次はまた私に動かさせて……?」
両手が掬い上げられる心地がした。なすがままに持ち上げられて、一本一本、ゆっくりと指と指の間に京楓の指が規則正しく入り込んでくる。
「手ぇ……ぎゅって……」
「うん……」
そのまま京楓の両手が強く握られた。両手共指を絡めてぎゅっと握れば、お互いの手理の溝にどちらのともつかない汗が滲み出す。
そしてその手が繋がるが早いか、繋がった先の膣内が再びキュッと絞られ、俺の陰茎を圧迫しながらゆっくりと上下運動を始める。恋人繋ぎをした手は、痛いぐらいに強く握られ、解ける気配もない。
「あっ……うっ……はぁん……っ!」
また騎乗位だ。だけど、今度は跳ねるように動くのではなくて、一つ一つの感触を確かめるように、グリグリと、押し付けるような動きだ。
殆ど上下には動かないから、膣の収縮具合が直に伝わってきて、特に陰茎の裏筋あたりへの刺激は却って強くなった。膣口は締められ、陰茎が京楓そのものに包み込まれる心地を覚える。
「あきっ、らっ……きも、ちいい……っ?」
「あっ……ああっ……いいよっ、さいこ、うだ……っ」
指先は強く握られ、だけど指の腹は力が入っていなかった。だから、手の甲だけが赤くなりそうなぐらい指に押し付けられて、歪な握り方になっている。
さっきまで濡れた乳首をいじっていたからか、握った時点で京楓の手は指を含めてベトベトだった。指先まで熱を持ち、手理の溝からはとめどなく汗が分泌されて、やがて混じり合う。
「ちゅぅー……ちゅぅーしてぇ……」
京楓が前のめりになって、その身体で窓の外の月を覆い隠す。快楽に普通の顔をしていないだろう俺の顔を、月に見せないようにするための動きに見えた。
「ふぅっ……くぅっ……っ!」
暫くして、京楓の顔が離れた。俺と京楓の口の間に伸びた涎の糸が月明かりに照らされて、やがては俺の口元へと落ちていく。糸が切れた時の京楓の表情が、どこか名残惜しそうなものに見えて、また昂ぶりを覚えた。
ゆっくり、ゆっくりと、ずっとこれまで激しかったのが嘘のような動きが続いている。だけど確かに京楓の膣は俺の陰茎を捕えて離さない。さっきまで俺が出した白濁液と京楓の愛液が混ざって滴り落ちるも、まだまだ膣内に残るそれは二人の結合部の境界線を曖昧にして、ずっとこのまま離れられなくなってしまっていると錯覚させる。
いや、錯覚なんかじゃない。ずっとこのままでいたい。ただただ京楓と、ずっと繋がっていたい。時にはいじめて、時にはいじめられながら、二人でずっと快楽だけを求めていたい。そしてそれが無理だとわかっているからこそ、繋がっている時だけでも、二人して最大限まで気持ちよくなりたい。
今だけは、京楓が動いていてよかった。京楓に犯される感覚は、勢いよく突いていじめた後だからこそ逆襲される感覚を生む。
「きょ、うか……イきそう……また……」
さっきから恋人繋ぎした手の、握り合った指先が小刻みに震えている。あぁ、また一緒にイけるんだと、同調した震えで理解出来た。
「いいよぉ……びゅーびゅーって出してぇ……」
きゅっと京楓の膣内が再びゆっくりと締め上げられる。それが合図だった。
「あっ、うっ、くっ……!」
「あっ! あああああっ!」
イって締め上げる膣内に、じゅわっと、勢いはないながらも確かに欲を吐き出す心地を覚える。
「あん……また、いっぱい……あん……」
すると、急に力が抜けたのか、そのまま、ゆっくりと京楓が落ちてきた。繋がれたままの両手をクッションにするかのようにして、その身を受け止める。
ゆっくりと手が解かれて、そのまま力なく京楓の腕がだらんと垂れた。京楓が横に滑り落ちないように、京楓の背中に俺の腕を回して、そしてその腕に力を入れる。
