7/9
シシの正体――シシの魂とは、細菌であること。わたしにとってはあまりに壮大で突拍子もなさすぎて、そんな難しいことを突然打ち明けられても、咀嚼できようはずもなければ、論証のしようもなく、その真偽は定かではありませんでした。
でも次いで語られたこと――すなわちわたしの出自に関わることについては、どうあっても聞き流せませんでした。
角ありと角なし、そしてシシがどうやって生まれてくるのかについて、正しい教育を受けたのち、自分の胤親と産親について考えたことは、一、二度ばかりありました。しかし第一〇〇九塔が解体された今となってはもう永久に解き明かされない謎と化したのだとすっかり思いこんでいましたし、わたしは第二一八塔の養護室のシシとして生きていくつもりでしたので、わからないままでいいのだという思いもありました。
よもや――これまで胤親だと思っていたひとが、実は産親だったとは。のみならず、一度はそのひととなりや猟民としての才気に憧憬し、しかし今や憎くてたまらず廃棄処分にさえしようとしたひとが、胤親だったとは。
その点に関しては、角がわたしの血で濡れてしまっても、ミルテさんは生き延びているという動かぬ証拠がありました。さらに、納得のいく実例もありました。
どうやらわたしとハートは、腹違いの姉妹関係になるようです。それならば、わたしとハートの相性のよさも頷けますし、惹かれあっていたのはそういう血だったからなのでしょう。
となれば――ほかのことも本当なのかもしれません。シシと細菌の関係性や、そこから発展した先生の特異体質と、その危険性の話も。そして――先生を壊していた薬の正体が、自分が第一〇〇九塔で毎周エメラルド板に捧げていた血液であったことも。
先生は、細菌を持たないシシでした。先生は花を売り、多数のシシと交わっていました。そのせいで多数の細菌に魂を侵食されつつあり、体内の文化を食い散らかされて、長く生きられないのだそうです。
ミルテさんは、殺菌力が強いと評されていた聖母のエーテルを試すことにしました。まずは粉末化したもの――例の粉薬から。
わたしはくちを差し挟みました。
「殺菌や解熱効果はないと思うって、室長先生は言っていましたが」
「解熱効果はありませんが……、殺菌効果はあります。殺菌剤として使うには……高価すぎ、誰もそういう認識を……持っていないからでしょう」
副作用として発情するのは承知の上だったそうですが、元来起源としていたアーリィライト以外の細菌と交わられてもよくありません。ミルテさんは自分で欲求を発散してもらうために、言い寄ったのでした。姉として、愛し合っていた仲として、ほかのシシで性欲を満たされるのは受け付けなかったという私情もあったかもしれません、とミルテさんは白状しました。
粉薬ではさしたる成果が得られないと判明するや、次はより強力な、聖母のエーテルを加熱した注射へ切り替えましたが、それでも先生のなかの細菌は一向に減少する気配がありませんでした。
やがて先生の身体のほうが、エーテルについていけなくなりました。先生の肉体構造がどれだけ特異で頑健なものであっても、シシにとってエーテルは劇物なのです。それでもミルテさんはあとに引けなかった――いまさら中断できるはずがなかったのでした。
そして導き出した答えが、アーリィライトの血を継ぐ赤子を改造して新たなエーテルを開発し、体内の細菌を文化的に火浣するというもの――わたしにはその意味がさっぱり理解できませんでしたが、要するに、先生にこどもをつくらせ、その子の命を代償に殺菌しようという計画でした。
ミルテさんの行いは間違っています。先生を治すためだとはいえ、先生の気持ちを踏みにじり、壊すだなんて許されざることです。ですが、わたしには弾劾する権利などありませんでした。先生を壊していた薬は――誰でもないわたしの血だったのですから。
