※この作品はR-18です。

鉄の空   作:伊土 讃阿

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第六天魔法 2

 

 

 

 けたたましい音で飛び起きる。警報の鐘が鳴り響いている。

 枕元の猟杖を引っ掴む。ヘルマがいない。角巻と火浣布の外套だけ纏う。

 部屋を出る――全身にひどい倦怠感。交わりすぎ。己の愚行に舌打ちする。心魔法を励起する。体温を上げる。筋肉をほぐす。

 広場に出る。鐘の音が鎮まる。リベットが猟槍を構えている。ファークラスが猟杖を抜いている。

 頭からすっぽりと外套をかぶったものが三人いる。小柄なものと大柄なものと、それらに挟まれた中背なもの。空気が張りつめている。

 左にいる半裸のリベットの誰何。「おたくら、何者だい」第三眼を開眼させている。ぎょろつかせている。全身から湯気が立ち上っている――心魔法。

 察する。防壁の上を見る。半裸のエルギンがからくりを仕掛けている。機を窺っている。

 真ん中の中背が頭巾を取る。顔を晒す。「第六天使い――そう呼ばれるものに会いに来た」

 ぼさぼさの黒髪、襤褸の角巻に覆われたデンドライト、目を見張る蒼さのサファイア。やけに整った相貌。かなり若い。自分やリベットぐらいの月。背には布で包んだ猟杖らしき長物。

 悠然とした物腰。「きみだな」手袋を嵌めた手でこちらを指差してくる。亜鉛の帷子が覗く。身体つきが覗く。

 猟民にしてはかなり細身。エルギンよりかはいくらか鍛えている程度。

「……わたしはあなたのことを存じ上げませんが」左手で静かに杖口を切る。右手を楽にする。「どういったご用向きでしょうか」

 右にいるファークラスが目配せしてくる。警戒しろ――我々がここにいることを知るものはさほど多くない。

「相談があって来た。ぼくときみのふたりきりで話がしたい」

「そちらはわたしのことをご存じのようですが、わたしはあなたがたに覚えがありません。そちらの素性がわからぬままでは、応じかねます」

 落ち着いた声で告げた。「黙示録の四猟士、頭領のペイルで通っている。まァ、職名のようなものだが。本名はティファレトという。血銘はない。そして――」大柄なほうを指す。「こっちがルベドで」小柄なほうを指す。「こっちがアルベドだ」

