※この作品はR-18です。

鉄の空   作:伊土 讃阿

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第一名魔法 2

 

 

 

 陽輪が第二象限へ入ると同時に起きだして、先生と食堂に行くと、ひとりの小柄な角なしが台所に立っていました。てきぱきと忙しそうに食事の準備を進めています。空腹を自覚させる匂いが、鼻孔をくすぐります。角なしはわたしの姿を認めると、眼鏡の奥から怯えたような眼差しを先生に向けました。

 

「ニ、ニッカ……? その子は――」

「おはよ、メグ。この子はタルト。新しい、家族だよ。タルト、このひとがメグ。ここの室長さん」

「あの、タルトです、お世話になります」

 

 ぺこりと一礼するわたしに、室長先生の澄んだ大きなアメジストの虹彩は戸惑いを隠せていません。

 

「ど、どういうこと……? ニッカ、昨周は――」

「あー、あー! いやね、ちょっといろいろあって、ね。ま、そこら辺はおいおい説明していくとして、だ。ほら、ひとまずごはんにしちゃお? ね?」

「でも、こんな突然……辞令も手続きもなしに――」

「やあ、ニッカ先生、おはよう」

「はい、おはよ、フラスカ――ひゃわッ!?」

「ニッカせんせ、今周もいいおしりしてるね。またおっきくなったんじゃない?」

「おっぱいは完全にぺったんこだけどねー」

「こら! スキュラ、ナキュラ、先生のおしりに触るのはやめなさいってあれほど――!」

 

 室長先生がおろおろしていると、食堂にこどもたちが起きだしてきて、騒がしくなってきました。うやむやにされてしまった室長先生は、ため息をついてお鍋を火からおろしました。

 

 みんなに紹介してもらって、先生のお話通り格別においしくてどこか郷愁を誘うごはんを頂いたあと、わたしは先生と一緒にお出かけすることになりました。わたしの評価証なるものを発行してもらう必要があるからだそうです。

 

 評価証は管理室が発給している、組合員であることを証明しているただひとつの証明書です。評価証がなければどこの居室にも配属されませんし、お給料ももらえないそうです。

 

「そっか……、第一〇〇九塔は、組合に入ってなかったんだね」

 

 塔の外周を走る螺旋昇降車に揺られながら、管理室へ向かいます。その間、先生に第二一八塔のことを教えてもらいます。

 

 組合はまだ陽輪が作られてもいなかった頃に、天蓋の向こう側におられるシシの始祖――いと高きものが塔を取りまとめ、根の国を治めるために立ち上げられた組織です。現在は次なるいと高きものの候補殿、角ありどもによって運営されていますが、いくつかの塔は組合の方針に賛同せず、対立しています。

 

 わたしがいた第一〇〇九塔も、そのひとつ。いと高きものの代わりに、髑髏聖母なるものを崇め、建設・生産計画に参加することなく自給自足をしてひっそりと運転していました。

 

「評価証がないとね、タルトの籍を養護室に登録できないんだー。で、登録できないと、大変なことになっちゃう」

「どうなるんですか?」

「予算が下りないから、ごはんが減っちゃう」

「そ、それは大変です……」

「うちは貢献時間が算出しづらいとかいって、計算式が特殊で、予算少なくて。いっつもかつかつなんだァ……」

 

 銀のデンドライトを戴く月の近い双子、スキュラとナキュラに借りてきた、つぎはぎだらけの日よけの外套をいじります。今着ている服も、もとは室長先生や月長のフラスカのもので、おさがりを双子が着まわして使っているのでした。

 

 この服にしても養護室の古ぼけ具合にしても、わたしのなかにはある違和感がありました。そして先ほどの先生の発言から、その違和感は疑念へと相転移していました。

 

 そのことをたずねるべきか否か、わたしは逡巡しました。非常に訊きづらいことでしたが、今しか機会はありませんし、訊かなければきっと後悔するはずです。わたしは意を決して切り出しました。

 

「先生、昨周の、あのお金は――」

「あー、あれ? あれは、うーん……」

 

 肩にかかる金髪の毛先をいじいじ、難しい顔をしてたっぷり一〇秒は考えあぐねる先生。今周の化粧は幾分薄味なので、先生には失礼ですが、その横顔は拗ねたこどものそれにも見えます。

 

