生命製法売ります C code2
「
朝食を終え、用事を言いつけられたエルマさんが外出されたので、
わたしはあらん限りの知識を総動員して、先生の質問に答えます。
「えと……、
「さてここで言う
「A、C、G、Tの四つです」
「して、
「四つの
それはもう、一世紀以上も昔の話です。地球を襲った
世界中で草花が枯れ、大地が凍てついていく時代、戦争などやっていられません。そこで険悪なムードだった人類がいやいやながらも手を取り合って発足した
しかし
人口減少への対抗策には、飢饉や寒冷を和らげるなどが挙げられますが、実際問題として人口増加に直結する手段といえば、唯一、ひとがひとを産むことしかありません――主も産めよ増やせよとおっしゃられています――。とは言いましても、
さまざまな分野の学者さんたちは知恵を絞りました。労働力を確保しつつ食べ物を消費しなさそうな時計仕掛けの自動人形をがらくたから組み立ててみたり、いろんな動物を掛けあわせて寒さや病気に強そうな合成生物を生み出してみたり、耐久性と運動量を求めて青銅で作ってみたり、そんなことを続けていると資源がいくらあっても足らないのでコスト重視の泥製人形も試してみたり。
学者さんたちは頑張りました。本当に頑張りました。どれも循環構造や運動機能だけなら
学者さんたちは頭を抱えました。どれだけ調べても調べてもわからないことが、ひとつだけあったのです。それは命の引き金、始まり、原初、秘奥と呼ばれるものです。時計仕掛けに言い換えるなら、生命が動き出すのを止めている歯止めの抜き方。ぜんまい仕掛けなら、心臓のぜんまいの巻き方。そういったものを発見することが、学者さんたちにはできませんでした。
そんな中、人類の最後の望みとして立ちあがったのが――魔術師さんの一派である
人類は
なんということでしょう、人形たちはむくりと起きだし、まるで生きているかのように叫び声を発し動きまわり――実験に立ち会っていたひとたちを皆殺しにしてしまったではありませんか。人形の性格は元となった
この教訓をもとに立ちあげられた制度が、個人性能評価です。各分野において一定以上の技能、人格適正水準を満たさなければ、
悲しいかな、人類は差し迫っていますから、そういった無駄を省くためにもこの性能評価は避けられないことでした。そのため人類は、種全体のために
さてさて紆余曲折を経ましたが、苦節の末、かくして人類は
「ほう、なかなかどうして博識らしいな、きみは。三割ぐらいは正解としてやろう」
「は、はぁ……」
褒められているのかけなされているのかさっぱりわかりません。
「
先生は細巻きの煙を吹きだしながら、眼鏡の位置を直し、遠い目をなさりました。
「生きた人間ひとり消費して、その因子を四分割する。それは一見、量は増えているが、所詮まやかしに過ぎん。
「今のままではいけないのでしょうか。
「ふむ。では、きみは螺旋というものをどう捉えている」
「螺旋……ねじやばねのことでしょうか」
「そう、そういった形を持つものだ。螺旋はこの世界に無数にある。たとえば月。たとえば蛇。たとえばおんな。たとえば
「はい」
「それはきゃつらが螺旋を持たぬからだ。
「でも、
「ふむ。そうだな、もう少し感覚的な話をしてみよう。こいつは余談だが、たとば東洋に輪廻転生という思想がある。これは螺旋を持つ生命は死後、新たなまったく別の生命に生まれ変わるというものだ。螺旋そのものが生と死、時間と空間を飛び越えて、螺旋であり続けるのだ。そうして永遠に生と死を繰り返し、螺旋を循環させていく、言ってみれば生命の代謝だ。この思想に則って言うと、どうなる」
「
「そうだ。もっともあたしがこの思想自体を鵜呑みにしているかどうかは別だが――、そうだな、次は円と螺旋の違いを述べてみろ」
