拓は桑原自動車の四輪自動車のエンジン領域のリードエンジニアだった。
桑原自動車は、日本人なら誰もが知る、日本を代表する伝統を誇る会社だった。拓は派手に成功しているタイプではなかったが、質実剛健にエンジニアリング技術を追求する、真摯で穏やかな専門家だった。剛と同様で、地道に勉強を積み重ねるタイプで、常にエンジンに関する論文を研究し、自分でも学会に論文を投稿していた。寡黙な男だったが、常に前向きで、自殺などするような人間ではなかった。つい先日も、とても明るく家族と食事をし、笑い合っていた。拓は剛が喧嘩を繰り返している事や、派手に女性を狩り漁っている事も知っていたようだったが、鷹揚に構え、冗談を言っていた。
「お前が、強くて悪い奴としてしか喧嘩しないのはわかっているよ。だが、殺すなよ。殺したら、相手だけじゃなく、お前も終わりだ」
「お前、派手に遊んでいるようだな。年上好きの子が居たら、そろそろ紹介しろよ」
拓は不思議と剛のような攻撃性はなく、ただただ機械への好奇心が強く、穏やかで、器が大きな男だった。剛は自分とは全く違うタイプだったが、そうした父親の事を深く愛し、尊敬していた。
全くの突然の出来事で、剛をはじめ、家族は拓の自殺を受けとめる事が出来ず、茫然自失としていた。全く現実感がなく、悲しさも、驚きすらも全く感じられない、ただただ呆然とするしかないような時間が流れた。奇妙ではあり、不思議ではあるのだが、全く謎の手掛かりが掴めない。
何の感情も湧き起らない、白黒の時間だった。
拓の謎の自殺から3か月、桑原自動車のリコール事件が発覚した。桑原自動車は、エンジンの致命的な故障を意図的に隠していた。この故障により、実際は数百名が事故で亡くなっていた。だが、桑原自動車はこの事実を知りながら、隠蔽していたのだ。
(もしかしたら、父さんの死はこの事件と関係しているんじゃないだろうか?)
剛は一瞬思ったが、ともかく現実を受け入れられず、思考力が全く働かなかった。最も身近で、最も強さや明るさを感じていた拓が、誰にも何も言わずに突如死んだことは、剛に深い闇を落とした。
(父さんでもそうなら、人間は本当は心の奥に恐ろしく深い闇があり、恐ろしく脆く、恐ろしく他人を信頼していないんじゃないか?)
自信を積み上げて来た剛だったが、拓の自殺によって、人間そのもの、自分自身を信じられない可能性を知ってしまった。
洋介を植物人間にしてから、飛躍的に成長して来た剛は、ここで急速に強いブレーキを踏んでしまった。トレーニングをしても、勉強をしても、喧嘩をしても、女性を抱いても、常に虚ろな感情は変わらず、闇に吸い込まれていってしまうようになった。剛は廃人の様に、生気のない廃棄物のようになってしまった。
そんな剛の元に、大蔵から最悪の宣告があった。