※この作品はR-18です。

ただ死へと向かう生の旅   作:海沈生物

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冒険のはじまり(2)

 部屋に帰ると、咲夜から悲鳴を上げられた。何事かと思っていたら、なるほど、白衣の下にも血糊が飛び散っていたらしい。またお気に入りの服が減りそうだ。かなり落ち込みながら、白衣と下の服を脱ぎ始める。このあとにすることと言えば、もう寝ることぐらいだが。私はしっとりと心を安らがせていると、咲夜が不安そうな表情を向けてきた。

 

「……のぅ、本当に”計画”が上手くいくと思うか?」

 

「えっ……もしかして、黒服さんのことを信頼していないの?」

 

「そういう訳ではない。ただ……あの女がどうして協力してくれているのかイマイチ分かっていなくてのぅ」

 

「うーん……単純な好意じゃないの?」

 

「あぁ、それもあると思うのじゃが……いや何でもない、シャワーを浴びてくる」

 

 咲夜はそう言い残すと、暗い面持ちで浴室の湯煙に消えていった。半裸のまま、私は咲夜の温かみが残るソファーへと寝転がる。どこまでも冷たい、けれどほのかに温かい革張りのソファー。その温度にウトウトしながら、私は過去を思い出す。

 

 まだ幼い頃、私と咲夜はよく砂浜でじゃれあっていた。コロコロと転がりあって身体も服も砂まみれになりながら、最後には手をつないで空を見ていた。口の中がジャリジャリして、汗でくっついた砂が気持ち悪くかった。その後、マザーに怒られることも気にしないで。最高に酷い気分だった。最低に良い気分だった。あの時代、不幸の中にこそ心からの幸せはあったのだ。

 

 

 気が付くと、いつの間にか眠ってしまっていた。どれぐらい眠っていたか分からない。目蓋を開くと、床の間に寝転がってゲームをする彼女の姿が見える。

 

「……あれ、シャワーから出たの?」

 

 起き上がろうとすると、床に何かが落ちた。確認すると、それは咲夜お気に入りのストライプのクッションだった。くしゅんと鼻水を垂らすと、不機嫌そうな表情でこちらを向いた。

 

「……はよぅ服を着ろ。全く、そういう性癖なのかと思ったわ」

 

「……あっ、私もシャワーも浴びる時間まだあるかな」

 

「知らん。そういう面倒な管理はお主に一任して負ったじゃろう?」

 

「あー……そうだよね、ごめん」

 

 言葉を失敗した気がする。私は心を落ち込ませたが、すぐその感情を心のタンスに押し込んだ。今はそんな心の揺れに動揺している場合じゃない、困るのは後回しにしておかなければならない。逃げるようにして、私は浴室へと向かう。

 

 

 この施設に浴槽はない。もちろんこの場所には電気は通ってるし、頼めば水道水でもミネラルウォーターでも黒服さんが持ってきてくれる。もちろん、シャワーも使える。なのに、浴槽だけは使わせてくれない。何度か黒服さんたちに頼んだことがあったが、それだけは許可されなかった。疲れた身体に染みるあの浴槽の温かさを感じ入れないのはこの施設の難点である。

 

 肌と水が擦れてゆき、髪から水滴がしたたる。”水もしたたる良い女”ではないにしても、”水の垂れる良い女”ぐらいには見えるだろうか。咲夜にこんな今の自分を覗かれたら、絶対恥ずかしさで排水溝へと水と共に溶けていくだろう。そう妄想していると、背中に妙な違和感を感じた。シャワーの音に紛れ、水の感覚を隠れ蓑にした妙な感覚。私は息を飲み込んだ。おへそのところで、キュッと組まれた手。背中から私を抱きしめてくる感覚。私の心拍はもうおかしなリズムを刻んでいた。これは夢なのか、蜃気楼なのか、はたまた走馬灯なのか。何なのか。思考がプシューと蒸気機関のような音を立て始める。

 

「あ、あの……咲夜?」

 

 返事はない。その代わり、私の肌をより強く握り締めてくる。それも肉が弾け飛びそうなほど。その瞬間、私は咄嗟に”それ”を振り払った。その相手は、基本的に相手からの行動に弱いのだ。ぜいぜいと息を吐きながら後ろを振り返ると、浴場のドアに不定形の生きものが張り付いていた。ファンタジーの世界で言うなら、「スライム」とでも呼ばれる種に該当する見た目をしている、その生物。私は安堵の息を漏らした。

 

