ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ために生きていた。なのにあの日、あの瞬間。私の家 そもそも彼女たちを逃がそうと思った動機は何だったのだろうか。黒服として"あの方"に務め、安定した生活と家族の族は全員殺されてしまった。いや、研究材料にされてしまった。残酷な行いだと思う、反逆するべきだったと思う。でも私にはそんな勇気がなかった。いつも同じ飯を食べて笑いあう仲間を裏切りたくない。そんな思いもあったかもしれない。でもそれは言い訳でしかなかった。私が反逆出来なかった、本当の理由は。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何かの声がした。それは聞き覚えのあるものの声で、しかし咲夜のものでもなかった。身体中の痛みを感じながら起き上がる。一面の緑と陽も差さないほど茂った暗黒の森。湿った土には、落ち葉が散りばめられている。そしてその落ち葉に紛れている流体の生き物。
「いく……は……?」
何度か瞬きをすると、その姿は瞼の裏に消えてしまう。もういなくなってしまった存在を幻視するとは、色々あって心が疲れているのだろうか。目を擦りながら立ち上がろうとすると、お腹の辺りにかけてあったらしいものが床に落ちる。研究室の備品よりはガサガサしているが、茶色の毛布みたいだ。
私は周囲を見渡す。窓ガラスのない窓に、枝で組まれた隙間だらけの壁、丸太で組まれた床。毛布を折り畳むと、私は窓から顔を出した。窓の向こうに広がる光景。それはファンタジーじみた、摩訶不思議なものだった。背中に二対の翼を生やし、空を飛び交う生き物の子供たち。それは昔、マザーに読んでもらった本にでてきた『ピーターパン』の世界のようだった。
下を覗いた感じだと、私の今いる場所は巨大な木の中腹に当たるらしい。周囲にはそれと同様かそれ以上のサイズの木しか存在していなかった。一つ、木々の中央に聳え立つ、『クリスマス・イルミネーション』のような華美な装飾がされている木は何かの象徴なのだろうか。
などなど、私はまるで御伽話の世界に入り込んでしまったように心を不安と興奮で入り乱れさせていた。だが、ふっと背中に吐息がかかったかのように"最も重要な事"を思い出す。咲夜は、どこにいるのだろうか。窓から顔を戻すと、私は急いでドアから出て捜索に向かおうと考える。ポケットの中に”それ”があることを確認すると、ドアを開けた。
「…………キャッ……なの、です」
私の身長の半分もないぐらいの、真ん丸でピカピカの目をした女の子。顔を両手で隠しており、なんだか口をパクパクしているのが分かる。
「えっと……おはようございます?」
「…………おはよう……ございます……なの、です」
ひたすらの無言。お互いに知りもしないのに交わす一言目に「おはようございます」は不味かっただろうか。長い間、咲夜と黒服さんとボス以外の人間と話をしたのがないことが堪える。もっと相手の好感度を上げる一言目でも調べておけばよかった。後悔しながら相手の少女の顔を見ると、彼女もちょうど手の隙間からこちらを眺めていた。だが、直ぐに戻してしまう。
「あ、あの……貴女が助けてくれたんですか?」
「…………はい。村の近くで野生のベリーの収穫をしていたら、突然お姉さん”たち”が落ちてきたから……なの、です」
「”たち”って……私以外にも、もう”一人”いたの?」
「…………はい。ですが、その……正確にはお姉さんを合わせて"三人"……なの、です」
三人。あの時、黒服に落とされた時点で下を一度見たが、誰も落ちてはいなかった。落ちていたのは私と咲夜だけだった。もちろん、お姉さんカウントなので育葉が生きている可能性もない。もしかしすると、追手なのだろうか。私は顔を青ざめさせながら、安心と不安に心を酷く揺らす。ひとまず深呼吸をする。心を整理して、方針を固める。今重要な事は「咲夜の安否を確かめること」だ。例え、追手がこの場所を徘徊していようとも。それが肝要である。私はもう一度深呼吸をする。
「……"なんとなく偉そうな銀髪の子"の元に連れて行ってくれる事って、出来る?」
「…………はい。少し遠いですが、ちょうど私の才能を見せるには良いと思う……なの、です」
そう言うと、少女は私の両手を掴んだ。ほんのりとした温かさが、非人間らしさに拍車を掛けているように感じる。だが、それは序の口で。まるでVR世界のように、私の身体は浮き上がった。木と素足が触れ合っていた間に、こそばゆい風が入り込んで行く。「…………ごー」という少女の小さな声を火蓋に、私と彼女は空を駆けて行った。
