※この作品はR-18です。

過ぎ去りし日々に   作:Planador

14 / 14
尊ぶ儚さが胸を締め付けて

「……おはよう、京楓」

 心が折れてしまってから、簡単に半月近くが経ちかけていた。もうすぐで年が替わってしまう。そして、それさえ過ぎれば、きっと俺の終わりが近い。

 京楓が導き出した真実を認めてしまった俺は、家に籠るようになってしまった。何も変わらなければと。何も望めないのならと。

「えへへ……今日も暁と一緒だぁ……」

 だけど、一人きりじゃない。ずっと、京楓が傍にいてくれている。俺の視界に他のものは何も映らなくて、ただ京楓だけはそこから浮ぶかのようにはっきりと映し出す。

「今日は何をするか……」

「ずっとこのままでいいかなぁ……」

「セックスはいいのか……?」

「今はまだ暁が気分じゃないでしょ? 私にはわかるんだぁ。でも後でシたいから、ゆーっくり気分高めよ……?」

「それもそうだな……」

 全ての希望を失った俺が、俺が消えれば全ての希望を失ってしまうのだろう彼女に対して、言えることは何もない。ただ、堕落だけをしていて、ずっとそれに付き合ってくれている。いや、京楓が望んで、俺と歩調を合わせてくれているだけか。そういう意味では本当に申し訳なさが先に立つ。

 俺も京楓も、一歩も外へ出た覚えがない。俺が昼間でも眠っている間に、京楓が琥珀と話していることはあるみたいだけど、少なくとも俺が目覚めている間は、京楓はずっと俺の傍にいてくれている。

 なんとか、京楓はせめて琥珀に支えてもらいながら生きていけるかもしれない。でも、俺はもう先がないんだ。この箱庭で、京楓と二人、最期に幸せを感じられるなら、それだけでいいのだと。

 だけど、仕方ないじゃないか。自分の中ですら認めたくなかったが故に口にもしてなかったことを、真正面から京楓に指摘されて。そして、認めた瞬間から、走馬灯のようにまだ俺が成し遂げられていないやりたいことが次々と湧いてきて。そしてその半分以上が京楓に関することで。

 京楓にとっても今この状況が絶望なのは、正直嬉しいと思う気持ちもあった。寸分違わず俺と同じ気持ちでいてくれることが一番の喜びだった。俺の独占欲が、せめてもの贐として最後まで愛し愛されたいと叫んでいる。そしてそうやってずっと京楓を縛ってしまっていることに、また絶望する。

 身体は、毎日重ねている。特に琥珀がいない日には、就寝前だけじゃなく、昼間から、自宅のあらゆる箇所で行為に耽っていた。

 ただただ、京楓しか視界に入らない日々。もうすぐで終わってしまう日々。それに縋ろうとして、俺は京楓の未来までをも奪い続けている。

 本当に、俺は弱い人間だと思った。みさきみたいに強く心を持てない。クレアや琥珀みたいに一人で自立して生きれない。黎みたいに自分から何かを起こせることも出来ない。大誠みたいに誰かのためになるようなことも出来やしない。

 でも、もういいじゃないか。終極が近くて、そして結局何も成し遂げられなかったとするならば。さながら終末医療のように、せめて最後だけでも俺が望むことを可能な限り叶えさせてくれたって。

 縁が今目に見えるとするならば。ただ、京楓との縁がとにかく強く太く見えるのだろう。誰よりも、鬼にも負けない縁が、俺と京楓の間に横たわっていると。

 だからなのだろうか。心が折れて、却って鬼に夢に引きずり込まれることが少なくなった。引きずり込まれても、京楓に引っ張ってもらっているような心地がする。

 でも、やっぱり段々と永沈の穴へとゆっくりと引きずり込まれている感覚は消えてくれなくて、あぁ、少しずつでも終わりは近づいているということが否定できない。引きずり込まれて、断絶して、そしていつか幻日すら見られなくなるその日まで。

 そんな間近に迫った未来に怯えている間に、段々と身体は昂ってくる。気持ち的に高揚することはせず、ただ目の前の人に愛し愛されたいという欲求だけに変換されて、ただ深く堕ちるならこっちでありたいという願いだけに支配される。

 それはきっと即物的なものなのだろう。でも、もうそうでなければ恐怖にずっと怯えてしまうとするのならば。せめてこの愛しい気持ちだけは最期まで奪わないでくれと、それだけを願って。

「じゃぁ、ゆーっくりね……絶対私から抜かないでね……?」

 そして今日も、深く、深く溶けていく。夢に堕ちるように。堕ちるならこっちの夢であるようにと。

 

 

 

「暁は、もうほんとに家を出なくてもいいの……?」

「それでいいかな……何より京楓と一緒にいたい……」

「だったら……私と一緒に行きたいところ、言ってよ。そしたら付き合うからさ。どこ行くのにも……」

「うん……ありがとな……」

 確かに俺が永沈するその前に、行きたいところは回れるだけ回ってみないと、とは思う。というより、京楓と一緒に行きたい場所なんて数えきれない程あって、本当ならずっとそういうことをしていたいとさえ感じる。

 だけど、真に行きたいところなんて、もう全然残っていなかった。ずっと、様々なところにお参りとかして夢がどうにかなるようにと願うこともあったけれど。今はもう、参拝しても意味がないことを知っている。鬼の縁に引っ張られるだけで、誰も俺を救えないことを理解してしまっている。

 こうやって、身体を重ねて、気怠い疲れのまま京楓とありもしない未来を語ることだけが、唯一にして極上の幸せだった。今はこの六畳間程度の部屋の中だけが、俺たちにとっての最後の聖域だった。

 かつては、京楓とみさき、大誠と共に旅行に行くということはよくあった。そして、京楓と二人きりで旅行に出たことも、大学に入ってからは何回かある。だから、またそんなことをしたかった。みんなとも、京楓と二人きりでも。どこが目的地でもいいから、またそういう旅行がしたかった。

 今はもう、京楓とさえ離れなければいい。愛する人がそばにいてくれるのならば、それ以上は望まない。もうすぐでそれすらも出来なくなるというのならば、せめてそれだけでも望んでいたい。

 それとも、俺が京都から離れれば、だいぶマシになるのだろうか。旅行なんて言わず、全てを捨てて京都から、西院から離れれば、鬼にまつわる全ての物事から逃れられるのだろうか。

 関係ないだろうな、と思った。確かに双六は京都にまつわる物事ばかりだった。だけど、賽の河原の諸々がかつての伝承に依るのだとするのならば、京の都から離れてこそ百鬼夜行に出遭ってしまう。何より、『淵』だったとはいえ、洛中に入った上で、俺は鬼に操られたままだった。場所なんて、関係がないのだろう。

 何より、みんなと引き離されることの方が、俺にとっては怖かった。だけど、それは避けられないことがわかっていて、そして日増しにXデーは近づいている。

 結局、お礼参りに行けてないままの相手がいた。みさきと、クレアと、あと鹿乃も結局単独では会えてない。琥珀も顔は会わせていたとはいえ、腰を据えてそれをするのには至っていなかった。

 何も出来ていないままだ。まともにお別れもしない、出来ないままみんなの前から去ってしまう。

 そしてやることは最期のその時まで京楓と一緒にいる事だけ。周囲が全て業火の炎に囲まれていて、だから逃げ場もなくただじっと終わるその時を待っている。

 外にもまともに出ていなかったから、ある意味で『母さん』が亡くなった時と似たような状況だった。料理も最後にしたのはいつだろう。食事は琥珀にお願いして持ってきてもらっている。永沈を前にした緩和療法を施されているような現状は、それこそホスピスだった。

 せめて、最期の時までは、この聖域に。そう願うだけでも、きっと許して――くれない。

 玄関から、ガチャリという音がした。バタンと閉まる音がして、誰かが家に来たということがわかる。

 そのまま、ズンズンと階段を上る足音が聞こえる。今琥珀は外出してるけど、何か忘れものでもしたのだろうか。

 あれ、だけど、琥珀はこんなズンズンと階段を上らない。というよりこれは、『彼女』が何かいきり立っている時に階段を上り下りする時のような――。

「お二人共、大丈夫かな?」

 その凛と響く声に、思わず固まる。だってそれは、今この場に来れるような人物ではなくて、だからこそ突然の来訪に面食らってしまう。

「よかった。二人共音沙汰ないから、本当に死んでないか心配だったよ」

 勝手知ったるという体で遠慮なく入ってきた彼女に、すぐに返せる言葉が浮かばなかった。歴の長さ的に、勝手も実際知られている。

 なんというか、お互いに全裸じゃなくてよかったとは思う。お互いにパジャマ姿で、だからこそあまり人に見せる格好では本来ないのだけれど、幼馴染相手なら流石にそこはセーフか。だとしても、心の準備が出来ていなかったから、正直恥ずかしい。

