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――『私』が母に連れられてから、何日か経った
山道、砂利道、獣道。ありとあらゆる場所を沢山歩けば足の裏が悲鳴を上げ始める。幼い身体で歩き回るには辛い筈なのに不思議と我が儘を言わなかった。母も同様に疲れている筈なのに、互いに何も話さず進むのは最早どうでもいいと思う程に疲れ切っているからだ。故郷に居ることにも、暴力と博打に明け暮れる父にも。逃げても追いかけられていると想像すれば不思議と歩みは進んでいった。
――何もかも嫌で投げ捨てたくなった
二人が旅に出たのは目的の寺院に行くためだった。万世極楽教という、教団。そこでは穏やかな気持ちで楽しく生きること。つらいことや苦しいことはしなくていいという教えの下に信者が暮らしているらしい。という、らしいと表現するのは人伝に聞いた情報でしかないから実際見たからではないからだった。
――結局当てのない母と私は頼れる場所なんてそこしかなかったのである
高山を登り切れば明け方の独特の冷たさが頬を冷やす。目の前には霧がかり視界は快適とは言えないながらもようやく何か小高い影が視界を掠めた。そこに迷わず進み、歩けば巨大な門が二人を出迎えた。金の高価な装飾の為された門を二人で叩けば、門があっさりと開かれた。どうかされましたか?そう言われて出迎えられれば私と母はあっさりとそのまま意識を失った。
――目覚めれば、柔らかい布団の上だった
隣で眠る母を確認すれば、訳も分からず涙が溢れた。ああ、やっと着いたなんていう感傷にも近い感情がせめぎ合っていく。涙で滲む目を擦り嗚咽を漏らした。
「ああ、目が覚めたんだね?」
不意に、優しく穏やかな声が響いた。まるでそれは天上から奏でられる優美な旋律のようだった。私はそれに惹かれて声のする方へと顔を向ければ見たこともない美しい人がそこに居た。月夜で照らされた白橡色の髪はキラキラと反射して、瞳には虹が閉じ込められていた。
――声を掛けることなど出来る筈もなかった
私が声を掛けることすらもおこがましい。また違う感情の涙が溢れ出せばどうかしたのかい?と心配する声が私だけに向けられている。嬉しかった、少しでもこの方を視界におさめたくて涙を拭おうと擦ればその手は優しく掴まれてゆっくりと頭を撫でられた。
「そんなに擦ってしまえば、腫れてしまうよ」
せっかく可愛い顔をしているのだから、駄目だよ。そう続ける言葉に私はただただ、頷くことしか出来なかった。ああ、なんてお優しいのだろう。きっとこの方が教祖様なのだという直感は確信へと変わる。跪こうと動くが今は無理をしてはいけないよと笑う教祖様の優しさに、荒んだ心が癒されていった。そうしている間にも母が目覚めていることなど、私が気付く筈もなかった。
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教団内では自由にしてもいい、と言われて私は母と二人で部屋に居た。特に話すこともなく、ただただ二人きりで時間を過ごす。何かを話さなければと思っていても咄嗟に発することは出来ないのは私の弱さでもあったがそれ以上に母から発せられる何かを感じて声を掛けられないのが本音だった。
「……ねぇ?」
気まずい時間ばかりが過ぎていけばそれに終止符を打ったのは母の一言だった。母は声を掛けてくれたのに、私は何故か返事が出来なかった。ドクリと動く心臓がやけに響いて喉が酷く乾く。そんな私のことなどお構いなしに母は畳みかけた。
「私が眠っている間に、教祖様に会ったのでしょう?」
どんな方だったの?そう問われれば私の緊張はすぐに無くなって身を乗り出して母に応えた。どんな見た目をしていたのか、どんな声をしていたのか、どう声を掛けて頂いたのか、どうしてもらったのか、どんなに優しいか。自分が表現できるだけの言葉をもって教祖様を称えてみせればすうっと目を細めた母の顔がやけに印象に残っている。一通り話せば、母はそうなんだと相槌を打っている。何処かよそよそしい声だったがそれに気付くこともなく母と話せて満足していた。
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信者としての服も支給されそれが着慣れてきた頃のことだった。今日も教団内での掃除をしていた。幼い私にはこれだけでも十分な重労働であったが、働けば教祖様に間接的にお役に立てると思えば不思議とそれも苦痛に思わなかった。
