※この作品はR-18です。

鉄の空   作:伊土 讃阿

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第一名魔法 3

 

 

 

 養護室でもっとも幼いハートと、わたしの相部屋にて。スキュラがナキュラに問いかけます。

 

「次はナキュラちゃんの番ねー。告白か、服従か!」

「んー、告白」

「じゃァねェ、最近やった悪いことは、なァに?」

「ええー、そうだなァ……ニッカせんせのお気にのぱんつ、盗んだこと、かなァ?」

「ちょッ、ほんと!? あとでわたしにも貸してよね!?」

「はァ!? いやに決まってるじゃん! スキュラちゃん絶対ねとんねとんにするじゃん! やだよ! わたしのなんだから!」

「……先生のぱんつなのでは」

 

 寝台の上で、きゃんきゃんと騒ぐ双子に、突っ込むわたし。双子が占有している寝台の持ち主といえば、窓際でひとり、幼いながらも聡明そうな顔立ちをむっつりと不機嫌そうにゆがめ、びっしりまつげに縁どられたぱっちりサファイアの虹彩を、分厚い本に向けたまま。といっても、その艶やかな黒髪を持つ角なしのこども――ハートは、双子がいなくとも黙々と読書にふけっていたはずです。わたしはちらちらと、ハートのほうに目線を飛ばします。

 

 ハートは非常に口数の少ない子でした。室長先生も無口なひとですが、それはおそらく性格からくるもので、ハートからはどちらかといえば素っ気ないのではなく、拒絶している感じ。わたしと喋りたくないから喋らない、そんな印象を受けます。

 

 おなじ部屋で寝泊まりしはじめてもう二月にもなるというのに、まだおはようございますの挨拶さえ交わすことを許してくれません。わたしはどうにかしてハートから「ええ」「いいえ」「わかりましたわ」「そう」「関係ないですわ」以外の言葉を引き出そうとずっと機を窺っていたのですが、いざ声をかけようとしてもまた拒まれるんじゃないかと寸前で怖気づいてしまったりして、その機会は未だに訪れていません。

 

 そこで考えた策が、双子を部屋に呼び、告白か服従かをやろうと提案するというもの。いたずら好きで誰とも分け隔てなく接する双子なら、ハートをも強引に巻き込み、お話するきっかけを作ってくれるだろうと見込んだのです。はたして双子はわたしの提案を承諾し、作戦は今のところ、順調と言えましょう。

 

 ナキュラがわたしにたずねました。

 

「はい、じゃァ、次はタルトの番。告白か、服従か!」

「えと……告白、します」

「じゃァじゃァ、初恋のひとは!?」

 

 ターコイズの虹彩を輝かせ、ナキュラは身を乗り出しました。対するわたしは、首をひねります。

 

「はつ……こい?」

「え……もしかして、知らない? えっとねェ……初めて好きになったひと、みたいな?」

「わたしは――みなさん、好きですけど」

「そういうことじゃなくってさ……あー! なんて説明すればいいんだろ」

「四六時中、ずーっとそのひとのことを考えちゃうぐらい、一番好きなひと、じゃない?」

 

 もどかしそうにごろごろと寝台の上を転がるナキュラに、スキュラが助け船を出します。

 

 問いの意味はなんとなく察せられましたが、逆にわたしは答えに困ってしまいました。養護室のひとたちは誰もわたしをぶったり、閉じ込めたり、無視したり、偶像のように扱ったりしません。みんな優しく、親切にしていただいています。わたしにはとてもじゃありませんがみんなを比べたりできない、それが心情です。

 

 ですが――双子に問われ、思い浮かぶひとがいないといえば、嘘になります。それは、やはりあのひと。わたしの命の恩人。

 

 わたしは、あえてそうすることで何か区切りをつけなければならないような気がして、自然と口にしていました。

 

「……先生、だと思います」

「ええ!? それ、本気ィ? ニッカせんせ、もう三〇〇そこそこじゃん? なーんか違うような……タルトにはまだちょっと早かったかなァ」

 

 スキュラは苦笑い、ナキュラはにたにた笑いをしました。

 