「有限か無限か、でしょうか」
「完全か、不完全かだ。
「えと……苦労させて、自惚れないように、でしょうか」
「まぁ、
「便利になる、と思います。
「その通り。
「……わかりません。でも確かに、えと、主体性がない気がします」
「そう、その主体性が問題だ。行きすぎた利便性は主体性を抑圧する。主体性は方向性で、時間発展だ。時間発展しない周期性を持つもの、それが円となる。円と螺旋は有限か無限かではなく、時間の有無だ。時間の消失は多様性の消失へと繋がる。このままいけば、いずれ人類はその螺旋性をすり減らしていくかもしれん――そんなあたしの危惧は、杞憂かね」
「わかりません……でも、わかる気がします」
「長くなったが、まぁ、あたしは別に
「それは、螺旋を生み出すこと、でしょうか」
「命を、だな。世の
「で、でもそれって……」
「そう、神の領分、神の主権を侵害し、簒奪する行為だ。一言で片づけるなら、あたしは神になりたいだけだ。皮肉なもんだとは思わんかね、不完全なものを創りだすために、完全な存在になるとは」
「そ、それでその研究の成果は――」
おそるおそる先を促した私の声は、かすれていました。先生は薬棚にお行儀よく連なった薬瓶を視線で追っていき、おっしゃられました。
「傷薬に風邪薬、打撲に効く軟膏、精力増強剤、副作用のない避妊薬と、冷え性にも効果のある排卵誘発剤、水なしで飲める抗うつ剤、人体には無害だが金属を腐食させる湿布、特定の薬液でしか起爆できない粘土火薬、痺れ薬、酸化すると急速に固まる強力接着剤、地獄の苦しみをもたらす催涙煙幕、よく滑る粉石鹸。他にもまだあるが、まぁ、多岐に渡るな」
「全然できてないんですね……」
がっくり肩を落としてしまいます。
「そう簡単にできるものか。だがしかし、侮るなかれ、そういった副産物のおかげであたしやエルマは飯にありつけてきたんだ。それなりに需要がある。……うちは一応、
世間からすれば、先生は異端者です。現代でもっとも権威ある職業の
わたしも最初はなんと畏れ多いことを、と仰天してしまいましたが、先生が真剣に人類の未来と――そしてお金と――向き合っているそのきもちを汲み取れて、共感の念を抱いていました。なんだかもりもりとやる気が沸き上がってきます。
「それで……わたしは何をすればいいんでしょうか」
「まずは本を読んで学び、知識を蓄えろ。意外な観点とひらめきはどこにでもある。医学、数学、哲学、天文学、なんでもだ。貪るように読め。そして何事も効率的に、だ。当面の間は調合に慣れてもらうためにも、うちの売れ行きのいい薬を補充する形で作れ。工程を言うぞ、いいか、まず――」
一語一句聞き洩らさじと耳をそばだて、わたしは万年筆を執りました。わたしに課せられた課題は、なかなかに気が抜けなさそうです。
どしん。次いで、がたがたと、
その揺れの大きさは、レシピを照らしていたろうそくを転倒させるほどでもありませんでしたが、わたしは不意を突かれて手元が狂い、薬瓶の中身を全部、ビーカーの中へぶちまけてしまいました。
「あ、わ」
「ばかもの、早く火からおろせ! やってくれたな。高くはないと言えど、一昨日骨を折って仕入れたばかりの溶液をおじゃんにしてくれおって……給料から引いておくぞ。まったく、先が思いやられるな」
「す、すみません……」
大目玉を食らってしまいました。初日から大失敗です。しかし今の衝撃は何だったのでしょうか。
その疑問に答えるように、ぎいいと蝶つがいが軋みを上げてバイン戸が引かれ、エルマさんがひょっこりと顔を出しました。
「ただいま戻りましたー」
「エルマ、おまえが怪力なのはいいことだが、ドアをノックするならもっと労わってやれ。
「失礼な! お師匠さまはエルマをなんだと思ってるんですか!