「あれは、ぼくのへそくりみたいなもの、かなあ。養護室のお金ってわけじゃないから、タルトは気にしなくていーんだよ」

「でも」

「それよりもさ、最近こどもたちの間で流行ってる、おもしろい遊びがあるんだけど、やってみない? 告白か服従かっていって――」

 

 強引に話題をすりかえる先生に、わたしはさらなる不信感を抱きながらも、それ以上食い下がれませんでした。

 

 わたしがこれだけ気にするのも、理由があります。というのも、食事のあと、双子に服を借りて出かける準備を終え、先生を呼びに行ったわたしは、先生の寝室で室長先生と先生の言い争うような声を図らずも聞いてしまっていたのです。

 

「……ニッカ、昨周の集金は、どうなったの?」

「あー、ま、その、紆余曲折あって、さ。手元には、なかったりしちゃったり――」

「いったい、どういうこと、なの……? 二〇〇はあったはずじゃない……一〇人が一月は食べていける額よ」

「に、二〇アルシーヴは取り返したもん」

「ひとり分……」

「ゔっ」

「……ニッカ。ちゃんと説明してくれないと、その、困る……あれは、みんなでがんばって稼いだ……、お金じゃない」

「うーん、なんていうか、その――お金はタルトになっちゃった、っていうか」

「……つまり、あの子が……二〇〇も稼いでくれるってこと?」

「そ、そういうわけじゃなくて! タルトには絶対、ぜえったいあんなことさせないよ!」

「なら……どうするの? 思いつきでそんなことして……フラスカも、もうすぐ異動で、ただでさえきついのに――」

「せ、生徒の親御さんたちから借りるなりすればぎりぎり工面できなくもない額だし、ぼく、もっと仕事頑張るから! ね? ね? だから――」

 

 その会話を立ち聞きしてしまってからというもの、わたしは引け目を感じていました。

 

 先生に対しては感謝の気持ちでいっぱいですが、あとからあとから申し訳なさもふつふつと湧き起こっていました。先生は気にしなくていいと言いましたが、もしわたしのせいで先生が立場を悪くしてしまうようなことがあるなら、わたしが尽力してしかるべきはずですから――。

 

 先生と、告白か服従かに興じているうちに、昇降車は塔の中央区へ。先生に手を引かれ、昇降車から降りると、見たこともないひとごみに遭遇し、わたしは尻込みしてしまいます。第一〇〇九塔では、塔中のシシを集めたって、これほどのひとだかりはできないでしょう。

 

「手、離しちゃだめだからね。はぐれちゃったら、二度と会えなくなっちゃうかも」

 

 そう脅され、わたしは先生の手をぎゅっと握りしめました。実際、ひとたび離れてしまえば瞬く間に迷子になってしまうはずです。それぐらい中央区は混雑していました。

 

「あ、ごめんね、手、気持ち悪くない? 先生、汗っかきだから――」

「いえ、平気です」

「久々に来たけど、この混み具合は尋常じゃないね……帰りは回り道しよっか」

「こんなにたくさんのひと……初めてです」

「昇降車に乗っててわかったと思うけど、第二一八塔は塔の外周が長いでしょ? 陽輪の直径がうんと大きいから、天蓋までが、うんと高いせいなんだ。すでに組合のなかで一番高い塔だけど、建設計画はまだ三割程度しか進捗していなかったりするの。だから開発民や建設民は、そりゃもう右へ左へてんやわんやの大忙し」

 

 連絡通路をせわしなく行き交う角なしにもみくちゃにされながら、管理室を目指します。途中、第一〇〇九塔にはなかった取締室や通信室、検閲室の存在に目移りしてしまいます。

 

 驚かされたのは人口密度や居室だけではありません。第一〇〇九塔ではどこに行っても鼻が捻じ曲がりそうな薬品の異臭が立ち込め、あちこちに配管が張り巡らされ雑然としていたのに、第二一八塔ではそういった特徴は一切見られません。辺境の髑髏聖母の塔と、現在組合の中心として稼働している巨塔だからでしょうか、その様相はまるで違いました。塔の根本的な構造からして、両者は大きく異なっているようです。

 

