※この作品はR-18です。

カウンターエーテル/エーテルバランス   作:伊土 讃阿

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第一部 カウンターエーテル 1

 

 

 

 ノン・ナイン・ノート   …… エオス市警刑事部麻薬課刑事

 アアル・マアト・オメガ  …… 同刑事部長

 クー・ザ・キュー     …… ノンの同房者 玉突きクラブ

 サマー・プサイ      …… 同クラブ

 ウィンター・プサイ    …… 同クラブ サマーの妹

 ペルセ・フリーセル    …… 洗濯班

 フーリ・レッドラム    …… 調達屋

 マチルダ・マタニア    …… ボクサー

 カレン・タウ・ロッカバイ …… 看護婦

 チェリー・ゴールドマン  …… 抽出房のボス

 メイズ・ミリュー・モート …… 娼婦 チェリーの愛人

 マックス・エミリ     …… ゲットーの大物

 アマネ・クシー・ロータス …… クーの元同房者

 メグ・ナイン・ノート   …… ノンの姉

 

 

 

 

 

 

 カウンターエーテル/エーテルバランス

 

 

 

 エーテルは光を放つ。エーテルは熱を作る。エーテルは血を生む。

 エーテルは魂を放射する。魂はエーテルに伝導される。伝染される。砂漠で細菌を殺す。

 炎はエーテルを放射する。ミツヴァを照らす。

 

 エーテルは大気に含まれる。エーテルは血肉に含まれる。エーテルは星に含まれる。そこで、エーテルは魂を放射する。

 エーテルは水中には含まれない。水棲生物はエーテルを持たない。

 水はエーテルを放射しない。

 

 水中に炎はない。それは、水中では、文化の検閲が許されないことを意味する。

 炎は試料に文化を通す。知を放射する。水中に文化はない。魂はない。

 

 水中においてなお絶えない炎があるとすれば、それは悪魔の炎しかない。

 悪魔の炎は、砂漠で細菌を殺す。魂を食む。文化に巣食う。

 水中で細菌を放射する。ミツヴァを殺す。

 悪魔のエーテルを放射する。根を焼く。

 

 

 

 

 

 

 ▼各紙のトップ全段抜き見出し

 

『WFデイリーニューズ』4/49/'17

 工場爆発事故、四十二人死傷

  ペンデュラムホイール社はガス漏れが原因と発表

 

『アウロラタイムズ』7/20/'21

 ゲットーのボス、ミスリル銃の裏取引で逮捕

  ESD(エオス郡保安官事務所)は関与を否定

 

『アウロラタイムズ』8/28/'21

 炉国、連邦参画交渉進む

  精油王の調印間近か

 

『WFデイリーニューズ』8/31/'21

 FSENS(連邦スマートエーテルネットワーク協会)、PW社と連携

  エーテルインフラ計画に兆し

 

『アウロラタイムズ』8/31/'21

 FSENS、調査団設立

  エーテルネットワーク開発工事はPW社に委託

 

『ウォルトリークス』8/41/'21

 PW社抗議デモ活性化

 

 

 

 

 

 

 第一部 カウンターエーテル

 

 

 

 二ヶ月前――

 やりがいのある仕事。

 夜明け前の打ち捨てられた操車場。赤錆と蜘蛛の巣だらけの貨物列車――どれもペンデュラムホイール社の、さくらんぼみたいな車輪の振り子のロゴ入り。

 線路は足の長い雑草と暗闇でほとんど見えない。根ごと掘り返されて肉も草も生らない不毛の土地――浮浪者も寄りつかない。

 遅い。ノンは何度も腕時計を見た。

 汗が滲む。一秒が一時間にも感じる。

 クラブのボス――黒豚のボス・マックス・エミリがいつ帰ると言い出さないかはらはらする。ヘロインをぱんぱんに詰め込んだブリーフケースが異様に重く感じる。

 取引の時間。

 相手はまだ現れていない。ボス・マックスは苛立っている。たてつづけに煙草を喫っている。片腕の黒牛がなだめている。黒牛は泣きそうになっている。おい、連中はどうなってんだ、ちゃんと伝えたんだろうな。はい、ボス、確かに伝えました、ボス、すぐに来るはずです、ボス。

 まずい。汗が滲む。マックスは周囲を警戒しはじめている。鼻をひくつかせている。

 大量の冷たいミスリルの匂いを嗅ぎつけられないかびくびくする。精臓が激しく脈打ち肋骨を叩いている。ホットパンツに突っ込んだ銃も脈打っているような気がする。

 取引の時間を五分過ぎる。足音がする。砂利を踏む音がする。

 貨物列車の陰から野球帽を被った若い白犬が三人現れた。キャディバッグをしょっている。

 来た――無意識に貨物列車を見た。すぐに視線をそらす。滲んだ汗の量が二倍になる。

 マックス。「遅刻だぞ」きつい火国訛り。

 白犬。「グランマがゴネたんだ」

 マックス。「そのグランマは?」

 白犬。「ぎっくり腰だとよ」

 マックスがキレた。「おいおい、あの話の続きはどうなるんだ。なんでおれがわざわざ出向いてやったと思ってんだ?」

「また今度だそうだ。勘弁してやってくれよ、もう歳なんだ」

「今度っていつだ? 来週か? 来月か? 来年か? おれはあのふざけた髑髏女にいつまでも好き勝手やらせるつもりはないぞ」

 白犬は肩をすくめた。「頼むよ、マックス、後生だから。グランマが今度と言ったら今度なんだ」

 別の白犬がバッグを開ける。番号を焼いたライフルの銃床が覗く。

 マックスが舌打ちする。顎をしゃくって合図する。

 ノンはブリーフケースを開けた。ビニールに詰めたヘロインを覗かせた。

 白犬がうなずいた。マックスもうなずいた。

 取引成立――同時に、貨物列車が炸裂した。

「手を上げろ! 膝をつけ!」

 貨物列車のなかからホライズンレーヨン社の暴動鎮圧用消防士コートを着た連中が次々に飛び出してくる。ミスリル・ライフルを構えている。ミスリル・ショットガンを構えている。固相エーテルのフラッシュライトで顔面を照らしてくる。

 あっという間に完全包囲。マックスはあんぐりと口を開けている。白犬どもは腰を抜かしている。

 最後に貨物列車から白鳩が出てくる。袖なしのジャケットに真っ赤なネクタイ、黒いタイピン。

 鷹揚な笑み。「あらあら、ミスタ・エミリに、そちらは郡保安官事務所の助手さんたちですか。わたくしたちを差し置いてこんな時間にこんなところでお喋りとは、妬けますね」

 マックスは唸った。「アアル……てめェ、どうして……」黒い顔が見る見るうちに紫色に変わっていく。ESDの白犬どもの股間には黒い染みが広がっていく。

 白鳩は煙草に火をつけた。甘い匂いがする。バニラの匂いがする。「親切な方が、ここで取引があると教えてくださったんですよ。さ、今度は署でわたくしとゆっくりお話の続きとやらをしましょうか」

 マックスは唸った。白犬どもを睨んだ。片腕を睨んだ。ノンを睨んだ――誰がチクったんだ?

