※この作品はR-18です。

鉄の空   作:伊土 讃阿

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第三影魔法 1

 

 

 

 寝台に腰掛けたわたしの包帯をしゅるしゅるとほどきつつ、先生が感嘆の声を上げました。

 

「おー、すっごいきれー……」

 

 そして濡らした手ぬぐいでわたしの額を拭き、目の前に手鏡を掲げてくれました。鏡のなかのわたしが額に戴くは――頼りげなく、ちょこんと突き出たデンドライト。一点のくすみもない、しろがね色。

 

「わあ……」

 

 次いで、わたしも吐息をひとつ。自分が角ありだと先生に告げられそれなりに時を経たものの、これっぽっちも角ありとしての自覚が持てなかったわたしですが、さすがに角が生えてくるとなると話は別です。まだまだ大それた魔法も使えないのに、なかなかどうして自分がとてつもなく大きな存在になったかのように感ぜられるものでした。

 

 わたしの角をまじまじと観察しながら、先生が首をかしげました。

 

「銀髪と水晶の眼にあってて、いいね。でも、うーん、なんだろ、銀系か、白金系っぽい? 貴金属だろうけど、元素分析してみないとわかんないなァ」

「元素――分析、ですか」

「興味、ある?」

 

 こっくり頷くわたしに、にやりとする先生。

 

「そっか、じゃァ、申請しちゃうね。実は元素分析するには、角のさきっぽをちょこーっと削らなきゃいけなくて、とんっっっっっでもなく痛くって、屈強な猟民でも一〇周は寝込むほどらしいけど、タルトなら心配いらないかな」

「ぅえェッ!? ま、まってくださ! そ、そのォ……やっぱり、やめます……」

 

 大笑いする先生に、冗談だと訂正する気はなさそうで、分析するのに角を削ったり激しい痛みを伴ったりするのは嘘偽りない事実なのでしょう。わたしはぞぞぞと寒気を覚え、身震いしました。

 

 デンドライトが析出して、わかったことがあります。シシの角は非常に敏感で、温度も湿度も微細な空気の流れでさえ感覚することができます。その角をたとえ一片でも削るだなんて――想像するだにおそろしいことです。

 

 頭の上でまとめていたわたしの髪を、先生がほどいてくれました。炭鉱民のときは邪魔になるので短めにしていましたが、先生の長くてきれいな髪に憧れて伸ばしはじめ、今では鎖骨をくすぐるほどです。

 

「生え際もちゃんとふさがってるし、問題なさそうだね。痛んだりする?」

「とくには。少し、寝づらいぐらいです」

「あ、やっぱりそうなんだ。でも先生は経験ないから、助言のしようがないなァ」

「わざわざ頭から、上に向かって生えなくてもいいと思うんですけど」

「しょうがないよ、角は魂の一部だもん。魂はいかずちとほむらでかたちづくられる陰極だから、角が鉄の空の向こう側にある陽極に向かうのは、自然のことなんだ。で、前にも言ったから、覚えてると思うけど、角は絶対――」

「ぜえったい、血に触れさせちゃだめ、ですね」

 

 先生の口調を真似して、わたしが続けました。

 

 角は魂の一部であり、魂に直結された唯一の器官です。魂そのものに直に接触することはどんな魔法を使っても叶いませんが、角を介せば魂に作用することも可能なのです。

 

 ゆえに、角に自分以外の魂が溶け込んだ血液が触れてしまうと、自己の魂が他者の魂に浸食されてしまうそうです。角に血で名前を刻まれようものならば、魂は破壊されつくしてしまい、例外なくシシは命を落としてしまうそうです。角ありは魔法を高出力で扱える一方、魂が剥き出しになっているという弱点もあるのでした。

 

 先生は上機嫌で頷きました。

 

「わかってるなら、よろしい。あと、エーテルもだめだからね。滅多なことじゃないと思うけど」

 

 エーテルはシシの血液に似た構造を持つ液体です。魂、すなわちいかずちとほむらを閉じ込める性質を持つ白金とよく反応し、サイマトの系には欠かせないミスリルとなりますが、エーテル単体ではシシにとって猛毒です。角に浴びれば、ひとたまりもないそうです。

 

 産出される資源の問題か、第一〇〇九塔では豊富に生産されていたため意識したことがなかったのですが、第二一八塔ではエーテルは貴重な物質で、防衛のために製造室も極秘扱いでした。先生の言う滅多なこととは、エーテルを角に触れさせようにもお目にかかることすらない、という意味です。

 

「じゃァ、きれいに角も生えてきたことだし、はい、これ、角のお披露目祝い」

 

 先生は、わたしの手の上に剣筆用の上等な革鞘を握らせました。なかに収められていたのは――LCと刻印の入った傷だらけのちっぽけなからくり短刀でした。それは古く、かなり使い込まれていますが、しっかりした頼もしいこしらえです。

 

「タルト、自分の持ってなかったでしょ? 剣筆を持ってない角ありなんて、格好つかないからね」

「これ、は――」

 

 言葉を失うわたしに、わたわたと取り繕う先生。

 

「あ、あのね! お祝いだし、ほんとは新品でもっとおしゃれなのをあげたかったんだけど、そんな余裕なくて……でもそれも、実は結構いいものなんだよっ。軽いし、頑丈だし!」

「いえ、その、そういうことではなくて……これ、先生の、ですよね」

「いいのいいの! 先生は、その辺のてきとーなので十分だし。でも、タルトには安物なんかより、ちゃんとしたの使ってほしかったから」

「あの、ありがとうございます! すっごく、すっごく嬉しいです。一生、大事に、します!」

「んふふ、喜んでもらえて、よかった――さてと! 先生はそろそろお出かけしなくちゃ」

「――ッ」

 