「どちらかというと、塔の役割が違うからじゃないかな。組合に加入してない塔は、開発も建設も進めてなかったりするから」

「どうして組合は、塔を開発するんでしょうか」

「言い伝えでは、いつか地平線を見つけたとき、天が落ちてくるから、らしいよ。みんなが鉄の天蓋に押しつぶされちゃわないように、塔で支えるんだってさ。組合の塔は基本的に、そのための構造をしてるんだ」

「地平線、ですか」

「そう、地平線。陽輪を構成する陽晶や、魂が産出される不妊の砂漠があるとこ。いと高きものがましますところだね。シシたちは、魔法を使ってそこを見つけ出さなきゃいけないんだ」

「どうしてですか?」

「んー……タルトは、前の塔では教室に通ってなかったんだっけ?」

「はい」

「となると、たぶん、あれから教えなきゃ、だなァ」

 

 先生は窓の外の、陽輪を指し示しました。今周は新月なので、陽光柱は熾烈に地上を焼き焦がしています。第二一八塔がその恩恵にあずかっている陽輪は、現段階で発見されているなかで根の国最大のものでした。そのため、塔のなかにも烈しい熱気が伝わってきています。

 

「陽輪……?」

「正確には、陽光柱のほうかな。陽光にはね、文化が含まれるんだ。文化っていうのは、数字とか、言葉とか、思想とか、技術とかのこと。文化は地平線の向こう側にある、太陽っていう陽晶の集合体から放出されててね、空気のなかに浸透して、シシに、根の国に知を与えてくれるの。で――ちょこっと話は逸れるけど、シシの身体は肉でできてるでしょ? ではそこで問題です。その身体を動かすには、何を食べなきゃいけないでしょう」

「羊のお肉、です」

「せーかい! それはね、実は、魂もおなじことなんだ。魂はね、文化でできてるの。だから、魂は文化を摂取しなきゃ、枯れちゃう、ってわけ。でも文化は空気のなかにいて、息を吸うたびに、魔法を使うたびに消耗するものだし、息をして魔法を扱うシシは増え続けてる。そのせいで根の国の文化はだんだん足りなくなってきてる。このままいけば、いずれすべてのシシの魂は枯れ果てて――塩の柱になっちゃうんだって」

「そッ、そんな――」

「でもね、それって、ずっとずーっと、それこそ何千月も先の話だから、だいじょうぶ。少なくともぼくたちが生きてる間は、塩になっちゃうことはないよ」

 

 くすくす笑う先生に、胸を撫で下ろすわたし。せっかく命を助けてもらったのに、すぐ塩になってしまっては元も子もありませんので、本気で心配してしまったのです。

 

 さて――。一時間ほど歩いた頃でしょうか。雑踏に衣服をくちゃくちゃにされつつも、なんとか管理室にたどり着くことができました。

 

 管理室の受付で、評価証を発行しに来たことを告げると、わたしだけ別室に案内されました。狭苦しく、壁も床も天井も水銀のような質感の金属です。おそらくミスリル――エーテル化合プラチナでしょう。第一〇〇九塔の祭壇室も同様に、ミスリルづくしの部屋でしたから、一目でわかりました。

 

 床からにょきり生えた端末に触れるよう説明されます。端末に指を押し付けると、針がちくり。あとは書類に名前を書いて、それでおしまい――その間実に五分程度で、二時間の長旅を鑑みれば評価証の発行はずいぶん拍子抜けといいますか、あっさりしたものでした。

 

 わたしの籍の養護室への登録を済ませてくれた先生と合流し、帰路につきます。先生は、往路とは違い、ひと通りの少なく薄暗い道を選びました。特別理由もないのになんだか恐ろしくなってしまって、先生の手を強く握ります。もうじき第三象限、しかも新月だというのに、身震いしてしまいそうな肌寒さも感じます。第四象限にひとりでこの道を歩けと言われても、ご勘弁願うところです。

 

 気を紛らわせたくて、わたしは先生に質問を投げかけました。

 

