第二部 エーテルバランス
大義のある任務――刑務所浄化作戦。
EPDのボス・アアルは急速な解決を望んでいる。
ゲットーの顔役だったマックス・エミリは、ノンの活躍でお縄についた。用心棒がいなくなったおかげで、髑髏聖母の扇動はより活発になった。
アアルは髑髏聖母の首を欲している。
髑髏聖母は多角化している。亞国にエーテル・ヘロインをばらまく。陰に陽に、労組にちからを貸す。アカも増えはじめたとアアルはぼやいた。
アアルは、そのうち髑髏聖母はロビー活動に手を出すだろう、と予言した。「火国の共産党員が連邦の大統領になるところを想像してみてください、きっとみんなホモのポルノをくべて焼いたペカンパイを食べる羽目になりますよ――もっとも、わたくしやノンの場合は、家ごと焼き払ったほうが手っ取り早いでしょうけど」
アアルの顔は輝いていた。りゅうとした身なりで弁護士然としていて、ちから強さを感じた。聖性を帯びていた。その姿はまぶしかった。高貴なアクセントは耳に心地良かった。
ノンはクーとおなじ房に戻った。臭い飯を食う毎日に戻った。積み込みの仕事に戻った。すこしの安酒と、聖性をすすった。魂を清潔に保った。地上では、小娘の性器を舐めさせられることもない。
聖性は理性を取り戻させる。ノンを現実に引き戻す。刑務所の外という現実に。
時折、亞国が恋しくて仕方がなくなる。チリバーガーを食べたくて涎が出る。病院にいる母のことが浮かぶ。アアルとの密会、モーテルのベッドを思い出す。
アアルは急いている。だが、鎮静と準備をしなければならなかった。
マチルダの試合では、全額を対戦相手に突っ込んだ。七百ドルからの配当を得た。金はボイラー室に隠した。
クーは笑った。「運がよかったね、ノン。マチルダへの単なるあてつけのはずが、儲けもんじゃん」
クーからは愛情を感じる。クーは、ノンが身持ちを崩すのが耐えられない、と訴える。アマネの真似事はやめてくれ、と懇願する。自分の話をする。プサイ姉妹の話をする。玉突きに誘ってくる。鼠以外にも仲間はいると主張する。
クーは目が悪い。暗い部屋でポルノ雑誌を読んでばかりいたからだろう。ノンが娼婦にされたことすら気づいていない。
ノンはクーを愛している。愛している振りをする。クーの愛と好意にこたえている。交尾には応じる。交尾では感じている。
ノンはメイを愛している。メイは愛に飢えている。メイは鼠の味がお好みだった。
メイはノンの味を知っている。全身の味を知っている。涙の味を知っている。
抽出房を出てからも、メイとはボイラー室で毎日会った。
メイは身体を求める。誰かとセックスしてからその足でボイラー室に来るときもある。最初は自制していたふうだった。三日目には、ヘロインが抜けきらないメイに、埃まみれのボイラー室の隅へと追い詰められた。
メイの交尾に応じるのに、悪感情はなかった。メイとの交尾では、ノンは感じまくった。ノンはメイのあそこを舐めた。娼婦クラブやボクシングクラブの誰もが舐めただろうあそこを。舌で掃除するみたいに。
アアルと会った翌日には、洗濯班を訪れていた。ペルセは驚いていた。
「ヘイ、嬢ちゃん。調子はどうだい」
「悪くはないです」
「たしか、吸出し部屋に行ってたんじゃなかったっけ」
「はい。でも、一週間ぐらいでやめました」
「あすこから戻ってくるやつがいるなんて、思いもしなかったよ。地下旅行はどうだった?」
「ご飯は美味しかったですけど、髑髏の絵が不気味だったので、抜け出してきました」
「へェ?」
ペルセは動じない。マリファナをふかしている。
汗が滲む。「地下では、マリファナのことを悪魔の草と呼んでいました」
ペルセは顎を掻いた。考え込む振りをした。「そういう話をどこかで耳にしたような気もするね」
十ドルを渡す。思案顔がにたにた笑いになる。
「あァ、そうだ、根国のおとぎばなしだったかな。チェリーは民間伝承が好きでね。商売じゃないなら、って、地下に儀式用の葉っぱをわけてやってるのを、フーリは許可してるんだ」
「じゃァ、髑髏聖――」
ペルセはノンをさえぎった。「さァ? あまり聞いたことがないね。だから、札束の匂いを嗅いでも、思い出す保障はできないよ」
それはペルセにとって一線だった。ペルセは絶対に髑髏聖母をまたごうとはしない。髑髏聖母はペルセにとって身内だった。ペルセは身内を売らない。
マリファナは髑髏聖母の儀式には欠かせない。教化の一端を担っている。ペルセはまだ何かを知っている。
フーリは根国の元名士だった。ホロコーストを生き抜いた英雄だった。刑務所で髑髏聖母信仰を敷衍したのはフーリだろう。フーリは宣教師だ。悪魔の伝道師だ。ペルセとマチルダを従わせている。
フーリは董の立った羊だが、貫禄と威厳がある。
そして今は、髑髏聖母からは離れているように見える。悪魔の炎とは関係がないように見える。
数字を遡る――
精製器事故があったのは、四年前だ。フーリはその前からこの刑務所を支配している。マチルダも、そしてペルセも、事故の以前から刑務所にぶち込まれている。