 そそくさと白金の指輪を首からかけて支度をはじめる先生の背中を眺めながら、剣筆を握りしめ、痛いほどの動悸を抑え込みます。胸を満たしていた温かな気持ちが、急速に凍りついていきます。

 

 先生と初めて結ばれてから、二月ほど経ち、いくつかの変化がありました。

 

 一月前、第二一八塔では、この先一〇月間の建設方針を決定する会議が管理室主催で開かれました。その会議で養護室は有用性を証明できず、たいへん芳しくない結果に終わってしまいました。室長先生が寝る間も惜しんで作った予算案は通らず、養護室のみんなが廃棄処分になるのはなんとか免れたものの、予算をがっつり削られてしまったのです。なんでも、塔全体の衛生管理・抗菌能力向上を目的とした循環系の動力源となる火力時計が増築されるとかで、環境室と動力室にかなりの人員と資材がまわされてしまったので、やむを得ないことでした。

 

 もともと少ない予算をなんとかやりくりしていた養護室です。経済状況がますます苦しくなったことで、わずかな貯蓄はあっさりと底を尽きてしまいました。

 

 周毎に、ごはんの量が減っていきました。お肉は安くて硬くてぱさぱさしたものになり、野菜は食卓から姿を消し、比較的安価なはずのかぶやおいもなどでも、ひとかけあればごちそうとなりました。先生たちは、食事を抜くこともしょっちゅうでした。つい五周前からわたしや双子たちも、第三象限の食事を遠慮するようになりました。

 

 先生は個別授業の数を増やしました。室長先生は追加申請の書類作りの合間に、外出するようになりました。事情を察した月の長いこどもたちは、何も言わず先生たちの分まで家事をこなすようになりました。先生の代わりに、ちいさなこどもたちに勉強を教えたりも――もっとも、わたしはその点でまったくお役にたてませんでしたが。

 

 一方で、先生は約束通り、双子に個別授業をしなくなりました。双子が一度だけ先生に迫っているのを見かけましたが、先生はきっぱり断っていましたし、それきり双子は言い寄らなくなったようです。双子のほうもわたしたちの関係を悟ったのでしょう、ちょっかいを出さなくなったふしがありました。

 

 ハートとわたしの勉強会や稽古も、多忙を理由に、その数をめっきり減らしました。ある意味でわたしをけしかけたハートも双子同様、関係を察した様子でした。わたしとお話はしてくれますが、頻度は減りましたし、どこかよそよそしく、そして常にご機嫌斜めな印象を受けます。

 

 ハートは先生に対して前向きな感情をもっていません。毛嫌いしていると言っても過言ではないでしょう。その理由は未だ判然としませんが、親友に避けられることがこころ憂いのは確かです。でも、わたしにはハートの気持ちも理解できるのです。わたしだって、わたしが苦手なペケット候補殿と先生が交わっているのを覗いたときは、こっぴどく打ちのめされた気分になりましたから。

 

 今だって――こうして先生が授業に行くのを見送るとき、それが一〇度目だとしても慣れることはなく、心中はちくちくいがいが穏やかではありません。きっと、それが一〇〇度目だとしても、できることなら、角が生えたみたいに胸のなかでとげとげする心臓を取り出したいと願うことでしょう。

 

「じゃァ……、行ってくるね」

 

 羊皮紙の入った皮袋を提げて、先生がぽつりとつぶやきました。わたしが重い腰を持ち上げるや、先生がわたしの前にやってきました。わたしの胸を高鳴らせる石鹸と化粧の匂いがふわりと広がって、昨周の悦楽を想起させます。

 

 顎を上げると、そこへ先生の顔が寄せられました。自然に唇が重なり、互いの体温が溶けあいます。舌先で唇を突っつくと、ゆっくりとほころんで、舌を吸い出されます。初めは優しくあやすように食まれ、やがて噛みつかんばかりの勢いで舌を絡ませて、熱い気持ちが伝播し、わたしの全身からちからを奪っていきました。

 

 先生の衣装のなかへ手を忍ばせ、下着に指を這わせると、そこはすっかりぐしょぐしょに濡れています。先生も服の上から、わたしの硬く張りつめたそれの輪郭を確かめるみたいに、指先でなぞりました。

 

 普段口づけをせがむのはわたしですが、講義に行く前は必ずこうして先生のほうからです。それは決まって気が遠くなりそうなほど、腰砕けになるほど、長く長く、濃厚なものでした。

 

 まるで、忘れないためみたいに。どちらがというわけでもなく、どちらもが、きちんと記憶しておけるように。

 

 でもそれが――互いにとって、いかに背徳的で、背信的で、みじめったらしい贖罪であるかを知っているから、だからこそ、わたしも先生も、異様な高揚を覚えてしまうのです。

 

 やおら口を離すと、先生はわたしの耳朶をひと噛みし――。

 

「戻ってくる前に、出しちゃやだよ」

 

 甘く囁いて、先生は部屋をあとにしました。

 

 ひとり残されたわたしは、先生の寝台に身体を横たえます。先生の枕に鼻をうずめ、深呼吸をします。わたしの名前を記した羊皮紙に意識を移す前に、何度も何度も繰り返し吸い込みます。

 

 肺胞のひとつひとつに、先生の匂いを染みつかせたくて――先生がほかのひとに抱かれるのを覗いているときは、せめて、先生に包まれていたくて、守ってもらいたくて。

 

 でなければ、恐れがわが肉を千々に引き裂いてしまいそうでしたから。わが魂を粉々に砕いてしまいそうでしたから。

 

 

 

/鉄の空

/第一部 不灼の鹿々

/第三影魔法

/closed the cloud of iron

 

 

 

