転異空間』から戻ると同時に、『セイバー』の変身は解除される。
『オニキス』として転異空間に乱入して『アズライト』を連れ戻し、図書館の一室へ帰還してきた
「……」
あの後失神して動かなくなった蒼矢の身体を、影斗は険しい表情で見下ろす。
変身解除すると、変身直前の状態に戻されるため、蒼矢は上半身から下腹部の着衣が乱れた姿になっていた。部屋を見回すと、椅子が倒れていたり机が部屋に対して不自然に斜めになるなどの光景が広がっていて、壁際には見知った黒縁の眼鏡が無造作に転がっていた。
何があって転異空間へ飛んだのか、想像に難くなかった。
自身を落ち着かせるように深く息を吐き出すと、影斗は蒼矢の着衣を整えてあげた。
部屋の扉が勢い良く開かれる。
「蒼矢!! …影斗!?」
「おう」
絶妙なタイミングで、烈が到着した。全力疾走してきたのかやや息を切らしていて、最初に視界に飛び込んできた影斗に目を丸くする。
「お前…なんでここに!?」
「丁度こっちに向かってたんだよ」
「そ、そっか…、 っ蒼矢は!?」
「ここにいる」
烈は二人の元にかけ寄る。影斗のバイクジャケットを枕がわりにして、蒼矢は静かに横たわっていた。
姿を見て安心したのか、烈は膝に手をついて脱力した。
「お前が連れ戻してくれたのか?」
「ああ、危ねぇところだったけどな。…見てみろ」
影斗は軽く頷いて聞き流し、烈に目で促した。視線をたどった烈は、表情を凍らせた。
やや乱れた襟シャツの隙間から見える首筋に赤い痣ができ、鎖骨の方まで点々と浮かび上がっていた。改めて蒼矢の顔へ視線を戻すと、失神しているものの頬は上気したように紅潮し、汗に濡れた髪が白い肌にまとわりついていた。
この類の方面には鈍感な烈でも、十分動揺できるあり様だった。
頭の中でぐるぐると何かを考えながら、烈は言葉を絞り出す。
「…どこまで…やられちまったんだ…?」
「わからねぇ。…葉月は来てるか? 人が少ない内に移動した方がいい」
助け出した影斗にはなんとなくわかっていたが、あえて濁した。シャツのボタンを上まで留めて痣を出来るだけ隠し、話題を移す。
「あ…あぁ、車が…多分」
動揺を抑えられない烈は、返答がしどろもどろになってしまっていた。その背中を、影斗が手ひどく叩く。
「一旦落ち着け。お前の方が力あるだろ、運んで」
「…! わかった」
影斗の一喝で烈は我に返り、慎重に蒼矢を抱き上げる。そのまま図書館をあとにし、葉月の車へ急いだ。
学校敷地外の、比較的目立たない場所に待機していたミニバンに蒼矢を乗せ、静かに走り出す後ろ姿を見送る。
すぐ後に影斗のバイクが通り過ぎ、烈もバイクにまたがり、後を追った。
大学へ向かった全員が、速やかに葉月宅へ引きあげた。
蒼矢はすぐさま寝室のベッドに寝かされ、葉月が具合を診る。
「…少し青痣になっちゃってるところがあったけど、それ以外大した怪我はしてないみたいだね。熱が出てるから、目が覚めたら解熱剤を飲ませておくよ」
大体の処置を終え、たすきを解いた葉月は他三人のいる居間に戻り、状態を伝えた。
葉月のチェックが終わるまで無理やり待機させられていた陽が蒼矢の元へすっ飛んでいき、他の面々も後に続く。
「
烈らが寝室に入ると、陽は涙目になりながら、蒼矢のベッドにかじりついていた。
烈は部屋の入口から蒼矢の様子を伺う。陽が目にしないかと一瞬ぎくりとしたが、首と鎖骨にはきちんと包帯や医療テープが施されていて、ひそかに胸をなでおろした。
ふいに肩を軽く叩かれ、後ろを向くと葉月が視線で自分と影斗を呼んでいた。そのまま三人は寝室を離れ、階下へ降りる。廊下を折れると、葉月は二人へ振り返った。
たいていいつも穏やかな笑顔を見せている葉月が、下向き加減に険しい表情で腕を組む。
「…蒼矢なんだけど…ちょっと様子がおかしいんだ」