 警官隊が次々に手錠をかましていく。精素回路抑制デバイス――ECCDを首に嵌めていく。

 マックスと一緒に警官に引っ張られながら、ノンは白鳩のボスを見た。

 ボス・アアルは片目をつむった。ノンも片目をつむった。

 

 

 

 そして今――

 ろくでもない仕事。

 主任看守は小児性愛者。手紙に書いてやる。エーテルフォンしてやる。エーテルタイプしてやる。ノンは心に誓った。

 検査室。服を脱げと言われる。下着を脱げと言われる。ストリップショーをさせられる。

 口を開けと言われる。舌を突き出す。喉の奥を見せる。舌の裏を見せる。頬を引っ張る。歯茎を見せる。剃刀やミスリルがないことを確認させる。

 胸をまさぐられる。尻尾を引っ張られる。臭腺をまさぐられる。尻に鋭い痛みが走る。台に寝ろと言われ、性器のなかまで調べられる。痛い。耳が熱い。首が熱い。早くも死にたくなる。

 黒犬の主任看守がノンに脱がせた服を調べる。服を領置物と書かれたボール箱に突っ込む。鼻面を下着に突っ込む。下着をポケットに突っ込む――にたにた笑い。

 ろくでもない仕事。

 シャワー室に連れて行かれる。ECCDを嵌められる。息苦しい。心細い。泣きたくなる。水をぶっかけられる。消毒の粉をぶっかけられる。苦い。死にたくなる。

 囚人服とリネンを渡される。

 監房棟に連れて行かれた。全裸で歩かされた。檻のなかの受刑者たちにまじまじと見つめられる。囃される。にたにた笑いのなかを全裸で歩かされる。心細さが増す。頭のなかが真っ白になる。身体が火照る。消毒薬で、肌はひりひりしている。

 看守が房を開ける。「今日からここがお前の家だ」

 房にぶち込まれた。消臭剤の匂いがした。

 房には二段の寝棚と、ロッカーと、カーテンで仕切られた便器がある。鉄格子つきの窓枠には、小さなビリヤード球が並んでいる。一から、八まで。九はなし。

「あれ、新しいルームメイト?」やたら長身の白猫が、上段の寝棚に寝転んでポルノ雑誌を読んでいた。囚人服。黒い首輪。受刑者。同房者。にたにた笑い。「わあお、こりゃまたずいぶんかわいいのがおいでなすったわね」

 背後で鉄格子が閉まる。心細さが臨界に達する。声が上擦るぐらいに。「は、はい……ノンです。あの、よろしくお願いします」

 白猫は寝棚から飛び降りた。軽やかな身のこなし。

 白猫の虹彩は、右と左で違う色をしていた。右は緑で、左は青。「あたしはクー。クー・ザ・キューってクラブ仲間には呼ばれてる。鼠ちゃんがこんなとこにぶち込まれるなんて珍しいわね。なんでパクられたの?」

「ヤクの、み、密売、です……」

「ふゥん……。ま、仲良くしようね」

 手を差し出される。見下ろされる。握り返した。クーの青い虹彩がぎらついた。舐めまわすような視線だった。舌なめずりされた。ぞくぞくした。泣きたくなった。

 密室に猫と鼠。

 ろくでもない仕事。

 消灯。赤いエーテルの常夜灯が房内を照らす。

 ベッドメイキングをする。囚人服はぶかぶかだった。さっさと下の寝棚に潜り込む。寝たふりをする。

 思い出す――安普請のモーテル。報告の場所。指令の場所。逢引の場所。

 ボス・アアルが囁く。「ノン、次はエアライデンズに潜入してください」耳に心地良い白鳩の高貴なアクセント。

 体液で身体に張り付いたシーツを剥がす。ベッドから降りる。デリカテッセンの紙袋に手を伸ばす。

 部屋には甘ったるいエーテルの匂いが充満している。窓を開けて交尾の残り香を逃がす。エーテルの瘴気にけぶる亞国の大樹がおぼろげに見える。

「エアライデンズって……炉国の精油企業ですよね?」

 アアルが鷹揚に笑う。「炉国の連邦参画が迫っていることは知っているでしょう? 同時にペンデュラムホイールにインフラ開発が委託されたことも」

「ええ、まァ。ちょっと性急すぎる気もしますけど、炉国で四年前……でしたっけ? 開発された高速通信用の高伝導エーテル精製技術は、エーテルネットワークを運用する上で欠かせないそうですし」

 炉国が連邦に参画すれば高伝導エーテルに手数料がかからなくなる。かねてから連邦が計画していたエーテルネットワークに湯水のようにつぎ込める。

 エーテルネットワークが完成すれば、エーテルフォンやエーテルタイプはより便利になる。エーテルヴィジョンなる、光情報を遠くまで伝達する機械も作れるらしい。産業分野でも生産能力の向上が見込める。

「ノンは、炉国が精製しているエーテルの原料を、どこから調達しているか知っていますか?」

「いえ……地下から、じゃないんですか?」

 アアルはかぶりを振った。「実は、犯罪者の精臓から直接抽出しているんですよ。高伝導エーテルもまた、例に漏れません」

 デリカテッセンで買ってきたサンドイッチを床に落としそうになる。「……まさか」肺の下の精臓がひくつく。

「素行の悪い受刑者たちの精素回路を無効化できますし、何より採掘・採取コストはほとんどただ同然ですからね。精油王はなかなか抜け目がないです」アアルが欠伸をする。羽根を整える。伸びをする。おおきな乳房が揺れる。枕を直す。シーツをたぐりよせる。「エアライデンズの精製プラントは、炉国の中央刑務所にあります。そして、連邦スマートエーテルネットワーク協会、FSENSは、そのエーテル精製刑務所から直接パイプラインで連邦中に高伝導率エーテルを供給するつもりでいます。ですがひとつだけ問題があるんです。ここ数年マックスのクラブと対立していた件の麻薬カルテルですが、その発祥はどうやらエーテル精製刑務所にあるらしいんです。でも刑務所所長はその事実を認めていない。髑髏聖母の存在を認めていない」

 マックスは四年前まではよそ者だった。よそ者マックスは、四年前にPW社で爆発事故が起こった際、PW社の工場にスト破りを入れたりそのスト破りをピケ隊から護衛した。

 よそ者マックスはPWから株をもらった。よそ者マックスはそのとき稼いだ金でクラブをおおきくした。

 金はひとを呼ぶ。ひとは金を生む。

 よそ者マックスは、ゲットーの麻薬市場を一気に牛耳った。マックスはゲットーの顔役になった。

 一年前、顔役マックスの頭痛の種となるクラブが頭角を現しはじめた。髑髏聖母というらしい。

 髑髏聖母はよそ者だった。髑髏聖母はエーテルニクス技術者の労組に取り入った。髑髏聖母は労組を守り、アジ演説をしてデモを扇動した。

 髑髏聖母はより安くよりぶっ飛べるヤクをばらまいた。髑髏聖母はゲットーの麻薬地図を塗りかえた。中流階級もゲットーも、髑髏聖母に傾きはじめていた。

 顔役マックスはゲットーの相談役グランマに泣きついた。グランマは息のかかった保安官事務所を紹介した。そして精素成形金属――ミスリル仕掛けの馬鹿高い武器をヘロインで買い付ける手はずだった。髑髏聖母を根絶やしにする段取りをつけるはずだった。

 マックス・エミリによる髑髏聖母駆逐作戦は秒読みだった。マックス・エミリ対髑髏聖母の本格的な抗争は、秒読みで止められた。

 マックスの逮捕――ノンのお手柄。

 だが、グランマにはうまく逃げられた。グランマの目は多い。予想以上に。

 アアルが欠伸をする。「FSENSは、髑髏聖母の存在を非常に危惧しています。そしてマックスのクラブが連邦から撤退したことで、髑髏聖母はいよいよこちらに乗り出してくるでしょう。グランマに渡りを付けられるとまた厄介なことになります。我々としてもそれは避けたい」

 事態が飲み込めてくる――パイプラインを守れ。刑務所を内部から洗浄しろ。

「で、でもなんでわたしなんかが」

 アアルは微笑んだ。「あなたはこの亞国のゲットーに二年間も潜入してEPDの悲願だったエミリ一味の逮捕に非常に貢献してくれましたし、実績も積みました。ノンはもう一人前です。わたくしが保障します。それに、よっぽどのことがない限り抽出されたりしないと思いますから、だいじょうぶですよ」

「……それって潜入するのは、受刑者として、ってことですか」

「あなたはまだミスタ・エミリと留置所で仲良くしてることになってますから、都合がいいでしょう?」

 単独潜入――連絡員すらなし。

 だが、根っからの反麻薬十字軍の後押し。答えは決まっていた――

 EPDは一時的にクビになった。経歴のあらゆるが抹消された。経歴のあらゆるが作られた。ノンは炉国に移民した下流階級の生まれになった。

 ボス・アアルは弁護士バッジを持っていた。アアルが経歴を洗浄した。起訴がでっちあげられ、とんとん拍子でことは進み――ノンは一ヶ月も経たないうちに囚人護送列車に乗っていた。高さ五十ヤードの石壁に蔽われたこの世の果てに踏み入った。