 目を凝らす。一挙手一投足を観察する。三人とも、おそらくは猟民。隙がない。

「ひとり足らないように見受けられますが」

 ティファレト・ペイルが肩をすくめる。「あいにく今はいない。さて、どうだろう、ふたりで話せないか?」

「まだなにも明らかになっていませんよ。もっと簡潔に行きましょう。あなたがた四猟士とやらは、どちらの塔からおいでなさったのですか」

「ふたりきりでなければ話せない」

「組合の方ですか。組合以外の方ですか」

「ふたりきりでなければ話せない」

「どうしてわたしがここにいることを知っていたのですか」

「ふたりきりでなければ話せない」

「……平行線ですね。申し訳ありませんが、お引き取り願います」

「嫌だと言ったら?」

「降りかかる火の粉は払います。より強力な火によって」

「では、おおせのままに――火の粉となろう」

 脇のふたりが躊躇なく飛び出してくる。リベットとファークラスも前に出る。

 エルギンに視線で合図を送る。からくりが作動する。四方八方から鎖が飛び出す。ティファレトに絡みつく。

 ひとまずひとり拘束。駆け寄る。ティファレトが笑う。空中でなにかが煌めく。ティファレトの回路が発光する。

 ばぢんと大気が弾ける。未知の衝撃に貫かれる。転倒する。受け身もとれない。細菌だらけの地面に叩きつけられる。

 痺れている。指一本動かせない。頬の下で細菌が蠢いている気がする。

 防壁の上のからくりは煙を噴いている。一瞬前までエルギンがいたところに、真っ黒に焼け焦げたエルギン大の物体がある。物体が防壁から落ちる。粉々に砕け散る。灰が飛ぶ。

 おお――。

「エル姉ェッ!」リベットが絶叫している。「貴様ァッ、なにをしたァッ!」ティファレトに突進する。

「おっとォ!」小柄なほう――アルベドが割って入る。「先にあたしで遊んでってよォッ!」アルベドが外套を脱ぎ捨てる。

 回路だらけの肌が露わになる。童顔、長く艶やかな赤髪、眩惑されそうな眇め気味のアゲットの眼、派手な色使いの角巻。

 異様に薄着。控えめな乳房を抑える胸当てと、下半身には下着だけ。股間のふくらみ――常軌を逸した巨根。

 アルベドが腕を振るう。皮膚から無数の針と短剣が飛び出してくる――暗器型回路。

 リベットは第三眼と猟槍ですべて叩き落としつつも後退させられる。肩と腰に提げた短槍を投げて牽制する。

 アルベドが槍を躱しながら腕を振るい続ける。踊り続ける。暗器が降り注ぎ続ける。「あはは! あははははは!」アルベドが哄笑する。

 針と短剣――狙いはいい加減なようでいて、すべて正確無比。

「くそッ! こンのッ!」リベットが毒づく。針が刺さる。肩に、腕に、脚に――。

「オォォッ!」ファークラスの咆哮。大柄なほう――ルベドと切り結んでいる。

 目にも留まらぬ丁々発止。互いの全身に切創が増殖していく。ルベドの外套が細切れになる。

 隆々とした筋骨が現れる――ファークラス並。赤ら顔。刈りあげた銀髪、毒々しいマラカイトの眼差し、黒い角巻。

 ルベドが長大な猟杖を棒切れのごとく振り回す。ファークラスの皮膚を裂く。肉を削ぐ。

 ファークラスは気にも留めない。前に出る。ルベドの肉を削ぐ。臓器を抉る。

 ふたりの周囲に血の旋風が舞う。足元に血溜まりができる。

 ルベドはたじろいでいる。首を落とされてもなお戦闘可能な不死の心身、死なずの剣姫――その本領発揮。明らかにファークラスの優勢。

 機を掴んだファークラスが一気に踏み込む。全身の回路が発光する。ルベドが防御体勢を取る。

 強烈なかちあげ。ルベドの猟杖が跳ね上がる。すかさず断頭の一撃――不可避の連携。

 ファークラスの魔剣型回路――その一撃を確実に放つためだけに改造された肉体。どんな相手でも回路を励起した瞬間に勝利が確定するような代物になって初めて魔剣型と称される、その設計思想は猟民狩りの一点それのみ。

 ゆえに最強の回路。不敗の回路、無敵の回路。

 だが鈍い音――断頭の音ではない。ファークラスの白刃はルベドの骨で止まっている。傷口から鋼鉄が覗いている。

 ルベドの体内からごとんごとんと重いからくり音がする。ルベドが猟杖を振り下ろす。

 爆音が轟く。烈風が吹きすさぶ。土煙が充満する。大量の肉塊と血しぶきが降り注ぐ。細菌が宙を舞う。地面に巨大な窪みができている。

 ファークラスの姿はなし。折れたファークラスの猟杖が地面に突き刺さる。

 おお――。

 呂律がまわっていないリベット。「う……あ、なん、ら……こえ……」

 頭から爪先まで針と短剣だらけ。よろめいている。槍を杖代わりにしている。細菌だらけの地面にひっくり返る。

 アルベドが跳ね寄る。鼻歌混じり。しゃがみこむ。リベットの顔を覗き込む。にこやかに。「あっは! きもちいいでしょォ? あたし特製のお薬だよォ」手のひらから針を生やす。リベットの耳に刺す。「はい、おやすみィ」