「えっと……鬼無水……」

「まぁ、琥珀ちゃんから話は聞いてたからね。昨日があかりの年内営業最終だったから、手も空いたし様子を見に来たの。鍵も琥珀ちゃんから受け取ってたしね」

 そして、俺にとっては久方ぶりに、且つ覗き込まれるようにして、みさきと顔を合わせる。

「――暁くん……」

「えっと……」

 みさきとは、俺が盛大に振ってからは、初めて会うのだ。連絡は――取れていなかった。最期になる前に、二人きりで会おうとは思っていたけれど、その前に心が折れてしまっていた。

 自室にみさきがいるこの状況は、俺が自殺を図ろうとした時以来だけど、あの時とは心理的な関係性がまるで違ってしまっている。俺が気まずい思いをしていちゃいけないだろうけれど、正直心の準備が出来ていなかったから、どんな顔をしてみさきに相対すればいいのか本当にわからない。

 クレアの時はクレア自身が諦めるようなもので。琥珀はこれからもずっと家族でいるためで。みさきは――。

「――大丈夫だよ。私はもう、大丈夫」

 嘘だ、と思った。みさきの傷は癒えてなくて、そして一生治るものではないんだろうと。それくらい、この長い付き合いの中で、表情に僅かに滲み出ている痛みを隠そうとする様子でわかってしまう。

 だけど、それを俺が指摘するわけにはいかない。そうすれば、俺がみさきの傷を抉り出すことになってしまうから。ずっと仲がいいままでいるために、みさきから笑っていいよと言われるまでは、俺から話題に出すわけにはいかない。

「そ、それで鬼無水は、どうして急にうちに来たんだ?」

「えっとね、ずっと音沙汰がなかったし、どうしても顔を見なきゃってなったから……」

 そしてみさきは、じっくりと、俺の顔を舐め回すように見て、そしてため息を一つつく。

「『まだ』、生きててよかったよ、本当に……」

 まだ、だけを、力強く言われた。それは、精一杯感嘆を込めた『まだ』だった。

「え、みさきには、というか誰にも何も話して……」

「――話には、ぐらいかな。琥珀ちゃんから……」

「あぁ……」

 だとするならば、きっとどういうことかはもう感づいているのだろう。琥珀から話を聞いて、そしてみさきが判断して来たということは、みさきもだし、恐らくクレアにも、みんなにも。

「先が、長くないんだよね……?」

 その問いかけに、無言で首を縦に振る。京楓以外にバレていなければ隠すつもりだったのだけれど。どっちの方がいいかなんてわかんなかったけれど、だったら俺が痛みを覚えない方を選んだ方がましだとなっていた。

 確かに、もう隠せるとは思っていない。隠し通して、みんなを突然絶望に落とす方が、きっと罪深かったのだけど。でも、それを直に伝えられる勇気もなくて。そして俺は、自然と最悪の選択肢を選んでいた。

「いつ頃わかったのか、聞かせてくれないかな」

「わかった、というのとも、違うとは思うんだけど、でも強いて言うなら――」

 それから、今の状況に至るまでをみさきに話した。みさきを振って京楓と過去のことを話し合っていたこと。その時の話の流れで英彩学院に忍び込んだこと。かつての担任の机の上が呪われていたこと。だからそこにあった縁を吸収しきったこと。それによって鬼との繋がりが一層深まって、一気に悪化したこと。体感では、今からでは持って半月なんじゃないかということ。

 そして、その全てを聞いたみさきは。

「――頑張ったんだね」

 それだけを、ぽつりと口にした。

「暁くんは、それこそ私が抱えていた病気みたいなものなのかな、なんで、どうしてってなるよね」

「――そうだな。それは、やっぱり思っちゃうよ。不意の交通事故だって思うしかないけれど、それでも……」

「だよね。そして京ちゃんも、無理しなくていいよ。京ちゃんだけが、辛いわけじゃないから」

「――うん」

「なら――よしっ!」

 パンッと、頬を叩く音が聞こえた。それと同時に、急にみさきが居住まいを正す。

「でもね、ごめんね、私はまだ諦めてないの。勿論、暁くんや京ちゃんが駄目だとわかってしまった、私は二人よりは外野に近いからわからないだけというのはあるのかもしれないけれど。それでも、やっぱり、暁くんが諦めてしまったとしても、私は諦めたくない。だって私がずっと病気から諦められなかったから。鬼縁を持った私だから」

 それは、決意の籠った瞳だった。一度は心が折れても、最後まで抗う決意を新たに持った経験のある、とても力強い意思だった。

 それでも、ここから何か変えられるのだろうか。俺たち当事者が頑張っても無理だった。それを、こっからひっくり返す打開策がなんて。

「鬼無水はさ――」

「みさき」

「え?」

 みさきが、京楓の話を急に止める。決意の籠った瞳が、今尚続いていて、それが京楓に向けられている。

「やっぱり、京ちゃんにも名前呼びしてくれる方が嬉しいな。そりゃ、京ちゃんにとって苗字呼びは特別かもしれなくて、そして私にとっても苗字呼びする人は他にいないけど……」

 そこまで耳にして、急に京楓がおろおろし始める。きっと急のことだと思っているだろう。だけどこうも口にしているということは、みさきは以前から考えていたということになる。

「それでも私は『みさき』だから。暁くんが『東雲』じゃなくて『暁』であるように。京ちゃんが『野々宮』じゃなくて『京楓』であるように。だから……ね」

 だから、急でも、みさきは京楓がそれから逃げることを許さない。少しの理屈を詰めて、とても感情的な理由で相手に一つのことを強いる。だけどそれは、みさきがきっとずっと切望していた事だった。

 とても難しいだろう。俺より長い付き合いの相手の、その間ずっと変わらなかった呼び方を急に変えろというのは。慣れもあるし、イメージもある。だから、最初の一言を口にするまで、たっぷり京楓は口だけを動かして、イメージトレーニングをしていた。

 そして、五分ぐらいが経っただろうか、やっとのことで声付きで京楓が口を開く。

「――みさき、ちゃん」

「んもぅ、縁ちゃん相手でもないのに、今更それ?」

「……みさ、き」

「はい、よく出来ました」

 恥ずかしそうにする京楓の頭をみさきが撫でる。その表情は、みんなの取りまとめ役としての顔のそれだった。俺たちが四人であった時からの、みんなのムードメーカーの姿だった。

「でも、き――み、さきは京ちゃん呼びでしょ。私だけ名前を呼び捨てなのはどうにも気が引けるぞ……」

「京ちゃんってさ、変に律儀だよね」

 ため息一つ、みさきがどう言ったものかというようにして手を頭に当てていた。確かに京楓はこういう時頑固だから、どのように言えばわかってくれるかというのは俺もよくわかる。

「京ちゃんから見て、男子は呼び捨て、女子はちゃんかさん付けだけどさ。でも私は一応呼び捨てだったでしょ。それって、京ちゃんが私を女子の中でも特別に見てくれていたからってことだよね」

「そ、それは……」

「勿論、京ちゃんにとって私が特別であったのは理解してるよ。その上で、今も大事にしてくれることはわかってる。でも、だからかな。私はもっと京ちゃんの特別になりたいって思ってしまった。京ちゃんがただ一人、女子で名前を呼び捨てで呼んでくれるのなら、絶対の特別になれるって。『暁くんが選んだ京ちゃん』の特別になれるって」

「あ……」

 それは京楓だけでなく、俺をも含めた特別宣言だった。そしてずっと俺たちを大事にするとした、みさきの決意だった。

 今のみさきからすれば、京楓への感情はそれこそもののあはれだろう。幼馴染としてずっと培ってきた単純ではない感情に加え、今は好きだった相手を巡った争いの、その負かされた相手としての気持ちもあるはずだ。吹っ切れたかどうかはわからないけど、もしかしたらみさきは内心俺の事を諦められてないのかもしれない。

 それでも、ずっと『俺のことが好きな京楓』を含めて大切なのだと、みさきは認めてくれた。それは、みさきにとっての俺と京楓への祝福だった。

「……だから、私は失いたくない。みんなで笑い合える今を。二人が幸せに過ごす未来を。そんな、自身の欲しかないという鬼になんかに。だって好きだから。二人の事が好きだから……っ!」

