「はぁ、はぁ……リューさーん!」
「っ!ベ、ベル……!」
びくっ!と肩を跳ねさせるリュー。その理由はもちろん、彼女に掛けられた声の主だ。
白髪に赤い瞳をしたヒューマンの少年。ベル・クラネルである。
「すみません、少し遅れちゃって」
「い、いえ。私も今来たところですので」
場所はオラリオ市街の
二人がこうして待ち合わせをしているのは、シルの働きかけがあっての事であった―――。
シルがリューについて盛大な勘違いを炸裂した翌日。
「リュー。あんた今日は昼前に上がりな」
「はい?」
早朝より開店の準備をしていた時。『豊穣の女主人』の店主ミアより告げられたその言葉にリューは困惑し、アーニャたちは当然の如く「ずるいニャー!」と騒ぎ立てた。
それを一喝で黙らせたミアは頭をガシガシと掻きながら、面倒臭そうな調子でその理由を語る。
「シルから聞いたよ。アンタ、まだあの坊やにまともに礼も言えてないんだって?ったく、気恥ずかしいのか知らないが、そういうのは時間が経つほど言いづらくなるモンなんだよ」
「なっ!?」
バッ!と振り返るリュー。その視線の先にはお盆で口元を隠し、軽くウインクするシルの姿があった。
「なんニャ、リュー。まだ白髪頭にお礼を言えてなかったのかニャ?」
「これだから堅物エルフは面倒臭いニャー」
「あんた、そりゃあないでしょ。迷惑かけたんだしさ」
「くっ……!」
口々に言われるが、ここで下手に弁明すれば隠し事が露見しかねない。リューは精一杯の非難を込めた視線をシルに投げるも、どこ吹く風。
彼女は口元を隠していたお盆を横へずらし、口パクでこう返した。
(ファ・イ・ト♪)
「~~~~~~っ!?」
という訳で。
リューは顔を真っ赤にしながらも、この羞恥に耐えるしかないのであった……。
そんなこんなで、時は冒頭に戻る。
「……き、急に呼び出してしまい申し訳ありません、ベル」
「いえ、僕も今日は暇だったんで」
えへへ、と笑うベル。
その顔にリューは胸の奥をキュンとさせつつも、決して顔には出すまいと努める。さりげなく直視しないようにしているのだが、それでも若干顔が赤くなってしまうのはもう仕方がなかった。
「……自分で言うのもなんですが、よく他の方たちが許可しましたね」
「あ、はい。神様やリリはちょっと膨れてましたけど、大変な目に遭った同士で話す事もあるだろうって、ヴェルフが言ってくれて」
「そ、そうなのですか」
そこまで面識がある訳ではないが、リューは密かに胸中で赤髪の鍛冶師の青年に礼をする。そして、この状況を作ってくれたシルに対しても。
『ベルさんには特に何も言わずに、ただリューと半日過ごしてってお願いしてあるから。だからちゃんとお礼を言ってね?』
いつの間にそんな根回しを!?と言う暇も与えられずにそうとだけ告げられ、またされるがままにシルの服を着させられたリューはもじもじと指を絡ませて、これからどうすべきかを考える。
「それでは、その……とりあえず、お昼でもいかがでしょうか」
「はい、僕もお腹が減っちゃって」
どうにか絞り出した昼食の誘いを快諾したベル。そうして二人は、近場にあったテラス付きのレストランへと入って行く。
案内されたのはテラス席で、周囲に他の客の姿は見られない。また近くを歩く人々も各々の用事があるので、二人にはさして興味を示していないようだ。
つまり、この席周辺はベルとリューの二人だけの空間という事である。
「何を頼みますか?」
「あ、はい。えっと……うえぇ!?」
「っ、どうかしましたか、ベル!?」
従業員から手渡されたメニュー表を見て声を上げるベル。
何事かと驚くリューに対し、ベルは申し訳なさげな様子でその理由を語った。
「す、すいません。思ってたより値段が高くて……だって、一番安いランチメニューが1200ヴァリスなんですよ……?」
「……ふふっ」
今やオラリオ中から注目の的である冒険者らしからぬ懐具合に、思わずリューの口から笑みが漏れる。
(そうか……凄まじい成長速度で忘れていたが、ベルはまだ冒険者になってから一年も経っていないのでしたね)
ならば年相応の金銭感覚というのも仕方がない事だ、とリューは理解したのだが、てっきり笑われたと勘違いしているベルは顔を俯かせて赤くなっていた。
その様子を微笑ましく思いながら、リューは更に笑みを深めた。
「手持ちが不安なら、私がいくらか出しましょう」
