薄々気づいていた――自分とニッカの、無尽蔵な欲望の根源について。
血のなかの月が同調する現象とおなじこと――血が、己の半身が子を成せることを知っていた。血が、半身と子を成せと衝き動かしていた。
それが精魔法に抑圧され、内部応力となっていた。血が滾り続けていた。
あのとき――精魔法のことが、頭からすっぽり抜け落ちていた。今ならわかる。精魔法抜きの本物の交尾だったから、並ならぬ快感が生じていた。
環境は一転した。
ニッカは大いに喜んでいた。おねえちゃんのこどもを産むのが夢だったと涙ぐんでいた。しあわせそうだった。
第四二塔ではいずれ強要されていた。ここでは別の意味を持っていた。
ニッカが子を宿すなり、満月の昂ぶりは一〇〇億分の一になった。以前、ニッカの傍にいるときは常に催していた。
今では庇護欲が心中を満たしている。平時は落ち着き払っている。ニッカになにかあると、動転してしまう。
ノート室長には過保護だと笑われた。きっといい親になると保障された。
養護室の面々は祝福してくれた。ただひとり、メグを除いて。
メグは傷ついたようだった。避けられるようになった――とりたてて気にすることではない。
ニッカの子宮は塞がり、魔法が使えなくなった。その反動か、ニッカは出産や子育てに関する資料を大量に借り集めるようになった。ニッカらしい。微笑ましい。
相変わらず物の整理はできていなかった。本の返却催促状が山のように届いた。だいたい、代理で返しに行った。図書室の室員には顔を覚えられた。毎回嫌な顔をされた。
そのときも本を返却したのち、ニッカのご所望の本を探している最中だった。
「第六天使い」くぐもったしわがれ声。どこからともなく。
自分がいる棚の列には誰もいない。棚の隙間から、誰かが覗いている。黒い角巻、頭からかぶった黒い外套、白い髑髏の仮面――聖母の出で立ち。
猟杖に手を伸ばす。
「それは推奨できん。ここは狭く、杖は振り回せん。図書室は黴や細菌対策でよく乾燥していて、可燃性物質に取り巻かれている。火を使えばおまえも無事では済まない」
かまをかける。「……どこの隊のものですか」
くつくつ笑う。「愚者の振りはしなくていい。おまえが何者かはあますところなく理解している。おまえもまた、こちらのことは既知のはずだ」高圧的。こつこつ仮面を叩く。
唇を噛む。「――黙示録の四猟士」手が震える。汗が噴き出す。
仮面が頷く。「ニグレドという。おまえを勧誘しに来た」
最後のひとり。四人目は、シャンディだとばかり思っていた。
心臓が爆発する。脳がちりちり疼く。頭痛が――。
第二一八塔に住み着いてからしばらく経つ。今頃になって接触を図ってくるとは思いもしなかった。
はっとする。いや、見計らっていたのか。ニッカが妊娠し、身動きが取れなくなったこの瞬間を。
「……わたしが、ほかのお仲間にしたことはご存じないのですか」
「もちろん知っている。だから、頭数が足らずに困っている。そこで、おまえを勧誘しようと思ってな」
「わたしは、あなたたちの敵だと言っているのです」
ニグレドが修正する。「敵だった、だろう。当時はおまえは聖母の守護者だったが、今では組合の猟民だ。違うか?」
ティファレトとどこか思想が似ている。あくまで仕事という姿勢。
「断れば?」
「断れん。そんなところで本を探しているような、おまえには」
やはり――。
いっそここでニグレドもろとも焼身を図るという案も浮かぶ。だがニグレドひとり狩ったところで、ニッカが安全になるわけではない。
利用価値があると思っているのなら、早々に手を出されることはないはず。ひとまず情報を引き出そう。
慎重に訊きだす。「わたしを勧誘して、どうしたいのですか」直接的な意味を持つ言葉は避ける。
「おまえのせいで状況が変わってしまった。聖母のエーテルを我がものとするはずが、まさか供給源を完全に潰してしまうとは」嘆くように。「とはいえ、いつかなんらかのかたちで、聖母と取引できなくなる事態は、想定していた。だから当面の間は貯蓄でなんとかなる。ざっと五〇月ほどと、見積もっている。それが尽きるまでに、新たな調達方法を見つけ出さねばならない」
「わたしに、どうしろと?」
「他塔に忍び込ませたものによれば、第四二塔が焼け落ちた事実は根の国じゅうに広まっている。だが一方で、遊牧民から仄聞するところによれば、聖母はまだ生きてどこかにいるという。エーテルを編み続けているという」
聖母――シャンディ。
まさか、生きていたとは――。確かに、シャンディには手をかけなかった。あのときはそれどころではなかった。
「そして最近になり、より強力な聖母のエーテルも開発されたとも聞いている。是非とも手に入れたい」
「……それで?」
「おまえに大猟隊を与える。そのエーテルを探し出し、奪い取れ――つがいを廃棄処分にされたくなければな」
奥歯を噛みしめる。「……ッ」頭痛が目を覚ます。「わかり、ました」今すぐ斬りたくてたまらなくなる。
「それでいい」満足げなニグレド。「おまえには、ティファレトの後釜、ペイルに就いてもらう。せいぜい、前任者よりも有能であることを願う。まァ、どんなやつでもあいつよりかは使えるだろうが」
「ティファレトはそれほど無能であるようには思えませんでしたが」
ニグレドが鼻を鳴らす。「本気で言っているのか? 何十月もかけて再三潜入しておいて、聖母のエーテルの製造方法はおろか、原料さえも掴めずじまいだったやつだぞ」