「私も……嫌だ……。みんなと……暁とずっと一緒にいたい……!」

 それはきっとみさきにとっての赦しで、京楓にとっての救いだったのだろう。徐にみさきが京楓を抱き締める。俺はその間、ただ京楓の背中をさすってあげていたんだ。

「……暁くんも」

「俺も……?」

「暁くんこそ、かな……。やっぱり、我慢ならないよ……。暁くんを、鬼なんかに奪わせはしないって、それは私が絶対と誓いたいことなのに、なのに私は何も出来なくて……」

 そのまま、京楓を抱いていたみさきの片腕が俺を捕えた。そのまま強く抱き締めて離れない。指の腹が強く背中に押し付けられて、あぁ、感情の昂ぶりが抑えられない時の力の逃げ先は京楓と似ているなと、漫然と思った。

「だって、それでも、暁くんが好きで……でも何より、『暁くんと京ちゃんの二人』こそが好きなんだもん……!」

 ぎゅっと、俺をも抱くみさきの腕の力が一層強まった。絶対に離さないと、鬼なんかに俺を取られまいとする決意だった。

 振った相手に、何を言っても間違えてしまいそうで、だから俺は何も言葉を発せずにいて。それでも、その言葉が嬉しかった。だから、感謝を言いたかった。なのに、上手く言葉でそれを伝えられる気がしなくて。

 だから、俺も、京楓を、みさきを抱く腕の力を強くするしかなかったんだ。震える京楓とみさきを、二人共穏やかに包み込むように。ずっと傍で寄り添ってくれた京楓と、ずっと俺たちを、みんなを包み込んでくれていたみさきに感謝を込めて。

 どれくらいそうしていただろう。合図もなく、だけど計ったかのように三人して同時に腕を解く。

「さて、京ちゃんにとって私がこれ以上なく特別になってくれたところで――」

 一つの予感があった。今でこそ、縁が目に見えるのなら、この三人の間には誰にも断ち切れない縁が浮かんでいる。

 決まっている。俺とも京楓とも太い縁を結んでいる、俺たちにとって掛け替えのない――。

「二人共着替えてよ。出かけよ?」

「出かけるって……どこに?」

「そんなに遠くないよ。というか、少なくとも暁くんなら行き慣れてるとこ」

 そして俺たちは、二人して鬼縁に包み込まれた心地を覚える。ここは現実なのに。使える戒なんてどこにもありゃしないのに。

「実はね、待ち合わせしてるの。それで、拒否権はないんだ、二人には。もう行くって伝えちゃってるから」

 

 

 

 

 

「アキラ、キョウカ、遅い」

「二人共―、元気してたー?」

「琥珀ちゃんにクレアさん!? どうしてみんなが?」

「いやぁ、さっきまで三人であかりの年内営業お疲れ様会してたんだけど、何かを思い出したかのようにみさきが途中で出てって、その後呼び出されたから」

 つまり、みさきは、本当にそれを途中で切り上げて一直線に俺たちの家へと向かってきてくれたんだ。最初から、俺たちの事を忘れずに、俺がまだ死んでないか、それだけを心配して。

 だとするならば、それはお疲れ様会を楽しめたとは言わないだろう。きっと、クレアと琥珀にとっても不完全燃焼なはずだ。

「暁……やつれたね」

「やっぱそう見えるか」

「そりゃぁ、ここ四年ぐらいは毎日のようにずっと顔突き合わせてたもん。ちょっとの変化ぐらいすぐわかるよ」

 まぁ、鹿乃に指摘された時点で、わかりきっていたことではあった。だけど、改めて誰かから言われると、やはりショックではある。

 気付けば、クレアとも、もう長い付き合いだ。ただ学院のクラスが一緒で、そして大学の学部学科も一緒だったからとかいう、ただそれだけじゃない縁があった。ちょっと顔を合わせないだけで、すぐに表情の変化に気付かれるぐらいには、その関係は密だ。

 いつから、どれくらいの付き合いがあれば幼馴染と呼べるか、明確な定義はないと思うけど、密度的には、確かにクレアは気付けば幼馴染のみんなとも同列になるぐらいには付き合いが出来たとは確かに思う。何はともあれ親友と呼んで差支えはないだろう。

 そして琥珀はそもそもが家族だ。この四年、ずっと一緒に生活してきて色々なことを相互に理解したつもりだ。そして特にこの二週間は、琥珀がいなければ引き籠ることすら出来なかっただろう。何も言わなかった、何も伝えられてなかったのに、それでも黙って世話をしてくれた琥珀には頭が上がらなくて、そして感謝しかない。

 ずっと、繋がっていてくれた。京楓ともみさきとも違った、大切な縁の形だ。

「それじゃぁ、みんな揃ったところで――」

 そして、クレアと琥珀が、ひとまずの声掛けを終えたところで。

「そのまま女子会トーク! 暁くんも強制参加ね」

 みさきが、全体の取り仕切りを始める。

「え、いや一体何始めるの……?」

「うーんと、縁の在り方について?」

 縁の在り方って。別に、これまで紡いできた形以外に何かあるべきものがあるのだろうか。それとも変化を求められているのだろうか――と思ったところで。

「みんなさ、正直暁くんのことが好きだったでしょ」

 そのみさきの一言に、妙な緊張感が全員に走ったのがわかった。そして俺は渦中の人として、どういう反応を返せばいいかがわからない。

「まぁ、双六やってた時点でそうだったっていうのはわかってるからいいんだけどさ。そしてどうしてかみんな、この現実に帰って、そして京ちゃんが暁くんを射止めたにも拘わらず、好きでい続けたよね」

 緊張感が増した気がした。俺は余計に居たたまれない心地を覚える。

「だからさ、みんなずっと暁くんのことをどう思っていたのか、ここでぶっちゃけちゃおう!」

「えっと、これ俺いていいの……?」

「寧ろいてほしいかな。どうせ暁くん、何をぶつけられても心移りはしないでしょ?」

「私は……何か言うべき……?」

「京ちゃんは……お任せするよ。でも、京ちゃんはまず聞いててほしいかな」

 いやいいのかよそれ、と思った。だからクレアか琥珀かが反対しないのかと、そう思って。

 だけど、視線を向けた先のクレアと琥珀の目はすごく真剣だった。それを見て、俺も思わず居住まいを正す。隣では、京楓が同じようにするのが視界の端に映った。

 あぁ、もしかして。お疲れ様会っていうのはただの名目で、本当は、最初から俺と京楓をここに連れ出すための、三人の打ち合わせがあったんじゃないか。もしかしたら、近く二度と会えなくなる俺に対して、贐にもなるかもしれない言葉を伝えてくれるのかなって。

 本当に、俺は罪深い。みんなが、どれだけ俺の事を想ってくれていて、そして俺はそれの感謝を満足に返せていなくて。だからともすれば、これはずっと俺が不甲斐なかった、その結果だ。例え夏から秋にかけて、二人きりで想いを聞いていたとしても、それでも尚残っていた気持ちをぶつけるために。

「それじゃぁ、ボクから行こうかな」

 一歩、ゆっくりと前に出た琥珀が深呼吸をするのがわかった。

「ボクは、純粋に好きだよ。今でも。だけどボクが一番望むのは、みんなが幸せであることだから。だから、アキラとキョウカが幸せでいられるなら、それもボクの幸せ、アキラには話したよね」

 それは確かに、嵐山公園での告白の際に聞いたことだ。初めから俺の気持ちはこの現実で琥珀に向かないことを知っていて、それでいて尚家族になりたいと願ってくれた琥珀の、唯一無二の願い。

「ボクに名前を付けてくれたから。ボクと共に戦ってくれたから。ボクを家族として迎え入れてくれたから。正直、双六の時よりも、もっともっと、今の方がアキラのことが好き。だけど、一番見たいのは、アキラが、みんなが幸せでいてくれることだから。だから、出来る事なら、その幸せの中に、ボクを混ぜてくれると嬉しいなって」

