アンナさんが扉を開けた先は、執務室のような空間だった。来客用だろうテーブルとオフィスソファがいくつか並び、その奥には仕事用のデスク。それらひとつひとつが、シンプルながらも一目見ただけで高級なものだとわかる。それ以外は基本、俺が目覚めた部屋と大して変わらなかった……などと冷静に観察できたのはしばし後の話だ。
現在の俺はというと──室内にいた一人の女性に釘付けになっていた。
無論、アンナさんの説明からこの扉の先に言るであろう人物──レヴィア・ルクノラクス様はさぞかし美しい人物なのだろうと思っていた。想定が甘かった。いや、甘かったどころではない。自分の想像は彼女の美貌を貶めるものでしかなかったのだと実感させられた。
彼女の髪は夜の闇のように妖しく、引き込まれる美しさを放ち。彼女の紅玉の瞳がこちらを射止めれば、それはこちらの全てを覗き見るように僅かに細められる。彼女の白磁の肌は髪との対比もあってか、彼女の髪との対比によって互いを引き立てあっている。彼女が身に纏っている白のドレスは所々がシースルーになっており、その上から薄く見える柔肌に思わず視線が向かう。そして容姿と同じくらいに優れているのはスタイルだ。纏っているドレスの胸元は大きな双子の山によって押し上げられている。その上、胸元の上あたりが透けており、谷間のIラインが見えるのが心臓に悪い。
「──良かった。身体に問題はないみたいね」
彼女に話しかけられる。
瞬間、再び心臓が跳ねた。そして次に知覚できたのは──彼女に対する『愛』だった。
敬愛、情愛、親愛……あらゆる『愛』が自分の中から一気に溢れ出す。それがなぜ溢れてくるのだとか、彼女とは初対面のはずなのに、だとかそんなものは自分の中では些事だった。道理などどうでもいい、ただこの想いだけあればいい、と自分の下らない愛以外の感情を切り捨てたところで、俺は彼女に見せられて今まで呼吸を忘れていたことに今、気が付いた。
そして──、
「あら……」
「ユウキ様……!?」
俺は自分でも意識しないうちに、彼女の前まで歩み、そして跪いていた。何故だかは、自分の中の感情と同じくわからない。ただ自分の奥底の何かが『彼女は自分の主である』と訴えかけ、跪き、おのが忠誠を示せと命令してきていた。それは……恐らく本能のようなものだったのだろう。
俺は跪いたまま息を整えた。
「身体に問題はありません。ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「良いのよ。それよりも顔を上げて頂戴。あとと、そこまで畏まらなくても構わないわ。アンナから聞いていると思うけれど改めて──」
俺が彼女に言われた通りに顔を上げれば、彼女の紅の双眸と目が合った。そして自分に微笑みかけ、言ってくれた。
「私は魔王軍幹部が一人、《
「……兵道悠貴です。ユウキと呼んでいただければ幸いです。──レヴィア様」
「えぇ。よろしく、ユウキくん。ところでお腹空いていない? 良かったら私と一緒に昼食はどうかしら」
断る理由もないため是非に、と応えようとしたところで、ぐるるるぅ……と俺の腹の虫が派手に鳴った。
空気の読めない腹の虫だ。もう少し待ってくれても良かっただろうに……レヴィア様の前でいらぬ恥をかいてしまった。俺の顔は羞恥で真っ赤になっていることだろう。全身が熱くなってきた。
「……申し訳ございません」
「ふふ、良いのよ。君は三日も眠ったままだったんだから、お腹が空いて当然だわ。それに男の子だし、量は多い方がいいかしらね……アンナ」
「畏まりました。食事は完成次第、こちらに運ばせていただきます」
「えぇ。あ、その前に男の子用の服を見繕って着て頂戴。いつまでもナイトウェアのままじゃ落ち着かないだろうし」
「重ねて承りました。衣服は他のメイドに持ってこさせます」
「よろしく」
アンナさんはレヴィア様と俺に一礼すると、部屋を出て行った。その所作は精錬されていた物であり、彼女が今まで積み上げてきた経験が伝わってきた。
「私が勝手に決めてしまったけれど、良かったかしら」
「は、はい。問題ありません」
「それなら良いのだけれど。彼女達の料理は絶品だから期待してていいわよ。きっと君も気にいるわ」
「楽しみです」
今更ながら人間と魔族の食事はそう変わらないのだろうか? レヴィア様もアンナさんも特に言及しなかったということは、少なくとも人体に害を及ぼす成分は入っていないのだろうとは思うけれど。
楽しみが圧勝しているとはいえ、僅かな恐怖もある。ちゃんと全て食べきれるだろうか?