その点においても、おそらく真実であるという心当たりはありました。わたしには薬は効きませんでしたし、薬に犯されていた先生やハートは、異様なまでにわたしの体液を摂取したがり、かつ摂取することで、一時的に正気を取り戻していたのです。ミルテさんによれば、わたしの体液と薬は中和し合う性質を持つのだそうです。
それゆえ、わたしと先生の交合は、きっと先生の覚醒の手助けにもなるのだそうです。
先生が目を覚ますため。先生の命のため。だから、これは必要なこと。いかに卑劣で、先生の尊厳を侵害する行為だろうとも、先生を救うために――。ゆえに。
「……わかりました。……わたし、先生と、します――」
「タ、タルトッ!? 本気で、言ってますの……ッ!?」
「……先生にとってそれが必要なら、すべきこと、ですから……」
ハートのおぞましいものを見る視線を感じながら、わたしは、ミルテさんの申し出をやむを得ず了承していたのでした。
いいえ、いいえ、もう、正直に告白しましょう――。
わたしは最低です。わたしは歪んでいます。ねじ曲がっています。
先生を壊していたエーテルの原料がわたしの血であると教えられ、わたしが密かに抱いた感情は――疑いようもなく、昏い昂揚なのでした。
いえ、昂揚どころではありません。恍惚。たしかな恍惚。
自分の身体の一部が、愛するもののなかを駆け巡り、循環する悦び――そんな経験は、たぶん、ミルテさんにだって、ないでしょうから。わたしが唯一、ミルテさんより先生に近づけていた、確固たる証拠でしょうから。
ああ――。
わたしだけが、先生を救済できる。
先生には、わたししかいない。
わたしは、それを証明したかったのです。
地平線に、還元されたかったのです。
ミルテさんとハートが部屋を出て行き、扉が重々しい音を立てて閉まります。
ミルテさんの私室に、先生とふたりきり――以前にも一度だけ、こういう状況がありました。あれはたしか、農場に出かけた前の周です。
すでに色褪せつつある記憶を掘り起こしてみれば、あれが先生と言葉を交わした最後の瞬間でした。実際のところ、たった数周前の出来事のはずなのに、なんだか、もう遠い昔のようにも思えます。
先生の童顔を覗き込みます。ミルテさんが注射による処置を中止し、聖母のエーテルの効力を弱めようとあれこれと手を尽くしていたため、安穏な睡眠を享受しているようにしか見えません。じきに目覚めるでしょうとのことでした。
これから先生とこどもをつくる――それを意識するたびに、喉がからからに乾き、心臓の鼓動が激しくなるあまり、くらくらします。その極度の興奮は、寝ている先生を身勝手に弄ぶ罪悪感を、根の国の遥か彼方まですっかり吹き飛ばしてしまっていました。
震える指で先生の衣装の裾を持ち上げていきます。輝かんばかりに生っ白く、瑞々しさと、むちむちした肉感を備えた太ももが露わになり、こんもり盛り上がった丘のさっくりと縦に割れた柔肉が現れるや、わたしはほとんど息が詰まりそうになっていました。
誘われるようにしてそこに顔を近づけ、表面を撫でるぐらいの感覚で、くちづけます。すこしひんやりしていて、ほのかに石鹸が香ります。
わたしはたっぷり唾液を乗せた舌を伸ばし、先生の恥丘を濡らしました。舌先で陰唇を上へ下へと掻き分け、丹念に体液をすりこんでいきます。
いつもよりずっと優しく、ずっとゆっくり、想いを込めて、熱を注ぐように。
ぺちゃぺちゃ音を立てて先生の性器を舐めまわしていると、やがて味蕾が先生の味を捕らえはじめ、わたしの唾の臭気に先生の匂いが混じってきました。
意識がなくとも先生を感じさせられていることに気をよくしたわたしは、荒野で干からびた羊よろしく、奥から滴る先生の蜜を舌でほじくるように掻きだしました。吸えば吸うほどに愛液は濃度を増し、量は増え、わたしの顎をぬらつかせて糸を引きました。
