説得は成功した――さしあたりひと段落。だが、計画の進捗はさほど気にかけていなかった。
また、ニッカの傍にいられる――それだけで満たされていた。頭痛と憎悪が希釈されるようだった。
ニッカの態度は当初、素っ気ないものだった。必要最低限の会話はするが、一線を引いていた。あの頃と比べると、別人のようだった。
それでいい。仕方がない。当然の報いだ。それだけのことをした。だが――。
ニッカは指輪をまだ持っていた。鎖に通して、首から提げていた。一三〇月前と、おなじように。
永久不滅の証。つがいを誓った証。その証が、まだ残っていた。一三〇月前のなにかとの、繋がりを感じた。
見込みはあった。ニッカは、まだどこかで自分を信用しようとしているらしかった。第六天魔法に疑いを持っていなかったのが、いい証拠だった。
ニッカは偽りの研究に没頭した。生来の魔法の研究好きだった一面が呼び起されたらしい。よし、よし――。
気乗りはしなかったが、こどもたちに講義をした。こどもたちに取り入った。ニッカはこどもたちを愛していた。なにより大切にしていた。信頼回復には、一番の近道。
タルト相手にもわけへだてなく接した。警戒は怠らなかった。
なにか腹積もりがあるならば、自分が現れたことで変化があるはずだった。わずかな違和さえ見逃すまいと、常に目を光らせていた。
タルト以上に対応に一考を要する相手もいた。
ハート――我が娘。
しっとりした黒髪、目を見張る蒼さのサファイア、息を呑むほど端麗な目鼻立ち。ますますティファレトに似てきた。
その容貌を目にするたびに、頭痛が脳に響いた。憎悪が汗腺から迸りそうだった。
正気を保つのに骨を折った。相変わらず、自分の娘だという実感は薄かった。
胤親であることは告げてなかった。教える気もなかった。ハートも知らないようだった。
ニッカはハートを話題に挙げなかった。自分もそのつもりはなかった。暗黙の了解だった。
ニッカは、ハートに打ち明けるなとは言わなかった。近づくな、とも。見極めかねているらしい。関係を修復したい思いの裏返しとも取れた。
課外授業と称してこどもたちを外にも連れ出そうとした。ニッカも付いてくると言って聞かなかった。
思惑通りだった。ニッカと一緒にいたいがための提案だった。
ニッカの姿を見て、声を聞いて、石鹸の匂いを嗅いでいるときだけ、頭痛は霧散した。憎悪は蒸発した。冷気は感じなかった。第六天魔法を忘れられた。誰かの声は聞こえなくなっていた。
充足していた。夢のようだった。あらまほしかった。
ニッカとただ恬安に暮らす――凍てつく荒野で、本心から望み続けてきたものだった。
かりそめだとしても、願いは叶っていた。
おおむね、うまくいっていた。つつがなかった。
ニッカと過ごす時間は増えていった。溝は次第に埋められていった。
微妙な均衡の上で間を取り持っているものの正体は虚構だったが、それでも修繕しつつあった。
いつしか――ほとんど以前と変わらぬ接し方になっていた。
予感は確信になった。ニッカはまだどこかで自分を愛している。このまま時間をかければ、必ずや元通りになれる――。
想定外の出来事が起こった。
ニッカが本当に原板を解読しはじめた。でまかせを暴きはじめた。
原板の中身が何であろうと、知らなかったで誤魔化せる。だが、解読の完了は共に過ごす理由を失わせる。このまま関係に進展がなければ、計画は水泡に帰する。
いっとう上等な葡萄酒を引っ張り出してきた。口実づくりに麺麭を焼いた。しばらく考えあぐねた挙句、高純度エーテルも袖口に忍ばせた。遅い時間に養護室をおとなった。
酒を酌み交わしながら、報告を聞いた。ニッカは、いつの間にか原板が回路であることまで突き止めていた。
焦燥に駆られた。早急な対応が求められていた。
故意に研究を遅延させるか――いや、いっそ踏み切って関係を進めた方がいいのかもしれない。あるいは、そのどちらもを敢行する。
ニッカは自分を愛している。もう敵視はしていない。ほんの少し、背を押してやれば――。
ニッカの目を盗んで、ニッカの杯に粉薬を振りかけた。頭痛がしていた。
ニッカが寝台に身体を投げ出す。眼鏡を外す。酒精で朱が差した肌を手で扇ぐ。「はー、あっつ……けっこー、まわってきちゃったぁ、ふらふらするぅ……」
