※この作品はR-18です。

鉄の空   作:伊土 讃阿

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第六天魔法 10

 

 

 

「どういう、意味ですか」

 言葉通りの意味だ。アーリィライトの血銘のさだめ。産まれるものは必ず、一対の地平線と特異点の魂になる。きみがその特異点で、ぼくが地平線。

 ぼくたちはおなじ胤と、胎を共有して産まれてきた、抑制均衡存在だ。

 吐き捨てる。「戯言を。わたしの地平線は、まぎれもなく、ニッカです」

 表向きはな。きみの先生は、実はぼくたちのあとから産まれてきた、いや、ぼくたちのあとで、身内への対面を取り繕うためにマルギトが慌ててつくった代替品だったのだ。

 首を振る。「そんなはず、ありません」

 第六天魔法については、シャンディから聞いているな? 聖母が第六天魔法の思想に到達したのは、根の国の各地で塔ができはじめた頃からだ。そのときから、アーリィライトの血は狙われていた。

 当時、アーリィライトが第六天魔法にふさわしい血かどうかまでは、聖母はわかっていなかった。だが、黄金流体と万物毒の直系ということで、研究対象としていたのだ。

 ぼくたちが産まれる一〇〇月ほど前、組合にある実行部隊が設置された。ご存じ、黙示録の四猟士、その初代だ。

 組合と昵懇の間柄だったイェソドは、四猟士の情報を得ていた。四猟士を使い、組合が主犯とすれば、自らの手を汚すことなくアーリィライトの血を奪える、そう画策した。

 ぼくたちが産まれると、イェソドは組合をそそのかし、四猟士にアーリィライトを襲撃させた。しかしそれは、ぼくたちの祖母、マルギトの胤親に当たるメルキオールの働きによってなかば失敗に終わった。メルキオールもまた、優れた猟民だった。

 ただ、四猟士は、メルキオールと相打ちになりながらも、地平線、すなわちぼくを攫うことには成功していた。

 マルギトは大層焦っただろう。双極がいない以上、きみがいつちからを失うかわからないし、なにより世継ぎもつくれない。

 マルギトはすぐに次の双極の魂を孵そうとした。産まれたのは、そう、きみの先生、ただひとりだった。そして産親は出産の際に、命を落とした。

 マルギトはやむなく、きみの先生を、きみの地平線ということにした。

 血負け、というらしい。近親相姦を繰り返しすぎ、親の胎を食い破り、自己の魂の工程を否定し、打ち負かすほどに、血が濃く強くなりすぎるのだ。

 きみの先生は、急ごしらえの、見せ掛けだけの地平線なのだ。そして同時に、単独で特異点でもある。

「……まさか」

 打ちひしがれているという感じだな。無理もない。

 だが事実だ。アーリィライトの血は、ほかの血銘で薄まっていないがゆえに、特異点と地平線それぞれの身体的な特徴の発現が決定されている。

 特異点は金髪にトパーズの瞳、黄金のデンドライト。

 地平線は黒髪にサファイアの瞳。

 思い当たる節はあるだろう。きみに、ぼく。マルギトと、産親――これは、見たことがなかったか。だが地平線であるきみの祖母は当てはまっていたはずだ。きみの娘たちも、そうだったのでは?

「……」

 きみの先生は、特異点であり、地平線でもあるから、身体的特徴を併せ持って産み落とされたようだ。金髪に、サファイアの瞳。そうだな? もっとも今は、違うようだが。

 ねめつける。「……誰のせいで、そうなったと?」

 怖い顔をするな。そうせざるを得なかったのだ。

「そういう役割だから?」

 そういう使命だからだ。

「……解せません」

 なにがだ?

「聖母、あるいは四猟士は、アーリィライトであるあなたを手に入れた。ならば第六天魔法は完成できていたのでは? わざわざわたしやニッカを狙った理由は?」

 もちろん、最初はそのつもりだった。ぼくとシャンディで、新たな血を成せば、それで事足りると思っていた。だが、ぼくがこどもをつくる準備ができる前――きみが魔法を習得し、間もなく火に適性のある兆候を見せた。聖母はきみに固執したよ、大層な。シャンディのほうは、とりわけ拘泥した。

 だが、当代最高の猟民と名高いマルギトのことは恐れていた。ぼくがかどわかされ、メルキオールが狩られた事件以来、マルギトはひどく警戒していた。きみに近寄ることはかなわなかった。

 そこでまた四猟士を使った。一番警護の手薄だったぼくたちの祖母を誘拐して、拷問した。そして、アーリィライトの血の秘密に行きついた。きみの先生の存在を知った。マルギトが、先生を犯していることも。

 聖母は、きみの先生のことも渇望するようになった。なにせ、かの黄金流体と万物毒すら血負けさせる魂だ。角なしと言えど、潜在能力はおそらくきみ以上に強大無比に違いない。

 聖母は、第六天魔法を完成させるには、きみとシャンディ、きみときみの先生、きみの先生とシャンディ、その三種を掛け合わせた血こそ不可欠なのだと推測した。

 第四二塔に伝わるおとぎ話にも、こうあるだろう。いと高きもの――すなわち極光は、黄金流体、万物毒、髑髏聖母の三つの由緒ある血銘どもの娘だと。

 聖母はぼくからは興味を無くし、きみたちだけを求めた。徐々に、マルギトに揺さぶりをかけはじめた。迎合をちらつかせた。

 どうやらイェソドはいささかやりすぎたらしい。マルギトもまるきり間抜けではない。マルギトもまた、聖母と組合の癒着を暴いていた。

 マルギトはイェソドに警告した。イェソドは第六天魔法よりも、己の利益を優先した。おとなしくなった。

 わかりやすい話になってくる。「イェソドを母に売ったのは、シャンディですね。自分を信用させ、迎合しやすくするために」理には適っている――すべて繋がってくる。

 さすがはマルギトの子。ぼくの姉。きみもまるきり間抜けではないらしい。

 とまァ、そういう経緯で、きみの猟隊をぼくらが奇襲するあの作戦が仕組まれたわけだ。マルギトにはもともと恐れがあった。狩りできみまで失ってしまえば、アーリィライトの血はそれで絶える。かと言って守護者の座を引かせられるほど面の皮は厚くなかった。

 マルギトは、きみの先生を犯しこそすれ、自らのこどもをつくらせる気はなかったようだからな。己の片割れの腹を食い破って産まれた相手だ、直感的に、なにか薄ら寒いものを感じていたのだろう。

 死を伴う生――真なる地平線とでも呼ぶべきか。きみも、共感できるのでは?

「知っているのですね。わたしの子の片方が、流れたことを」

 あァ。報告を受けたとき、それはもう震えあがったよ。きみの先生が生に関わるとき、そこには必ず死が絡みついている……きみの先生は、まさに抑制均衡の概念の支点そのもの。抑制均衡を生み出す天秤そのものだったのだ。

「どうして今、わたしが根の国の果ての塔で床に這いつくばることになったのかは、よくわかりました」ひどい虚無感。「ですが、まだ……わかりません……。結局……第六天魔法とは、いったい何なのですか……どうしてそこまでして、あなたたちは第六天魔法を、鉄の空の向こう側を求めるのですか……」無力感。「わたしは……わたしはただ、ニッカとふたりきりで、穏やかに暮らせれば、それでよかった……! なにも狩りたくはないし、シシ全体の魂だって、どうだっていい……! 血なんて、いくらでも差し上げます……!」絞り出すように。「なのに、いったいわたしは、なにに巻き込まれて……どんな高尚な思想のせいで! こんなに苦しめられなければいけないんですか……!」

 むべなるかな。至極当然な疑問だ。そしてそれは、もっとも根源的な問いかけだ。その問題の舞台に上がるには――またひどく長い旅になる。

 声が掠れている。「……根源的な問い?」唾を飲み込む。

 そう。そして非常に簡潔で、ある種、認識論的で、本質的な命題だ。

「われわれは、何者であるか?」

 ほう。きみのことを過小評価していたのか、あるいはまったくの偶然か……つまるところそれに近しい。

 すなわち――魔法とは何であるか、だ。

「魔法とは、魂では?」

 ならば、魂とは?