それに呼応して、頬に触れていた先生の太もももじっとり湿り、熱を帯びて、温められた汗と石鹸と角なしの馥郁たる芳香が立ち昇ってはわたしの肺に染み渡っていきます。
いつしか充血し、陰唇の周辺が薄紅色にほんのり色づきはじめた頃、くっと先生の腰が持ち上がって小さく痙攣してみせました。もはや数えきれないほど目にした、先生が軽く気をやったときの反応です。
じわりと温かな愛おしさが胸を満たしていくのを実感しながら、わたしは、それを聞きました。
「ん……ん……、ぃだっ……あたま、いた……」
わたしははっとして視線を上げました。さぞかし眩しそうにぎゅっときつく瞼を閉じる先生の顔を、見つめました。
「……先生?」
「あ、おねえちゃんだ……おはよ……ふぁあ」
先生はうっすら片目を開けると、おおきな欠伸を披露しました。
「ごめん……、ねちゃってたぁ……。おねえちゃん……いま、かえってきたの……? 今周の狩りはぁ、たいへんだったんだねぇ……」
うつらうつら間延びした声で寝ぼけている先生。
「もぉ……、おねえちゃんたら、ねてる妹の身体に……いたずらして、甘えてたんだぁ……?♥」
「あ、す、すみません、これは、その――」
慌てて身を起こそうとすると、先生に抱き留められました。
「んふっ、いーよ……♥ ぼくのからだは、おねえちゃんのものだから……すきにしてって、いつもいってるでしょ♥ おねえちゃんも今周は、おそくまでおしごとして、つかれただろうし……ぼくがいっぱい、あまやかしたげる……♥ ふぁあ」
大欠伸を連発しつつ、先生が火照った肌を押し付け、脚を絡めてきます。
「ごめん、なんか、すっごい、ねむくてぇ……でも、たまには、こーやって、うとうとしながら、だらだら、いちゃいちゃ、するのも、いーよね……♥」
とろけきり、甘えきった、先生のささめき。
どうやら先生は完全には覚醒していないのか、わたしをミルテさんと勘違いしている上に、記憶も錯乱している様子でした。
おそらく、まだミルテさんとかりそめのつがいであった時分――なんの軋轢も苦悩もなく、先生がもっともしあわせであった一瞬の、儚すぎる再現。
ごそごそと先生が服を脱ぎ、わたしも脱がされ、毛布のなかで、素肌同士を重ねあわせます。全身の肌が擦りあわさり、互いの体温でじわじわと高まりあって、滲んだふたり分の汗で陽根がぬめり、収まるべくして収まったかの如く、にゅるりと自然に先生のなかへ侵入を果たします。
「ん、ふ……♥ はいっちゃった、ね……♥」
挿入しても腰を打ち付けるのではなく、ちょっとした身じろぎだけで粘膜を押し広げ、あるいは包み込んで、相手のぬくもりと感触を味わう、甘々とまどろむような緩慢な交合。
「ん……♥ はぁ……♥ ふわふわ、して……♥ ぽかぽか、して……♥ きもちいーね……♥」
「は、い……っ、とけちゃい、そうです……っ、ん、ちゅ」
舌をもつれさせあい、上の口でも甘い唾液と熱い吐息を交換しながら、さらに手足を絡ませ、深く深く繋がります。毛布のなかは異様な甘ったるい熱気が充填されていて、かといって不快でもなく、心身に心地よい気だるさを提供していました。
「ちゅぅ……っ♥ ちゅる……っ♥ んむ……っ♥」
そんななか、舌を吸い出され、甘噛みされ、唇で食まれたりすれば、理性が正常に機能しようはずもありませんでした。先生のまどろみが感染したみたいにわたしまで朦朧としてきて、本当に脳髄までどろどろに溶解しているようなめくるめく錯覚に見舞われます。
「ん……っ♥ すき……っ♥ しゅきぃ……っ♥」
あらゆる思考を取り払われて、剥き出しになったこころで先生が想いを溢れさせます。それが呼び水となって、わたしも加速度的に気持ちを募らせ――。
「は……っ、は、わたし、も……っ、すき、です……っ、せんせ、せんせえ……っ、あいして、ます……っ」