「おや、らしくないですね。あんなに強かったのに」酒瓶と杯と原板を片付ける。手が震えそうになる。緊張している。
「えェ、そうだっけぇ?」
探りを入れてみる。大胆に。「今みたいに、魔法の議論をしながら、二瓶は平気で空けていましたよ。こうしてると――なんだか昔に戻ったみたいで、少し懐かしくありませんか?」
寂しげな声音。「……きみから、その話をするんだ」ニッカが寝返りを打つ。
綱渡りがはじまる。感触は悪くない。
ニッカの隣に腰を下ろす。「わたしはいつだって、あのときに戻れることを願っていますから――もちろん、それが叶わぬ願いであることは承知していますが」
「……きみが逃げ出した、からだよ」
おそるおそる金糸の髪に触れる。指が痺れる。指が燃える。一三〇月ぶりの、ニッカの手触り。抵抗なし。
「ねェ……訊いていい? なんで、出てっちゃったの」
「本気で、訊きたいですか」
「訊きたい……訊きたいよ。ぜんぜん、わかんないんだもん……」
「わたしには、ここはふさわしい場所ではありませんでしたから。それが罰でもあると思ったのです」
「……確かにきみは、とんでもない間違いを、犯した……でも、そのことは責めてない……ぼくが許せないのは、きみが、責任を果たさなかったこと……罰なんか、どうでもいいんだよ……ぼくたちの、傍に、いなくちゃならなかったんだよ……ぼくには、きみが必要だったんだよ……ぼくは――ぼくじゃァ、あの子の、先生になることしか、できなかったんだもん……」責めるでもない、己の無力さを悔いる述懐。
心臓がねじれる。疼痛が滲む。
ニッカには恨まれていなかった。ニッカが失ったのは、自分だった。
すべてを捨てて逃げ出した自分の小心さが、ニッカに重荷を背負わせていた。
ニッカをなじっている気分になる。「わたしがいい影響を与えられたとは、思えません」
「今は、いい影響を与えているって……ぼくは思う」
「……わたしは、ああすることが結果的に一番だと考えたのです」
「ぼくには……きみの考えてることが、わかんないよ」
ニッカは、ニッカだった。姉のことを理解しようとしていた。姉のものであり続けようとした。契りを交わした、つがいだったから。
ニッカにだけは、誤解されたくなかった。だが、ニッカにだけは、知られるわけにはいかなかった。
いっそすべてを吐き出したい衝動に襲われる。必死に抑え込む。「わたしはずっと、先生のことだけを考えています。わたしは、罪滅ぼしをしたいだけなのです。先生に、尽くしたいのです。先生のためだけに、わたしの魂を燃やしたいのです」本音だけが、こぼれ出る。
「……ッ、そんなの、相手を、間違ってる、よ。贖罪すべき相手は、ぼくじゃない、でしょ」
「――ニッカ以外に、罪悪感を覚えたことは一度もありませんから」
「……そういうとこが、きらいなのっ」ニッカが寝返りを打つ。潤んだ瞳でまっすぐ見据えられる。
心臓が高鳴る。ニッカの頬の輪郭をなぞる。存在を確かめる。
「ぼくだって、やり直せるならならやり直したいよ……きみのことも、ずっとずっと、心配してたんだよ? 外で悪い細菌にやられてないか、大怪我してないか、って」
「怪我のおかげで、こうして戻ってこられました」
「……ばかぁ」腕を掴まれる。抱き寄せられる。こどもをあやすように背中を叩かれる。「――おかえり」
ああ――。
ニッカの体温が、石鹸の匂いが染み渡る。寒気が完全に消え去る。
ようやく、なにもかもを終えた実感が湧く。
「……ただいま、戻ってきました」止まっていた一三〇月前の時間が進み始める。
「んふー、なつかしーにおい……おちつくなー」
ニッカが柔らかい肢体を押し付けてくる。それは火照っている。情欲を誘う。
試すように身体をまさぐる。
「はぁっ、ぅうん……ッ、ねっ、ほんと、これ以上ふざけるなら、もう、帰ってよぉ、ぼくだって……、怒るんだよぉ」
「やめて、よろしいのですか? ずいぶんお身体が熱くなっているようですが」
「それ、はっ、お酒の、せいでぇ……んぃっ!? みみぃっ、弱いからぁ……ッ、あッ、あッ、みみもとでっ、息、しないでぇ……っ」
言葉では拒否の意を示されるが、本気で嫌がってない。愛撫を続ける。止まらなくなる。膣内にまで指を挿入させる。いじくりまわす。
