※この作品はR-18です。

過ぎ去りし日々に   作:Planador

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水面に月は渡りて

 今日の夢は、いつもと少しだけ違っていた。双六の時の夢だけど、双六で経験した出来事をもう少し悪化させたような夢だった。

 黎が毒沼を設置して。そして俺と琥珀が足を踏み入れて。そこまでは経験した通りだ。

 だけど、その後は、サイコロで抜け出せる目はなくて、そしてそうしている内に毒沼の底が抜けて永沈していく心地を覚えていた。

「はぁっ……はぁ……ふーっ……」

 だから、夜中目が覚めると寧ろ安心してしまう自分がいた。これはもう、双六とか抜きにして、単純な悪夢だ。

 多分、別途実際に永沈した時と、琥珀と毒沼に引っ掛かった時のことが組み合わさったのだろう。だとしても、そんな悪魔的融合をしなくてもいいのに。

 仕方ないので、ぐーすか寝ている京楓を置いて台所へ向かう。今日は別々に寝ていたから、起こすこともなかった。静かに部屋の扉を閉めれば、起こしてしまうこともないだろう。

 汗をかいてれば、お手洗いに行かずとも水分は減る。段々と秋めいてきたとはいえ、残暑が厳しければまだまだ汗をかく機会も多い。

 ふと、背後に気配を感じた。大体一ヶ月前と同じような感覚だ。勿論、思い当たる相手は一人しかいない。

「今日も、眠れてないんだ」

 そして、予想通りの人物が声をかけてくる。

「琥珀も今日は眠れてないのか?」

「んーとね、今日はなんだか目が覚めちゃったから」

 要するになんとなく、ということらしい。まぁその辺りはどうにも猫の感覚が今も抜けきらないようだから、恐らく琥珀もだいぶ苦労しているところではあるだろう。

「キョウカは……寝てるよね」

「だろうな。ちらっと見たけど起きる気配はなさそうだった」

「ふぅん……だったら丁度いいかなぁ……」

「丁度いいって……何が?」

 何だろう、琥珀に何かされるような覚えはないのだが。いや、無意識にしていたのかもわからない。

 そういえば、一ヶ月前は俺と京楓の声が時折聞こえているという話もあったし――ま、まさか襲われる!?

「変なこと考えてるかもだけど、変なことじゃないよ。それとも、変なことの方がいい?」

「い、いや、普通で頼む。ジト目で見る前に誘導尋問しないでくれ」

 いや、ほんと琥珀にジト目で見られるのは、何もしてなくとも、ほんといけないことか何かをしてるような錯覚に陥るんだ。正直何もないなら勘弁してほしい。

「まぁ今のはボクがそうしたとこがあるからいいとして……時間はあるよね? キョウカを抜きにして、アキラと二人でゆっくり話したかったんだ、ずっと」

 京楓を抜いて俺とだけ、というのが引っ掛かる。恐らく、前々から琥珀が何か思うところがあったということなのだろうけど、改まって何かあっただろうか。家族なのだから、いつでもそうしてくれていいのにと思うのだけれど。

「それで、アキラは急ぎのことはないでしょ? 明日はボクもあかりでのシフトは入ってないし」

 そんな俺の気も知らないで、琥珀は俺にとっての禁じられた遊びを提案した。

「夜のお散歩、行こうよ。ボクと二人でさ」

 

 

 

 気付けば、外をほっつき歩くような夜遊びなんて、長らくした覚えがない。みんなで旅行に行くとかして、その際に旅館の近くをぶらぶらするというのはあったけど、それとも趣が違う。寄り道もせず、三条通りをひたすらに西進している。

 教授がゼミで行うフィールドワークは、一日で総延長20km歩くこともざらだから、そういう意味では体力は大学生活でかなり付いたと思う。京楓に体力が追い付いた実感があるし、京楓と諸々何かしていても、俺だけ先にダウンすることはほぼなくなった。今は大概同時だ。

 だから、琥珀とずっと一時間ぐらい休まずずっと歩いているけど、全体的に軽い上り坂でありながら、全然苦ではない。ペース的にものんびりだし、これくらいで足が痛くなることもない。暑さもだいぶ落ち着いたから、水分を欲することもないし、確かにうだうだ寝れずにいるよりかは、こうやって散歩する方が丁度いいだろう。

 そして、車折神社の辺りまで来て初めて、ここまで聞かずにいた、だけどもう理解できている行先を尋ねる。

「これって、嵐山に向けて歩いてるんだよな?」

「そうだね」

 短く答える琥珀の声は平坦で、それがどこか感情を押し殺しているように聞こえた。

 丑三つ時だから、車も殆ど通ってなくて、そして近くの踏切の音も、勿論その脇を往く嵐電の走行音も聞こえない。聞こえるのは、街灯によって今が昼と勘違いした一匹のセミの声ぐらいだ。

 それにしても、こうも静かで、そして他に誰もいないとなると。

「双六の時みたいだね」

 本当にそうだ。人はおろか、他に動物もいなかったから、聞こえるのは川の音や風の音といった無機物による音だけだった。

 よくよく考えれば、そういった環境音を除けば、何か喋っていなければ何も音がない世界だった。当たり前になっていた世界が、今となってはげに恐ろしい。

 よく気が狂わなかったと思う。今でさえ、一匹のセミと俺たちの歩行音以外は殆ど音がないけれど、それでも何かしらの雑音に包まれている感覚があるから。明かりを灯す自動販売機の駆動音はその筆頭だろう。