 一度欲望の果てを知ると、あとは早いものでした。わたしはまだこどもですから、風紀室に嗅ぎ付けられればただではすまされないというのに、先生もわたしも互いを酸素のように欲してやまなかったのです。

 

「ん……ッ、ぅむ……ッ、ん……っ、んぶ……ッ♥」

 

 個人授業できっと体力を使い果たしているでしょうに、先生は帰ってくるなり、先生の寝室で待っていたわたしを寝台に押し倒し、出かける前とおなじぐらい、いえ、それ以上に熱烈に求めてきました。その激しさに比例するかのように、先生の口内粘膜は火傷せんばかりの熱さを帯び、とりわけ柔らかな肉質の内頬は、極上の心地でした。

 

「せっ、せんせぇ……あっ、はああっ……、そんなにされたらぁ、わたしっ、わたしぃ、溶けてなくなっちゃうぅ……」

 

 喉奥までくわえこんでいたわたしの局部を口から解放すると、先生は妖艶な笑みをこぼして、さらさらの金髪を耳にかけました。

 

「こぉんな鉄杭みたいにがっちがちなのに、溶けたりしないよお♥ 先生の顎、がくがくになっちゃいそうだもん♥」

「でもっ、でもぉ……先生が、上手すぎてぇ……」

「んふふ、いじめがいのあるやつめ……ほんとに溶かしちゃおっかな♥」

 

 肉棒に唾液を染み込ませるような、再度の執拗で濃密な口使いに、たまらず枕をかき抱いて先生の寝台の上で仰け反ります。

 

 ゆっくり、ねっとり、まったり、みっちりと温柔な粘膜で慰められ、窃視行為で極限まで興奮状態に陥っていたわたしが我慢できようはずがありません。

 

「あっ、あっ、あっ、せんせッ、せんせぇッ! でちゃっ、でちゃうッ!」

「もう、タルトったら♥ おくちでするたびに、どんどんそーろーさんになるね……♥ いいよ、一回出しちゃお♥ ぜえんぶ飲んだげるから♥」

 

 先生の口淫はじゅるじゅると啜り、しゃぶりつくものへ――さながら、口を性器に見立てた交尾のごとく。さらに激しく頭を前後に動かし、わたしにとどめを刺す魂胆です。そしてその思惑通り、わたしはたまらず先生の口腔に昏い欲望をぶちまけてしまいました。わたしが胤を漏らす間中も、先生は強く吸引するのをやめません。陽根に痺れをもたらす強烈な刺激に、わたしは先生を制止します。

 

「んやぁッ!? せ、せんせっ、いまっ、でてるからあッ! とめてっ、くださッ!」

 

 ところが、先生は口戯をやめるどころか一滴も残さないと言わんばかりに、わたしの体液を根こそぎ吸い上げてくるではありませんか。視界がちかちかして、脳細胞がぷちぷち弾けそうなほどの快楽に意識が飛び飛びになります。

 

 ひとしきり絞り上げると、先生は上気した顔を離し、艶めかしく唇を舐めました。

 

「あんなに出したのに、まーだばっきばきだねぇ……凶暴すぎだよぉ、きみ」

 

 依然として固さを誇るわたしの一物を優しくしごきながら、じとっとエメラルドで見つめる先生。長い長い射精の余韻に呆けていたわたしは、もじもじと膝を擦り合わせました。

 

「あ、あの、先生……」

「なあに?」

「その、そろそろ――」

「そろそろ、なあに?」

 

 わたしの言わんとする意味を汲み取っているはずなのに、先生はあえてとぼけてみせました。どうやら先生は、わたしにきちんと言葉にして言わせるのがお気に入りのようで、このやりとりも、もはや恒例の行事となりました。

 

「……先生のなかで、イキたい、です」

「もお、まだ出したりないの? いっつもいっつも、元気すぎだよ♥」

 

 先生は満足げな表情を浮かべると、羊の盲腸を取り出して、陽根にかぶせました。

 

「生意気で欲張りな悪い子はあ、しつけちゃわないと、ね♥」

 

 どこか嬉しげに先生は黒い下着を脱ぎ捨て、わたしの上にまたがりかけますが、すぐに思いとどまります。

 

「っとと……後ろから、だった、よね?」

 

 そう確認する先生に、わたしはこっくりと首肯します。

 

 先生が漆黒の衣装を腰までまくりあげ、わたしに肉感的な生っ白いお尻を向けて、無防備な体勢になりました。先生は汗っかきだからでしょうか、秘めやかなる陰唇はしとどに濡れて、太ももまで愛液が垂れているのがわかります。

 

 それは、つい先ほどまで、わたしが羊皮紙を介して覗いていた光景と重なります。それは、わたしがいつも先生に要求していることでした。つまり、おなじようにしたい、と。それで、授業のあとの微妙な距離感が、埋め合わせられるような気がしたのです。

 

「……いいよ。きてきて♥ はやく♥ はやく♥ おいで♥」

 

 目をうるうるさせてひくつく秘唇を指で広げ、わたしを挑発する先生。その痴態に劣情が一気に高まり、ぐらぐらと眩暈のようなものさえ覚えます。

 

 ふらつきつつそちらへいざなわれ、もたつく手で陽根を先生のお尻に押し付けます。はたしてわたしの張りつめた部分は、いとも簡単に先生の胎内へと埋没し、柔らかい肉を掻き分け、爛れた内臓を揺さぶったのでした。

 

「ぁんッ♥ かったぁ……ほんとに、鉄みたい♥ ぐいぐい♥ 反り返ってて♥ えぐれちゃいそ♥」

 

 わたしを根元まで飲み込んだ先生は感極まった声を上げました。わたしも避妊具越しに先生の体温と熟れた肉の締め付けを味わい、熱い吐息を漏らしました。

 