悪魔の炎を盗み出したのは、フーリでもマチルダでもペルセでもない。悪魔のエーテルを望んでいたのは古株の三人ではない――
問題は、聖母が先か悪魔が先か――髑髏聖母が悪魔の炎を呼び寄せたのか、悪魔の炎が髑髏聖母を生んだのか、だ。
その解答はどちらかが偽物であることを証明する。黒幕の焦点を変える。真の司祭の端緒となる。
運動場に出る。タイピンは靴のなかに隠してある。
フーリはいつものベンチにいた。煙草を喫って、新聞を読んでいる。
その横に腰を下して、隠し持っていた火国のラムをバケツのなかに落とした。
フーリは見向きもしない。一言も発しない。
汗が滲む。「あの、おたずねしたいことがあるんですが――」
フーリは一面から目を離さずに言った。「なんだ」
胃がきりきりする。ノンは唇を湿らせた。「髑髏聖母を作ったのは、誰ですか?」
「知らん」
「悪魔の炎を奪ったのは、誰ですか?」
「知らん」
「亞国にヘロインを送っているのは、誰ですか?」
「知らん」
フーリは何の反応も示さない。威厳と貫禄を放ち続けている。フーリの脈拍は乱れもしなかっただろう。
ノンは立ち上がった。
フーリは言った。「訊きたいことはそれだけか」
ペルセの言葉を思い出す。父が埋めたメグを思い出す。
チェンジアップを投げる。「最後にひとつだけ。亞国では、弔われずにわかたれた死者の魂は、根の国で大樹に還ると言われています。根国では、どうなるんですか?」
フーリは角を掻いた。「罪を犯した魂は砂漠に行く。砂漠の空気は細菌を殺す。砂漠の空気は薄まっていない。最初の空気、太陽の空気、神の空気――神のエーテルを含んでいるからだ。そこで業にゆがんだ魂を清める」フーリは新聞を畳んだ。煙草をバケツのなかに弾いた。「砂漠には、世界の終わりに洪水がやってくる。水のなかには悪魔がいる。清めきれなかった魂は、悪魔に囚われて、洪水に流される。そして、次の世界の悪魔になる」
ノンは会釈をした。フーリは瞬きひとつせずにノンを見つめている。これで見納めだとでも言わんばかりに。
収穫なし――成果はあり。準備は整った。
娯楽室。
時計に目をやる。十五分経つ。ノンは入り口から見えるところで待っていた。煙草を喫いながら、椅子に座っていた。
時計に目をやった。二十分経った。
真っ昼間なので、娯楽室はうるさい。賭けトランプに興じる囚人がいる。紛失したビリヤードの球を探している囚人がいる。都合がいい。
二十五分。
娯楽室にマチルダが入ってくる。ラムの酒瓶を持参している。いつもの連れはいない。都合がいい――
マチルダは酒臭い。黄金の虹彩はぎらついている。怒りと、滾り。
囚人たちがマチルダに気づく。娯楽室が静まりかえる。囚人たちが凍りつく。壁に寄って、娯楽室の真ん中に場所を開ける。
マチルダが目の前にやってくる。
マチルダは低い声ですごんだ。「あんた、よっぽど死にたいらしいな」
ノンは煙草を吐き捨てた。かがんで靴紐をいじった。「……何の話ですか?」
マチルダは玉突き台に瓶の底を叩きつけた。瓶が割れる。囚人たちがたじろぐ。瓶の割れ口はノンの顔面を狙っている。
ノンは首輪に手をやった。鍵穴にタイピンをねじ込む。小気味よい音が骨に響く。首輪を握り締める。
精素回路を起動させる。頭のなかが冷えてくる。マチルダの脈拍を感じる。脇から分泌されたエーテルが脇腹を伝う。
マチルダが腕を引いた。全力で首輪を投げつける。鼻面に直撃する。マチルダがよろめく。鼻血を噴く。鼻の骨が折れている。
キューを掴む。キューをへし折る。マチルダが掴みかかってくる。かわす。その膝にキューを叩き込む。
巨躯が沈む。こめかみをキューで殴りつける。キューを捨てる。ポケットからビリヤード球を詰め込んだ靴下を引っ張り出す。頬を殴りつける。
血がほとばしる。巨躯が倒れる。身もだえする。
エーテルの混じった汗が滲む。頭頂に振り下ろす。靴下が真っ赤になる。振り下ろし続ける。汗をぬぐう。甘い鉄錆の匂いが充満する。
肌寒い。はらわたがちりちりする。
毒がよくまわっている。
ノンが殴り終えるまで、看守を呼びに行く囚人はいなかった。
明確な理由――誰しもマチルダに少なからず恨みがある。
ボイラー室で息を整える。耳を澄ます。首輪を嵌めなおす。タイピンを隠す。
窓から診療所とボクシングクラブを観察する。看守がマチルダを担架で運び込むのが見える。カレンを伴ってすぐに出てくるのを確認する。
行き先――おそらく外の病院。
ボクシングクラブのほうは出入りが激しい。フーリもジムに入っていった。手下のものに指示を出しているのかもしれない。運がいい。
時間はあまりない。人通りの少ない隙をうかがって、診察室に駆け込む。
ヤブ医者馬は相変わらず泥酔していた。娼婦たちはセックスに没頭している。騒ぎに気づいていない。
カレンのデスクをあさる。中身をひっくりかえす。ひっかきまわす。チェリーに送られる前の書類を探す。黒幕に繋がるものを探す。コンドームとアスピリンとペニスバンドが床に落ちる。
