※この作品はR-18です。

生命製法売ります   作:伊土 讃阿

1 / 5
G code1

 

 

 

 生命製法売ります G code1

 

 

 

 飛空挺のタラップを降り、鋼鉄の大地を踏んだ瞬間、ブーツの底から無機質な冷気が一気に駆けのぼってきたみたいに強い悪寒を感じて、わたしはぶるるっと身を振るわせました。グレイトキッチンはお国でいちばん大きな規模の産業集合自治特区(アイアンバレイ)と言えど、地球寒冷化(コールドラッシュ)の荒波は地上のどこにもひとしくやってくるのです。

 

 白い息を吐いて胸の前でストールを寄せあわせ、重い旅行鞄をえっちらおっちらしながら係りの粘土人(ゴーレム)さんに切符を切ってもらい、青銅人(タロス)の兵隊さんが警備している発着場のゲートをくぐると、ごんごんぷしゅぷしゅと製造ラインが絶え間なく働いて蒸気を吐き出す音と、油と鉄錆にエーテル、硫黄の鼻をつく臭い、スモッグで曇った天を突くたくさんの作業クレーンがわたしを出迎えてくれました。

 

 遠くにうかがえる中央商業区(セントラルパーク)ではそこかしこで時計仕掛けの自動人(オートマタ)の技師さんが忙しそうに走りまわり、遊牧民(ハイランダー)らしき鱗とつぎはぎに皮膚を覆われた合成人(クリーチャ)の行商人さんが露店を広げています。

 遠い故郷イリエルズとなにひとつ変わらない空気に、わたしはちょっぴりほっとして、組合(ユニオン)に頂いた羊皮紙の地図を求めて鞄を漁っていると、

 

「おい、そこの金髪のきみ」

 

 背後から低いおんなのひとの声が上がりました。わたしはまわりをきょろきょろと見まわして、どうやら自分以外に金髪の方がいないことを確かめると、振り返って言いました。

 

「あの、わたしのことでしょうか――?」

 

 ゲートの鉄柵に背を預け細巻きをくゆらせた、やたらと肌の白い美しい自然人(ヒューマン)が、わたしを睨みつけていました。いいえ、睨みつけるならまだいいほうでしょう。それどころか、その作業着姿のすらっとした黒髪のヒューマンは、いまにもわたしを呪い殺すか、そうでなければ噛みつかんばかりの視線を送ってきていたのです。

 

 知らず知らずのうちに無礼を働いてしまったのでしょうか。それならば一刻も早く謝らなければなりません。でも、鋭い眼光に射抜かれてわたしは縮こまってしまいました。

 

「きみ、名前は」

 

 まるで詰問するような口調です。

 

「……ク、クラウラ、です。エリスタ・クラウラ」

「ヘッドコードは」

「Hです」

 

 ぶしつけにそれだけ訊くと、おんなのひとはずかずかと詰め寄ってきて、鼻と鼻がくっつきそうな距離でまじまじとわたしの顔を観察しはじめました。はっとするほどの青白い美貌が視界いっぱいを占めてどきりとするのもつかの間、おんなのひとに染みついていた薬品の刺激臭と煙草の煙が喉に絡みついて、わたしはげほげほむせるのを止められませんでした。

 

「クラウラ。金髪。十歳の自然人(ヒューマン)。それに翠の目。確かに組合(ユニオン)の辞令にあった特徴と一致するな。まさかそんな物見遊山な恰好でおいでなするとは思いもよらなかったが」

 

 なんと、初対面のひとに鼻で笑われてしまいました。でもどうやらわたしが何か失敗したわけでも――失礼にならないよう身につけてきたおよそいきのワンピースドレスはお気に召されなかったようですが――、おんなのひとにひっぱたかれも噛みつかれもされないとわかって、胸を撫で下ろします。

 

「あの、ハーミズ先生の使いの方でしょうか?」

「なんだと」

「ひっ」

 

 細められていた切れ長の瞳がぎろりとさらに険しくなります。明らかに不服そうな雰囲気がひしひし伝わってきました。わたしはまた恐怖にとらわれます。

 