「んぅ……っ♥ だいすきぃ……っ♥ あいしてる……っ♥ おねえちゃぁん……っ♥」
「……っ!」
その先生の求める名を耳にして、茹っていたわたしのこころが軋みをあげます。
先生は、ミルテさんとは真にこころを通わせていました。先生のなかのミルテさんは、聖母のエーテルにも打ち負けることなく、先生の根底に根付いていたのでした。わたしとの記憶など、かけらも残っていないのに。
だから、わたしは――このままミルテさんを投影されつづけるよりありませんでした。そうでなければこの偽りの瞬間からさえ、永久に追放されるでしょう。
わたしには先生しかいないから――にせものの交尾でしか、自分の存在意義を証明できないから。この刹那の否定は、絶対的な自己否定にほかなりません。
己の証を立てるために、己を殺す。今までずっとずっとハートがやり遂げてきたこと。それが、こんなにも、こんなにも――でも、やるしかない。
偽りでいい。嘘っぱちでいい。誰にも知られなくとも、先生のなかにわたしの魂の残滓が刻まれたことを、わたしが知っていれば。魔法の、ように。
「先生……、わたしのこども、産んで、ほしいです」
「ぁ……♥」
肉茎の先端をぐいぐい押し付け、存在感を主張させつつ、わたしは吐露しました。ただでさえとろんとしていた先生の表情が、ますます緩みます。
「うん……♥ いーよ……、産んだげる……♥ んーん、産ませて、ください……♥ おねえちゃんのあかちゃん、いっぱいいっぱい、産みたいです……♥」
言葉にしたからか、どろどろにほぐれていた膣肉が、子種を貪らんとぞわぞわ蠢動し、剛直にしゃぶりついてきました。より鮮明にわたしの形状を感じ取ったのか、先生の熱っぽい溜息がこぼれます。
より密着度を増そうと、先生がわたしの首にかじりつき、頭皮に鼻を擦りつけてきました。
「んっ、んんっ♥ はぁあぁ……♥ ね……、おねえちゃんは何人ほしい?♥ あ、ぼくたちのこどもだから、ふたごになるのかな……♥」
「……かも、しれないです」
耳朶を打つ、温柔な想いの連なり。
「んふ……♥ おねえちゃんのこどもは、きっとたいへんだ……♥ おねえちゃんぐらい、すてきなひとなんていないから、なかなか親離れできないかも、ね……♥」
「……」
あったとしてもおかしくはなかった、夢。
「おねえちゃんのこと……、本気になっちゃう子もいたりして♥ あっ♥ あんっ♥ えへ……♥ こーふん、した?♥ おねえちゃん、ぼくのなかで、すっごいびくびくしてる……♥ だぁめだよ♥ 絶対、ぜえったい、だぁめ……♥ こどもに手を出すなんて、ゆるさないんだから……♥ おいたしないように、ぼくが、こうやってつかまえとくんだから……♥」
「……っ」
先生が、本当に本当に、ほしかったはずのもの。
「ね……♥ おねえちゃんの、ぱんぱんに、なってきたね……♥ でる……?♥ ね、でる……?♥ いいよ、いっぱいだして……♥ こゆぅい、こだね……♥ ぼくのいっちばん奥に、たねつけ、して?♥ ぼくが、おねえちゃんのものだって、みんなにわかるように……、はらませて?♥ だれにもわたさないように、だれのとこにもいかないように――」
ミルテさんと先生の匂いが染みついた寝台で、さしずめ完全に受精を受け入れた角なし然として、先生はわたしに秘められるべきすべてを曝け出し、許し、わたしはそれを欺瞞と我執によって利用し、侵略し、ふたりだけの結晶を、完膚なきまでに破壊し尽くしたのでした――。
「んううぅん……っ♥ あっつ……♥ すっごい、びゅーびゅー♥♥ でてるね……♥ あんっ♥ おねえちゃん♥ ぼくの、おなかのなかで、びちびち、はねまわってる……♥ んふっ♥ ぶるぶるふるえて、たいへんそうだぁ……♥ よしよし♥ がんばって、いっぱい、いーっぱい、ぴゅるぴゅる♥ してね……♥」
「――っ! ――っ! ――っ!」