二分間物色して、めぼしいものは発見できなかった。焦りが募る。毒のせいで落ち着かない。メイが持ち去った後だったのだろうか。
いや、まだだ。諦めるには早い。ここには何かあるはず。何か、何か、何か――
はっとする。キャビネットを開く。Lの段に指を這わせる。アマネ・ロータスのカルテをひっぱり出す。
死因欄――エーテルの過剰摂取。
そこに偽りはない。疑わしいところはない。自殺とは書かれていない。異様なのは、他の囚人の名がいくつも書き連ねられていること。
マチルダの名がある。チェリーの名がある。看守の名がある。名前の下には、日付と、利用回数。おそらく娼婦の顧客リスト。
アマネのカルテを元に戻して、一番分厚いものを探す。あった。Mの段。メイズ・M・M。とびきり分厚い。ためらう。手を伸ばす。重い。
カルテのなかを覗く。数字と名前の列が目に飛び込んでくる。
見知った名前の下には、やはり数字しか書いていない。
見知らぬ名前の下には、一言書き加えられているものがある。びっしり書き込まれているものがある。カーボン紙で写されたものがある。
決まって頭には、面会者か、一時外出と書かれてある。そこに続くのは、内務省だとか、陸運局だとか、あとは新聞社だとか、会計事務所だとか、それに、賄賂の額/法案の値段/議席の相場/揉み消し料。市の名前、町の名前――どれもドルマークつき。
汗が吹き出す。震える指で文字をなぞる。読み進める。
新聞で見覚えのある名前も出てくる。炉国の知事、議員、判事、連邦の高官、三百代言、名士――ざくざく出てくる。
汗がカルテに滴り落ちる。他の分厚いカルテも調べる。
どれもこれもメイとおなじ。施設、土地、法案、ドル、ドル、ドル――
カルテとデスクを片付ける。スツールにへたりこむ。精製器のロゴを目にしたときとおなじぐらい、膝が震えていた。毒は吹っ飛んでいる。
カルテは、醜聞帳だった。
醜聞帳にはすべてが載っている。すべての金額が記載されている。それらは娼婦がかき集めたものだ。
おそらくこうだ――娼婦はシャバにも斡旋されている。カレンの教育を受けた娼婦は、最高級のサービスで高官をもてなす。娼婦はベッドのなかでゴシップを聞きだす。高官はヤク中におとぎばなしを面白おかしく聞かせる。娼婦はそれをカレンに報告する。エーテル・ヘロインを打ってもらう。
そしてカレンは地図を作る。金脈はどこか、ヤマはいつ訪れるのか。
醜聞帳は、髑髏聖母の耳だった。だから、亞国に取り入ることができた。
まるでメルヘン。まるでファンタジー。こんな状況でなければ鼻で笑っていたような内容だった。連邦捜査局も顔負けの情報収集能力。
底知れない昏い秘密の熱を感じる。薄汚れた金の濁流――あるいはしぶきが見える。
凍える。汗が体温を奪っている。
酒がほしい。喉はからからに渇いている。
「ノン?」不意に背後から声をかけられる。
スツールから飛び上がる。診察室の入り口に息を切らせたメイが立っていた。
メイはノンの頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺めた。診療所の外を振り返った。ノンの腕を掴んで、自分のベッドまで連れて行った。
メイがカーテンを引いて、小声で言った。「マチルダと喧嘩をしたと、聞きました……あの、怪我は――」
ノンは首を振った。「ありません。これはマチルダの血です」
メイはため息を吐き出した。「マチルダのほうは大怪我をしたとかで、チェリーはかんかん、です。……どうしてこんなところに、いるんですか?」
「地下に送られる前の資料を読みたかったんです。今日の分は、もう届けてしまいました?」
「はい……すみません。あの、それで、何か、見つかりました、か?」
メイはしきりに匂いをかいでいる。ノンの手にこびりついた血を凝視したりしている。
体臭や袖に染み込んだエーテルから、ノンが精素回路を起動させていたのは自明だった。
「カルテしかありませんでした。メイは、知っていたんですか。顧客のリストについて――」
「リスト? リストがどうか、したんですか?」
「いえ――」
メイは醜聞帳を認識していない。リストが持つ魔力の恐ろしさを理解していない。
メイが薄紅色の虹彩を逸らせた。「あの、つ、使ったん、ですよ、ね、エーテルサーキ――」
「それは、言えません」
「そッ、そういうことではなくて」メイは両手を合わせた。指先同士を擦り合わせた。「使ったなら、いろいろと、たッ、溜まってます……よね」
視線が絡まる。冷え切った肌に熱を感じる――聖性の熱。
視線をほどく。ノンは立ち上がった。「いえ、だいじょうぶです」
メイを顧みずに診療所を出る。
外では、ミスリル仕掛けの警棒を構えた看守たちが待っていた。
警棒が伸びる。太さを増す。針が飛び出す。
頭上のタンクがごぼごぼと音を立てる。胃の中に赤錆の混じった流動食が流し込まれる。
最初は水っぽい嘔吐物の味がしたが、ここに収容されて一週間になるので、もう慣れた。饐えた悪臭にも。