「あッ、あのッ、さっきの部屋は、なんだったんでしょうか」

「さっきの部屋?」

「評価証を頂く前に、入ったミスリルの部屋のことです」

「あァ、あれね。あれは、塔の精神行列――サイマトの端末だよ。サイマトっていうのは……いうなれば、塔の神経とか、魂みたいなもの、かなァ? 詳しいことは先生もよくわかんないけど、普段は、塔のなかや、塔同士で連絡を取り合ったり、塔設計のための難しい計算をさせるのに使ったりしてるらしいよ。で、そのサイマトがミスリルのなかに構成されてて、そこに名前と血を刻み込んで、シシの籍と評価を管理してるんだ。ミスリルのなかに保存しておけば、紛失することもないし、塔のどこからでも参照できるからね。それに、名前をたくさん憶えさせれば憶えさせるほど、サイマトが多様化して、賢くなるっていう利点もあるんだって。サイマトが塔の魂なら、ミスリルは塔の脳みそみたいなもの、だね。そうそう、あれなんかも、おんなじだね」

 

 少し開けた広場に出ました。広場に屋根はなく、塔から突き出た構造になっていています。中央には、見上げるほどに高く、幅もわたしが一〇人分はあろうかという巨大なミスリルの直方体が鎮座しています。何人かシシがいて、みな一様に、そのミスリルに祈りをささげている様子です。

 

「ここは――」

「死者を弔うところ。あの墓碑に死者の名前を書き込んで、細菌に食べられないように魂を保管しておくの」

「細菌は、魂を食べちゃうんですか」

「そう、むしゃむしゃーってね。細菌って、悪いやつでしょ? でも砂漠には、細菌はいないんだって。だから、地平線を見つけるそのときまで、亡くなったひとたちの魂をミスリルで守ってあげるんだ。そのかわり、魂を借りて、サイマトの性能を向上させてもらってるの」

 

 近づいてみれば、ミスリルにはびっしりと名前が刻まれています。数えきれないほどの名前、そのひとつひとつが、かつてここで血肉をまとった魂だったのです。

 

 わたしはいてもたってもいられなくて、先生に訊きました。それは、なんだかとても大事なことのように思えたので。

 

「細菌に食べられちゃった魂は、どうなるんでしょうか」

「それはわかんないなァ……でもたぶん、ずっとひとりっきりになっちゃうんじゃない、かな」

「そう、ですか……。……あの、先生。ここの塔のひとじゃないんですけど、これに名前を書いてもらうことは、できるんでしょうか」

「ん? あ、あー……そういうことか」

 

 先生は、ばつの悪そうな顔をして頬を掻きました。

 

「できる、よ。というか、お墓を管理しているひとはいないんだ。亡くなったひとの家族とか、友達が刻銘してあげるものだから。だから――タルトが書いてあげると、いいよ」

「どうすれば、いいんですか」

「さっきみたいに、これで指の先をちょこっと引っ掻いて、血で名前を書いてあげるの」

 

 先生はそう言うと、LCと刻印の入った傷だらけのちっぽけなからくり短刀を取り出しました。ぱちん、と小さな剣筆を展開させて、わたしに手渡しました。

 

「それで、どうするんですか?」

「それだけだよ。あとは血のほうが知ってるから。それが――最初の魔法だから。大したことないようだけど、いっちばん大切な魔法なんだよ」

「そういうもの、なんですか」

「そういうもの、なんですよ」

 

 先生と一緒に、墓碑の空いている場所を探しました。人差し指を少し切って、滲んだ血で名を綴っていきます。書き慣れない――ひょっとしたら初めて書くかもしれない名前。綴った先から、血が熱を放ち、ミスリルを焼きはじめました。

 

 そうしてあとに残ったのは、母の名前です。

 

 マーキュラ・バルタ・エアライデン、と。

 

 全身に、けだるい痺れが走りました。昨周、先生におくちでしてもらったあとみたいな疲労感と満足感に包まれます。そしてわたしのなかで、何かの節目になったような気もしました。それはおそらく、魔法を使った影響ではなく――わたしの血で、母の名を書いたからだろうと、直感していました。

 

「タルトの、お母さん?」

「はい。忙しいひとだったので、話した覚えも、あまりないですけど……きっとほかに名前を書いてくれるひとは、いませんから」

「……優しいんだね、タルトは」

 

 先生はわたしの頭をくしゃくしゃと撫でました。

 

「たまに会いに来てあげるといいよ。ひとりじゃ寂しいだろうから」

「……そうします」

 

 翌周からしばらくの間――養護室のごはんの量は、明らかに減っていました。

 

 あの方が、養護室を訪れるまでは。

 

 

 

 

 

 