「あたしがハーミズ本人だ。きみはあたしについて、これから主人になる相手について何も聞いとらんのか」

「……め、眼鏡をお召しになっているとだけ……それに先生自らがお越しくださるなどとは、思いもよらなくて……」

 

 あぁ、わたしのばか。今度こそやってしまったようです。組合(ユニオン)も組合(ユニオン)です。美人だとか怖そうなひとだとか、もっと見分けやすい情報を寄こしてくださってもよかったのに。

 

「きみは阿呆か。四六時中かけてるわけないだろう。……まぁ、今は修理中で仕事にならんから、あたしが直々に出向いてやっただけだが――まぁいい。ついてこい。工房(アトリエ)に案内してやる」

 

 ハーミズ先生は大きなため息をひとつお零しになり、吐き捨てるようにおっしゃってから、汽車乗り場へとさっさと歩いて行ってしまいました。ついてこいとおっしゃられながらも、それはまるでわたしを突き放すかのような勢いでした。完全に嫌われてしまったようです。

 

 いきなり暗礁に乗り上げてしまいました。今日から始まるグレイトキッチンでの生活は、どうにも前途多難そうな塩梅です。

 

 

 

 

 

 

「性能評価タブレットを見せろ」

 

 がたごとと製造区(メインファクトリー)を横切る蒸気機関車(アイアンホース)のコンパートメントで、先生がわたしに命じられました。見たこともない巨大な工場群に目を奪われていたわたしは、すぐ取り出せるよう、旅行鞄の上の方に仕舞っておいた牛革の大きなタブレットホルダーを掴みだします。

 

 わたしが差し出した評価タブレットをじっくり検分すると、タブレットに打たれた鋲をかりかりと爪でひっかきながら、先生は怪訝そうな表情をなさいました。

 

「ほう、なかなか成績優秀じゃないか。辞令には田舎の貴族(ブルーブラッド)とあったからどんなぼんぼんを押しつけられたものかと不安になったものだが――まぁ、うちに配属されるなら当然のことか。組合(ユニオン)の高官どのも、バッジと給料見当った程度には、わかっているらしい」

「ぜんまいとか時計仕掛けなら、一通り扱えます。蒸気機関もわかります。からくりには強いほうだと思います」

「オートマタ(A)やゴーレム(G)どもじゃないんだ、そんなもんはいらん、というより間に合っとる。文字が読めてあたしの言葉がわかって脳みそがあれば事足りる。ついでに薬学も嗜んでますなどとふざけたことを抜かすつもりなら、転生(リボーンド)までその生意気な口を開けなくなると思え」

「は、はぁ……」

 

 突っ返されたホルダーを片づけながら、わたしは首をひねります。わたしに伝わっていた業務内容は、主としてお薬を作るということだけでしたので、すっかり製造工程に携わるものだと思い込んでいたのです。

 

「……あの。具体的には何をすればいいのでしょうか?」

「あたしがやれと言ったことだけやればいい。やれと言わなかったことは何もするな。工房(アトリエ)を吹き飛ばされちゃ、かなわんからな。ひとまず一年目は助手見習いの、見習いだ。以上」

 

 それきり先生は、もう何も聞かんぞ、といったていでマッチを擦って細巻きに火をつけ、車窓の外へと目を移されました。わたしもつられてグレイトキッチンの街並みを眺めます。

 

 汽車はちょうど谷を渡す高架に差し掛かったところで、鋼の絶壁にびっしりとこびりついた居住区(ウォールタウン)の窓辺の列を一望できました。その川幅にして一マイルはありましょうか、長大な河川に覆いかぶさる谷間のスモッグは、家々の窓から差し込むランプやガス灯の明かりを柔らかく散乱させて、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

 

 そしてその奥、立ち込めた霧からおぼろげに覗く、生まれ育ったふるさととは比較にならないスケールの水門と力強く回転する水車は、それはもう筆舌に尽くしがたい荘厳さをまとっていて、わたしは寒さも忘れて無意識に身を乗り出し、嘆息を漏らしてしまいました。

 

「そんなに珍しいものか? きみがいた産業集合自治特区(アイアンバレイ)にも水門(ウォーターゲート)ぐらいあったろう」

「あんなにおっきいのは初めてです……わ、連絡橋や風車もあんなにたくさん」

 