妙にひっかかる――ティファレトはシャンディと連携を取り合っていた。こちらの血まで狙っていた。
原料を、エルカイの血を知らないわけがない。
「……極秘中の極秘ですから。わたしも知りませんでしたし」言い過ぎたかとも思ったが、ニグレドは聞き流している。
ニグレドはうぬぼれのきらいがある。典型的な組合の角あり。底の浅さがうかがえる。ティファレトとは次元が違う。
閃き――ティファレトは独自の判断と思想で動いていた。雇い主すら騙していた。
それはなぜか。
ひやりとする。それは、触れてはいけない歯車のような気がする。あまりに危険な香りがする。いや――。
すでに危険に飲み込まれつつある。
もう遅い。なにもかも。
寒い――鉄の荒野は、底冷えする。
新たなる任務――ろくでもない任務。
五個猟隊が与えられた。みな若く、組合の猟民にしては、そこそこ腕が立つ連中ばかり。
上層部の本気がうかがえる。ニグレドの言に虚構はないらしい。組合は焦っている。血眼になって、聖母のエーテルを探している。
それだけ、こちらへの重圧も強い。仕事を適当に誤魔化せない。視線は常に感じる。今まで気づかなかっただけかもしれない。
聖母のエーテルをつくるには、それなりの施設がいる。塔がいる。シャンディが第二一八塔の近くに根を張るとは思えない。組合の網に引っ掛からないためにも、大きい陽輪の下の巨塔でもないだろう。
さしあたり、第二一八塔から距離のある小ぶりの塔から潰すことにした。必然、遠征になる。第二一八塔に戻れるのは、よくて月に一度になった。
塔の侵略自体はつつがなかった。攻略対象のなかには、猟民さえいない小塔もあった。組合の猟隊に経験を積ませるには充分だが、生ぬるかった。欠伸が出た。
さっさと帰りたかったので、先陣を切って手当たり次第狩りまくった。誰よりも戦果を上げた。
ときたま粉薬――聖母のエーテルを備蓄している塔に当たった。ほかの多くの略奪品とともに、一粒残らず奪取した。その塔の管理室室長を拷問してみると、遊牧民から買い取ったものだと吐いた。粉薬を嗅がせてみると、恍惚としたが、羊にはならなかった。
頭痛は周ましにひどくなっていた。憎悪を思い出していた。それらは、シシを狩るたびに厚みを増していった。
手はあまり震えなかった。シシを狩るのに慣れはじめていた。
恐れはなかった。ただ焦燥感があった。組合がいつニッカに手を出すか、気が気でなかった。
帰るたびに、ニッカはひどく心配がった。いつも泣きそうな顔をしていると詰め寄られた。辛いことがあったなら教えてほしいと乞われた。
ニッカにだけは言えるわけがなかった。なにより母体に障る。塔に戻るたびに、ニッカの腹はそれとわかるほど膨らんでいった。知っているものではなくなっていった。それを認識するたびに、息苦しくなった。
ニッカは指輪を外した。子を孕んだので、むくむらしい。外せなくなるらしい。鎖を通して、首から提げるようになった。
ニッカの傍に戻ってきても、まだ根の国の果てにいるような気分だった。現実感がなかった。荒野にいる時間は、シシを狩る時間は、あまりに長く感じた。それを八月も続けた。
四回目の遠征から帰還する最中だった。
野営地の設営が完了するなり、新任のルベドが声をかけてきた。
「頭領。具申したいことがあるのだが」
すらりとした長身。きっちり結い上げられた荒野の闇を縒り集めたような漆黒の長髪、刃のごとき鋼のデンドライト、硬質的なラスピラズリの虹彩。
本名――クルーエル・ノエイル・テイル。月は自分より五〇上の、二五〇ちょっと。謹厳な生粋の武人。
金で地位を贖った月下の新参者と侮られていたのか、はじめはほとんど無視されていた。一度手合せしてクルーエルの魔剣型回路を受けきってからは一目置かれ、必要最低限の会話はするように。
白い息を吐く。「うかがいましょう」
「ほかのものに聞かせる話ではない。すまないがわたしの天幕まで来てもらえるか」
クルーエルは隠し事を好まない。気を遣うとは珍しい。
素直にクルーエルについていく。クルーエルの腰に佩いた猟杖から、血の臭気がぷんぷん匂ってくる。
鞘に収まっているのはミスリルの刀身――鋼鉄さえ溶けた羊酪のごとく両断する切れ味を誇るが、シシか羊を斬り続け血に浸しておかないと錆が浮いてくる厄介な業物。まさに凶杖。
クルーエルは若くしてすでに、かつての師匠ファークラスにも並ぶ身のこなし、技量、身体能力――それに完成度の高い魔剣型回路を秘めていた。
手合せのとき、クルーエルはただの猟杖を握っていた。凶杖ならば間違いなく、瞬きする間に猟杖ごと叩き斬られて首を落とされていた。間合いに入るたびに生きた心地がしない相手。
一対多には向かないが、単純な決闘という状況下ならば、おそらく今まで出会ったなかで最強のシシ。前任のルベドをもしのぐはず。
クルーエルの天幕をくぐる。茶か酒かたずねられる。酒をいただく――最近、寝酒をしないと頭痛で眠れない。
ラスピラズリがまっすぐ見据えてくる。「単刀直入に言おう。頭領は狩猟において先行しすぎる。勇猛果敢なのは結構だが、自らの立場をわきまえてもらいたい」
「クルーエルの意見はもっともです。ですが、わたしの回路は前線で発揮してこそ、敵の恐怖を煽り、味方への前方支援となります。それが最も効率的で効果的だと判断しています。実際、猟隊から犠牲はほとんど出さずに、速やかに塔の攻略を完遂していると認識しています。士気も高まっています」