 熱い体温に目覚める。うとうとしていた。耳元に息遣いを感じる。クー・ザ・キューが目の前にいた。

「ちょ、ちょっと――ッ!? クーさん、な、なにしてるんですか」

 鼻の先でにたにた笑い。「なにってほら、あたし、しばらくひとりで寂しかったじゃん? 仲良くしようよ」

「そ、そんな、やっ、やめ――はあっ、んんっ!?」

 もがく――片手でたやすく押さえ込まれる。体格の差がものをいう。

 またぐらに指を這わされる。やさしく巧みな指使いに甘い声が漏れる。リネンに体液が染み込む。お隣からも盛った雌の嬌声が聞こえはじめた。

 主任看守は通路で座って煙草を喫っている。にたにた笑いながら見ている。

 主任看守は観淫症。手紙に書いてやる。

 まさによっぽどの仕事。ろくでもない仕事。

 顔をそらす。唇だけは奪われないようにする。

 耐える。朝まで。

 

 

 

 

 

 

 ノン・ナイン・ノート。十二歳。ノート家の九代目。そして、EPDの潜入捜査官。

 ナインというミドルネームは、本当は姉であるメグのものだった。

 メグはノンのひとつ年上で、生きていれば十三だった。

 メグは十六年にヘロインで死んだ。

 メグはすみれ色の虹彩が綺麗な鼠だった。

 気の弱い鼠だった。自己主張できない子だった。

 いつもおどおどしていて、他人の顔色をうかがっていて、流されやすい。妹のノンにさえ遠慮していた。それで、高校の同級生にマリファナやアンフェタミンを勧められても断れなかったし、ヘロイン漬けにされて処女を奪われ輪姦され、売春させられても、家族に相談できなかった。おおきなすみれ色の虹彩に欲情して射精しまくる客は後を断たなかった。

 鼠の心拍数は多く、精素回路もそれだけ周波数が高い。鼠はそれだけ、薬効が高い。ヤクの打ちすぎによる死者の三割は鼠で、メグもそのひとりだった。

 メグが昏睡した時点で、メグを買った客か、メグを売っていた同級生が病院に駆け込んでいれば、メグは助かっていた。だが客も、同級生も、びびってとんずらした。

 メグは死んだ。安普請のモーテルで。ヘロインでぶっ飛びながら。ひとりっきりで。

 メグの死は、事故として処理された。自殺として扱われた。

 ノンの母親は狂った。母は敬虔な教徒だった。メグは麻薬と自殺という禁忌を犯した。ノート家は破門になった。積み上げてきたミツヴァは枯れ落ちた。メグは教会では弔ってもらえなかった。教会の墓地に埋葬できなかった。メグの遺体は父の手によって、樹の下に埋められた。メグの遺体は細菌に食われた。母は食べ物を一切口にしなくなった。

 ノンの父親は本当に自殺した。母が狂ってから、メグの部屋から日記が見つかった。売春が発覚した。だが、メグを売っていた同級生の父親は腕利きの保険屋であり、三百代言だった。揉み消しにぬかりはなかった。ノート家は破門されていた。父の主張には誰も耳を貸さなかった。母ともども狂人扱いされた。父は考え抜いた結果、精臓を売ってノンと母に九千ドルを残し、拳銃で自分の頭を吹き飛ばして自ら根の下へメグの魂を救いにいった。ミツヴァは腐った。細菌になった。

 ノンは高校を卒業すると、警察官の採用試験を受けた。メグ・ナイン・ノートを増やさないために――

 

 

 

 

 

 

 看守――袖なし、エーテルデバイスグローブ、ミスリル仕掛けの警棒。内蔵しているのはおそらくコンバット・エーテルサーキット――逆らえば骨折で済むと思うな。腕っぷしのアピール。

 看守から刑務所の説明を受ける。奉仕活動の説明を受ける。

 内容によって給料が違う。どこも目腐れ金のろくでもない仕事――エーテル精製作業とやらだけべらぼうに高い、破格の報酬。それでも日給にして約五ドル。交代制で、適性検査がある。専用の棟に移動させられる。

 看守は言った。仕事を選べ。お前たちに決めさせてやる。薄っぺらいリベラルを振りかざす。

 妙にひっかかる。

 朝食の時間。クーは当然のように目の前に座った。

 クーが水っぽいオートミールをかき混ぜた。「仕事はもう決めた?」

 顔を合わせられない。釣られたようにオートーミールをかき混ぜる。「い、いえ、まだです……その、色々見てみようかなって」

 クーは手馴れていた。ボス・アアルよりもずっと上手かった。張形を使わせればたぶん世界一の腕前。

「あたし、クラブ仲間と積み込みの仕事してるんだけどね、ちょっとちからはいるけど忙しくはないし、悪かないわよ。それに調達屋の下っ端も兼ねてるから、おこぼれにも預かれるしね」

「考えて、おきます」

 クーは肩をすくめた。「ほかにもヤバいとこはあるけど、吸出し部屋だけは特にやめといたほうがいいわよ。あそこにはろくなのがいないし、脳みそまで吸い取られるって話よ」

 受刑者からの精素抽出――公然。

「クーさんは、吸出し部屋に行ったことはないんですか」

 クーはソーセージをかじった。「知り合いが何人か行ったけど、それ以来見てないわね。あの連中、ずっと引きこもってるから」

 クーは世話を焼いてくれている。気さくに接してくる。悪意は感じない。猫らしく自分勝手だが、悪い猫ではない。強姦されたことを除いては。

 ふたりの赤兎がクーの横に座った。垂れ耳と欠け耳。瓜二つ。

 垂れ耳が言った。「はァい、キュー。なあにその子、新入り?」

 欠け耳が言った。「ちっちゃくてかっわいー」

 クーは笑った。「新しいルームメイト。ノンっていうの。ノン、こっちがサマーでこっちがウィンター。ふたりは姉妹で、あたしのクラブ仲間」

 垂れ耳のサマーが訊いた。「鼠ってほんと成長しないんだねェ。いくつなの?」

「十二、です」

 欠け耳のウィンターは目をむいた。「わたしと同い年じゃん。成人すらしてないように見えるのに」

 鼠の心拍数は多い。精素回路もそれだけ周波数が高く、鼠は早熟で短命だった。

 ノンはまっとうな生まれだった。高校も出ていた。高校の同級生はそろそろ大学を卒業する頃で、所帯持ちもいる。

 ノンは訊いた。「あの……ここでヤクを取り仕切ってるクラブはありますか?」

 垂れ耳のサマーは首をかしげた。「ヤクのクラブ? 聞いたことないなァ」

 欠け耳のウィンターも首をかしげた。「葉っぱは月に何度か運んでるけどね。売ってまわれるほど多くないし、洗濯班の連中が個人的に吸ってるだけよね、あれは」

 クーはにたにた笑い。「あんた、全然懲りてないんだね。かわいいナリしてなかなかいい根性してんじゃん」

 

 

 

 ろくでもない仕事探し。

 朝食を終えたその足で洗濯室に向かう。

 掃除されてない埃っぽい作業場。かごのなかにはエーテルで傷んだ囚人服が溜まっている。洗濯機ががなりたてている。乾燥機ががなりたてている。ゴキブリが這っている。マリファナ臭い。

 囚人服を着た白犬と黒犬の群れ。煙草を喫っている。マリファナを喫っている。

 洗濯室に看守はいない。表にはいた。マリファナを喫っていた。

 乾燥機を覗いた。葉っぱを乾かしていた。

 なかばマリファナクラブ化された洗濯班。

 白犬が声をかけてくる。「ヘイ、嬢ちゃん。見ない顔だね」

「昨日来たばかりで……」

 白犬は目を細めた。「へェ。で、何か用かい」

 汗が滲む。目立つな。ゆっくりやれ。クーの言葉――鼠は炉国ではただでさえ目立つ。「あの、仕事を探しているんですけど」

「悪いね、嬢ちゃん。人手は足りてる」

 乾燥機を見た。

 白犬は笑った。「なんだい、それが目当てかい」

 口ごもる。「ええと……」

 白犬は言った。「こっちも悪いけど、あたしらが好きで作ってるだけだよ。売りもんじゃない。他に卸しちゃいない。個人的に親しくしてる連中にはわけてあげてるけどね。商売とまではいかない」

「どうして売らないんですか?」

「量産するほどの設備がないからさ。設備さえありゃ量産できる。資金は稼げる。人手も増やせる。クラブの縄張りもおおきくなる。でも設備がなけりゃどうしようもない。そして刑務所からすれば洗濯場としての設備は今ので充分足りてる。そこから先はリスクがおおきすぎる。だからあたしらは調子に乗らずに身内だけで小さくやってる」