 リベットが痙攣する。瞳孔が消える。鼻血を出す。恍惚の表情を浮かべる。小便を漏らす。泡を吹く。「エル……ねえ……」動かなくなる。

 おお――。

 ティファレトが近寄ってくる。角に触れてくる。回路が発光。ばぢんと大気が弾ける。激痛が悪夢をかき消す。

 

 

 

 

 

 

「――めて! やめてやめてやめて!」

 頭痛がする。脳漿に凍てつく杭を打ち込まれている。

「そのひとにはなにもしないって、約束だったじゃない!」

 脳が苦味を滲ませている。金属のささくれが脳細胞を引き裂いている。

「どうして!? ちゃんと指示に従ったじゃない! ここの情報だって流した! 食事にも薬を混ぜた! もうやめて! 今すぐそのひとから離れて!」

「……黙らせろ、ルベド」

「――ッ!? なにす――」

 なにかを断ち切る音がする。湿った音がする。意識が浮上してくる。

 ヘルマの声が聞こえていた気がする。重い瞼を開ける。光が網膜を刺す。足元に首が転がっている。

 甘い褐色の頭髪、おなじ色のジルコンの瞳。白金の耳飾り。ヘルマ。

 おお――。

 引きつった表情が張り付いている。目を閉じさせようとする。腕を縛られていることに気づく。

 砦の一室。椅子に座らされている。ティファレトが脇に立っている。

 正面には、ヘルマの胴体がある。断面から湯気が立ち上っている。ルベドが佇んでいる。血が滴る猟杖を握っている。角巻を脱いでいる。短い鉛のデンドライトが露わになっている。

「……ほどいて、もらえませんか」

「おおせのままに」ティファレトが即答する。縄を切る。

 震える手で、輝きを失ったジルコンを閉じさせる。願う――せめて苦しまなかったことを。

 部屋を見渡す。後方でアルベドが針を噛んでいる。角巻を脱いでいる。細い軽銀のデンドライトがぎらついている。アゲットを眇めている。にやついている。

 頭痛がする。くらくらする。部屋が自転している。ふわふわする。酩酊感。

 総身を精査する。瑕疵なし、酒精、薬物、毒物、一切なし。いたって健康。不調の原因不明。

 ティファレトが言う。「きみの猟杖なら、広場に置いてきた。話を聞いてもらいたくて」

「ほかの、仲間は」

 ティファレトが言う。抑揚なく。「火の粉を払いきれなかった」

 ひどい頭痛がする。憎悪が増大する。虚無感に征服される。手の震えが収まる。

「……どうして、こんなことを」

「聖母から、火を盗むために」ティファレトが椅子を引っ張ってくる。向かい合って座る。「つまり、きみを勧誘しに来た」

 虚仮にされているとしか思えない。回路を励起しそうになる。激しい頭痛がする。憎悪を押しとどめる。

「仲間をみな狩られたことを、あなたがたに感謝して、仲間になると? 四人目の?」

 ティファレトは首を振る。「――我々は、ある思想に従事するものだ」ティファレトが懐から革袋を引っ張り出す。銀の匙で中身を掬う。せっせと口に運ぶ。白い粉末。薬――いや、砂糖か。

「ある思想?」

「シシ全体の魂に関するものだ」一呼吸。「我々は、聖母を破壊したい。きみにその協力をしてほしい」

「……」

「きみもお察しの通り、我々は組合のものだ。ただし組合のなかでも、上層部の直属で、我々の存在を知るものはほとんどいない。我々の雇い主は、聖母を非常に危険だと判断している」落ち着いたティファレトの声――頭痛が治まってくる。