ツリーハウスは面白い順路であり、いわゆるそれはアスレチックのような構造をしていた。ミトラ(空を運んでもらいながら聞いた、彼女の名前だ)曰く、この村には道が存在しないそうだ。それはそうだ。鳥が道を必要としないように、彼らも巣……つまり家が必要であっても、飛べるのだから人間を想定した道は必要ないのである。それ故、人間では通れない道が多く見られ、そのおおよそはミトラがいなければ確実に通れない道だった。だが、その空を飛ぶ能力も万能……ではないらしい。「身体を触れ合わせる」以外の条件として、その重さ……重力を彼女自身が背負っていた。横や下に飛ぶ分には問題無さそうだったが、やはり上に飛ぶとなると違うらしい。下痢に追従して腹痛が起こった時のような表情。私に出来ることは彼女に身を任せる事しかなかった。いくら私が研究者だとしても、魔法使いではない。器具も予算も無ければ、無力な一般人である事は変わらないらしい。
その内に、咲夜の眠る場所までは連れてきてもらえた。ミトラはかなりお疲れの様子だったが、それでも運んでもらえたことは感謝だった。私が頭を下げてお礼をすると、「…………別に……気にしなくても、大丈夫……なの、です……」と言いながら、その場にへたり込んでしまった。しばらくは何も言わずに休ませてあげるのが塩梅なのだろう。先程の私が眠らされていた家とは違い、朝顔に似た花と奇妙に捻れた蔓が外壁に絡みついた家。なんとなく、神秘的な雰囲気を醸し出している。普段の咲夜とは真逆の雰囲気だ。私は首を傾げながら、その家のドアを開ける。
ギィィと錆びたドアを開けた時のような音。その向こう側には、窓に肘を置きながら外の風景を見つめる咲夜の姿が見えた。ひとまず、生きていた事実に胸を撫で下ろす。だが、同時に件のもう一人の正体が気になってくる。だが、今はこの時間を大切にしたい。ドアを開ける音に気付いたのか、咲夜がこちらを向いてきた。
「……あぁ、お主も生きておったか」
「うん……お互い、運が良かったみたいだよ」
「まぁな……それにしても、ここは静かで良い所じゃな」
咲夜はうっとりとした表情のまま、また窓の向こうを見つめる。確かに昔の咲夜も自然が大好きだったのを思い出す。海を見るのは言わずもがな、彼女は大木に腰掛けてうつらうつらにお昼寝をすることも大好きだった。私もその隣でいつも青い空を見つめて、そのまま目蓋を閉じていた。思い出とリンクするように目蓋を閉じていると、今でもあの頃の彼女が隣にいるような気がする。それは一時の夢、もう存在しないものへの哀歌。ただの気まぐれ、事実無根の夢想だ。そこに意味はない。
私は目蓋を開く。目を焼くような光に目を細めながら、いつの間にか目の前でムスッと立っている彼女を見る。私よりも一頭身ほど小さい彼女。夢想とは違う、でも同質の不思議な彼女。眉に皺を寄せる。
「……何をぼんやりしているんじゃ、お主。ほら、さっさとここから出発するぞ?」
「出発……って、もう?」
「当たり前じゃろ。ここは恐らく、ほぼあの研究所のお膝元じゃ。いつ敵が奇襲してくるかなど、分からないじゃろうて」
私は三度ほど瞬きをすると、彼女の瞳を見つめる。
「……うん、行こっか」
ドアを開けると、数分の仮眠から目覚めたらしいミトラとばったり会った。どうやら聞き耳を立てていたらしい。その事に気付いてい咲夜に軽く彼女を紹介すると、 満面の笑みで「くるしゅうないぞ!」と頭を撫でてあげていた。ミトラはとても嫌そうな顔をしていた。だが一瞬、私の胸にドロドロとした感情が湧き上がった。すぐに頬を叩いて打ち消す。打ち消したものが戻って来ない内に、私たちはミトラから"直近の問題"について教えてもらうことにした。
謎の三人目の落下者。ミトラ曰く、その人間は女性であるらしい。ここに住む者たちには”性”という概念が存在しないらしいが、一応人間という種族の性については座学で勉強したことがあるらしい。だが問題なのはそこではない。彼女自体の情報である。
彼女は私や咲夜より酷い怪我をしていて、正直助かる見込みは薄かったらしい。そもそも、普通の人間用の医療技術がこの集落では発展していないのだ。この集落の大半が「もう死ぬだろう」と思っていたらしい。その絶望的見解を裏切って、ピンピンに蘇ったらしいが。
そんな彼女だが、とにかく無表情。集落のお手伝いをしてくれていたのだが、「機械的」と揶揄されるほど顔の中に感情を見せなかったのが奇妙だったそうだ。ミトラの評曰く「まるで"神木"のようだ」とも。人と関わるのが苦手らしく、今は村の端の木陰でキノコを煮炊きしながら集落の人たちに(図らずも)配給しているらしい。
「悪い人ではない、のかな」
「…………うん。お姉ちゃんたちをここまで運んでくれたのも、その人……なの、です」
「……敵ではないのかな。咲夜はどう思う?」
「わしか? あの状況下で、すぐにわしらを追おうとは思わないじゃろ。あの高さから落ちた者は大体が死ぬ。……じゃが、生存していると分かったのなら話は別じゃ。あの研究所には簡単に人の生命を奪う道具がわんさかあるそうじゃからな。じゃから、追手があるとすれば……そうじゃな、わしらの"計画"のことを知っているものでもないと」