ニッカが瞬く間に達する。立て続けに、何度も何度も。薬がよく効いている。後ろめたさが増す。
ニッカが甘く喘ぐ。「はっ、はっ、はっ、なんでっ、なんでぇ……っ、おさまんないぃ……イケばイクほどぉっ、おなかっ、かゆくて……っ、おかしく、なるぅ……ッ」
まぶしい――ぞくぞくする。
後ろめたさが消える。たまらなくなってくる。
なかば強引に押し切って、結合する。
「――っ♥ ――っ♥♥ ――っ♥♥♥」陽根を根元までくわえこむなり、ニッカが上半身を反らす。ぎちぎち締め付けてくる。
まぶしすぎる――美しすぎる。愛おしすぎて、息が詰まる。だが――。
ニッカの胎内は煮えたぎっている。恐ろしく柔らかく、絡みつき、蠢いている。だが――。
違う――あの頃と比べて、はまりが悪すぎる。ニッカが自分のものだったときの具合とは、まるで様変わりしている。
「あ♥ まって♥ ひっかかって♥ えぐれちゃ♥ なんかっ、前とっ、ちがっ♥」
「わたしは、何も変わっていませんよ。もしかして、忘れてしまったのですか? ニッカが育ててくれた、ニッカ専用のおちんちんだというのに」
「や♥ そんなっ、言い方っ、やめ♥ ぞくぞく♥ とまんないぃぃ♥」
「しかしおっしゃる通り、わたし専用だった頃と比べて、ずいぶんなかの具合が変わりましたね――確か、この辺りが好きでしたね。ここをこうやって、こねくりまわしたり」
「あーっ♥ そこっ♥ そこそこっ♥ むりっ♥ むりっ♥ がまんっ、できなっ♥ いくっ♥」
「ゆすったり」
「んい゛ィッ!? それっ♥ お゛♥ お゛っ♥ っくうぅう♥ いっく♥ いっく♥ あ゛っ♥」
「圧迫したり」
「いく♥ いく♥ いく♥」
「舌を絡めながら――」
「んっ!?♥♥ っ♥♥♥ っ♥♥♥ っ♥♥♥」
弱点だけは変わり映えしていない。だがやはり、決定的に違っている。
ニッカが息継ぎの合間にも絶頂を極めまくる。「こんなの……っ♥ っ♥♥ ずるいぃ……っ♥ っ♥ おもいだしちゃ……っ♥ っ♥♥ わすれてたのに……っ♥ っ♥ ぜんぶっ♥ っ♥ おもいだしちゃうっ♥♥」
躍起になった。思い出させたかった。ニッカの身体は、自分のものではなくなっていた。花売りに適応していた。組合化していた。
ひたすら、過去の交尾を掘り起こすことに専念した。優しく、丁寧に、自分の身体を刷り込んだ。
その周は、どう努力しても射精することはできなかった。
翌周、メグからサイマトで連絡があった――まさかあなたがニッカにあれを使うだなんて。
開き直った――見知らぬ猟民に使われるより安心できるでしょう。
こどもたちのために適当な課題をつくって、養護室に出向いた。ニッカを見舞った。こわごわ。
ニッカは寝台でぐったりしている。真っ赤になっている。エメラルドの視線はおぼつかない。
ニッカがためらいがちに切り出す。「……忘れて、ほしいんだ……あのときは、酔ってて……どうか、してたし」
ニッカは酒精にあやまたれたと思い込んでいるらしい。胸を撫で下ろす。拒まれてはいないか――。
「――きみとは、どうしたって、やり直せない、し……」
妙にひっかかる――含みのある言い回し。
嫌な予感がする。
顔がこわばるのがわかる。「なぜでしょうか?」脳が冷えていく。
「……ぼくにはもう……、将来を、約束した子が、いるんだよ……」
おお――。
ぐらつく。
心臓が止まる。
やめろ――やめろ。
訊くな。「……どなた、でしょうか」踏み込むな。
聞きたくない。それだけは。
ニッカが言う。「タルト、だよ。今はまだ、こどもだけど、ぼくのことを、本気で想ってくれてるんだ……ぼくも、あの子のことを、本気で、好き、だから――」
「――ッ」
おお――。
まさか――。
全身が震える。魂が粉々に砕け散りそうになる。
恐ろしい――ただひたすらに恐ろしい。
誰かと通じていないか、警戒していたつもりだった。ニッカに危害を加えないか、目を見張っていたつもりだった。
まさかこんなかたちで――想像しうる限り最悪のかたちで、ニッカを奪われた――。
こころだけは、想いだけは、絶対にほかのものに向けられると想定していなかった。しかもその相手が、シャンディの娘であるなど、誰が想像できる?