「どうしてですか」

「ある特殊な、聖母のエーテルと呼ばわるものをつくっているからだ」

「聖母の、エーテル……?」

「きみは、エーテルの原料を知っているか」

「……いえ、機密ですから」

 ティファレトは淀みなく語る。

 いと高きものの時代――生けるものすべてが共食いしていた時代、エーテルは、蒼ざめた血だとか、御血だとかと呼ばれていた。そして生けるものは、総じて、人形、と。

 当時は天地に別がなく、大地は星、あるいはステラという名を持ち、鋼鉄ではなく肉でできていた。ステラには骨もあり、内臓もあった。血もあった。そのステラの血が、御血だった。

 人形どもは御血を体内に取り込まなければ魂を孵せず、こどもを産めなかった。血肉の一片から、その一片に宿るいかずちとほむらの一粒まで星からの借り物にすぎず、自分のものではなかったからだ。

 すべての魂は焔天から白金として産出され、焔天に還らねばならなかった。すべての血肉は星から練り上げられ、星に溶けなければならなかった。

 産親も胤親も、こどもとは、おなじ血液が体内を通過していた程度の関係だった。個々の魂でわずかに変質された御血の成分が由来するサイマトによる、精神状態の繋がりでしか、それは証明できなかった。人形どもは、ひとりとして似通った姿のものはいなかった。

 組合では、いと高きものが最初の塔である勝利のきざはしを築き、第六天を到達したとされている。そしていと高きものが不妊の砂漠へたどり着いてから、人形の時代は終わりを告げた、とも。いと高きものの魔法――第十時魔法によって、時が動きはじめたからだ。

 時の作用によって肉の大地は腐り、鋼鉄と化した。重力がひとつに定まり、天と地がわかたれた。鉄の天蓋に阻まれ、魂は焔天に還ることができなくなった。

 一方で、鉄の大地――根の国には、天が閉じられる直前にいと高きものが砂漠で砕いた、月なるものの魂の残滓が染みだし、漂っていた。それは人形どもに浸透し、魂に、そして御血に混じりはじめた。

 月なるものは、魂や血肉を直接的に制御するちからに長けていた。食らった他者の魂や血肉ですら、たやすく我がものとした。月の魂そのものが、浸透を性質としていたからだ。

 人形どもには、もとの魂に加えて、月のそれが定着した。やがて月の魂と御血が支配的になりはじめた。

 月の魂は強大な陰極を備えていた。まったき陽極である焔天に導かれるようにして、額から形而下に顕現した魂が析出するようになった。それが、今のシシだ。

 本来ならば、焔天で因果を湯浴みし、生まれ変わるはずの魂は、月を洗い流せぬまま、死ねば、次のシシとなった。それを繰り返すうちにシシの身体の基本的な構造は、月のそれに収斂され、不変となった。

 かの月なるものは月の砂を従えていた。月の砂にはサイマトを阻害する作用がある。昔は人形個々が直接サイマトで精神をやりとりできていたが、今では月の砂が大気中に蔓延しているため、塔のミスリルのような巨大な魂でなければサイマトを使うことはできない。

 だがその名残は、今でも我々のなかにある。識魔法など、肉体から離れ、触れていない血にも作用できるすべがあるだろう。それは原理的にはサイマトとおなじものだ。

 もうわかるだろう? エーテルの正体について。魔法の正体について。

 はっとする。「……シシの体内に宿っている、月なるものが持つ、御血のちからということですか」いつの間にか聞き入っていたことに気づく。

 ティファレトが首肯する。「そうだ。エーテルは、シシの血を濾過することによって、つくられている」ティファレトが砂糖を食し終える。皮袋と匙を片付ける。

「……では、シシの祖は、いと高きものではなく」

「月なるものだ」唇についた砂糖を舐める。

「月は時間と盛衰の象徴……だからシシ自身の魂の変調を、満月や新月になぞらえて表現しているのだと、そう聞いていましたが」

「シシに関しては、月は隠喩ではない。だが、ある意味で月なるものもまた、いと高きものだ。砂漠には、到達していたのだから。そこで極光と戦い、結果として今のシシがある。正しくは、いと高きものども、そう呼ぶべきだな。――ところで、きみは、羊と話をしたことはあるか?」