「え!?そ、そんな、悪いですよ!」
「構いません、たまの休日です。それにこんな時でもなければお金を使う事もないですし、私も色々食べてみたいですから」
「そ……それじゃあ、お言葉に甘えて……」
渋々、というよりももじもじといった様子で頷くベルに、本日二度目の“キュン”を味わいつつ、二人はメニュー表へと目を通す。
……が、ここからが大変だった。
サンドイッチやガレットのような軽食から、ステーキのようながっつり系まで。幅広いメニューが売りのこのレストランでは、食べたいものを決めるのも一苦労だ。
それまで余裕をぶっこいていたリューも、見る料理名は未知のものが多い。しょうもない威厳を守り通そうと、知ったかぶりをするので精一杯となってしまう。
「リューさん。“タピオカミルクティー”って何でしょう……?」
「え、えぇと……“タピオカ”という、小さいお餅が入ったミルクティー……です?」
「な、なるほど……それじゃあ、この“ダルゴナコーヒー”って言うのは……?」
「それは……コーヒーには間違いないので、きっと甘いものに合うような苦みの強いコーヒー……だと、思います……?」
と、このように二人の脳内はもはやパニック寸前だ。
片や、なんだかんだで常に金欠のファミリアの団長。
片や、給仕なのに堅く世俗に疎いポンコツエルフ。
こんな二人にとって多くの文字が羅列しているメニュー表は、さながら超長文詠唱の魔法の如し。
全て唱えれば周囲一帯が
「ご注文はいかがなさいますか?」
「ぼっ、僕はこのサンドイッチセットで……」
「わっ、私はこの、ガレットのセットで……」
「かしこまりました」
ぺこり、と綺麗に一礼するウェイトレスとは正反対にガチゴチなベルとリュー。結局選んだのは無難なセットメニューである。
ややしばらくして、そんな空気に耐え切れなくなったベルが話題を振り始める。
「そ、そういえばリューさん。今日はなんだかいつもと雰囲気が違いますね」
「そ、そうですか?」
「はい。何ていうか、その……可愛らしいというか」
「!?」
いきなりのその言葉に、ボッ!と顔を赤らめるリュー。きょろきょろとせわしなく視線を泳がせ、彼女はどうにか言葉を返す。
「きっと、その、この服装のせいでしょう。シルが貸してくれたので」
「シルさんが?」
「はい。“リューの私服はいつも味気ないから、今日くらいは女の子らしいのを着たほうが良いよ”と……」
尻すぼみになりながらも事情を説明したリューであったが、我ながら“女の子らしい”という言葉に気恥ずかしさを覚えてしまう。
本日のリューは涼し気なワンピース姿だ。ベルが退院した時にも純白のワンピースを着ていたが、それとは違って肩を露出したタイプのものだ。
左右に大きめのポケットも付いており、これで麦藁帽子でも被っていれば素朴な村娘という印象を受けそうなワンピース姿は、リューの持つ美貌も相まってより一層輝いて見える。
「わ、私の事は良いです。ところで、ベルは今日の午前中は何を?」
「僕ですか?今日はファミリアの皆で
照れている事を悟られまいと、それとなく話題を変えるリュー。今日は何をしていたのかという質問に、ベルは彼女の意図に気が付く素振りもなくそう答えた。
「ファミリアもようやく中堅の仲間入りになったので、結構
ファミリアの財布を握っているリリからすれば、次から次へと
ヴェルフ、
「なるほど。確かに、期限の切れたものは若干不安が残りますからね」
「はい。
息絶えた冒険者の遺品の中にあった、変色した
「ああ、あれですか……ふ、ふふっ」
「ちょっ、リューさん!?」
「すいません……だってベル、あの時すごい顔で耐えていたものですから……!」
必死に笑いを堪えるリューと、恥ずかしさから顔を赤くするベル。
こうして当時の事を笑えるのも、無事に帰ってこられたお陰だ。その幸福を噛み締めるリューの耳が、コツン、と硬質な響きを捉えた。
「?」
それはベルの足元から聞こえてきた。本人は気が付いていない様子で、急に笑みを消したリューを不思議そうな顔で見ている。
「どうかしましたか、リューさん?」
「いえ、今何か落ちたような音が……」
気になり、テーブルの下を覗くリュー。するとベルの足元には小さな小瓶が転がっているではないか。
蓋の上に簡素なラベルのみが貼られたその小瓶はピンク色をしており、一見すると