「いかずちと、ほむらで――」

 ならば、いかずちとほむらとは?

 苛立ちが募る。「……無限後退が建設的な問答とは思いません」

 同感だ。だから単刀直入に行こう。

 魔法に魂、いかずちとほむら、さらに血、エーテル、シシと羊、文化――それらの根幹には、通底するものがある。

 細菌だ。

 

 

 

 

 

 

 最初に出会った折にも、魔法や魂について話したな。

 ――魔法も魂も存在しない。嘘っぱちである、でしたか。

 あァ。厳密に言えば、シシどもの間に瀰漫している魂なる概念は、存在しないという意味だ。

 意識や思想、言語、思考するということ。それらはすべて、脳のなかに生息している細菌の活動による副産物なのだ。

 ――……は?

 伝子の話は覚えているか?

 ――いかずち……影魔法によって励起され……手足を動かす物質……あなたに、よれば――。

 実際には、伝子が伝えているものはもっと多い。

 たとえば見たり、聞いたり、触れたりして受容する情報そのもの。あるいは言葉。認識。意識。自己。すべて伝子によって形成されているものだ。だから伝子は、魂をかたちづくる、いかずちの一片でありうる。

 それらの伝子を発生させているのは、細菌なのだ。

 シシの細胞のなかには、細菌が含まれている。その細菌の代謝によって、伝子が生じ、言葉と意識が生まれ、シシの肉体が操作され、魔法が励起される。

 ――待って……、待って、ください。何の、冗談ですか。細菌? 細菌が、シシを? そんな話は、あまりにも――。

 突拍子もないと?

 ――ばかげている。たしかに、シシの皮膚や、腸内にいくらか細菌がいるらしいことは、聞いたことがあります。でもそれとこれとは、話が違います。

 違わないさ。なら、その腸内にいる細菌は、なんのためにいると思う?

 ――肉体に寄生して、養分を掠め取っているのでしょう。細菌に消化器官はありませんから。

 そうだ。我々に、熱量を生み出す器官がないことと、おなじようにな。

 ――熱量を、生み出せない?

 あァ。シシは、肉体活動を維持するための熱量を自己生成できない。すべて、細菌が栄養素を発酵させた際に変換される熱に頼っている。体温の供給源は、細菌だ。

 ――信じられない。

 ほかにも、外部の毒性細菌からも身を守ってくれている。つまり免疫だ。精魔法とは、血中の細菌が活性化された状態のことを指す。

 細菌が、寄生? 違うな。我々は共生しているのだ。細菌とシシは、切っても切れない関係にある。いや、それどころか、シシは細菌も含めて、シシという種なのだ。

 シシが思考する伝子、すなわちいかずち。

 シシが運動する熱量、すなわちほむら。

 それらシシの魂を定義づけるための存在が、細菌だ。

 ――まるで……その細菌が、シシの魂とでも言わんばかりです。

 だからそう言っている。細菌があるからこそ言葉を解している。意識がある。

 羊と話したことがあるかと訊ねたことがあっただろう。

 羊とシシの細菌を比較したところ、羊にはある種の細菌が生息していないことが判明している。その細菌は、ある特殊なエーテルに対して、極めて脆弱だった。

 とある研究では、産まれた際にその細菌を特殊なエーテルで滅菌しておいたシシは、教育を施しても言語を解さない結果が出ている。言語を習得し、成熟したシシに特殊なエーテルを使用しても、そのシシは言語能力を著しく損なうことがわかっている。一方で、脳には細瑕も見られなかった。

 ――聖母のエーテルですか。

 その通り。

 ――細菌が魂だというのなら、言語とは、何なのです。陽光は何なのです。文化は? 陽光は細菌を殺すのでしょう。言語だって細菌を殺すはずでしょう。

 それにはまず、なぜシシが細菌を獲得したかから説明せねばならない。

 シシの細菌が魂ならば――シシが現れる前、いと高きものの時代の魂とは、いったい何だったのか、という疑問が残る。

 星の時代。はじまりの時代。言葉ありき前の時代。偉大なる沈黙の時代。それは意識がわかたれる前の時代。

 人形どもは、単体で魂を孵すことはできなかった。その命は、血肉の一片から、その一片に宿るいかずちとほむらの一粒まで星からの借り物にすぎなかった。

 星の魂とは、つまり焔天――太陽だった。太陽は、火を媒体とする純粋な情報体そのものであり、原初のいかずちをまとったほむらだった。あらゆる魂を汲み上げ、あらゆる祖を司っていた。

 ゆえに太陽は、すべての人形どもの魂でもあった。同時に、すべての色の文化を輻射し、もっとも矮小な細菌どもを焼き殺していた。

 人形どもの魂には、太陽という祖をおなじくするゆえの繋がりがあった。それが御血すなわちエーテルであり、サイマトだ。言葉が言葉になる以前の言葉、一なる言葉だ。それは魂の構造から結果的に射影されていた、元型の言語、普遍の文法だ。魂を持つすべての人形は、もれなく一なる言葉を解していた。

 人形どもは、生まれながらにして様々な回路を獲得していた。それは魂の器官という呼称を持っていた。魂の器官は自ら設計する手間がない分、いずれも生涯不変であり、汎用性もなく、全体として均衡も取れていなかった。共食いの勝敗は、生を受けた段階で決まっていたと言っても過言ではなかった。

 持たざる人形、ただ消費されるだけの魂を、共食いを運営していた乳香卿は憂いた。乳香卿は魂の均一化を目論み、太陽の抑制均衡をつくりだす計略を編んだ。

 極光によって、乳香卿の目的は果たされた。持たざる者を選んで焼き殺す陽光の時代は終わりを告げ、太陽は星のなかにいた細菌どもを殺すちからさえ失った。それは、乳香卿の計算外だった。乳香卿は細菌の存在を知らなかったのだ。

 細菌のなかに、車輪の細菌なるものがいた。その回転によって、空間に対して時間を代謝する細菌だ。この細菌が物体を通過することで、その物体には時間が経過する。その車輪の細菌が、星に解き放たれた。

 それが第十時魔法。十全なる太陽を砕いた魔法。

 星の血や肉は腐り、油と鉄と化した。衰弱した太陽の光は鋼鉄に遮蔽され、ますます星に届かなくなった。太陽が焼けるのは、不妊の砂漠の細菌だけになった。

 それまで星には永遠性が保たれていた。永遠とは、果てしなく長い時間という意味でも、終わりのない時間という意味でもない。それらは、常在しているという性質にすぎない。

 永遠とは、時間を超越しているという概念だ。ここ以外のどこにもなく、あるいはほかのどこにもある。すなわち、天であること。

 だからこそ、かの共食いの時代は成立していた。太陽に一度灯された魂は、他者に飲み込まれたとしても、総体としては摩耗することなくいつかは根源へ回帰し、完全なる循環を保持していた。変節なく、進化への重力の組み合わせを模索できていた。