 対岸に入港した――グレイトキッチンの谷は大きいので、川まで乗りいれることができるようでした――蒸気船(シーホース)から大量の木材を下ろす粘土人(ゴーレム)の樵夫(ランバージャック)さんを見届けたのを最後に、汽車は鋼壁の連絡通路、産業集合自治特区(アイアンバレイ)の体内へとわたしたちを運びます。

 

 コンパートメントが薄暗く染まり、通路にむきだしになった物々しい歯車や滑車、はずみ車、スピンドル、シリンダー、そして蒸気機関が発生させた膨大な排熱がわたしたちを包みました。チェーンとワイヤ、ベルトが産業集合自治特区(アイアンバレイ)の各区に運動量を伝達しているさまが、音と肌でわかります。二十四時間年中無休で稼働しつづけるそれらの機構は産業集合自治特区(アイアンバレイ)の内臓や筋肉、そして血管であり、わたしたちを育む都市が一個の鋼鉄生命である証なのです。

 

 無機質でありながら、グレイトキッチンの命の脈動を意識せざるを得ません。イリエルズの産業集合自治特区(アイアンバレイ)でもしばしば貴族特権で地下に招いてもらっては見学するほど無類のからくり好きとしては、またしても血沸き肉踊る空間です。

 

 汽車はわたしたちを乗せて、地上に再び戻り、管理区(コントロールセンター)、教区(カテドラル)、学区(ユニバーシティ)、組合のお役所(ユニオンロッジ)さえ通り過ぎましたが、先生はどの駅でも下車なさる気配をみせません。一体どこまで案内してくださるおつもりなのでしょうか。

 

 やがて、活気あふれる歓楽区(レッドライト)に。この先はもう、農業区(ファーム)しかありません。

 

 ここまで来ると機械の鼓動よりも玉突き場や賭場にたむろすおとなたちの、お上品とは言い難い声の方が聴覚を占めます。ここ歓楽区(レッドライト)においては、我々の生活をわけへだてなく照らして支えるガス灯も、なにやら妖しげな趣を漂わせています。

 

 はしたない子だとは思われたくなかったので顔を車内へ戻すと、先生がおもむろに立ちあがっておっしゃいました。

 

「降りるぞ」

「こ、ここでですか……?」

「ほう、きみのような世間知らずでも、ここがどういうところかご存じらしい」

 

 先生は有無を言わせず客室を後にして――また鼻で笑われてしまいました――、プラットホームに出てしまわれました。わたしも鞄を引きずり、慌てて追いかけます。どれだけ揶揄されようが、わたしにはついていくほかなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 酒場やいかがわしい雑貨屋が立ち並ぶ歓楽区(レッドライト)で、わたしのような小娘はひときわ目立っていたことでしょう。四方八方から突き刺さるような視線を感じました。

 

 最初はうつむき加減で、はぐれないよう先生の安全靴だけ目にとどめて歩みを進めていたわたしですが、まぁなんと言いますか、気になるものは気になります。

 

 それに、駅から仕事場への道のりは覚えておかなくてはいけません。グレイトキッチンの発展とともに拡張されてきた区画なのでしょう、どうやらこの辺りは迷宮のように複雑怪奇に入り組んでいるようです。

 

 組合(ユニオン)の地図は大層几帳面に作られていましたが、きっとそれだけを頼りにするだけでは一筋縄ではいかず、目印となるものを探し出し、しかと目に焼き付けておく必要がありそうでした。

 

 わたしは一種の使命感を原動力に、上目遣いでこわごわと辺りの様子を盗み見ます。

 

 するとどうでしょう――。路地裏や店先などのいたるところで女性の自然人(ヒューマン)や娼婦然とした女型の自動人(オートマタ)たちが腰に手をまわしていたり、お膝の上に乗って抱き合ったり、甘い声でやだもーだめよんなどと囁き合い、口づけを交わしていたりしているではありませんか。

 

 そして中には、相方の女性の下着に手を忍ばせ、ねとねとぐっちょりといった感じであられもない声を上げさせていたり、あわわ、なんとスカートに頭を突っ込んでいる方まで――。

 