「ねェ――」

 

 振り返って、またあれをするんでしょ? と視線だけで問いかけてくる先生に、わたしは答えました。

 

「服従、します」

「じゃァ……ゆっくり、動いて。じらすみたいに――ぅうンッ! そッ、そおッ! そんな感じぃ……」

 

 蜜のたっぷり詰まった肉壺をかきまわしながら、目の前で震える華奢な肩にたずねます。

 

「告白か、服従か――」

「はッ、あン……! んんんッ! こッ、こっ、こくはくっ! こくはくだよっ!」

「今周のひとは、何点でしたか」

「――ッ! ッ♥ ッ♥ ッ♥ さっきのっ、ひとはあっ、はじめてっ! らしかった、けどお……ッ、けっこー優しくっ、してくれてえ♥ ちょっとっ、感じちゃった、からあッ! なっ、ななじゅってんっ♥」

 

 清潔感のある、若いひとでした。一時間前まで、先生と交わっていた、候補殿は。少しおどおどしていて、口下手気味で、手つきもたどたどしいものでしたが、先生を罵倒することも、暴力を振るうことも、嫌がるようなこともしませんでした。覗いていて、不安になるようなことはこれっぽっちもありませんでした。

 

 安心して、わたしの――わたしのつがいが、わたしの想いびとが、わたしの地平線が、見知らぬシシに侵略されるのを、見ていられました。

 

 告白しながら思い起こしているのでしょうか、膣襞がより妖しく蠢き、わたしに交尾の快感を堪能させます。

 

 しなやかに背中をうねらせ、先生が、服従を選んだわたしに次なる命令を下します。

 

「もうちょっとっ、おなかのほうっ、ぐりぐりしてっ! めいっぱいっ!」

「こ、こうですか――」

「はあああっ♥ あ♥ あッ♥ いっ、いいっ♥ そこっ♥ そこそこ♥ すっごい♥ さきっぽ♥ ひっかかって♥ すっごい、いいっ♥ きもち、いいよおっ♥ タルトぉっ♥」

「せ、先生っ、声、みんなに聞こえちゃっ、少し、抑えてくださいっ」

 

 今周はずいぶん盛り上がっているようで、甘えた声量がひやりとするほど大きくなっていきます。いくら壁が厚いとはいえ、限度があります。わたしは焦燥に駆られ、先生に注意しました。ただし、先生の指示は忠実に守り、先生が好む部位を陽根で押圧したまま、ですけれども。

 

「んっ♥ んっ♥ んっ♥ んっ♥」

 

 枕を噛み、喉の奥で声を殺す先生が、必死に達すまいと踏みとどまっているのが手に取るようにわかります。先生はひとりで絶頂に至るのを嫌がります。一度達すれば、見境がなくなってしまう自覚があるのでしょう。

 

 その姿は、わたしのお腹の奥底に眠る嗜虐心をぞくぞくとくすぐり、陽根をさらにひとまわりほども膨張させ、みっちり吸い付く先生の柔肉は卑猥にめくりあがってしまいました。

 

「んわっ!? んッ♥ んぅっ♥ んぅうううぅッ♥ またっ、おっき、おっきくうっ♥」

「何回、いっちゃった、ですか」

「さんかい、さんかいっ、ぐらいぃッ♥ いっちゃったあっ♥」

 

 くぐもったよがり声が、わたしに先生の限界がすぐそこであることを知らせていました。案の定、先生の次の指示は、休め――息を整える先生は全身汗みずくで、一切の余裕を持ち合わせていないようにうかがえます。

 

 この遊びをすると、先生はやたらと感じやすくなります。そしてわたしは、たっぷり先生に奉仕できるように、辛抱強く。

 

 お仕事のあとに交尾をするとき、告白か服従かをするのが、わたしと先生との間の定番でした。わたしは必ず、服従だけを選びます。先生は必ず、告白だけを選びます。先生に思いを告げた、あのときとおなじように。口に出して確かめたことはありませんが、それが互いに求めているらしい、ものでしたから――。

 

「次は、ありそうですか」

「は……、は……、ふ……、じゅ、一〇周、後に、約束、した――んぃいッ!? あっ♥ あっ♥ あっ♥」

 

 やにわに甘く喘ぎはじめる先生。予定を聞いたことで、はらわたがねじくりかえりそうなほどの感情が行き場をなくし、わたしに先生の命令を無視させ、先生が好む恥骨の裏のほうを、陽根でまさぐり揉みほぐさせたのです。

 

「あっ♥ ちょっと♥ あばれんぼーさん♥ いくいく♥ 動かないでってばっ♥ いっちゃ♥ からあ♥ ずるいぞっ♥ 服従するって♥ 言ったのにっ♥ 違反だよっ♥ れいてんっ♥ れーてんだよっ、勝手に動いちゃ♥ いく♥ あっ♥」

 

 先生の肢体は汗に濡れ、きらきら輝きを放っています。言葉では諌めつつも、先生は豊満なお尻をぐいぐいわたしに押し付けてきています。こころでは耐えようとしていても、身体は達したがっているのです。

 

 わたしはその後押しをすべく、避妊具越しにわたしの尿道を舐めるこりこりした部分を可能な限り奥に押しこめ、揺さぶるように小突きます。それは、経験上、先生がもっとも感じる動きでした。

 

「ぅはああぁああぁんっ♥ あ♥ あ♥ あ♥ こらっ♥ ぼくのっ♥ 弱いとこ♥ そんなに♥ ねちねち突いちゃっ、だめ♥ だめ♥ だめ♥ だっ、あっ♥♥ ――っ♥♥♥」

 