 白犬はおしゃべりだった。白犬はその品種らしい利口さを備えていた。

 目立つな。売人らしくやれ。小賢しい鼠らしくやれ。「ほかにマリファナとか、そういうのを取り扱ってるとこはありませんか?」

 白犬は考え込んだ。「さァねェ……あったような気もするけど」白犬は顎を掻いている。

 身を屈めた。靴下のなかから札を抜き取った。五ドル渡した。

 白犬はにたにた笑いをした。「あァ、思い出した。商売をしてるかどうかは知らないけど、ボクシングクラブの連中はパンパラグをよく噛んでる。今日は集まってないけど、暇なときなら口利きしてあげてもいい」

 五ドル渡した。白犬はにたにた笑いをした。五ドル札にキスした。

 

 

 

 名前を教えあった。白犬はペルセ・フリーセルと名乗った。ペルセはコカインで十六年からぶち込まれていた。

 おしゃべりの犬と羽振りのいい鼠。仲良くやれる。仲良くしよう。握手をした。舌なめずりされた。

 奇妙だった。におう。妙にひっかかる。

 情報がほしい。ネタがほしい。この刑務所はどうにも一筋縄ではいかなさそうだった。

 情報屋が必要だった。タレコミ屋を作らなくてはならなかった。ボクシングクラブとやらも、期待できそうにない。

 だが、おそらく、ペルセはまだネタを持っている。仲良くしておかねばならない。金も用意しておかねば――

 朝食のときとおなじように、夕食のテーブルでもクーはノンの前に座った。違うのは、ノンの横に欠け耳のウィンターが座ったことだった。垂れ耳サマーはクーの横に座った。プレートの上には牡蠣の代わりにオイスターソースをかけられたハングタウンフライが山盛りになっている。

 ハングタウンフライをつつきながら、サマーが言った。「ノン、仕事は見つかった?」

 食堂は棟ごとに使える時間が数度にわけられている。それでもテーブルは全部埋まっていて、ごったがえしている。そのなかに、ペルセはいない。ペルセは別の棟だった。

「いえ……洗濯班は人手が足りてるって、断られました」

 ウィンターが生焼けのパンケーキにかぶりついた。「ペルセは保守的だからねェ」

 クーがミルクを飲んだ。「あんた、そんなにヤクのクラブがいいの?」白いひげができている。

 汗が滲む。「いえ、その、昔の、売人の同胞がいるかも、って思っただけで」咄嗟に話題を変える。「クーさんは、外では何をしてたんですか?」

「タタキだよ。だいたい宝石。車も盗ってたかな。とっつかまったのは、玉突き場で賭けをうやむやにしようとした舐めた犬っころを、キュー・スティックでしばき殺しちゃったからだけどね」

 サマーが笑った。「だからキューなんだよね」

 ウィンターも笑った。「それでもう十七年から、四年間もくらいこんでるんだよね」

「サマーさんたちは――?」

 サマーが片目をつむった。「タクシー会社を経営してたんだよ。ドライバーは、女の子のね」

 ウィンターも片目をつむった。「ノンみたいなかわいい子ばかりのね」

 クーがあとを継いだ。「そして運び先は、だいたいモーテルとかドヤ街」

 移動式プッシー。つまり女衒か。

 サマー/ウィンター・プサイ・タクシー。

 いつでもどこでも。笑える。

 メグを思い出す――

 プサイ姉妹は、メグを食いものにしていた奴ばらと同類だった。

 だが、怒りはない。そういう連中への怒りとは、とっくに折り合いを付けられている。怒りは保留にできる。

 憎しみはある。憎しみも保留にできる。たぶん、ここを出るまでは。

 サマーがため息をついた。「でもさァ、うち、四姉妹で、わたしとウィンターの間に双子がいるんだけど。わたしたち、その子たちに売られのよ、サツにね」

 ウィンターが机を叩いた。「おねーちゃんたち、ひどいと思わない? わたしたちの値段、たったの千ドルだよ? 信じられる? おかげで三年もここで原木みたいなまずい飯食ってるんだから」

 クーは肩をすくめた。「さんざ一晩百ドルで女の子を売っといてよく言うわよ。ノンもこいつらに売られないよう、用心しな? 身内を売るような血筋だからね」

 サマーは膝を叩いた。「けだし名言ね」

 ウィンターは中指を突きたてた。

 

 

 

 

 

 

 ろくでもない仕事。

 石造りの職場。息の詰まる職場。

 だが夜は眠れた。眠るしかなかった。ゲットーに潜入していたときは週に五時間も眠れれば勿怪の幸いだった。眠っている暇などなかった。四六時中エーテルサーキットをまわしっぱなしだった。たぶん、内臓はとっくにぼろぼろで、寿命は少なくとも五年縮んだはずだ。

 今は一日三時間、週に二十時間以上は眠れている。クーが寝棚に潜り込んでさえこなければその日は六時間。熟睡できている。エーテルをまわさないで済んでいる。

 中央刑務所に潜入して、二週間が経つ。クーはその間に奇妙さを嗅ぎ分けていた。

 それは受刑者の牙のなさだった。看守の監視のゆるさだった。

 刑務所は異様なまでに秩序が保たれすぎていた。静かすぎた。平和すぎた。誰もが、何らかの手段で、ガス抜きしていた。その理由は、まだ見つけられないでいる。

 二週間はクーやプサイ姉妹と一緒に積み込みの仕事をした。

 煙草を運んだ。キャンディバーを運んだ。歯ブラシを運んだ。化粧水を運んだ。売店に並べられる品物の数々を運んだ。

 酒も運んだ。張形も運んだ。普通のポルノ/ホモのポルノ/レズのポルノ雑誌も運んだ。木工所には資材のついでに交尾用の潤滑ゼリーも運んだ。洗濯室には洗剤のついでに葉っぱも運んだ。看守の目を盗み、時には買収し、売店に並べられていない禁制品の数々を運んだ。

 運び屋の役得――クーはレズのポルノ雑誌をもらった。

 運び屋の役得――プサイ姉妹は普通のポルノ雑誌をもらった。

 運び屋の役得――ノンはホモのポルノ雑誌をもらった。

 クーは笑った。「あんた、そんなのが好きなの?」

 プサイ姉妹も笑った。「ノン、わかってるねェ」

 クーは真っ赤になって、言い訳しようとしたが、黙っていた。

 荷をちゃんと調べることはできなかったが、ノンの知る限り、葉っぱを除いてヤクらしきものは運ばなかった。せいぜい診療所にモルヒネやらトランキライザーやらを運んだぐらいだった。

 刑務所の空気に慣れてきた頃に、ペルセと待ち合わせの約束をした。ボクシングクラブを紹介してもらう約束だった。待ち合わせ場所は運動場だった。

 ペルセはマリファナを喫って待っていた。囚人たちがバスケットボールをやっているのを見ていた。近寄ると、吸いさしのマリファナを勧められた。首を振って断った。煙草を勧められた。快く受け取った。吸いさしのマリファナで火をつけてもらった。

 運動場の隅にある施設に連れて行かれた。なかはジムになっていた。ジムにはサンドバッグがあり、スピードバッグがあり、リングがあり、黒狼と赤狐がスパーリングをしていた。どちらもたくましいミドル級。

 ジムの奥から虎がやってきた。筋肉隆々のヘヴィ級。しかもでかい。六フィートはある。クーよりもずっとでかい。前に立たれると、視線を合わせるとき、首輪が痛い。ノンは五フィートもなかった。エーテルサーキットを起動させても勝てそうにない。

 虎はガムを噛んでいる。パンパラグを噛んでいる。トレーニングしていたのか、全身汗みずくで、腕には血管やら精素回路やらが浮きでている。アンプはあるがクロックはなし。典型的なコンバット・エーテルサーキット。

 目が釘付けになる。目を反らそうとする。目が釘付けになっている。ノンは真っ赤になった。汗とエーテルの混じった匂いにくらくらしてくる。どきどきしてくる。

 ペルセが手を挙げた。「ヘイ、マチルダ。この子が前に話した新入りのノンだよ」

 ヘヴィ級マチルダはにやついている。舐めまわすようにクーを見ている。「こりゃいいな。診療所にもこれぐらいの上物をもっと入れて欲しいもんだ。カレンは教育ばかりにかまけて人材雇用についちゃ、甲斐性がなさすぎる」きつい火国訛り。

 診療所? 教育?? 人材??? 雇用????