 何をなされているのか気になって仕方がありませんが、なんだかとっても見てはいけないものを見ているような気分になってどきどきします。あぁ、恐ろしい……まさしく未知の、おとなの領域です。

 

 しばらく重い荷物を抱えて移動していたのと、歓楽区(レッドライト)独特の空気に当てられたのでしょうか、次第に身体が火照ってきてふらふらします。まだわたしには早すぎる世界だったのでしょう。

 

 でも毎日ここを通勤しなければならないことを考えると先が思いやられます。今となってはもはや、はやく工房(アトリエ)とやらに到着することを祈るばかりです。

 

 頭を振って雑念を追い出し、気を取り直して正面を向きます。そしてわたしは愕然として、あんぐり口を開けたまま立ち止まってしまいました。

 

 ずっとぴったりくっついていたはずの先生が、忽然と姿を消されているではありませんか。先生ともあろうお方が、迷子さんになってしまったのでしょうか。いえいえ、そんなわけがありません。誰がどう見ても、冷や汗をだらだら流して挙動不審に周囲を激しく見渡しているいかにも余所者なわたしこそが、迷える子羊と言えましょう。

 

 大慌てで地図を鞄から引っ張り出して照らし合わせてみるも、現在位置すらわからないので何が何やらさっぱりです。近くに先生のおっしゃっていた工房(アトリエ)らしき建物も看板もありません。

 

 前方にはぼろきれのような衣服や油脂のこびりついた紙くず、割れたガラス片が散らかり、赤黒くて生臭そうな物体に群がるネズミの姿に、焚火を囲む評価剥奪者(アウトロー)さんたちが。今来た道、後方にあるのは異国の合成人(クリーチャ)さんがヘロインやコカインを取り扱っている、俗に言う薬宿だけ。

 

 あろうことか歓楽区(レッドライト)でも面妖な無法区(ジャングル)に迷い込んでしまっていた模様です。わたしが齢十にしてこんなところに踏み入ってしまったのを、天国で見守ってくれている父や母はさぞ嘆き悲しんでいることでしょう。

 

 助けを求めようにもみなさん――その……、お取り込み中もしくは旅立っておられるので、道を尋ねようにもなかなか踏ん切りがつきません。わたしの胸中を取り巻いていた焦燥が、不安、そして絶望へと転じていきます。

 

 もしこのまま先生と出会えなければ、グレイトキッチンにやってきて間もないというのに、わたしは一日と経たずに凍死してしまうでしょう。わたしに残された財産の大半は路銀へと変わり、この軽いお財布ではグレイトキッチンのお高い物価には到底太刀打ちできそうにありません。きちんとした宿を見つけるのにも困難を極めるでしょう。物乞いなどはもってのほか。クラウラ家の矜持が許しません。

 

 気づけば、込み上げてくるものがありました。今のひとりぼっちのわたしにはそれを我慢する術がなく、ただただ両の眼から溢れさせるままに、涙を流してしまいます。このまま見知らぬ土地で朽ち果てていく身となるのでしょうか。このまま転生(リボーンド)もできずに哀れな末路をたどるのでしょうか。このまま母との約束も守れずに――。

 

「だいじょうぶですか?」

 

 そうして立ち往生していると、ふと優しげでおっとりした声音がわたしの頭に降り注ぎました。顔を上げると目の前には、大きな二つの丘に持ち上げられた、グリースやペンキで汚れた作業用エプロンワンピースが広がっていました。エプロンから上へ上へと目でたどっていくとそこには、そう――、聖母がおられました。

 

「お怪我は――ありませんね。迷子になっちゃいました?」

 

 お日さまのような柔和な微笑みをたたえ、垂れ目がちな深みのあるブラウンの瞳でわたしをうかがいながら、その若いヒューマン(自然人)の女性がわたしに目線を合わせて小首をかしげました。肩口でふわりと栗色の髪が揺れて、愛らしい耳朶に装われた白金のピアスが煌めきを放ち、甘い焼き菓子のような匂いがわたしの鼻腔をくすぐります。歳のほどは十七、八でしょうか、豊かなお胸から成熟したヒューマン(自然人)であることがわかります。

 

「かわいいお顔が、だいなしですよ」

 