 と、その時、後ろから車が一台やってきた。殆ど音がしない環境では、どれくらいの速度でこっちに向かってきているのかがよくわかる。

「っと、危ない」

 軽く琥珀を抱きかかえるようにして、歩道側へと体を寄せる。車は、反対車線側へと少し距離を取ってつつがなく走り去っていった。

 この付近の三条通りは、通行量が多い割に歩道が狭いから昼間は歩きづらい。渋滞していれば、却って歩行者は我が物顔で歩き回るけど、道が空いていれば、少しうねった道を車が危なげなく飛ばしていく。

「アキラ、ちょっと苦しい」

「おっと、悪い」

 気付けば、琥珀をずっと抱きかかえているような格好になってしまっていた。見る人が見れば勘違いをするかもしれない状況だ。

「キョウカ以外にも、同じようにするのかな」

「いや危ないって思ったらそんなこと言ってられないだろ」

「ふーん……」

 すごくジト目をされた。雰囲気より安全が優先されるべきなのに、解せない。

 何かやっちゃったかな、と思い返してみる。別に変なところは触ってないはずだ。そして他の人なら大丈夫な場所でも琥珀は駄目、という場所があった覚えもない。

「別に、イヤなわけじゃないよ」

 ぽつり、と琥珀がそう漏らす。表情一つ変えずに、こちらだけを向いて、それでいて何か返事を待っている顔だ。

 それにどう返そうか悩む。そうだろうと言えば自惚れっぽいし、意外と言ったところで家族としてどうなんだという話にもなる。

「――アキラは、そういう人だもんね」

「それはどういう意味だ?」

「全く貶してないから大丈夫」

 大丈夫って。それが結論なのかもしれないけど。じゃぁどう大丈夫なのかわからないと、どうにも気持ち悪い。

 だから、結局俺は無言を貫いた。恐らくどう答えても、琥珀が望む回答にはならない。

 そんなことで思い悩んでいると、琥珀の足が三条通りから逸れようとしていた。嵯峨嵐山の駅に行くにもずれているし、竹林へ行くには曲がるのが早すぎる。

「ちょっと寄ってみたいところがあるんだけど、いい?」

 それは、琥珀にしては珍しい要望だった。琥珀が自分からそういう欲を出すことはなんだかんだ珍しい。

「別に俺は急ぐとかは全くないから問題ないけど、琥珀は大丈夫なのか?」

「うん。時間的にはまだ余裕があるから」

 何か時間に追われるようなことってあったっけ。その疑問を問う前に、琥珀が先に口を開く。

「よくお客さんが話題に出してるから、ボクも気になってたところなんだ」

 

 

 

「成程な、確かにこれは『映え』には丁度いいな」

 それは、何本も縦に伸びる光の棒だった。極彩色に彩られた光は、何本も空へと伸びていて、だけどそれは、死者がいた証としての卒塔婆のようにも映る。

 キモノフォレスト。嵐電の嵐山駅構内に広がる友禅をアクリルで巻いた筒は、中に仕込まれたLEDライトで幻想的に光っていた。あまり暗くなってから嵐山付近の嵐電を使う機会がなかったから、ちゃんと見たのは確かに初めてかもしれない。

「成程、これはインスタ映えするな」

「インスタ映え?」

「あれ、珍しいな。琥珀ならお客さんの会話で知ってそうなもんだけど」

「あぁ、ボクの事をインスタ映えする店員さんだっていうのは聞いたことあるけど……でもよくわかんなかったから」

 その辺りは、SNSを特段やっているわけではない琥珀らしい。まぁ、俺たちもSNSは積極的にやってるわけではないけど、一切その辺りの接点がないのは、俺たちの間では琥珀だけじゃないだろうか。

「でも、確かに着物をまとった光が、列をなして並んでいるのは綺麗だね。人気が出るのはよくわかるな」

 それにしても、この時間でも光っているとは思っていなかった。流石に電車も一切動いていない丑三つ時に光っていても、来るような人なんて中々いないだろうに。

 これと同じものが、ここから少し北西にあれば、それは成仏する魂の往く道にも見えたのだろうか。丁度そこには『そういうもの』がある。

 明治期に合併で清涼寺の塔頭とされた嵯峨薬師寺――またの名を福生寺は、『生の六道』と称された、冥界からの出口の井戸があった。だけどこれは既に埋め戻されていて、拝むことは叶わない。

 それがここにあったとするならば。というより、それを意識して設置したものならば――というのは俺の考えすぎなのは間違いないのだけど。

 そして、奥へと続く道は、どこか冥界に続く道のようにも見える。現代に現れた伏見稲荷の千本鳥居と意を一にするもの――いや、これも考えすぎか。

 そんな考え込む俺を一人置いて、気付けば琥珀は奥へと向かっていた。慌てて向かうと、じっと琥珀が水場を見つめている。無風だったから、水面には波一つ立っていない。

「ボクは、この池が好きだな」

 それはキモノフォレストの最奥部にある、何か龍のモニュメントが置かれた水場だった。

「正直モニュメント自体のデザインは少しごてごてしてるけど……これをぼんやりと小さい明かりで照らし出してほしいなって思った。極論月明かりだけあればいいのかなって。ここの風景自体はいいんだけどね」

 それは、とても日本人らしいわびさびの心得で。その月は、今は真上から少し下りかけた空に座して、俺たちをじっと見つめている。それを囲むようにして、池の周囲の筒の光が池に写し出されている。

 だけど、それはそれでとても味のある風景だった。月と、筒が水鏡に反射して、ぼんやりと琥珀が水面に照らし出されている。だからつい、携帯のカメラを起動して、池と、筒と、琥珀とを一つのフレームに収めようとしてしまう。

