※この作品はR-18です。

チカラの器   作:ヤン・デ・レェ

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描きたいから描いた。
設定大好きなフレッドの頭ん中を文字にしたぜ。
こんな感じだったら面白いよね、というだけの設定です。
作者の妄想なのでね、うん。
バリバリのフィクションというか捏造というかなんでね。

白徳がどうして覇権を握れたんだろう?っていうのを考えてみた。
やっぱりね、血の力はあったと思うんだよ。
初めて主人公の国の名前だしました。


妄想が膨らんだので

マギ 煌帝国

 

大黄牙帝国は暗黒大陸勢力:カタルゴ永世皇国

によって征服され、その国土は山脈以東果ては極東の鬼倭国との間の海域までをカタルゴの統治領とされた。

統治領は大きく分けて東、中央、西の三つ、細かく分けて三領域を十ずつに分けた三十の軍事区画に分割され、各々に皇国本国の統合軍政院または、前身を合従軍主翼とする天山山脈以東方面派遣軍からの主要将官が統治者として任じられた。

 

大黄牙帝国滅亡後、黄牙族自体は一切の処罰を受けることなく皇国に帰属。寧ろ大いに好待遇で迎え入れられ、専門兵科として騎兵科を設立。以後陸上戦力の一翼として機動力に力点を置いた戦術の開発、兵動員力における運用で大きく貢献する。

騎兵科の内訳の大半を黄牙族出身で独占、一時軍務局による監査が入るも特に問題は見つからず、結果としてこの失態により軍務局に対しての優越が見られたがこれは一時的なものに過ぎず、軍部での一大派閥形成には至らなかった。

現在に至るまで兵科内での大きな闘争は起きておらず、派閥的特性は一族偏重用程度である。一方で、一時は帝国滅亡直後にも噂された近侍軍との軍部内闘争はなりを潜めてはいるものの両陣営は余り友好的とは言えない。

 

・両練家(衛家)の台頭

旧帝国領、後皇国統治領のうち中原と言われる中央地方の軍事区画は全体で十。

この内の最大版図を統治していたのが練白徳の練家が流れを組む血筋の始祖にあたる人物である。

練白徳の代、この時世界は既に恣意的分裂によって分かれて群雄割拠しており、中原はその中でも永らく最も加熱していたと言える。

旧民族合従軍は各民族国家へと姿を変えたあと内紛が始まった。

が、その殆どが時期を同じくして示し合わせていたかのように内紛を停止、皇国による割譲版図にその繁栄の中心を移行した。

そんな中、唯一戦乱の只中にいたのが中原である。

 

この要因は大きく三つ。

 

一つは黄牙族の一部による大黄牙帝国の再興の機運を目指す一団の離反が起こったこと。

このことは軍部内の黄牙騎兵派閥の立場を大いに揺らし、その軍内部権力占有率を莫大に低下させる結果となった。

 

二つ目は、旧帝国の軍事区画の統治責任者として派遣された皇国本土からの移住将官の子孫の内、土着した子孫の複数の非眷属領主の存在が原因と言われている。

祖父に遡れば、眷属として本土軍内部の重要ポストが約束されていたが、孫の代になり眷属化による本土での軍官としてよりも、非眷属の身ながらも地方それこそ中原の統治者として本土からの好待遇を引き出さんとする勢力が生まれたのだ。

経年による人間性の劣化は、地方のように態と放任的な統治を認めていた地域ほど色濃い。

 

そして最後の三つ目、これは極めて単純ながらも重要な分岐点であった。

 

千と数百年を遡り、ある年のある月の出来事、天山山脈以東方面派遣軍の総軍預りを務めた傑物が死んだのである。

 

カタルゴ大帝の信任は厚く、しかしその臣歴は意外にも若く、正に中原での戦いの際に大帝から直々に見出されたという。

あれほどの大派遣軍の総軍預りとして選抜されたのは対騎兵戦略眼の高さからか、異例の大任と言えた。

 

名は衛晴(えいせい<ぜい>とも<じょう>とも)

 

→出身は中原の西端、現地の反大黄牙帝国勢力として活動中に追跡を逃れるために天山山脈の西域へ抜ける。

それ以降数年の旅路の末暗黒大陸に辿り着く。

思想に感化されるとともに、国家元首個人への忠誠を誓い軍学校への編入を果たし、極めて優秀な戦略戦術の才覚を示す。

電撃的な昇進を果たし、天山山脈西域に多発していた小国家群の小競り合いの鎮圧と一帯の平定を任される。

その後総督(軍事区画の二つ以上の統治責任者を指す)に就任。

天山山脈における兵員輸送計画の策定の陣頭指揮での責任者などを歴任した後に総軍預りとして、黄牙征伐を勝利に導く。

体を眷属として変容させていないにも関わらず、当時としては極めて長寿と言える105歳で老衰。

 