 女性は持っていた木箱を小脇に抱え、いかめしい革手袋を外して雪色をしたきめ細かい肌の手でハンカチを取り出し、親切にも涙を拭いてくださりました。

 

「お名前は?」

「あの……、クラウラです……。エリスタ・クラウラ」

「いつもなんて呼ばれてますか?」

「エルシー……、です」

「そう、エルシー。あたしはお師匠さまに、エルマって呼ばれてます。エルシーとエルマ。なんだか似てますね」

 

 エルマさんはくすりと童女のように笑って、腕を伸ばされました。すべすべして、ヒューマン(自然人)特有の柔らかくも懐かしい体温が、わたしの手を温めます。おお……、なんと無邪気で、慈愛に満ちたおひとなのでしょうか。歓楽区(レッドライト)も捨てたもんじゃありません。暗いスモッグでふさぎこんでいたわたしの心に、太陽の光が差した心地です。

 

 まさしく、聖母。それがわたしの、エルマさんの第一印象でした。

 

「この通りは長居するにはよくないところですから、とりあえず場所を変えましょうか、エルシー」

 

 わたしがこくりと頷くのを見てエルマさんは鷹揚に頬を緩めました。そうして手を引かれるままに路地をゆく間、わたしはエルマさんの清楚な横顔に見惚れていました。

 

 服装やお師匠さまという発言からして、どこかのマイスターのお弟子さんだと推し測ることができます。歓楽区(レッドライト)に似つかわしくないのも頷けました。きっとこの近辺で、お仕事を頼まれたのでしょう――そんな勝手な想像を膨らませていると。

 

「あたしのお師匠さまに許可をもらってきますから、ほんの少しだけ、ここで待っててくださいね」

 

 いくつか角を曲がり、五十ヤードも歩いた頃です。エルマさんはそうおっしゃい、すぐ脇にある二階建てでこじんまりとしていて、いかにも寂れた薬宿の、バイン材の戸をぎいいと開けました。

 

「お師匠さまー。お使い行ってきましたよー。はい、どうぞ」

「お、おお、エルマか。ちょうどよかった、おまえとこれがなかったせいで厄介なことになってな――」

「すみません、お師匠さま。今それどころじゃないんです。またちょっと出てきますね」

「なんだと、主人のあたしを差し置いてどこに行こうっていうんだ」

「どうせまたその辺をほっつき歩いて、失せ物をこしらえただけでしょう。だから一歩も動かないでと申し上げましたのに。あとで探してあげますから、今度こそ大人しく留守番しててくださいね」

「いや、おい、頼むエルマ、聞いてくれ、失せ物は失せ物だが、事は急を要する」

「そんな高価な物はうちにはございません。エルマは迷子の道案内で忙しいんです。では、行ってきますねー」

「……待て、エルマ。その阿呆の迷子をしょっぴいて、あたしに面を見せろ」

 

 エルマさんを押しのけ古ぼけた薬宿から亡霊のようにぬっと現れたのは、銀縁の眼鏡をかけて作業着に身を包んだ黒髪の美女――。

 

「エルマ、やはりおまえはできたやつだ、あたしの失せ物は、まさにこのうつけ者だ」

 

 ハーミズ先生そのひと、だったのです。

 

 先生は冷え切ったまなざしで忌々しげにわたしを見やると、無言で薬宿にひっこんでしまいました。

 

 エルマさんは困ったような表情で先生が去った戸口と、事態について行けず呆然とするわたしとを見比べてから、薬宿を手のひらで指し示し、

 

「なんだかよくわかりませんけど……工房(アトリエ)へようこそ、エルシー」

 

 すべてを受け入れ、許してくれるような聖母の微笑で、わたしを歓迎してくれました。

 

 

 

 

 

 

「まったくもう、本当にお師匠さまったら甲斐性なしですこと! 新しい子が来るなら来ると、もっと早くエルマにおっしゃってくださればよかったのに」

 

 清潔なエプロンに着替えたエルマさんが、つんけんしながらニンジンをいちょう切りにしていきます。華麗な包丁さばきの中にどこか鬼気迫るものが秘められ、わたしは初めてエルマさんに対して少なからずの畏怖を覚えました。

 