 それは、一番小さくて確実な、切なる願いだった。そして四年間、ずっと叶えてきて、これからもそうでありたいと俺たちも願う、一つの望みだった。

「だからね? ボクは、アキラとずっと家族でいられればって、そう思ってるんだ」

「琥珀……」

「まぁ、キョウカとの子供が出来たら、ボクも身の振り方考える必要はあるかなとも思うけど」

「こ、琥珀ちゃん!?」

「え? アキラもキョウカも、欲しくないの? 子供」

「えっ、いやっ、そのっ、ねぇ、暁!?」

「いやそこで俺!? いやでも言わずもがなだろ、そうだろ!?」

「じ~~~~~」

 あぁ、これは完全に濁すことを許さない目ですわ。いや、言わずともわかってはくれるだろうけど、流石に内容が内容だから――と思っていると。

「……ボクは二人の子供を抱っこしてあげたいよ?」

「ぶっ!?」

 いやいやいや、そんな爆弾発言突然されましても。正直、そんなことまで考えられてなかったというのはあって。

「ボクは『未来』を見たいんだ。アキラとの。みんなとの」

「あ……」

 そうだ。確かに琥珀は、ずっと今と未来の話しかしてこなかった。それは語る過去がないからというのもあるのだろうけど、ただ琥珀なりの幸せだけを口にしようとすると、今か、それよりも幸せが広がる未来かを夢想する以外にないんだ。

 琥珀に過去を語らせるようになるわけにはいかない。なんとかして、未来を夢想出来ることを続けられるように。

「だから、ボクが今言えることは、負けないで、その一言だけかな。それじゃぁ、クレア」

「はーい。じゃぁ私は色々これまでの不満ぶつけちゃおうかな」

「お、お手柔らかに……」

 逆に、クレアは、それこそ語るべき過去は幾らでもあるだろう。同じ場所にいて、同じものを見て、別々の感想を抱いてきたであろう俺たちには。

「暁は……自分本位だよね、何事も」

「早速抉ってきたな!」

「まぁまずは京楓のことというか、それが巡り巡って暁自身のやりたいことになるのはわかるんだけどさ。それを除けば、結局は暁がやりたいことをやりたいようにやってるだけだったし、正直今から見ると付き合うには大変だったかなとは思う」

「うわめっちゃひどい評価来た! でも否定出来ない!」

「まぁ、暁のやりたいことは、私のやりたいこととも近かったから、多分他の人と付き合うよりかは彼女側の苦労は少なかったとは思うけどね。――いやでも、そんなこともないのかな。京楓とずっと家族で、琥珀ちゃんとも家族になって、みさきとも幼馴染だったのなら、私だけやっぱり遠いままだったのかな」

「遠くはないさ。少なくとも、この四年間は、それまで俺が過ごしてきたのと同じか、それ以上の密度でクレアとは接して来れたさ」

「ありがと。でも私は、みんなの中では唯一、暁たちと過ごしてきた時間が、そうでない時間を上回ってない。でも、ともすれば、密度が高すぎて、確かにみんなと出会ってからの時間の方が長く感じてる節もある。だから、暁がそう言ってくれるのは、純粋に嬉しいよ」

 四年という年月は、短いようでその実長い。そして大学で過ごす時間は、大学内部に限定してしまえば、ともすれば京楓以上に密度が濃かったかもしれないのは正直なところだ。

「それでさ、なんというか、私から見てだけど、暁ってすごく『人間らしい』んだよね。確かにやりたいことをやりたいようにやってきて、でも暁が大切にしてると思う相手へ何かを返すことは忘れない。具体的には京楓に対しては、常にそういうことを忘れていなかった。だから、暁は、いつも自分の事を最優先しているように見えて、大切だと思った相手には自分以上に大切にするという習慣があったよね」

「ありがたいけど……俺としては、当然のことだと思っていたから」

「でも、私は多分、暁のそういうところに惹かれたと思うんだ。そしてそれは、今も尊敬してる。中々、大切な人であっても、自分自身以上に大切に出来るなんて出来ないからね。そして……きっと、今みたいな、そんな関係性が一番ありがたいのかなって、そう思うようにもなってきた。だから、もし仮に、六道の辻で謝ってくれたことを、今も抱えてるというのなら、もう大丈夫だよって、そう言いたいかな」

 クレアのそれは、一種の決別宣言だった。クレア側で、その気持ちに決着を付けて、そうやって俺の近くにずっといてくれようとしていた。

 だから俺は、それを尊重する。破ってしまったことを謝ったとはいえ、もう、クレアとの約束が果たされることがないことが、ここにきて重くのしかかる。だけどこれは、俺がずっと持っていなければいけない重さだった。そうすれば、クレアともずっと離れずにいられるだろうから。

「私からはこれくらい。それじゃ、みさき。一番色々あるでしょ?」

「うん……まぁ、そうかもしれないかな……」

 少しだけ、みさきの顔に翳が差したのがわかった。だけどすぐに、その素振りもなかったかのようにして口を開く。

「私は……多分だけど、みんなが好きで、だけどみんな好きだからこそ、特定の誰かを好きになるってことは、そうそうなかったように思うんだ。少なくとも、双六に入る前は、みんなと遊んで、クレアさんとボードゲームをして、そしてクラスの真ん中にいるようなことが一番の幸せだとなっていたんだから」

 それは、夕暮れの鴨川で一度は話したこと。あの時は俺もみさきも、誰かと付き合うということはきっと考えてなくて、ただ四人でいつまでもいられればと、そればかりを考えていた。

「それでも、私は暁くんのことが好きになった。なってしまった。それは、双六がきっかけだったかもしれないけれど、でも本当は双六なんて関係なくて、ずっとその前から、暁くんのことだけを見続けていた。私はきっと、私をよく知ってる人じゃないと真の意味では好きになれなくて、そしてそのお相手は自然と絞られていたんだ。ずっと昔から」

 それは、先月、俺に聞かせてくれた話と同じで、そしてそれともまた少し異なっていた。

「ほんとはね? こんな私にしてくれちゃった責任を、暁くんには取ってほしいなって思うこともあるの。ただ相手を好きになるかもしれないということだけでいうならば、大学で私に告白して来た人の内の誰かにいい返事をすればよかっただけだから。私を好いてくれてるという人を、私も好きになれるように思えればいいだけだったから」

 大学でみさきに告白した人がいるというのは、初めて聞く話だった。隣では、京楓が少し驚いたかのように、そしてそれを噛み潰すかのように無理やり抑え込んだのがわかる。

 だけど、俺は然程驚かなかった。みさきは、俺や京楓、大誠といつも一緒にいて、その上で一部では俺と付き合ってるのかとか言われていた。そうでなくてもクラスの中心にいたようなみさきは、学院生時代は逆に大切にされすぎたような気配さえあっただろう。

 でも、大学へは一人で進学した。だから、俺たちみたいなずっと一緒にいる面子が誰もいなくて、そして定期的に誰かと会うとするならば、それこそあかりでのバイトぐらいだったはずだ。

 贔屓目に見なくても、性格的にも容姿的にも、確かにみさきはモテると思う。だから、幾人かに言い寄られていたところで不思議には思わなかった。それでも、みさきに彼氏が出来たという話は終ぞ聞かなくて、そしてその理由は。

「暁くんは、病弱だった私を知っている。そこから少し病気が寛解して、だけどまた倒れて、そして完全に治って元気になった私までをも知っている。だけど、大誠くんと違ったのは、暁くんは『持たない痛み』を知っていたこと。きっと私はそこに惹かれました。そして、長い間、ずっと私の傍にいてくれました。私と同じ視点を、ずっと暁くんは持っていてくれました。だからきっと、私はもう暁くん以外の人を愛せません。それでも、京ちゃんとくっついた暁くんは幸せそうで、そしてそれを見ている私も、じんわりとその幸せをお裾分けしてもらっている気持ちになれるんです」

 それは、ずっとみさきが俺を諦めきれなかった、その理由。そして俺に振られて尚も、俺だけをずっと好きでい続けるという、その宣言。

 だから、それは俺に聞かせているだけじゃなかった。明らかに、京楓に向けても語りかけている。俺に、京楓に、鬼無水みさきという楔を打ち込んで、そして抜けないようにするために。

