次の日の朝、蒼矢はやや陰鬱な表情で家から出る。今日もまた変わらず大学へ行くためだ。
昨日学校で…図書館であったことを考えると、行かない方がいいかもしれないという気分になったのだが、それだけの理由で講義を欠席するのもどうなのかという思いが、生真面目な自分を後押ししていた。
それに彼――"蔓田"は在学生や聴講生ではなく一般人だと言っていた。
それが事実なら、毎日登校するような立場ではない。今日はいないかもしれない。
そもそも、あの広大なキャンパス内で日に一度必ず会うなんてことは、学部が同じでもなければそうそう無い気がする。
ネガティブな思考の中に変な期待感を抱きながら、いつもの道を歩き出す。
昨日結局、葉月に相談できないまま終わってしまったことを後悔していた。
[異形]から防衛した後流れ解散になり、尻切れになった葉月との相談の席まで戻す空気にできなかった。
元々打ち明けにくい内容だったし、蒼矢自身があまり積極的になれなかったこともある。
でも…やっぱり話だけでも、最後まで聞いてもらった方が良かったのではないか。
「蒼矢!」
「!」
そんなことを上の空に考えながら無意識に歩いていると、酒屋から良く通る声がかかる。
「おはよう。早いな!」
「烈…どうしたの」
突然店から顔を出した烈に虚を突かれた蒼矢はその場で立ち尽くし、軽快な所作でズルズルとバイクを引きずり出す彼を眺める。
「学校行くんだろ? 乗ってけよ」
「えっ…」
烈はニカッと笑いかけながら、タンデムシートをペシペシ叩いてみせる。
「だってお前…店は?」
「朝の仕入れは全部母ちゃんに任せてきたから、大丈夫だ!」
まだついていけない蒼矢に、烈はヘルメットを押しつけ、ついで自前のバイク用ブルゾンを着せてあげる。
そのダボつき具合に、烈は思わず吹き出してしまう。
「…っ、やっぱ俺のだと大きいなぁ」
「…うるさいな」
「早く乗って。行こうぜ」
むっとした表情になる蒼矢に意に介せず笑いかけ、烈はバイクのエンジンをふかす。
ようやく状況を受け入れた蒼矢が後席に乗り、バイクはスルッと走り出した。
その日烈が蒼矢の登校の送りを買って出たのは、もちろんたまたまでも気分でもない。前日葉月に打診されての行動だった。
あの防衛戦があり、無事戦闘が終わった後、[侵略者]が現れなかったことに引っかかっていた蒼矢が念のため周囲を歩いて確認している最中に、葉月が烈へ密に指示を送っていたのだ。
「蒼矢が大学で何かあったみたいだ。内容まで聞ききれてなくて気がかりだから、明日登校するようだったら送ってあげて欲しい。」
烈には何のことかさっぱりわからない事情だったが、葉月の意図は十分理解できたので、蒼矢が登校するだろう時間を見計らって店先で待機していた。
「…家に居てもらうのが最良だけど…難しいよね。任せるから」
葉月からはそもそも学校に行かせない方が良いかもという風にも伝えられていたが、長年の付き合いから蒼矢の意思を無理に曲げたくはないと感じ、彼の思うままに登校に付き合ってあげることにしたのだ。
烈と蒼矢は小学校に上がる前からの幼馴染で、蒼矢の一家が引っ越してきて烈家の酒屋に挨拶に来たことがきっかけで、今では家族ぐるみの付き合いになっている。
元々人付き合いにオープンな烈だったが近所に同年代がおらず、不満に思っていた時分に丁度近所に越してきた同い年で同性の蒼矢は、問答無用でターゲットになり、初対面で挨拶を交わした直後即友達認定し、暇を見つけては遊びに誘うようになった。
そんな快活でアクティブな烈とは対照的に、大人しくインドアな蒼矢は、最初のうちは騒がしく、こちらの否応お構いなしに連れ回す彼の態度に、ただただ困惑するだけだった。でも付き合ってみると彼の遊びがどれも新鮮で面白く、また強引でありながらも蒼矢のペースに合わせようともしてくれているのが何となくわかったりして、意外といい奴だと評価できるようになっていく。
また烈にとっても、幼い頃から勤勉で聡明な蒼矢の存在はかなり大きく、いつからか烈メインで外で遊ぶのが半分、蒼矢メインで読書したり勉強したりするのが半分、という具合に二人の時間を分け合うようになり、双方に良い影響を与え合いながら関係性を築くようになっていった。