「おまえを朝一番に眼鏡の修理に使わしたあと、特にやることもなかったから部屋の整理をしていたら、辞令を発掘したんだ、仕方がなかろう。むしろ肝心なときに掘り当てたあたしを褒めてほしいものだ」

 

 憮然として椅子に腰かけた先生が細巻きを吸い点けます。壁に備えつけられた時計仕掛けの換気扇の紐を引っ張って歯止めの金具を外し、まわしはじめました。

 

「だから、忘れる前に、組合(ユニオン)から辞令が来た段階でエルマに教えるか、辞令を預けておいてくださればよかったんです! そうすれば眼鏡などほっといてエルマがエルシーを迎えに行きましたのに」

「それはいかん。あの時計師(クロノマイスター)がご執心なのはおまえの腕と愛嬌なんだ、あたしが出向いたところで銭を請求されるのが自明だ」

「たまにはエルマの労働力以外で取引なされたらどうなんですか? お師匠さまがあっちこっちで面倒事を起こすせいで、エルマは苦労が絶えません」

「面倒事の方があたしを好いて舞い込んでくるんだ、どうしようもなかろう。……第一だ、こいつがはぐれたりなどしなければ、話は簡単だったんだ。あたしは何も悪くないぞ」

「す、すみません……」

「こら、お師匠さま! いいおとながこどもに張り合ってどうするんですか! 気にしなくていいですからね、エルシー」

 

 てきぱき手際良くお夕飯の支度を進めながら、ぴしゃりとエルマさんが先生をしかりつけました。先生はばつが悪そうな顔をなさって、ふてくされたみたいに分厚い革表紙の本をひもときだんまりを決め込まれました。

 

 なんとなく気まずくなって、エルマさんに問いかけます。

 

「あの、エルマさん。何かわたしにお手伝いできることはありませんか?」

「そんな、滅相もない。長旅で疲れてるでしょうし、気遣いは無用ですよ。お気持ちだけで十分です。エルシーは今日はお客さまなんですから、ゆっくりくつろいでいてくださいな」

 

 わたしはテーブルにつかされたまま、薬宿の――工房(アトリエ)の内部を目で物色します。工房(アトリエ)の内装は外見とは裏腹に全体的に綺麗で小ざっぱりしていて、整理整頓が行きとどいていました。きっとエルマさんのおかげなんだと断言できます。

 

 一階にはお手洗いとお風呂の他には大部屋しかなく、ここ大部屋には床一面タイルが敷かれていて、調理場と、フラスコやアルコールランプ、蒸留器、拡大鏡が並ぶ作業場が併設されています。中でもひときわ目を惹くのは天井に届くほどの壁を埋め尽くす薬棚。けばけばしい名状しがたい色の薬液やお目にかかったことのない草花、ホルマリン漬けにされた爬虫類や両生類、昆虫などなどが所狭しと収められていました。

 

 極めつけには、大部屋の隅に鎮座している、わたしひとりがすっぽり隠れてしまいそうな大釜です。これではまるで聞き伝えにある魔術師(メイガス)さんの隠れ家じみているではありませんか。先生のご職業について、大きな工場と最新の設備で万能融解液を量産するイメージを持っていたわたしは、認識を改めさせられます。

 

 しかしとにかく、危険な違法薬物を取り扱っているわけではなさそう――そもそもエルマさんがお許しにならないでしょう――なので、安心してよさそうでした。

 

「お鍋が参りますよー。みなさん、お片してくださーい」

 

 エルマさんが湯気を立ちのぼらせる鉄製のお鍋を、テーブルの鍋敷きにどっかと乗せました。野菜と鶏肉のシチューです。食欲を誘う香りがわたしの空腹に直撃し、自然と口の中につばが湧いてきました。

 

 バゲットを添えたお皿が配られていきました。お祈りをしてからみんなで、頂きます。

 

「わぁ……とってもおいしいです!」

「たくさん作りましたから、いっぱいおかわりしてくださいね」

 

 コクのあるスープを一口飲み込むごとに、熱い命の息吹となって身体の芯まで染み込んでいくような感覚があります。これまで食べたどんなシチューよりも美味でいて、そして、母の味付けに少しだけ、似ているような気がしました。

 