 先生の教室は、二周に一度、かび臭い図書室の一角で開かれるのが恒例だそうですが、今回は臨時開講。先生の私室でふたりっきりでお勉強です。

 

「魔法って、何種類あるか、知ってる?」

「えと、五種類、です」

「正解。じゃ、なんで五種類なのでしょうか?」

「ええェ……うーんと……」

 

 わたしの学力がある程度追いつくまで、養護室や近所のこどもたちはみんな自主学習を命じられています。養護室で月長のフラスカや、双子のスキュラとナキュラなどは、億劫な授業が休みになったと喜び勇んで養護室を抜け出す算段を立て、わたしのことを気の毒がりましたが、当のわたしといえば、先生をひとりじめできてちょっぴり優越感です。

 

「……魔法が魂だっていうのは、聞いたことあるかな? 魔法が五種類なのはね、魂が五つにわけられるからなんだ」

「魂が、五つに」

 

 最近隆起し、目立ってきた額を擦りながら、先生の言葉を脳に刷り込むみたいに繰り返すわたし。

 

「名前。意識。影。心臓。精霊。この五つによって、魂は構成されてるの。前にお墓に行ったときに言った気がするけど、名前は第一の魔法。名前っていうのは、魂の起点なんだ。だから、名前のないものには魂がないの。この机も、椅子も、塔も、シシとおんなじ姿恰好をしている羊も、名前がないから、魂がない。シシと羊の差は、名前があるかどうかだけど、シシには確かに名前があって、だから魂があって、強い魂は析出して、デンドライトになる。二つ目は、意識。意識っていうのは、見たり、聞いたり、触れたりして、感じること。これがないと、さァ大変、考えることもできないんだ。そして影。これは、シシの身体の輪郭を決定するの。あとは、神経を司ってるね。身体を制御できてるのは、影の魔法のおかげなんだ。心臓の魔法は、四つ目。身体のなかに血を巡らせる役割を担ってる。怪我を癒したり、筋力を高めるときとかに使うね。最後は、精霊だね。精霊は毒や病気、ばい菌から、身体を守ってくれる存在。免疫とも言うかなー」

「え、えと、名前、心臓、精霊――」

「ちなみに、いと高きものの魂は、さらに五つの要素を含んでるんだ。鉄の空を穿孔して砂漠に至る第六天――これがいわゆる地平線を見つけるための魔法。シシたちが目下のところ目指しているものね。あとは陽光を捕まえる第七陽、砂漠を洗う第八悪に、陽輪をまわす第九輪、車輪の無限性を破壊して螺旋性を与える第十時」

「あわ、あわわ――」

「んっふふふ、すぐに覚えなくていいよ。ひとつずつ使いながら、覚えていけばいいから」

 

 頭が爆発しそうになったわたしに、先生はいたずらっぽく笑いかけます。半分は故意だったのでしょう。不安になって、先生に問いかけます。

 

「五つとも……わたしにも使えるようになりますか?」

「絶対に使える――と、言いたいところだけど、実際のとこ、訓練あるのみ、かなー。知識がなきゃ魔法は使えないけど、実践しなきゃどれだけ物知りでも上達しないからね。ってことで、さっそく特訓だ」

 

 先生から剣筆を借りて、羊皮紙に血でがりごりと名前を綴ります。

 

 わたしが習得しようとしているのは二つ目の魔法、意識の魔法です。識魔法は意識自身が血を魔法として認識するために欠かせない存在です。名魔法が魔法を起動するための魔法ならば、識魔法は魔法を制御するための魔法なのだそうです。

 

 そして今、わたしは識魔法のなかでもいっとう簡単な、名前を通して感覚を得る魔法に取り掛かっています。これにはとにかく集中力が必要で、識魔法を制御するちからを養うためにはひたすら名前を書き続けるのが一番なのだそうです。すべての魔法に言えることですが、血で名前を書くことが結局、習得と錬度の向上に繋がります。名前が最初の魔法だとされているゆえんのひとつでもあります。

 

 魔法の練習というのは、わたしの魔法に対する憧憬とはかけ離れ、なかなかどうして地味な作業の反復でした。先生のようにすてきな魔法を使えるようになりたい――そんな目的がなければ、すぐに投げ出すこと請け合いでしょう。

 