「……もう、育葉(いくは)。ビックリするから、突然風呂に入り込むのはやめてっていつも言ってるよね?」

 

「##(|%&#……」

 

「えっ、咲夜が遊んでくれないの? うーん……じゃあ、後で遊びに行ってあげるから大人しくリビングで待ってて」

 

「*‘{*=^!」

 

 扉の隙間から消えていく彼女。相変わらず、どんな原理の生き物なのか理解できない。言葉は何となく分かるようになってはいる。彼女は敵愾心がない癖に力は妙に強い。一度身体能力を計測したこともあるが、およそ人を優に超える力を持っていることが分かった。とはいえ、地球上の生物の中でどのくらいかと言われたらそれほどでもない。ただ妙なほど咲夜に愛着を持っており、咲夜もそれほど嫌いではない様子。色んな意味で可もなく不可もない、科学者からすれば”扱いに困る生命体”である。リビングから聞こえてくる咲夜の叫び声に微笑みをこぼすと、私はまたシャワーを再開した。

 

 

 エンタキーを押す音がリビングに響いた。これで全ての準備は終わりだ。後は大凶が出るか大吉が出るかで全てが決まる。というか、大吉以外だと研究偽造がバレて即刻死刑だろう。こればっかりは細工もできない。肩を思いっきり伸ばしていると、後ろからガサゴソと音がする。育葉がご飯でも食べているのだろうか。椅子を回転して見てみると、私は自分の目を疑った。

 

「……お菓子は持っていけないよ、咲夜」

 

「はぁ? そういう事は早く言うてくれ!」

 

「普通、持って行こうと思わないでしょ……『ウマクナイ棒』ぐらいなら良いけど」

 

「あれは不味いし嫌いじゃ。特に納豆味は不味すぎる」

 

「あの味の良さが分からないのは、人生の九割損してない?」

 

「ふん、そもそも……」

 

 目の前が白から赤に変わる。ついに来たみたいだ。一歩のミスが信頼問題、二歩のミスが人生の終わり。私の冷静だった心に、ドラマチックな激情がほとばしる。

 

【緊急事態発生、緊急事態発生。⦅奴等⦆が研究所内に侵入を確認。A~E区画の職員は至急、施設からの脱出を求めます。もういチ】

 

 立て続けの爆発音と共に、目の前が赤から黒に変わる。これで研究所内は”分断”された。咲夜のリュックサックを逆向きにすると、代わりに育葉が入って来る。かなり咲夜は不満そうだが、これも彼女の命のためだ。咲夜に懐中電灯を持ってもらうと、研究所のドアを開ける。開ける。開ける。

 

「……あれ、開かない」

 

「まさか、お主、肝心のここの開け方を考えていなかったのか?」

 

「あはは……三人でタックルしたら開かないかな」

 

「こんな近代的施設でそんなものは……そうじゃ、育葉を使おう」

 

「育葉?」

 

「こういうタイプの施設は、外部からの認証で入場できるようになっているじゃろ? そうであるなら、外部に抜けることができる育葉に開けてもらえば良いじゃろうて」

 

「でも……向こう側に誰かいた場合、脱走生物と勘違いされて大変なことになるんじゃ……」

 

「……そ、その時はその時じゃ! というか、お主の仕込みの甘さでこうなっているんじゃから大人しく反省しておけい!」

 

 私は育葉の瞳を見つめる。あまりにも危機感がなく、今にもソファーの上で遊びたがっていそうな無邪気さ。彼女からすれば、私や咲夜の事情は関係ないのだ。それを私たちの目的遂行のために命の危険に晒してもいいのか。大切であるがゆえに、正当性の無さについて考えてしまう。私は一呼吸つくと、静かに育葉の頭を撫でた。そっと彼女の頭にカードキーを置くと、それを流体な身体の中に取り込んでしまう。

 

「……育葉、これを出てすぐのところにある機械に当ててきてくれる?」

 

「’$#(?」

 

「うん。そうそう……それじゃ行ってきて」

 

 威勢の良い声を上げると、育葉は扉の微かな隙間から向こう側へと通り過ぎていく。それからしばらく沈黙が続いた。咲夜も私も、いつものような軽口を叩くほどの元気を失っていた。咲夜ほどではないが育葉ともそれなりに長い付き合いをしている。だからこそ、胸が苦しくなるのだ。積み重ねた思い出の長さほど、その苦しみは何十倍にも膨れ上がる。当たり前だと言えばそこまでだけど、それを理解した所で、覚悟した所で苦しみが取り除かれることは決してない。私は唇をギュッと噛む。