 ペルセは咳払いをした。「ノン、こいつはマチルダ。ボクシングクラブの顔役で、この刑務所の古株さ。刑務所の事情にも詳しい。わからないことはマチルダに訊くといい」ペルセはマチルダにマリファナを渡した。「それじゃ、あたしはここで」ペルセはノンに手を振って、ジムを出ていった。

 ?????

 マチルダがパンパラグを吐き捨てた。「んで? あたしになんか話があるんだろ?」マリファナに火をつけた。

「あ、はい、その……、そういうガムとかはどこで仕入れているんですか?」

 マチルダはにやついている。「ボクシングの賭けが好きで、気前のいい看守どもがいるんだよ。あたしはそいつらと仲良くやっていて、連中にはがっぽり稼がせてやっているからな、あたしの話に耳を傾けてくれるってこった」

 個人的な贈り物――懐柔のたまもの。やはりはずれ。かすりもしていない。

「この刑務所で、ヤクを取り仕切っているクラブはありますか?」

 途端にマチルダはにやつくのをやめた。「……あたしゃ、ここで百億兆年前から顔役をやってるが、ヤクのクラブだなんてものはてんで聞いたことがないね。なんでそんなこと訊くんだ?」

 汗が滲む。「その、外では売人をやっていたので、ひょっとしたら同胞がいるかも、って思って――」

 マチルダは百億兆オクターブも低い声ですごんだ。「おまえは新入りだから、ひとつ忠告しておいてやる。ここには調達屋はひとりしかいない。あたしはそいつをいたく気に入っている。主義主張がはっきりしているからだ。だからここでヤクの商売を始めて、そいつを困らせるようなことが起きたなら、あたしは容赦しないだろう。看守はあたしを気に入っている。リングの上でうっかり相手を原木に変えちまったときに、あたしの尻を拭いてくれるぐらいには。そして今まで、何度も拭いてもらっている。わかるな?」

 失禁しかけながら、ノンは半べそで何度もうなずいた――イエス、イエス、イエス。

 これでマチルダの協力は百億兆年先にも望めないだろう。だが、収穫はあった。

 ヤクのクラブ――タブー。

 決定事項――髑髏聖母は実在する。

 次のろくでもない仕事――調達屋に近づけ。

 

 

 

 調達屋――フーリ・レッドラム。

 元根国の名士/狗国によるホロコーストの生き残り/英雄/血まみれ羊――高貴な品種。

 調達屋フーリのことは、クーから聞きだした。フーリは気難しいたちらしい。主義主張がはっきりしていて、信頼があり、目も多いらしい。マチルダがヤクを取り扱っているかどうかも訊いた――寝棚のなかで、クーの腕に抱かれながら。

 クーは笑った。耳に生温かい息がかかる。「ヤクなんて頼んだら血まみれにされちゃうわよ」

「どうしてですか?」太ももをすりあわせる。愛液とエーテルが冷たい。もうすぐ早朝の二時をまわる。

「以前、フーリにヘロインを仕入れてくれってかけあったやつがいたんだけどね、三十分後にはボクシングクラブの連中がすっ飛んできて、そいつの頭蓋骨を叩き割ったって噂」

 拳骨型規制物質法。

「でも洗濯班のペルセさんは、マリファナを調達してもらってますよね」クーの下腹部を人差し指でなぞった。クーの臍の下には、ビリヤード球のタトゥーが並んでいる。一から、八まで。九はなし。

 クーは身をよじった。「ペルセも食えないやつだけど、人望はあるからかな、信用されてるみたい。たかがマリファナで、その量も多くないっていうのもあるだろうけどね。ペルセに会ってきたなら、聞いたんじゃないの? マリファナは売り物じゃないって」

 つまりフーリは市場を独占したがっている。ボスになろうとしている。名士になろうとしている。その信奉者/その騎士――ボクシングクラブのお歴々。

 ふと飛躍――この異様な秩序だった空気は、拳骨型規制物質法も絡んでいる? フーリの麻薬規制の成果?

 あまり自信はない。少し的を外している気がする。

 逆に、髑髏聖母との関連はありそうだった。

 洗いだすべきことが増える――洗濯班ペルセとボス・フーリの密接な関係。

「あの、今度フーリさんを紹介してもらえませんか?」

 クーは笑った。「いいけど、あたしはちゃんと警告したからね?」

 フーリは、たいていひとりでいた。たいてい運動場にあるベンチで座って煙草を喫っていた。

 フーリは清掃班だった。清掃は数ある奉仕活動のなかでもとりわけ安い賃金と引き換えに、その仕事ぶりを一から十まで見張る看守がつけられていなければ、モップとバケツさえ持っていればどこにいても咎められることがなかった。フーリがベンチに座っていないときは、フーリが調達屋の仕事をしているときだった。

 フーリは齢四十を超えた老羊だった。介護施設に入っていても不思議はない歳だった。鼠なら、間違いなく長寿の世界記録だった。だが、体格はよく、背筋は伸びていて、言葉を発さずとも相手を萎縮させる貫禄と威厳をあわせ持っている。耄碌もしていないらしい。

 フーリはベンチに座っていた。煙草を喫っていた。囚人たちがクリケットをやっているのを見ていた。フーリに近づく。フーリは眼鏡をかけている。目つきはきつい。毛並みもいい。四十には見えない。三十手前でも通る。

 フーリの隣に座って、足元のバケツのなかへ、隠し持っていたウィスキーの瓶を落とした。バケツは黒くて汚らしい水が張っていて底が見えず、それはおそらく染料だった。

 フーリに煙草を勧められた。快く受け取った。マッチで火をつけてもらった。

 フーリは言った。「クーのところの、新入りか」

 ノンはうなずいた。「ノンといいます」

「クーはなにしてる。なぜおまえがきた」

「フーリさんに会いたいと頼んだら、ついでに運んできてくれと言われました」

 フーリは咳をした。「なにか欲しいものがあるのか」

「フーリさんは、どんなものでも調達してくれるんですか?」

「刃物や銃、爆弾、危険なものは調達しない。剃刀もだめだ。薬も断っている。サプリメントも、アスピリンもだ。あとは、なまもの」

「……じゃァ、ジンをお願いします」

 フーリは眼鏡を拭いた。「手数料込みで十五ドル」

 十五ドル渡した。汗が滲む。「あの――」

「そういえば」フーリが遮った。「おまえ、ヤクのクラブを探してるのか」

 汗が引いた。汗が溢れだした。頭のなかが真っ白になる。「えッ、ええと……はい、その、ば、売人仲間が、いるかと思って……」

 フーリは煙草をバケツのなかに弾いた。「ここにヤクのクラブはない」フーリは断言した。

 ならば洗濯班はどうなのか。それを訊けば、たぶん、マチルダが三十分後に飛んでくるだろう。

 やられた――先手を打たれた。チクったのはペルセかマチルダか――

 ノンは会釈をして運動場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 捜査が行き詰まる――無為に時間を過ごす。

 一パイントのジンが届いて一週間が経った。潜入してから、半月になる。

 気持ちがはやっても、おおっぴらには動けない。名士フーリに目をつけられた。警戒されてしまった。

 一度捜査から距離を置くことにした。はやる気持ちを酒とセックスと賭けビリヤードで紛らわそうとした。

 アルコールとエーテルとギャンブルは、ノンに刑務所の空気を馴染ませた。緊張と孤独による失敗のひとつひとつを冷静に分析させた。

 夜、ノンが拒まなくなると、クーは喜んだ。

 ヘヴィ級マチルダと調達屋フーリには会っていない。ボクシングの試合があったようだったが、観に行ってない。向こうからも出向いてはこない。顔も見ていない。少なくともまだノンの頭蓋骨は割れてないので、一線は越えてないはずだった。それでも、視線のようなものは感じる。執行猶予期間のようで、背中がひりつく。ジンが捗る。