 それが星の役目だった。そのための演算機としてつくられていたのが、星だった。

 時間はあらゆるものを変質させる。肉も鉄も、わけへだてなく。ゆえに呼ばわる名は、万物毒。

 魂も例外ではない。いかずちもほむらも、時間の摩擦によって消耗されるものとなってしまった。

 人形どもは徐々に魂を引き裂かれていった。人形どもの魂の器官は、時間のなかでひとたび細菌に犯されると、腐り、魂を変質させられ、二度とおなじ姿を取り戻すことはできなかった。そのうえ、鉄の天蓋によって焔天への還元も叶わなかった。

 星の時代から腐敗という現象はあったが、それは星への還元作用だった。それまで代謝を星の無限の血肉に頼っていた人形どもは、時間に侵食され、生きながらにして細菌どもに腐敗させられていった。

 しかし例外がいた。月だ。月は、魂や血肉を直接的に制御するちからに長け、食らった他者のちからをたやすく我がものとする特性を内包していた。月の魂の本質は、適応と進化を意味していたからだ。

 ほかの人形どもが腐りゆくなか、月の残滓、因子が浸透した月の子らは、いかずちに対して適応する第一歩として、時間を受け入れた。己が細胞に細菌を取り込み、代謝を学習した。いわば、魂の器官を細菌に委ねたのだ。

 そうして月の子、シシだけが鋼鉄の大地で勝ち残ることになった。太陽と隔絶された星は、事実上、その魂を月に占拠されたも同然だった。やがて星は、月とも呼ばれるようになった。

 だが、まだ問題はあった。極光が月を砕いたことで、大地には月の砂が浸透していた。サイマトが千々に寸断され、一なる言葉は聞き取れないほど小さな声となった。月の砂は、伝子に影響を及ぼす不可視のちからを持っていた。

 シシが思考するには、言葉が必要だ。言葉がなければシシの意識や、自我は生まれない。しかし一なる言葉と、それを伝える伝子は、太陽のものだった。すなわち、太陽か、あるいは星との接続が前提だった。時間に晒された大地では、言葉すら色褪せ消えゆき、誰にも魂を記憶されることはなかった。

 そこで、シシは細菌を通じて文字を認識し、言葉を言語化し、細菌の伝子にそれを乗せ、思想を記録すること、記憶を保存することを編み出した。

 細菌は、もともと文字に近しい生態を持っていた。空間に形状を記述することで、物事を記憶したり、他の個体と時間を超えて意思疎通を図ることができたのだ。シシが血を使って文字を書く習慣の根源は、そこにある。

 すべてが再生回帰する星の時代では、文字はつくりえない。時間が存在しなければなにも記述することは叶わない。文字は躍進的な発明だった。

 その文字、その言語を基盤として、今、我々の意識が形成されている。魂と呼ばれているものが、存在する。

 だから細菌はシシの魂なのだ。

 ――以前、あなたとの対話のなかで、魔法とは体内に宿る星の御血のちからという結論になったのを覚えています。魔法とは魂なのでしょう。しかし魂とは細菌であり、御血ではないのでしょう。それはどう説明するのです。

 ぼくの話を聞いて、きみが到達した答えのひとつに過ぎない。真実がそれですべてだと言ったつもりはない。

 さて、そうしてシシは細菌によって代謝、言語、そして魂を得たが、過酷な鋼鉄の荒野で生き抜いていくには肉体的な頑健さも求められていた。

 月なるものはもともと、血肉を制御するちからに長けていた。それは月の作用によって変質した御血の性質だった。

 御血は、太陽の魂の運び手たる役割を担っていた。金属が伝子をよく通すように、御血もまた伝子をよく通す。細菌由来の魂も、太陽由来の魂も、その正体は突き詰めれば伝子だった。

 御血を通じて、月は己の血肉を隅々まで掌握していた。荒野へ適応するために、やがてその範囲は、血肉のなかに取り込んだ細菌にまで及んだ。

 魔法とは、選択的な細菌の代謝、変質、増幅、結合、運動の状態なのだ。御血は、シシと細菌、あるいは細菌間の連携を取り持つために不可欠だが、魔法の中核はどちらかと言うと細菌にある。

 さらに言うなら、魔法を行使する行動そのものや、理論化し、拡張すること、つまりシシからシシへ伝達される文化へと昇華させたのは細菌の言語だ。

 こうして使用している言語は、細菌から発展したものだ。太陽から降射された文化ではなく、月の子と、細菌によって自発したシシ独自の文化だ。ゆえに細菌の抑制均衡には相当しない。いわばシシが持つ細菌の、魂の器官というべきものだから。

 細菌を殺すのは、陽光柱の降射文化に含まれる降射言語だ。降射文化こそ、先時代の太陽の魂であり、降射言語は原初の太陽の一なる言葉だ。

 陽輪のもとでのみ、今なお降射言語が存在できているのは、極光がのちになって細菌の存在に気付き、細菌を焼き殺そうとしたからだ。弱まった太陽の光を絞ることで強度を増幅させ、根の国を浄化しようと、極光が応急処置的につくった集光器――それが陽輪、第九輪魔法だ。

 御血、あるいはエーテルはシシにとって強い毒性を示すだろう。シシの体内にある御血は月によって馴化したものだが、濾過して精製したエーテルは月の成分を壊し、降射文化の運び手である本来の特性を蘇らせたものだ。だから大気中の降射文化を取り込みやすく、細菌を殺すちからを持ち、ひいてはシシにとっても毒になるというわけだ。

 ――ミスリルは、魂を保存するとして、墓碑の材質に使われています。しかしミスリルは、エーテル化したプラチナでしょう。エーテルが魂たる細菌に害をなすなら、ミスリルが魂を保存できるのはおかしくはありませんか。

 少し違うな。ミスリルが保存するのは細菌ではなく、細菌から生じ伝子によって構成される魂だ。伝子となってしまえば、その抑制均衡は文化ではなくなる。

 伝子となった魂は、名前や、言葉、情報でしかない。極光が陽光によって焼きたかったのは、星を凍てつかせた、細菌だけだ。

 もっとも、陽輪をつくった頃には、なにもかも遅すぎた。細菌はとっくにシシのなかに住み着き、陽光から逃れるすべを得ていた。

 むしろ細菌は抑制均衡の塊たる陽光柱すら逆手に取った。降射言語を解析し、根の国で発生するはずのないあらたかなる文化や思想を、この鋼鉄の大地に引きずりおろし、侵食したのだ。これもまた、月が持つ、他者から奪う側面の現れだろう。

 そうして、外部から拡張された文化によって、シシは塔を建てる技術を獲得するに至った、というわけだ。

 これが星の時代から今に至るまでの、シシの沿革、黙示録だ。

 ――シシとは……シシの本質は、どこにあるのですか。シシのこの身体? それとも細菌?

 どちらかではない。どちらもシシだ。本質の認識が誤っていただけだ。

 ――わたしは、思考しているのですか? させられているのですか? シシという存在の主体性は、どちらにあるのですか。

 そう思考しているのは、きみのなかの細菌活動であるとだけ言っておこう。

 ただし、細菌自体に意思はない。細菌の一粒一粒に、高度な知性は存在しない。魂すらない。文化も理解しえない。

 細菌は機械とおなじだ。特定の物質に対し、特定の代謝のみ繰り返す、自動的なものだ。

 同時に、意識や魂、思惟は、物質的な存在ではない。論理的に説明のできる原因を持つ観察結果だ。

 見ろ。今、ぼくの手の上で伝子が弾けたことと、きみが必死に否定しようと思考していること。その両者に、物理的な違いは何もない。どちらも伝子だ。見分けはつかない。だから、魂など存在しないと言っている。シシの魂とは、細菌の鉱滓のようなものだ。副次的なものだ。

 ――シシとは、なんなのですか。

 なおシシに意味を求めるのならば、シシは細菌の住居という見方が適切だろう。シシにとっての塔が、そうであるように。細菌が生きるために最適化した構造物が、シシだ、とも。

 今や、シシは細菌が陽光から逃れるためのものであり、抑制均衡たる文化を支配するためのものになりつつある。

 細菌は、ただ、シシを超越しているだけなのだ。細菌は、シシの根幹であるだけ。細菌は、天そのものであるだけ。降射言語では――神という概念に近い。

 ――……。

 直感しにくいか。では、もっと身近で決定的な例を引き合いに出そう。たとえば、シシと羊はおなじ肉体を持ち、両者に明確な差はないが、では、角ありと角なしの差は何だろうか。

 ――デンドライトが析出し、魔法の出力が高く、胤を残せること?