 

当初は遺産相続の第一位を自分の長男と曾孫の長男(衛荀篤)とし、自身の死後は後者を分家衛家(練家とは不同、衛晴の弟が初代。三代目の衛徳は子宝に恵まれなかった。)の当主として中原の盟主とすること、本家筋はごっそりと本土へと移住することを遺言していた。

死の二日前、丁度玉真が臣家練家の当主となった日に突然前言を撤回。

玉真一人にその莫大な遺産を相続させる旨を宣言した。

死の1日前には自身の最近臣

☆長男

*孫(長男)

 

☆このずーーーーーっと後… 玉艶の前、前臣家練家当主→練玉仁(衛仁)

*このずーーーーっと後…白徳の前、前分家練家当主→練白善(衛善)

 

他その一族(各家の次期当主と私設軍を除く)を本土へと上洛させた。

翌日、朝餉の用意のために膳を運ぶ女官が、衛晴が老衰しているのを発見。

中原の専任軍政官を通じて本土へと伝達されその死が公に認められた。

1週間後には何処からか情報が漏れた事により中原動乱が発生した。

抑止力として絶大な威力を発揮し続けていた衛晴の死が動乱の後押しとなった。

衛晴の誤算は自身が手塩にかけた中原治安軍の約半数の離反と、黄牙族過激派との迎合であろう。

 

最終階級:大公将軍(総軍預り就任直後に上公将軍(シニアンコマンダン)となる。一位階下の階級にも関わらず例外として任ぜられた。

この後、大黄牙帝国との地上戦で3回にわたり連戦連勝。

この功績で正式に大公将軍(サーコマンダンテス)へと昇進。

帝国滅亡直後の戦後処理も担当するなど様々な面で活躍した。

 

派遣軍解体後は中原一帯の大総督(ダス・デューラー)(広範囲を統治する際に政治と軍事の権限を握ることのできる顕職。総軍預り同様に最上位軍官職二種に相当する者のみ就任が許される。一種の例外的なポスト。)として異例の広域統治を任せられる。

戦後年の85年の節目に老衰、105歳。

最後まで眷属化こそしなかったが、最期まで大帝個人に忠誠を尽くした。

黄牙帝国滅亡の最大の功労者とされる。

対騎兵戦闘において天才的術感を持ち合わせており、滅亡直後の一時的に頻発した黄牙族残党の反乱を、西域派遣軍総軍預り:同じく大公将軍の霍去英と共に鎮圧、双方軽微な犠牲に留めたのみならず中原の治安維持のための警察組織としての再編成を本土に奏上、それを実現させた。

生涯において対騎兵戦闘は負けなしであった。

大帝による軍事的相性に基づく戦略のお陰で他の大将軍級将官と同様に大敗北の経験は皆無であった。

 

 

この傑物の傑物たる所以は、自身の後進の育成に快く励んだ事である。

しかし、今回はこれが仇、そして僥倖となる。

仇は、自身が死の間際まで鍛え上げた中原治安軍の極めて強力な騎兵団の約半数が帝国再興の過激派に迎合した事である。

結果、大いに中原の平穏は荒れた。

治安軍同士の骨肉の争いが繰り広げられた。

 

動乱が始まってから何百年という年月が経ち、白徳の世代が回ってきた。

 

 

・練白徳

→衛晴の何十代も後の子孫に当たるが、兄弟が多い中では血が薄い部類に入る。最も権威貴い血筋は玉艶の血筋。本家の長女という血筋になる。本土にまでその名を轟かせる高名な軍事における大権威-衛家を本流に持つ。

結構前の代から既に本家を継ぐことから離れており、分家という立ち位置である。

順位としては、

 

・衛家(本家)→第五十四代衛晴(出生名-衛慧)

(玉艶の弟。長男(→衛荀篤)は本土にて近侍軍の近衛将軍(ナイトコマンダン)として勤務している。兄、姉に対して余り優秀とは言えない。衛晴が存命中に血の薄い白徳に目をかけていた事もあり、白徳に対してコンプレックスを抱いている。)

 

→→→最終的に衛家の隆盛は直系五十四代目の衛慧の代で途絶えることになる。

白徳が近侍軍を迎え入れる直前に、情報の精査も行わずに私設軍の全てを情報でもたらされた白徳がいるといわれる場所へ急襲をかけさせた。

このコンプレックスの果てに起こした軽挙妄動が最大の失敗であった。

結果、その場で急襲を受けることになったのは迎え入れられるのを待っていた近侍軍高官とその護衛であった。

このことから謀反扱いとなり、衛慧は天山山脈山荘へと幽閉、配流。

ここに本家が取り潰され、玉艶が当主の臣家が実質の衛家の看板となる。

本土にて近衛将軍(ナイトコマンダン)として職に就いていた兄:衛荀篤は近侍軍を除籍させられる。

軍官位を失うことは無かったが、降格し軍尉の大侯将軍(サージェネラスト)が最終階級となった。

練白徳へと嫁ぎ、かつ衛家の最高遺産相続権を有していた玉艶には唯一何の追及も無かった。

更に言えば、中原動乱の際に混乱に陥った中原治安軍を御したことを高く評価される。

衛晴の再来などと揶揄される。

治安軍からの信頼が向上したことに伴いその軍権への影響力が増しに増すこととなった。

中原最強の精鋭は玉艶の掌に落ち着いた。

 