懲罰房は、トイレのような内装だった。
懲罰者はコーラスラインみたいに並ぶ個室の便座に縛り付けられ、臭腺に抽出プラグを、喉にはパイプを押し込まれる。不潔極まりない部屋で、一日に二度、強制的に食事を摂らされ、精臓で四六時中エーテルを作らされ、搾り取られる。
懲罰者は、高伝導エーテル精製プラントの一部だった。
抽出器がうなる。尻に激痛が走る。激痛は内臓から指の先まで伝染する。激痛が高熱に変換される。
抽出房のそこかしこから苦悶の声が上がる。ヤクがなければ、抽出は拷問でしかない。懲罰房では一日が半年になる。ノンは毎回失神する。
懲罰房はもうひとつの鎮静剤だ。娼婦が飴なら、懲罰房は鞭。
それを、ノンは身をもって理解していた。
痛みのあまりに眼球がひっくり返る。痙攣する。糞尿を垂れ流す。
個室の扉が開く。看守が立っている。チェリーが立っている。
気を失う。
マリファナの香り。ワインの香り。
汚物以外の匂い。
柔らかいベッドの上。上体を起こす。引っ張られる。両手には手錠が嵌められている。手錠は鎖でベッドに繋がれている。
身体は洗われていた。清潔な囚人服を着せられていた。
一週間も座りっぱなしだったので、腰が痛む。全身が凝り固まっている。
見渡す。聖母の絵があるスイートルーム――チェリーの部屋。
「お目覚め?」チェリーがやってくる。「懲罰房の暮らしはどうだった?」
部屋にはチェリーとノン以外、誰もいない。
「もう二度とごめんだと思う程度には、快適でした」
チェリーは笑った。ベッドの脇の椅子に座って、尻尾の毛繕いをはじめた。「あなたのことは気に入ってるの。だからあたしがあそこから救い出してあげた」
「……それは、どうも」
「でもまた、あそこに戻すこともできる。ううん、それどころか、死ぬまでずっとあの細菌だらけの便器で用を足させることもできる。マチルダを痛めつけて、クリスマスまでの試合を中止にさせられたことを思うと、ほんとうはそうしてもいいんだよ」
「わたしに、何をしろと?」
「あたしに忠誠を誓ってほしいの。メイのようにね」
鼠好きの、欲深な小娘。
「……トイレで、ひとりで考えさせてもらえませんか」
チェリーは肩をすくめた。「もちろん、いいよ。きっと大事な選択になるだろうから」
チェリーは鎖をベッドから外した。チェリーが立つのを手伝ってくれる。
チェリーは頭が良い――だが、愚かだった。
足を払う。チェリーが尻持ちをつく。顎を蹴り飛ばす。チェリーは床に頭を打ちつけた。その上に馬乗りになる。
チェリーは目をまわしている。「な、なにを――」
頬を殴りつける。チェリーが暴れる。顔をかばう。かまわず三発続けて殴打する。
「やッ、やめ……て、よ……」チェリーが泣きはじめる。
張り手を食わす。「髑髏聖母を作ったのは、誰ですか?」
「しッ、知らな――ッ」
張り手を食わす。「髑髏聖母を作ったのは、誰ですか?」
「知ら、ないって――」
張り手を食わす。「髑髏聖母を作ったのは、誰ですか?」
「ほ、ほんとに知ら――」
喉元に鎖を押し付ける。締め上げる。数を数える。一秒、二秒、三秒――
きっかり六秒でチェリーの顔が紫色になる。緩める。
チェリーが咳き込む。「あッ、あたしがッ、来たときには、すでにあったの……だから、ほんとに知らッ、ない、知らない、知らない知らないよッ!」
嘘をついている風ではない。チェリーは涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃになっている。
首を鳴らす。こわばった身体がほぐれてきた。「悪魔の炎を奪ったのは、誰ですか?」
「それも、知ら――」
チェリーの口のなかに指を突っ込む。前歯を一本引き抜く。海老反りになるチェリーを抑え込む。絶叫が響く。
「エメラルド基板のことです。次は二本いきます」
「わァ、わかんない、わかんないんだってェ……もう、やめてよォ……」
やはり――
チェリーは肝が据わっていない。黒幕タイプではない。ただの小娘。小物だ。
「じゃァ、亞国にヘロインを送っているのは、誰ですか?」
「そ、それは……」紫の顔色が真っ青になる。
顎を掴む。青が白になる。
「タッ、タクシーだよ! タクシー会社! プサイ姉妹の!」
「……なに?」
「ヘロインは全部、プサイ姉妹のタクシー会社に送られるの! プサイ・タクシーは――髑髏聖母の亞国支部だから」
ぐらつく。指に力がこもる。
「どうして、プサイ姉妹に?」
「わかんない、わかんないけど……娼婦クラブの作り方を教えてくれたのも、プサイ姉妹なの」
プサイ・タクシー。移動式プッシー――サマーとウィンターには娼婦のノウハウがある。ならば――
「顧客リストを作ったのも?」
チェリーは首を縦に振りまくった。「うんうんうん、そッ、そう、そうだよ!」
思い出す――
プサイ姉妹は、身内に売られてこの刑務所にぶち込まれたと言っていた。
だが、実際は違う。プサイ姉妹は刑務所に娼婦クラブのシステムをもたらしに来た。リストを作りに来た。耳を作りに来た。ヘロインを仕入れに来た。