「具体的には?」
「…催淫薬みたいなものを、飲まされているかもしれない」
「……!」
その言葉に烈は目を見開くが、返す言葉がすぐには見つからない。代わりに影斗が淡々と返す。
「あるだろ、あんな状態じゃ。…まだ切れてねぇのか?」
「うん…どういうものをどれだけ身体に入れたかわからないから、起きて聞けたら聞いてみるけど…」
「熱はそのせいか?」
「…多分。今日はうちに泊めるよ。一応、蒼矢の親御さんには僕から連絡しておくから」
「了解。ちょっと一服してくるわ」
葉月と影斗で話が進み、ひと通りその場が完結すると、影斗はさっさと離れていく。
二人の会話をただ黙って聞いているだけで終わった烈は、立ち位置から動けず、自分の足元を見つめていた。
葉月はうつむいたまま突っ立っている烈を見ると、その正面に立ち、彼の両肩をポンポンと叩いてあげた。
「…自分のせいだと思ってるなら、それは間違ってるよ。僕が蒼矢の相談を聞き出せなかったことにも一因があるし、あの子自身の油断もあった」
「葉月さん…」
顔を起こすと、葉月はいつもの笑顔で、でも目には力を込めて烈を見ていた。
起こってしまったものは仕方がないから、切り替えていくしかない。…次につなげればいい。
「…ありがとう。俺、帰ります」
「うん。何かあったら連絡するね」
「了解」
烈はいくらか持ち直したか表情が幾分か戻り、蒼矢と陽がいる部屋に戻る。陽は依然としてベッドのそばに座り込み、蒼矢を見守っていた。
「陽、帰るぞ」
「!? 俺今日泊まってくぞ! 帰らない!!」
烈の言葉に陽は勢い良く振り返り、がなり返した。
「馬鹿、迷惑だ。バイク乗っけてやるから、言うこと聞け」
「!!! っでも…俺メット持ってねーぞっ」
若干心が動いてしまったのか、陽はややうろたえながらもなおごねる。
「ああ、そういえばうちに確か一個あったよ。だいぶ前影斗が置き忘れていったやつ」
「…っ!」
そこへすかさず葉月が決め手の一言を繰り出し、陽は大人しく家に帰ることになった。
日が落ちてすっかり暗くなった境内を、烈と葉月が神社の玉砂利を踏みながらバイクに向かう。
「
既にタンデムシートに座っている陽が、葉月に向かって叫んでいた。
「わかったわかった。…烈、今日はお疲れ」
「葉月さん、すんませんいつも…助かります」
「あはは、お従兄ちゃん大変だねぇ」
「…蒼矢のこと、頼みます」
「うん、任せて」
二人を乗せたバイクが走り出し、薄闇に消えていく。
姿が見えなくなるまで見送った葉月は、玉砂利を戻って家の裏手へ向かう。中庭に造られた縁側で、影斗が煙草をふかしていた。
「帰ったか、あいつら」
葉月は影斗の隣に座る。
「…もっとしゃべっていけばいいのに。久し振りにこっちに帰って来たんだから」
「別に今更話題なんかねぇだろ。陽うるせーし」
影斗は胸ポケットを探り、葉月の手元に差し出す。
「これ、返しといて」
「…ああ、無いと思った…君が持ってたのか、ありがとう」
葉月は蒼矢の眼鏡を受け取ると、たもとに入れる。
「部屋用意してあるから。ご飯はどうする?」
「あー…悪い。今日はいいわ。もう出る」
「えっ」
そう言うと影斗は煙草を携帯灰皿に押し付け、立ち上がる。
「帰るのか?」
「いや、近くに泊まるわ」
「あてはあるの?」
「どこでもあるだろ。ネカフェでもいーし。とにかく、今日は
影斗が、葉月へ振り返った。
「…駄目だろ。自分でも何するかわかんねぇ」
「……」
向き直ってジャケットをはおり、影斗はバイクへ向かう。葉月は黙って、影斗の少し後をついていく。
バイクにまたがり、エンジンをかけると、影斗は何も言わずに走り出した。でも葉月には、フルフェイス越しに影斗から視線を送られたような気がしていた。
「…任されたよ」
バイクが見えなくなると、葉月は玄関へと戻っていった。