「うまく撮れる?」

 そんなわけはない。筒は真っ白になるほど光って、それ以外は真っ暗で、夜景を撮り慣れてないからそもそもブレブレだ。

 最近は、教授の調査の一環でそこそこに質のいいデジカメをいじる機会がある、というより貸してもらっていたから、それを持ってくればよかった。この携帯はそこまで画質に拘っているものじゃないから、夜景っぽいものは全くもってきれいには写せない。

「――また、来ればいいんじゃないかな」

 そして、そんな写真を覗き込んで確認した琥珀の感想がそれだった。要約すると下手ということだ。

「ごめんね、長居しすぎたかな。時間もあるし、そろそろ行こうか」

 そして、やり直すチャンスも与えてはくれないのであった。

 

 

 

 竹林とは反対の方向へと歩いていくと、段々と、水の音が聞こえてきた。丁度、渓谷から京都盆地へと地形が移り変わる場所だから、文字通り堰を切ったかのように桂川が広がりを見せていく。

 そして、夜の闇に浮かび上がる渡月橋は、実際にその渓谷と平野との境目に位置していた。

「――久しぶりだね」

 確かにそうだ。場所自体は見慣れたところだけど、琥珀と二人でこの場所にいるというのは、実に久しぶりだ。

 嵐山自体が京都の中でも指折りの観光地であるからこそ、却って地元民としては機会がなければ来ることがない。紅葉シーズンなどはそれこそ観光客に紛れて、というのはあるけど、混雑する日中を避けて人が少なくなってくる夕方頃に、というのが定石だ。

 それでも、こんな丑三つ時に嵐山にいる経験なんてものはない。双六盤面を抜きにすれば、勿論初めての経験だ。

「実を言うとね、アキラより先に、ユカリと一緒に来たんだ」

「鹿乃と?」

「うん。それで、色々話したんだ。アキラのこと。みんなのこと。双六のこと。この世界のこと」

 それは、琥珀がこの四年で知った全ての事。そして、恐らく鹿乃も琥珀によって自分一人じゃ埋めきれない隙間を埋めてもらっていたのだろう。

「でも、来たのは平日のお昼だったから、そんなに落ち着いては話せなかったかな。暑かったからあまり外にも出られてなかったし」

「竹林には行かなかったのか?」

「行った上でかな。竹林以外に行けてない、が正しいね。渡月橋より南は日陰もなかったからパスしてたんだ」

 確かに竹林の方へと逃げ込まなければ、存外に日陰を探すのは難しい。特に嵐電嵐山駅より南側は、太陽高度が高ければ、どこも日陰という日陰は消滅して、どこかお店の中に入る以外の方法がなくなってしまう。確かに竹林にだけ行ったというのは、正しい選択だったろう。

「話してからのユカリは、何かを決心したような顔になってたよ。過去の自分を見つめ直しに行くって。顛末は、アキラも知ってる通りじゃないかな」

 あぁ、やはり琥珀と話しててあいつは思い立ったんだ。先日の学園へ行くと決めたのも、行く前に俺に相談をしたのも。全て、琥珀に話した上で、あいつが勇気を出した結果だったんだ。

「――ありがとな」

「ボクは何もしてないよ。全部ユカリが決めたことだから」

「まぁそれでも。背中を押してあげることは誰にだって出来ることじゃない。あいつも、琥珀だからこそというのはあったと思うぞ。現にそれで俺も助けられた格好だし」

「だったらよかった。アキラも救えてたなら、ボクの本望かな」

「――そっか」

 感情に素直であるが故に、琥珀が口にする願いはどれも本当だ。そんな琥珀が本望と言うのだから、それを真に願っていてくれていたに違いない。

「この時間の渡月橋、『あれ』以来だね」

「そうだな」

 琥珀と二人きりの嵐山。そのこと自体が久々ではあったけど、もう一つの久々の要因が時間だった。丑三つ時の渡月橋はそれこそ双六以来だ。余程のことがなければ真夜中に嵐山に来る観光客はいない。

「やっぱり、この時間に来るのはアキラとって決めてたから」

 それは暗に、俺と二人でこの景色を見たかったということを言外に示していた。やっぱり、そういうことなのだろうか。この時間にここにやってくるということは、俺に言いたいことがあるのだろう。

 この付近で桂川にかかる橋は案外少ない。下流側の次の橋は松尾大社駅付近だし、上流に至っては急峻な保津峡に入り込むから、川の南岸に一切の人が行ける道がなくて橋がない。

 そんな渡月橋の、北詰の信号を東西に横断する。西に落ちかけている月も、同じように橋の上部を通り越していく。

 鎌倉時代、亀山上皇が『くまなき月の渡るに似る』と感想を口にしたことが由来の名前の橋。だから俺たちは今、八百年前の景色を見ていた。

 とはいえ、1606年に現在の位置に架け替えられるまで、橋自体はここより幾分上流にあったらしい。だから正確には違うのかもしれないけど、だけど似たようなものだ。違うのは、桂川の中之島――嵐山公園に対しては橋がなかったということぐらい。

 そして、嵐山公園へと向いていた足が、どちらからともなく橋の真ん中で止まった。それはもう阿吽の呼吸みたいなもので、だからこそあとはその時を待つだけだった。

 あぁ、琥珀からすれば、確かに京楓はいない今だからこそなのだろう。俺と、こうやって二人きり、『そういう状況』も含めて、これを言う機会を窺っていたのだろう。

 そして、月を追うようにして、太陽が顔を覗かせる。誰かにとっての希望と、誰かにとっての絶望を運ぶ日の出だ。

 寄り掛かっていた欄干から、琥珀が浮かび上がるような錯覚を覚えた。心なしか、視界が滲むような心地がして、慌てて視界から琥珀を逃さないようにと必死に目線を追い続ける。