プサイ姉妹は、髑髏聖母の中核だった。
「あのふたりが、髑髏聖母のボスなんですか?」
「それは、わかんない……でも、違うと思う。サマーもウィンターも、たぶん、やッ、雇われ。髑髏聖母を作ったわけじゃない」
「確証は?」
「プサイ姉妹より先に、ど、髑髏聖母はあったし……ヘロインの利益は別のものに換えて、あたしが全部管理しているの」
「それで?」
「それで、って」
「それで、何に換えてるんですか?」
チェリーは唾を飲み込んだ。「土地、だよ。亞国、火国、狗国、根国――連邦のあっちこっちの土地を、買ってるの」
「それで?」
「あたしは、何に使うのかは、聞かされてないの。買ってる土地は、郊外だったり、不毛な砂漠みたいなとこだったり、価格もピンキリで……ともかく、中継地って呼ばれてるところを、買ってるらしいんだよ」
「中継地?」
「あたし、ほんとに、何にも知らないの……あなたが知ってるんだと思って……」
「土地は、誰の指示で?」
「フ、フーリだよ、調達屋の。髑髏聖母にボスがいるとしたら、たぶん、フーリだと思う」
「それで?」
「娼婦クラブとか、土地とか、ヘロインの指示は、全部フーリが出してるの。ひとの手配も、そう。あたしがここで会計係をやってるのも、フーリが命じたからなの」
「それで?」
「そッ、それだけだよッ! もう知らない! 何も知らない! ね、ね、ねェ、お願い……全部教えたから、もうぶたないでェ……」
チェリーが泣きじゃくる。白くなっていたチェリーの顔は赤に変色している。
「金庫の数字は?」
チェリーは一瞬ためらった。すぐに口を開いた。「二、一、八――」
チェリーの上から降りて、チェリーを立たせる。トイレに放り込む。椅子をつっかい棒代わりにしてチェリーを閉じ込める。チェリーがドアを叩く。泣き声を上げる。ノンはドアを蹴った。チェリーは黙った。
金庫を開く。書類、ドル札の束――ざくざく。山のよう。金をいくらかくすねておく。
ファイルに目を通す――あった。
土地のリスト。不動産登記簿の写し。地図もある。
チェリーのデスクの上に地図を広げる。髑髏聖母の土地と照らし合わせてみる。鉛筆でしるしをつける。定規で線を引く。
土地はすべて四本の直線で繋がる。直線は連邦の各国に結ばれている。
すぐに気づく。その共通点――パイプラインが近い。
チェリーが漏らしたキーワード――中継地。
それが意味するものはひとつしかない。
つまりこうだ。
エーテルインフラ計画妨害工作。
それが、悪魔の正体。
FSENSはおそらく、最初から知っていた。
だが、フーリは何のために? そして、いつから狙っていた?
髑髏聖母よりも、あるいは悪魔の炎よりも先か、後か。
不審な点はまだある。前任者アマネがそこに到達していたか、だ。
ノンには感覚があった。確実に、一線を踏み越えた感覚が。
トイレに行く。うずくまり、すすり泣いているチェリーの尻尾を踏みつける。チェリーが悲鳴を上げる。
「チェリーはいつ入所したんですか?」
「さ、三年前、だよ」
「そのとき、髑髏聖母はすでに存在したんですね」
「うッ、うん、今みたいに、亞国のデモに介入したりはしてなかった、けど」
「髑髏聖母のことについて、アマネは何か知っていましたか?」
「アマネ……? さ、さァ……? あなたに、聞かれたようなことは、アマネには何も教えてないけど――」
「アマネは、どうして死んだんですか? 本当に自殺だったんですか?」
青い虹彩が泳ぎまくる。耳を力任せに引っ張る。毛がぶちぶち抜ける。
「いッ、痛いッ、話すッ、話すから! 話すからァ……」チェリーは鼻をすすった。「ほ、ほんとはね、アマネは……殺されたんだよ」
「誰に?」
チェリーは言った。「メイズ・ミリュー・モート」
なぜ――
時間が飛ぶ。
どのように事後処理をしたのかは、はっきり思い出せない。
だが、抽出房からは出られた。チェリーにそのように計らえと脅したようだった。
なぜ――
アマネは診療所から何かを盗み出そうとしていた、とチェリーは証言した。だから消された、と。メイを使ったのはカレンだろう、と。メイなら、アマネに警戒されないだろう、と。
アマネは抽出房で死んだ。チェリーは殺しの現場を密かに目撃していた。自分も消されるのを恐れて、黙っていた。
なぜ――
におう。妙にひっかかる。
殺しなら、マチルダに頼めばいい。看守が後始末をしてくれる。カレンとマチルダは昵懇の間柄だ。ふたりは娼婦で結ばれている。
きっと逆だ。カレンのほうが、アマネを警戒していたのだ。カレンは、アマネがスパイだと睨んでいたのだ。たれ込んだのは――メイ。
推理――メイはカレンと何らかの取引をした。
それはヘロインかもしれない。金かもしれない。わからない。なぜ、なぜ、なぜ。
アマネが診療所から盗み出そうとしていたのは、何なのか。
ヘロイン/カルテ/醜聞帳。ノンはそのすべてに触れた。
マチルダをぶちのめしたあと、診療所でメイは言った――何か見つかりましたか?