 分析による結論――マチルダとフーリには近づくな。

 マチルダは、ヤクのクラブという言葉に敏感に反応した。フーリは、ヤクのクラブは存在しないと断言した。

 刑務所の立場と一致している。刑務所の見解と一致している。

 マチルダの脅し――看守には何度も尻を拭ってもらっている。

 マチルダとフーリは、たぶん、刑務所と利害を共有している。

 つまり、髑髏聖母の格好の隠れ蓑。

 つまり、髑髏聖母は存在している。

 マチルダの裏には髑髏聖母がいる。

 それを、ノンはほとんど確信している。

 洗濯班ペルセとは、たまに会っていた。賭けトランプをやった。密告をしたか探りを入れた――手応えなし。食えない利口な白犬。

 診療所とやらも覗いてみたが、呑んだくれのヤブ医者馬と、鴉の看護婦が、囚人から金をもらってタトゥーを掘っていただけだった。ベッドは囚人のカップルで埋まっていた。刑務所のモーテル化していた。デートスポット化していた。喘ぎ声がやかましく、看守はにたにた笑いでそれを見物していた――ファック・ショー部屋。

 捜査が完全に行き詰まる。残るは抽出房だけだった。エーテル精製作業は、交代制で、適性検査がある。専用の棟に移動させられる。ノンは適性検査の予約をしておいた。

 その三日前から、検査のためにノンは酒を控えていた。まずい飯を食べまくった。

 その二日前に、ペルセは用件があると言ってきた。

 娯楽室にペルセが顔を覗かせた。「ヘイ、嬢ちゃん。捜したよ」ペルセは入り口から手招きしている。

 ノンは、クーたちとビリヤードをやっていた。クーに断って、サマーにキューを渡す。ペルセのところへ向かう。煙草を勧められる。煙草をもらう。火をつけてもらう。

 ノンは訊いた。「どうしたんですか?」

 ペルセも訊いた。「同胞は見つかったかい?」

 ノンは首を横に振った。「いえ、まだですけど――」

「実は洗濯班にひとり分、空きができてね。よかったらどうかな、って思ったんだけど。もちろん商売はご法度だけどさ」ペルセは念を押した。

 ノンは思案した。

 抽出房の適性検査のことは、クーにもプサイ姉妹にもペルセにも話していない。ノンは抽出房の内情をまったく知らない。クーたちにたずねても、判然としない。

 抽出房の囚人たちは、自分の房で食事を取るらしかった。元抽出房の囚人も、周囲にはいなかった。ノンは情報を集めようがなかった。抽出房にいけば最後、どうなるかはわからなかった。

 洗濯班は、ノンとは別の棟の囚人が多い。ひょっとすれば洗濯班で情報を集められるかもしれない。抽出房はできることならあとまわしにしたかった。適性検査を受ける前だったから、まだ取り消せるだろう。

 ノンはうなずいた。「お願いします」

 ペルセは片目をつむった。「それじゃ、明日仲間に紹介するから、映画の時間にまたここで」

 玉突き台に戻る。サマーにキューを渡される。「何の話だったの?」

 ノンはチョークを手に取った。「洗濯班に来ないか、って言われました。それで、その、しばらく洗濯班で働いてみようかと思います」

 ウィンターは目を丸くした。「あのペルセが犬以外を仲間に入れるなんて、宗旨変えでもしたのかな」

 クーは笑った。「あいつは百万年先まで、自分と葉っぱ以外を信仰しやしないわよ」

 だが、他人からは信用されている。フーリからも。

 

 

 

 翌日、ノンは映画が始まる十分前に娯楽室に行った。ひとけはなく、閑としていた。賭けトランプをやっている黒狼と赤狐と看守、それにカップルが乳繰り合ってるだけだった。

 映画室で上映されている今月の映画はロマンスものの名作で、みんな何度も観にいく。クーとプサイ姉妹も観に行った。あとで合流すると伝えておいた。

 五分前。ペルセたちはまだ来ない。ノンは肩を揉んだ。首輪のせいで肩が凝る。

 娯楽室に来る前に、残ったジンを飲みきっていた。酒はあったほうがいい。偽装になる。自分も騙せる。酒がまわっているとき、緊張と孤独は鳴りを潜める。慎重になって、大胆になれる。

 酒は必要だ。だが、フーリに直接頼むのははばかられる。次の酒は、クーに代わりに頼んでもらった。クーは笑った――血まみれにされかけたの?

 待ち合わせの時間を五分過ぎる。足音がする。娯楽室の入り口に、マチルダが立っていた。ガムを噛んでいた。パンパラグを噛んでいた。

 マチルダはにやついている。「よう、久しぶりだな」

 汗が噴き出す。「そ、そうですね」視線が泳ぐ。

 マチルダは相変わらず汗臭い。エーテル臭い。くらくらする。どきどきする。顔が真っ赤になる。

 時刻は十九時をまわっている。こんな時間まで、ジムは開放されていない。たぶん、どこかで誰かとセックスしてきたのだろう。

 マチルダが目の前にやってくる。「お仲間とやらは見つかったのか?」

 見上げる。必死に目を見る。首が痛い。「い、いえ、まだですけど――」溶鉱炉並みの熱気を感じる。マチルダの体温かもしれない。ふらふらする。

「この前は怖がらせて悪かった。気が立ってたんだ。試合の直前だったから」

「その、試合、勝ったそうですね。おめでとうございます」

 マチルダは微笑んだ。「あんたみたいなべっぴんさんにびびられて、避けられるのは、あんまりいい気持ちがしない。だから是非とも仲直りしたいとあたしは思ってる。んで、もしこれからあんたに予定がないんなら、あたしの部屋に来ないか? とびきり上等の酒があるんだ」マチルダは見下ろしながら、詰め寄ってくる。

 マチルダの虹彩は黒い筋の入った黄金色で、それに見つめられ、それを見つめていると、だんだん目がまわってくる。ぼうっとしてくる。

 身体が火照る。マチルダの房に行けば犯されるのは、わかりきっていた。喉はからからになっている。唾を飲み込む。

 ノンは酒を飲んでいた。汗とエーテルと熱気で、頭がどうにかなりそうだった。「いえ、あの、すみません、ひとと待ち合わせをしているので――」それで、その膝蹴りを避けられなかった。

 列車に激突されたみたいな衝撃だった。壁まで吹っ飛んで、したたかに頭を打ちつけた。

 足を掴もうと伸ばした右手も蹴られて、指が奇妙な方向に折れ曲がった。

 黒狼と赤狐と看守が、カップルを娯楽室から追い出しているのが見えた。

 頬にヘヴィ級のパンチが飛んできて、床に這いつくばった。血と一緒に銀歯を吐き出す。起き上がろうとしたところへ、靴のつま先が鼻の骨を折る。

 ノンは頭を抱えて身体を丸くした。背中を蹴られて、頭を踏まれて、キューで脇腹を突かれる。肋骨が折れる。内出血する。叩きのめされる。

 ノンを蹴る足が増える。三人がかりで叩きのめされる。

 

 

 

 

 

 

 ぞくぞくする。ふわふわする。ぽかぽかする――

 体重がゼロになる。体重が一万ポンドになる。

 全身をまさぐられている。空を歩いている。粘液の海を泳いでいる。痛みのない穴の底へ落ちている。

 まばゆい暗黒のなかで、どぎつい多幸感に揺さぶられている。マグニチュード十クラス。腹筋がひっきりなしに痙攣している。

 うつ伏せにされて、尻に硬いものを挿入される。臭腺にも硬いものを挿入される。腸内に冷たい薬液を流し込まれる。腹のなかが燃え上がる。全身の精素回路が爆発する。マグニチュード百になる。仰向けにされる。腹に針が刺さる。吸引されて、注入される。

 スイッチ。

 唇を重ねられる。舌をねじ込まれる。舌を吸いだされる。舌と舌が絡めれる。息苦しい。甘ったるい。バニラの匂いがする。脳みそがとろける。

 下半身が痺れている。失禁している。甘い匂いが鼻を刺す。清潔なシーツの上に、愛液とエーテルを噴きだしている。シーツに水溜りができて、尻が冷たくなる。

 クリトリスを柔らかいものでやさしく転がされている。身体が燃えるように熱くなる。むせびながら、仰け反って、涙を流す。腹に針が刺さる。吸引されて、注入される。

 スイッチ。

 全身を羽毛で包まれている。くすぐられている。敏感になった皮膚で、数え切れないほど絶頂に達する。絶頂が引き伸ばされていく。涙を流しながら、何度も恋人の名を呼ぶ――アアル、アアル、アアル。