蒼矢の進学先の都合上、小学校卒業と共にそういう時間は徐々に減り、今では烈が家業を継いだこともあって、二人で過ごす時間はほとんど無くなってしまった。それでも交遊はつかず離れずのような距離感でずっと続いていて、お互いに『空気』のような存在と認め合っている。
バイクで大学へ向かうとなると、普段の電車通学よりかなり時間を短縮できる。
烈はそれを見越して、普段通らない道を通ったり、良い景色のスポットへ通りかかると減速したりして、さながらツーリングのように走った。インカムを搭載している2つのヘルメットで、他愛のない出来事を話しかけ合いながら。
そして、あっという間に大学にたどり着く。
烈は正面門前で蒼矢を降ろし、ヘルメットを受け取る。
「ありがとう」
「おう、講義頑張れな」
軽くうなずくと蒼矢は敷地内へ行きかけたが、何か思ったのか、バイクにまたがったまま見送る烈へ視線を投げる。そのまま数秒、二人の視線が重なった。
「…帰り、また来るから」
「!」
「帰る30分前に電話して。ここで待ってる」
そう言うと、烈はまたニッカリ笑った。つられて蒼矢も少し笑う。
「…うん」
烈のバイクは周りの大学生達の注目を浴びながら、大学から離れていく。
蒼矢はその後ろ姿を見送った後、構内へと歩き始めた。
そしてその日は何事もなく、最終講義まで終えた。
学部の友人と分かれた蒼矢は、次回内容に必要な資料を揃えるために図書館に寄っていた。
夕日が差し込む室内でしばらく引用論文を集めると、少しだけ…と席に座り、資料を読み込み始める。
「……」
昨日の一連の出来事で緊張した時間が続いたこともあり、あまり熟睡できなかった蒼矢は、頬杖をついて、うつらうつらと舟をこぎ始める。ほどなくして、意識が暗闇の中に入っていった。
刹那、室内の明度がぐっと落ちる。
うっすらと聞こえてきていた館内別室の人の声が、不自然に消える。蒼矢の居る室内が、耳鳴りのするような無音の空間となる。
その室内に、突如蔓田が現れる。
ゆったりとした余裕のある動作で蒼矢に近付いていき、真隣の席に腰掛ける。
寝落ちしている蒼矢は、この不穏な変化に全く気付かない。
「やはり、この人間が最もそそるな」
そうつぶやくと、蔓田は蒼矢の顔をじっくりと観察し始める。白くきめ細かな肌にかかる黒縁眼鏡の奥に、長い睫毛が被さる目元が見えた。ついで、血管の浮き出た逞しい手を伸ばして焦茶の髪をかき上げると、さらさらと零れ落ちる髪の隙間から華奢な首筋が露わになる。手はゆっくりと移動していき、頬と顎のラインを伝い、親指で唇を軽く撫ぜた。
「…ん…」
微かに声が漏れるが、蒼矢の目は開かない。
続いて蔓田は蒼矢の襟口に鼻を近付け、深く息を吸い込んだ。
そのまま襟元に手をかけようとする衝動を抑えつつ、蔓田は一人満足そうに息をつき、口角を上げた。
「…間違いなく至高品だ。俺のものにするとしよう」
しかし先ほどの蒼矢の匂いにやはり我慢できなくなったのか、指で蒼矢の口元と顎を押さえ、そのまま顔を近付けていく。
「!!」
が、何かに気付いてサッと距離を置く。やや驚いたような蔓田の視線は、蒼矢のジャケットの内ポケットあたりに注がれていた。
突然淡く広がり出す、青い光。そのほのかな光の元は、蒼矢が普段から肌身離さず携帯しているペンダント――もとい、『セイバー』が変身するための起動装置だった。
「…」
蔓田は席を立ち、一歩下がって蒼矢を見る。
改めて観察し始め…硬くなっていた表情をすぐに戻し、歯列を見せながらにやっと嗤った。
「尚更良いじゃないか」
ついで、空間に溶けるように消えて無くなる。
室内の明度が、切り替わったように元に戻る。
「……、」
ふと、蒼矢は目を覚ます。
いつの間にか寝入ってしまったことに気付き、やや慌てるが、覚えている景色から比べそれほど夕日の傾きが変わっている様子はなく、時計を見てもほんのひと時だったようだ。
「烈に電話しないと…」
いくらか夢うつつな様子で携帯に手を伸ばし、広げていた資料を片手で整理し始めた。
胸元のペンダントはいつも通り、何事もなかったように静かにポケットに収まっていた。