「はぁ……すげぇ食べた……」
「ふふ、良かったわ。アンナ達も喜んでくれたし」
料理の味は──非常に美味だった。俺の貧弱な語彙では語ることすら烏滸がましくすら思えるほどに。若飛竜のステーキと付け合わせの野菜のグリルに、焼き立てのパンにスープ。あの空を飛んでいた竜を食べた、というと何かとんでもない事をしているように思えるが何でも飼育された物らしい。
食感は自分の知識にあるなかでは鶏肉に似ていたように思う。それでも比較的似ているというだけで、口に含んだ瞬間に違うとわかったけれど。
三日間の昏睡状態だったからか、《魔》になったからか。俺の食事量は地球にいたときよりも遥かに増えていた。……本来ならば食事作法などを気にするべきだったのだろうが(尤もそんな知識は聞き齧った程度で、とても実践レベルに至っていない)、それを気にする余裕がないくらい俺の身体は食事を欲していたらしい。
それでも彼女が言った通り、アンナさんを代表とするメイドの皆さんは俺の食べっぷりを見てとても喜んでくれたし、レヴィア様も同じくだ。なんなら追加で持ってきてくれた分まで平らげてしまったくらいだ。
「でもユウキくん、本当に良いの? まだ休んでいたって……」
そんな食事を済ませ、お茶菓子や紅茶なども頂いた後、俺とレヴィア様は彼女の屋敷の庭(といったが面積は非常に広大で、遊具などがない公園と言った方がしっくりとくるだろうが)にやってきていた。
それは俺が早速、戦闘技術の習得・修練をしたいと言い出したからである。尤もレヴィア様に付き合って頂こうなどとは思っていなかったのだが、「仕事の大半は終わらせたし、もしもの時には私がいた方が良いわ。それに今の君の身体に一番詳しいのは私だから色々教えてあげられるしね」というのが彼女の弁だ。
実際その申し出は非常にありがたかったので、お言葉に甘えたのだけど……この調子である。
いや、俺の事を心配してくれているのは非常にありがたい事だと思うが……こういう反応をされたとき、俺はどうしていいのかがわからない。だから失礼を働いていないだろうかと心配になる。
しかし、一刻も早く彼女の役に立てるように──というよりは彼女のヒモ(ヒモというよりは彼女だけの食糧な気がするけれど)を脱却するために、戦闘技術を身に着けることは急務である。
それならこの《魔》となった事も活かせるだろうし、有事の際に戦闘技術を身に着けていることはレヴィア様及び、メイドの皆さんを守ることもできるだろう。
「体調は今のところ万全です。それにこれは俺がやりたい事ですから」
「……わかったわ。でもユウキくん。無理はしないでね」
「えぇ、約束しましたから」
重ね重ね言われて、思わず自分は苦笑する。そんなに彼女の信用を損ねるような行いはした覚えがないのだけど。
「じゃあまずは、君の今を把握することから始めましょうか。私の《魔》に成ったことでの利点は先ほどさらっと話したと思うけれど、覚えているかしら?」
「えっと……確か身体能力及び魔力量の飛躍的な上昇。あとはレヴィア様からの魔力供給を受けられる……でしたっけ」
精力の強化は《大淫婦》の番になった事で受けられる恩恵で、それ自体は人間のままでも受けられるものだと解釈していたが違っただろうか。
「正解。それを踏まえたうえでの現状の確認になるんだけど……身体能力が上昇するって言ったって、具体的にどれくらい上昇しているのかはわからないでしょう? だから今ここで自分の全力を確認してみましょうか」
「なるほど」
某小説サイトの「俺、またなんかやっちゃいました?」となる事はないけれど、自分の実情を知らないまま戦うのは非常に危険である。己を知る事もまた、戦いにおいては重要な事だ。
「じゃあユウキくん、まずは全力でジャンプしてみましょうか」
と言って空に向かって指をさす。
それに「わかりました」と従って、俺もまた視線を上にやりながら、バレーボールの助走なしでジャンプするように跳んだ。
まぁ身体能力の強化と言ったところで二倍、三倍あれば御の字だろう。三メートル上に飛ぶだけでも結構な高さに達するのだからなどと考えながら行った跳躍は──雲を突き破った。
「……………は?」
空に見受けられていた雲は地球でいうところの層積雲だったから、ただの跳躍によっておよそ2000メートルほどの高さまで至ったということになる。
飛躍的な上昇、という言葉を甘く見ていた。しかし言い訳させて欲しい。身体能力がおよそ2000倍にまで跳ね上がると誰が想像できるのか。しかもそれだけの身体能力強化が行われながらも、身体に痛みは走っていないのだ。
身体能力と共に肉体硬度まで著しく強化されたのか。つくづく自分は人間ではなくなったのだと実感させられる。
しかし……、
「こっからどうすればいいんだ……?」
そう。
全力で跳躍した結果天空にまで至った俺の身体は今、重力に従って地面へと叩きつけられようとしている。
重力に叛逆する術など都合よく身に着けているわけでもないから、自然の摂理に従うほかないのだが……この高さから地面に叩きつけられて俺は果たして無事でいられるのだろうか?