クルーエルは首を振った。「格下相手に、わざわざ危険な手段を取る必要はない。もっと着実にやるべきだ。あんたは頭だ。失うわけにはいかない」
食い下がる。「時間をかければ、それだけ想定外の事態が起こる蓋然性も高まります。他塔から援護が来るかもしれない。こちらの糧秣が尽きるかもしれない。罠を仕掛けられるかもしれない。迅速な制圧こそがなにより安全なのです」
「わからないな」クルーエルが眉をひそめる。「なにをそんなに功を焦る? それほど手柄を立てたいのか? それとも――本当にシシを狩るのが生きがいなのか?」
「……」
天幕の空気が張りつめる。
どこからか世話係の嬌声が聞こえる。隊の性欲を発散させている。
距離で言えばとりわけ遠方の出征ではなかったが、山や谷やと道程は険しかった。第二一八塔に帰還予定は、ひと月後。猟隊の鬱憤の解消は必須。
ニッカが子を宿してから、誰とも、一度も寝ていなかった。
隊の間では、不能と噂されているらしい。性欲が狩猟欲に取って代わった狩猟狂いとあだ名されているらしい。シシを斬って勃起し、シシを焼いて射精すると揶揄されているらしい。
くだらない。どうでもいい。言わせておけ。
半分は事実だった。肉欲は枯れ果てていたから。
「……ただ、手っ取り早く任務を済ませ、塔に帰りたいだけです。誰が点数を取ろうが、わたしは関心がありません。それが気に食わないのならば、わたしの功績をすべてクルーエルに差しあげてもかまいません。クルーエルが、それで満足するのなら」
クルーエルが身を乗り出す。「なんだと――」強く引っ張られたみたいに後ろにひっくり返る。「ぅぐ――ッ!?」
「はいはーい、抑えるっすよー、クリュちゃーん」クルーエルの背後から声。「もー、ほんっとばかまじめなんだからー」
天幕の生地が揺らぐ。よくよく目を凝らすと、それはシシのかたちをしている。次第に像を結びはじめる。
全身の皮膚を覆う密な回路。やたら薄着。童顔。おさげにした淡い褐色の髪、丸みを帯びた銀のデンドライト、アメトリンの双眸は、左が紫で右が黄。
ライラ・ズィー・クォール――当代のアルベド。月は二四〇。珍しい擬態型回路の持ち主。
クルーエルがむっとする。「ライラ、おまえ、盗み聞きしていたのか」
ライラがぱたぱたと手を振る。「やー、クリュちゃんをびっくりさせてやろうかと思っただけっす。そしたらふたりが入ってきて、なーんか出づらい雰囲気になっちゃった、みたいなー?」
毒気を抜かれたクルーエル――苦々しげに溜息を吐く。ライラに上着をかけてやる。「まったく、おまえというやつは、いつもいつも――」がみがみ説教をはじめる。
痴話喧嘩を見せつけられている気分になる。天幕の空気が弛緩する。
クルーエルとライラは恋仲にある。つがいの契りは結んでいない。ふたりとも、いずれ荒野か敵の塔で魂を消費するだろうと腹をくくっている。
ライラが酒を注ぎはじめる。「まーまー、今回も無事お仕事完了したんだし、いーじゃないっすか。ほら、クリュちゃんも、ぐいーっと、ねっ?」こちらにも勧めてくる。「頭領も――なにか事情があって、なるたけ塔にいたいんすよ。ねっ?」愛嬌をふりまきながらも、眼球越しに脳を読み解くような鋭い二色の眼差し。
ライラは溌剌としている。如才ない。ひと懐こい。ニッカを思わせる。
同時に、抜け目がない。次の瞬間には射抜かれそうな隙のなさがある。卓越した観察眼を持っている――優れた射手の性に由来するもの。
ライラは猟弓を好む。弓矢は一般的に隙が大きい割に威力が見込めない。容易に回避される。根の国では何百月も前に廃れている。
だが、暗闇のなかで一〇〇〇歩先の文字を読むほどの眼と、陽光の下でも姿をくらます皮膚があれば、杖を遥かに凌ぐ武器となる。
ライラは回路の天才だった。回路に愛されていた。無数の回路を持っていた。並みの塔ひとつ分は有していた。毎周のように次々新しい回路を足していた。
猟民の潜在能力では、自分が知る限りライラ以上のシシは存在しない。火の回路でさえ再現できるだろう。いや、すでに搭載しているかもしれない。末恐ろしい。
腰を上げる。「そろそろ、失礼します。ごちそうさまでした」
クルーエルが杯を受け取る。「……む。すまないな、騒がしくしてしまって」
ライラがごねる。「えー、もっと頭領と呑みたいっすー」
クルーエルが諌める。「こら、ライラ、頭領を引き留めるな」
クルーエルは当初の目的をまるきり忘却しているらしい。真面目だが、かなり抜けている。ニッカを思わせる。
外の世話係の喘ぎ声が最大になる。やってる、やってる。
「おふたりの邪魔をしたくありませんので」
クルーエルがもごもごする。「べ、べつに、そんなつもりは――」
ライラがにやける。「そーだ、頭領も混ざってくっすか? あたし、一回ぐらい乱交してみたかったっす――痛ッ!?」クルーエルから拳骨を食らう。
クルーエルは赤くなっている。「品のないやつですまない。きっちり言い含めておく」
「気にしてませんから」天幕を出る。どっと汗が噴き出る。神経がすり減っている。
左腕は常に猟杖に触れていた。ふたりとも見抜いていたが、何も言わなかった。