このように中原の盟主として往年の隆盛を極めた衛家の本家筋は、男性当主が衛晴、衛荀篤、衛慧がそれぞれ老衰、降格、配流したことによって没落した。

中原における男性当主の最有力は消去法から練白徳となったのだ。

 

このあと練白徳は中原を平定、東西の群雄割拠地帯との迎合による戦乱継続が予想されていたが、突如として暗黒大陸本土の近侍軍本軍および民族合従軍が天山山脈を越えて天華(東域、中原、西域全体を指す言葉)へ雪崩れ込んだ。

 

土着していた移住将官の子孫の複数を処断、天華一帯を煌帝国と呼称、あくまで他国による内紛解決の為の処置として新興独立国家樹立を宣言した。

初代煌帝国皇帝として中原の盟主衛家の男性当主を推挙する声が多く挙がった。

最有力者は中原の動乱を鎮める功績により白徳となったこともあり皇帝として即位が決定したかに思えた。

 

 

が、即位式当日に天華は三つの国に分かれた。

 

→そしてこの時代になるということですな

 

*<呉>

山脈から西域を支配。天山山脈の山荘に幽閉されていた衛慧が初代皇帝を自称する。

主力を旧黄牙族氏族の私軍が担う。

衛晴の死と衛家本家の没落により、対騎兵戦術は暗黒大陸本国軍を除いて広く衰退。

結果として旧氏族の騎兵団は広大な天華において強力な存在としてその存在感を増した。

 

*<煌帝国>

中原一帯を支配。初代皇帝は練白徳。

大執政官という特務官位が設立され、これに玉艶が任命される。この官位の職権は新編された警察軍(旧治安軍が8割であり、帝国軍の最高指揮官は皇帝の権限であり別。)の統帥権の行使と、特紫金という政治献金の受領及び私用を許可するというものであった。

治安軍の存在により三国の内ではもっとも理想的な状態であり、国民の数も多い。

 

*<凱>

東域一帯から中原の端を侵食する国。初代皇帝は霍去采(東域方面軍総軍預りなどを歴任した霍去英の曾孫。本家から分裂し、土着した現地領主。)

大陸の東端の北部から中部までを実効支配している。皇帝の意向により、一時縮小解散された東領金軍の再建、大金軍と改めて正式に国軍として制定することが宣言された。

治安軍と並び、旧天華の覇権を争い生き残ってきた百戦錬磨の将兵を軍の重要ポストに置くことで、軍政改革と練兵を進める。

衛家との紛争以来錆び付いていた軍事制度ほか方面の一新を目指している。

 

 

 

・練家(臣家)→練玉艶(衛艶)

(あくまでも長女であった為。衛晴によって遺産相続権第一位に指名される。

例年とは異なり男性当主を指名しなかった事から耄碌を疑う声も上がったこの選択は皮肉にも最善の選択となった。

権威という意味での格は出生以来の良さも相まり本家よりも知名度ともに高い。)

 

・練家(分家)→練白徳

 

<白徳が覇権を握るに至れた要因>

 

・脈々と受け継がれてきた衛晴以来の類稀なる対騎兵戦術を実現するためだけの軍事教育を受けられる環境下で育てられたこと。

→特に、血の薄いにも関わらず白徳は幸運にも学ぶ機会に恵まれたこと。

 

・衛晴の遺産である莫大な財源を投入し、本土から中原動乱の仲裁のために近侍軍を呼び寄せた事、またその近侍軍が地方の自身のライバルとなる領主を鎮圧させる結果を招いた事。

→これは玉艶との婚姻によるところが極めて大きいため、どちらかと言うと本土の仲裁を先んじて要請したこと

 

・衛晴の直系を組む玉艶を自身の妻として迎え入れた事。

→自身と玉艶を旗頭の双璧としたことで、玉艶麾下へと集結しつつあった中原治安軍(動乱当初から分裂、流水の侵食を受けるように規模をすり減らしてきたが依然強力)の内約半数を自身の手勢に数えることが可能になった事。




うーん。霍家とかよくわかんないの出てきましたけど、そこんとこも随時設定を練っていくので。
世界史好きな人は名前にピンとくるかもね。
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