 

 

 数十分後、ドアが開いた。育葉が上手くやってくれたのだろう。私は注意散漫にも敵のことを考えずに、扉を開けた。育葉の姿を見たい、無事であることを確かめたい。そんな淡い希望にすがっていた。でも現実は悲惨だった。べっとりと廊下に飛び散った液体。触れると粘着質で、その感じを私はよく覚えていた。私はもう言葉がでなかった。暗闇の中の青はとても目立ち、それはとても美しかった。立ち竦む私に、無言で咲夜が袖を引っ張ってくる。そうなのだ。もうこれ以上の猶予はない。心の苦しみがズキズキと痛む。痛みこそが罪であり、それを背負うべきなのだ。決して消えない傷として。……ありきたりだろうか。私は覚悟を決めると、目指すべき場所へと廊下を走りかけていった。

 

 

 色んな感情が胸で弾けていた。思い出が逆流して、喉の奥から吐き出してしまいそうだった、でも耐えた。ひたすらに耐えた。いつしか廊下も突き当たりまで来て、あの巨大な門が見える。議会場への門だ。だが今はその姿は見えず、ただの空洞となっている。何度も通ったこの場所を、ついに咲夜と駆け抜ける。ここからは誰かに見つかれば即終了、私達はその場で処刑されることになるだろう。それは避けたい、最低限でも咲夜だけでも生き延びさせたい。一秒でも多く。一層暗いトンネルを抜けると、そこにはもの静かな議会場がある。そして、肌を擦る風。これは最初、エアコンか扇風機のものだと思っていた。でも何度もここに出入りして分かった。”外への扉”があるのだ。風の一番感じる方向、その向こうに。真なる玄逸がある。私達は風の強い方へと走っていく。

 

「……おそらく、このまま行けば出口があるじゃろう」

 

「うん、おそらくね」

 

「じゃが、それほど強く風を感じる場所とは一体どこにある場所なんじゃろうか」

 

 風を感じる場所。海沿いのイメージが強いが、確かに言われてみればそうだ。波の音を聞いたこともないし、第一にこんな広大な研究所が丸見えだったらさすがに政府も怪しむだろう。隠された場所。どこかの秘境的な土地にあるのだろうか。色々思惑を浮かべながらも出口へと走っていく。それから光が見えてくる。とてつもない光である。眩しくて、直視すれば目が焼けてしまいそうなほどの光量。でも何度か瞬きしている内に目が順応していき、やがてその全貌が明らかになる。いや、明らかになってしまったというべきなのだろうか。風がたなびく、その場所。それは「飛空艇」の中だった。その巨大さはさることながら、おそらく東京一つ分はありそうだ。神様もびっくりである。

 

「……どうしよっか、咲夜」

 

「どうしようもこうしようも……パラシュートとかは無いのかのぅ?」

 

「ないよ。私が細工してもらったのは、この停電だけ。しかもパラシュートがあってもここが海上の上だったらどちらにしてもアウトだよ」

 

「むむっ……ひとまず、戻るか?」

 

「うん、そうしよっか」

 

 こういう日もある。私たちが帰ろうとした時、私と咲夜の額に黒い銃口が向けられていることに気付いた。黒服の男。私の額から汗がこぼれる。

 

「1984の博士。私は貴方を信頼して停電させてあげたのに、脱獄しないとは笑えますね」

 

「いやぁ……あははははは。……逃がしてくれませんか? できれば、パラシュート付きで」

 

「脱走者にそこまでの慈悲があるとでも? さすがにそこまで手厚く見ることはできません。……ですが」

 

 黒服さんは自分のサングラスを地上に投げ捨てると、不定形としか形容ができない形の石を投げてきた。危げなげなくキャッチ。

 

「それは……そうですね、1980番が研究していた超簡易型着地装置です。パラシュートほどの安全性はありませんが、持っているだけで緩やかに落ちることができます」

 

「えっと……つまり、助けてくれるってことですか?」

 

「それは違います。私は”この光景を見なかったこと”にします。……その代わり、死ぬ気で生き延びてください。私に協力をさせたんですから、死んでも追手から足掻き続けてください」

 

 彼女はそういうと、後ろから迫ってきていた黒服たちを一瞥した。そして私と咲夜の背中を……ポンッと、空へ突き落とした。これが紐なしバンジージャンプ、これが肉体の死迫る恐怖。なんとか空中で咲夜と手を繋ぐと、渡された石をギュッと握り締めた。そのまま、深い深い、緑の樹海へと私たちは落ちて行く。

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