三歩進んで二歩下がる 作:夜鐘
(い、言ってしまいました…….)
はしたないと思われなかっただろうか。カッカッと耳の端まで熱が上がってくる。先程から耳元で鳴っているのではと錯覚する程、心音がばくばくと煩い。こんなに楽郎くんの顔が見えなくなったのは、告白の時以来だろうか。
「玲さん、れーいさん」
「ひゃ、ひゃい……」
楽郎くんの声に誘われて、そろそろと膝に埋めていた視線をあげる。ーーあれ、と一瞬目の前に広がる景色が理解できなくて、思考が止まった。自分の素肌から視線が離れても、目の前が肌色一色だ。理解できないまま、視線を上に上にと上げていく。へそを通りすぎて自分のものとは違う平べったい胸へ、骨張った鎖骨を通り抜けて、首元を通り過ぎれば、鼻先に楽郎くんのご尊顔があった。
「………!?!?!!?」
「ちょ、え、玲さん危な……」
条件反射で退け反ろうとした頭ががしりと、何かに支えられた。勢いが殺されたおかげか、こつん、とささやかな音が自分の後頭部から響く。焦ったーと、楽郎くんがふう、と長い息を吐き出したのを熱に浮かされてながら見ていた。ーーああ、どうしましょう。頭の中に残ったのは混乱と、好きな人に接近されて、逃げられないという事実だけ。ぐらぐらと煮立った思考が、逃げる道を探し続けているのに、同時に相反する思考が、安易な道に逃げるのを邪魔してしまう。ーーだって。楽郎くんの、いつも私をみる時には楽しげな、あるいは優しげな表情が。
「ら、らくろ、くん、お顔、が」
「はは、いっぱいいっぱいは、お互い様ってか?」
さっきからくそみたいに熱くて死にそうだよ、と冗談めかして笑う顔のその、隠しきれない切実さが。私の全てに白旗を上げさせた。
「玲さん、目瞑って」
それが、何を意味するかなんて考えなくても分かった。わかったのに……分かったから。私の体は素直にその声に従ったのだろう。ーー不思議な感覚だった。目を閉じていても、目の前にいる楽郎くんの一挙一動が分かるような心地がして、相変わらず大音量で鳴っている心臓は煩くて、不意に揺れる空気の振動に過敏に体が震えてしまう。
「……!」
触れた瞬間は冷たかったように思う。上限まで上がり切った自分との体温の差にそう思っただけかもしれないし、楽郎くんの唇は冷たそう、というイメージが先行しただけなのかもしれない。触れただけの唇に驚き、納得し、そして、享受したのは確かだった。啄むように一回、二回。目を閉じているせいだろうか?その感覚だけに集中してしまって、ぼんやりと思考が纏まらない。唇の間を舌で突かれて、口内に自分のものではない舌が、侵入してきて尚、夢心地だった。
「……ん、……ぁ」
くちゅり、と唾液の混ざる音が空気を伝って耳に入ってくるけれど、口内を探る舌が上顎を擽り、歯列をなぞるその感覚に翻弄され続けている。くるしい、きっとこのままじゃ、溺れてしまう。ふわり、ふわりと覚束ない意識で酸素を求め、目の前のその人にしがみついた。
「ふ、はー、はあ」
唇が離れてすぐは、荒れてしまった息を整えるのに精一杯で、玲さん、と耳元で呼ばれる熱の篭った声にも反応出来なかった。熱くて、くらくらするのに、手元にあるこの温度を手放したくないような心持ちもあった。
「ふ、はは、玲さん、まだ目ギュってしてる」
「ふぁ、だっ、らく、らくろーくんが、目を閉じて欲しいと、」
「ん、まあ、言ったけど」
ずっと閉じてなくてもいいからね、と楽郎くんは喉を鳴らして笑ったようだった。酸素が十分に頭に回って、きちんと状況を把握した途端、途方もない羞恥が襲ってくる。私がもし活火山なら今噴火していてもおかしくありませんね、と冗談めかしたようでいて、的を得た考えが頭の中でぐるぐると泳いでいる。
「目、開けないの?」
「……ぇ……ぁ、あの……」
不思議そうな楽郎くんの言葉に、返そうととしたものの、自分が何を求めているのか分からずに、どれも意味をなさない音として口から漏れていくだけで。返事を急かさない楽郎くんの優しさは心地が良いようで、とても意地悪なように感じてしまう。優しく睫毛をなぞるようにさすった楽郎くんの指は、いつの間にか涙袋に溜まっていた液体を拭ったようだった。ぞくぞくと背筋を這い上がったのはおそらく満足感だとか、幸福感だとか、快楽だとかが複雑に混じり合った何かだった。
「……も、」
「も?」
「もぅ、一度」
そう、もう一度して貰えれば、分かる気がする。複雑な事を考えられない思考回路はある意味、適切な回答を導き出した。分からないならもう一度して貰えばいい。先程はぼんやりとしている間に全てが終わってしまっていたから、もう一回だけ。
「〜〜〜っ!……ああ、もう!」
「ひゃ、ぇ、……っぁ!」
体が熱い。冷えた水滴が楽郎くんの体を伝って肌に当たる。口を塞がれるのとタオル越しに楽郎くんの体が密着してくるのが同時だった。少しの圧迫感と、素肌が触れ合う羞恥と、それから電流が走ったような明確な快楽が身体の芯を揺らして、訳が分からなくなってしまう。
「ひ、ぁ……ら、らくろ、く」
「はぁ、あー、くそ。余裕ねえな」
「え……んン……っ」
二人分の唾液が飲み込みきれずに口の端から流れて落ちていく感覚が、舌に絡まる楽郎くんのソレが、脳を直線揺さぶっているようだ。ーー気持ちいい。唐突に、この感覚に名前がついた。楽郎くんに口内を、体を、心を触れられるのはとても気持ちの良いことだ、とここに来てようやく、実感をもって、身体も心も、そして脳も理解した。
唇を柔らかく食まれるのも、呼吸が苦しくなるまで口内をかき混ぜられるのも、身体を触られるのもきっと、何をされたって気持ちがいい。
深夜にばばっと書いたので見直すのがこわい。