「んでもま、実際、ニッカせんせってもてるからなー、意外と」

「人懐っこいしねェ」

「ひとが好すぎるともいうけど」

「つけこまれやすいんだよねー」

「というより、隙だらけ」

「むしろ無防備?」

「ひとの嗜虐心を引き出すのがうまいからなー、無自覚だけど」

「くすぐったがりだし」

「よくおしり触られてるし」

「お気にのぱんつ盗られるし」

「料理絶対焦がすし」

「おっちょこちょいのくせに、しょっちゅうおねえさんぶりたがって」

「甘やかしたがって」

「でも根は甘えんぼだったりして」

「おとななのに全然しっかりできてなくて」

「泣き虫で」

「堪え性なくて」

「甲斐性なしで」

「押しに弱くて」

「まじめなのに結局流されちゃうとことか」

「あーも、かわいすぎ!」

 

 ふたりしてからかうような口ぶりですが、その実、ふたりとも先生のことが好きで好きでたまらない気持ちがひしひしと伝わってきます。わたしの知らない先生を知っているふたり――どうしてか、わたしの胸のなかに、曰く形容しがたいもやもやした淀みが堆積していきます。

 

「あれー、次、誰だっけ?」

「タルトから、スキュラちゃんにじゃない?」

「あッ、すみません……えっと……告白か、服従か」

「そうだなァ、服従にしよっかなー?」

「えと、じゃァ、その、魔法を、見せてください」

 

 双子に生理が訪れたのは、一〇八のときだったそうです。今は一七〇ぐらいですから、魔法を使えるようになって六〇月は経つ計算になります。六〇月間魔法を学び、どれぐらいのことができるようになるのか、わたしは以前から気になっていたのです。

 

「んー、いいけど、見て面白いものはまだまだ使えないよ?」

「わたしたち、ニッカせんせの教育計画にちっとも従ってないもんね」

「っていうかあれ、文民用だし」

「魔法の練習、してないんですか?」

「してないことはないけどね、わたしたち、猟民になりたいし。っていうか角ありはふつう、みんな猟民に憧れるもんなの。猟民になるつもりなら、あんな甘っちょろいのやってらんないよ」

「では、どうやって……?」

 

 スキュラは片割れに視線を送りました。ナキュラは肩をすくめました。

 

「壁、行く?」

「行きますか。服従しなきゃなんないし」

「壁――ですか?」

「角ありの教室。魔法を学ぶなら、塔に学べ、だよ」

 

 

 

 

 

 

 登る前に舐めきって、と双子に渡された抗菌飴を口のなかで転がしながら、壁を見上げました。天蓋が陽光柱を返し七色にぎらついて、わたしに目をしばたかせます。

 

「これが、壁……」

 

 壁は、塔の最外周にありました。壁自体は一見して何の変哲もない塔の外壁のようですが、異様な点がひとつだけあります。なんと、角ありのこどもたちが何人も、壁を手と足だけを使ってよじ登っているではありませんか。

 

 がりがりと飴をかじるスキュラにたずねました。

 

「あの、みなさん何をしてるんですか」

「壁登りだよ」

「それは見ればわかるんですが……」

 

 ナキュラが持参した皮袋から石膏の粉を一掴みし、両手を擦り合わせました。

 

「魔法を使って登るんだけど、これがなかなか難しくって。でも、猟民に必要とされてる魔法を中心的に鍛えるにはちょうどいいし、周りの角ありの子には一目置かれる。昔から、角ありのこどもの間では定番の遊びなんだって」

「塔の外周だから細菌も多いし、何より危ないから、ニッカせんせはやめろってうるさいけどねェ。ばれると大目玉だし。よォし、じゃ、見ててね」

 

 準備体操を終えたスキュラはねじや亀裂、壁面を這う導管と師管に指をひっかけ、壁にしがみつき、すらりと長い手足を駆使してひょいひょい登っていきます。スキュラはものの四、五分で一階分上に到達し、階層の境界のへりになっているところへ腰掛けて、こちらに向けて手を振りました。わたしはほっと胸を撫で下ろしました。

 

 スキュラの登る速さ、巧みさは、ほかの子たちとは歴然で、なんとなくすごいのは伝わりましたが、派手さはありませんし落ちて大怪我をしてしまわないかと冷や冷やさせられてしまいました。

 

「あの、命綱は使わないんですか? 建設民みたいに。落ちて、万が一打ち所が悪ければ――」

「ま、最初のうちは。んでも登るのに邪魔だし、ここなら慣れたもんだし、使ってると示しがつかないっていうか、ひとつの指標みたいなもんなんだよねェ。最近じゃァ、おちびも縄なしなんだよ、ね?」

 