「エルシー、どうかしましたか? もしかしてニンジンは苦手でした?」

「あ……、いえ……。その、あんまりおいしくって、どうやったらここまでおいしくできるんだろうって、考えてました。エルマさん、本当に料理がお上手なんですね」

 

 エルマさんはスプーンの動きを止めたわたしを見かねてくださったのでしょう。心配をおかけしたくなかったからとは言え、嘘をついて――ニンジンが苦手という意味でも――しまいました。エルマさん、ごめんなさい。

 

「きみは炊事はできんのか」

 

 読書を続けながらシチューを口に運んでいた先生が、わたしに訊ねます。

 

「できません……でも、お裁縫とか編み物なら――」

「そんなことは聞いとらん。料理はこの仕事に通ずるところがある。心得があれば、直感的に理解する助けにもなる。ゆえに学べ。明日からエルマに手を貸し、教えを乞え」

「ちょっとお師匠さま、突然何言い出すんです。自分はちっとも家事なんてしないくせに。エルシーはまだ来たばっかりなんですよ」

「……あの、エルマさん。いいんです、わたし、手伝いたいです。もちろんエルマさんほどうまくできないと思いますし、力不足で足手まといでしょうけど……わたし、頑張って料理を覚えます。手伝わせてください」

「そ、そう……? あたしは全然構わないといいますか、大助かりですけど――」

「エルマ、あんまり甘やかすな。こいつはもううちの従業員だ。賃金を払ってるのはあたしだ。職務を果たすのに必要な技能を要求するのは、雇い主として当然のことだ」

「どうせそのお給料も結局はアルマを使うんでしょう。わかってるんですからねっ」

「まぁ、というわけで諸君、早速明日の朝餉から頑張ってくれたまえ」

「あ、朝からですか? あの、でも、居住区(ウォールタウン)からここまで遠いですし、午前中にお役所で住民登録を済まさないと――」

「登録などもう終わっとる。今日きみを迎えに行く前、きみに貸与された部屋を売り飛ばすついでに、ロッジに寄ってあたしがやっておいた。至れり尽くせりだろう。ひどい人ごみでそれはもう苦労させられたもんだが、感謝などいらんぞ。情け深いあたしを崇め敬い奉るがいい」

「……」

 

 先生はジャガイモをもぐもぐ咀嚼しながら、こともなげに言い放たれました。

 

 開いた口がふさがらないとは、こういうときのために用意された言いまわしなのでしょう。わたしはあたかも何の前触れもなく氷河期真っ最中の産業集合自治特区(アイアンバレイ)の外へ放り出されたかのように、凍りついてしまいました。

 

「な――ッ! お師匠さま! あなたっていうひとは、いったいなんてことをしでかしてくれたんです!」

「こいつが言った通りだろう。居住区(ウォールタウン)とここは離れ過ぎている。通う時間が無駄だ。交通費を請求されてもかなわんからな。だいたいあんな息が詰まる穴ぐら、教育上よくないだろう、うん」

「本当にそういうことばかりは手が早くてらっしゃるんだから……あぁ、もう! 今日という今日は堪忍なりません! エルマたちのみならず、よりにもよって行く当てもない小さなおんなのこのお家まで売り飛ばすなんて!」

「住処ならここがあるだろう。現にあたしたちも住みついているじゃないか。違法性もないしな」

「エルマたちが住んでるからお部屋がもうないんですったら!」

「おまえの部屋に置けばいい。どうせ閑散としてるんだ、こどもがひとり増えたところでどうということはない。むしろちょうどいいぐらいだ」

「エルシーは犬猫じゃないんですよ! それにエルシーだって嫌に決まって――」

「あ、あの……エルマさん」

 

 ようやく我に帰ったわたしは、すごい見幕で先生と反発するエルマさんを呼び止めます。

 

「わたし、別に嫌じゃないです。その、エルマさんさえよければ、ですけど……」

 

 エルマさんはとっても面食らったみたいにブラウンの瞳をぱちくりさせたかと思うと、いからせていた肩からふっと力を抜いて、

 

「……なんだかごめんなさいね、横暴なひとで。あたしはもちろん、大歓迎ですよ。これからよろしくお願いしますね、エルシー」

 

 聖母のような笑みを浮かべました。

 