などと考えていた時だ。俺の身体から浮遊感が消えうせる。それに代わるのは細い何かに支えられるような感覚だ。
やはりというべきか、俺をこの窮地(窮地に至ったのは自分の想像力不足だけれど)から救ってくれたのはレヴィア様だった。
彼女は背中から蝙蝠のような黒翼を生やして空を飛び、こうして俺を抱きかかえてくれた。
「……驚いたわ。まさか雲まで突き破っていくんだもの」
「俺もです……自分でもあんな高さにまで行くとは想像してなかったので……」
「精々50メートルくらいだと思ってたのに……君は元から才能があったのかもね」
それでも50メートルくらいは跳ぶと思っていたのか……いや、それにしたって50倍はあるから、十分すぎるほどなのだけれど。
しかし、
「才能……ですか?」
「そう。《魔》の才能。《魔》の恩恵を十全に受け、それを行使する才能が」
「……だったら嬉しいですね」
元は彼女に由来する力とはいえ、それを使う才能があるのは非常に喜ばしいことだ。自分の素養が優秀であれば優秀であるほど、レヴィア様のお役に立てるのだから。
「とりあえずの目標は、自分の力をしっかりと制御することを目標にしましょう。つい力が入っちゃって、物を壊したりしないように」
「はい」
頷く俺に、よろしいと微笑んで、彼女は地面に降り立った。
俺が跳んだであろう場所は、芝生が大きく捲れ上がっており中心は大きく凹み、まるで月面のクレーターのようになっていた。
どれほどの力がそこにかかったのかは容易に想像できた。
「申し訳ございません……こんな風にしてしまって」
「良いのよ。私が全力で、って言ったんだもの。それにこの程度──」
彼女がパチン、と指を鳴らす。
瞬間、そのクレーターがあった場所には俺が跳ぶ前と全く変わらない様相を取り戻していた。
「なんてことないわ」
「え、なんで直って……」
「《大淫婦》の《夢》の力よ。ユウキくんが跳んでクレーターが出来たっていう事実を『夢だった』事にしたの」
思わず、「いや、すご……」という感嘆と驚愕混じりの声が漏れる。
彼女はなんてことない、と言ったけれどやったことは現実に起こった事の改変だ。それがどれだけ埒外な事か、この世界に来たばかりの俺でも、フィクションを参考にすればなんとなく想像がつく。
これは時間を巻き戻したりする事に並ぶ奇跡のひとつだろう。
それを何の対価もなく、一瞬で引き起こすなんて……。
「本当に凄ぇ……」
「これでも魔王軍幹部のひとりだもの」
これくらいはね、と苦笑するレヴィア様に舌を巻く。
それと同時に、右も左もわからない異世界にやってきて、彼女の庇護下にいられることがどれほど幸運だったか思い知る。
もしその辺りの草原にでも放り出されていれば、俺の死は確実だっただろう。反則じみた身体能力も彼女の《魔》となれたこと、そして彼女に精を提供するという、つがいになれたからこそのもの。
本当に自分は彼女に助けられてばかりだ。……だからこそ、彼女の役に立つべくこうして鍛練をしているのだが。それも彼女に手間をやかせてしまっているのだから立つ瀬がない。
「さて、私の事は良いから今はユウキくんを優先しましょう。身体能力は確かめたから……次は魔力ね」
「了解です。でも魔力ってことは魔術とか、魔法の類いを使うんですか? でも俺は……」
「あぁ、安心して。私達魔族にとって、《魔術》を使うことはそう難しいことじゃないわ。というよりも物凄く簡単なことなの」
「簡単、なんですか?」
「えぇ。魔族にとって魔術を行使することは、人間で言えば呼吸をしたり、普通に歩いたりする事のようなもの。人間が魔術を使うときには陣を描いたり、色々面倒な行程が必要だけれど……君は私の《魔》だもの。すぐに使えるようになるわ」