 急な方向転換。「……? あるわけがありません。羊は言葉を持ちません」

「では、羊とシシの差はなにか知っているか?」

「魂があるかないか、つまり、魔法があるかないかでしょう」

「魂? 魂とは? 魔法とは? どんな元素で構成されているものだ?」

「知りません」

「そう、誰も知らない。知りえない。なぜなら――そんなものは、嘘っぱちで、存在しないからだ」真面目腐った態度。諧謔を言っているようには思えない。

「……名前が、あるでしょう」乗るしかなくなる。「羊に名前はありません。名前は魂です。名前で、魔法を制御できます。自分の血で書いた自分の名でなければ、識魔法は使えません」

「名前は魔法の起点――それは、自我があることを確認しているだけにすぎない。己に対する署名、承認行動のひとつだ。我々シシの身体は、魔法で動いていると言われている。ならば、血も肉も骨も名前のかたちをしているのでは? 名を書く行為は、自己催眠だ。魂の概念の、所在確認にすぎない。魂そのものの実在を照明しているわけではない。疑問に思ったことはないのか? 羊に魔法も魂もないのならば――シシと肉体的構造がほぼ同一の羊は、どうやって身体を動かしている?」

 頭痛がする。「……先ほどから、なにをおっしゃりたいのですか。聖母のエーテルとやらと、どんな関係があるのですか」

「実は、さっきのエーテルに関するきみの答えは、半分誤りだ。エーテルをシシの血液からつくっていたのは、一昔前のことだ。今は――羊のそれから精製されている」

「……まさか」

「そのまさかだ。羊の血からつくったエーテルと、シシの血からつくったエーテルを調べてみると、なんとどちらも基本構造がおなじだということがわかった。ただ一部のシシを除いて、だが。羊なら、いくらでもいる。羊からつくったほうが、生産性が高い。だから、今では羊の血を濾過している」

「羊も御血を、魂を持つというのですか」

「少なくとも、羊のなかに角が析出したものは確認されていない。ゆえに、シシと羊の差は、御血の濃度。ただそれだけだと、考えられている。羊は、もともとはシシだったのだ。いや、今でも、羊はシシの一部なのだ」

「どういう意味ですか」

「羊の繁殖方法を?」

「知るわけが、ありません。それは、遊牧民だけに伝わる秘術で――」

「秘術であるわけが、ない。誰でも知っている方法だ。こどもでも。つまり――角ありの胤を、胎に受けるのだ」

 ひどい頭痛がする。「そんな、はずが――」

「真実だ。羊は、いわば我々の同族だ。こどもたちだ。我々は未だに、いと高きものの時代とおなじように、共食いをしているのだ」

「……信じられない」

「さて、きみの質問に答えよう。エーテルの基本構造がおなじなのは、一部のシシを除いて、と言ったな。特殊な手法を用いて、その一部のシシからつくりだされるエーテルは、聖母のエーテルと呼ばれている。それは、シシを羊に変えるのだそうだ。シシと羊は近しい存在だ。荒唐無稽な話ではない。聖母は、そのエーテルを使って、シシを羊にしようとしているのだそうだ。我々の雇い主は、聖母を危険視している。聖母の破壊を望んでいる。シシ全体を、守るために」

「……妄誕は好みません」

 ティファレトが腰を上げる。「ぼくの話を信じるか信じないかはきみ次第だ。では、いったんお暇するよ。今回の我々の役目は、ここまでだから」伸びをする。

「役目、ですか」

「古くから、聖母のなかに内通者がいる。そのものは、我々の雇い主と利害を共有している。そのものが我々を手引きした。きみの仲間を狩れと指示した。きみに今のような話をしろと指示した。……悪く思うな、我々も仕事だったのだ」