凄まじい頭痛が頭蓋の裏で爆ぜていた。おびただしい憎悪が魂の奥底で渦巻いていた。
頭のなかで声が反響する――ニッカを奪い返せ。
なんとしても、タルトにだけは渡したくない。
魂を掻き集めた。ニッカに直接薬を服ませた。躊躇していられなかった。
ニッカはすぐに火が付いた。口淫するにまで昂ぶった。だが、ニッカは強情だった。
さらに粉薬を追加した。高純度エーテルで惑わせた。無理やり交わった。
二度目はずいぶん馴染んでいた。薬によるニッカの痴態も相まって、射精するに至った。精魔法は使わなかった。
孕ませるつもりだった。ニッカになんと思われようと、強硬手段に出るしかなかった。
その周以降、ニッカには不審がられた。頑として応じなくなった。説得の際に預けた有用性評価証を提出すると脅された。ニッカが自分を廃棄処分にできるわけがないのは自明だった。
それがまた、タルトに負けた気にさせた。分別を失わせた。
頭痛が決壊した。憎悪が氾濫した。
食事に薬を混入させるよう、メグに命じた。メグは遅疑した。薬を嗅がせた。メグは従った。
メグが食事当番のたびに、ニッカは身体を許すようになった。ニッカのなかの形は、適合するようになった。隙あらば避妊もせずに、膣内に胤を放出した。
ニッカからは、自分の匂いがするようになった。自分からは、ニッカの匂いがするようになった。
だが、それまでだった。ただしとねを共にするだけの相手だった。薬で焚き付けられた情欲を発散するだけの相手に過ぎなかった。
講義で花を売っていた客と扱いはおなじだった。ますますみじめになった。
以前は魂まで融け合い、還元し合うようなまぐわいだった。何度肌を重ねても、その体験は取り戻せなかった。魂が乖離している証明だった。
もはや薬がなければ、ニッカの身体さえ繋ぎとめられなかった。そしてその薬こそが、エルカイの血銘によるもので――。
いつしか、タルトの態度が変わったことを察した。どこかよそよそしくなっていた。
探りを入れてみた。どうやら姦通に気付いているらしかった。覗いているのかもしれない。
ニッカの部屋を調べみた。大当たり――寝台の反対側の壁、塗装が剥げているところに、名前が刻んであった。衝動的に焼き潰しそうになったが、そのままにしておいた。
妙にひっかかる――普通なら抗議するだろう。なにも言わなかったのは、泳がされているのだろう。
やはりなにか目的があるに違いない。
いいだろう。見せつけてやろう。
ニッカに髪を切らせよう。過去を蘇らせよう。再臨させよう。かつて自分のものだったニッカを。在りし周のかがよう地平線を。
その通りにした。手が震えない新月のときに、自ら。地平線のきらめきが顕現した。
頭痛はとめどなかった。憎悪は留まるところを知らなかった。
覗き返してやろう。タルトの目論見を暴いてやろう。お粗末な情事を嘲笑ってやろう。
第四象限。塔の壁面を降りた。タルトの部屋の窓の隅に外側から、唾液で薄めた血で名前を鏡写しに綴った。風化しないように樹脂で封をした。ほとんど透明なので、目を凝らしてもわからない。ニッカの部屋にも同様の処置を施した。
覗くのは、いつもニッカと交わる周を選んだ。
いつも以上にニッカに執拗に愛撫して、焦らしに焦らした。タルトの視線を意識した。ニッカの方から催促するほど出来上がってくると、退出した。
自室からでは遠すぎ、識魔法は届かない。メグの部屋に行く。メグに薬を嗅がせる。メグが口淫しようとするが、断る。集中したい。
ニッカの部屋を覗く。ニッカは自慰をしている。羊皮紙かなにかを握りしめている。ニッカが達する。
まぶしい――今すぐ取って返したくなる。
見守り続ける。ニッカが達する。二回目。五回目。九回目。
おや――どれだけ待っても、タルトがやってくる気配はない。
タルトの部屋の名前に繋ぐ。愕然とする。
白い矮躯がもつれ合っている。こども同士がまぐわっている。
おお――。
タルトとハート。シャンディの娘と、自分の娘。悪夢のような光景。
ふざけるな。
頭痛が共鳴した。憎悪に共感した。
一時的にでも、自分からニッカを奪っておいて、ほかの角なしにも不義を働いているなど――。
許せなかった。たかが角が生えただけでつけあがった角ありのこども特有の、度量も器量もなく責任も取れず始末もつけられないくせに、角なしを思いのままにできると過信している傲慢さに、自分とニッカの仲を切り裂かれていた。
ニッカはタルトを愛していると言った。タルトは、本気でニッカを愛しているわけではなかった。ニッカはたぶらかされていた。
受け入れられなかった。みじめで仕方なかった。なにもかもを賭した結果、自分の愛するものの想いさえ踏みにじられていた。
ニッカの気持ちを確かめたかった。確かめねばならなかった。