「だからね? 私は幸せ。幸せなんだよ――」

 そして、そのまま、ふんわりと。みさきが、京楓を抱き締める。

「ごめんね。京ちゃんにも重い話だったかな。でもどうしても、みんなの前で言いたくて」

「いや……寧ろ、ごめん。私こそ、私のことだけを考えていた。もっとみんなのことを考えるべきだった」

「大丈夫だよ。今は……二人の幸せを祈らせてほしいな」

「みさき……」

「まぁ、少しだけ呪いもしたいけどね」

「いやちょっと」

「冗談だよ」

 みさきの腕が、京楓から離れる。そのまま、その優しい視線が、俺を射抜いた。

「ごめんね。私からは以上かな。あれから一ヶ月経って、伝えなきゃと思ったことを、改めて口にさせてもらっちゃった。これが、鬼無水みさき、素直な気持ちです」

 あぁ。本当に、みさきは、俺たちのことをずっと見続けてきてくれたんだ。そして、ともすれば俺たちへの愛に殉じることでさえ厭わないのだと。

 だったら俺は、みさきに何を返してあげられるだろう。決まっている。まずは生きること。そして京楓と幸せに暮らすこと。

 出来るのだろうか。いや、したい。出来るようにしなければならない。でもどうやって。

 あぁ、そうか。それを考えるために。みんなが尚も繋がっていると示してくれるために、今こうやって集まってくれているんだ。

「じゃぁ、改めて答えてよ、暁くん」

 雲が分厚くなってきた。もう少しすれば、雨が降り出してきてしまうだろう。ともすれば雪になるかもわからない。そしてその陰で太陽が足早に表舞台から去ろうとしていた。

「暁くんが一番好きな人は、誰?」

 それだけは、本当に今更だ。そして、ここまでお膳立てしてもらって、俺が態度で示さなければ、何も始まらない。

 ありがとう、みんな。本当にありがとう。俺なんかには、本当に勿体ないぐらい、その太い縁が嬉しかったよ。そして死ぬまで、俺はその縁に支えられていくのだろう。

 だから、願わくは、意味合いを変えても、その縁が太くずっと結ばれ続けていますようにという願いを込めながら――。

「わっ、うわわっ……」

 思い切り、京楓を抱き締める。

「あ、きら……腕の力……強い……」

「それくらい、かな……」

「うん……」

 抱き締める時に勢いがついてしまったけれど、それでもずっと俺の腕の中にいるように、零れ落ちないように、力強く抱き寄せた。

 周りがなんと言おうと。これだけは申し訳ないけど譲れない。

「あーあ、今度こそ、負けちゃった」

「でも、これがあるべき姿って思っちゃう時点で、ねぇ」

「アキラとキョウカ、ずっとラブラブ」

 そしてその様子を、残る三人が見ている。ただ京楓が愛おしいという感覚しかなくて、だから向けられる三つの双眸に目を向ける余裕もなくて。でもきっと、その視線には、様々な感情が含まれているという想像だけは出来た。

 双六でだって、京楓と一番太い縁を結んでいたからこそ、京楓とは敵対駒の関係になったんだ。それくらい現実では不可分の関係で、そしてそれは出会ってから絶えることなく、姿形を変えながら今まで続いている。

 そう、縁の太さだ。縁は太ければ太い程、相手へ及ぼす影響も大きくなって――。

「――え?」

 待て。じゃぁ、鬼はどうやって俺を夢へと引きずり込んでいた? それは本当に『鬼だけが出来ること』なのか? 鬼は、どうやって俺を引き寄せていたんだ?

 そう、縁だ。俺が鬼を思い出して、名前と鬼が繋がって、そして鬼との縁が結ばれたからこそ、こうも夢は具現化して、そして激しさを増していったんだ。

 だったら、そのきっかけはなんだ。俺が一番賽の河原へと近づける、そのタイミング。

 決まっている。そんなタイミングなんて、一つしかない。意識を現世から引き離して、ただどこかに持って行かれるような心地を覚えることが出来る、唯一の機会。

 そう、眠りだ。俺が眠ることによって、否応なく肉体と意識が乖離し、意識だけが賽の河原へと連れていかれる。

「じゃぁ――」

「どうしたの、暁?」

「いや、急に何か、糸口みたいなものを掴みかけたような……」

「っ!? それじゃぁ、私も手伝う! 暁くんの、その問題が解決するなら、幾らでも!」

 はっとした瞳で、みさきが俺のことを見る。クレアと琥珀も同様だった。その瞳の力強さが俺には心強い。

「それでアキラ、どういう考えに至ったの?」

「えっとだな、縁の太さは想いの強さに比例するんじゃないかって」

「っ! それ、双六で鬼も言っていたこと――!」

「そして、夜眠ることで、向こうから俺を勝手に引き寄せてくれる……」

「確かに起きている時急に夢へと連れ込まれはしてなかったみたいだけど……それが……?」

「――そっか! つまり暁くんは意識的に夢へ潜れるならって考えたんだね!」

「あっ……!」

 眠りは元々現実にある意識を手放すことだ。そして俺にはピンと張られた一本の縁があって、そしてそれが俺が手放した意識を地獄へ引き込もうとずっと手ぐすね引いていた。

 全ては縁の太さによって。だからこの縁が太くなればなる程、鬼は俺と同化をしようとして、そして俺を引っ張る力は強くなる。

 逆に言えば、引っ張られる際に意識を持って立ち向かえば、それは琥珀がしてくれたチャネリングと同じ効果が期待出来るのではないか。

「俺が逆に意識的にその縁を辿ることによって、賽の河原へと辿り着ける……」

 だけど、ただ行くだけだったら、それこそ鬼に食われに行くようなものだ。それこそ、いつかの吉川大明神の時のように。

「でも、だったら、どうして暁は夢に落ちない日もあったんだろう?」

 そう。どうして、俺は鬼に夢に落とされないこともあったのか。それが謎だった。

「アキラ、そういう時に何か共通点はあった?」

「共通点なぁ……。寝ても覚めても京楓がいたとはいえ、でも家にいる時は琥珀だっていたわけで……」

 そういう時の前日にあったこと。京楓とイチャイチャ? まぁそれもいつも、とも言えるけど。京楓と何か特別なことをしていた? ――それか?

「……まぁ、暁は確かにそうだろうけどさ。夜以外もそうなの?」

 逆に昼寝とかで京楓がいなかった時。大学でクレアを待ってた時。京楓を待ってた時。

「あぁ、そういえば確かに、大学で京楓待ってて転寝してて、クレアに起こされた時は、最初の方の中では『重かった』かもしれない」

 確かに、眠る時、物理的に近い場所に京楓がいなかった。寝ているかどうかはともかく、常に声をかければ届く位置に京楓がいるわけではない。

 だけど、縁というものは、物理的な距離は関係ないはずだ。そうでないなら、こうも鬼に呼ばれる理由の説明にならない。大事なのは、俺が眠る時、何を考えていたかだろう。

 でも、眠る前は、大概俺は京楓のことを考えているように思う。昼寝だとしても、晩飯の献立を何にしようかだとか、家でのやることをどうしようだとか、何かしらの形で京楓が関わることだ。

「アキラはキョウカのことをちゃんと考えていたってことだよね?」

「そのつもりだぞ。どうしてもそうじゃなかった時もあったけど……」

「――ねぇ。そうじゃなかった時、って?」

 それは、一言で言うならば京楓のどすが効いた声だった。その一声で、それまでの思考が、一旦打ち切られてしまう。

 というか、完全に失言だった。口を滑らせてしまったものは仕方ないのだけど、どういう時だったか、喋るしかない。あぁくそ、当人もいるんだぞ、ここに。

「えっと……夏にクレアと二人で出た日の晩だな……それまでのクレアとの関係ってどうだったんだろうって思い返してて……」

「つまり――暁は私と寝てて、それで夢に引きずり込まれた時は、私のことを想ってくれてなかったってことなの!? 琥珀ちゃんにも言われてたのに!」

 そんなつもりはない。ないのだけれど、夢で鬼に引きずり込まれていたという事実が、その言を否定できない唯一にして最大の材料となってしまう。

「だ、だけど琥珀に言われる前の話だっただろそれは! その後琥珀やみさきと二人で会ってた時はそうはならなかったでしょ! それに最初に京楓がいきり立ってたのは霞のことについてだったじゃないか!」

「それはその直前まで霞ちゃんのことを暁が説明してくれてなかったからじゃない! あの時はほんとーに大学内で浮気されてると思ったんだから!」

「前にも言ったけどそんな死んだ妹の話なんてほいほい言えるわけないだろ! それで京楓が思い悩む方が嫌だったわ!」

「それはわかったけど! というか大体暁は女子の友人が多すぎる! 大学ではクレアさんとつるむことが一番多いし、大学じゃ私よりも一緒にいるでしょ! そうじゃなくても私が知らない女子と話してることも見てるとあるし!」

「クレアは同じ学科どころか同じゼミなんだし仕方ないだろ! 他の女子はみんながみんな俺に質問することがあるって言うからそれに答えてるだけ! 一部は確かに俺とクレアが付き合ってるとか宣って違うといつも言ってるのに誤解されっぱなしだけどさぁ!」

「ほら! そういうところ! 私という彼女がいるって説明してなんでそういう誤解が解かせられないのよ!」

「いや相手の思い込みに俺どう対処すりゃいいんだよ! 京楓とキスしてるとこ見てクレアに対して東雲くんに浮気されてるよとかって報告が行くようなレベルをどう扱えと!?」