歯の根も合わぬほどの激しすぎる射精を幇助するように、先生がわたしの背や腰を優しく撫でまわしてくれます。性感の頂の真っただなかにもかかわらず、その行為にかえって情欲は煽られ、精液の量と勢いは倍旧に増してしまいます。
「ぅはぁああ……♥ すっごい、たくさん……♥ ぼくのなか……♥ たぷたぷになっちゃってる……♥ あはっ♥ まだでるんだぁ……♥」
引き伸ばされた射精は、やがて先生にも作用しました。
「んっ♥ ……えっ!?♥ これ♥ あ♥ んっ♥♥ んっ♥♥♥ あ♥ うそっ♥ これっ♥ だされてるだけで……っ♥ イッちゃう……っ!?♥ っくぅうっ♥ あ♥ あ♥ ――っ♥ ――っ♥♥ ――っ♥♥♥」
決して浅くはなく、かといって鮮烈でもなく、愛情によって導かれた濃密で深甚な絶頂に、先生も我を失っていました。抽挿を伴わない純粋な感情だけで到達するその法悦の境地は、なにもかもを許した相手にのみ、見せるはずのもので。
「おねえちゃん……っ♥ おねえちゃん……っ♥♥ おねえちゃん……っ♥♥♥」
その相手はまぎれもなく、わたしの魂ではありませんでした。
8/9
ハートと部屋を出る。新薬開発室で待機する。第四象限なのでほかにひとはいない。設備は稼働している。
ハートに椅子を勧める。ハートはおとなしく従う。
こちらと扉、交互に視線を送っている。落ち着かないらしい。
頭痛がする。憎悪は――。
顔がべとつく。自分とタルトの血。水栓をひねる。顔を洗う。鼻をかむ。痰を吐く。くちをゆすぐ。
すこしはっきりしてくる。痛みは引きそうにない。硝子に映りこんだ角を観察する。
醜く錆びついている。悪臭を放っている。感覚はない。魂を半分焼かれた証。
否――半分の半分だ。
ハートを見やる。俯いている。垂れさがった黒髪で表情はうかがえない。
覗き見しているらしい。歪んでいる。歪められている。この血はことごとく。
綱渡りだが、それに倣う。最終確認は必要。
識魔法を励起。
魂を明け渡す。
深淵に光が射しこむ。いざなわれるようにして浮き上がる。
息を吹き返す。見慣れた部屋が映る。自室。新月が近いからか、不明瞭。
寝台の上で動くものがある。タルト。眠り続けるニッカの股ぐらに顔を埋めている。
おお――。
意識が乖離しそうになる。懸命にしがみつく。今手放せば、二度と繋ぎ直せない実感がある。
食い入るように見つめる。タルトはニッカの性器を貪っている――羊のように浅ましく。
ニッカの肉体が軽く達する。身じろぎする。「ん……ん……、ぃだっ……あたま、いた……」目を覚ます。いとも簡単に。
「……先生?」
ニッカが片目をうっすら開ける。「あ、おねえちゃんだ……おはよ……ふぁあ」欠伸をする。「ごめん……、ねちゃってたぁ……。おねえちゃん……いま、かえってきたの……? 今周は、たいへんだったんだねぇ……」間延びした声。
冷水を浴びせられた気になる。ニッカはタルトを自分と誤解している。過去に戻っている。
いや、羊化エーテルで過去に連れて行ったのはほかならぬ自分だった。いや、いや――過去に置き去りにしたのだ。第二一八塔を去ったと同時に。
「もぉ……、おねえちゃんたら、ねてる妹の身体に……いたずらして、甘えてたんだぁ……?♥」
「あ、す、すみません、これは、その――」
「んふっ、いーよ……♥ ぼくのからだは、おねえちゃんのものだから……すきにしてって、いつもいってるでしょ♥ おねえちゃんも今周は、おそくまでおしごとして、つかれただろうし……ぼくがいっぱい、あまやかしたげる……♥ ふぁあ」
ふたりが脱衣する。毛布をかぶる。もつれあっている。
繋がっているらしい。想像するのは難しくない。だが受け入れがたい。脈が乱れる。
「ん……♥ はぁ……♥ ふわふわ、して……♥ ぽかぽか、して……♥ きもちいーね……♥」
「は、い……っ、とけちゃい、そうです……っ、ん、ちゅ」
なんだ、これは――。