「計画を知っている人……もしかして黒服さん、とか?」
「おそらくな。どんな意図を持って"降りた"のかは、不明じゃが」
咲夜はひとあくびすると、興味無さそうに窓向こうの"羽を持つ者たち"を見つめる。まるで、天使のような純白の両翼を持った彼ら。不純物のない塩……というよりは、不純物のない水のイメージ。私も時間的余裕があったのなら、ずっと見ていたい美しさだ。だが、時間は刻一刻と流れて行く。
「ねぇ、ミトラ。その三人目の人って、今どこにいるのかな?」
「…………はい。この木の根元……なの、です」
そう言って、指を差した先。恐る恐る落ちないように根元を見下ろしてみると、確かにもくもくと白い湯気を垂れ流しながら鍋をかき混ぜている姿が見えた。その姿にふと、台所に立つマザーを思い出す。マザーはもっと感性豊かで敬虔な信者であったが、そのピシッとした背中にはどこかマザーを思わせる所があった。漠然とした優しさ、という共通項。私たちはミトラに導かれるままに、入り組んだ木の中を下っていた。
相変わらず人が進むには辛い道だった。だが、まだ上る時よりは気持ちが楽なのは間違いなかった。梢から梢に飛び降りる恐怖さえ払拭することができれば、の話だが。根元に下りる頃には、もう彼女は鍋を片付けて切り株に座り、ただ真っ直ぐの方向を見つめていた。それは私からすれば奇妙な行動であったが、何か一種の祈りをしているように見えた。声をかけるのを躊躇っていると、そんな私の心も露知らずにズカズカと咲夜が進んで行く。
「お主は……あの時の黒服か?」
数秒の間、無言が続いた。聞こえてないのではないか、聞こえていればこの場で殺されるのではないか。心臓がスライスされる時のように、私の心は仰け反っていた。そんな不安を押し退けるように、そのすらりとした首をこちらに向けてくる。
「……あぁ、1984の博士と被検体394、起きてきたのか」
「まぁな。じゃがわしらはそんな名前じゃない。あっちが輝花でわしが咲夜じゃ。覚えたか?」
また彼女は押し黙る。まるでそれが正当であるように、それが清純な静寂であるかのように。一体、何の無言か。私の不安は胸を一杯にしていた。いや既に溢れていたのかもしれない。緊張で目眩すら起こりそうになっていると、それを見計らったように言葉を漏らす。「期限は三日だ」などと、意味ありげな言葉を。
「……やはり、敵が襲ってくるのか?」
「あぁ……と言いたいが、厳密にはそうでない。"私の"生命の期限の話だ」
「……いや、"生命の期限"ってなんじゃ。つまるところ、ここにいた所で追手はやってくるということじゃろ? じゃったら、もう逃げるしかないのではないか」
「そうだ。だが、そういうニュアンス以上の意味がある。"私の"生命の期限なのだ。……私が、"発信機"なのだ」
言葉を上手く受け取ることができなかった。整理できない、というべきか。彼女の言っている意味を理解しようとするのを、私の頭は拒否していた。"計画"において、最も重要な立ち回りをしてくれた黒服さん。私の杜撰な計画をどうにか実現してくれた彼女。咲夜ほどではなくても、情愛はなくても、感謝の気持ちはあった。だからこそ、計画の中で彼女を"正義"にするよう企んだ。彼女の余生を、あそこで平和に暮らせるような計画にした。
「……言葉の通りだ。そもそも、私のような黒服がどうしてあの研究所から逃げ出さないと思うか? 地上へ買い出しに行くとき、そのまま逃げてしまえば良いのではないか。そう思ったことがあるのではないか?」
思ったことがないわけではない。あの研究所はかなりディストピア的職場であり、ボスの一声が死を呼び起こしていた。なのに、どうして誰も脱走に成功した者がいないのか。だが、それは忠誠的なものであると思い込んでいたのだが。彼女はポケットからしなびた煙草を出すと、その先を焚火に付け、ふぅと灰色の煙を吐いた。美しい森の中に、人の汚い文化が織り交ざる。
「……つまるところ、だ。私たちは相互的に監視をしているのだ。そして互いの心臓を握り合っている、実に狂気的だ、実に……ユートピアだったと思わないか? 機械仕掛けの飛空艇だったのだよ、あの場所は。私たちも含めて、な」
「…………あぁ、もうかったるいわ。そんな曖昧な言葉を使うではない! つまり、どうして”三日”しか期限がないと分かるんじゃ?」
彼女は咲夜の方を見ると、フッと貴族的な笑みを浮かべ、持っていた煙草を焚火の中に投げ入れた。
「……”あの飛空艇は世界を監視・管理しているのだ”。名実ともに、ね。だから、正式に言えば”三日”もないかもしれない。ただ今までの最長脱走できた記録が”三日”であった……というだけなのだ。無論、自らを刃で貫いたものは除くが」
彼女はただ燃える焚火を見つめていた。