「キス見られてたの!? それは暁が場所考えないからだ! というかなんでそのこと黙ってたの!?」

「いやだからそれはいつどこでの話かわからないから! 後から聞かされてていつもの的な感じで片付けられたから俺も忘れてたよ今の今まで! それより俺からしたらテニスやってる時に京楓が言い寄られてないかやっぱりいつも心配でたまらないわ!」

「そ、それは暁がエロどーじんを見過ぎだからだ! そういうの見てないのは知ってるけど、情報を追ってると勝手にその手の作品情報は出てくるでしょ!」

「それは関係ねーよ! 大学でやってる面子は知ってるけどインカレ的なことも多いと面識ない男子に何かちょっかい掛けられてないかってなるだけだから!」

「飲み会あってもちゃんと帰ってきてるでしょ! 暁がいないとこで朝帰りだったことはないし、それに飲み会終わったら暁の夜食食べたいし!」

「もう一食用意するって結構重労働なんだよ! 出来ればそれくらいは自分で作ってくれ! もう自分の好きなように幾らでも作れるだろ!」

「暁のご飯が私は食べたいの! 自分が作るのもそうだけど店のご飯で暁に勝てるものは殆どないし!」

「それならまたたまには作ってくれよ! 文字通りやれるとこまで手取り足取り教えるって言ってるでしょいつも! というかもうねぇよ教えることなんて!」

「はいはい、そこまでー」

 無理やり俺と京楓の間にみさきが物理的にも割って入る。顔がとてもみさきに近くて、その時に初めて京楓とほぼゼロ距離で言い争いをしていたことに気付いた。

「もー、仲がいいのはわかるけどさー。というか、完全に痴話喧嘩になってたよね今の? なんの話をしていたのかな私たちは?」

「――ごめんなさい」

 二人して謝るも、完全にクレアと琥珀にも白い目で見られている。見知らぬ公衆はいなくとも、公共の場でこうも痴話喧嘩をすりゃ当然の帰結だ。

「今の見てたらそりゃ私が出る幕もないって否が応でも思い知らされちゃうよー」

「ごめん……それどう反応していいの……」

「んー? しなくていいよー?」

 あ、これはマジな奴だ。これ以上は触れたらまずい。まぁ、笑って済ませてくれるように持って行ってくれたのはこちらとしてもありがたいけど。でもそんな不穏な終わらせ方をしないでくれ、頼むから。

 それにしても。やっぱり、お互いの元に帰ってくると信じてはいたけど、それでもお互いに嫉妬はしてたんだな。こうして見ると、俺自身も、ここまで嫉妬深いとは思わなかった。

「は、話を戻すぞ! それで、暁が縁に引っ張られないようにする方法だったな!?」

 未だに声が震えながらも、京楓が話題を元に戻す。これあれだ、久々にみさきに頭が上がらない時の京楓だ。

「それで、暁が夢にひっぱられなかったのはどういう時だったんだ!?」

「だ、だから、何か理由があるかどうかして、京楓に強く想われていた時だから……」

 どんなに京楓を想っていても、殆ど引きずり込まれていたのだけれど。でもそれは、あまりにも鬼との縁が強くなりすぎていたからだから、もうどうしようもない。

 ただ、この二週間は、確かにましだった。すなわち、京楓が鬼よりも強く、俺の事を想っていてくれたからということなのだろう。

 でも、これ以上は、俺と京楓がお互いを想い合うだけでは足りない。みさきに、クレアに、琥珀に、みんなに想ってもらわないと、どこかで夢に引きずり込まれてしまうようになるのかもしれない。いや、きっとそうなる。

「双六時の走馬灯も、全部縁に引っ張られてたからなのかな……」

 とか嘯いてみたら、不意に思い出してしまった。双六を上がってからのクレアとの初体験。みさきとの初体験。いや待ってこれもなのか? というかこのタイミングで思い起こさせるなみんなに白い目で見られる前に!

「そ、それで、縁に引っ張られるというのは――」

「――何か隠そうとしなかった?」

「イヤナンデモナイデスヨ?」

「そう……まぁいいけど」

「京ちゃーん、そこは触れてあげない方が多分京ちゃんにとっても幸せだよ?」

「――みさきも何か知ってるでしょ、知ってるというか、双六で上がった後の幻日の内容か何か」

「えっ!? いや何も知らないよ!? クレアさんも知らないよね!?」

「そこで私!? 何も言うことがないし暁がきっとラフでエマージェンシーな答えをアブソリュートしてくれる!」

「俺!? いやでも俺からは特に何も話してないからみさきもクレアも本当に何も知らないぞ! 二人が何を想像したかは知らない!」

 いや今日の京楓の鋭さはなんなんだ。そしてみさきもクレアも察するなよ。俺が針の筵すぎてあまりにも居心地が悪い。あくまで俺のことについて話してるはずなのに。

「つまり、アキラが節操なかったってこと?」

「ちっがーう!」

「違わないよね?」

「クレアは追い打ちかけるな! というか当事者!」

 いや双六やっていた時は他の周回時の記憶がなかったのにどうしろっていうんだよ。謝罪行脚的なこともちゃんとやったし。先日のと、そもそもその前に京楓と付き合って、受験乗り切ってから改めてと。

「ええい話を戻させろ。それで、何か理由があって、誰かに俺のことが強く想われてる時……だな。丁度直前にその相手と何かあったとか、そういう時」

「つまり?」

 つまりと言われても。みんなとだったら、その日その相手と何かしらあった時。それこそクレアを振った時の晩はどうしてか双六をクレアと上がった際のクレアとの初体験が走馬灯として流れて、それで夢精をしてしまっていたわけで。

 で、まぁ、同様にその内実を正直に話すとするならば。それこそお互いしかいないとなってた最近の情事。学院に忍び込んだ際のこれ以上ない切なさ。兎角お互いを想い合っていた時だけど、眠りも関わるとすると、していることは一つしかなくて。

「きっかけがあって、特に京楓と盛り上がった時かな……」

「ふーん……」

 やめてみさきもクレアも琥珀もそんな白い目で見ないでわかってるよ俺だってあけっぴろげにしたいわけじゃないから!

「まぁ、暁くんがそうなのは私も知ってる通りだしー? 二人共無意識にそれ出してるから言うことなんて何もないしー? はいクレアさんどーぞ」

「大学でもどれだけナチュラルにイチャつかれてたか二人共全然気付いてる様子ないしー? 行き帰りが二人と被るとデートに紛れ込まされた感じで居心地悪かったしー? はい琥珀ちゃんどーぞ」

「家でいつも色々漏れ聞こえてくるしー? この中では多分一番二人のイチャつきを見させられたしー? 現実で人間になってから一番見たの二人のイチャつきだしー?」

「いや何これ!? 三人共私と暁をどうしたいの!?」

「二人してどっかの木の下に埋めたい」

「地味に現実的な回答!」

「ちゃんと祀ってあげるからだいじょーぶっ」

「わかったから! 本題に! 戻させてくれ!」

 三人のジト目が辛い。そこまでバカップルやってたのか俺たちは。やってたんだろうな。隣では変わらず京楓がアワアワしていた。

「それでだけど、鬼に呼ばれなかった時の暁くんの眠りは、どんな感じだったの?」

「呼ばれなかった時……もう夢なんて見ないで朝までぐっすりか、もしくは何か夢を見たとしても、本当に普通の、とりとめもない普通の夢を見てるかどうかだな」

「ちなみにその時の京ちゃんは?」

「えっと……それこそ暁と一緒に……その……」

「はーい、いいよー、よーくわかりました」

 みさきが先程の笑顔を見せると同時、京楓が項垂れる。俺も項垂れたい。誰が好きでこんな話を他人に聞かせなきゃならんのだ。

「ってことは、暁くんが、京ちゃんと深い縁で結ばれていたから、鬼に呼ばれなかったってこと?」

 京楓と深い縁があるのは当たり前、と一蹴しかけて、はたと気付いた。確かに俺は鬼と縁を結ばれている。だけど俺にはそれよりも太くて強い数多もの縁が繋がっていた。ずっと育ててきた、みんなとの縁だ。