 さんざっぱら、じっくりとっぷり焦らしに焦らしていたので、それと見てわかるほど、先生は深く深く気をやってしまっている模様です。少なくとも一分間はがくがく全身を痙攣させ、ただただ至上の悦楽に浸っているようでした。寝具の上には、先生がしぶいた大量の体液で水たまりができるほど。

 

「はーっ♥ はーっ♥ はーっ♥ んぐっ♥ はー……っ♥」

 

 ようやく波が収まった先生は、もう指一本動かせないといったていで、尋常ならざる色気を立ち上らせながら、ぐったり弛緩しました。その一方で、先生の膣粘膜はわたしの陽根をやわやわと咀嚼するみたいに蠕動しています。幾度となく繰り返された行為のなかで、すっかりわたしの形に馴染んだ最奥は、とてもはまりがよく、すっぽりと先端を包み込み、貪欲に絡みついてきます。

 

 先生の背にもたれかかり、まばゆい黄金の長髪が汗で張り付いたうなじに鼻先を擦りつけ、石鹸と汗のかぐわしい匂いを吸い込みます。

 

「は……っ、は……っ、は……っ、やあんっ!?」

 

 体勢を変えたことでいいところに当たったのでしょう、再び甘い声をこぼしはじめる先生。その反応に気をよくしたわたしは、子宮をぐりぐり圧迫して愛らしい耳を甘噛みし、咎めるように囁きました。

 

「せんせぇ……っ、わたしのこと……っ、しつけるんじゃなかったんですか……っ」

「しつけるっ♥ しつけなきゃっ、だめなのにぃ♥ でもおっ、あっ♥ 待って♥ 待ってぇ♥ これじゃぁっ、言うことっ、聞かされちゃってるぅっ♥」

「だめじゃ、ないですか……っ、わたしっ、このままじゃっ、生意気でっ、欲張りなっ、悪い子のままに、なっちゃいます……っ!」

「あ♥ ごめんなさい♥ あ♥ またいく♥ ごめ、ごめんなさい♥ ごめんなさい♥ だめな先生で♥ ごめんなさい♥ あ♥ いってる♥」

 

 小さく、しかし立て続けに達しながら、とろけきった声音で謝罪を反復する先生を前に、曰く形容しがたい冷たいものがぞぞぞと脊髄を貫き、自制できないほどに感情が高まります。その衝動の赴くままに、先生のお尻を押しつぶさんばかりの勢いでがつがつと腰を振りたくりました。

 

 同時に、度重なる絶頂で理性がぐずぐずに溶解しているであろう先生の脳へ刷り込むみたいに、耳元で何度も何度も想いを告げ続けます。

 

「せんせっ、せんせえっ! すきっ、すきっ、すきぃっ! だいすきぃっ!」

 

 先生の奥へ、より奥へ入り込まんと想いの限りを突き入れるその都度、きゅんきゅんと締め付け、先生の身体もまた喜んでいるのが伝わってきます。

 

「あ♥ だめ♥ そんな♥ 言われたら♥ 頭のなか♥ ぐるぐる、しちゃうっ♥♥♥ っ♥♥♥ っ♥♥♥」

 

 先生のあられもない鳴き声に急き立てられ、後を追うようにしてわたしも登りつめました。

 

「ふ――っ! んん――ッ!」

 

 めくるめくような恍惚のなか、羊の盲腸のなかにありったけの精を吐き出すと、ようやく鎮まった陽根を引き抜きました。先生の傍らに寄り添い、瞳を覗き込むと、先生は目じりに涙を浮かべて、むすっと頬を膨らませていました。

 

「すみません、乱暴、でした、よね……」

「むー、そおじゃなくて……すっごく感じちゃったけど、さ……最近きみ、かわいげがなくなってきてるぞっ」

「どういうこと、ですか?」

「ぼくのこと、手玉に取ってるっていうか……頼りがいがあるのも好きだけど、タルトにはまだまだ初々しいほうがいいっていうか」

 

 金色の毛先をいじいじ、翠緑の虹彩をうるうるさせる先生。

 

「……あんまり急にしっかりされすぎると、そのうちぼくから離れて行っちゃいそうで、怖いんだもん……タルトには、まだこどもでいてほしいのっ」

 

 おねえさんぶってるのか、甘えているのか判然としない先生の口ぶりに、わたしは吹き出しました。

 

 その後、一時間も睦言を交わし合ったころでしょうか。先生がうとうとしはじめた段になって、わたしは自室に戻りました。第四象限の真っ暗闇のなか、静かに寝息を立てるハートを起こさないよう抜き足差し足で寝床に潜り込み、先生にもらったばかりの剣筆をぱちんと展開させました。

 

 指先をちょこっとだけ突っついて、いくつもの直線が刻まれた壁に、血で新しい直線を引きます。先生の剣筆で書く直線は、ハートの安筆を拝借して書くそれよりも、鋭く深く刻まれているような気がします。剣筆を仕舞うと、すっかり群れになった直線を、ひとつずつ人差し指でなぞります。直線の数を数えます。

 

 それは、覗いた回数でした。それは、先生がわたし以外のひととまぐわった回数でした。先生がわたしと繋がった回数でした。

 

 毎周欠かさず眠る前に、はやくおとなになりたいと願いながら、直線を数えるのです。数を忘れないために――直線が増えるのは、わたしの未熟さゆえですので。幼さゆえ、ですので。

 

 刻まなくても眠れるときがくるまで、直線を数えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

「――タルト、その……今、忙しいかしら?」

 

 自室で、がりがりと先生に頂いた剣筆の書き味を確かめていたわたしは、名前を呼ばれて羊皮紙から目を離します。

 

 戸口には困ったような、気まずいような面持ちのハートがたたずんでいました。最近すくすく実ってきたハートの胸は前掛けに覆われていて、これから料理に取り掛かるところだったのだと思われます。