 耳元で、高貴なアクセントが囁く。愛しているだとか、かわいいだとか、そういうことを。そのたびに、わけがわからなくなって、頭のなかが真っ白になる。腹に針が刺さる。吸引されて、注入される。

 スイッチ。

 話し声が聞こえる。「どんな塩梅だい」

 高貴なアクセントが答える。「総合評価はAプラスね、身体も、もちろんエーテルも。今までで一番いいわ。わたしが飼っちゃいたいぐらい」

 口笛が聞こえる。「あんたをしてそこまで言わせるとはな。こりゃァ楽しみだ。はやく仕込んでくれよ」

 高貴なアクセントが答える。「あと一週間もすれば仕上がると思うわ。この子はバランス・エーテルサーキットを入れてるみたいだから、怪我もそれぐらいで治るわね。でも、普通なら全治三週間。あなたが痛めつけすぎたせいよ」

「泣かれると燃えるたちでな。傷があると、もっといい」

「変態」

 子宮口を押し込まれる。のぼりつめる。粘膜で張形を締め上げる。柔らかく甘ったるい匂いのする肢体にすがりつく。羽根に包まれる。唇を重ねられる。満たされる。意識が飛ぶ。

 スイッチ。

 体重がゼロになる。体重が一千万ポンドになる。

 痛みのない穴の底へ落ちていく――

 

 

 

 

 

 

 喘ぎ声が聞こえる。

 手足が重い。ちくちくする。筋肉が強張っている。数百時間も休まず走りつづけたかのよう。

 目の奥が痛い。カーテンを突き刺す太陽の光がまぶしい。

 診療所のベッドに寝かされていた。起き上がって、ノンは自分の身体を見下ろした。頭のてっぺんからつま先まで包帯が巻かれていて、そうでなければ痣があり、回路が描かれたポリウレタンフィルム・ドレッシング材が貼りつけてある。鼻はテープで覆われている。指には添木されている。二の腕には点滴の針が刺さっている。

 腹が痒い。死ぬほどむずむずする。服をはだけて見てみると、精臓がある辺りの肌に、注射針の痕が銀河系を作っている。まるでヘロイン中毒者の注射痕。

 肩は軽い。首輪を外されていた。バランス・エーテルサーキットが起動していた。

 頭は重い。ぼうっとする。

 全身がべとべとする。気持ちが悪い。

 ベッドから降りて、カーテンを開く。隣のベッドで裸体が絡みあっている。首輪付きと首輪なし――囚人と看守。ベッドのきしむ音がうるさい。よがり声がうるさい。セックスの熱は最高潮に達している。顔が赤くなる。どきどきする。

 鴉の看護婦がやってくる。「あら、目が覚めたのね」高貴なアクセント。

「あの――」

 ベッドに押し戻される。甘い匂いがする。「あァ、だめよ、まだ寝てなくちゃ」バニラの匂いがする。看護婦の胸には、名札が留められていて、カレン・Τ・ロッカバイとある。

「わたし……どれぐらい寝ていたんでしょうか」

 カレンは言った。「たしか、三日ぐらいだったかしら」

 妙にひっかかる――袋叩きにされただけで、三日も?

 鷹揚な笑み。「どこか痛むところはない? 包帯替えなきゃね。汗、気持ち悪いでしょう? 拭いてあげるわ」

 カレンは点滴の薬剤を取り替えた。服を脱がせて、包帯をほどいた。濡れタオルで身体を拭いた。

 隣の喘ぎ声が止む。

 点滴が落ちる。頭のなかが冷たくなってくる。不意に眠気が襲ってくる。欠伸をする。カレンが耳の裏を拭いた。されるがままになる。

 妙にひっかかる――

 カレンがうなじを拭いた。冷たくて、気持ちがいい。「あなたの、便利な回路ね。痣はほとんど消えかかってるし、この調子なら右手のほうも、すぐに治るわ。もっとも、起きているうちは、また首輪をしてもらわなきゃいけないんだけど」

 首にECCDを嵌められる。息苦しい。回路が落ちる。眠い。欠伸をする。カレンは背中を拭いている。体温を感じる。甘い匂いがする。甘い匂いで頭がいっぱいになる。ぼうっとしてくる。

 力が抜ける。カレンにしなだれかかった。羽毛が肩と太ももをがくすぐった。ぞくぞくしてくる。

 カレンが胸を拭いた。ふわふわしてくる。だるい。ぽかぽかしてくる。カレンの爪が脇腹を引っかいた。下着が湿る。足をすりあわせる。カレンの手首を押しのける。

 カレンは訊いた。「どうしたの?」

 舌がもつれる。「じ、自分で拭けますから……」

 カレンは笑った。「そんな手じゃ拭けないでしょう」カレンは内腿を拭いている。尻尾を拭いている。足の指の間まで丹念に拭いている。

 息が上がりきって、完全に脱力する。拭いた先から汗が滲む。腹のなかが死ぬほど痒い。股間は愛液でぐしょ濡れだった。今までで一番昂ぶっている。

 隣の喘ぎ声が再開する――二回戦突入。

 目の前にカレンの顔があった。端正な顔つきだった。ボス・アアルとすこし似ていて、甘いバニラの匂いがした。唇が重なった。避けられなかった。舌を吸われた。舌を甘噛みされた。歯茎を舐められた。脳みそがとろけた。

 指が股間を這った。湿った下着をずり下された。勃起したクリトリスを押し潰された。下半身が爆発して、むせた。足が跳ねる。

 カレンが服をはだけた。おおきな乳房がまろびでる。青い静脈と精素回路が浮いている。かきたてられる。顔に押し付けられる。甘い匂いで目が眩む。乳首が唇に当たった。反射的に乳首を吸った。乳首は硬くなっている。甘ったるい体液が口腔に広がる。嚥下する。

 膣内に指が滑り込んできた。弱いところを的確に撫でられて、擦られる。愛液がしぶく。乳首を吸いながら、潮を噴きまくる。全身が燃え上がる。

 カレンの指は世界一手淫が上手かった、ものの数秒で、頭のなかに超新星爆発を起こす。ものの数分で、百万回の嬌声を上げさせる。甘えさせる。記憶を切れ切れにさせる。やさしく羽根に包まれて、わけがわからなくなる。満たされまくる。

 カーテンが引かれた。ヘヴィ級の虎が立っている。にやついている。

 息を呑む。体温が絶対零度になる。「マチルダさん――」身体を起こす。

 腹に針が刺さる。精臓に薬液を注入される。

 カーテンが虹色に輝きはじめる。カレンが注射針を持っていた。筋肉がとろけて液状化する。天井が高速回転する。ベッドが自転する。診療所は公転している。体内の精素回路が弾ける。鼻血が出る。死ぬほど熱い。

 カレンが立ち上がった。「もう。仕上がるのは来週だと言ったはずよ」

 マチルダはガムを噛んでいる。パンパラグを噛んでいる。「そいつのよがり声を聞いてたら、待ちきれなくなったんだよ」マチルダはカレンに百ドル渡した。ガムを吐き捨てた。

 マチルダは腰にペニスバンドを身に着けている。太くて、長く、脈打っている。尾のように上下左右自由自在に揺らされている――ミスリル製の高級品。表面は交尾用の潤滑ゼリーでてかっている。

 ベッドの枠を掴む。這って逃げようとする。尻尾を握られる。引っ張られる。尻が焼ける。甘い声が出る。身もだえする。愛液で濡れたシーツに鼻血が落ちて、まだらになる。

 両腕を頭の上で押さえ込まれる。手首にフレックスカフを嵌められる――マチルダとカレンの共同作業。

 仰向けにさせられた。股を開かされた。正常位でヴァギナにミスリル・ペニスをぶち込まれる。ゆっくり。時間をかけて。挿入はスムーズで、痛みはなかった。膣は充分に潤っていた。ほぐれていた。

 ミスリル・ペニスでスキーン腺を圧迫される。下半身が溶かされる。目玉がひっくり返る。あっという間にのぼりつめる。仰け反る。おとがいを反らす。腰を押し付ける。ミスリル・ペニスを搾り上げる。