「こちらこそ、ふつつか者ですが、お世話になります……エルマさん」

 

 正直に申しますと。わたしはこの瞬間だけ、先生に感謝していた気がします。

 

 そして、わたしとエルマさんの間に、やおら先生が空になったお皿を突きだしました。エルマさんの表情がみるみるうちに再び憤怒を宿らせていくのが手を取るようにわかります。

 

 たっぷり五秒もお皿は宙に浮いていたでしょうか、じきにじれたように先生が腕を上下に振りはじめました。

 

「おい、エルマ、おかわりだ。何をやっている」

「――そういえばお師匠さま」

「なんだ」

「エルシーの住居を売り払ったお金はどうなさったんですか?」

「愚問だな。今日のあたしの人件費だ、当たり前のことを聞くな」

 

 その後、わたしがお風呂を頂くまで、聖母はお隠れになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

「狭っ苦しいところでごめんなさいね」

「いえ、そんなことないです。……お邪魔します」

 

 あのあとみっちりお灸をすえられた先生は、エルマさんのお部屋を閑散だとおっしゃいましたが、わたしはそうは思いませんでした。

 

 わたしの期待通り、隅々まで手入れの行き届いた落ち着きのある調度品に、たくさんのご本。化粧台にあるお化粧品はわたしの目には宝石のように飾られているようにも映り、おとなの現れと言えましょう。そして何より、エルマさんと同じ、ふんわりとした甘い焼き菓子のような、バニラのような芳香が、わたしをときめかせました。

 

「今日からここで寝泊まりするんですから、そんな硬くならないでいいんですよ。今日のところは、そうですね、すみませんけど、あたしのベッドを使ってください。明日ちゃんと、エルシーのベッドを見繕っておきます」

「えと、エルマさんはどこでお休みになられるんですか?」

「あたしはどこでも寝られますから、気にしなくていいですよ」

「そんな! 何から何まで、悪いです。一日ぐらいへっちゃらです。わたしが床をお借りします」

「いーえ、なりません。かわいいおんなのこにそんなことさせられません。あたしが床で寝るんです」

 

 きっぱりと断言するエルマさん。譲る気持ちはさらさらなさそうなご様子です。かと言いましても、わたしも何から何までエルマさんのお世話になりたくはありませんでした。

 

 そこで、わたしはおずおずと提案します。

 

「あの……、じゃあ、その……一緒に、寝ませんか……?」

「ええっ! で、でも……、たぶんこのベッドじゃ窮屈だと思いますよ……お師匠さまにもよく言われますけど……あたし――、太っちょですから」

 

 恥ずかしそうに消え入るような声で呟くエルマさんに、わたしはびっくりしてかぶりを振りました。

 

「そんなことないです! エルマさん、とっても、素敵でした!」

 

 嘘偽りない、本心からの言葉です。先ほどふたりで入浴したときに、エルマさんのお身体がダイナマイトでありながら余分なお肉が一切ついていないことを、わたしは確認していたのです。

 

「ぁ、う……、そ、そう……? その、あ、ありがとうございます……?」

 

 耳まで赤くしながら、エルマさんがはにかみました。

 

 わたしはなんだかたまらなくおかしくなって、吹きだします。一瞬きょとんとしていたエルマさんも、わたしのおかしさが感染したみたいに、くすくすと屈託なく笑いだしました。

 

 ひとしきりふたりしてお腹を抱えたあと、エルマさんが切り出しました。

 

「そろそろ……、休みましょうか」

 

 どちらともなくベッドについて、エルマさんがランタンの灯を消しました。

 

 真っ暗闇に落ちた部屋の中で、鼻先で横たわるエルマさんのシルエットがぼんやりと浮かびあがります。

 

「おやすみなさい、エルマさん」

「おやすみなさい、エルシー」

 

 そっとひそやかに、囁きあって。

 

 自覚はまったくありませんでしたが、いろいろあった長い一日だったため、わたしは疲れていたのでしょう。

 

 甘い匂いに守られて、その日、粘つくような深い睡魔に飲み込まれるのは、あっという間のことでした。

 

 

 

「G code1:Great kitchin's madonna

 グレイトキッチンの聖母」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。