 

 ハートのほうから声をかけてきたのは久しぶりのことでしたので、わたしは妙にどきりとしてしまいました。

 

「いえ、暇ですけど……」

 

 わたしは剣筆を革鞘に収め、青い血が滴る人差し指をくわえて、精魔法と心魔法を励起させました。ぴりりと痺れて、瞬時に傷口がふさがります。

 

「実は食材を、切らしてしまいましたの……悪いんですけど、精肉室までおつかいに行ってくださる? 本当はスキュラとナキュラに頼んでいたんですけど、あのふたり、すっかり忘れて遊びに出かけてしまったみたいで……あのひとは図書室に講義に行ってしまいましたし、頼めるのはタルトしかいませんのよ」

「いいですけど――珍しいですね、双子が家事をほったらかしにするだなんて」

 

 スキュラもナキュラも、授業態度は不真面目でありこそすれ、養護室の仕事で手を抜くことは一度たりともありませんでした。

 

「まったく、あのふたりときたら、ここでは一番月が長いはずなのに、いつまで経ってもこどもっぽいったら……」

「逆に、ハートは一番ちいさいのに、一番おとなですね」

 

 不満たらたらで鼻を鳴らすハートに、わたしは微笑みかけました。途端に、耳まで真っ赤にして、ハートが慌てふためいてみせます。

 

「と、とにかくっ! おつかいっ、頼みましたっ、からっ!」

 

 ハートのお願いをふたつ返事で引き受けると、わたしは室長先生の部屋を訪れました。室長先生に、お金をもらうためです。

 

 こんこんと戸を叩けば、室内でがたんと何かが倒れるような物音に次いで、どこかひとけを感じさせる奇妙な静寂――不審に思って、おそるおそる呼びかけます。

 

「あの……、室長先生?」

「ご……ごめんなさい、……少し、散らかってるから……なにか、用、なの?」

 

 鉄扉越しに、やや息を切らし気味のいらえ。

 

「えと、食材を切らしたので、買い物に行きたいんです」

 

 そろそろとわずかに開かれた扉の隙間から、目的の品をしたためたハートの書き付けを差し出します。遮光幕を引いているのでしょうか、室内は真っ暗で、中の様子は窺いしれません。

 

「……ちょっと、待って」

 

 その消え入りそうな室長先生の声を聞くのも、実に何周ぶりだろうとわたしはこころのなかで指折り数えました。

 

 方針会議で失敗して以来――室長先生はずいぶん塞ぎこんでいます。

 

 室長先生はあまり自己主張をしない方ですが、その小柄な身体には強い責任感を秘めていました。誰も会議のことは室長先生の責任だと思っていないにも関わらず、ひとりで抱え込んでしまっているのです。

 

 ここひと月の間、室長先生は部屋に篭もりきって誰にも会おうとせず、一周のほとんどの時間を書類作りに費やしているようでした。食事でさえ部屋で摂り、たまに姿を見せたかと思うと、いつにも増してびくびく怯えていて、周を追うごとにやつれていきました。

 

 その様はわたしにこころ苦しさを覚えさせるのに十分でしたが、かと言って何か手助けができるわけでもありませんでした。とりわけ仲のいい先生やハートが幾度となく手伝うと提案しても、室長先生は頑として拒むのです。

 

 やがてふたりとも、諦めました。メグは意外と負けず嫌いだから、と先生は言い訳します。メグ先生は芯の強いひとだから、とハートは信頼しています。ふたりとも室長先生に協力したくて仕方がないのに、それ以上食い下がるのはかえって室長先生を煩わせ、作業に差し支えるとわかっていたからです。でもわたしは知っています。代わりに、授業を増やしたり、家事をしたりして、なるたけ室長先生の負担を減らそうと、ふたりが養護室で一番ちからを尽くしていることを。

 

 そう経たないうちに再び扉が開かれ、隙間からちょこっとだけ顔を覗かせる室長先生。眼鏡の奥のアメジストの虹彩には、どんより濁った光が――。

 

「じゃァ……これで、お願い……」

 

 震える青白い指が、わたしの手のひらに宝珠と書き付けを落とします。

 

 わたしは励ましか、それに準じた何らかの言葉をかけようとして――すぐに頭のなかが真っ白になり、ただ、つっかえつっかえ、いってきますと伝えるだけに留まりました。

 

 目の前で扉が閉ざされるや、わたしは一瞬とはいえ、頭によぎった愚かしくも失礼はなはだしい考えを一笑に付しました。

 

 気のせいです、そうに決まっています。そんなこと、ありえませんから――室長先生の部屋からお酒の匂いがするなんて。

 

 

 

 

 

 

 螺旋昇降車で塔の下層、農場の直上にある精肉室へと向かいます。立錐の余地もないほど混雑した市場は、シシどもの体温で、血と脂と油、それに皮を剥がれた羊の体臭が、むせ返らんばかりの息苦しさを醸成しています。

 

 組合のなかでもいっとう規模の大きな第二一八塔ですから、営業を認められた塔外の遊牧民が、市場のそこかしこで高価な果実を広げています。

 

 甘ったるく瑞々しい香りを放つそれらに思わず目を奪われてしまうも、新鮮な果蔬は第一〇〇九塔でいたときでさえ月に一度食事に出てくるかの代物です。室長先生に頂いてきた養護室の三周分の食糧代をすべて費やしても、小ぶりな林檎一個を買うので精一杯でしょう。無論、わたしのわがままでそんなことができようがありません。

 

 精肉室に足を運ぶと、一転して血生臭い臭いが鼻をつきます。精肉質の室員はみな多忙そうで、肉を清めるために羊を逆さ吊りにして血抜きをしていたり、胸郭から低圧水銀灯やら濾過器、眼孔から宝石をせっせと切り出していました。ただひとりを除いて。