クルーエルもライラも、前任の四猟士にも勝るとも劣らない比類なき仕手――できれば相対したくない。きっと戦うことになると想定して、用意した対策は一〇〇からになる。
ふたりにはとくに用心せねばならない。上層部と直接繋がっているかもしれない。こちらを監視しているかもしれない。警戒は怠れない。
あれからニグレドはほとんど姿を見せない。たまに指令を下すために、どこからともなく現れるだけ。いつも仮面をかぶっている。未だに素顔も拝んだことがない。
あくまで調整係だと言っていた。四猟士を運営する役割なのだと自称していた。
ニグレドは上層部だろう。ティファレトを雇っていたものだろう。聖母のエーテルの独占が目的だろう。
聖母のエーテルは依然として見つからないが、粉薬はたんまり押収していた。払底はまぬかれた。ニグレドは機嫌をよくしていた。これであと一〇〇月は持つと言っていた。よし、よし。
クルーエルは、エーテルによって聖母がシシを羊にしようと目論んでいるのだと信じていた。組合がシシを守るために聖母を潰そうとしているのだと思い込んでいた。
虚言を弄しているようには見えなかった。演技をしているようにも。
クルーエルは組合の真の構造について、まったく理解していなかった。狩り以外には相当疎い。頑迷というわけではないが、有体に言って世間知らず。
ゆえに御しやすく、勘付かれにくい。本人が関知しないうちに、こちらの情報を引き渡している可能性がある。
ライラは組合を理解しているふしがある。制度を利用し、恩恵にあずかるだけの器量は十分すぎるほどにある。しばしばクルーエルを巧みに操作し、誘導しているようにも見える。
だが放埓した言動はおくびにも出さない。粉薬に手を出してもいなければ、角なしも買わない。クルーエル並みの清廉さを保っている。怪しすぎる。
自分の天幕に引っ込む。甲冑を脱ぐ。押しつぶされそうな重圧と疲弊感がまとわりついている。
寒い。火を焚く。細菌が焼ける。
毛布にくるまる。火を見つめながら、酒瓶を呷る。頭痛が脈打っている。眠るには昏倒するほど呑むしかない。
あと、ひと月。そうすれば三月ぶりにニッカの顔を見れる。ニッカの声を聞ける。匂いを嗅げる。体温を感じられる。
寒い――鉄の荒野は、ひとりでいるにはあまりに冷たすぎる。
狩猟室に帰還を報告する。養護室に直行する。
到着するなり、ノート室長に風呂場に連行される。まず身体を清めろと言いつけられる。徹底的に殺菌しろと厳命される。
一秒でも早くニッカに会いたかったが、素直に従う――細菌だらけなのは事実。
湯浴みする。抗菌乳液を塗る。鼻孔の奥に、まだ血の匂いが残っている。くらくらする。
香水をつける――甘ったるい匂い。
風呂を出る。気づく――なにやら騒がしい。ニッカとの相部屋にこどもたちが集まっている。
メグに事情を訊く。複雑な顔をされる。こどもたちの列が割れる。背中を押される。部屋に押し込まれる。
「あ、おかえり、おねえちゃん」寝台の上で上体を起こしたニッカが布に包まれたなにかを抱いている。無垢な笑顔を、なにかに向ける。「ほーら、ご挨拶して? きみの、もうひとりの、お母さんだぞー」
ニッカは指でなにかをあやしている。小さく白い手が、ニッカの指を掴む。
おお――。
目が眩む。
「産まれたの……ですか」動揺する。腰が抜けそうになる。
ニッカが目を細める。「つい、先月ね」
三月ぶりに見るニッカは、やはりまぶしい。心臓が熱を持つ。だが――。
眉をひそめる。ニッカの表情は、どこか翳りを帯びているように思える。
「なにか、あったのですか」
ニッカがうつむく。肩を震わせる。沈黙する。
みなも沈黙する。息苦しい永遠が一分続く。
か細い声でニッカが言う。「……なさい」
「え――?」
「――ごめん、なさい……ごめん、なさい……っ、ごめんなさい、……ごめんなさい……っ」ニッカが顔をくしゃくしゃにする。嗚咽を漏らす。大粒の涙をこぼす。
おろおろする。なにが、なにやら――。
ニッカが慟哭する。「ごめん、なさい……っ、ごめん、なさい……っ、ぼく……っ、ぼく……っ、おねえちゃんの……つがい、失格だ……っ! おねえちゃんの、あかちゃん……っ! ちゃんと、産めなかった……っ! ごめんなさい……っ!」しゃくりあげる。
メグが大泣きするニッカから、ぐずりはじめた赤ん坊を取り上げる。こちらに目で合図してくる――傍にいてやれ、慰めろ。
ニッカの隣に腰を下ろす。肩を抱く。抱きつかれる。背中をさする。
こどもたちは空気を読んで散り散りになっている。メグは赤ん坊を揺すっている。赤ん坊は泣きやんでいる。
「どういうこと、ですか」メグに問う。
「……ほんとは――双子、だったの。でもひとりは、産まれたとき、すでに息がなかったの……」眼鏡越しに、こちらを責めるようなアメジストの瞳――お前がついていなかったからだとでも言いたげ。
おお――。
双子――忘れていた。自分たちの血のことを。おなじ血で交われば、双極の魂が生まれることを。
組合に移り、ただのつがいになったことで、完全に抜け落ちていた。どれだけあの塔から離れようとも、血からは決して逃れられないのに。
いや、いや――。
わが娘の半身は流れた。ある意味で、それは血の定めから逃れられていた。あるいは逃れようとした、代償なのかもしれなかった。
口惜しい。やるせない。血は未だにニッカに試練を課す。ニッカを苦しめ続ける――いったい、いつになれば終わる?