ニッカは頭が固い。一度決めたことは曲げようとしない。たとえそれがニッカの願いに反するものだとしても。
ニッカは偽らない。ティファレトがそうであったように。事実を歪曲させずに、真実を覆い隠すことができる。
半端な手段で、ニッカの本心を暴くことはできない。
声が囁く――真意を知れ。手段を選ぶな。
注射針を用意した。分量を計算した。薬液を火で炙った。
メグに差し出させた顧客名簿を開いた。ニッカを頻繁に買っていた角ありども三人と会う約束をした――新型細菌に対する抗生剤、衛生度の向上にご協力を、相当額の手当が出る、云々。
一本目の薬液を注射した。角ありはぶっ飛んだ。第二一八塔の上層まで。意識は取り戻した。言語能力に障害をきたした。自分が誰かもわからなくなっていた。だがまだかろうじてシシだった。
二本目の薬液を注射した。角ありはぶっ飛んだ。鉄の空の向こう側まで。帰って来ることはなかった。心肺停止していた。失敗、失敗。
三本目の薬液を注射した。角ありはぶっ飛んだ。宙を飛び続けた。完全に言語能力を失った。羊の国へようこそ。
羊化エーテルは完成した。悩みに悩んだ。決断には勇気が要った。憎悪の助けを借りた。
ニッカに羊化エーテルを投与した。交尾をしながら、告白か服従かをした。
「では、質問です。わたしと交わるのは、何番目にいいですか?」
「はーっ♥ はーっ♥ ふーっ♥ はっ、はっ、いちばっ♥ いちばんっ、じょうずだよおっ♥ お゛っ♥ ぅはああっ♥♥ そこっ♥ そこおっ♥ イッう♥ ――っ♥♥ ――っ♥♥♥」
「どうして?」
「らってえっ♥ あいしょうっ♥ よすぎるもんっ♥ ぴったりっ、すぎるもんっ♥ イッ♥ よわいとこっ♥ ぜんぶっ、しられちゃってるもんっ♥♥」
「点数をつけるなら、何点ですか、先生?」
「ひゃくてんっ♥ ひゃくてんにっ、きまってる、よおっ♥ まんてんのっ、ぼくせんようのっ♥ おちんちんだよおっ♥♥ あ゛ーッ!?♥ あ゛ーッ♥ まら゛ッ♥ そんなッ♥ とこっ♥ ぅっひぃっ♥♥」ニッカが白いおとがいを反らす。赤い舌を突き出す。
一瞬、あの製造室の光景を幻視する。すぐに消散する。
かつてない密着感。気を抜けば精を放ってしまいそうな昂揚。ニッカのあられもない乱れ方に当てられている。
「まだ、わたしのことは、愛していますか」
「あ゛ッ♥ っ♥ っ♥♥ すごっ♥ すごおぉいっ♥♥ すごいのっ♥ くるっ♥ くるっ♥ くっふぅうぅぅぅぅう――っ♥♥♥ ぁはあああ……♥♥ またぁ……♥ いっひゃ、たぁ……♥ いっひゃった、のにぃ……っ♥ ぃひィ……っ♥ ぜんぜん……っ♥ おさまんな……っ♥ はー……っ♥ はー……っ♥ こわれる……っ♥ あたま……っ♥ こわれるううぅ……っ♥」
「ニッカ? よがってばかりいないで、ちゃんと聞かせてくださいな。わたしのこと、愛してますか?」すがるように囁く。
朦朧としたニッカのいらえ。「ん……っ♥ ん……っ♥ しゅきぃ……♥ んっ♥ しゅき、だよう……♥ んっ♥♥ だい、しゅき……♥ おねえ、ちゃ……♥♥ あいして、る……おねえちゃぁん……♥♥♥」
ああ、やはり――。
胸が熱くなる。ようやく訊きだせた自分への想い。
愛おしい――愛おしくてたまらない。今度こそ救われたという安堵に満たされる。
ニッカのこころの奥底で、自分は真に求められている。今のニッカの頭には、自分のことしかない。やっとエルカイの影を追い払えた――。
最後の救済の是非を問う。「それでは、最後の質問です。タルトとわたし、どちらのほうが、愛していますか?」期待を込めて返事を待つ。
うわ言のような呟きで返ってくる。「……タル、トぉ……♥♥」それは地平線を打ち砕く名前。
ニッカが寝台から抜け出す気配があった。部屋のすぐ外で話し声がした。相手は、タルト。
ふたりが食堂に移動した。識魔法を励起した。会話を盗聴した。
ニッカがアーリィライトの血の秘密を打ち明けていた。なにものにも知られてはならぬはずの、自分たちの関係性を。
ニッカは自分のことを家族として、きょうだいとして好いていると告げた。つがいにはなれないと付け加えた。
ニッカはタルトのことを根の国で一番愛していると断言した。タルトのものになるとも。
もう、逃げ場はなかった。頑なに信じまいと目を逸らし続けていた現実を突きつけられていた。
所詮――ニッカの肉体が自分の与えた快楽を覚えていただけだった。気持ちは離れていた。愛は忘れられていた。指輪はまやかしになっていた。
組合化したことで、ニッカの貞操感が歪められていただけに過ぎなかった。薬で短絡化させた結論だった。
交尾でどれだけ悦ばせても想いだけは取り返せない――自分はさぞかし滑稽に見えるだろう。