「ん……っ♥ すき……っ♥ しゅきぃ……っ♥」
「は……っ、は、わたし、も……っ、すき、です……っ、せんせ、せんせえ……っ、あいして、ます……っ」
なんなのだ、これは。
「んぅ……っ♥ だいすきぃ……っ♥ あいしてる……っ♥ おねえちゃぁん……っ♥」
「先生……、わたしのこども、産んで、ほしいです」
「ぁ……♥ うん……♥ いーよ……、産んだげる……♥ んーん、産ませて、ください……♥ おねえちゃんのあかちゃん、いっぱいいっぱい、産みたいです……♥」
醜悪な光景。おぞましい。あまりにもおぞましい。
自分を騙ってニッカと愛し合うに飽き足らず、こどもまで成そうとは。
塗りつぶされている。上書きされている。ニッカのなかにわずかに残されていた、魂までも。
「んっ、んんっ♥ はぁあぁ……♥ ね……、おねえちゃんは何人ほしい?♥ あ、ぼくたちのこどもだから、ふたごになるのかな……♥」
「……かも、しれないです」
やめろ――。
「んふ……♥ おねえちゃんのこどもは、きっとたいへんだ……♥ おねえちゃんぐらい、すてきなひとなんていないから、なかなか親離れできないかも、ね……♥」
「……」
もう、やめろ――。
「おねえちゃんのこと……、本気になっちゃう子もいたりして♥ あっ♥ あんっ♥ えへ……♥ こーふん、した?♥ おねえちゃん、ぼくのなかで、すっごいびくびくしてる……♥ だぁめだよ♥ 絶対、ぜえったい、だぁめ……♥ こどもに手を出すなんて、ゆるさないんだから……♥ おいたしないように、ぼくが、こうやってつかまえとくんだから……♥」
「……っ」
もう、やめてくれ――。
「ね……♥ おねえちゃんの、ぱんぱんに、なってきたね……♥ でる……?♥ ね、でる……?♥ いいよ、いっぱいだして……♥ こゆぅい、こだね……♥ ぼくのいっちばん奥に、たねつけ、して?♥ ぼくが、おねえちゃんのものだって、みんなにわかるように……、はらませて?♥ だれにもわたさないように、だれのとこにもいかないように――」
なにかが翳るのがわかる。閉ざされるのがわかる。もはやニッカは、誰のものでもなかった。自分のものでも。タルトのものでも。
己の地平線が乱される――こんなもの、一度だって耐えられるわけがないのに。それを、ずっとずっと覗き見続けていただなんて。なんなのだ、タルトは。
恐ろしい――幾度となく窃視を繰り返していた、タルトのその精神的虚無が。
ふたりが何度ものぼりつめる。同調する。ひとつになる。
囁く。「あいして……ます……、先生――」
「ぼく、も……あいして、るぅ……っ♥♥ おねえちゃん……♥」うわ言のように。
体力を使い果たす。タルトが弛緩しきったニッカに腕枕をする。
ニッカがタルトのべとべとの薄い乳房に額を擦りつけ甘えている。満ち足りた表情を浮かべている。タルトが濡れた金糸の髪を梳く。
睦言を交わす。
「なんか、よくわかんなかったけど……すごかったぁ……♥」
「今までで、一番、でちゃった気がします」
「だね……、おふとん、びしょびしょに――」言いさして、ニッカがぶるぶるっと身震いする。顔を伏せる。
「……? どうしました?」
ニッカが顔を上げる。呆然としている。下腹部に手を添えている。「……できちゃったかも」
ああ――そんな。
すべてが崩壊する。虚無に飲み込まれる。
声が囁く――きみの地平線は潰えた。
錆びた片角が、床に腐り落ちる。
識魔法が解ける。頭が重い。
頭痛が浸食してきている。憎悪が這い上がってくる。
逆に憎悪を飲み込む。憎悪は戸惑いを見せる。憎悪がもがき苦しむ。憎悪と同化する。
声が動揺する――そんな、まさか。
憎悪を掌握する。憎悪の主になる。
借りものではない、純然たる己の憎しみ。
立ち上がる。ハートはまだ識魔法に没頭している。縄で縛り上げる。
靴底から短刀を抜く。
扉を開ける。
投げる。
タルトの心臓に刺さる。