取り乱すニッカの背をさする。「ニッカは、悪くありません。誰も、悪くありません。亡くなってしまったのは辛いですが、それでも、ニッカはもうひとりを産んでくれた。それだけで、わたしはしあわせです」頭を撫でる。
「おねえ、ちゃぁあん……っ!」ニッカが激しくむせぶ。
「ふたりで、わたしたちの子を育てましょう。逝ってしまった子の分まで、大切に」メグに頼む。「見せてもらえますか、わたしたちの子を」
メグが目の前にやってくる。「……あなたたちに似て、きれいな子よ。きっと……すごい美人に、なるわ……」赤ん坊が視野に入る。
黒髪、目を見張る蒼さのサファイアの虹彩。端麗な目鼻立ち。
これは――。
頭痛が炸裂する。
赤ん坊は、ティファレトによく似ている。
おお――。
流れたほうは、自分と同じ、金髪にトパーズの瞳だったらしい。
もう、やめてくれ――こころが折れそうだった。
ニッカは確かに、四猟士に犯されていた。ティファレトも、おそらくニッカに手を出していた。
あのときだ。あのときに、ニッカは――それ以外考えられない。
恐ろしい。なにもかもが恐ろしい。
うまくいっていると思い込んでいた。これでしあわせになれるはずなのだと信じていた。
自問する――なにがいけなかった? どうして自分たちだけ、こんな仕打ちを受けねばならない?
頭痛で眼球が破裂しそうだった。憎悪が膨らみすぎて卒倒しそうだった。
だが、本来憎むべき対象はもうどこにも存在しない。残った相手は――。
ニッカは子をやたら耽溺した。ハートと名付けた。愛してやまなかった。一秒も目を離さなかった。
乳房がないので、母乳をやれないことを残念がった。ハートを取り上げてくれたメグのほうにはよく懐くと言った。
一度ぐずると、ニッカでは泣き止ませるのに時間がかかった。メグは三秒とかからない。メグは稚児の扱いにかけては天才的だった。
ニッカは己がさも欠陥品であるかのように思い込み、苦悩した――つがいの子を満足に産めなければ、育てることさえできない、と。
ハートからはなるべく避けていた。直視できなかった。時間が経てば経つほど、ティファレトに酷似しているという印象に深く憑りつかれた。子を見るたびに、あの製造室での光景が想起された。
便所で何度も吐いた。頭痛が平衡感覚を奪っていた。ほかのものには悟られないよう、平静を取り繕った。ニッカはハートに夢中になっていて、気づかなかった。
ハートは角ありだった。ニッカは、ちょっとおばあちゃん似だ、と言った。おばあちゃんも黒髪でサファイアの眼をしていたはずだった、とも。
ニッカの言う祖母は角なしのほうだった。祖母は一〇〇月以上も前に身罷っている。ティファレトによると、二代前の四猟士の手にかかったらしい。
祖母の容姿の記憶は曖昧模糊としている。正確さは損なわれている。確かめようもない。
頭痛が思考を阻害している。憎悪が理性を鎮圧している。
相手は――。
ニッカに提案する。「割礼を施しましょうか」
「えェ……こっちじゃ、普通、やらないんでしょ?」不服をあらわにするニッカ。「ハートが、かわいそうだよっ」
「将来、包皮が剥けなくて病気になったりしたら大変でしょう。物心つく前に処置しておいたほうが、怖い思いをしなくて済みますし、治りがいいのですよ」
ニッカが渋る。「うゥ……でも、ほんとに、危なくない?」
微笑みかける。「猟民が医学に明るいことはご存じでしょう。おねえちゃんに、任せてくださいな」
「……わかった。おねえちゃんを、信じる」不承々々。
ニッカは立ち合いたがったが、集中できなくなるからと言ってメグに強引に連れ出させた。
メグはわかりやすい。メグは快く引き受けてくれた。
部屋にハートとふたりきりになる。ハートは羊乳を飲んで、揺りかごのなかでぐっすり眠っている。しばらく眺める。
頭痛がする。憎悪が増大する。
やはりわが子という感じはしない。ティファレトの子としか思えない。
思い悩む。ためらう。頭痛は一向に収まらない。眩暈がする。
やろう――終わりにしよう。
ティファレトの最後の置き土産――これさえ断てば、この忌まわしい因縁から解き放たれるに違いない。
短刀を並べる。一番鋭利なものを選ぶ。刃を磨く。時間をかけて。
こどもに罪はない。せめて苦しまないようにと配慮する。
磨き終える。柄を握る。
途端に頭痛が何千倍にも膨張する――仰け反り、苦悶の声を上げてしまうほど。
ぶちぶち脳細胞が潰れる音がする。こめかみを抑える。しゃがみこみそうになる。凄まじい量の汗が噴出する。よろめく。
焦点が定まらない。耳鳴りがする。血管が殴りつけるような脈打ち方をする。