彼女は再び指を鳴らす。
すると草木が成長し、編まれ、それらは草でできた椅子になった。彼女の側にも同じように椅子が作られ、彼女はそこに座る。
同じように俺も座った。その椅子は草でできているとは思えないほどに、しっかりと俺の身体を支えてくれた。
「さて、まずは基本的な事から講義をしましょうか。
まずこの世界における魔術に類される力は大きく分けて二つあるわ。まずは人間も魔族も使用可能な《魔術》──人間の間では《聖術》と呼ばれているもの。呼び方は違うけれど本質は全く同じだから、これ以降は《魔術》で呼び方を統一するわね」
「何故呼び方が違うとか、理由はあるんですか?」
「そうね……これは恐らくだけど、人間にとって自分達が使う力が魔族由来のものだと、都合が悪いんじゃないかしら? まぁ、さっきも言った通り本質は全く同じよ」
なるほど、つまりは何の意味もない誤魔化しだと。
くだらない、と心の中で吐き捨てる。そんな上部だけ取り繕ったところで、魔術の腕が上がるわけでもないのに。
「すみません、あまり意味のないことを聞いてしまって」
「良いわよ。寧ろ気になることがあったらどんどん質問してきて。その方が君も理解が深まるでしょうし」
わかりました、と答えた事で講義が続けられる。
「あとは魔族だけが使える種族固有の異能……《スキル》と呼ばれる力よ。私がさっきから使っている《夢》の力や、魔力を産み出して《魔》を産み落とす《
「俺は別にいくらでも長くなったって……この世界に来る前も勉強ならずっとやってましたし……」
「駄目よ、ユウキくん」
ピシャリ、と言いきられてしまう。
「君はまだこの世界に来たばかり、かつ擬似的な死者蘇生を遂げたことで、心身にどんな影響を負っているかもわからない……謂わば経過観察中なの。そんな状態で無理はさせられない。例え自分が問題ない、と思っていても自分自身が自分の心の警鐘に気付けない場合だってあるわ」
「でも、俺は……!」
彼女の役に立たなければならない。
その為には力が必要なのだ。学ばなければならないのだ。
例えそれが彼女から貰った力で、彼女から使い方を教えて貰った力であったとしても、それを使いこなして、彼女にとって『コレは使える』と思っていただかなくては、俺は……、
「わかってる。私のために頑張ろうとしてくれていることも、私に恩義を感じてくれて、それに報いようとしていることも。それはとても嬉しいわ」
だったら、と二の句を継ごうとする俺を彼女は「でもね」と遮って、
「それ以上に私は君に過度に頑張ろうとしてほしくないの。出会ってまだ少ししか経っていないけれど、私から見て君は少し頑張りすぎるきらいがあるように思えるわ。……何度も言うけれど、君が私のために努力しようとしてくれることは物凄く嬉しいの。だからね、これは私の我儘なの」
「わが、まま……」
「えぇ。君にはゆっくりとしてほしい。強くなろうとしてくれるのはそのついでで良い。そんな私の我儘。そんな私の我儘を、どうか聞き入れてはくれないかしら……?」
そこには優しさがあった。慈しみがあった。そして何よりも愛があった。
本当に彼女は、俺の事を心配してそう言ってくれているのだと否が応にも理解させられる。
──なんて卑怯な人だ。
そんな事を言われたら……。
「わかったって……言うしかないじゃないですか……」
「ありがとう。……ごめんなさいね」
「いえ、良いんです……」
そんな事を言われたのは初めてで、なんて答えれば良いのかもわからなかったけれど。自分は彼女にそう言われて……嬉しいと、そう思ったのだから。