ゴロンとまた半回転して、京楓共々横を向くと、再びぎゅっと京楓の腕が身体に巻き付いた。腕も脚も、蛇が獲物を絞め殺すかのように束縛が強くて、そして放さない。俺はそれを嬉しく思っている。
「まだ……出来るよね……?」
そして、耳元で、それを、こっそりと。
「ねぇ……また、激しく……して……?」
そんな、ことを、言われたら。我慢、なんて。
「んっ! あんっ! き、たぁっ……!」
もっと、一つに溶け合いたい。まだ足りないんだ。上も下もこんなに強く抱き締められても。あれだけ結合部がドロドロになっても。
「あああんっ! イくぅ、イくぅっ!」
今の京楓は、一突きするどころか、俺が殆ど動かなくても勝手にイってしまう。
「イってるぅ! イってるからぁ! や、はげ、あああっ!?」
だけど、京楓だけイかせるだけじゃなくて、俺もいっぱい京楓と一緒に気持ちよくなりたい。
「あえっ! あえっ! そんはにふはへは、ああっ、ぉぉっ!?」
俺だっていっぱい京楓を可愛がりたい。いっぱい突きたい。いっぱい可愛いところを見せてほしい。
「ひっひゃっ、あああぁぁっ! あああっ!」
なら、京楓をドロドロに溶かしてしまおう。俺も一緒に溶けてしまえるように。
「ちゅー! ちゅぅーしてぇ……っ!」
下はデロデロになってて、既に境界線がどこかもわからない。だったら、後は上だ。口も、同じようにデロデロに溶け合って、境界線をなくしてしまおう。
「しゅきぃ……らいしゅひぃ……あひはぁ……!」
暴力的なまでに京楓が舌で口の中を掻きまわす。負けじと同じように舌で京楓の口の中を延々を舐め回す。どちらからともなく涎が垂れようとも、その行方をお互いに気にしない。
「ん! ん~~~~~! んれっ、んっぷ、んなっ……」
月明かりに京楓の顔が浮かんでいる。真っ赤にトロンとした瞳に見つめられれば、情欲の炎が収まることを知ることもない。
「んぱっ! あき、ん、ん~~~~~っ!」
全部、俺のものだ。京楓の全身を、俺が支配しているんだ。
「んじゅっ! じゅるるっ! つぅっ! んっちゅ! んろっ!」
全部、京楓のものだ。俺の全身は、京楓に隷属しているんだ。
「っはっ! あひ、んっ、ん~~~~~っ!」
激しい動きで離れてしまった唇を改めて捕え直す。舌を再び絡めて、そして離そうとしない。
上と下と、二ヶ所が体の奥深くまで繋がっている。そしてその周囲はどこもドロドロだ。
ただパンパンと下半身を打ち付ける音と、俺が突き上げることによる京楓の喘ぎ声とイき声が間断なく響く。下から締め上げる京楓の脚が俺の脚を持ち上げて、それが故に陰茎が膣奥まで深く突き刺さる。散々出された俺の白濁液と京楓の愛液がローション代わりだ。そしてそのローションは無限に溢れて留まるところを知らなかった。
もう、目なんて開けていられない。全身が京楓に束縛され、ただ京楓の腰を持って陰茎を奥深くまで差し込み続ける。一方で口は京楓の舌に蹂躙され、絶え間なく京楓の唾液が流入していた。まともに息をすることさえ叶わない。
「きょ、うか……お、れももぅ……!」
「イってぇ! いっぱいわらしにらしてぇ……!」
少し口が離れた瞬間に、限界が目の前にあることを伝える。俺ももう呂律が回ってない。
「んじゅっ! んっはっ! あひっ、はぁっ! あひっ! んっ!」
京楓の脚の締め付けが一段と強まった。また、俺の脚が持ち上げられて、膣の最奥部を勢いよく突く。
そして、臨界点を、超える。
「んっ! ん~~~~~! ん~~~~~っ!」