確たる裏付け――メイは醜聞帳を守っている。
次は、自分か。
いや、待て。
アマネが潜入捜査官であるとノンに明かしたのは、メイ自身だ。メイはアマネが誰かに殺されたと言った。事故とも自殺とも言わなかった。
チェリーが嘘をついているとは思えない。なら、メイは、なぜ。
今日は荷捌き所に荷物が届かない。抽出房をあとにすると、ノンはプサイ姉妹の房に直行した。幸いメイにもクーにも見つからなかった。
プサイ姉妹は寝棚の下段でライを飲みながらチェスをしていた。
垂れ耳のサマーが言った。「あれ、ノン? 穴ぐらに入れられてたんじゃ?」
欠け耳のウィンターが言った。「え、ちょっと、マジ? おばけ?」
ノンは便座に座った。マッチをすった。煙草に火をつけて、マッチを便器のなかに捨てた。「コネを使って抜け出してきました」
サマーが片目をつむった。「キューが寂しがってたよ。今は用事があるとかで、どっか行っちゃったけど」ライを注いでノンに渡した。
ウィンターが身を乗り出した。「ね、あの噂ほんとなの? マチルダを病院送りにしたって」
ノンはライを一息で乾した。「この前のお礼に、ちょっとじゃれあっただけです」
ウィンターが笑った。「言うねェ」
「実は、おふたりにたずねたいことがあって来たんです」
「なァに?」
ノンは煙を吐き出した。「エーテル・ヘロインについて」
サマーは首を傾げた。「なんのこと?」
汗が滲む。「チェリーから聞きました。あなたたちが、亞国で髑髏聖母を取り仕切って、ヘロインを捌いていると」
わずかな時間の沈黙。
ウィンターが毒づいた。「あンのクソガキ。あっさりゲロりやがって」
サマーはため息をついた。「コネって、そういうことだったのね」
「それで、どうなんですか? ヘロインを売ってるんですか?」
サマーは肩をすくめた。「そうね、否定はしないよ。うちの会社は、女の子と客と、ヤクを運んでる」
ノンは汗をぬぐった。「それと、刑務所に娼婦クラブをもたらしたのも、サマーたちだと聞きました。あとは、顧客リストのことも」
「わあお。とんでもないおしゃべり狐ね」サマーはすっかり呆れかえっている。
「で、どうしたいわけ? シャバに出てからのコネでも作りたいの?」ウィンターはいらついている。
アルコールがまわってくる。平静さが戻ってくる。
「まァ、そんなところです」ノンは訊いた。「サマーたちが売られてパクられた、っていうのは、建前なんですよね。どうして髑髏聖母に手を貸しているんですか?」
「環境は最悪だけどねェ、報酬をたんまり弾んでくれるのよ」
「報酬は、誰から?」
「フーリ・レッドラム。あの羊の婆さまが、わたしたちのボス」
「髑髏聖母のボスも、フーリですか?」
「他に誰かいるわけ?」
ノンは立ち上がった。吸殻を便器のなかに捨てた。「アマネを殺したのは誰か、知ってますか?」
サマーは怪訝そうに言った。「マチルダじゃないの?」
嘘をついている感じはしない。プサイ姉妹は、ただの運び屋に過ぎない。
ノンは会釈をした。「では、また夕食のときに」
ウィンターが呼び止めた。「ちょっと、このこと、誰にも話さないでよ? もちろん、キューにも」
ノンは微笑んだ。「当然です。わたしたちはもうお仲間ですから」
サマーは膝を叩いた。「けだし名言ね」
ウィンターは中指を突きたてた。
チェリーに、ペルセ姉妹。フーリには三票集まっている。
だが、まだ足りない。まだ票が欲しい。裏を取るべき相手はまだいる。
ボイラー室に隠しておいた金を回収してから、洗濯室に向かう。運動場にフーリはいなかった――調達屋の仕事中。
入り口からなかを覗く。犬たちがたむろしている。マリファナをふかしている――いつもと変わらない光景。
白犬ペルセがノンに気づく。ペルセが手を振る。
手招きしてペルセを誘う。ペルセは素直にやってくる。
「ヘイ、嬢ちゃん。最近見なかったけど、元気にしてたかい?」ペルセはマリファナを勧めてきた。
ノンは首を振って断った。「白々しいですね、マチルダをけしかけたくせに」
ペルセは一瞬きょとんとした。すぐににたにた笑いになった。開き直った笑み。「でも、返り討ちにしたじゃないか」ペルセは壁にもたれかかった。「後学のために教えてほしいんだけど、どうやって首輪を外したんだい?」
「鼠の間にだけ伝わる手品ですが、質問に答えてくれたら伝授してあげてもいいです」