 みさきの一言が、解決策への決定的な手掛かりになりそうで。あと一つ。あと一つだけピースが揃えば。

 そうだ。クレアの話が合った時は、俺は『クレアに想われていた』んだ。だとするならば、もしかしたら。

「みさき、先月の例の件……俺と別れてからその日寝るまで、何を考えてた……?」

「――暁くんのことだったよ」

「……ありがと」

 みさきの告白を受けて、そして直後に双六の縁を吸収した時も。あの時は、それこそ縁を吸収して、鬼との縁が更に強く結ばれたのに、京楓と事を致して失神してから、夢は全く見なかった。あれは、俺が京楓を、京楓が俺を強く想っていてくれていたからだと思っていたけれど、それだけじゃなくて。

「じゃぁ……縁はみんなとも有効で、そしてそれが生かせるならば……」

 ――あぁ、そうか。縁の糸としては、あくまで双六の中で俺たちが結ばれているものだと思っていたけれど、この現実でも文字通り物理的にも結ばれていただなんて。

 縁の糸は、何も夢や賽の河原に於いて、俺と鬼の間にあるだけのものじゃない。この現実でなくとも、ずっとずっと、みんなと結ばれて、そしてそれで俺は生かされていたんだ。

「……全然意識出来てなかったな」

 つまり、俺が京楓を、みんなを想い、みんなが俺を想ってくれることで、縁の糸は強く太くなる。みんなとの縁は、夢や賽の河原では関係ないという義理は、確かにどこにもない。

 そして、これなら全て辻褄が合う。最初の霞が出てきてた夢やそこから鬼が入り込むようになった夢はわからないけれど、少なくとも京楓に霞のことを伝えて以降の夢の変遷は、全て。

 つまりは、鬼とみんなとの、俺を賭けた綱引きみたいなものだった。鬼の力が強まるまでは、綱を引くのは京楓だけでよかったのかもしれない。だけど、気付けば綱を引くのは京楓だけじゃ足りなくなって、やがてはみんなが引いてても鬼の力が勝るようになってしまう。そしていつかは俺が永沈してしまう。

 寧ろ、この二週間が例外だった。京楓がほぼ全てを投げ出して俺の事を想っていてくれたから。きっと、ずっと琥珀もそれを見て心配していてくれただろう。鬼の力がそれだけ強まっても、この時ばかりはギリギリで俺が永沈しないように押し留めてくれていたんだ。

 ずっと、俺はみんなとの縁に支えられてきて、そして生かされてきたんだ。だけど、それでは太刀打ちできない程に、鬼の縁が強かった。鬼は、一度俺と縁を結んでしまえば、ただ天縁が欲しいがために、唯一縁が結ばれてる俺をただ引きずり込もうとする。

 そして鬼は、双六に参加した他の生者との縁が絶たれている。だからよく言えば誰かを巻き込まないで済んで、悪く言えば全ての鬼の悪意が俺に集中して、そして――。

「そういえば先月の話で思い出したんだけど、英彩学院の生徒さんが、『占い研究会の部室からは夜な夜な喘ぎ声が聞こえる』っていう学院七不思議の話を話してたんだけど、何か知ってる?」

「ブーッ!?」

 ちょっと待てなんだそれ。そんな噂、俺が最初に七つ全部聞いた時にはまるでなかったぞ。

「そ、それはいつ頃聞いた話だ?」

「うーんとね、確か今月入ってから出来た噂じゃなかったかな。それまであった噂の一つが消えて、それと入れ替わるようにだって。丁度その頃じゃないかなーって思って」

「あ、あはは……」

 あーうん、完全にクロですわ。今月入ってからってことは、俺たちの声が聞かれてて、その一週間以内には噂になっていたってことだ。

「みさき、それボク聞いてない」

「あーうん。琥珀ちゃんは非番の時だったかなぁ。クレアさんも丁度いなかったタイミングだったし。だったら別の機会に話すよ」

「わかった。楽しみにしてる」

「しなくていいぞ!?」

 でもこれは、その内琥珀にも話が行ってしまう奴だ。そして聞かされてから暫くは、琥珀からずっとジト目で見られ続けることになるのだろう。

 だけど、それは、ちゃんと俺が生還出来てからの話だ。それが出来なければ、悲しみを湛えた視線を向けられることしかなくなるのだから。

「そういえば琥珀ちゃん、琥珀ちゃんが暁と『夜遊び』して帰ってきた後の話し合いで、私が暁を信じてあげてって言ってたと思うんだけど、それって、これのことだったの?」

「あの時はそこまでの意味はなかったかな。あの時に話したけど、実際キョウカが出来ることって何もなかったんだ。だから、それこそアキラが信心深いように、キョウカも祈ってあげてってことだったんだ、あの時は。勿論アキラの心が弱ってしまわないようにというのが先にあったけどね。恐ろしいものに対峙するかもしれないのに、アキラの心が弱った状態ではいけなかったから」

 確かに、あの時以来、京楓と口論なり喧嘩なりをした覚えがない。俺がそれどころじゃなかったというのはあったけど、でもそれ以上に京楓は琥珀が言ったことを忠実に守っていてくれた。

「でも、鬼がアキラと縁を結んだことで、キョウカがアキラを信じることそのものが大きい意味を持つようになった。だから、結果論ではあるんだけど、キョウカは確かに、アキラを救ってこれたと思うよ。きっと、キョウカがアキラをずっと想っていてくれてなかったら、もっと早くアキラの精神が瓦解してしまっていただろうから。本当にありがとう、キョウカ」

 ペコリと、京楓に頭を下げた琥珀に、京楓は少しばかりポカンとした表情を浮かべていた。あれは、そんな当然のことをどうして、という顔だ。俺としては、それが当然だと思ってくれていることが何よりも嬉しかった。

「そして、今アキラを想わなきゃいけないのは、キョウカだけじゃなくなってしまった。鬼が強くアキラを想うからアキラは鬼に引っ張られる。キョウカがアキラを想っていてくれるから、アキラは踏み止まれている。だけど、もうキョウカだけじゃ耐えられなくなってしまった。だったら、ボクたちも強くアキラを想わなくちゃいけない――そういうことだよね、アキラ?」

 そうだ。それが俺が至った結論。鬼が俺を縁の糸で引っ張るとするならば。みんなが俺を想ってくれることで、俺は永沈せずに済む。そして、俺が夢へ、賽の河原へと降り立って初めて、鬼と対峙し、そして鬼を下すことが出来る。そのためには、みんなが想ってくれることが唯一にして最大の防御であり、攻撃となるんだ。

「――あぁ。どうやらみんなが想ってくれて初めて、俺はどうにか生き延びることが出来るらしい」

「そうだよね。だからボクは、アキラを強く想うよ。だってアキラが好きだから。アキラと過ごす日常が大好きだから。ずっとアキラとキョウカが幸せそうに笑っている姿を見ていたいから。鬼なんかに、アキラを取られなんてしない」

「――私ね、正直なこと言うと、双六から上がって、鬼のことを忘れていて、忘れたままの方がいいとずっと思っていた。そしてそれは、暁が苦しんで尚もそうだったんだ。きっと、でも、私が暁を想うことで全てが解決するのならば。私は、暁を信じる。強く想う。これまで伝えようとしてこなかったことも、わざわざ伝えるでもないと思っていたことも、愛憎入り交えて、全て」

 それは、期せずして俺と鬼とを邂逅させてしまった琥珀の、そしてどこかで自分には関係ないと思っていたというクレアの懺悔だったのかもしれない。勿論、責めようなんて思わないし、寧ろこれまでの協力に感謝をしたいぐらいだ。でも、それは、今言う事ではない。全てが終わってから、改めて。

「――こんなこと言うと引かれちゃうかもしれないんだけどね」

 そして、それを瞑目して聞いていたみさきが、徐に口を開く。

「私、暁くんへの想いが、京ちゃんに負けちゃうと言われるのは仕方ないかなって思ってたんだ。ともすれば琥珀ちゃんやクレアさんに負けちゃうのも、それはそれで仕方ないかなって。だけど、鬼とかいう、そんな得体のしれないものに負けることだけは認めたくない! そんな、鬼なんかに、暁くんを取られたくなんてない!」

 開けたみさきの目は、力強かった。今日俺と京楓に会いに来てからずっと持っていた、決意を込めた瞳だ。

「だから、私も暁くんのことを強く想うことにするよ! これまでもそうだったけど、それ以上に、もっと! そうすれば、暁くんは無事でいられるんでしょ?」

 今なら思い返すことが出来る。憎しみであっても、強く相手を想えば、それは縁だと。あの時、鬼は確かにそう言ったんだ。

 だから、俺は、この縁を愛憎入り混じっていてでも兎角太くする。俺に繋がる全ての縁を。その強さは、きっと鬼を討つためには唯一にして最大の武器となるんだ。

「ところで、暁は鬼との縁をどうしたいの? やっぱり絶ちたいんだよね?」

「……断ちたくても、断てないさ。どの道、縁が直接的に結ばれる前から、走馬灯のように鬼にも関連する夢は見させられていた。だから、断ったからといって鬼からの影響を受けなくなるわけじゃないと思う」