 あぁ、あの時と同じだ。朝日が昇れば。

「アキラ――ボクの名前を呼んで」

 全てが終わってしまう。

「お前は――」

 だから、琥珀、と言えなかった。呼んでしまえば、また一時の別れがそこには待ち構えていそうで。

「呼んでくれないの?」

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、琥珀が尋ねてくる。あぁ、さっきから琥珀の前じゃ黙ってばっかだ。

「大丈夫だよ。何も起こらないから」

 それはどこか確信めいた物言いだった。きっと、俺が考えていることなんてお見通しなのだろう。そして俺が懸念していることまで。

 それでも、本当に何も起こらないのなら。それなら。

「琥珀」

「うん――」

 そして、一拍だけ置いてから。

「ただいま」

 そう、涙を流しながら、万感を込めた表情で口にするのだった。

「やっと、言えたな。これをここで言うために、四年間」

 そっか。――そっか。

「うん……」

 ――待たせちゃっていたかな。

 ――そうかもしれない。でも、ボクはずっとアキラと一緒にいれたから。

 ――でも四年だろ? 琥珀にとってはずっと待ってたんじゃないのか?

 ――猫の四年なら長かったかもしれない。だけど、ボクはもう人間だから。長くなんてなかったよ。

 視線で、その会話を終えると、急に疲れが出た。座らず休まず、ずっと歩くか立っているかしていたからこそ、急に足腰がずっしりと重くなった心地を覚える。琥珀に言うべき言葉を口にして、気が軽くなったというのもあるだろう。

「公園で腰掛けよっか。ボクも少し足休ませたいし」

 太陽と月の間を割って、南岸へと橋を渡る。早朝の嵐山公園は、誰もいるわけがなかった。

 折角だから、一緒に座って、そして足を地面にくっつけないようにしてぶらぶらと。そして琥珀も、それを汲み取ってくれる。

「今ね、アキラが視線でボクの言いたい事理解してくれて嬉しかったな」

 視線で会話できるようになったのは、家族だからなのだろうか。それとも、琥珀が視線を読み取る能力に長けているからなのだろうか。

 どことなく、琥珀には常にペースを握られている心地を常に覚える。だけどそれは、あくまでこっちの真意を把握した上で、それに沿うようにやってくれているから、決して不快な気持ちになることがない。

「だけど、ちょっと緊張していたようにも見えたね」

 あぁ、それは琥珀の雰囲気もあって、そこから続くのが、どうにも。

「いやぁ、てっきり告白でもされると思ったから――」

「それもあるよ?」

 不意に、ぴたりと、隣の琥珀との隙間がなくなった。それとなく寄っかかってきていて、すり寄るような甘る動作は正に猫だ。

「男の人としても、アキラが好きだよ?」

 そして俺の左肩に、ずしりと重しが載っかった。すぐにでも喉からゴロゴロと音が聞こえてきそうだ。

 正直、驚きはなかった。京楓と同様、家族として過ごしてきて、そしてただの自惚れじゃなければ、何かしらの好意はあるだろうという察しはあったから。

 琥珀がずっとそれを抱えていたとするならば、俺と京楓の関係性に遠慮してしまっていたからだ。それに見ないふりをしていたというのは、正直ある。

 クレアの時と同じだ。ずっと我慢させてきてしまっていたというのなら単純に申し訳ない。だけど俺は京楓と添い遂げると決めていて、それを知っても尚気持ちを伝えてきてくれている。

 そうだって言うなら、それに、俺は応えないわけにはいかない。

「――琥珀」

 誰かにとっての希望を運んできた太陽が段々と高くなり、変わって先程まであった月はもう嵐山の山裾に消えていた。空は太陽の独壇場が始まり、山裾からはそれを引き出す雲が湧いている。

 あの太陽は、今の琥珀にはどちらのように映っているのだろう。想いをやっと伝えられた希望の象徴なのか、それとも返事を理解している絶望なのか。

 琥珀は俺が返すだろう言葉をわかっている。わかってしまっている。それが故に、俺から返せることは何もない。

「俺は――」

「何も言わなくていいよ」

 だけど、その言葉は、当の琥珀によって止められてしまった。

「アキラの口から聞いちゃうと、それ自体を本気にしてしまいそうだから」

 ――それは、正直卑怯だと思う。やっぱり俺は琥珀に心を読まれてしまっているのだろう。ともすれば京楓以上に。

「ボクは、アキラが好きだけど、それ以上に人間としてこうして様々な感情を持てることがまずすごいってなるんだ。そして、それを夙に教えてくれたのは、アキラだった。みんなも好きだけど、名前をくれたアキラが好き。いつも近くにいてくれるアキラが好き。いつも誰かの事を誰かに寄り添って考えてくれるアキラが好き」