「内容によるね」
「髑髏聖母」
ペルセは鼻で笑った。「前にも言っただろ。あまり聞いたことがないってね」
ノンは袋を取り出した。口をくつろげて中身を見せる。「千ドルあります。わたしの情報屋になってくれませんか」
ペルセは口笛を吹いた。「ボクシングの賭けに勝ったとは聞いていたけど、そんなに儲けてたとはね」ペルセはマリファナを揉み消した。「何を知りたいんだい」
「髑髏聖母は、いつ、誰が作ったんですか」
「四年前だね。ちょうど、エアライデンズが高伝導エーテル精製器を刑務所に実装した直後だよ。作った、って言い方はちょっと語弊があるかもしれない。なんせ、丸っきり創作ってわけじゃなくて、もともと根国にあった民間伝承だからさ。誰が聖母を広めたかは、嬢ちゃんが当たりをつけてる通りだと思うよ」
「マリファナクラブも、その時期に?」
「そういうことになるね」
「髑髏聖母の目的は、なんですか」
「たしか、精製器による魂の浄化とかなんとかいう大義をかかげてたかな。根国の信仰の根本には、濾過と浸透という考え方があってね。悪魔の草だとかもそう。葉っぱは、聖母をそれっぽくするための、儀式の道具なんだよ。だから、マリファナクラブは必要だったってわけさ」
「本当の目的は?」
「さァ? あたしはそこまでは――」
ノンはすっとぼけようとするペルセをさえぎった。「エーテルインフラ計画」
ペルセは初めて、ノンに面食らった顔を見せた。「やるね。嬢ちゃんには負けたよ。そこまで掴んでたなんて」
「髑髏聖母がいくつもの物件を持っていることも、知ってます。これを満額受け取りたいなら、包み隠さずそっくり話してください」
ペルセは両手を挙げた。「わかったわかった、言うよ。フーリは、根国の再興、それに狗国への復讐を目論んでるんだ」
「再興と、復讐?」
「炉国が正式に連邦参画すれば、本格的にインフラ計画が始まる。もうじき、エーテルネットワーク開発工事のために各地で調査が行われる。そのとき、地価がある一定の値段に釣りあげられるまで、PW社の邪魔をするのさ」
「それで?」
「それで、最終的には土地を連邦に貸してやる。エーテルインフラ計画に乗ってやるんだ。髑髏聖母には、莫大な利権と、連邦内での立ち位置ができる」
「それで?」
「それで、エーテルネットワークが完成してからも、徹底的にPW社の邪魔をする。PW社をインフラ計画から下す。すると、ある金融機関がネットワークを買い取る」
「狗国の、デルファイですか」
「ご明察」
「それで?」
ペルセは笑った。「それで、それで、って、なんだか刑事みたいだね――まァ、いいけどさ。それで、デルファイは突然汚職が発覚する」
髑髏聖母の隠し玉――醜聞帳の面目躍如。
「そして、最終的なネットワークの引き取り先は、火国のウォルトミスリルと、根国のホライズンレーヨン社って寸法さ」
「つまり――バックには鉄鋼王と繊維王がいるわけですね」
「そう。根国と火国の議席の半分は、エーテル・ヘロインの金であがなってやってるんだよ。しかしまァ、壮大な計画だよね。所詮は老いぼれどもの妄想さ。おかげであたしはここで快適に暮らさせてもらってるから、文句はないけどね」
「それで――ペルセはツテで、狗国のどなたかに娼婦を紹介したんですね。だから、フーリが信頼している」
ペルセは片目をつむった。「頭の回転がはやいね、嬢ちゃん」
「……あなたほどでは」
ペルセは利口だった。機を決して逃さない。勝ち馬に乗る才能がある。
「ペルセは、どこまで髑髏聖母に関わっているんですか」
「そんな大層な仕事はやっちゃいないよ。基本的には、葉っぱを乾かして、地下に献上するだけ。あとは、そうだね、囚人たちや、看守の話を聞いて、元名士に伝えることか」
「髑髏聖母には、誰が関わっているんですか」
「それに関しちゃ、むしろ、嬢ちゃんのほうが詳しいかもね。あたしは下っ端にすぎないし、本人は意識してなくとも、みんな、なにかしらのかたちで髑髏聖母には関わってるのさ。数え始めたら枚挙に暇がないし、あたしも全員を把握してるわけじゃない。髑髏聖母には、誰が絡んでいてもおかしくない。嬢ちゃん、ここの囚人がやけにおとなしいと思ったことはないかい。それは誰もが、髑髏聖母の恩恵にあずかってるからだよ。信仰はひとを、信仰に対して真面目にさせるもんさ」ペルセはマリファナに火をつけた。「それで? 他には何か? あたしが髑髏聖母について知ってることは、だいたいぶちまけたと思うんだけど。次はフーリの好物でも訊くかい?」