 そう、魔法が強いということは、細菌をより制御できていることにほかならない。デンドライトは例外なく金属だ。金属は伝子をよく通す。エアマイグレーションしたデンドライトは、いわば細菌の制御器なのだ。

 そして細菌を魂の器官としたシシにとっては、細菌を制御する能力がそのまま種としての強さに直結する。

 その強さをより後の世代に引き継いでいくために、角ありだけが胤を残しているというわけだ。

 だが、ともすれば、魔法の弱いシシは、細菌によって胤を残す器官の発達を制限されている、という見解もあるかもしれない。

 細菌によって外性器が発達しているのか、あるいは抑制されているのか――未だ明らかにはなっていないが、どちらであれ、大した差はないだろう。細菌が、種の繁殖にまで関わっている――いや、シシは、細菌に繁殖を左右されているという事実は、揺るがない。

 ぼくたちやエルカイの血は例に漏れるが、通常、近親姦は禁忌とされているだろう。

 その主たる要因は、細菌が、多数の細菌叢とかけあわされることを望んでいるからなのだそうだ。

 細菌が多様化すれば、シシの魔法もまた多様化し、適応力が増す。それは細菌自体の生存限界の拡大をもたらす。

 ということは、だ。不特定多数とまぐわった母体から産まれたシシなどは、細菌の観点で言えばこれ以上ないほどに優れた素材となる。心当たりが、あるのでは?

 ――産親が花売りだった、ライラ、ですか。

 正直に白状すると、きみの仲間の能力は、恐れていてな。真っ先に無力化せざるを得なかった。悪く思うな。

 ――……腑に落ちません。では、シシが心臓の内部に備えている水銀灯は、何なのです。あれは、殺菌するためのものなのでしょう。

 いい質問だ。月の子らがシシとなった当初、水銀灯も魔法も有していなかった。

 凍てつく大地で生活するために、いつしかシシは魔法を――細菌をある程度制御する感応を具しはじめた。

 しかし魔法の乱用は細菌の過大な増殖、ひいては自らの腐食を招く。そこで発達したのが、殺菌するための水銀灯というわけだ。それで、細菌の数を調整しているのだ。

 ――自らを殺すために? 細菌が?

 先も言ったが、細菌自体に複雑な思考はできないし、逆にシシの意識自体は魔法を細菌とみなしていない。実際、きみは魔法を使用する際に、細菌のことを考えたりしないだろう?

 細菌とシシは、種として分離できるものではない。どちらがより有益になるかという競争ではなく、細菌とシシの両者が共生できるかたちで、種は発達する。水銀灯を発達させたのは、細菌とシシの間にある、抑制均衡から発達した種の生存原理のようなものだ。

 それに、塔もおなじではないか。シシが、シシを不要だからといって廃棄処分にしている。食ってもいる。それと何も変わらない。

 我々はいわば、細菌の塔なのだから。

 ――……細菌の話は、もういいです。そろそろ、本題に入ってくれませんか。

 第六天魔法か。いいだろう。

 まずは手始めに、聖母と羊の話からしよう。またいささか紆余曲折するが、もう少しだけ、ご清聴願おう。それが済めば、じきに……幕引きだ。

 

 

 

 

 

 

 シシがどうやってシシとなったかは、理解してもらえたな。ならば次は、羊の起源という命題に焦点を当てるとしよう。

 根の国は、第十時魔法によってシシの大地となった。シシだけの大地――そこに、ほかの生物はいなかった。

 いと高きものが天に到達した際、大地にはいくらかの種子が落ちてきていた。だが植物は一握りのシシ――今の遊牧民の祖が独占していた。なにより限られた陽光の下では、すべてのシシを養えるだけの植物は育てられなかった。

 シシたちは依然として、共食いするしかなかった。しかも魂は均一化され、みな同種となってしまっていたがために、その争いはより血生臭く、陰惨なものになってしまった。

 乳香卿の血を引くシシ、髑髏聖母はその状況を嘆いた。そして、聖母には打開するだけのちからがあった。

 聖母は、星の時代に御血が湧き出ていたという真鍮の杯のなかから、あるものを掬い上げていた。きみの背後の、その祭壇に祀ってある、エメラルド板だ。

 見覚えがあるだろう? きみが、きみの先生の眼球を削り出したものだ。

 星の時代では、エメラルド板によって濾過した御血を人形に投与することで、人形ははじめて魂を孵すことができるとされていた。

 エーテルとは御血だ。つまりそのエメラルド板こそ、エーテル精製機の核だ。

 エメラルド板には、内部に極小の傷が刻まれている。それは精製機の設計図であると同時に、それ自身、いわば回路のような働きをする。血液を濾過する――というより、吸い上げて、代謝する機能を持つのだ。細菌のように、な。

 通常のエーテルをつくりだしているエメラルド板は、すべてその複製だった。そこにあるものこそ、原板だ。

 聖母のエーテルは、実はその原板抜きに精製することはできない。原板の完全な複製をつくりあげることはできなかったからだ。

 その原板を最初に手に入れたのが聖母だというのだから――奇妙な、何者かの意思を感じるようだが……こういう妄誕は、お嫌いだったな? 共食いの話に戻るとしようか。

 共食いへの忌避感が起因とするものは、何だと思う?

 ……ふむ。おなじ姿かたち、か。いいや、否だ。容姿が原因とするならば、その忌避は今なお継続しているはずだろう。シシと羊、両者は一見して、見分けがつかない。

 答えは言語だ。意思疎通できるかだ。相手の意思や感情、観念が言語を通じて理解でき、共感してしまうから、共食いを回避するのだ。

 言語というのはそもそも何故必要になったのか。それは、相手を種の振るい分けにかけるためだ。つまり同種を認知する能力の一環なのだ。

 だから言語を持つものにはすべて名前がある。名前があるものは魔法が使える。名前がないものには言語がなく、魔法が使えない。これぞ、第一名魔法が第一名魔法足りえる理由だ。

 言語だけが、同種を認知する――つまり同種が何であるか、と認識できる器官は、元来シシの肉体には存在しなかった。言語は社会性の種的性質がもたらした、個的ではなく種的な、後天性の魂の器官だった。それは種全体の利己的な生存本能のみに従う。

 聖母のエーテルは、その根源の繋がりたる言語を破壊する。原理的に言えば、言語を司っている細菌を選択的に破壊する。

 聖母の血には、濃度の高い降射文化が含まれる。聖母の眼球はダイヤモンドで、降射文化を屈折させないからだ。降射文化と細菌は抑制均衡の関係にある。降射文化が、言語の細菌を殺す。羊にする。

 ん? あァ、その疑問ももっともだ。そう、単純に考えると、聖母自身が羊化されていないことは、降射文化が細菌を破壊することにまったく撞着している。

 思い出してほしい。聖母はもともと、乳香卿の血を引いている。乳香卿は、星の時代では模倣子なる文化の素の担い手でもあった。乳香卿の血そのものに、降射文化に対する許容量というか、運び手のようななにかが、血中に存在していた、そう仮定できるのは、さほどおかしな論理ではないだろう。

 ゆえに聖母の血は、降射文化と細菌が奇妙に共生し、均衡を保った特殊な環境をつくりだしているのだ。

 それをエメラルド板で濾過し、さらに火を通してやると――つまり、文化の検閲を通してやると、細菌だけが死滅し、文化の極性が際立つ。単位粒子量当たりの降射文化許容量が大きい分、その枷を外してやると、非常に強力な言語殺菌効果を持つというわけだ。原理的にはおかしくなかろう?