――教祖様とお会いになったのはあれきりだ
またお会いしたいと思っていてもあの方は忙しい。今日も何人も悩める信者を導いているのだから求めることなど間違っていた。せめて、お会いになれなくとも教団内を綺麗にして心健やかであって欲しい。子供で出来ることなどそれだけだったが、少なくとも私にはそれで十分だった。
――不意に何処からか、何かけたたましい声が響く
よく聞けばそれは女の声で、それが自室として使っている部屋の方だと気付けば私は走り出した。部屋に入れば家具が散らばり、母は興奮しきった様子で怒鳴り散らしていた。
「あの方とお会い出来ないってどういうことなの……っ!?」
私はずっと前から約束していたのよ、私はこんなに苦しいのに。目を血走らせ叫ぶ女は紛れもなく私の母だった。
――教祖様にお会いしたいと言い出してから以来、こんな調子だ
一度会ったら満足するかと思えば更に酷くなった。きっと一度だけでは満足出来なかったのだろう。それでもあの方を困らせてはいけない、そう私が母を諭し宥めれば母は意味をなさぬ声で叫んで近くにあった壺を割った。咄嗟に避けたが避けきれず腕に当たり痛みが走る。割れて四散した壺の破片が飛び散れば私の頬に掠り血が玉になって溢れ出した。こうなってはどうにもならず、すぐに部屋を出た。また何かを壊す音が響けば私は息を吐き出した。
――どうにもやるせなさを感じてしまう
私は母にどうしてあげれば良かったのか?そんな問いかけを出来る相手はいないまま、内にその感情を溜めていく。叫びたい声を抑え込み、物思いにふければ気付けば日が暮れていた。真っ暗な庭で一人佇み、ようやく息を吸い込んで頬を叩く。もう母の癇癪も収まっている筈だ。今頃眠っているから部屋を片付けなきゃ、そう自分に言い聞かせ立ち上がれば、目の前に教祖様が立っていた。
「やあ、良い夜だね」
そう言って近付かれれば自分が随分と汚れた格好だったと気付いた。急に恥ずかしくなって顔が紅潮すれば熱が上がるのを感じた。可愛いねと教祖様が笑った。あの、必死に声を絞り出せば教祖様は首を傾げた。
「……お休みにならなくて、いいんですか?」
あんなに働いていたのに。そう言葉を発すればキョトンと目を丸くさせた教祖様の姿が視界に映った。偉そうにそんなことを言ってしまったことを後悔すれば教祖様の端正な顔が近付いた。息がかかる程に、距離が近い。
「……何を、……ひ、ぁ!」
そう言いかける私の頬に何かが這った。ぬるりと水気の帯びたそれが舌だと気付いた時には頬に痛みが走る。ビリビリとした痺れと共に何かが引き裂くような痛みを感じた。眉を顰めて僅かに仰け反れば教祖様もそっと離れた。塞がりかけた傷が開いてしまったようだった。赤い血が伝い流れる感覚がする。鼻先を何度もスンスンと動かす教祖様はまるで犬のようだった。
「……へぇ、君って稀血だったんだねぇ」
楽しそうに笑う教祖様の姿に困惑する。マレチという単語の意味を理解できない私はただ困惑する。ううん、と少し考える素振りを見せながら取り出した金扇を何度も手に置いて叩く。
「でもなぁ、まだ小さいからなぁ」
勿体無い。ぶつぶつと呟く言葉と共に教祖様は金扇を一際大きく音を立てる。もっと大きくなってからかな、どうやら考えが纏まったらしい。金扇の先端が、私の顎を捉えて上げさせられれば心底楽しそうに教祖様が笑っていた。
「また、この時間においで」
俺と話でもしよう。その言葉が、私の支えになった。
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今日も母が叫ぶ。いつもの発作のようだ。私もこの頃になれば母との距離の取り方を学んだ。
――あれこれ言っても仕方がないからああいう時は放っておくのが一番よかった
物は多少壊れて片付けるのも大変だけれども私はそれでも良かった。いつものように人目を気にしながら庭で夕暮れ時まで時間を潰す。教団の庭は丁寧に手入れをされており、端正に整えられた坪木と鯉の居る池は私の視界を楽しませていた。
――時間などあっという間だった
夕暮れの日が落ちれば目の前はあっという間に暗く染まる。まるで夜に閉じ込められて不安になるけれど、怖くはない。
「ごめんね、待ってたかい?」
教祖様の声が真上から降り注ぐ。私の小さな手に暖かな大きな手が重なればそんな恐怖心など吹き飛んだ。
――こうして定期的に教祖様と会ってから何度目だろうか?