さっさと処理しなければ、ニッカに怪しまれる。ニッカが入ってくる。
はやく始末しなければ。ハートを。ティファレトの子を。
――ニッカの子を。
いや、いや――。
視界が滲む。滂沱と涙があふれている。
……無理だ。
涙が止まらない。痛みのせいか、あるいは。
……できるわけがない。
膝が折れそうになる。いや、折るべきだった。それを、禍々しいなにかが支えている。
……絶対に、やってはならない。
腕が持ちあがる。短刀を握り締めている。
……誰の胤であろうと、ニッカの子だ。ニッカの分身であり、ニッカの未来だ。それを、それを――。
憎悪が腕を動かさせる。
おお――やめろ。やめてくれ。
猛烈な憎悪が頭のなかで吹き荒れている。懸命に抗う。
憎悪と魂が乖離しはじめる。引きちぎれる。形容しえない痛みを超えた痛み。魂が分裂する。
憎悪が腕を動かさせる。
指先に肉がぶちぶち裂ける感触が伝わる。生温かい液体がかかる。
ああ――。
記憶が飛ぶ。
ハートが泣き喚いている。部屋は清澄な血の匂いに満ち溢れている。
両手は血で真っ青に染まっている。
猟杖を腰に差す。ふらつきながら部屋を出る。
心許なげな面持ちのニッカが食堂からやってくる。血を見て何事かを言う。
失敗しました、とだけ返す。ニッカが部屋に飛び込む。
養護室を出る。
血は絶えた。
四猟士用の第二狩猟室に向かう。道中何度も胃液を吐く。何度もつまずく。何度も行き交うシシにぶつかる。舌打ちが聞こえる。
第二狩猟室の簡易休憩室に入る。クルーエルとライラがいる。どちらもしどけない。着衣は乱れている。汗を滲ませている。部屋には性交の臭気が充満している。
「と、頭領ッ!?」クルーエルが視線を泳がせる。「め、珍しいな、こちらに出向くなど……い、今ちょうど、ライラと、えーと、ほら、待ってくれ、あれだ、その、なんだ――」
ライラが苦笑いする。「やー、クリュちゃん、もうなに言っても無駄っすよ」窓を開けて換気する。
「あー、……うん、すまない」クルーエルがしわぶきする。頭を掻く。「まァ、ちょうどよかった。頭領は絶対反対するとライラは言っているが、具申したいことがあった。頭領、もっと大がかりな遠征を計画すべき段階だと思う。行って帰ってくるのは時間の無駄だ。各地の組合と連携を取って塔を渡り歩きながら、遊牧民からも情報を――むぐ」
ライラがクルーエルの口を手でふさぐ。「ちょっと待つっす、クリュちゃん。頭領、どうしたんすか、その血。てか、めちゃんこひどい顔してるっすよ」
「……ですよ」声は掠れている。
「え?」
「いい……ですよ……、遠征……どこに、でも――」
ライラが手を伸ばしてくる。「頭領……? だいじょうぶっすか……?」
手にすがりつく。「どこでも、いいですから……連れてって、くれませんか……ここじゃない、どこかに……」膝が折れる。泣き崩れる。
憎む相手は、もう自分しかいなかった。
第二一八塔を発つ前に、手紙をしたためた。
長い長い遠征に出なければならなくなったこと。ハートにしたことを悔やんでいること。謝罪。そして愛していると締めくくった。
ニッカのもとを離れるのはなによりもこたえたが、罪悪感がまさった。
どうしてあんなことをしてしまったのか――いや、考えてしまったのか。
慙愧の念に魂が押しつぶされそうになっていた。拒絶し、抵抗する自分も確かにいた。だが、止められなかった。
憎悪が暴走していた。自分の身体が、自分のものじゃないようだった。
荒野は寒かった。こころが凍み凍るようだった。魂が擦り切れていては、なおのこと。
頭痛はひどくなった。憎悪はとめどなかった。
やみくもにシシを狩り続けた。終わりの見えない行軍だった。終わったとしても、帰るところはもうなかった。それでも、ニッカを守るために、やめられなかった。任務を遂行するほかなかった。
至極簡単な話だった。シシを狩り、粉薬を遊牧民経由で第二一八塔に送り続けている限り、ニッカの安全は保障される。供給が止まれば、ニッカに危険が及ぶ。
空虚だった。孤独だった。疲れていた。魂が憔悴していた。
憎悪は虚無のようだった。気力を飲み込んだ。活力を飲み込んだ。なにもかもを飲み込んだ。
任務が終われば、聖母さえ見つけられれば、もう――。
部下からの見る目が変わった。狂ったものを見る目だった。恐怖された。不審がられた。
狩りが雑になったとクルーエルが警告した――今の頭領はあまりに捨て身だ、死にたがっているようにしか見えない。
ライラは案じる素振りを見せた――おねえさんたちが、なんでも相談に乗るっすよ?