 きみもご存じ、根の国に流通している粉薬は、聖母のエーテルを粉末化したものだ。

 ただし、粉薬の状態では、いくらかの爽快感が得られて、月がいささか狂うだけの効能しかない。きみも一度は味わい、我を忘れて交尾していたことがあったはずだ。

 ふむ、手を出した記憶はない、だと?

 そうだろうな。あのときは――きみの世話係が、料理に粉薬を盛っていたのだから。きみの猟隊が壊滅したあの任務。裏切りものは、シャンディだけではなかったのだ。

 きみの世話係――ヘルマといったか。あの娘もまた、きみを愛し、欲して、結ばれたいがために、第四二塔に背いていた。まァ、愚かにも、我々の目的は聖母のエーテルそれのみであると妄信していたようだが。

 いまさら、慰めにもならないだろうが……あの周、きみたちが敗れたのは、なにもきみたちのちからが及ばなかったわけではない。きみたちは万全ではなかったのだよ。

 さて、話が逸れたが――かくして、聖母はシシのために、羊という食用の同種をつくった。先に述べたとおり、聖母のエーテルは、言語だけを殺すので、これ以上ないほど食用シシ、失礼、羊の生産に向いていた。

 共食いへの忌避感を抹消するために、種をわかたった事実は伏せられた。それゆえ、もう遊牧民の口伝ぐらいにしか残ってないが――その昔、これは第零羊魔法と呼ばれていたそうだ。

 羊のおかげでシシの社会が安定しはじめると、やがて塔が建設されはじめた。もともとは、以前も説明した通り、効率的に陽光の恩恵にあずかる目的だった。

 聖母は文化の担い手だった。無論、伝承には暁通していた。シシの塔を見て、それをいと高きものの勝利のきざはしに結び付け、炎の塔、すなわち第六天魔法の思想に到達したのは、自然の成り行きとも言えた。

 聖母は、鉄の空を穿孔し、根の国に陽輪越しではない本物の陽光をもたらそうと企んだ。細菌どもを、みなみな鏖殺せしめるために。

 聖母の思想は、あくまで人形だった乳香卿のものであり、断じてシシのものではなかった。シシたる聖母の魂は細菌だったが、根の国の滅菌、つまり己が根源の破滅こそを地平線に希求していたのだ。

 ここまでが、あらかじめ計画されていた第六天魔法――そのはずだった。

 ところが、この第六天魔法の根底を覆しながら、同時に次の段階へ押し進める存在が現れた。

 きみの先生が、それだ。

 細菌、そして第六天魔法なくして、きみの先生のことは語れなかった。だから、ずいぶんと遠回りしてしまったが、これでようやく、なにもかもを語り終えることができる。

 最初に述べたとおり、きみの先生は産親の血を負かして産まれた。比喩でもなんでもなく、まさに、胎を食い破って生まれ出てきたのだそうだ。

 シシは最初に、どこで細菌に犯されるか、知っているか? それは、産親の産道だ。そして次に、産親の乳頭から。

 ならば、産道を通らず、産親を犠牲にしたきみの先生は――無菌状態で生まれ、育ってきたことになる。細菌の地平線を超え、自ら剥き出しになった特異点、とでも呼ぶべきかな?

 さらに、アーリィライトの血のしきたりで幽閉されていたこともあり、きみの先生はその無菌状態をしばらく維持されていた。

 だと言うのに、きみの先生はとくに言語に不自由している様子はなかった。むしろ俊英な素養さえ顕示している。これを単なる言語の細菌への反証だと断言するのは、あまりに短絡だというものだ。

 

 こう考えるのが、もっとも自然だろう。きみの先生は、シシとして、細菌を不要としているのだ、と。

 通例ならば、アーリィライトは双対の魂を形成する血だ。だがきみの先生は、ふたりではなくひとりだけで生まれてきた。こうは考えられないだろうか? 先生は――単独で双対だったのでは、と。

 これはあくまで推測だが――先生は、おそらく、形成されるはずだった片割れの魂を、細菌化させたのだと思う。双対の抑制均衡を我が身に取り込むことで、細菌が担うべき役割を、分身に押し付けたのだ。

 それまでシシにとっては外付けだった魂の器官を、自らの血肉のなかから発掘し、自己再現した、特異点と地平線。そのふたつの設計図を同時に宿した――まさしくアーリィライトの完成形と言えようか。

 その第一の証拠として、さっきも言及したが、身体的特徴が嵌合体であるということ。

 第二の証拠としては、心臓に水銀灯を具有していないこと。

 先生の乳房を切り落としたのは、それを確認したかったのが主な理由だ。そしてやはり、仮説通り、先生に水銀灯はなかった。先生には活性化させる細菌がいない――殺菌して腐敗を抑え込む必要がない以上、水銀灯も発達しえない。

 先生の魔法はおそらく、固有の細胞が細菌機能を模倣したものだ。先生自身が、シシの異種であると認識していないがゆえに見かけ上はおなじ働きをしているが、実際はまったく異なる体系、系統のはずだ。

 第三の証拠、それは羊化しなかったこと。

 先生を部下に強姦させる直前、加熱した聖母のエーテルを静脈注射させてもらった。ある程度の言語、認知機能の低下は見られたものの、相当経度と言わざるを得ない程度で済んだ。

 わずかながらも効果が見られたのは、言語の媒介が細菌に近い形態だったためと推察されるが、それでも、通常なら一発打てばまず間違いなく羊になり、元に戻らない濃度のはずだった。

 細菌が必要のない、シシの発生。

 シシではないなにかの魂の構造から、シシの魂を再現しているもの。

 自己がもう一方の自己を相互に参照し合い続けるために自己循環的な恒常性を持っていた先生は、その分、生に関わるとき、常に高い代償を要求するが――それはまさしく、星の在り方そのものでもあった。

 つまり種としては異端な終着点だった。種の枠組みから解脱したものだった。

 だから先生には胤を残す器官がなかった。一切の細菌に依存しないために、角も不要だった。

 きみとの間に産まれた子がいずれも角ありだったのは、完成形たる先生に、いわば不純物たるきみが混入されることで、再度発展の余地がつくられたためだろう。

 ところで、きみの仲間、ライラにも先生とおなじことが当てはまる。ライラは無数の細菌を内在させていた。先生とは対極だったが、細菌に依存するシシとして飽和した、正しき終着点でもあった。だから血を残せなかった。

 先生が、単にシシが進化しただけの話なら、聖母にとって一向に問題はない。だが細菌もまた先生と同様に、いずれシシを必要としない可能性があるのでは? あるいは、すでに陽光を克服した細菌がいるのでは? 先生の存在は、そんな仮説を示唆していた。

 その疑念は聖母を侵食した。先生が進化したシシである裏付けは後追いの確認だったが、聖母は当初から確信、いや、とりつかれていた。イェソドはそう深くのめりこむことはなかったが、シャンディの思想は強く、とりわけ腐心していた。傍から見れば、妄執のようだったよ。