「ベルの上着のポケットにでも紛れ込んでいたのでしょうか。落ちていましたよ」
「え、本当ですか?どうもすみませ………ッ!!?」
が、突如として固まるベル。その顔は完全に硬直し、顔色まで失っている。
一体何が?と疑問に思ったリューが、再び何の気なしに手元の小瓶へと視線を移し―――そして、見てしまった。
蓋に貼られたラベル。そこに書かれていた文字を。
最高級精力剤・
「………」
オラリオは本日晴天。雲ひとつない青空のもと、暖かな日差しが通りを優しく照らしている。
しかし、ベルが感じてるのは極寒の冷気。その原因が何であるのかは、もはや言うまでもない。
「………ベル」
「こっ、これはですねリューさん!話せば長くなる理由がありましてっ!!」
「手短に話しなさい」
「決してリューさんが思っているような、そんなものじゃなくて……!」
「話しなさい」
「………」
「早く」
「………はい」
必死の弁明の甲斐もなく、極寒の視線を浴びるベル。
哀れな白兎は、森の妖精の前に全てを白状する他なかった。
「そんな理由があったのですか……」
「はい……すみません」
春姫の件には極力触れずに、精力剤がヘルメスから強引に渡された事。そしてそれを偶然今日まで上着のポケットに仕舞い込み、自身もすっかり忘れ去っていた事を白状したベルは、沙汰を待つ罪人のように縮こまる。
事情を理解したリューは何かと縁のある男神へ静かな怒りを向けつつも、その矛先をベルには向けようとはしなかった。感情に任せて怒り狂うほど、彼女は短絡的ではないのだ。
「お待たせしました。こちらサンドイッチセットと、ガレットのセットになります」
ここで注文の品を持ってきたウェイトレスがやって来る。明らかに先程までとは空気の異なる二人を前にしても笑顔を絶やさないのは、彼女がよく訓練された従業員であるからに他ならない。
触らぬ神に祟りなし、という極東の
「ベル」
「は、はいぃ!?」
「……はぁ」
てっきり罵声を浴びせられるかと思っていたベルの萎縮した様に、リューは溜め息を零す。
「そんなにビクビクしないで下さい。貴方をどうこうするつもりはありません」
「え……お、怒ってないんですか……?」
「怒りませんよ。怒るとすれば、それは神ヘルメスに対してです」
「はぁ……良かったぁ」
ヘルメスを強引にでも突っぱねられなかったベルに対しても若干思う所はあるものの、この純粋無垢な少年の事だ。きっと返す暇も与えられなかったのだろうと割り切ったリューは、先の溜め息と共に全てを見ずに流す事にした。
「とりあえず、これは私が後で捨てておきます。今後は神ヘルメスから妙なものを貰わないように」
「はい、ごめんなさい……」
ともあれ安堵の息を吐いたベルは、そこで不意に尿意を催した。
極度の緊張に晒された彼の膀胱は、ストレスから解放されたと同時に激しい自己主張を訴える。
「すみません、リューさん。僕ちょっとトイレに……」
「はい、分かりました」
そそくさとトイレへと向かうベル。
一人残されたリューは、手元に握られたままの精力剤へと視線を向ける。
「………“馬並み”」
ラベルに書かれたその単語を思わず口に出してしまい、その事にカァ……と顔を赤らめる。
同時に思い出してしまったのは、昨日のトイレでの自慰である。自分の指をベルのモノに見立て、それを………してしまった。
自身の痴態を思い返してしまったリューは、その淫らな想像を頭の中から追い出そうとするも、手元の小瓶がその想像に拍車をかける。
「ち、違うっ。私はそんな淫乱では……」
……最高級精力剤
「くぅ……違う、違う……!」
……
「違う……のに……っ!」
……~これで貴方も馬並み~
馬並み
馬並み
馬並み
馬並み
馬並み
……ヒヒィーーーーーンッッ!!
「――――――――……………」
「すいません……ってあれ。まだ食べてなかったんですか?」
「私ひとりが先に食べる訳にはいきません。さぁ、昼食にしましょう」
「あ、はい!」
トイレから戻って来たベルが席に着き、いただきますと手を合わせる。
ベルは先に飲み物から手を付けた。喉が渇いていたのか一気に半分ほどを飲み、そして美味しそうにサンドイッチを頬張った。
その様子を、リューは顔を赤らめながら眺めている。
………そんな彼女のポケットに仕舞われた小瓶の中身は、空になっていた。
次話は不定期の投稿となります。