唇を完全に塞がれて、また京楓の宇宙へ向けて白濁液を撒き散らかした。下半身では白濁液を京楓の膣に流し込みながら、上半身では京楓の唾液が俺の口に流れ込んでいる。
声すらも出せない。また目も開けられない程気持ちよくて、それが故に陰茎と唇だけに神経が集中されて、今度は快楽そのものに脳が犯されている。
「ぐちゅっ、はぁっ、はぁっ、あひっ、はぁ……」
呂律の回ってない俺を呼ぶ声に、再び疲れより興奮が上回る。重すぎる瞼をこじ開けると、再び雲間から顔を出した月が、京楓の横顔を照らしていた。その顔は赤く染まっている。
「まだ……たりな、いよぉ……」
――これで限界だと思っていたのに。
「もっとぉ……もっとぉ……」
そんな、懇願するような、目を、向けられたら。声を、かけられたら。
「あっ! きっ、たぁっ! やん、はげっ、あっ! ああ~~~~~っ!」
熱は膨張し、激しい吐息と共に超新星爆発を繰り返す。激しくて、二人して全身から汗が噴きあがっても、それはただの滑りをよくするためのローションであり、フェロモンを誘発させる媚薬として消費してしまう。
ずっと、全身が痛いはずだ。それはクッションも何もないとこで致して、そこに何回もしたたかに打ち付けているから、その内その痛みにひっくり返ることになるのだろう。
でも、そんな痛みはとうの前に消えていた。全ての痛みは快楽に上書きされ、打ち付ける痛みでさえもその快楽のスパイスにしてしまう。この部屋に来る前に持ち合わせていた重だるい疲れでさえも、ただただ快楽を貪るだけの要素にしかならなくて、だからこそ本当に最後は、京楓と二人、どこかへと飛んで行ってしまいそうな錯覚さえ覚える。
それでも、何も怖くなかった。寧ろ、飛んでいけるならそれこそが幸せだった。だから願わくば、今ここにある二人だけの世界の創造が、誰にも邪魔されないように。ずっと、校内にいる誰からも見つからないようにという命題すら忘れて。
時折暗幕をかけた雲はいつしか消えていて。俺たちがイく度に、ずっとじっと見つめている十四日月に達しそうな心地を覚えた。そしてお互いに濡らした唇が、胸が、艶めかしくテカる。
あぁ、俺たちは、きっとあの幾望の月に誑かされたのだろう。誰かから隠れるという、本来の目的も忘れて、ただ快楽だけを貪るように肌を重ねているなんて。
でも、それでもよかった。俺たちを狂わせているのが鬼でなければなんだっていい。そしてお互いに二人きりで幸せを感じられているからこそ。
俺たちは、一晩中、きっと一つの宇宙の最初から終わりまでを創り上げたのだろう。京楓の宇宙を白に染め切り、いつしかそのまま堕ちるようにして二人して意識を手放したその時まで。
窓から入り込む朝日は、室内全てを照らし、同時にどうにかして片を付けた室内の惨状跡をも露わにする。気絶から意識を取り戻した直後に見た状況と比べれば、だいぶましにはなっただろう。現役時代に同じようなことは何度もやっていたんだ、久々且つその時よりひどくてもそれの後片付けぐらいできる。
清掃はちゃんとした。換気もした。お互いにしわくちゃ且つ汚れに汚れた制服は、後でゆすいでアイロンをかければ、まぁどうにかなると思いたい。なんならたまにはクリーニングに出してもいいだろう。ひとまずは現役部員に不審がられるようなことはないと信じたい。不審がられたらそれこそがオカルトだ。この同好会的にはあるべき姿かもしれないけど。
当座の問題は、この制服を着たまま誰にも見つからず母校から脱出すること。そして出来れば誰にも会わず自宅まで辿り着くこと。一旦は体力を完全に使い切った身にはかなり過酷な条件だ。
「京楓……行ける……?」
「うん……なんとか……」