 打たれたヤクが精素回路のなかで音速にまで加速する。顔がゆるむ。マチルダはにやついている。顔を見られている。顔を枕に押し付ける。枕を剥ぎ取られる。

 またいきそうになる。いくまいと耐える。

 いきそうになる。マチルダはいかせようとしている。執拗に性感帯を責めている。

 いきそうになる。顔を見られている。

 いきそうになる。顔を反らす。

 隣のベッドで繋がっている看守と囚人が見える――延長戦。黒い巨体と白い矮躯。黒犬と鼠。

 鼠と目が合う。虹彩は薄紅色をしている。

 カレンが黒犬の看守に呼ばれて、そちらへ歩いていく。手には注射器がある。カレンが鼠の腹にヤクを打った。鼠がぶっ飛ぶ。痙攣する。瞳孔が消える。鼻血を出す。恍惚の表情を浮かべる。小便を漏らす。泡を吹く。

 それが、メグと重なる。頭のなかで何かの神経が切れる。

 決壊する。発作のようにむせび泣く。赤ん坊のように泣きじゃくって、何度も何度も絶頂する。いきまくる。

 打たれたヤクが光速に達する。絶頂しながら、血と胆汁と胃液を吐く。小便を漏らす。泡を吹く。

 マチルダが昂ぶる。黄金の虹彩がぎらつく。責めが激しくなる。腰を振りまくる。

 失神する。

 

 

 

 点滴が落ちるのを見つめる――カレン特製のヘロイン・カクテル。

 深夜なので、診療所は営業していない。客はいない。喘ぎ声は聞こえる。カレンにセックス狂にさせられた囚人たちが、マスターベーションしている。レズっている。慰めあっている。

 無為に時間が過ぎる。時間が過ぎる感覚を失う。怪我はほとんど治っている。だが、ヤクのせいで動く気が起きない。だるい。しんどい。筋肉はぐずぐずになっている。

 客は取らされた。そのたびに、ノンは泣き叫んだ。客の半分は萎えて、半分は昂ぶった。

 診療所は娼婦クラブだった。ボスはカレンだった。十数人からの娼婦たちはみなヘロイン漬けにされて、ほかの囚人や看守に身体を売らされていた。

 診療所はレズ工場だった。ヤク中工場だった。娼婦工場だった。

 一回百ドルで、カレンへのあがりも百ドル。娼婦の取り分はない。その代わり、娼婦たちはカレン特製のヘロインを打ってもらえる――ろくでもない仕事。

 ヘロインは診療所の奥でカレンがモルヒネから生成したもので、エーテルを適切な分量で混ぜているので、よく浸透し、長く持続する。精臓に直接打てば、エーテル・ヘロインは精素回路に乗って全身を食い荒らす。内臓を食い荒らす。脳を食い荒らす。少量で、どんな品種のどんなヤク中でもぶっ飛ぶ。

 髑髏聖母は実在した。

 髑髏聖母があるとすれば、それは診療所しかありえない。

 髑髏聖母がいるとすれば、それはカレンしかありえない。

 だが、腑に落ちない。妙にひっかかる。ヤクのせいで、頭がまわらない。

 二時になる。喘ぎ声が止む。

 腕を伸ばす。カーテンを引っ張る。

 隣のベッドで、鼠と黒猫が横たわっている。ピロートークしている。昨日とは違う相手――鼠の相手は毎晩違う。鼠には、いつも来客がある。鼠に客がいないときは、それは鼠がベッドにいないときだった。

 鼠と黒猫は囁きあっている。愛しているという。キスしあっている。くすくす笑いをする。鼠の相手は毎晩違うが、毎晩おなじことが繰り返される。おなじ愛を囁いている。それを、ノンは毎晩覗き見している。

 メグには、たぶん、そういう相手はひとりもいなかったから。

 メグは、たぶん、好きな相手とキスすらしたことがなかったから。

 メグは、たぶん、恋愛の意味を知らずに死んだから。

 鼠と黒猫が体勢を変える――延長戦。

 鼠の薄紅色の虹彩と目が合う。目を反らす。

 

 

 

 

 

 

 診療所を後にする。

 カレンは渋った。引きとめようとした。ノンの身体もとどまることを望んだ。ノンのこころは診療所から逃げ出すことを望んだ――仕事に戻ることではなく。

 くしゃみをする。鼻水をすする。熱っぽい。腹のなかが疼いて仕方ない。虫が這いずりまわっている。下着はすぐにだめになる。尻に張り付いて気持ちが悪い。

 歩くのもしんどい。ヤク漬けにされて、何も食べていなかったので、筋肉が落ちていた。がりがりに痩せ細っていた。

 自分の房にたどり着く。クーがいた。下の寝棚に寝転がって、壁を見つめていた。ノンの顔を見ると、クーは飛び上がった。「ノン!」クーはノンの肩を掴んだ。「もう戻ってこないかと――」

 腰が砕けそうになる。鼻水をすする。「……たいした怪我じゃなかったので――」

 クーは首を振った。「マチルダに診療所送りにされて、帰ってきたやつはほとんどいないの。あそこがどういうところかは、あたしもよく知ってる。ううん、知らないやつなんていない。あそこは最悪。あそこはムショのなかのムショだから」クーがノンの右腕の袖をまくる。左腕の袖をまくる。ため息をつく。「お見舞いに行こうとしたんだけど、カレンのやつ、面会謝絶の一点張りでね。まさか、って思ったんだけど、よかった。ヤク漬けにされなかったのね」

「……知ってたんですね、ヘロインのこと」

 クーは肩をすくめた。「でも、あんたが探してるヤクのクラブってのは、あんなとこじゃないんでしょ?」

 クーは半分だけ知っていた。診療所を知っていた。エーテル・ヘロインについては知らなかった。

 クーがジンを注いだ。「ごめんね、あたし、警告すべきだったんだわ。あたしの前のルームメイト、アマネっていうんだけど、その子もなんか色々嗅ぎまわってたみたいで、そのせいでマチルダに目をつけられて、死んだの」

 ノンはジンを呷った。煙草をくわえる。クーが火をつけてくれる。肺いっぱい吸い込む。喉が痛い。咳き込む。クーは笑った――診療所で風邪でももらってきたの? くしゃみをした。鼻水をすすった。

 妙にひっかかる。

 マチルダはヤクのクラブに過剰に反応する。マチルダはヤクのクラブを淘汰する。フーリはヤクのクラブを拒絶する。フーリはヤク以外を支配する。

 髑髏聖母は実在する。それは、たぶん、診療所だった。カレンだった。

 ヤクのクラブはある。それは、娼婦クラブだった。

 娼婦クラブとマチルダは繋がっている。マチルダは囚人を診療所に送り込む。教育係カレンに引き渡す。マチルダはヤクのクラブを認めている。

 それはなぜか。答えは簡単だった。

 フーリが刑務所の名士たるゆえんは反トラスト法を破っているからだった。拳骨型規制物質法を布いているからだった。フーリとマチルダは刑務所の法だった。

 それで、囚人を飢えさせている。それで、ヘロインの薬効を高めている。それで、娼婦を生産している。

 髑髏聖母にはフーリも噛んでいる。調達屋フーリと、ヘヴィ級マチルダと、悪徳看護婦カレンは、おなじ穴の狢だ。刑務所もだ。全員が利害を共有している。全員が聖母を崇めている。

 聖母は刑務所に実在する。

 だが、まだなにか足りない。的を外している気がする。妙にひっかかる。

 ノンは自問した――

 自分はマチルダの一線を越えたのだろうか? クーの元ルームメイト・アマネはマチルダの一線を越えたのだろうか? 聖母の怒りを買ったのだろうか?

「アマネさんは……何を探していたんですか?」

 クーはジンを呷った。煙草をくわえた。顔を寄せてきた。ノンの吸いさしの煙草で火をつけた。青と緑の虹彩で目の前がいっぱいになる。「さァ……悪魔のなんとか、って言ってたわね」

 クーはその日も寝棚に潜り込んできた。クーは襲ってこなかった。ノンを腕に抱くだけだった。添い寝するだけだった。

 ノンはクーの腕のなかで、クーの肌に鼻をこすりつけ、薄紅色をした虹彩の鼠のことを考えながらマスターベーションした。眠るまでに二時間かかった。

 

 

 

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