「わ、エルマさん、もう見つけてくださったんですか、ありがとうございます!」
「ふふ、今日のお手伝い先のひとの仕事場によさそうなものがあったので、交渉して格安で譲ってもらったんです。エルシーのために頑張っちゃいました」
えっへんと誇らしげに、エプロンワンピースを押し上げている豊かなお胸を張るエルマさん。さすが、頼もしいお方です。
「エルシー、あたしとお師匠さまで配置しておくので、受け取りの手続きをしておいてください。お代はもう支払っていますから」
「おい、エルマ、
「そうおっしゃると思いましたよ。心配なさらずとも、エルマの自腹です」
「ええっ! そんな――」
「いいんですいいんです、あたしからの、エルシーのお引っ越し祝いです。受け取ってくださいな。あたしの評価タブレットは一階の戸棚にありますから、よろしくお願いしますね」
「あの、なんと言ったらいいか……本当にありがとうございます!」
言われたとおり、
染料をつけて
「あんな重いもの持ったのは何ヶ月ぶりだか……」
「お師匠さまはもっと運動してください、あと煙草も、よくないですよ。それから――」
「本当にがみがみうるさいやつだな。おまえはあたしの母親か」
「そんなに歳は食ってませんっ!」
「喚いてないで、飯にしろ。腹が減った」
「はいはい、ただいま」
エプロンの紐を結びながらエルマさんが台所に立ちました。わたしもそれにならう前に、エルマさんのタブレットを元に戻して廃液をきちんと中和してから調合器具を洗浄していると、ふと思い至ることがありました。
「そういえば、エルマさんは
「……」
「……あー……、それはですねー……」
先生曰く
「……以前は少し齧っていたんだがな、幾度となくその怪力で試験管やらビーカーやらを割られ、
「ちょっとお師匠さま! そんな昔のこと蒸し返さないでください!」
「意外です……エルマさんすっごく器用そうなのに」
「あー、その、ひとには向き不向きがあるというか、あたし、
エルマさんがきまりが悪いのをごまかすように笑いました。先生のことをお師匠さまと呼んでいるのは、たぶんその昔の名残なのでしょう。
「という次第で今は
そう告げて、先生は読書に没頭なされました。その面持ちはどこか憂いを帯びていて、それは料理を再開したエルマさんも同じでした。
よほど辛い過去だったのでしょう……もう二度と口にはすまいと心に決めて、夕餉のお手伝いに加わりました。
この二日間でわかったことがひとつあります。
それはエルマさんの手がけるご飯があまりにも美味しすぎ、おかわりしすぎてしまうことです。
もちろんご飯が美味であることは嬉しいことこの上ないですし、エルマさんはきちんと栄養バランスを加味して献立を考えてくださってますので、育ち盛りのこの身としてはとてもとてもありがたくご馳走になっています。ですがやはり食べすぎは禁物。
この食生活を続けていれば、わたしもいつかエルマさんのようなダイナマイトに――というのはさすがに虫がよすぎるお話でしょう。自分を戒めなければなりません。
そんなことを食事中に考えながら、結局ぺろりとニョッキにフリット、カプレーゼをたいらげたわたしは、激しく存在を主張する胃袋に悩まされながら入浴を済まし、お部屋に戻るなりどさっとソファベッドに身を投げ出しました。
「く、苦しいです……」
「えっ!? そのベッド、硬すぎました? ごめんなさい、あたし、エルシーの意見も聞かずに選んじゃって……」
「あっ、違うんですっ、その、お夕飯を頂きすぎちゃったので、お腹が苦しかっただけですっ。ベッド、素敵ですっ」
慌てて取り繕うわたしを見て、エルマさんがほっとされます。
「それはよかったです。エルシーはおいしそうに食べてくれるから、あたしも作りがいがあるってもんです」
「エルマさんって、本当にすごいです……エルマさんの手料理より美味しいもの、今まで食べたことありません」
「そ、そんなことないですよ。エルシーだって、かなり筋はいい方だと思いますよ。すっごく助かっちゃってます。エルシーは、すぐに上手になります。あたしが保証します」
「でもやっぱり、エルマさんはすごいです。尊敬しちゃいます。お料理だけじゃなくって色んなところでお役に立っているし、美人で優しくて面倒見がよくって頼りになって……からくりだけが取り柄のわたしとは、大違いです……」
昼間、
今のところ何の才能も発揮せず、ただお世話になっているだけのわたしは、気が滅入ってしまっていました。
「……エルシー」
枕に顔をうずめていたわたしの横に、エルマさんがお尻をおろします――ぎっしとなんだか嫌な音がしてソファベッドがやたらと沈んだのは、ベッドが年代物だったからに決まっています――。ふわりとかぐわしいバニラの匂いと、わたしの髪を梳くように撫でるエルマさんの温かい手のひら。