 仮説が正しければ――第六天魔法で太陽を暴いても無意味だ。むしろ、砂漠に細菌が大挙するだけだ、と。

 やはり太陽を元に戻すしか手はない、聖母はそう考えた。そこで考案したのが、星のエーテルだった。

 先生自体は、細菌を必要としないが、実際のところ、体内に細菌がいないわけではない。毒性のない、侵入を許していることに気付きようのない意識に上らない細菌は、精魔法の除去対象からは漏れて体内に留まりつづけている。そして水銀灯で弱められることもない。むしろ、普通のシシよりも多くの細菌を保有していられる。

 そもそも、先生は星の恒常性のおかげで頑健な細菌耐性を獲得していたのだ。幼少期を無菌で過ごし、抵抗力がないはずなのに、あの細菌だらけの荒野を第四二塔から第二一八塔まで旅をして感冒ひとつかかっていなかったのだからな。

 先生の恒常性は、細菌の保存性という側面を持っていた。普通のシシが細菌と共生しているのだとすれば、先生は細菌と共存できるシシだった。

 要するに、先生は任意の細菌叢を培養できる器になる可能性を秘めていた。

 そこで聖母は、聖母の血と先生をかけあわせることで、抑制均衡たる細菌を利用し、太陽に細菌を焼く文化を学習させるエーテル――星のエーテルを精製しようとした。抗原は知っているな? あれを想像すれば、理解の助けになるだろう。

 先生の眼球を抜き取ったのは、実はその一環だった。奇しくも、ぼくたちもきみと同様に、エメラルドの原板からくりぬいた眼球に取り換えるつもりだったのだ。

 先生はいくら細菌に耐性を持っていたとしても、その肉体強度は角なしとなんら変わらない。ぼくたちが関わるまいと、事故かなにかで命を失うこともあるかもしれない。

 そこで、先生の設計図をエメラルドに逆転写して予備とし、その危機に備えることにした。同時に、先生の血液をエーテルへと変換させ、先生自身にエーテルを学習させ、馴化させる目的もあった。きみがその仕事を代行してくれたのは、さすがに予想外ではあったが。

 エーテルは甘い――先生の涙は、甘いかもしれないな?

 ……さて。これが全貌だ。アーリィライト、エルカイ、第六天魔法、魂、細菌、そしてシシの。

 これこそが、先生に累を及した、あえかなる思想だ。納得していただけたかな、ねえさん?

 

 

 

 

 

 

 はっとする。意識が浮上する。

 聞き入っていた。眠りこむように。眩惑されたように。

 頭を振る。目を覚まそうとする。「……わかりません」喉がからからになっている。「結局、あなたは何者なのですか。どちら側に立っているのですか」手を握る。開く。痺れは取れている。震えている。右脚は動かない。

「今はもう、聖母でも組合でもない。そう答えるしかないな。ぼく個人の目的は、この憎悪への決着――復讐だ」

「復讐?」息を吸う。吐く。身体が自分のものではない気がする。

 恐ろしい――怯えが神経を犯している。

 手におえない重責を背負わされた気分。

 ティファレトの言葉は受け入れがたい。だが理解してしまっている。領得し、共感している。真実は、事実になっている。

 シシは、細菌である。

 のろのろと起き上がる。節々が軋む。

「――組合、そして聖母への」語り尽くし、疲れ果て、一気に老け込んだ面持ち。「アーリィライトの血は、近親相姦を繰り返してきたためか、みな、なにかしらの精神疾患を抱えているらしい。きみは先生への執着心。先生は、過剰な保護欲。ぼくは一度憎んだ対象を徹底的に憎み抜くたちらしい」紺碧の双眸がぎらつく。はじめて見せる熱。静かなる憤激。「……エーテルに細菌、第六天魔法――そんな思想は、ぼくにとっても、どうだっていい。こんなくだらないおとぎ話に巻き込まれなければ、ぼくはきみの隣で、凍えることもなく、ただ穏やかに、第一〇〇九塔で平凡な幸福を享受できていたはずだった……だがもう、どうあがいても取り戻しようがない。ならばせめて、ぼくからすべてを奪った聖母、そして組合を潰してやるのが、ぼくにできることだ」ティファレトが猟旗を振る。襤褸が翩翻とはためく。「そのために、きみと、先生の肉体を、活用させてもらう」

 猟杖に触れる。「どうするおつもりですか」

 猟旗をこちらに向けてくる。「火に特性のあるきみの血」次いでシャンディの亡骸に。「文化を保存する聖母の血、そして、無色の細菌叢たる先生の肉体を組み合わせれば、シシの肉体を易燃性物質の塊へと変質させるエーテルを編み出すことができるはずだ。それを粉薬化し、塔にばらまく。塔のシシどもを薬物中毒にしながら、燃料にする。生きながらにして、塔ごと丸焼きにしてやる。それがぼくにとっての、真の第六天魔法。組合の塔を、シシの炎の墓標とする。先生には、すべてのシシを焼くエーテル――太陽のエーテルを精製する、培養器になってもらう」

 頭痛がする。憎悪が増大する。

 頭痛が手の震えを止める。憎悪が怯えを食らいはじめる。

 総身を精査。「させません」異常――右脚のみ。機甲で補助すれば問題なし。「あなたが誰であれ、ニッカに手を出すとおっしゃるのならば、狩ります――今度こそ」腰を落とす。

「ならば火の粉を払え、ねえさん」

 回路を励起。背部の小型原動機に点火。吸気。圧縮。燃焼。排気。爆音。

 飛び出す。回路を励起。薙ぎ払う。炎を噴きつける。

 猟旗が冴えやかに閃く。刃を受け止める。炎を掻き分ける。

 動力全開。切り結んだまま、押し切ろうとする。

 回路が発光。力点を巧みにずらしてくる。受け流される。

 距離が開く。回路が発光。青い閃光。猟杖に絡みつく。腕が痺れる。指の神経が焼ける。

 影魔法を励起。痺れを抜く。抜けきる前に、ティファレトが踏み込んでくる。

 凄まじい連撃。甲冑の継ぎ目を狙ってくる。受けきれない。伝子で動作が鈍っている。それ以上に、ティファレトの反応速度が速すぎる。肉が裂ける。血が滴る。

 猟旗と伝子の目まぐるしい乱舞。ちから強く、俊敏で、隙がない。常に意表を突いてくる。

 ティファレトは一三〇月前も技巧だけは卓越していた。今はさらに洗練され、肉体と回路も鍛え上げられ、究められている。

 角なしとは思えない。クルーエルにも比肩する決闘者の実力。傷ひとつつけられない。

 以前手合せしたとき、伝子はほとんど使ってこなかった。今は無尽蔵に放ってくる。出力も桁違い。なにか裏がある。

 エルギンやライラを仕留めた強力な伝子の回路だけは発揮してこない。おそらく溜めが必要なのか、動きながらでは励起できないか――。

 回路を励起。派手な爆炎で身を包む。ただの目くらまし。後退する。一度仕切り直し。

 ミスリルの床が蒼く染まっている。すべてこちらの出血。ティファレトは汗ひとつかいてない。

 ティファレトは別人のようにちからをつけている――だがこちらも一三〇月間、安逸に寝て暮らしていたわけではない。伝子の回路を持つものが再び現れるだろうことも、想定済み。