そんな自分を嘲笑うごとく、タルトが治療という名目の密通に参加したいと申し出た。
意味がわからなかった。理解できなかった。
奪えるものなら奪ってみろ、なにをやっても無駄だとでも虚仮にされている気分だった。
足元に虚無がくつろげていた。たゆたっていた。
ふと直感――ニッカのこころを繋ぎとめていられるなにかがある。
はっとする――細菌と、文化か。
細菌は言語だった。細菌は思想だった。細菌は魂だった。
細菌は多様性を欲している。細菌はシシの生殖を握っている。つがう相手を、細菌が選んでいてもおかしくはない。
感情に作用する細菌がいてもおかしくはない。
聖母の血は文化を保存する。文化と細菌は抑制均衡の関係にある。
文化の選択性は、細菌の選択性の裏返しになる。
足し算か引き算かの差。自由度は劣るが、疑似的に任意の細菌叢は再現できる。
優性シシ開発計画。半先天的回路。
声が肯定する――ぼくならそうする。
ティファレトは知っていた。そのためにシャンディにこどもをつくらせ、改造させたのか。いかにもティファレト的な、まわりくどいやりくち。
ニッカは水銀灯を持たない。細菌を殺せない。細菌に蝕まれている。思想を汚染されている。
そうでなければ、あんな小娘にこころを奪われるはずがない。そのいやちこなる魂を捧げるはずがない。
頭痛を凌駕する。憎悪と同化する。
いいだろう。受けて立とう。
滅菌してやろう。高純度エーテルを常用していればいずれ細菌は消しきれるだろう。ニッカは星の恒常性を持つ。ニッカは羊にはならない。ニッカはニッカであり続ける。
目的を思い出そう。ニッカの気持ちがもう二度と手に入らないのは覚悟していた。塔をくべる第六天魔法――それさえ叶えられれば、どうでもいい。
タルトを壊してやろう。シャンディ、あるいはティファレトにとっては最後のおもちゃ。最後の一手。タルトの背後で糸を引いているものどもすべてを引きずり出し、陽の下に晒し、焼き焦がしてやろう。
遠慮はなくなった。ニッカの治療と、気管工事の完了に仮託して、ニッカを自室に住まわせた。注射を打ちまくった。ニッカは羊のようにさかりまくった。
ひっきりなしに、時間を選ばず、ニッカとの情交に明け暮れた。避妊もせず、ありったけの胤を注ぎまくった。一周に、何回も、何十回も。
一三〇月間の虚無を埋めるように求めた。一三〇月間の憎しみを排泄するようにまぐわった。
ニッカの膣内がますます適合するようになってくると、回数は加速した。薬で口内粘膜や舌まで鋭敏になったのか、ニッカのほうからくちづけまでねだるようになった。
より濃厚な交接をするようになった。本格的な種付けをした。ニッカの胎内では常に自分の胤が泳いでいた。
ニッカは徐々に、平時から理性と判断力を失いつつあった。過去と現在の区別がつかなくなっていた。羊然としはじめた。
時折、自分と愛し合っていた頃に戻っていた。殺菌されかけているのだと信じた。信じるしかなかった。そうでなければ、自分がやっていることは――。
我に返りかけた。なんとか封じ込めた。今、正気に戻るわけにはいかなかった。
頭痛と憎悪は猛威を振るっていた。満月になると、酒も効かなかった。記憶が飛ぶことさえあったが、意識が混濁していても、ニッカと交尾した形跡はあった。
ニッカに注射を打つたびに、五感が薄れていった。手足が痺れるようになった。寒気を覚えるようになった。感覚と認識が懸隔していった。
メグにサイマトで薬をせがまれるようになった。存在を失念していた。メグの扱いはぞんざいになっていた。もうメグは必要なかった。
相手をしている暇はなかったので、適当に薬を渡して、養護室の双子をけしかけておいた。メグからの連絡は止んだ。
タルトは本当に、凌辱されるために通うようになった。タルトにも粉薬を嗅がせた。憎悪をぶつけるように犯しまくった。脳と細菌を破壊するつもりだった。
タルトはしぶとかった。聖母の血は薬に耐性があるらしい。半先天性回路のせいか、肉体は頑丈で、猟民顔負けの血液量と造血速度を有しているらしい。
タルトは諦めなかった。どれだけニッカの淫猥な姿を見せつけようとも屈しなかった。どれだけ言葉と行為で辱めようとも逃げなかった。
タルトは、ニッカと自分の交尾をすぐ側で眺めつづけた。
次第に薄ら寒くなってきた。ただひたすらに不気味だった。
なぜ諦めない――なぜなにも言わない。
タルトの見透かすような水晶の瞳が恐ろしかった。シャンディのダイヤの虹彩よりもずっと澄んでいた。対流する蒼い血に飲み込まれそうだった。
だんだんわかってきた。高純度エーテル――おそらくタルトの血から精製したもの。
水晶の眼球は、ダイヤモンドより文化を血中に取り込む。尋常ならざる回復力も、高純度エーテルを精製するために最適化されたもの。