「……どうして、わたしなのですか」

「今はまだ話せない。だが、第一の理由は、きみの火を灯す、あらたかなる魔法だ」

「こんなもの、大した魔法ではないでしょう。火打石と脂を使えば、角なしでもおなじことができます」

 ティファレトが微笑む。「今まで聞いたなかで一番ひどい謙遜だ。きみのそれは、火を生み出しているから聖性を帯びているのではない。単体で光源となる魔法だから、ありえないのだ。そんなものは――太陽ただひとつしかないはずなのに」

 ルベドが部屋を出ていく。アルベドもそれにならう。

 ティファレトが告げる。「いずれまた顔を見せる。我々に協力するか、しないか、そのときに返事をくれ」背を向ける。

 頭痛がする。憎悪が増大する。口を開きかけてやめる。見届ける。

 ヘルマとふたりきりになる。

 

 

 

 

 

 

 エルギンは炭化した状態で見つかった。リベットとファークラスの遺体は見つからなかった。ヘルマの遺体は火葬した。塔まで距離があった――ひとりで連れて帰ることは困難。

 ヘルマの愛惜の耳飾りを拝借した。身に着けた。頭痛がいくらか収まった。憎悪がいくらか柔らかくなった。虚無感が増大した。

 アルベドの短剣を発見した。刃には薬物が塗り付けてあった。刃の腹には、スクナ・ヒダと刻まれていた。おそらく本名。

 リベットを凌駕する投擲術の正体は、名前を通して獲得した多角的な視野――尋常ならざる識魔法技術。

 塔への途上、ティファレトの言葉を思い返していた。虚言にすぎない――忘れようとしても鼓膜にこびりついていた。

 ティファレトは信用ならない。ティファレトの語った思想に根拠はない。なにも証明していない。突拍子もない妄想にすぎない。だが――。

 黙示録の四猟士とやらの実力は本物だった。圧倒的だった。連携を取る以前の問題だった。地力が違いすぎた。

 自惚れていた。全能感に溺れていた。自分たちのちからを過信していた。

 狩りは嫌いだったが、誰が相手だろうと負けないと思っていた。仲間を死なせた。

 連中が組合のものというのも真実だろう。洗練されていた。どこかの組織に属しているのは間違いない。目下のところ、聖母の敵対勢力は組合しかない。だが――。

 なぜ自分だけ狩らなかったのか。協力してほしいという提案とは裏腹に、仲間を手にかけたのか。

 信用させようという意欲が感じられない。本当に協力させたいのか。

 必ず、なにか裏がある。ティファレトは底の浅いシシとは思えない。泥裡に土塊を洗うはずがない。

 妙にひっかかる――雇い主という表現。

 役目。仕事。ティファレト自身は、こころの底から思想とやらには同意していないのか。

 ティファレトは頭領だった。超然としていた。だが、殉教者には見えない。指導者然とはしていない。伝達者でしかない。

 ティファレトの奥には誰かがいるだろう。組合の上層部か。聖母の内通者か。

 内通者はいるだろう。間違いない。こちらの情報を知られていた。あまりに委細に。だが――。

 細菌だらけの凍てつく大地を歩き続ける。一〇周かけて、双子の陽輪が見える地点までたどり着く。

 主塔と、その周囲に無数に乱立している背の低く細い離塔、碧く萌え広がる固定農場、円周状に配置され線路で結ばれた鏡塔、鏡塔の中心で宙に浮かぶほむらの塊――陽光炉がおぼろげにうかがえる。安堵でくずおれそうになる。気概で歩き抜く。