「いえ……でも、どうしてあっさり口を割る気になったんですか?」
ペルセは欠伸をした。「髑髏聖母は今揺らいでるからね。フーリは老いた。耄碌しかかってる。鞍替えの時期が近づいてるんだよ。次の名士に恩を売っとくのも、悪かないと思ったのさ」
食えない白犬――頼もしい小悪党。
ノンは袋を渡した。ペルセは恭しく受け取った。
「最後にひとつだけ。アマネを殺したのは、誰か知っていますか?」
「アマネ……あァ、鼬の? 数年ぶりに聞く名前だね。マチルダの仕業じゃないのかい?」
ノンは会釈をした。立ち去ろうとして、まだペルセには投げかけたことのなかった質問を思い出した。
「すみません、もうひとつありました。悪魔の炎を奪ったのは、誰か知っていますか?」
「悪魔の……炎? 葉っぱじゃなくて?」
「エメラルドのことです」
ペルセは鼻を掻いた。「さァ……? あァ、そうだ、根国はエメラルドの原産地らしいね。狗国が悪魔信仰撲滅のために根国を民族浄化、植民地化したのは大義名分で、エーテルニクスに不可欠なエメラルド欲しさだった、って噂もあったかな。でも、それだけだね。宝石についちゃ、さっぱりわからないよ。あたしなんかより、嬢ちゃんのルームメイトのほうがよく知ってるんじゃない? ほら、あの宝石強盗の運び屋さ」
やめて。
耐えられない――今度こそ。
アアルに会いたかった。アアルと話をしたかった。
アアルの声を聞きたい。アアルの熱が恋しい。アアルの聖性がほしい。
信じたくはなかった。信じられなかった。誰も信じられない。ここのひとたちは。
やめて――もう何も知りたくない。
自分の房に戻る。ジンを見つける。瓶から直接飲む。
ノンは寝棚の上段に登った。シーツをはがす。枕をひっくり返す。出てくるのは、ポルノばかり。物証なし。
ふわふわする。夢を見ているようだった。なにもかも現実味がない。
寝棚の下段に身体を投げ出す。ぐるぐるまわる。
すべての元凶――
タタキ課アマネは、悪魔の炎を追っていた。アマネにとっての悪魔はエメラルドだった。
アマネはエメラルドを暴いた。おそらく、醜聞帳までも暴いた。診療所から持ち出そうとした。そして、メイに殺された。
メイは、アマネがスパイだったことを知っていた。メイとアマネは情愛の関係にあった。メイは娼婦クラブのほうを選んだ。カレンに従った。
悪魔の炎を亞国から盗んだのは、タタキ屋クーだった。刑務所に悪魔を招き、聖母を目覚めさせたのはクーだった。
クーとアマネは皮肉にもルームメイトだった。情愛の関係にあった。そして、ノンも。
瓶が空になる。煙草を喫い尽くす。間もなくして、クーが帰ってきた。
「ノン――あんた、どうやって出てきたのよ?」動揺した声色。
ノンは首を振った。クーが隣に腰を下した。ノンはふらふらと起き上がって、寝棚から離れた。クーの青と緑の虹彩をじっと見据えた。
「どこに行ってたんですか」
クーは肩をすくめた。「ちょっとペンパルと会う用事があったのよ」クーは眉をひそめた。「あんた、マチルダと喧嘩して懲罰房に入れられてたんでしょ? 怪我は?」
ノンは首を振った。
「もう、心配したんだから。また無茶をしたんじゃないか、って――」
「アマネのように殺されたりしないか、って?」
「……何が言いたいのよ?」
深々と息を吸った。「PW社から悪魔の炎を盗み出したのは、クーですね」
クーは押し黙った。緑の虹彩だけがやけに輝いてみえる。クーは煙草をくわえた。マッチをすって、火をつけた。
クーは白状した。「厳密には、エメラルド基板加工を下請けしていた、時計屋からよ。爆発事故のすぐあとにPW社に潰されちゃったけど。たどり着くのがずいぶん遅かったわね、スパイちゃん。ま、間に合ったみたいだからいいけど」
膝が震える。壁に背を預ける。
「いつから気づいていたんですか」
「最初からね。なんたって、アマネとまったくおなじ行動だったじゃん。で? アマネを殺した犯人は見つけたの?」
「……見つけました」
「それを聞いて安心した。ちゃんと仕事してるみたいで」
「……どういう意味ですか?」
「あんた、あたしがどこから金をもらってるか、知らないの?」
「誰から、もらってるんですか」
クーは答えた。「連邦政府」