などと思慮を巡らせていたところでレヴィア様から話しかけられる。
「……さて、それはそれとして幾つか君に説明しなくてはならないことがあるの。君も私に聞きたいことがあるんじゃないかしら?」
「はい。あの……俺、いえ自分を召喚したと……」
俺の言葉に彼女は「俺、でいいわよ」と苦笑し続ける。
「そう。私の勝手な都合で君を……いいえ、これは正確じゃないわね。《
「召喚されたとき、俺は死んでいた……ですか?」
「……わかっていたの?」
「生憎、自覚があったものですから」
目覚めたときからおかしいとは思っていた。
高所15メートルからの飛び降り。クッションになるものは全くなく、しかも頭部からの落下をして生きていられる人間など居ようはずがない。
だというのに今こうして、彼女と喋っていられているということは、現代の医療技術では到底不可能なものであると考えていた。それが異世界の技術……自分の推察になるが、科学よりもよっぽど万能で優れた『魔法』に類する技術によって蘇生・治療されたと考えれば納得がいく。……というのも窓から翼竜を見たときに思いついたのだが。
「……そう、それなら話は早いわ。この世界に来た時に君は死んでいた。頭部が潰れた果実みたいになってね」
「しかし、それでも俺はこうして生きている。それならレヴィア様が治療してくれたのでは……?」
「治療……治療ね。そうできればどれほど良かったか」
「いや、でも……」
「そうね。君は今、生きているわ。それは……いえ、実際に見てもらった方が早いわね」
ごめんね、と彼女が言い、俺の胸板に手が触れる。
『魔術解除:無属性《擬態》・魔属性《認識阻害》』
彼女の手によって、俺の何か(感覚的には膜のようなものだろう。俺がそんなものに覆われているという自覚はなかったが)を剥ぎ取られた。するとどうだろう──俺の身体が赤黒い瘴気に覆われていた。
「は……?」
自分の腕を見れば、瘴気の隙間から俺の腕とは思えないほどに筋肉質な腕が覗き、指先には刃のような鋭利な爪があった。顔に触れてみれば、肉のような感覚はなく直接骨を触れているような感覚が伝わり、歯は人間のそれではなく肉を引きちぎるような肉食獣のそれへと変化ている。そして頭部には人間にはありえない──角と呼ばれる物が額の髪の生え際あたりから二本、後ろに向かって伸びていた。
「これは……?」
「ユウキくんは私が君を生き返らせたんじゃないか、と考えていたようだけど……それは広義では間違いではないわ。ただし、人間として蘇生することはできなかった。……私は君を私の生み出す悪魔の一体として蘇らせた──いいえ、正しい言い方をするなら『産み落とした』。君の死体を材料に身体を作り、その器の中に君の死体の中に残っていた魂を注ぎ込むことによって、ね」
「……! そう、ですか……」
いざ聞いてみれば納得がいった。レヴィア様もアンナさんも『身体に違和感はないか』と聞いてきていたのは、俺が悪魔に成っていたからなのだ。上述した通り人間に角などという物があるのはありえないし、彼女もこういった経験は今までなかったのだろう。自分達の知らない不具合……と言っていいのかはわからないけれど、そういったものが生じていてもおかしくない。
《万魔の女帝》の権能。魔力を材料とし、魔獣を産み落とす力。その力を俺は既に身を以て味わっていたのだ。
……しかし、たった一人で国を落とすほどの暴力を持ちながら、それと同時に疑似的な死者蘇生までやってのけるとは。ほとほと彼女の力には驚くばかりである。というよりも彼女が魔王軍幹部、などという立場に甘んじているという事実が恐ろしい。彼女の上に立つ魔王と呼ばれる者は、一体どれほどの埒外な力を持っているのか。
しかし、率直な感想としては──、
「思ったより、なんともないんですね」
「本当に? 何か問題があったりとかは……」
「大丈夫です。悪魔に成ったと聞いた時には残虐性が増したりするのでは、と思いましたけど精神面は今のところ何も変化はないように思えます。肉体は──身体能力の向上は見込めるかもしれませんね」
「そう……でも、僅かな物でも違和感を感じたらすぐに報告して頂戴。私もこういった能力の使用法は初めての事だったから、どのような問題が起こるのかを理解できていないの」
「わかりました」
「でも……少し安心したわ。君を助けるため致し方のない事だったとはいえ、勝手に人間をやめさせたことで何か言われるのではないかと少し不安だったの」
「そんな事ありませんよ」
命を助けてもらったくせに、それに対して文句を言うなんてどれほど傲慢なのか。それに今は命があって良かったと思っている。自分でも即物的が過ぎると思うけれど、レヴィア様に出会えたことで死ぬ理由も綺麗さっぱりとなくなった。この異世界で心機一転──身体も一転してしまっているけれど──第二の生を謳歌するというのも悪くはないだろう。
「ところで……この姿は慣れないので、元の姿──というか、人間の姿に戻る事ってどうやればいいんですか?」
「あぁ、そうね。すぐに戻すわ」
そう言って彼女は再び、俺の胸板に手を当て、
『魔術発動:無属性《擬態》』
再び膜のようなもので俺の身体を覆った。それは俺の身体にぴったりと張り付きそして数秒経った頃には、あの異形の姿はどこにもなくナイトウェアを纏った人間としての俺の姿になっていた。
「やっぱりこっちの方が落ち着きます。ところでレヴィア様、一つお聞きしたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
「えぇ。構わないわよ。何かしら?」
「レヴィア様が、俺を呼んだ『勝手な都合』って一体何なんですか? 命を救っていただいた恩もありますし、俺にできる事ならなんでもやりますけど」
俺が悪魔に成っただのなんだので後回しになっていたが、彼女が俺──というよりは異世界人をだけれど──を召喚したのは勝手な都合だと言っていた。フィクションの話にはなるけれど、こういうファンタジー世界の設定だと《魔王》を倒してくれーなどが鉄板ものだが、彼女は魔王陣営に所属しているのだからそれはないだろう。となれば全く逆の立場の勇者討伐だろうか?
自分の精神が悪魔のそれに成っていなければ精神的にかなり堪えるだろうし、尚且つ勇者を討伐するための技術など欠片も持ち合わせていないのだから、某RPGよろしくヒノキの棒と僅かな金銭を持たされて勇者の旅をせよ、などと言われるのは相当大変……というかまず不可能なんだが──
「ねぇ、ユウキくん」
「はい、なんでしょう?」
「……私と
「はい。勿論構いませんけど」
……………………ん?
「はい!!!!?」