 鏡塔の下をくぐり、固定農場を抜ける。土と草の匂いを嗅ぐ。陽光炉が温める大気に触れる。座り込みそうになる。

 離塔のひとつに足を運ぶ。地下室に直行する。黴臭い。

 書庫牢の巨大な鉄扉の前に立つ。所定の順番に暗号鍵を押す。ミスリル錠に血を垂らす。ミスリルが血を読む。開錠する。

 厳重な扉をくぐる。薄暗い。書物の山。散らかし放題。埃臭い。

 角なしがいる。本から顔を上げる。無垢な笑顔を見せる。「あ、おかえり、おねえちゃん」童顔。まばゆい金糸、可憐なサファイア。

 まぶしい――。

「ただいま戻りました、ニッカ」気が緩む。

「今回は、かなーり遠いところまで行ってたんだね――って、わ、わ、どしたの? 急に抱き着いたりして」

 柔らかく華奢な身を抱きすくめる。体温にすがりつく。「……すみません。少し、このままで」石鹸の匂いを嗅ぐ。

「んふっ、もう、おねえちゃんは、ほんとに甘えんぼさんなんだから……」

 ああ――。

 頭を撫でられる。限界を迎える。涙が止まらなくなる。

 

 

 

 

 

 

 シャンディにはサイマトで連絡を取った。会議中。あとで報告しにこいとのこと。

 湯浴みをする。遠征の汚れをすべて洗い流す。何度洗っても、なにかがまとわりついて離れない気がする。香水をつける。鼻の奥には、誰かの血の匂いが染みついている。

 白金の耳飾りをつけると、それらはいくらか収まる。

 食事を用意する。手が震える。刃物を使うのは諦める。

 ニッカを呼びに行く。薄暗い書棚の奥に座り込み、分厚い本に没頭している。

 回路を励起。手のひらに灯りを点す。

「暗いところで勉強していると、目が悪くなりますよ」

 ニッカは唇を尖らせる。「目が悪くなれば、眼鏡をかければいいもーん」

 農場や主塔は常時陽光を捕らえる鏡塔により象限の別なく照らされている。その分、離塔には直射光が来ない。

「さァさァ、ごはんにしましょう、ニッカ。もうお腹ぺこぺこです」

「んー……あと、ちょっと……」おざなりないらえ。文字を指で追っている。ニッカにしては珍しい。

「なにか、おもしろいものでも?」

「うん、影魔法励起状態における、血液中の成分の運動特性についての、文献なんだけど、興味深い示唆があってね。細菌が――」

 本を覗き込む。ニッカはゆったりした純白の服を着ている。青白く豊かな谷間が覗く。どぎまぎする。耳が熱くなる。本を強引に閉じさせる。

「あっ、おねえちゃんっ、なにするのっ」ニッカが頬を膨らませる。

 視線を逸らす。取り繕う。「……本はいつ読んでも内容は変わりませんが、料理は冷めるとおいしくありませんよ」

 暖炉の前に陣取る。本を積んで食卓代わりにする。

 ニッカに注意される。反論する。「机はどこかの誰かさんが散らかしすぎて、使えないではありませんか」

 ニッカがますます頬を膨らませる。たまらなくおかしくなって笑う。つられてニッカも笑う。

 口周りを肉汁でべとべとにしながら、ニッカ。「おねえちゃん、ごはん食べたら、一緒にお勉強する?」

 口元を拭いてやる。「管理室に報告に行かねばなりませんので、それが済んだら、しましょうか――先生」

 くすぐったそうにはにかむ。「もう、先生は、やめてってば……」ニッカが瞬きするたびに光が飛び散る。

 ニッカは頭がよかった。一度読んだことはたいてい実践できた。教えるのも上手かった。回路づくりにも手を貸してくれた。こうして猟民になれたのは、ひとえにニッカのおかげだった。

 ニッカは一周中、書庫で本を読み漁っていた。魔法の研究をしていた。それぐらいしか、やることがなかった。ニッカは数えるほどしか、書庫牢の外へ出たことがなかった。産まれてから今まで、一九〇月からの間、ずっと。