 くわえて、ずきずきわたしを苛み続ける、二度目となる生理の痛み。わたしから効率よく気力を削いでゆくことにかけて、生理痛の右に出るものはいないでしょう。ですが、生理のとき――つまり肉体の状態として、魂に根付いた月が満月であるとき、魔法はもっともそのちからを増すのだそうです。身体のほうが魂の強さに耐え切れず、子宮から出血してしまうことはあれど、魔法の感覚をつかむにはもってこいの機会でもあります。逆に魂が新月にあるとき、魔法が弱まり負荷の軽くなった身体は、卵を排出して子をなす準備をする、とのことです。

 

 徐々に識魔法の兆しが見えてきた頃でしょうか。指の先が白くなってきて、先生が練習の終了を告げました。羊皮紙をまとめながら、先生が感嘆します。

 

「うわあ、いっぱい書いたねえ。タルト、見かけによらず、血、多いんだぁ。それに、とんでもなく筋がいいね! 角ありってのもあるだろうけど、最初からここまでできる子は、ほっとんどいないよー?」

 

 お勉強のほうはちんぷんかんぷんでしたし、実技も自分としてはこれっぽっちも進歩したような手ごたえはなかったのですが、先生に褒められて悪い気はしません。

 

 どう努力してもだらしなく緩んでしまう頬を隠そうとうつむいていると、おもむろに先生がわたしの手を取り、剣筆でずたずたになった指先をぱくりとくわえました。

 

「わひゃッ!? せッ、先生、なにを――」

「なにって、ちゃんと消毒しちゃわないと。傷も塞いどかなきゃいけないでしょ?」

「で、でもお……ひんっ!」

 

 にゅるにゅるでふわふわな先生の粘膜にまとわりつかれて、先生に初めて口でしてもらったときのことを思い出すなというのは、無理な相談です。耳まで真っ赤になり、下半身に向かって流れる血を感じつつ、ますます顔を伏せてしまいます。

 

「はい、治ったよ――って、どうしたの? 具合悪い? 疲れちゃった?」

「いえ……、その……溜まっちゃい、ました……」

 

 わたしの告白は、先生を大変困惑させてしまったようです。

 

「えッ!? ちょッ、ちょっとお……そーゆー場面じゃなかったような……なんでそうなっちゃうかなあ……? もしかして――自分で自分を傷つけて、昂ぶっちゃった、とか?」

「そ、そういうわけじゃ……」

 

 なんだか趣の深さを感じられる先生の的外れな発言も、本当のことは告げられませんから、訂正しようにもできませんでした。

 

 先生のエメラルドの虹彩が、じんわり潤ってきます。

 

「もお、どこで覚えたんだか……タルトってば、悪い子だなあ♥ ほら、こっち来なさい」

「ちょ、ちょっ、先生、どこへ……?」

 

 先生はわたしを立たせて手を引き、寝台の淵に座らせました。そしてわたしを後ろから抱きすくめ、耳元で甘くささやきました。

 

「へんたいさんはぁ……きちんと矯正しちゃわないと、だもん♥ 汚ししちゃわないように、脱ぎ脱ぎしちゃお?」

 

 先生にされるがまま下着をおろされ、肥大化した陽根をさらけ出されました。周囲にわたしの月の匂いがまき散らされます。冷たくもざらざらもしていない、生温かくぬめった匂い。わたしの手の上から陽根を握られ、ゆっくりとしごかれました。

 

「はい、いくよ……いち、にい、いち、にい――」

「はああ……せっ、せんせえ……」

 

 陽根から、わたしの脳をぐつぐつ煮込んで何も考えられなくする、切ない痺れが流れ込んできます。先生が漂わせる石鹸の匂いに、くらくらしてきます。身もだえするのを抑えられません。全身を先生の柔らかい肢体にゆだねます。

 

「もお、タルトってば……♥ すぐふにゃふにゃになっちゃって♥  ちゃんとちから込めないと、いつまで経っても出せないよ? 魔法は上手なのに、こっちはへたっぴなんだから……♥」

「だ、だってぇ……先生が、すごすぎるから……」

「こら、言い訳しないの。先生がぁ、手伝ったげるからぁ、しっかりぃ、練習するのっ」

 

 あれから――毎周、こうして自慰の指導を受けるという名目で先生の手を借りているのですが、ついつい思い起こしてしまうのはやはり、最初にしてもらったこと。あのめくるめく体験はそうそう忘れられるものではありません。味をしめてしまったわたしは、喉が渇いて渇いてたまらないときのように、こころの底で、あの行為を欲してしまっていました。