ずっと硬い床でそのまま致していたわけだから、とにかく体が固い。クッションも何もない床で一晩を明かせば、関節という関節が悲鳴を上げるのは自明の理だ。若くはない――わけではないが、無理をすればあの頃よりかはガタが出やすくなる頃合いにはもう差し掛かっている。
「あん……また下着にすごい垂れて来ちゃった……」
「今だけは我慢出来ないか……?」
「どの道脱ぐ前にぐっしょり濡れちゃってたから、今更変わらないかな……」
その言い方がどうにも扇情的に感じられて、ついまた襲いたくなってしまう。だけど、流石に今からは色々と厳しいものがあるし、何よりまたヤってしまうと本当に帰る体力が持たない。
ところで、今日は久々に夢を見なかった。これ以上なく抱きしめ、また抱きしめられていたからかもわからないのだけど、京楓の温もりにこれ以上なく包まれて、素直に幸せな心地だった。寝るというより、お互いに失神というのが正しかったから、ある意味では夢より深いところまで落ちていたからかもしれないのだけれど。
――でも、いつも京楓に抱き締められてても夢に堕ちていたのに、今日は何が違ったんだろう?
「先出るね。とりあえず外の様子見てみる」
そして、京楓が身軽に窓から身を乗り出して、外を見渡す。
「よいしょっと……うん、大丈夫そうだよ」
「ありがと。俺も続くわ」
窓に手をかける。だから、後は少し跳ね上がるようにして足をかければいいだけ。だけど、その動作を一旦やめた。
「どうしたの暁、手伸ばす?」
「いやいい……ちょっと待って」
振り返って、部室をもう一度眺める。こうして見ると、俺が数年間過ごした青春が、ほぼ形を変えずに残っていた。もう既にここで過ごした時間より、その後の時間の方が長くなっちゃったけれど。それでも、ここでの時間はずっと心に残っている。
「ぼんやりとして、どうしたんだ?」
「いや……感傷に浸っちゃって」
「――ここの主だったもんね、暁は」
それだけで理解をしてくれた京楓に感謝をする。主だったから。主だったからこそ、去らなくてはいけないのだけれど、それでもと。
特別なことはそんなになかったけど、大切な時間だった。みさきとボードゲームをした。大誠と他愛もない話で盛り上がった。双六から帰ってきてからは、そこで縁を結んだ相手が訪れるようになった。時折京楓とこの部屋で深く盛り上がった。それは、ここに通っていた時のかけがえのない大切な思い出で、この一晩だけは、それを追体験出来たんだ。
もう、ここには戻ってくることが出来ないだろう。そもそも、今晩が特別に与えられたボーナスタイムだったんだ。
――ありがとう。これからも辛くなった時は、ここでの他愛ない時間のことを思い出します。
「もういいよ、お待たせ」
京楓に声をかけて、部室から抜け出す。後ろ髪を引かれる心地がするが、それが減衰することはないから、どこかで振り切らければならない。
どうにかしてその思いを断ち切れば、あとは早回しだ。入ってきた時はたまたま正攻法で入ることが出来たけど、出る時も同じとは限らない。恐らく校門は締まっているだろう。
と、念のため校門の様子を窺うと。
「あれ、校門が開いてる?」
「本当だ。でもそれって、既に――」
すなわちそれは、誰かが出入りしていることの裏返しであって。だけど、今は他に誰も来ていない。もしくは、泊まった誰かが丁度出ているタイミングなのか。
うかうかしていれば、別の誰かに見つかる可能性が高くなるだけだろう。ならば、今が一番の好機だ。
「行くよ!」
そうして、関係者と思しき人には誰にも会わずに学園から脱出して、あとはがむしゃらに走り続けて。あぁ、これもともすれば青春の一ページにもなるのかななんて、らしくないことを思うなどして。