 その告白は芯がしっかり通っていて、だけどどこかか細いもので。俺がちゃんと聞いていなければ、全てが桂川の流れに流されてしまうようなもので。

 実際、水に流したかったのだろう。きっと、琥珀も二度は言わないだろう、精一杯の努力をしていた。

「だからね」

 ――ボクは、アキラをずっと好きで居続けるよ。

 そして、そう、視線で語られてしまっては、俺は何も言い返せない。

 ――大丈夫、大丈夫だから。

 そうじゃないだろう。俺がじゃなくて、琥珀が。

 ――ボクだけを見てくれないことが、少しだけ寂しいけどね。

 ほら、やっぱりそうじゃないか。

「でも、幸せなのは本当」

 そして、それだけを口に出すのも、本当に卑怯だと思う。

「――付き合ってくれてありがとう。ボクの話はこれでおしまい」

 不意に、温もりが離れる。本当に、それ以上は語る言葉を持ち合わせていないようだった。

「ボクは、アキラが、みんなが恙なく過ごせればそれで満足だから」

 それ自体に、偽りはないのはわかった。裏表がないからこそ、こうとしか答えられないことに心苦しさを感じる。

「だからね」

 そんな気持ちを恐らく無視して、少しだけ俺たちの間に出来ていた隙間が、再びぴたりと閉じられる。

「家族としてなら、ずっとこうしていられるから」

 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。家族の形は幾らでもあると身を以て知っているから、琥珀の言葉を肯定も否定も出来ないけれど、でも俺から何かを口にするのは憚られた。

 だけど、今これが心地いいのは確かで、俺も琥珀もそれが永続的に続くことを願っている。それだけは確かだった。

「大丈夫だよ」

 その大丈夫だけは、琥珀の確固たる意志の元にあるのだろうと、そう思った。俺は、それが維持できるように努めるだけだ。

 琥珀の温もりが左腕から離れる。急にこうやって動くのは、猫の気まぐれと変わらなくて、それはもう体に染みついたものなのだろう。

「帰ろうか」

 とうに、嵐電も始発は動き出している。その内、京楓が起きだして俺が作る朝食をせびることだろう。そうなる前に。

「ボクが今帰るべき場所は、あの家だからね」

 

 

 

 流石に早朝ともなれば観光客はまだ誰もいなくて、単行の車内は俺たち以外には数人しか乗っていない。キモノフォレストはLEDの電灯を落として、また次の夜に向けて静かに佇んでいる。

 重い唸り音を上げて、四条大宮行きとなる折り返しの電車が到着する。仮に寝過ごしても、大宮なら西院まで一駅戻るだけだから、まぁそんな苦ではないだろう。1.4km程あるが、夜通し歩いても尚歩けないわけじゃない。

 そして琥珀は。

「帰るまではこれでいいでしょ?」

 そう言って、有無を言わせずに俺と腕を組んでべったりしていた。

 これではぱっと見朝帰りのカップルだ。単行の車内は少ないとはいえ、俺たち以外にも人はいる。というより、場所柄西陣の工場や工房へ通う人がいるから、席が埋まり掛けるぐらいには混んでいる。そんな人たちの視線が、案の定どことなくこちらに向けられていて、単純に居心地が悪い。

 嵐山周辺には、なんというか、『カップルと一夜を明かす』用のホテルがないから、この時間の、始発駅から乗っているとすると、一晩どこで何をしていたかと思われかねない。要するに、竹林か桂川の河川敷かどこかで何かシてたというわけだ。勿論そんな事実はない。

 いやまぁ、京楓がいる場所でこれ見られると本当にどうなるかわかんないけど。いやいなくても悪いとは思うけど。でも、仕方ない、今だけは許してもらおう。

 そうやって一息つくが早いか、丁度俺たちの乗った電車が動き始めるところだった。明かりが消えたキモノフォレストの筒が、視界の後方へと流れて行って、やがて小さくなって、消える。

 次嵐山に来るのはいつになるだろう。いつでも来れるとこだけど、それでも、『家族』との思い出を大切にはしたいから、少なくとも一ヶ月は先だろうか。

 そんなことを考えていたら、ふと、双六盤面のことが浮かんだ。琥珀は乗っていたけど、双六にて結局俺は終ぞ一度も乗らなかったもの。

「賽の河原に、どうして嵐電があったんだろうね」

 それは素朴な疑問だった。他に動くようなものがなかったからというのもあるけど、何より。

「ほら、嵐電って、開業してからまだ百十年とかだから、平安をモチーフにした双六にはそぐわないなって」

 だけど、その疑問は、琥珀のさも当然というような一言で氷解する。

「でも、西院とか、他の町も、全部今のような風景だったでしょ?」

「――あぁ」

 言われてみればそうだった。だけど、電気という概念もないようなあの双六で、どうしてあの電車は動いていたのかというのは、今更ながらに気になってしまう。そして、そもそも。

「でも、だとするとどこからあの風景の情報は仕入れてたんだろうな」

「仕入れたんじゃなくて、借りてたんじゃないのかな」

 それは、聡明な琥珀だからこそ浮かぶ一つの解だった。

「『盤』の元となった人が持つ視覚情報が、そのままあのマス目に応用されてたんじゃない?」

「あぁ、成程!」

 ということは、あれは全てみさきから見た京都の風景だったんだな。だからこそ、みさきにとって縁深い場所が多かったのか。

 勿論、誰が見ても大差はないだろう。人はいないし、その上で風景上は視点が変わることによって変化があるわけではないし。

「でも、それだったら――」

 色弱の琥珀が仮に盤だったとするならば、そこは赤がない世界だったのだろうか。盤面の京都ですら、俺が知っていた当時最新の風景とは違っていたというのに。

 ほら、今乗ってる嵐電。双六盤面での車両は薄茶色に緑色だった。だけど今乗っている車両は紫一色で、すれ違う車両もみんなそれだ。確か四年前の時点で、二色塗りの車両は殆どいなかったはずだ。