 兜の面を下ろす。面の内側の濾過器を咥える。左手でもう一本の猟杖を抜く。不揃いな微細孔を持つ小ぶりの刀身。長めの柄。頑丈なこしらえ。

 心魔法を励起。柄を温める。内蔵した油脂で固めた薬液が溶けだす。刀身から滴る。機甲の配線を柄に接続。

 回路を励起。原動機に点火。突進する。

 ティファレトの周囲で大気がきらめいている。不可視の糸が張り巡らされている。

 回路を励起。炎で焼き切る。左手を振るう。原動機からの圧縮大気で薬液を噴きつける。ティファレトが軽やかにかわす。

 回路を励起。熱線を浴びせる。襤褸で防御される。薬液が燃える。白煙を噴く。猛毒が展開する。

 ティファレトがむせる。血痰を吐く。咄嗟に退避する。

 回路を励起。機甲胸部のラピスラズリに接続――機甲式拡張眼型回路。リベットの拡張眼の見よう見真似。

 第三の視界がティファレトの動きを捕捉。予測する。短刀を精密に射出。挙動を制限する。そこへ薬液を飛ばす。熱線を放射する。

 揮発した毒霧が、行く先々でティファレトにまとわりつく。ティファレトが鼻と口を片手で覆い、襤褸を展開させる。防戦体勢になる。

 今か――。果断する。

 回路を励起。原動機に点火。一気に接近。

 回路を励起。回路を励起。回路を励起。拡張眼を起動。短刀を射出。短刀を爆破。掃射し、誘導し、威嚇する。

 回路を励起。原動機に点火。機甲が運動量を腕へ伝達。剣速を加速させる。紙一重でいなされる。

 自分でも制御しきれない速度に猟杖が流される。が、すかさず機甲のからくりが自動的に返す刀を放つ。原動機が吠え立てる。

 猟民の目でも追えぬ強烈な連撃。強引な軌道修正に筋肉線維が断裂しかかる。

 ティファレトは正面から受けるしかなくなる。よろめく。

 そこへ機甲による二杖の連打を叩き込みまくる。短刀を射出する。毒を散布する。炎を噴出する。釘付けにする。一個猟隊にも値する猛攻を仕掛ける。

 あらかじめ機甲に入力しておいた師匠ファークラスやクルーエルの連携動作を、原動機の運動量で増幅させて演技再現――機甲式魔剣型回路。

 いつしか襤褸の繊維が炭化しはじめる。ほつれる。裂ける。ずたずたになる。ティファレトの苦悶の表情が覗く。

 毒杖を突き出し牽制し、炎杖で大振りの横薙ぎ。足元を払う。

 ティファレトが床を蹴る。後転する。追撃の短刀を何本か撃つ。

 宙で叩き落とされる。一本だけ脇腹に刺さる。炸裂。血飛沫を散らす。ティファレトが壁まで吹き飛ぶ。

 脚が止まる。演技終了。腕と背中が燃えるように熱い。機甲が緩む。吸気。排気。おびただしい湯気を噴く。冷却開始。

 骨肉がわななく。息は乱れている。汗が失禁したような水溜りをつくる。相変わらず途方もない消耗量。シシひとりが摂取する五周分の熱量を失っている。

 必殺のはずの奥義を、披露してしまった。当たりは短刀一本だけ。だが、わずらわしい旗は剥ぎ取った。

 床に伏したティファレトが咳き込む。血を吐く。襤褸をもがれたミスリルの竿を杖に立ちあがる。「凄絶な……あまりにも凄絶な、妙技だな……ねえさん。並みの猟民が……生涯かけて、やっとひとつ習得できるような域の、回路を……、たったひとりで、いくつ完成させている……? やはり、回路の才覚に、おいて……ねえさんは、根の国……随一だ。正直、肝が、冷えっぱなしだよ」不敵な笑み。「ペイルという役職は……、降射言語では、疫病を操り、死を司るものに与えられるらしい。毒と炎という、有機と無機、肉と鉄を、別なく等しく蝕み終焉をもたらすねえさんこそ、冠するにふさわしい称号だな」

 冷却中。「……さっさと決着をつけましょう」あと五秒。

「ねえさんは本当に、厭味ったらしく、冷酷なほどに、まっすぐで、一途で、純粋で、嘘が下手らしい」サファイアの虹彩を細める。まぶしそうに。「きみのそういう不器用なところも含めて――ぼくは、きみを愛し、愛してほしかったんだと思うよ」

 冷却終了。機甲が締まる。驀進する。

 ティファレトが半身になって傷を庇いながら応対する。旗を失ったミスリルの竿を突き出してくる。

 こちらの間合いのぎりぎりから、伝子を中心に攻撃を組み立ててくる。引き気味なのは明白。完全に攻めっ気をなくしている。

 負傷で鈍っているわけではないが、なにかを警戒している立ち回り。

 だが再度、不利な拮抗状態。毒の範囲も見切られている。伝子が神経と肉を焦がしてくる。体力を徐々に奪われていく。

 ちまちまやるつもりらしい。伝子の余力は十分らしい。やはり裏がある。

 ティファレトは驚異的な反射神経を持っている。だが先ほど通した一撃の際は、妙に竿捌きが遅緩していた。

 思い返す――ティファレトの戦闘様式は流動的。いなし、そらし、受け流す防御法。自ら走ったり、飛んだり、跳ねたりは極力避けている。

 靴を履いていないから? 履けない理由が? いや、いや、いや――。

 回路を励起。猟杖から火炎を伸長させる。有効攻撃範囲を広める。

 下半身を狙う。特に足元。ミスリルを炙る。熱する。

 ティファレトが苦しげに後退する。伝子による抑止攻撃の頻度が見るからに増える。

 やはり――。

 手を休める。息を整える。笑みをつくる。「地に足がついてないと、落ち着かないたちですか」さかしらを口にしてみる。「床から離れれば、なにか不都合でも?」

 愉快げな瞳の色相。「……なるほど。あの攻防で悟るとは。腐っても黄金か」こどもを嘉する口ぶり。

 感触あり。「黄金は腐りません」つまり――。

「面白い返しだ」ティファレトが汗をぬぐう。降参だという顔をしている。

「……金属は伝子をよく通す。ミスリルの床から、伝子の供給を受けているのですね」

 ティファレトが首肯する。「この一三〇月間、嫌と言うほど砂糖を食らい、ただひたすらに、この塔に伝子を溜めつづけた」裸足でミスリルの床を撫でる。「この塔は、ぼくの伝子を貯蓄させるためだけに最適化して設計し、建設している。いわばぼくにとっての回路であり、魔法であり、デンドライト――角の塔だ。この塔に触れている限り、ぼくは角ありでいられる。そこまでしてやっと、きみと同等だが。これだけは開陳したくない一番の秘密だったのに、あっさり暴かれてしまったな」ミスリルの竿でこちらを指す。「弱点が露見してしまった以上――ぼくも、いよいよ奥の手を使うしかなさそうだ」

 回路が発光する。ミスリルの竿がぐにゃりと歪む。それ自身意思を持ったかのようにのたうつ。ティファレトの腕にまきつく。はいずりまわる。展延し、ティファレトの体表面を覆う。覆い尽くす。

 夢でも見ているかのような光景。「な――」二の句が継げない。

 白い金属の皮膚に包まれたティファレト。「ミスリルは伝子によって自在に形質を変化、泳動させることができる。こうして、不定形の甲冑のように纏うことも。これはミスリルによる外付けの回路――きみが、火を使ってその鎧のおもちゃを着こなしているのとおなじことだ」のっぺりした滑らかな肌。表情はうかがえない。「だがこの泳動制御は、非常に繊細で神経を遣う。伝子の供給を受けていても、指一本動かすための泳動をさせるのに並々ならぬ努力をせねばならない。当然、このまま近接戦闘など不可能だ。だから、このミスリル被膜はあくまで防護服にすぎない」