 

 受付では、フラスカがけだるげに応対していました。フラスカはわたしを認めると、懐かしむような笑みを浮かべました。わたしもフラスカに再会できて、自然と頬が緩みます。

 

「やあ、小さな候補ちゃん。これはまた、ずいぶん見事な角が生えてきたものだね」

「えへへ……ありがとうございます。フラスカさん、お仕事は、どうですか?」

「まあまあやってるよ。まだ壁登りは続けてるのかい?」

「はい。つい最近、四階上まで到達しました」

「おお、やるね。双子たちとそう変わらないのじゃないかい? 猟民も夢じゃなさそうだ」

 

 フラスカはわたしが養護室にやってきた頃、一番月の長い角なしのこどもでした。二月と経たないうちにフラスカは成月を迎え、精肉室に配属されてしまいましたが、買い物ついでにこうして何度か会う機会はありました。

 

「おや、これは……ひとりで持てるかい?」

 

 フラスカに書き付けの中身を指摘されて初めて、その量に驚きます。確か、ハートから頼まれたときは、これほど多くはなかったはずです。となると、お金をもらった際に室長先生が書き加えたのでしょう。

 

 わたしが得手としている心魔法を駆使して休み休み行けばきっと運べるはず――わたしはフラスカにちからこぶを作ってみせました。

 

「たぶん、大丈夫です。鍛えてますし」

「たくましい候補ちゃんだね」

 

 フラスカは奥の室員に注文を通し、わたしが持参した瓶に羊乳を注ぎはじめました。

 

 お金を渡し、先生にもらった剣筆で署名します。本当ならフラスカともっとおしゃべりしたかったところですが、精肉室は非常に混雑していました。わたしは後続のために場所を空けようと、心魔法を励起させて食材を腕に抱え――持ち上げたところまではよかったものの、荷物が想像以上に重かったことに加えて、羊の体液でしょうか、足元がやけにぬめっていたせいで重心を崩してしまいます。

 

 わたしはよろめいて、すぐ横の柔らかくもしっかりした何かにぶつかってしまい――花か果実を思わせる、甘い甘い匂いのする体温に包まれます。

 

「あ、わ」

「おっと。だいじょうぶ、ですか?」

「す、すみませ――」

 

 振り返ってわたしを抱き留めてくれたシシに謝ろうとして、わたしは言葉を詰まらせてしまいました。そのお方が、今まで見たどんなシシよりも美しく、精肉室には場違いなほど瀟洒な身なりをしていましたから。

 

 ちょっと癖っ毛気味でふわっふわの金髪に、見る者を飲み込んでしまいそうなほど澄んだトパーズの虹彩――そして何より目を引くのは、燃え上がらんばかりの輝きを輻射する、左右対称な二本の黄金のデンドライト。まるで陽光を捕まえて、炎そのものを額に戴いているかのよう。

 

 お天道様だ――実際に太陽を見た経験があるわけでもないのに、わたしは一目見てそう思ったのでした。

 

 月は先生より少し上でしょうか。腰に佩いた長い猟杖から、候補殿は猟民だとうかがえます。ゆったりした絹の衣装や花だか果実だかの香水、白金の耳飾り、なにより二本角だなんて、かつてお目にかかったことがありません。大層貴い身分に間違いないでしょう。

 

「も、ももっ、申し訳ありませんッ! 候補殿ッ!」

 

 慌てふためきひれ伏そうとするわたしを押しとどめて、その候補殿はくすくす笑いました。

 

「あなたも立派な角を戴いているではありませんか、候補殿?」

「そ、そんな、わたしなんか――」

「ここではみなさんのお邪魔になってしまいますね。少し、移動しましょうか。これを持っていただけますか?」

 

 候補殿はひょいとわたしの荷物を片手で担ぎ上げると、肉の詰まった小包をわたしの腕に押し付け、すたすた精肉室を出て行ってしまいました。わたしはばたばたと必死にそのあとを追います。そしてすぐさまあることを発見して、恐縮やら緊張やらで妙な汗が噴き出るのを感じます。候補殿は、びっこを引いて歩いていたのです。

 

「あの、失礼なことをお聞きするんですが、お足が悪いのでしょうか」

「あァ、いえ、生活する分には問題ありませんから、お気になさらず。猟民としては、もうお役御免となってしまいましたが――この猟杖も、習慣で佩帯しているだけなのですよ。ですが、もともと向いてなかったのでしょうね、血生臭い思いもしなくなりましたし、重苦しい甲冑も脱ぐことができて、なかば胸を撫で下ろしていたところです。塔の外には蒸気も動力もありませんから、不便ですしね?」

 

 候補殿はおっとり笑みました。

 

「あなたは、どちらからいらっしゃったのですか?」

「養護室、です」

「ここよりかなり上のほうですね。どうしてこちらまでいらっしゃったのですか?」

「養護室の貢献時間では、塔の搬送系に手当てがつかなくて、上の市場だと割高で……ここだと、安いですから」

 

 すべてのシシが、塔のすべての機能を使えるとは限りません。それなりに塔の運営・建設に貢献している部屋は無料か、無料同然で提供されていますが、養護室の権限は塔外のシシたちとそう大差なかったのです。

 

 候補殿は適当なところで止まるのかと思いきや、一向に足を休める気配がありません。やがて陽光柱が照らす塔の外周側へ――どうやら、駅のある方面へ向かっているようです。

 

 黄金のデンドライトの枝々は陽光を捕らえて一層赤々と燃え盛ります。白金の耳飾りも、きらり。

 