「あ、そっか……」

 少なくとも、もう、鬼との縁が切れるとは思っていない。きっと、再び忘れたところで、いつかまた今と同じ状況になってしまうはずだ。

「でも、それじゃぁ、どうするつもりなの……?」

「考えは、ある。まぁ、それ以外に方法なんてないんだけどな」

 だから、予めその考えをみんなに伝える。きっと、こうするしか方法がない。分の悪い賭けにしかならないけど、勝ち筋はこれ以外ないんだ。

「失敗したら俺は永沈真っ逆さまだ。だから、出来れば、いざという時のために、『俺を殺す』準備もしていてくれ」

 京楓に一度は伝えたことを、みんなにも。あぁ、やっぱり、こうやって伝えることがあまりにも心苦しい。ほら、やっぱりみんな苦しそうな顔をしている――。

「――でも、それがみんなの、暁くんのためになるんだよね。だったら、やるよ。それが、暁くんが好きな世界を守るためだとするのならば」

「こんな辛いことを頼んで、ごめんな」

「暁くんのこれまでの苦しみに比べたら、全然だよ。それに、暁くんのいない世界は、価値が殆どないからね」

 みさきにそこまでのことを言わせるのが、少しだけ誇らしくて、そして悲しかった。そっか、羽化不全は俺と京楓だけじゃない、みさきもだったんだなって、今更ながらに知った。

 とにかく、このまま終わらせるわけにはいかない。未だに余命宣告は受けたままだ。俺の首に絡まるロープが、ゆっくり締まるか、一気に締められるかの違いでしかないのかもしれない。

 でも、不思議と絶望感はなかった。きっと、やっと一方的にしてやられるだけじゃなくなるからなのだろう。

 こんな鬼以外誰も悪くない理不尽に苛まれて、だけどその鬼に引導を渡してしまう前に、やり返すことが出来るのならば。

「……アキラ、やっと元気になった」

「みんなのお陰だよ。本当にありがとう」

 ずっとみんなとの縁によって生かされてきた。そのことに本当はもっと早く気付くべきだったんだろうけど。でも、なんとか間に合った。

 四年前の再来だ。あの時は忘れることで鬼を討てたけど、鬼が妄執に囚われながら襲ってくるのだとするならば、また討ち返せばいいだけだ。

 俺は、一つのことだけを考えていればいい。みんなを泣かせないようにと。

「それじゃ、遅くなっちゃったけど、みんなでお参りしようか。暁くん、ここの御利益は?」

「心願成就と女人守護だな。……もしかしてみさき、それをわかっててここにしたな?」

「あ、ばれちゃったか。まぁ、春日神社よりこっちの方が人がいないかなってのもあったけどね」

 確かに、宮司は春日神社にいらっしゃるし、言ってはなんだが、いつものここは忘れ去られたかのようにひっそりとしているから、わざわざこっちを訪ねに来る人は中々いない。誰か来るとしたら、たまたまあってふらっと立ち寄ったか、もしくは今の俺たちみたいに『わかってて』御利益を求めてかだろう。

 さて、何を願掛けすべきか。ここの御利益は、何か一つ、必ず達成できるようにという、そんな俺が真の意味で望むもの。そしてあの鬼が、一番望みそうな御利益でもある。

 とはいえ、本音を言えば、叶えたいことはいっぱいある。それは、自分一人で出来ることもあるけれど、基本的には誰かと叶えるものだ。

 だけど一つ、たった一つ、これだけはという願いならある。それは俺一人ではどうしようもなくて、そして俺だけに留まらない願いだ。

 だから、俺が望む御利益は――。

「――みんな、参拝はこれでいい?」

 五人で同時に手を合わせていたはずなのに、気付けば最後まで手を合わせていたのは俺と京楓だけだった。お互いを見たのもほぼ同時で、それとなくおかしくなってしまう。

「さーて、京ちゃんは暁くんのとこへ行ってらっしゃーい!」

「えっ!? うわっとと!?」

 みさきにドンと背中を押された京楓が、止まれずに俺の胸に飛び込んでくる。それを俺は、包み込むようにして迎え入れた。勢いはついていたけど、なんとかこけずに京楓を抱き締める。

 あぁ、じわじわと、もしかしたらという想像が浮かび上がってくる。だって、編み出した答えは、それがうまく行くとするならば。

「京楓。俺、もっと京楓と一緒にいられるかもしれない」

「――っ!」

「そしたらさ。やりたいと思ってたこと、全部しようよ。幾らでも付き合うよ。何より、俺がしたいから」

「うん……うん!」

 ぎゅっと、背中に回された京楓の腕が強く締まる。誰にも渡さない、どこにも行かせないというような、そんな意思を持った抱き締め方だった。

 でも、放してしまえばそのまま離れてしまうような、そんな絶望に満ちた抱き締め方じゃない。まだ、次があると信じて疑わない、そういう抱き締め方だ。

 とにかく、土壇場で光明が見えた。チャネリングだとかで誰かに頼らずとも、鬼と直接対峙出来る。

 一種のチャネリングかもしれない。だけど、それは無理やりこじ開けるものではなく、俺を自然と導いてくれるもの。

 ふっと、気が楽になった。そうか、賽の河原でも、俺はみんなとちゃんと結ばれていたんだ。そして、鬼を封じ込めるためには、やはり皆の協力が必要だ。

「さて、暁くん。決行はいつかな?」

「そんなの、すぐにでもやるさ」

 だけど、そうすると、確認をしておかなければいけないことはある。それらが揃って、初めて望むべく効果が得られるはずだからこそ。

「黎は明日もこっちにいるのか?」

「いるって。そもそも年明けして少しするまではこっちだってさ」

「みんなの予定は……」

「そもそもがみんなで集まる予定だったんだよねー。暁くんと京ちゃんだけ連絡つかなくて、でも琥珀ちゃんからしても刺激出来ないって話だったから、お二人除いて集まるつもりだったんだ」

 だったら、大丈夫だろう。あとのみんなはみんな近所だから気にする必要がない。みんなが、一ヶ所に集まって、そして同じことをしてもらう。俺のために。鬼を倒すために。

「なら……みんな、明日、時間もらえるか?」

 それを尋ねると、全員が揃って首を縦に振ってくれた。これが、決行の合図だ。協力を得られるという事実こそが、鬼に対抗する唯一にして最大の武器だ。

「場所は……どうしよう」

「あかり使う? 年末休業と言ったって、別に中で特別掃除とかしてるわけじゃないから、スペースあるよ。そもそもみんなであかり集合の予定だったしね」

「ありがとう、みんな揃うなら広さもあるし、丁度いいな。助かる」

 最終的に、これは俺の問題だ。俺を自分色に染めようとする鬼との決戦だ。だけど、強力な助けだって必要だった。

 助力はとてもありがたいしなければ打ち勝てない。だけど、最終的には俺が手を下すしかない。

 危険な賭けになるだろう。とはいえ負ければ永沈することには変わらなくて、どの道何も出来なければ、半月後には同じようになるのなら、少し早いか遅いかだけだ。負けてしまうにしても、せめて死に方は選べる。

 そして、明日は大晦日だ。だからこそ、『儀式』をするにはふさわしい。

「暁……大丈夫だよね……?」

「そうだな。泣いても笑っても、明日で決着をつけることになる」

 だから、本当に、明日までに全てが終わる。それを以て俺の人生ごと終わってしまうかどうかは、全て結果如何だ。

「仮に失敗してしまうのだとしても。死に方が選べるなら、せめて最善の選択肢を選べる賭けをした上で死ぬさ」

 では、何故今頃になって鬼が俺を引きずり込もうとするのだ? それは、恐らくは全て鬼が答えてくれる。

「でも、絶対に鬼は倒してみせるよ」

 ならば、それを以て決着を付けよう。

「だって俺は、ラッキーな存在なんだからな」

 俺なりに、追儺の儀式を執り行うために。

 

 

 

 

 

 私じゃなきゃ駄目なんだ。これは、私以外の誰にも出来ないことだ。だって、私は――だったから。

 あの話を、予め聞いておいてよかった、と思う。これなら、きっと私も出来る。

 だから、今度こそ。今度こそ、私も――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。