 ナキュラは同意を求めるように、後ろを振り返りました。一歩離れたところにいるのは、未だに信じられませんが――あのハートです。

 

 ハートはわたしよりも二〇月下ですが双子とおなじく生理は早かったようで、わたしよりも魔法には堪能でした。ただ、ハートの額には角がありません。角ありの魔法教室である壁に、用事はないはずです。あのとき――双子が壁の話を持ち出したとき、わたしはそう決めつけていました。双子のちからを借りてハートとお話をする、わたしのその目論見は脆くも破綻したことを悟り、誘ったとしても首を縦に振ってくれるとは思えない、どうしたものかと思案していたところへ、スキュラがハートに声をかけました。

 

「おちびはどうするー?」

 

 乗るはずがない――乗るはずが。でもわずかな期待を込めながら、おそるおそるハートのほうを見やりました。ハートは三十秒ほどむっつりしたのち、本をぱたんと閉じ、たいそう不服そうな声音で、こう告げたのです。

 

「……行きますわ」

 

 我が耳を疑いました。どういう理屈かわかりませんが――壁の存在はわたしにとって、誤算のなかの嬉しい誤算となりました。

 

 登るために壁を魔法で傷つけたり汚したりしてはいけないとか、経路を頭のなかでしっかり組み立てる必要があるとか、この辺で三階上まで行けるのは双子だけだとか、ナキュラに簡単な解説をしてもらっていると、ハートが壁に手をかけました。スキュラのとき以上にはらはらどきどきしつつ、小さな肢体がよじ登っていくのを目で追います。

 

 ナキュラがわたしの肩をたたきました。

 

「角なしでおちびなのになかなか根性ある子でしょ。おちびに月のものが来てしばらくして、どうしてだか連れてけってしつこくせがまれて。怪我されたらニッカせんせにどやされるし、初めは止めたんだけどね。でもおちび、勉強熱心で魔法に関しちゃわたしより断然博識だし、才能もあるし、今じゃ同い年の角ありよりもうまいんじゃない? 角さえあれば、きっとわたしたちよりよっぽど高いとこまで行けてたはずだよ」

 

 ナキュラの意見通り、スキュラには劣るもののハートの手つきは慣れたもので、迷いがありません。部屋ではいつも読書ばかりで、本にしか興味がないのかと思いきや、ハートの意外と活発な一面には驚かされるばかりです。

 

 わたしは、自分のなかの対抗心にむずむず火がついたことに気づき、自分も挑戦したくなったことをナキュラに伝えました。

 

「タルトはどれぐらい魔法使えるようになった?」

「心魔法の、初歩ぐらいなら」

「え……、はやくない? つい二月前に生理来たばっかだよね? ……まァ、それだけできれば充分でしょ。ハートの隣の経路が初心者用になってるから、そっちでやってみてね。もちろん、縄ありで」

 

 手渡された命綱を腰でくくり、わたしも壁に挑みます。が――ナキュラには初心者用だとは教えられましたものの、憶えたばかりの影魔法や心魔法が通じるはずもなく、壁登りは非常に過酷なものでした。十分と経たないうちにわたしはちからを使い果たし、集中力も途切れ、思うように魔法も制御できず汗みずくとなって足場にへばりついているだけで精一杯でした。なるほど魔法は集中力が肝心で、稽古を積まなければ基礎的な魔法でさえままならないことを思い知らされたのです。

 

 足元からナキュラの笑い声が聞こえます。

 

「あはは、魔法はそこそこできるかと思ったら、体力なさすぎ! もっと運動したほうがいいよー」

「うう、そ、そうします……」

 

 わたしは頭上を仰ぎました。わたしの遥か上方では、ハートが上の階層に手をかけようとしているところでした。

 

 ナキュラから実力を認められているといえど、ハートはそれと見てわかるほど疲弊していました。体格、そして角なしの限界、その両方でしょうか。

 

 ナキュラがぱちぱち拍手を送ります。

 

「おー、あそこまで行ったのは初めてじゃない? わりかし簡単な経路とはいえ、角なしなのに、ほんとよく――」

「あーッ! ナキュラ、何も言わずに出かけたと思ったら、やっぱりここにいた!」

「ぅげッ、ニッカせんせ!? なんでここに――!」

 

 突然の耳慣れた声にびくりと震え、危うく手を離しかけます。下の様子を窺おうとするその前に――視界の隅でずるりと滑り落ちるものがひとつ。ハートが、サイマトの伝達管に足をかけ損ね、体勢を崩してしまったのです。