自宅には、春日通りや西大路通りのような車の通行があるような道を避けて辿り着いた。誰が見ているかもわからないから、人影に気付けば隠れるようにして、とにかく人に姿を見られないようにして帰着して。
そうして、それを達成して自宅玄関を開ければ。
「オカエリ」
ジト目の琥珀が腕を組んで仁王立ちしていた。
「朝帰りになるなんて聞いてないんだけど」
「いやぁ夜通し調査したいところがあって、だいぶ遅くなっちゃって」
「それにどうしてそんなに汚れてるの」
「あはは……いやちょっと二人して転んじゃって」
「二人して転げ回ってたの間違いだよねそれ、きっと」
どこに行っていたかはともかく、琥珀には何していたかはバレているのだろう。あ、思いっきりため息つかれた。
「まぁ、ボクとキョウカの立場が逆だったことがあったわけだからわかるけど……でもだとしても絶対それだけじゃないよね」
うん、絶対ばれてますわこれ。口にすればする程墓穴を掘るパターンですわ。
となれば、沈黙は金。雄弁は銀なんてことはなく、京楓と二人無言を貫いて――。
「それで二人共、その首は、何?」
「えっと……」
「何かマーク。二人共、右側、同じくらいの位置」
言われなくてもわかっている。声を潜めようとして、なんとかしてお互いの首に吸い付いた時の、意図しないキスマーク。
だけど、そんなことを説明しようとしても、まぁ納得してはもらえないだろう。納得してもらえたとして、始まるのはどうしてそんな危ないことをという説教だ。
「ボクに説明か何かないのかなー?」
再びのジト目を向ける琥珀を意識的にスルーして、そのまま逃げるようにして階上へと逃げる。ちょっとーという声が後ろからかかるが、申し訳ないけど無視だ。
というより、そもそも帰着して緊張の糸が解けたというのもあった。急に疲れが出て、少なくとも俺はこれまでの疲労もまとめて出てきて、だからしたいことといえばただ京楓と惰眠を貪りたいという欲求のみ。まだ、食べる程の体力もそこまではないから、朝食もなくていい。
「アキラー、ご飯はー?」
「ごめん、ちょっと今朝だけは勘弁して……」
「キョウカも?」
「私も……ごめん寝させて……」
「じゃぁ独りで食べる……」
寂しそうな声だけが聞こえて、大きな物音がしなくなる。悪いことをしてしまったとは思うけれど、それでもその声のトーンを気にもかけられないぐらいには、疲労が強かったのは確かだ。
深く考えることも面倒くさい。二段ベッドの、下の段に着替えもせずに転がり込む。続けて京楓がその脇に滑り込む。
そしてお互いを抱き枕にするかのようにすれば、すぐに二人して意識がストンと落ちて。あぁ、これじゃ布団も汚れるな、とか、そういう考えにも至らないで。
最後まで頭にあったのは、今はこの温もりを離したくないなということと、この温もりこそが幸せの象徴ということと、それだけ。
「あれ、おはようキョウカ。アキラは?」
「暁はまだ寝てる……というより、私もまた早めに寝に戻るつもり。一旦目が覚めちゃったから、ちょっとね」
「二時間寝てまだ寝たりないの?」
「うん、そうだね……風邪とかじゃないけど、正直結構身体は重いなってなってる」
「そっか、じゃぁ今はお手洗いとかだね」
「ううん、琥珀ちゃんに用があって」
「ボクに? 何かあったっけ?」
「うん、琥珀ちゃんじゃないと尋ねられないことだから」
「それって……」
「ねぇ、琥珀ちゃん……」
「――うん」
「鬼について覚えていること、知っていることを、私に話してくれないかな。全部」