 だから、西院の駅の嵐電は、恐らくみさきが病に伏せる前のタイミングだったのだろう。今となっては西院の駅も道の反対側に移設されて、あの時の風景も変わってしまった。

「なぁ、琥珀」

 そして、仮に琥珀が盤だったとしたならば、やはり。

「今乗ってる車両、琥珀には何色に見える?」

「――青一色かな」

 あの時見えた世界も、違っていたのだろう。

 列車は、気付けば天神川を渡り、既に三条通りの車と並走していた。ここまで来ると西院も近いから、降りる準備をする必要がある。

 ガタガタと揺れる車内でも、琥珀一人、軽やかに準備が出来るのは、やはり元々の習性だろうか。琥珀に出来ることが、俺には中々難しいとなるのは一つや二つではない。

 勿論、今でこそ人間だし、琥珀は琥珀以外の何者でもないし、だから琥珀の特性と言ってしまえばそれまでだけど。それでも、少しだけ羨ましいと思うことはある。

 そんな少し慌てふためく俺を見て、琥珀は少しだけ笑みを浮かべて。

「一緒に同じ場所に帰れるって、幸せだね」

 その、俺にとっては不意打ちだった琥珀の呟きだけが、ずっと頭に残ることになるのであった。

 

 

 

「どこ行ってたの」

 それが、帰宅して開口一番、玄関で待ち構えていた京楓の第一声だった。

「ふーん、彼女を置いて琥珀ちゃんと夜な夜なデートですかー。私が寝てる間、夜な夜な琥珀ちゃんと逢引ですかー。いい御身分ですねー」

「夜ほんと寝れなかったんだよ。それで、琥珀も起きてて散歩しよって誘われて――」

「まず言うことは」

「すみませんでした」

 玄関でまずは正座だ。誠実な謝罪は何物にも勝る。ちなみに琥珀はしていない。

「――まぁ、暁の夢の話と絡んでただろうっていうのは想像つくから、そこまで怒るつもりもないけど。でも、起きたら誰もいないっていうの、驚くとか怖いとかもあるけど、寂しいんだからね……」

 まぁ、確かにそうだろうなとは思う。やはり書き置き一つじゃ足りなかったか。BOINEにも連絡は入れておいたとはいえ、実際に面と向かわないとというのはやはりある。

「悪かったって。とりあえず、朝食作るから」

「あ、ご飯ならもう私が作ったよ」

「えっ!?」

 流石に驚いた。そりゃ、最近でこそ夕飯とかを作ってくれるようになることも段々と出てきたけど、朝食を食べて初めて本格的に目を覚ますような京楓だから、朝食を作ってもらったことはまだ一度もなかった。

 それが、家に帰ってきたら全ての支度が済んでいるときたもんだ。単純に想定外だった。

「え、大丈夫? 寝ぼけて指切ったとかない?」

「失礼ね。私だってちゃんと一人でも出来るわよ」

 いや、信用してないわけじゃないけど。でも、京楓は時には俺に起こしてもらわないとということがあるから、そういう際の寝ぼけは何するかわからない。逆のこともあるとはいえ。

「暁が教えてくれたようにちゃんとやってるから。だから、絶対に大丈夫」

 その一言に、ドキッとした。京楓は、全力で信頼を寄せてくれている。少なくとも料理に関しては。

 俺なんて、それこそ指切ったとか分量間違えたとか、少し前に多発させていたのに。問題がなかったとはいえ、数年前までに俺が言ったことを、そこまでのものだと思ってくれるなんて。

 だったら、俺から言えることはただ一つだけ。

「それじゃ、楽しみだから、早く配膳しようか」

 実際、楽しみだった。俺自身が作るからこそわかる、誰かに作ってもらうということのありがたさ。そして、今の京楓は、一時期の事を考えれば、相当料理の実力も付いていた。

 そして食卓に並んだのは、主菜はアジの干物、副菜はほうれん草のお浸し、汁物は大根と油揚げの味噌汁といった、純和風の朝食。俺が朝食を作る際も、一番京楓に喜ばれそうなレパートリー。

「これ……一人で?」

「そうだけど? 何か変だった?」

「いやそうじゃなくて……」

 別にこれを一人で作れたことが不思議なんじゃない。これを作るために、何時から起きていたのかということが問題だ。

 出かける前、何も朝食の準備なんてしてこなかった。干物を焼く、具が二つ以上入った味噌汁を作るといった作業を、一つするだけでも手間かかるのに、朝からお浸しの準備は夙に大変だ。

「おいしそうだね」

「ありがとー。それに対して暁は何も言葉がないし……」

「あ、えっとごめん、そうじゃなくて……」

 正直、出来栄えを見て、俺が作ったものだという錯覚をした。でも、俺が作るものは必ずおいしいと慢心をするつもりもなくて、だけどそれ以外に適当な例えが見つからないから、俺は口を噤むしかない。

「いただきます」

「あ、逃げた」

 そうじゃない。見てくれがどうとかじゃなくて、素直においしいかどうかで判断したい。おいしくなさそうということは全くもってないし、そして経験則的にこうも見た目がしっかりしているのは当たりだということぐらいわかる。

「――うわぁ」

「え、暁、食べ終わるの早くない?」

 そして、気付けば無言で自分の分を全て腹に入れていた。ご飯はお替りするつもりだけど、おかずが全部なくなってしまったしどうするか。ひとまず味噌汁は注いでこよう。

「え、もしかして、おいしくなかった……?」

「いや……」

 なんといえばいいのだろう。特に空腹だったからというのもあるのだけれど、好みを抜きにして、どれも味が濃くも薄くもない完璧な塩梅だった。これなら、逢日これを食えと強制されても全く苦にならない。