 いがいがする動揺がじわじわと拡大し、わたしのこころをむしばみつつありました。

 

「あッ、あのッ、候補殿、どちらまで……」

「あァ、失礼を。まだ名乗っていませんでしたね。わたしは、ミルテ・マルギト・アーリィライトと申します。ミルテで結構ですよ。あなたのお名前は?」

「タルト、です。タルト・マーキュラ・エアライデン。あの――」

「もしかして、お急ぎでしたか?」

「いえ、急いではない、ですけど」

「では、少し寄り道させていただきますね。それから、養護室に行きましょうか」

「えぇッ!? そんな、そこまでしていただかなくとも……」

「困ったときはお互い様ではありませんか」

 

 ぬくもりさえ感じさせる柔和な微笑――それは本当に陽光よろしく、ただ笑いかけられただけだというのに、わたしのなかに巣食っていたもやもやした感情はいっぺんに吹き飛ばされてしまいました。

 

 このひとは、きっとひとを安堵させる魔法が使えるに違いありません。そう、先生とおなじように――。

 

「それとも、ご迷惑でしたか?」

「いえ! 迷惑だなんて、決して!」

「では、よいではありませんか」

「でも、候補ど――ミルテさんの、お仕事の妨げになってしまいます」

「お気になさらないでください。わたしの仕事など、あってないようなものですから。それに、わたしの居室も、養護室よりたった六つ上の階層にあるのです。壁を登っていけば、あっという間の距離でしょう?」

 

 茶目っ気たっぷりに、片目をつむるミルテさん。猟民流の冗談に、わたしは吹き出すのと同時に、かつてない高揚を覚えていました。

 

 それから――道すがら、わたしは猟民についてぶしつけにあれやこれやとミルテさんを質問攻めにしていました。

 

 猟民だったとき、どんな仕事をしていたのか。大変な仕事だったか。稼ぎはどれくらいか。

 

 ミルテさんははぐらかすことなく、そのすべてに答えてくれました。ミルテさんは、わたしが知るおとなの角ありとはかけはなれたものでした。おとなの角ありというのは普通、ちからのないこどもや角ありは相手にしないものです。でもミルテさんは、優しく、親切で、わたしのようなこどもでも見下したりせず、それがまるで当然のことのように対等に扱ってくれる方でした。

 

 会って間もない相手でしたが、わたしがこころを許すまでにさほどの時間は要しませんでした。

 

 養護室のある階を通り過ぎ、螺旋昇降車を降りて、駅からもっとも近い部屋こそ結晶検疫室でした。ミルテさんが、現在勤めている部屋です。

 

 ミルテさんが取っ手に手をかけるかかけないかのところで、鉄扉が急に開かれます。

 

「っと――室長でしたか、すみません」

「お疲れ様です、ペケット主任。これから視察ですか?」

「ええ、時計室と話がつきまして――」

 

 結晶検疫室から飛び出してきたその角ありの姿を目にして、わたしは全身をこわばらせました。銅のデンドライトを戴く、ルビーの虹彩――見紛うことなどありえない、キューリィ・アンシィ・ペケット候補殿。

 

 あちらもわたしに気づき、じっと探るような眼差しを注いでいます。わたしは自分の靴に視線を落としました。

 

「ペケット主任? どうかなさいましたか? こちらの方とはお知り合いですか?」

「いえ、あたしが前にいた部屋の室員に風貌が似ていたような気がしたのですが――あれは角なしだったので、思い違いでしょう。……すみません、室長、急いでますので、これで」

 

 小走りで去っていくペケット候補殿の背中を見送りながら、わたしは内心ひどくほっとしていました。わたしがもっとも苦手としている角ありと、ミルテさんの居室で鉢合わせするだなんて――奇妙な巡りあわせもあったものです。

 

 わたしは遠慮したのですが、ミルテさんにいざなわれて、縮こまりながらも結晶検疫室にあがりこみます。

 

 かなり奥行きのある空間でした。部屋の入口側にはいくつかの事務机と棚が設えられており、その奥には計測器やら蒸留器やら乾燥機やらサイマト端末やら、他にもわたしが見たことのないたくさんの機材が所狭しと並んでいます。そのどれもがぴかぴかの新品で、今も何人かの角なしが機材を組み立てており、結晶検疫室はまさに運転準備中といったていでした。

 

「ミルテさん、室長さんだったんですね」

「室長といっても、お飾りなのですよ。恥ずかしながら、生まれてこの方、狩り以外で組合に貢献できたためしなどありませんから――困ったことに管理室の方たちは、どうも猟民崩れを優遇して、いい椅子に座らせたがるきらいがあるのです」

 

 ミルテさんははにかみつつ、わたしの荷物を机に置きました。そして抽斗の鍵を開け、なかから上等の革袋を取り出すと、今度はこちらを持っていただけますか、とわたしに差し出しました。わたしは代わりに、ミルテさんが精肉室で買った肉を渡します。

 

 大きさはわたしの頭ほどでしょうか。中身はわかりませんが、板のような形状をしています。見た目以上にずしりとしていますが、難なく持ち運べるでしょう。

 

 ミルテさんと連れ立って、結晶検疫室を後にします。螺旋昇降車で、ようやく養護室へ。食堂まで荷物を運び込んでもらうためにミルテさんを養護室へ招き入れようとして、玄関で先生と出くわします。

 

「あ、ただいまです、先生」

「おかえりー。どこに行ってたの? ぼくもちょうど、図書室から戻ってきたところ、で――」

 

 わたしの後から入ってきたミルテさんを見つけて、先生の顔が硬直します。

 

「……どうして――どうして、きみが、ここにいるの」

 

 ミルテさんは目を細めて言いました。

 

「お久しぶりです、ニッカ」

 

 

 

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