やはりただのこどもではないらしい。化けの皮を剥ぐにはもう少し負荷をかけてみる必要があるらしい。
焦慮が募った。ニッカは一向に孕まなかった。エーテルで月の時期は完璧なはずだった。
導出される仮説――エーテルがもたらす新月では、排卵しない。
あるいは、ニッカの体質に由来するものか。ニッカは生殖を細菌に依存しない。特異な妊孕性を持つのかもしれない。
なんらかの手段で、排卵を促さねばならない。
キューリィに相談することにした。キューリィは遊牧民の出身だった。
「すみません、こちらにあまり顔を出せなくて」申し訳なさそうにしておく。「室長失格ですね」結晶検疫室の応接用の席。
キューリィが肩をすくめる。「なに言ってるんですか、気管工事がこんな異例の早さで進展できてるのは、室長があちこちで根回ししてくれてるからでしょ」燐寸を擦る。大麻の香りが広がる。煙が排気口に吸い込まれる。
椅子を勧める。林檎酒を注いでやる。第四象限の半ば。ひとけはない。
キューリィに会うのは五周ぶりだった。計画当初にあれこれ手配して以来、塔の業務にはほとんど関わっていなかった。
上昇志向と責任感の強いものばかりを集めておいたので、放っておいても計画は滞りなかった。
自分は調整に奔走していることになっている。だが、勘付きはじめた室員もいる。
蹴落とそうという動きもあるらしい。室長の椅子は黄金でできていると思っているらしい。キューリィもそのひとり。
それでいい。気管さえ完成すれば席などいらない。どうせすべて灰になる。灰にする。
「それで、相談ってなんです? あァ、火力時計の件なら、試運転は一〇周後に調整してますけど――」
「いえ、相談したいのは羊の繁殖についてです」
ルビーの眼光が鋭くなる。「……ずいぶん踏み込みますね」ただ事ではないという顔。警戒されている。
効果的な一言を突き付ける。「――シシの胤」
途端にキューリィが硬直する。灰が落ちる。
よし、よし。「猟民でしたから、ある程度は聞きかじっていますが、より羊に知悉している方のご見解をいただきたくて」
キューリィがゆっくり首を巡らせる。ほかのものはみな引き払っている。
降参だと言いたげにキューリィが煙を吐き出す。「……なにを訊きたいんです?」
「羊に子を孕ませる秘訣のようなものがあれば、教えていただきたいのです」
言葉を選ぶキューリィ。「……遊牧民は、大量の羊を扱ってます。経費がかさむので、羊一匹々々の月の調整なんかしてられません」
「かと言って、羊一匹々々の月の管理もできないでしょう」
「まさにその通り」キューリィが次の大麻を取り出す。
回路を励起。火を点けてやる。
キューリィが物珍しげに回路を眺める。「角なしや、角あり同士が寝食を共にしていると、月が同調しますよね。羊も、一緒なんです。狭い小屋にいっぺんにぶち込んでおくだけで、個体の成長具合とか体調に関わらず、時期が来れば勝手に全体で発情してくれるんです」共犯者の視線――便利なものでしょ?
「たとえば、ある特定の羊を排卵させたければ、その集団のなかに加えればよいということですか」
「ですね。集団が真っ盛りの時期なら、どんな枯れた羊も一時間と経たずに同調して盛りだしますよ」
「それは……シシでも効果があるのでしょうか」
「あー……、そういうことですか」ややあってキューリィが頭を掻く。「羊風呂って言うんですけど。表向きは不妊治療ってことで、あります。代謝が促されるので、菌由来の病気にも効くとか」
「表向き?」
「まァ、娯楽の側面が強いですね。楽しいと言えば楽しいです。最初は抵抗ありますし、角ありは際限なく搾り取られるので、下手すると廃棄処分ですけど。試してみますか? うちでもできますよ」
「お願いできますか」
キューリィが頷く。「室長にも意中のお相手がいたんですね」貸しをつくってやったという笑み。
なかなかの収穫。羊風呂ならばニッカとタルト、ふたつの問題に対する一手になるだろう。
キューリィが去り際にたずねる。「そういえば、室長が例の解析依頼出してたのって、どこでしたっけ?」
「……養護室ですが、なにか?」
「いえ、度忘れしてたので、ただの確認です。では」追撃させじとキューリィがさっさと出て行く。
キューリィは洞察力がある。処世に長けている。だが、ごまかしは見え透いている。
キューリィの名前は、顧客名簿の下の方に載っている。もうそろそろ、入れ替えてもいい頃だろう。
羊風呂からニッカを引き揚げた。背負った。粘液が髪にまとわりついてきた。ニッカは放心していた。
堀のなかで羊がひしめいていた。タルトに群がっていた。搾精しまくっていた。饐えた臭気でむせそうになった。