 

「せッ、先生……あの、あの……」

「なぁに? もしかして――おくちでしてほしいの? だめだめ、あれは最初だけなんだから。もう絶対、ぜえったい、しないからね? さ、集中集中。これも魔法の特訓だと思って、ね?」

 

 先生には、お見通しだったのでしょう。くすくすと心地よい笑い声が鼓膜を撫でます。背筋をぞくぞくするなにかが、這い上がってきました。

 

「ほらあ、こうして先っぽなんかもいじって、刺激に飽きないようにしたりして――」

 

 先生は時折、過敏な先端を指先でくりくりしたり、手のひらでぐりぐりしたり、工夫を凝らしてきます。そんな責めにわたしが耐えられるはずもなく、瞬く間に尿意とは異なる欲求がせりあがってきます。わたしは先生のいつもの黒い衣装をぎゅっと握りしめます。

 

「あッ、あッ、せんせッ、せんせえッ、もお、出そお――ッ」

「ええ? もう?♥ まだ早いよ、もうちょっとがんばろ?♥ ゆーっくりするから、ね?」

「はあっ、あっ、先生、目的忘れて、ない、ですか……?」

「そッ、そんなことないよ!? でも、あんまり早すぎても将来困っちゃうだろうし、これは――そう、鍛えてあげてるだけ……なんだから♥」

 

 自分に言い聞かせるみたいな口調。

 

「まったく、世話が焼けるんだから……♥ いっつもぼくにやらせて、おかげで、弱点全部わかっちゃったじゃない♥ もう……、ぼくのほうがこの子のこと、詳しくなっちゃった、かも♥」

 

 愚痴っぽく、でもどこか嬉しそうに、先生はつぶやきました。わたしのそれをいじるのに、すっかり熱中しているご様子です。

 

「はあ……、ほんとに立派だ♥ すぐにおとな顔負けに育ちそう♥ こんなにぎっちぎちのぱっつぱつにしちゃって……♥」

 

 鈴口から分泌されたお汁が竿に絡まり、先生の手の動きが滑らかなものに。あやされ、もてあそばれるがごとく手つきに、ぞぞぞと煮詰まった欲望が股間に押し寄せ、はちきれそうになります。

 

 手のひらを通して、その限界は先生にも伝わっていました。

 

「すっごいぴくぴくしてきたね……♥ もうむり? がまんむり? もう出ちゃう? 精液出ちゃう?」

「はっ、はいぃ、も、出ちゃ――」

「もお、しかたないなあ♥ いいよ、先生の手のなかに出しちゃお♥ ぜえんぶ出しちゃお♥ んむ――ッ♥」

「んひゃあッ!?」

 

 不意ににゅるりと耳のなかに生温かい舌を挿し込まれ、押しとどめていたものが一気に決壊します。

 

「くふ――ッ! んんん――ッ!」

「あッ、こらッ! だめだめ、イクとき足伸ばしちゃ! おとなになったとき、ちゃんとできなくなるんだってば! 何度も言ってるでしょ!」

「だッ、だってッ! ごッ、ごめんなさッ! っくッ! うう――ッ!」

「もう! ……ほんとに、しょうがないなあ♥ 今周で最後だからね? ほらほら、だしちゃえだしちゃえ♥」

 

 先生の言いつけを守れず、つま先までぴーんと足を伸ばしたままがくがく腰を跳ねさせ、尿道口に添えられた先生の手に、蓄積していたすべての情欲を吐き出しました。先生の手のなかから胤が溢れ、床を汚します。部屋中に、青臭さが充満しました。

 

 滾りを排出しきったわたしは、ぐったりと全身を弛緩させます。先生が体液を拭いてくれるのに身を任せながら、尾を引く快楽に、夢見心地になるわたし。

 

「さ、起きて、タルト。そろそろごはん、できるはずだから」

「……んん……ふぁい……」

「んふふ、ほんと、かわいいやつめ」

「――ッ!?」

 

 ちゅっと額に優しい感触、体温。慈愛のこもった口づけ。それは、今まで先生にしてもらったどんな行為よりも――わたしの心臓を高鳴らせました。

 

 

 

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