 

 わたしは息を呑んで、右腕だけで宙ぶらりんになったハートの姿を見守ります。

 

 階下から、なかば悲鳴じみた叫び。

 

「おちび、あぶな――ッ!」

「えッ!? あれ、もしかしてハートとタルト!?」

 

 階上のスキュラがへりの上で移動しはじめます。ハートを上から引き上げるつもりのようです。

 

「おちび、もうちょっと踏ん張って!」

 

 ハートは右手だけで身体を支えながら、左手で掴めそうなものを探っていますが、見当たらない模様。わたしのほうから見ても、目ぼしい凹凸は発見できません。次第にハートの腕が震えてきているがわかります。

 

 やがてスキュラがハートの真上にたどり着き、腕を伸ばします。ハートも腕を持ち上げようとしますが、ふたりの指先が触れるか触れないかというところで、己の体重に耐え切れなくなった指が離れ、ハートの矮躯が重力に引かれ――ぎゅうぅっと心臓が圧縮されるような感覚に襲われます。時間の流れはやたらとゆったりとしたものへ。酸素さえ粘ついているかのよう。

 

 そんななか、わたしは無意識に命綱の歯止めを外して、壁を思い切り蹴っていました。半螺旋を描きながらゆっっっっっっっっっくり降下し、ハートの落下経路と交わるや否や強烈な衝撃で一瞬意識を飛ばされそうになりますが、奇跡的に抱き留めることに成功。同時に歯止めをかけて、腰にかかる二人分の負荷に鋭く声を漏らしつつ急減速――なんとか無傷で着地しました。

 

 全身から冷たい汗が噴き出します。重い疲労に押しつぶされ、わたしはその場にぺたんと座り込みました。まるで魔法を一度に一〇〇回も行使したかのごとき消耗です。

 

 ぜえぜえ肩で息をしていると、ハートがきまりの悪そうな面持ちでわたしの前にしゃがみ込みました。

 

「その……だいじょうぶ、かしら?」

「は……ッ、は……ッ、だい、ひょ、ふ――」

 

 無事を伝えようとして見事に失敗したわたしは、発声することを早々に諦め、一度だけこっくりと頷いて見せました。ハートはますますきまりが悪そうに、そっぽを向き、ぼそぼそ喋りました。

 

「……落ちてもせいぜい骨折ぐらいの高さですし、べつにあんな無茶なことしてくれなくてもよかったのですけれど。一応、礼だけ言っておきますわ。……ありがとう、ございます」

 

 ハートは耳まで真紅に染めていて、その姿がなんだかとてもかわいらしくて、おかしくて。わたしはにやついてしまうのを自制できませんでした。もっとも、それも束の間のことでしたけれども。

 

「――きみたち。自分たちがなにをしでかしたのか、わかってるのかな」

 

 一瞬で笑みが消えます。血液を凍らせる声音でわたしたちを見下ろしていたのは、はたして、かつてお目にかかったことのないほどの怒気を全身から立ち上らせた先生でした。その背後では、ナキュラがあちゃーという顔をしています。

 

「どうしてあんな危ないことしたのかな」

「あー、あのさ、ニッカせんせ、誘ったのはわたしたちで、おちびたちは――」

「スキュラは黙ってなさい」

 

 先生の手前だからでしょうか、縄を使って降りてきたスキュラの主張を、ぴしゃりとはねつける先生。普段の先生からは到底想像できない気迫に、双子も気圧されているご様子。わたしも縮こまりながら、謝罪を口にします。

 

「あ、あの……、先生、ごめんなさい」

「タルト、先生はね、謝ってほしいわけじゃないんだよ。みんなと遊ぶのはいいことだし、きちんと安全帽をかぶって、保護具や命綱つけてくれるんなら、壁登りにも反対したりしない。先生が許せないのは、安全に、普通にできるはずなのに、あえて危険で常識はずれな手段を選ぶこと。自分の身体のこと、全然大切にできてないこと。ふたりとも……ふたりとも、大怪我どころじゃなかったかもしれないんだよ!? ぼくがどれだけ肝をつぶしたかわかる!? もう、絶対ぜえったい、こんな危ないことしないで! わかった?」

「……はい」

「わかったなら、よろしい。今周から一月間の料理当番を命じます。最初だし、それで許したげる」

 