 その上で、あくまで、そうあくまでここ最近の自分で作ったものと比較した上で一つだけ言うのならば。

「――俺が作るよりうめぇじゃねぇか」

「えっ……!?」

 それが、嘘偽りない感想だった。同じものを俺が作れと言われて、ここまでの完成度のものを的確に作れる自信がない。

 ともすれば、これは京楓にとってのいい方向での外れ値なのかもわからない。だけど、これで、俺が一応はこの家の中で自信を持っていたものが一つ崩れたことだけは確かだった。

「ごちそうさま、ありがとう。本当においしかった」

 ひとまずは、料理人に謝辞を伝えることが、俺が出来る最大の賛辞だ。俺が作る側で、京楓によく言ってもらってるからこそ、ありがたみが嫌という程骨身に染みている。

「何かあって俺が急にいなくなっても問題自体はなさそうだな、これなら」

「だーから、そういうこと言わないで。それとも、暁が望んでるって言うの」

「そう怒るな、仮にの話で。何かあっても食いっぱぐれることはないだろ程度のこと」

 そりゃまぁ、琥珀だってなんだかんだ俺が教えるまでもなく料理はやることあるし、全く問題はないだろうとは思っちゃいたけど。でも半分趣味と化してた現状、寧ろ俺がやらせてくださいと土下座してやるような感じにはなってしまいそうだ。

 全く、俺のこの家での存在価値を低下させやがって。先日は本当に京楓にいつも作ってもらってもよかったかもしれない。

「さて……これからどうするかな、少し寝ておくべきかどうするか……」

 予定的には今日は大丈夫だ。一応夜中起きてたなら、代替の睡眠時間を確保しておくべきか……と考えていると。

「あ、ボクが二人に話したいことがあるから、このままそこにいてくれないかな。少し長くなるかもだし」

「わかった。それじゃ、お茶入れるよ」

 十中八九、俺の夢に関してだろう。確かに、三人ちゃんと揃っているタイミングの方が、色々と話しやすい。

「ねぇ、アキラの夢、解き明かせるとしたら、やれる範囲でやりたい?」

 そして、三人席に揃うが早いか、琥珀が早速単刀直入に本題を切り出した。

「そりゃぁそうだ。でも琥珀は、その原因に心当たりがあるのか?」

「――最近の夢の内容、聞いてもいい?」

「わかった」

 少し前に琥珀に話したのは、あくまで悪夢を少しという程度だった。その後京楓から内訳を聞いたみたいだけど、俺の口から詳細な内容を話すのは、これが初になる。

「やっぱり……思ってた通りなのかな……」

 そして、改めて話を聞かされた琥珀が考えて出した答えは、一方で俺が望むものだった。

「アキラ。多分だけど、何が原因なのかは分かった気がする」

「ほんとか!?」

「でも、ボクがそれを口にしても、アキラもキョウカも理解できないはず。それは前にも言った通りで、何かきっかけが必要だと思うんだけど、そもそもそれをアキラが思い出すべきなのかどうかもわからない。そして、根本的解決が簡単に出来るかもわからないんだ。だから、喜ぶには尚早かな」

 確かに、特効薬が見つかったというような口ぶりは一切していない。あるのだったらこんなに考え込むわけもない。

「少なくとも、双六には関係していることだよ、ちゃんと。でも、だからこそ、時間はかかることになるんじゃないかって思うかな」

 すなわちそれは、俺が見る夢が『夢であるから』こそのものなのだろうということだ。確かにそれは時間がかかるはずだ。

 以前、大誠が『鍵自体はそこにあるんだろうと思う』と言った通りのことなのだろう。一つだけごっそり抜け落ちた記憶のことを。忘却した担任のことを。

 だから、恐らくその人がなんらかの鍵を握っているはずだ。善人なのか悪人なのか、全く察しがつかないけど。

「とにかく、アキラの深層心理とでも言えばいいかな、そういったところに絡んでくると思うから、アキラは無理しない、キョウカは支えてあげる、それを徹底してほしいかなって」

「琥珀ちゃんは?」

「ボクは……後方支援、かな」

「成程……成程?」

 正直現時点では琥珀が何をしようとしているか皆目見当がつかない。後方支援って。何か必要なことがあるのだろうか。

「それで琥珀ちゃん。私が出来ることって……」

「あまりこういう言い方もどうかとは思うんだけど……キョウカに出来ることは、行動という点では、全然ないんだよね」

 それを耳にするが早いか、京楓が明らかに肩を落としたのが分かった。ばれないようにほくそ笑む。俺を想ってくれてることの証左だから。

「でも、キョウカにしか出来ない事は、あるよ」

「何々、何でもやるよ!」

「アキラを、信じてあげて。何があっても。ともすれば今以上に」

 京楓が首をぶんぶんと縦に振る。だけど、琥珀がこうも言うということは、どうにも簡単な話ではなさそうだという雰囲気も感じた。

「例えば、さっきの朝帰り、キョウカはアキラがボクと不貞を働いてるように見えたわけでしょ」

「うっ……ま、まぁ確かにそれはある、かも……」

「まぁ、確かにボクが誑かしたとも言えるんだけど」

「今はそこは否定しようよ琥珀さん!?」

「でも、解決するまでは、アキラは絶対に夢の解決というのが先にあって、そのためにしか動かないと思うから。だから、信じてあげて」

 言われなくても俺自身はそのつもりだ。そもそも問題とかを抜きにして、本当は京楓を前提として動きたいというのはある。

「まぁ、アキラがというより、今日のボクみたいに誰かに誘われたり頼まれたりして、というならその限りじゃないけど……」

「ちょっとー!?」

 京楓が叫んだお陰で俺まで叫ばずに済んだ。クレアがあって、琥珀もあったから、これフラグ建ってるんじゃないかという気がするんですけど。誰とは言わないけど! 建ってたら正直二人以上に色々考えておかなくちゃいけないんですけど!