「何も気に病むことはないです。エルシーはまだ、幼いんですから。焦ることもないです。ゆっくりでいいんです。せいては事を仕損じる、ですから。頑張らなくちゃいけないときは、頑張らなくちゃいけないときにしか来ないんですから」
落ち着いた声音。匂い。人肌。その慈しむような手つき。包み込んでくれるような。慰めてくれるような。そんな存在。それはわたしにあるものを連想させます。
「それにエルシーだってかわいいじゃないですか。つやつやの金髪に、綺麗な翠の目。将来は絶対、誰もがうらやむような美人さんになりますよ。エルシーは、優しくって思いやりがあって、謙虚で素直ないい子です。あたしずっと、エルシーみたいなかわいい妹が欲しいって思ってたんです」
どきり。
「あっ、あのっ……、わたしも、同じこと考えてました……エルマさんみたいな、おねえちゃんが欲しいな、って……」
「あらあら。やっぱりあたしたち、似てるんですかね」
くすり。
「そっ……その、えと……呼んでみてもいいですか……? ――おねえちゃん、って……」
「――っ!? かっ、かまいませんけど……」
かすかに息を飲む気配がしました。わたしの頭を撫でる手がぴたりと止まります。
唇を湿らせて、噛まないよう気をつけながら、勇気を振り絞って慎重に舌の先で紡ぎだします。
「……おねえちゃん」
「っっっ……!」
顔から火が出るとはまさにこのことです。自分から言い出したにも関わらず、とてつもない暴挙を働いてしまったかのようでした。ですがとても……甘美な響きでした。気恥ずかしさすらも、なんだか嬉しいような、そんな感覚です。
「ぁ、う……」
「……?」
いつまで経っても返ってこない反応を不思議に思って肩越しに振り返ってみると、エルマさんは瞬きを忘れて顔じゅうの筋肉を硬直させていました。いったいどうしてしまったのでしょうか。
「おねえちゃん……?」
再び呼んでみると、やにわに正気に戻ったように、たぶんわたしとおんなじぐらい赤面しながらエルマさんはうろたえて、
「あっ――、だっ、だめですっ、だめっ! もうだめっ! おねえちゃん禁止ですっ!」
「えっ!? ど、どうしてですか?」
「……はっ、恥ずかしすぎます……っ」
ぱたぱたと手で首筋を扇ぎ、そして弾かれたように立ちあがってランタンの火を落としてしまいました。
「もう寝る時間ですっ。おやすみなさいっ」
「は、はい……、おやすみなさい……」
床に就くにはまだ早い時間のような気がしますが、勢いに押されてわたしもシーツをかぶります。
口元がほころんで仕方がありませんでした。エルマさんは年上のひとなのに、そんなたまに覗かせるはにかみ屋なところを、わたしはたまらなくかわいく思ってしまうのでした。
それは、わたしの郷愁をくすぐる光景でした。
懐かしき生まれ故郷、イリエルズ郊外にある埠頭です。わたしはボラードにちょこんと腰かけて、水平線を望んでいます。右手には大きくしっとりとした温度があり、おとなに手を繋がれていることがわかります。首を動かし、その手の持ち主を仰ぎます。
お世辞にも豊麗とは言い難い華奢な肢体。背に届く、ゆるやかに波打つ金髪。深い翠の瞳。わたしの、母です。
母は言います。
「おとうさん、遅いね」
そう、今日はおとうさんにひと月ぶりに会える日です。おとうさんは領主でありながら蒸気船の
ですがいつまで経っても、日が傾き、辺りがたそがれ、星々が現れ、満月が夜空から煌々と白い光を降り注ぐ時間になっても、おとうさんの船は帰ってきません。やがて、あるいはにわかに、異変は起こりました。
ぽつり、またぽつりと、水平線に小さな光が浮かび上がります。おとうさんの船でしょうか。いいえ、それにしては灯りが多すぎます。その光は数を増やしていき、点々としていた輝きは連なりへと変わります。
その一個一個が徐々にこちらへ近づいてきて、ざわざわがやがやと何やらさざめいています。わたしは生理的な嫌悪感を抱きはじめていました。
わたしは母と顔を見合わせました。母も同じ感覚を覚えていたようで、
「逃げましょう」
とわたしの手を引いて駆け出しました。
クラウラ家が管理している、イリエルズを囲う麦の
そして不思議なことに、イリエルズにはひとの姿が見当たりませんでした。まるでわたしと母以外のすべてのひとが消え去ってしまったかのように。さらにスモッグさえも晴れ渡り、イリエルズに入ってもまだ満月の姿を拝むことができました。
息を切らしながら
わたしは悟りました。これは死の光です。生命を司る太陽の光を、反射しているからです。
「
母が呟きます。わたしと同じ結論に至ったようです。ならば光の群れは、月のしもべ。母は
機械の体温と耳をつんざく鼓動が、わたしたちを待ち受けていました。
しもべの光は奔流となり、波濤となってわたしたちの背中に触れんばかりのところまで迫ってきていました。