 先生はハートのほうに向きなおりました。ハートは唇を噛んで、うつむいたまま、先生と視線を合わせようとしません。

 

「……ハート。きみは二度目だったね」

「そうですわね」

「一度注意したのに、どうしてやっちゃうのかな」

「あなたのやり方じゃ、いつまで経っても強くなれませんから」

「あのさ、ハート、きみは――」

「あたしは、何ですの? 一生角が生えてくることはない? 猟民にはなれない? あたしの夢が叶うことはない?」

「――ッ! ……ハート、一月間の、料理当番と――」

「掃除当番? 外出禁止? かまいませんわ、あなたがそれで満足するなら。あなたがあたしにそれをしてほしいなら、なんでもやるから、なんでも命じるがいいですわ。でも、忘れないでくださる。あたしはべつに、あなたの許しがほしいと思ったことなんて、一度だってありませんから」

 

 先生はそう吐き捨てたハートとそれ以上言葉を交わすことはなく、養護室に帰るまでの間、曇った先生の顔が晴れることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

「心魔法ですわね」

 

 とんとんとんと小気味よい拍子で包丁でにんじんを刻みながら、ハートが断言しました。

 

 崖登りから戻ってきたのち。ハートわたしは、ご飯の支度をしていました。じゃがいもの皮をむきむきしつつ、わたしは、ハートを助けた時に体験した、時間が引き伸ばされたような珍妙な現象のことを話題にしたのです。

 

 あの出来事から、ハートはわたしに対して二言以上の単語を組み合わせて返事をしてくれるようになりました。不思議なもので、わたしのほうも、委縮することなく自然に話しかけられるようになっていました。

 

「それも、そこそこ高等なものですわね。おとなの猟民ぐらいにしか、使えないんじゃないかしら。当然スキュラやナキュラも、まだ無理なはずですわ」

「でもわたし、あのとき、魔法を使った覚えは……そんな暇も、なかったはずです」

「魔法を発動させるっていうのは、魂を恣意的に制御した結果にすぎませんわ。魔法は通常、自動的であるものなんですから。だってそうでしょう。今この瞬間だってあなたやあたしの心臓は動いているけれど、あなたもあたしも魔法で意識して動かしているわけじゃありませんもの。心臓は死ぬまで止まらないし止められない、そうではなくて? 制御できなくても、出力できるだけの実力さえあれば、魂が必要だと判定した時に必要な魔法が活性されますわ」

「なるほど……ではあの瞬間、わたしの魂が、ハートを助けなくちゃと思ったわけですね」

「そッ――、そういうこと、かしら……」

 

 急にもごもごと口ごもるハート。赤面症なのでしょう、その耳朶は、なぜかまたもやサファイアの虹彩とは対照的な鮮やかな赤へ。そんなハートの横顔に見とれたまま、野菜を刻んでいると――。

 

「痛ッ……」

「あァ、もう、まったく、なにやってるんだか」

 

 ざっくりやってしまったわたしの指を見て、ハートが大きく息を吐き出します。

 

「ほら、お貸しなさい」

「えひゃあ!?」

 

 ハートは包丁を置いて、わたしの手を取り――ぱくり。小さな口で血をしたたらせる指をくわえ、生温かい舌で舐めはじめたのです。

 

「ハ、ハート!? どうして……」

「あなた、精魔法はまだ覚えてないのでしょう。殺菌してあげてるんですから、感謝してほしいものですわ」

「いッ、いいですよ、そんなの……」

「何言ってるんですの。指が腐っても知りませんわよ。それとも何か問題でも?」

「そそそ、そういうわけでは――」

 

 大問題でした。指を吸われながらぷるぷるした瑞々しい唇や、やや不機嫌そうなぱっちりサファイアを眺めていると、わたしはむくむくと昏い欲求が頭をもたげてくるのを感じ、次第に前かがみになってしまいました。ハートは怪訝そうに訊きました。

 

「何ですの、お腹でも痛めましたの?」

「えッ!? えェっとォ……」

「あァもう、もどかしいですわね! もういいですわ、座っててくださる。あたしひとりでやりますから」

 

 歯切れの悪い返答しかできないわたしに愛想を尽かしたのか、さっさと調理を再開するハート。その手際はてきぱきとしたもので、ともすればわたしがいないほうが調理場が広くなり自由に動ける分、効率がよくなったようにも思えます。

 

 怒張が鎮まるまで、と一歩引いたところで、ハートの働きぶりを眺めます。

 