「ちょっと暁! やっぱり今すぐ各種履歴吐いておきなさいよ! 今ならまだ傷は浅く済むから!」

「大丈夫だよ。アキラが本当に不貞を働いてたら、いつだって落とすべきところに落としておくから」

 ――こぇえよ。そりゃする気なんてないけど。

「そうだよね! 暁が自分からそんなことするわけないって、私も信じてるしね!」

 京楓も目が笑ってねぇなぁ! というかちょっとの誤解で簡単に埋められそうなんですけど。クレアの件は既に話してるし、これ以上話すことはないぞ……。

「勿論、アキラもだよ。みんなを、キョウカを信じて。アキラは、そこは大丈夫だと思うけど。特にキョウカに対してはね」

「そうだな……まぁ俺からすればこんな感じかな」

 そう口にすると、すかさず横に座る京楓の髪を持ち上げて、息も付かせぬ間に頬に口付けをする。瞬間だとしても、琥珀に見せつけるようにして。

 うん、京楓が耳まで赤くなってる。でも多分俺も状況は近いだろう。琥珀に尋ねる勇気はない。

「――やっぱり暁は浮気しそう」

「なんで!?」

「誰であってもそういうことしそうだから!」

「しねぇよ! だからそれこそちょっとは信用してくれよ! そんなに二股かそれ以上かけてるように見えるのかよ!」

「見えたから言ってるんじゃない!」

「俺が一体何をしたんだっていうんだよぉ!」

 思わず机に突っ伏した。最愛の彼女からこんなこと言われるって、俺の存在意義すら疑いたくなってくるからほんとやめてくれ。あ、マジで涙出てきた。

 決めた。今夜はひたすらに俺が主導権を握る。時には激しく特には甘言囁きまくりながら嬉し恥ずかしの状態にする。覚悟しておけ。

「それで、暁は結局何をすればいいの?」

 くそ、そして俺を置いてけぼりにして話題を元に戻しおって。余計に夜のやる気が上がったよ。

「一言で言えば、アキラが行くべきは、賽の河原」

「それって……!」

 俺に、小野篁になれってことなのか。

「少なくとも、夢の原因は『そういうところ』にあるよ。それ以外に説明がつかない」

「――福生寺があったとこには今日行かなかっただろ?」

「埋められてるもんね。それに、出口が塞がれているなら、入り口から入ったところで、戻ってこられなくなるだけだよ」

 小野篁は、夜な夜な冥界と厳正との間を行き来していたと言われていて、冥界で辿り着く先が賽の河原だった。そしてそこで、閻魔大王が執り行う裁判に参加していたという言い伝えが残っている。

 その入口は珍皇寺、すなわち六道の辻だ。あそこは『死の六道』と称される場所。東の墓所として、多くの遺体が埋まっている。一旦そこから入ってしまえば、今は出口がない故に、賽の河原からは戻ってくることが出来ない。

 だから、本来であれば、それらは不可能であると断じられる、のだけれど。

「正規でない方法でやる、ってことか……」

「それって、つまり……」

 俺たちは、正規でない方法で冥界へと向かった人物を生憎知っている。だから理論上は可能だ。可能であるということを知ってしまっているんだ。

 だから琥珀は後方支援と言ったのか。先程の単語の意味がここにきてようやく繋がった。

「でも、琥珀ちゃんはそれが出来るっていうの? 私が出来ない理由は理解できたけど、でも琥珀ちゃんが出来る理由の説明にはなってない」

「簡単に言うなら、ボクが迷い込んだ存在だったから、かな。でも、正直なことを言うと、ボクも出来るかどうかわからないんだ。やったことがあるわけじゃないからね」

 それは、猫だったということを踏まえてなのだろう。確かに迷い込んだのは琥珀だけで、そしていてもいなくても当初の双六進行に影響がなかったのは琥珀だけだ。

「経験則上、ボクは『出来る可能性がある』だけで、もしも出来なかったら手詰まりになってしまうかもしれない。でも、『その技を使うことに関しての代償はなく成功させた人がいる』から、楽観でもなく大丈夫だと思うだけ。血を吐くような努力が必要だったとしても、それをするのはボク一人でいいって話」

 そして琥珀は、既に俺が選ぶだろう選択を見据えて、その心構えに既になってくれていた。だったら、俺もそれに応えるのが筋だろう。恐らく、琥珀がその結論に達しなくても、俺がその結論に行き着いていたはずだ。

「アキラには、ボクがついてるから。キョウカは、何があってもアキラを――」

「うん。それは約束する。まぁ、約束するまでもないんだけど」

 きっかけは、曖昧な夢だった。だけど、夢が少しずつ走馬灯みを帯びてきて、それが影響を与えるとするならば、そのままでいいわけはない。

「それじゃぁ、アキラは、それでいい?」

 そうやって、双六の時の記憶に塗り潰された霞の足跡を追えるのならば。それは俺にとって十二分にやる価値のあるものとなる。

「それがどういうものであれ、それなら、俺は一切の方法がないのでないならば、やってみようと思うよ」

 だから、俺は、四年ぶりに、飛び込むことになるんだ。

「だったら、それが出来るプロに、やり方を尋ねに行かなきゃね」

 ――賽の河原へと。

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