ふたりはしょっちゅう絡んできた。ちょっかいを出してきた。世話を焼こうとしてきた。
ことごとく、すげなく断った。ふたりは怪しい。ふたりは上層部に直結しているかもしれない。警戒は解けない。神経をすり減らした。
いつだったか――ある塔を落としたとき。
ふたりの天幕に呼び出され、強引に酒盛りに付き合わされた。ライラのあまり旨くない手料理と一緒に、しこたま呑まされた。身の上話をされた。
クルーエル――組合では稀有な、代々猟民の血銘。特にクルーエルの両親は実直で廉潔、非凡な猟民だった。クルーエルの両親は清潔さを周囲にも求めた。
それはほかの猟民どもにとって都合が悪かった。おそらく上層部にとっても。
クルーエルの両親は羊にされた。クルーエルは、それを聖母の仕業だと思っているらしい。両親は聖母に捕まって、実験台にされたと思っているらしい。
両親は廃棄処分が決定した。クルーエルは組合の傀儡になると申し出た。廃棄処分は延期になった。
クルーエルの使命――なんとしてでも聖母を斃し、聖母のエーテルを奪い取ること。
聖母のエーテルの解析が進み、羊化の原理がわかれば、両親を元に戻せるかもしれなかった。
クルーエルが語る間、ライラはじっとこちらを観察していた。アメトリンの虹彩が告げていた――余計なことは吹き込むな。
クルーエルは組合の真の姿を知らない。真実を知ればクルーエルは間違いなく組合に牙をむく。次の周には、両親とおなじように羊になっている。
ライラの番――その卓抜な回路適性の種明かし。
ライラの血は貧しかった。産親は花を売っていた。その周食うものにも困っていた。客の子を身籠り、いよいよ商売ができなくなった矢先、先端魔法開発室がとある実験の被験者を募集していたのを聞きつけた。
子宮畸形化手術。子を失う確率は七割と見積もられていた。
ライラの産親は生活のために名乗りを上げた。実験は成功した。産親は死んだ。
ライラは先端魔法開発室に引き取られ、さらに全身をいじくりまわされた。魔法を行使するためだけの肉体に最適化された。
魔法の膨大な出力と無尽蔵な持続力の証明――己の子種さえ根絶やしに。
不妊症に無精子症。ライラはどうあがいても血を残せなかった。打ち止めの魂だった。
ライラにとって聖母のエーテルは最後の希望だった。月に作用する聖母のエーテルを究明すれば、こどもをつくる打開策が見つかるかもしれなかった。
クルーエルも、ライラでさえも、聖母のエーテルと粉薬は結び付けられていない。それは超えてはならぬ一線だった。すべてを覆す一線だった。
ライラが開き直って告白した――ぜんぶ、クリュちゃんのためっす。こんな身体でも認めてくれたから。愛しちゃってくれてるから。全力で、愛しちゃうしか、ないのかなあって。
クルーエルは真っ赤になった。拳骨は食らわせなかった。五〇度の乳酒を一気飲みした。
微笑ましい。ふたりはお似合いのつがいに見える。本気で愛し合っているように見える。
羨ましい。自分にはもう望めない。ニッカ以外にそんな相手は欲しくない。
ニッカはきっと自分を憎んでいる。自分が自分を憎んでいる以上に。
今度は頭領の話を聞きたいとせがまれた。
肉をかじる。まずい。「――わたしには、語ることなど、なにもありませんよ」ちびちび杯を舐める。いつになく酒がまわっている。
ライラは回路の天才だったが、料理の腕だけは壊滅的だった。全隊でも最低級。それが、ニッカを思い出させる。
ライラが頬を膨らませる。「頭領ォ、いい加減打ち解けてほしいっすよー」
クルーエルが同意する。「そうだぞ、頭領。根の国の果てまで赴こうというのだ、我々はもう、命を預け合い、生死をともにする仲間、いや、それ以上の存在だ」優しげな色合いのラスピラズリ。「興味本位で頭領の秘密を暴きたいわけではない。わたしは、ひとりの猟民として頭領のことは尊敬しているつもりだ。だが頭領はまだ若いし、なによりひとりだ。猟民の一生は長い。その密度において、文民の何十倍何百倍もの過酷な経験をしなければならない。甘える相手が、いてもいいのではないか?」
ライラが揶揄する。「クリュちゃん、それはちょっとくさすぎ」
温かなものを感じる。ふたりは思いやってくれている。
ふたりの身の上話はでっちあげには思えない。嘘の匂いはしないが、上層部と繋がっていない証拠にもならない。まだ気を許すな。
だが、ひょっとすると――。
できるだけやんわり断る。「お気持ちは嬉しいですが、遠慮しておきます。おふたりのことは猟民として信頼していますが、信頼するのと馴れ合うのは、違いますから」
ライラが盛大に溜息を吐く。「はー、これは荒療治しかないっすね、クリュちゃん」クルーエルに目配せする。