 異質な様相に寒気がする。シシ以外のなにかと相対している気分。

 やはり――ティファレトは格が違う。誰よりも得体が知れない。

「……なにに対しての、ですか」

「――ラジエイション。月毒だ」

 ミスリルの皮膚が青い光を滲ませる。同時に、凄まじい熱に刺し貫かれる。

「――ッ!?」たまらず膝をつく。

 灼熱と激痛が全身を舐めまわしている。火をつけられたわけでもない。伝子もなし。機甲に異常なし。

 総身を精査する。毒物なし。

 だが皮膚に紅斑ができていく。潰瘍ができていく。

 いったい、なにが――。

「墓標は、ミスリルを材質とする。ミスリルが魂を保存し、細菌から守護するためだというのは、ねえさんも聞いたことがあるはずだ。だがミスリルを素通りする伝子相手では、無意味だ。魂を保存したミスリルに強力な伝子をぶつけてやると、ミスリル中の魂は破壊され、代わりに小さく鋭い不可視の光を放つ。それがラジエイション。降射言語では、放射線という名を持つ。ラジエイションの毒牙はあまりに小さく、金属さえも透過して細胞を破壊する。この部屋は、壁も床も天井もミスリル製だ。ここではなにをしようと、月毒からは逃れられない」歩み寄ってくる。ゆっくり、ゆっくり。「文化をくべた太陽のほむらを魂が生まれたときの光とするならば、月毒はいかずちによって魂が死ぬときに発する光だ。太陽の顕現たるねえさんを仕留めるのは、この月の光こそふさわしい」

 毒の光――ティファレトもまた、ペイルを冠するに相応の仕手。

 吐血する。ごぼごぼ溢れる。とめどない。皮膚がただれる。肉が溶ける。内臓が液状化する。

 激甚な毒性。長くはもたない。

 部屋の入口は遠い。誘い込まれていた。脱出するには間に合いそうにない。すべては最後のこの一手のために、か。

 いいだろう。ならばこちらもすべての魂を使い切るまで。

 身を起こす。毒杖を捨てる。両手で猟杖を握る。大上段に構える。

 回路を励起。機甲各部が連結。踵から鉄杭が射出。床を穿孔。体勢を完全固定。原動機に点火。吸気。圧縮。風が巻き起こる。

 回路を励起。回路を励起。回路を励起。

 火を熾す。火を熾す。火を熾す。ただ熱く、熱く燃えるだけの炎を。

 ひたすた高く。高く。鋭く。鋭く。上空へ。塔の天頂を突き破る。

 塔を貫いてもなお、火はまっすぐ宙へと練り上げられていく。鉄の大地と鉄の空の間に、厖大な熱のきざはしを築く。

 ほむらにあおられ、いかずちが別たれて悲鳴を上げる。月毒が大気中に充填されていく。

 ティファレトがミスリルの腕を突き出す。赫耀たる光を帯びる。その指先は、黄金にも真紅にも照り映える。

 大気が腕の色が移ったかのように色づく。極光がティファレトを取り巻く。風がうねる。ティファレトの背から静かに広がる。

 大気を舐めてさえずる雷の束に捕らわれた火の荷が、香ばしい音を立てる。煌めきの粉がミスリルの床を焦がす。

 ティファレトがおとがいを解く。「は、は、は……! これは……! 素晴らしいな……! はぁ……!」狂ったような哄笑。初めて聞く半身の笑い声。「まるで伝承の再現だ……! いと高きものどもの、再演だ……! さすがだ、ねえさん……ッ! だが……! あのとき勝ち残ったのは、極光だぞ……ッ!」

 莫大な劫火の重圧がのしかかる。機甲がたわむ。骨が砕ける。肉が爆ぜる。

 まだだ、まだ燃やせる――。

 回路を励起。回路を励起。回路を励起。回路を励起。回路を励起。

 血をつくれ血をつくれ血をつくれ――。

 酷使した予備心臓が体内で小爆発を起こす。第二から第五まで。すべて燃料に変える。炎柱にくべる。肉体の大半を捧げる。

 まだだ、まだ足りない――。

 もっと熱く。熱く、熱く。

 細胞内の細菌を意識する。全細胞を認識する。

 蠢くものを感じる。脳の血管が破裂する。発狂しかかる。

 細菌は伝子を代謝する。ならば伝子で干渉できる。

 影魔法を励起。細菌を誘導する。回路に取り込む。

 精魔法を励起。細菌を活性する。回路を増幅する。

 筋肉が断裂する。血管が炸裂する。硬骨が歪曲する。

 伝子の回路を形成――ティファレトの、見よう見真似。

 回路を励起。回路を励起。回路を励起。回路を励起。回路を励起――魂をくべる。

 大気が爆ぜる。総身から伝子を迸らせる。伝子が総身に絡みつく。

 噴き出した血が煙を噴く。血が伝子に反応する。変質する。変色する。甘い匂いを放つ。

 不意に足元のおおいなる存在を感じる。想像せずともに塔の骨格、神経、内臓の様が手に取るようにわかる。大気の痛みによって伝わってくる。

 直感する。接続している――塔のサイマトに。

 万斛の伝子が機甲を突き抜ける。炎柱に伝子の奔流が絡みつく。渦を巻いて炎の塔を昇っていく。

 いかずちとほむらが天を埋め尽くす。轟く。雷火の空になる。

 焦熱で月毒が巻き上がる。細菌を焼灼する。

 激甚なる熱量の天蓋。なにもかもを飲み込んでいく。

「おお――まさか――エメラルドもなしに――エーテル化を――塔の支配権まで、奪うとは――」ティファレトが呆然と見上げている。見惚れている。「これほどまでとは――まさに……まさに、其はいかずち――其はほむら――其こそ至高の第六天――不灼の種子を火浣せしめる――光のきざはしよ――」

 膨張し続けていた炎が停止する。逆巻く。内側に向かって急速に収束する。

 伝子をもって火を手繰り寄せる。空を縒り集める。一振りの、長大すぎる、あえかなる杖に。

 回路を励起。機甲が弾け飛ぶ。原動機が落ちる。強制脱甲。

 踏み出す。横薙ぎ。吶喊とともに。塔の壁を吹き飛ばしながら。極光が弾け飛ぶ。

 ティファレトが腕を伸ばしてくる。大気がきらめく。

 ティファレトの胸から下がミスリルごと蒸発する。溶解した床にティファレトの残骸が落ちる。

 きらめきがこちらの手足に付着してくる。ミスリル繊維。角にまで巻き付いている。繊維の先は、ティファレトが握りしめている。

 澄んだサファイアの虹彩と目が合う。「第二一八塔を……調べろ……ねえさん」微笑んでいる。

 回路が発光。ばぢんと大気が弾ける。激痛がすべてをかき消す。

 

 

 

 頭痛がする。脳漿に凍てつく杭を打ち込まれている。

「頭領! 大丈夫ですか、頭領! これは、いったい――」

 脳が苦味を滲ませている。金属のささくれが脳細胞を引き裂いている。

 生き残った部下たちの声が聞こえる。意識が浮上してくる。重い瞼を開ける。光が網膜を刺す。

 天頂と壁面が溶かし尽くされ、吹きさらしとなった塔の最上階に横たわっている。瓦解した聖母の塔。角の塔。

 第一象限の終わり際。凍えそうに寒い。

 総身を精査。致命的な損傷二一点。重大な損傷四二点。機能障害八一点。軽微な損傷無数。無傷の箇所なし。並みの角なしなら一〇〇回は死んでいる。

 腹の上に重さを感じる。上半身だけの角なしが、もたれかかるようにして事切れている。最後のちからを振り絞って這ってきたのか、大量の蒼い血と内臓が床に伸びている。

 ぼさぼさの黒髪、焼け爛れた端整な顔つき。

 ひどく穏やかな死相――姉に甘えて眠る、妹がごとく。

 なにかを半分失った気配がする。

 

 

 

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