羊小屋をあとにした。精肉室の室員――フラスカとすれ違った。フラスカからは交尾の残り香がした。
タルトはどうしたのかとたずねられた。堀に落ちたと返した。自分は脚が悪いので、助けられなかったとも。
フラスカが真っ青になった。羊小屋に駆け出した。
農場内の邸宅に向かった。キューリィに出迎えられた。キューリィからは交尾の残り香がした。
豪奢な客室に案内された。浴室付き。防音仕様。甘ったるい香。脇机には避妊具と張り型と丁子油を完備。
どうぞごゆっくりとキューリィが微笑んだ。言わせておいた。
ニッカを湯浴みさせた。体液を洗い流した。隅々まで。膣内の精液も指で掻きだした。精魔法も抜かりなく励起。
「んっ♥ んっ♥ んっ♥」ニッカはされるがままになっていた。肢体は燃えるように熱かった。
ニッカを寝台に横たわらせた。股を開かせた。覆いかぶさった。陽根を挿入した。
「おはぁぁぁああぁあ……っ♥♥♥」歓喜の吐息が耳にかかった。
ニッカのなかはとろけきっていた。熟れきっていた。存分に耕され、かつてないほど播種を待ち望んでいた。
極上の心地だった。粘膜同士が癒着するかと思った。
だがニッカを抱いている気はしなかった。ニッカは意識がなかった。理性がなかった。魂がなかった。
肉同然だった。羊だった。
それでも数えきれないほど精を放った。一滴もこぼさずにニッカの胎に収めた。ひどい頭痛がしていた。
ニッカの火照りは鎮まらなかった。さかりっぱなしだった。ニッカが子を宿した気配はなかった。
たぶん、身籠ることはないだろうという予感があった。すべての前提が瓦解していた。
ニッカはシシではない。羊でもない。ニッカは完成されている。種としての終着点にいる。
ニッカは恒常性を持つ。懐妊とは変節だ。恒常性は必要のない変節を寄せつけない。
一度、子を成せたのは奇跡かもしれなかった。ハートはニッカに必要とされたから、生を許されたのかもしれなかった。
ハート――そうだ。
ハートがいる。
特異点たる地平線から這いずり出てきたもの。生き残った方。星の子。
ハートもまた、凡庸なシシではないはずだった。
こどもで、角がない割には魔法に熟達していた。才幹もある。ティファレトを思わせる。
農場に忍び込んだハートを目にして閃いた。
声が同意した――使えるかもしれない。
もとよりアーリィライトの娘だ。ニッカとおなじ存在ができるまで孕ませまくるのもいいかもしれない。
頭痛は膨張し続けた。憎悪は増殖し続けた。
当て擦りのようなものだとは理解していた。ハートに利用価値がある確証もなかった。憎悪の隷属に成り下がっていた。
農場から戻ってくるなり、実行に移した。
理由をつけてタルトを追い出してもよかったが、警戒されていた。せっかくなので見せつけてやることにした。戸棚に監禁した。
ニッカが大事にしていた羊皮紙のお守りを持ちだした。密かに処分してやろうと思っていたものだった。ニッカは肌身離さず持っていた。
お守りを壁に張った。一瞬、あの製造室に連れ戻された。
ハートには敬慕されていた。適当な言い訳でたやすく言いくるめられた。
薬を服ませて強姦した。最初は歯向かわれたが、すぐに喘ぎはじめた。薬がよく効いていた。
ハートの性器は狭く、凄まじい摩擦を生み出した。味わったことのない適合感だった。腰が溶けそうだった。
相性がよかった。親子だかららしい。ハートもよく感じていた。かつてのニッカを彷彿とさせた。
何度か膣内射精した。胤は付かなかったが、薬はたっぷり粘膜に塗りこんだ。中毒化させた。
去勢痕は醜いものだった。見ていられなかった。悪心がした。
タルトとハートを解放する。壁に留めていた羊皮紙を外す。
記された名前――タルト・マーキュラ・エアライデン。
その名を認識するたびに頭痛が加速する。憎悪が拡大する。
回路を励起。指先に火を灯す。羊皮紙を炙る。わずかに焦げる。
首をかしげる。燃え切らない。血のせいかもしれない。
火力を上げようとする。メグがやってくる。薬をせがまれる。
会話をしているうちに憎悪が降り積もる。ニッカの目の前で犯す。ニッカの性器を舐めさせる。尿を飲ませる。ハートの食事にも薬を混ぜるよう指示する。
メグに薬を持たせる。追い出す。ニッカの隣に座る。
回路を励起。お守りを火にくべる。名前を焼却する。白煙が立ち昇る。角がひりつく。
火を見つめる。見つめ続ける。断面が見えてくる。それは虚無のかたちをしている。
なにをしても報われなかった。気力は失われつつあった。魂が枯れ果てつつあった。憎悪だけは枯渇しなかった。
憎悪だけが絶望を打ち消した。虚無の泉を渡らせた。
憎むのは疲れる。だが憎しみに抗うのは、もっと疲れる。
もう熱は感じなかった。憎悪に支配されていた。
第七陽魔法へ