捕まる。そう確信したとき、母は、だしぬけにわたしの手を離しました。突然のことに放心したわたしの目の前で、母は追跡してくる光に立ちはだかり、
「月に負けないで。生きて――」
その顎に、飲み込まれ。
わたしは飛び起きました。
暗く、静かな場所にいました。
夢、でした。全身にべっとりと気持ちの悪い汗がまとわりつき、口内には苦い唾液が溜まっていて、実際に現実で、全力で走っていたかのように心臓が早鐘を打っていました。寒気を感じて身震いします。時刻を確かめると、ちょうど日付が変わった頃合いでした。
悪夢を見たのは、枕が変わったからでしょうか。昨日は疲れ切っていたから、深い睡眠だったのでしょう。
窓の外ではぎらつく月の光がスモッグの切れ間を突き抜けて
わたしはシーツを頭からかぶって身体をかき抱きます。汗がひいて来ても、震えは止まりませんでした。じくじくと疼痛をさえずる心臓が、わたしを苛んでやみません。
眠ればまた悪夢に誘われそうで、怖くて怖くてたまりませんでした。あの悪夢の続きへと迷い込んでしまいそうで。
「おかあさん……」
月に負けないで。生きて。
それは、母の、最期の言葉でした。
収穫先で月毒《ラジエイション》にやられ、帰ってこなかった父。月毒《ラジエイション》に
ですがたったひとつ、わたしの頭の中にだけは呪縛のように、その残滓が根付いていたのです。
捉えどころのなく、そして引き剥がすこともかなわない、途方もなく底の知れない恐怖に、わたしは嗚咽を噛み殺しながら泣き出してしまいました。
「……エルシー?」
無自覚に、声を上げていたのでしょうか。エルマさんがおっかなびっくりでわたしの名を呼びました。あたふたと涙を拭いてシーツから頭を出します。
「あ……すみません、起こしてしまいましたか?」
「泣いていたんですか?」
「いえ、あの、もうだいじょうぶです」
「でも、あぁ、もう、目が真っ赤じゃないですか……」
起きだしてきたエルマさんが、わたしの横にやってきます。
「どうしたんですか? どこか痛みますか?」
「いえっ、本当にもう、へいきなんです。ごめんなさい、ご心配おかけしてしまって――」
ついでに笑顔を作ろうと頑張ってみましたが、頬が引きつっただけでした。エルマさんは眉をひそめて唇を噛んだかと思うと、
「わぷっ!?」
いきなりわたしを抱き寄せました。わたしの顔が、エルマさんのふかふかしたマシュマロにぼふっと埋まります。薄い生地の寝間着越しにエルマさんの肌の温もりとひどく甘ったるい匂いが、わたしのこころをいっぱいにします。
「こらっ、エルシー。悲しいのに、笑うもんじゃありません。自分のきもちに嘘をついてると、ろくなおとなになりませんよ? めっ、です」
そうしてエルマさんで埋め尽くされたわたしの頭をさすりながら、たしなめるように囁きました。
「でも……でもぉ……っ」
「もうだいじょうぶですよ……あたしはここにいますから」
触れあうエルマさんの優しいこころに、一度はこらえていたはずの涙が、また堰を切って溢れてきます。わたしはどうしていいかわからなくて、気が咎めながらもそのままネグリジェの裾を握り締めてしゃくり上げ、身を委ねてしまいました。エルマさんはわたしが泣いている間ずっと、口を閉ざしたままわたしを抱きしめて、背中をあやすように叩いていてくれました。
どれほど長い間、涙を流していたのでしょう。泣き腫らした目がひりひりする頃には、すっかり平常心を取り戻していました。
ゆっくりと導かれるように、ベッドに押し倒されました。ふたりで横になったソファベッドは、エルマさんのベッドよりも小さく、わたしとエルマさんの距離は昨日よりもずっとずっと、零に近いものでした。
「え……、あの……?」
「今日も一緒に、寝ましょうか」
「えと、その、わたし……、だいじょうぶです、そんな何から何までご迷惑、かけられないです」
「迷惑なんかじゃないです。妹と寝るのは、おねえちゃんだから、当然です」
わたしの強がりを見抜いたように、ぎゅっと力を込めるエルマさん。おとなの女性の肉体を押しつけられて、強い安堵が押し寄せました。
「ありがとうございます……その、おねえちゃん」
「あー……、あのですね、それ、やっぱり恥ずかしいので、やめませんか……」
「おねえちゃんが、言いはじめたんですよ」
「それはそうですけど――なんというか、あたし、何かに目覚めてしまいそうです……」
「ふたりっきりのときだけにしますから」
「それが余計だめなんですってば……」
エルマさんの胸に額を当てているので、エルマさんがどんな表情をされているのかは窺い知れませんが、きっと面映ゆそうにしているのでしょう。
――おやすみなさい、おねえちゃん。こころの中で、何度も何度も反芻しました。
その日以降、わたしが悪夢にうなされることはなくなりました。
「code2:Close/ing helixes
閉じる/閉じられつつあるらせんたち」