 アーリィライトの血は、太古から守護者の役を担う血銘だった。片割れになにかあって、ちからを失うことなど、許されなかった。地平線を隠し、特異点を剥き出しに――陰極の半身は、ネツァクという血銘に分け、数ある離塔のひとつに幽閉するしきたりだった。

 二本角の血の秘密。双極なる血銘の宿命――ニッカの存在は、誰にも知られてはならなかった。

 リベットやファークラスはおろか、ヘルマでさえ、関知していなかった。塔の総長たる母主イェソドも、イェソドの娘であり、管理室狩猟担当主任たるシャンディでさえも。胤親である現総猟のマルギトも、ニッカの顔すら知らないはず。

 まさに自分が、マルギトの片割れである己の産親を一度として目にしたことがないのと、おなじように。

 物心つく前は、祖母――マルギトの産親がいた。祖母は陽なる半身を猟で失ったため、牢獄から解放されていた。祖母は優しくはなかったが、離塔でニッカの面倒は見ていてくれた。

 自分とニッカが一二〇月を迎えたとき、祖母は急に姿を消した。悪い細菌にかかったらしかった。しばらくしないうちに、そのまま逝った。あっという間だった。死体も見れなかった。

 マルギトからは住まいを主塔から離塔に移せと言われた。ニッカの世話のすべてを押し付けられた――半身の面倒は自分で見ろ、と。

 それ以来、ふたりきりで暮らしていた。家事はひととおりヘルマから教わっていたから、なんとかやっていた。

「はァ、お腹いっぱいだァ」ニッカが横になる。「久しぶりにちゃんとしたもの食べた気がするゥ……」伸びをする。

 自然と笑みがこぼれる。「わたしがいなくても、料理ぐらいしてください」ふたり分の琺瑯引きの器をさっさと片付ける。羊肉に手を付けていないのを、悟られないように。

 貨車が壁の向こうで停止する音がする。搬入口の鈴が鳴る。二重扉になった通過箱の向こう側が開く。荷が放り込まれる。鈴が鳴る。

 周用品やら、食材やらを通過箱から受け取る――廃坑になった地下坑道を流用した定期便。

 備蓄の消費は偏っていた。調理しやすい食材だけ減っていた。自分が旅先で命を落としても、資産が尽き、定期便の契約を切られるまでは食っていけるだろう。マルギトにその後の世話を焼くつもりはないだろう。ニッカにそれを知る由はないだろう。

 ニッカは半身でしかない。自分がいなくなれば、ニッカに価値はなくなる。

 一息つく前に頃合いになる。慌ただしく出かける支度をする。月薬を服む。

 新月が迫っている。遠征に持参していた分は帰り道で切らしていた。危うく裸同然で荒野をさまようところだった。

 ニッカが見送ってくれる。「おねえちゃん……遠征で、なにか辛いことでもあった?」ニッカが顔を覗き込んでくる。サファイアが不安げな色合いをしている。

「……どうして?」

「だって、また泣きそうな顔してる」

 こころが折れそうになる。取り繕おうとする。「……大切なひとたちと、もう二度と、会えなくなってしまったので」吐露してしまう。「んぷっ!?」

 抱き締められる。顔に温柔な乳房を押し付けられる。石鹸の匂いに包まれる。「外のことは、わかんないけど……ぼくは、ずっとここで、おねえちゃんのこと、待ってるからね」

 体温が染み渡る。「……ありがとう、ございます」血の匂いが消えたことに気づく。頭痛が消えたことに気づく。手の震えは収まっている。

「妹だから、当然ですっ」誰かの口調をまねた、温かい声音。

 ぞくぞくする。どうしようもなく催してくる。気取られる前に離れる。牢を出る。浅ましい夢想を振り払う。

 妹の素肌を見たことはない。まだしばらく拝む気はない。先延ばしにしている。

 それは、己の血に負ける行為のような気がして。母に負ける行為のような気がして。避けられないことだとは、わかっていながら。

 

 

 

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