「致し方ないな」もったいぶって頷くクルーエル。「覚悟しろ、頭領――存分に甘やかしてやる」
クルーエルに組みつかれた。ライラに拘束された。
服を脱がされた。唇を奪われた。胸を揉み解された。乳頭をつままれた。
愛撫された。総身くまなく。執拗に。くすぐるように。
久方ぶりの性感に痺れが走った。すぐさま火が付いた。抵抗しようとしたが、肉体は制御不能だった。
酩酊のなかでこころがとろけた。いつしか身を委ねていた。
舌を吸われながら、陰唇を指でかきまわされた。陽根を咥えられた。
上も下ももみくちゃにされた。翻弄された。わけがわからなくなった。
気づいたときにはライラのなかに侵入していた。腰を振らされていた。
挿入するなり、ライラはなにかを察したようだった。嫌だったら言うっすよ、と前置きした。持ち前の回路の才能を発揮した。
ライラの膣内が変容した――懐かしいニッカの膣の感触そのままを再現していた。ニッカ専用に調整した陽根から、逆算したらしかった。
嫌だとは言えなかった。泣きながら抽挿を続けた。目をつぶった。そこにニッカがいるような気がした。優しく抱き留められた。頭を撫でられた。
後ろから、クルーエルに挿入された。こっちはあまり使ってなかったのだな、と囁かれた。じっくりとっぷりとクルーエルらしい真面目さで突きほぐされた。
的確な刺激で、あっという間に膣での高みに追いやられた。甘美な倦怠感に突き落とされた。
何度も何度も、深く深く。甘やかされまくった。
常にどちらかに挿入しているか、されていた。膣で絶頂するか、射精していた。
まぐわいまくった。からからになるまでやりまくった。やられまくった。
「はー……こんなにやったの、はじめてっすよ」ライラがだらしなく笑う。「猟民三人だと、きりがないっすね」
天幕は溽暑で息苦しい――汗と精液と経血の惨状。ひどい臭気に鼻が曲がる。
息も絶え絶えに同調する。「もう……、粉も……出ませんよ……」クルーエルの胸に頬を埋める。体臭を嗅ぐ。心臓を悸つ音が心地いい。
クルーエルが髪を梳いてくる。「……なァ、頭領。おせっかい、だったか……?」酒精が抜けて冷静になったのか、やや及び腰。
「いえ……すこし、気が楽になりました。おふたりとも――ありがとう、ございます」ばつが悪くて視線だけ逸らす。「でも、よかったのですか。おふたりは――」
「いーっす、いーっす、きれーな子は別腹っすから」おどけるライラ。
「それはおまえだけだッ」拳骨をかわされるクルーエル。「……まァ、しかし、頭領のことは、なんというか、放っておけなくてな。頭領が、私利私欲や、邪な目的のために任務に参加しているわけではないのは、見ていればわかる。こころを開けないのも、きっとそのせいなのではないだろうか、とな」
ライラがくっついてくる。「気張って、無理して頑張ってるのがわかってるから、甘やかしたくなっちゃうんすよね。母性本能がくすぐられるっていうんすかね?」
「たしかに、頭領は妹のようにも感じるな」クルーエルが納得したようにうなずく。
ライラに腹をくすぐられる。「これからは、ちゃーんとおねえさんたちに甘えるっすよッ」
身をよじる。「……やれやれ、おふたりにはかないませんね」久しぶりに、つくりものではない笑みがこぼれる。温かさを感じる。
ふたりの優しさに甘えられるようになってから、荒野は寒くなくなった。荒野で過ごす時間はすこし早くなった。狩りはそれほど辛いものでもなくなった。
頭痛は軽くなった。憎悪は薄まった。ふたりと接しているときだけ。
それでも旅路は苛烈を極めていた。命を落とすものはもちろん、こころを病んで立ち寄った塔から離れられなくなるものもいた。
強制はできなかった。連れ帰ると約束できなかった。組合の塔で、なんとか隊員を補充しながら旅を続けた。
いくつもの組合の塔の現状を目の当たりにした。錯綜した組織構造、崩壊した経済体系、抑圧され、増幅させられた欲望と腐敗――どこもおなじだった。
憎悪と怨嗟が蓄積した。ニッカがいない組合は、この世でもっとも汚らわしいものに思えた。頭痛は研ぎ澄まされた。
塔を移動するたびに、穢れも移るようだった。穢れを運んでいるようだった。猟隊は穢れの代行者だった。
実際、この遠征で組合は拡大していった。みるみるうちに勢力を伸ばしていった。
暴虐の巡礼――その軌道を設定したのはニグレドだった。そこには聖母にはまったく関知していない塔もあった。それは組合の敵対勢力だった。
組合の成長に加担していた。いいように利用されていた。いや、もはや自分自身こそ、組合のちからの一端だった。先駆だった。
それでいい――ニッカが無事でいられるなら。
いくらでも汚濁を飲み込もう。汚穢に身を浸そう。
魂を捧げよう。愛するひとの、ためならば。
何十月でも、何百月でも。