お忙しい方だ、こうして時間を作って私ごときに会いに来てくださることに感謝する反面、母がこうして発狂している間に何度も会っていることに後ろめたさを感じていた。それでも会わせずに秘密にして優越感に浸る私は醜いに違いなかった。それでもいいよ、と教祖様は笑う。
「それも君らしさなんじゃないかな?」
そんなことを溜め込んで、可哀想に。そう言って涙を流す教祖様に救われた。きっと私は醜い人間だった。それでもいいならいいんだと言い聞かせて甘える。教祖様との時間を楽しかった。まるで逢瀬のようだね、と茶化されれば恥ずかしかったけれども嬉しくて幸福な時だった。いつまでもとはいかないだろうなと思えば教祖様は大丈夫だよと笑う。
「君の此処が大人になったらずっと一緒だからね?」
そうすれば君は永遠に生きられる。私の腹の中にある子宮を撫でるように教祖様は服越しに優しくそこに触れる。決して厭らしさを感じさせない手つきはくすぐったく身じろげば教祖様は楽しそうにいつものように微笑んだ。
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――私はいつも早く大人になりたいと願った
教祖様の言う永遠の意味は分からないけれど、きっとそれは幸福なことに違いない。その願いはあっという間に叶えられて、12を待たずして私は初潮を迎えた。真っ赤に染まる布団は紛れもなく、待ち望んでいた大人になった証明だった。喜ぶ私に反して、母の声はやけに冷たかった。
――それでも一向に気付くこともなく私は浮かれていた
はしゃぐ私はすぐにでも教祖様にお会いしたく、すぐに部屋を飛び出した。いつもの庭であの方を待ちかねる。そわそわと日が暮れるのを待っていると、草の揺れる音が響いた。やけに早いなと疑問に思ったその間もなく、トンと背を押されてしまった。
――浮遊感と共に私は池の中に落ちていった
冷たい水の中、息をすることも許されない状況だった。霞む視界の中で見上げればそこには母の姿が映っていた。見下ろす母は、かつてない程に穏やかに微笑んでいた。
――そこからの意識はない
幸いなことに私は一命を取り留めた。三日三晩の熱との戦いの末に私は命を勝ち取った。だがあった筈の初潮はとんと止まってしまった。一向に月のものの兆候がないと悟れば私は女としての機能がなくなったのだと悟った。胸は膨らみ、大人の女になったがそれだけがないと思えば教祖様と会う約束の場所に行くことを躊躇させて年ばかり取っていく。
――そうしている間に母は教祖様と会う日程が決まった
おしろいで粧し込み、紅をしく。母は年老いていても美しかった。
――母は母になることよりも女になることを選んだのだ
母は私を見るなり笑う。まるで小馬鹿にしたように含みをもった笑い声は何処までも耳に残った。
「役立たずのあなたの代わりをしてくるわ」
途端に惨めな思いになったが、同時にこれは罰なのだと思った。母にそんなことをさせてしまったのは紛れもなく私のせいであったし教祖様を独占した罰に違いなかった。母にせめて行ってらっしゃいと言いたかったが、それ以上言葉を掛けられなかった。それだけが、出来なかった。
――気付けば庭にいた
子供の頃はここにいつでも居られたのに、今はそんなことすらも出来ない。池を前にすると情けなく身をすくませてしまうようになっていた。情けない、無様だと思っていると布の擦れる音が響いていた。
――きっと教祖様がそこにいるのだと思えば、足は自然とそこに向かっていた
そっと閉ざされた襖を開き覗き込めば半裸に剥かれる母の姿とそれを抱き締める教祖様の姿が映っていた。
――これ以上は見たくない
思っても自然と食い入るようにそれを見ていた。まるで慈しむように触れる教祖様の手が母の首筋を撫でる。は、と熱い吐息を吐き出した母が口付けられれば、首筋を撫でる教祖様の手に力が篭った。ゴキリと母の首がへし折れる音が響く。人が首をへし折られれば、容易く死んでしまう。
――母が、死んだのだと理解した
唇を離した教祖様は母の首筋に顔を埋めて大きく口を開けて噛み付いた。グチャリと生々しい音と共に肉を食い千切る教祖様の顎が真っ赤に染まった。敷布も同じくらいに真っ赤に染まり、次第にそれは激しくなった。母だった残骸は肉片となり、教祖様はそれに貪っていく。
――まるで男女の睦み合いのようだ
喰らう教祖様も背徳的に血で濡れて、艶を帯びた唇が肉を貪る姿は化生の類ではあれども色気があった。肉片となった母が羨しい。身の毛もよだつ光景が美しいと思ってしまった。
――ああ、そうだ
きっと私もこうなりたいのだと悟った。女として終わったのだとかそういうモノはあの方には関係がなかったのだ。足早に私は部屋に戻り母の化粧箱を出して初めての化粧をする。見様見真似の拙い化粧であったがそれで十分だった。
――きっと母も私も門に入った時から死んでいた
今日一緒に死ぬのも当然のことのように思えた。これはきっと運命なのだ、私はすぐに母と教祖様のいる部屋に入れば一瞬驚いた顔を見せていたがいつものように優しく微笑んで、手招きされた。すっかりと血に汚れていたがどうせ汚れるのだ。私は誘われるまま、教祖様の傍に駆け寄り抱き締められた。抱き締める教祖様がその時どんな顔をしていたのかなんて、私には分からなかった。
童磨さんの信者でも互いに同意している人もいるんじゃないかなって想像してこれが出来た。