「ハートって、料理、上手なんですね」

「まァそうですわね、得意なほうじゃないかしら」

「魔法も、魔法の勉強も、すごく得意ですよね」

「……何ですの。褒めても何も出ませんわよっ」

 

 ハートは努めて料理に傾注しようとしているようでしたが、その頬は緩み、かわいらしい八重歯が覗いているのをわたしは見逃しませんでした。わたしが想像していたよりもずっと、ハートは表情豊かな子だったようです。

 

「あの。料理とか、魔法の勉強とか、わたしに教えてくれませんか」

「はあ……?」

 

 精魔法自体、実は高度なもので、使えないおとなの角なしも珍しくはありません。ハートぐらいの年の角なしが精魔法を習得しようと思えば、それはもう大変な根気と鍛錬、工夫、何より素質が必要なのです。角なしのなかでも一等秀才なハートに学ぶことができれば――。

 

「なんであたしが、そんなこと――あのひとに、教えてもらってるんでしょう」

「先生のことですか?」

 

 ハートは無言でお鍋に油を引いて野菜とお肉を炒めはじめました。わたしはそれを、肯定と受け取りました。

 

「でも先生は、料理はだめだめですし、魔法のほうは、同年代の子に教えてもらったほうが、いくらかわかりやすい点もあるかなと思ったんです」

 

 ハートは、壁登りに行く前みたいにだんまりを決め込んだままです。気づかぬままになにか機嫌を損ねるようなまねをやらかし、前の関係に戻ってしまったのかと焦りが募ってきます。これ見よがしにハートはため息をこぼしました。

 

「はあ……あなた、見るからに頑固そうですものね。これも自業自得かしら」

 

 お鍋に水を注いで蓋をしてから、ハートがわたしを振り返り、腕を組みます。

 

「あたしは誰かに教えたことなんかありませんから、ちゃんとできるか、保証しませんわよ」

「それってつまり――」

「……教えてもいいってこと! 何度も言わせないでくださるかしら」

「ハート……!」

 

 今周一番、赤面したハートに感極まって、わたしは思わず抱きつきます。ハートはじたばたと暴れ、わたしをひっぺがそうと試みました。

 

「わぷッ!? こらッ、くっつくな! 離しなさいったら、ばかタルト!」

「なになにー? ふたりとも、何話してるの?」

 

 騒ぎを聞きつけた先生が、台所にひょっこり頭を出しました。食事の後、外で個人講義をする予定でもあるのでしょう、化粧を施した先生は、すっかりいつもの優しい先生に戻っていました。そしてハートもまた同様に、いとけない顔からすっと感情を消失させ、わたしをちから強く振りほどいたかと思うと、先生の横を通りぬけて廊下のほうへすたすた歩いていきました。先生はハートを呼び止めました。

 

「ちょっとっ、どこ行くの?」

「……お手洗いも一月禁止だったかしら?」

「……」

 

 ハートは先生に見向きもせず、立ち去りました。先生は目を泳がせて口ごもり、ハートを引きとめることができませんでした。

 

 どことなく、どんよりと重苦しい空気。わたしもいたたまれなくなってきますが、先生は咳払いして、明るく振舞ってみせました。

 

「ずいぶん、あの子と仲良くなってくれたみたいだね」

「はい。料理とか、魔法の勉強とか、教えてもらう約束をしたんです」

「え……ぼくの教え方、そんなにへたっぴだった?」

「あ、いや、そうではなくて! 色んなひとに教わって、はやくみんなに追いつきたくて、それで、それで――」

 

 先生がひどくがっかりしたみたいに肩を落としたのを見て、わたしは慌てふためきます。が、先生は一転してすぐさま破顔しました。

 

「冗談だってば! その心意気はすっごくいいと思うよ! あの子、ぼくよりずっと魔法の才能があるからね、きっといい刺激になるはずだよ。それに、これは個人的な事情だけど……あの子は、ちょーっと気難しくってさ、メグ以外にはなかなかこころを開いてくれないんだあ……ぼくなんかはとことん嫌われちゃってて。だから、あの子と親しくしてくれて――ぼくはほんとに、嬉しいな。ありがとね、タルト」

 

 そのとき、わたしはすっかり誤解していたのです。先生のその屈託のない笑顔をもたらしたのが、わたしがハートと親密になった結果であるのだと。ハートと親密になれば、先生が喜んでくれるのだと。

 

 

 

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