次の日の早朝、蒼矢はようやく目を開ける。
昨日から結局一度も目覚めることがないまま、朝を迎えていた。
気付いてからまず、あまり見慣れない天井が視界に見えて、起き上がって周囲を見渡すと、なんとなく覚えのある景色だとわかる。胸元に視線を落とすと襦袢を着ていて、葉月の家だと確信した。
…戻って来れたんだ…
そう認識でき、なんとなく心が落ち着くと、直後に昨日のことが頭を駆け巡った。
「…っ……!!」
固く目を閉じ、記憶を頭の隅へ押しやると、ベッドから起き上がる。
ベッドのヘッドボードに置いてあった時計の日付を見ると、意識が途切れてから翌日になっていることがわかった。
立ち上がり、部屋の隅にある姿見の前に立つと葉月の寝室が背景に広がり、現実世界に戻って来た事実をはっきりと実感した。
そのまま、鏡に映る自分へと視線を移す。
「……」
首に巻かれた包帯に触れた。ゆっくりとほどいてみる。
赤黒い痣が数箇所、一晩明けてもまだくっきりと残っていた。
心臓がドクンと大きく鼓動し…蒼矢は姿見に背を向け、包帯を巻き直した。
「おはよう、蒼矢」
声のした方へ振り向くと、部屋の入口に葉月が立っていた。目が合うと彼はにっこりと笑い、蒼矢のものであろう着替えをベッドの端に置く。
「…葉月さん」
「気分はどう?」
「大丈夫…です」
「本当? 熱があったんだよ、昨日。もう下がったのかな?」
そう言うと葉月は、ごく普通の動きで蒼矢の額に触れようとする。蒼矢はその、自分に近付く彼の手に必要以上に反応してしまい、避けるように頭をそらす。
「あっと…」
「っ! …すみません」
「いや、こっちこそ急にごめんね。…熱測ってもいいかな?」
申し訳なさそうに目を伏せて小さく頷く蒼矢をベッドに座らせ、葉月は立膝をつく。下から伺うように手を伸ばし、蒼矢の額に優しく触れた。
「うん、大丈夫そうだね…良かった。朝ご飯用意できるけど、食べれる?」
「…葉月さん」
「うん?」
「俺…昨日…っ、すみません……すみませんでした…」
肩をこわばらせ、うつむいたままの蒼矢の膝に、葉月は優しく手を置いた。
「謝ることなんて何もないよ。…帰って来れて本当に良かった」
「…っ…」
「…昨日何があったか、話せる範囲でいいから教えてくれる?」
着替えて朝食を貰ってから、蒼矢は昨日から記憶が続く限りのことと、それまでにあった数日のことを葉月に話して聞かせた。もちろん、襲われた内容はほぼカットした。
葉月からは、[侵略者]から蒼矢の身体に入った異物についての所感を伝え、今後数日間は影響が残る可能性があるとも説明した。
「しばらくうちに泊まっておいた方がいいと思う。僕はほぼこの家から出ないから、安心して」
話が終わると、葉月は蒼矢を寝室に戻した。
「今日は一日安静にしてて。また寝ていればいいよ」
葉月の言う通り再び襦袢に着替えてベッドに寝そべり、蒼矢は目を閉じた。
「えっ、外出したいの?」
昼食の後、蒼矢が早速外出を申し出てきたので、さすがの葉月もやや冷静さを捨てたリアクションを返した。
「…眠ろうと思っても、目が冴えてしまって…」
「なるべく家にいて欲しいんだけど…まぁ、そうだよね。昨日から相当な時間眠ってたしね」
葉月は腕組みをしてしばらく思慮するが、蒼矢の気持ちも推し量って、許すことにする。
「ついでに買い物を頼もうかな。コンビニで済む用だから、ほんの少しの間だけだよ」
そう念押しされて外に出た蒼矢は、まずまっすぐ自宅へ向かう。葉月の用意した着替えが案の定着流しだったため、そのまま店へ入るのが少しためらわれたからだ。自宅の先にあるコンビニが葉月宅から一番近いため、コースとしてはほぼ問題無い。
自宅にはいつも通り誰もおらず、まっすぐ自室へ向かい、適当に上下を引っ張り出す…わけにはいかず、トップスだけは痣を考慮して、首まで隠れるものを選ぶ。
手早く着替え、解いた包帯をズボンのポケットにしまい込むと、即自宅を後にした。
コンビニで葉月に頼まれたものを買い、店を出る。
来た道をぽつぽつと戻っていたが、ゆっくりと立ち止まった。
――今回は諦めよう――
昨日意識が途切れる直前、断片的に残る記憶の中、[蔓]がそんな言葉を残した気がしていた。
もしまた一人で対峙しなければならないような状況になった場合、その時こそおそらくセイバーとしては最期になるだろうと考えていた。
圧倒的な基礎能力の差。あの体液が無くても、きっと顛末は同じだっただろう。
…『アズライト』の自分では、およそ敵う相手ではない。
「蒼矢?」
突っ立ったままぼんやり考えていると、正面に立つ黒いバイクジャケットを着た男から声をかけられた。
「…先輩」
影斗は蒼矢の姿にひどく驚いたようで、目を見開いて蒼矢を見ていたがすぐ上向きに視線を外し、息をつく。
「…お前ねぇ…何でこんなとこにいんの?」
「買い物…です」
「……」
真顔で返答する蒼矢に、影斗は呆れたような顔を見せる。
「…で、帰るの?」
「はい」
「じゃーちょっと付き合え」
「はい?」
眉をひそめる蒼矢の腕を引き、影斗は近くの喫茶店へ向かった。
「あの…葉月さんに頼まれてるので、早く帰りたいんですが」
「俺からあいつに連絡しとく。それで文句ねぇだろ?」