信仰→性欲→ことば(1)
命は通り過ぎ去っていく。それが私たちが選んだ道であるのは確かで、どれだけ前に進んでも私たちは成長ができない。その事実を噛みしめて、また前に進んでいく。命を踏み台にして。
上空からのミトラの指示で樹海をどうにか抜けると、その先には町があった。鳥羽族の里が「神秘的」であるのなら、この集落は「現代的牧歌」とでも表すのが妥当だろう。緑の丘が広がり、広大な牧場があり、奥の方には住宅街も見える。視界良好である分、上空から丸見えなのも事実だ。早く住宅街の方へと向かわなければ。しかし、私には心積もりがあった。
「……大丈夫、咲夜?」
黒服さんと別れてから数時間後、後方に眩い光が落ちた。それは無音であり、兵器のような趣すらなかった。だが、まるで"既にそこで起こっていた"かのように一帯に巨大な穴を開けていた。それは今までの兵器にあったような「苦しみながらの死」を完全に排除した、ある種は"人道的"な兵器だった。やはり、彼らにとって重要な事は「死んだという事実」なのだ。そこに相手を負かそうという人間的感情はなく、実験を行うと思うこともなく、ただ前方に段差があるから"それを無かったことにしようとする"……無意識的な行動。考えないという行為ほど、人間にとって恐ろしいものはないのだ。
「……あ、あぁ! そうとも、わしの心は鋼の如くじゃからな。それに、まだわしらはボスの居場所すら突き止めておらぬ。振り返るのは、全てが終わってじゅーすを乾杯した時だけじゃ!」
世知辛いと思った。合理的判断を下す度に背中合わせの彼女たちが失われていくのだ。いつか、ミトラや私だって"そっち側"になるのかもしれない。でも今はその時でない。私は微笑みをこぼすと、咲夜の背中を叩く。ムッといつもの偉そうな表情を見せると、私の顔も見ないままに雄大な丘を走り駆けていく。その後をミトラと私が、必死に追いかけていく。……彼女の背中を、見失わないように。
住宅街には呼吸があった。長閑だった牧場地帯の延長線であると思わせる雰囲気がありながらも、そこには近世以降の営みがあったのだ。それは街頭に並べられたテレビや洗濯機だったり、路地裏で四角のゲーム機を片手に遊ぶ少年少女たちだったりする。時代の皮を被った別の時代、まるで「舞台セットに乗った現代人」のように見えた。
ミトラは今までに見た事がない技術に目を輝かせるべきなのか恐れるべきなのかを迷っていた。エデンの園で禁断の果実を眺めているイブのような、「知恵」という神殺しの技術を手に入れようとしていた。自由に行動させてあげるべきか、そうでないのか。街頭のガラスに張り付いてテレビに流れるコメディを薄ぼんやりと見つめるミトラを見ながら、悩む。それは隣の咲夜からの肩バンで記憶から抜け落ちてしまったが。
「……のぅ、お主。この場所なら久しぶりにソファーで眠ったりできないかのぅ」
「眠る……今どこに飛空挺があるのか分からないけど、室内なら見つからないのかな」
「分からん。だが、今の今まで見つかっていないのを見ると、飛空挺の監視機能も全能ではない……そうは思わんか?」
「まぁね。例えそうじゃなくても、このまま睡眠も取らずに逃げ回っていてもジリ貧になるだけだし」
と言ってみたものの、気になることはある。黒服さんの犠牲のことを考える辺り、今までに最長で逃げ切れたものは”三日”だ。その記録自体は”宇宙”というとてつもない話であるし、今の私たちには不可能の一言しかないだろう。だが、それにしては飛空艇の探知能力が弱すぎる気がする。例えばあの飛空艇に想定よりも探知能力がなかったとしても、新たな刺客を送り込んでこないのがおかしい。それとも、既にこの町に潜んでいるのだろうか。私は外で飲み食いする男たちのことを見つめる。
「……あのA級固形食糧のような色をした飲み物はなんじゃろうか」
「…………ビールも知らない……なの、です?あれは年齢制限のある飲み物だから、貴方には無縁の飲み物……なの、です」
「う、うるさい、うるさい!記憶喪失なんじゃから仕方ないじゃろ!」
「…………そうなの?」
「突然、”なの、です”口調をやめるのやめろ!」
いつもの小生意気な態度から一変したミトラに対して、変わらず飢えた獣のような目を向ける咲夜。放っておいてこのまま二人の様子を見ているのも良いが、生憎、道草を食っていたら日が暮れて野宿になるかもしれない。咲夜とミトラの腕を掴むと、咲夜が暴れないように強めに握り締めながらホテルを探すことにした。
無情報で何かを探そうとする場合、そこに住むものへの聞き込みや判断基準となる看板や地図から情報を集める必要がある。だがしかし、残念ながら、"普通の町"というものを私たちは知らない。マザーを中心として運営されていた孤児院には立ち寄る商人の姿はあったが、町については”知識として”以上の情報を教えられていなかった。例えば「食材を売っている」「お金というものが必要」のような類だ。それは研究所に入ってからもそうであり、基本的にボスサイドが”この研究に不必要”と思った情報の閲覧は禁止されており、見るとしても書類による手続きを必要とした。
そのため、知識と世界の摺り合わせが上手くいっていないことがある。それは主として「文化的」なものが大きい。⦅看板⦆という概念は知っているが、それがどのような形態……例えば「記号」で示されている場合、その場所の意味がよく理解することができない。目の前の透明な容器に注がれた黄金色の液体(ミトラがビールと教えてくれていたが)が描かれた看板も、その隣に併設されたお店の「白いお皿に奇妙なものが載った」ものも。思い過ごしかと思っていたが、どうやら私と(おそらく咲夜も)はこの世界について「何も知らない」のかもしれない。私たちが今までいた空間(地域、の方が正当性があるだろうか)を「旧世界」とでも定義するなら、ここから先は未知の……「新世界」とでも呼ぶべき世界なのではないか。私は深呼吸をして、この”新世界”の空気を身体に取り込んでみる。
「……よし。とりあえず、あの……大きい建物の中に入ってみない?」
指差したその先。石や木で造られた家々の中でも、一段とその異質さを目立たせる建物。建材は他のソレと同じように見えるが、サイズと組み合わせが妙である。ゴツゴツとした外郭、堅牢そうな人十人分はありそうな門。ミトラの里にあった神木ほどの高さがあると見られる。
「ふむふむ、確かにあれだけ豪華ならソファーがありそうじゃな」
「…………構わない、貴方に任せる……なの、です」
二人からの熱い視線が飛んで来る。了承の代わりに首を頷く動作を取ると、私たちは巨大な建物へと向かって行く。
議会場のように自動で開くドアを抜けると、目前に人集りが見えた。パソコン(中型個人万能計算機の通称)に対して、スマコン(小型個人万能計算機)と呼ばれていた、まだ研究所内では試算段階だった機械。それに似た物体を宙に掲げて、何かを撮影している。私たちは顔を上げる。
そこにあったのは、金で造られた巨大な像だった。絡み合った二人の女性たち。片側が相手の下半身に触れ、もう一方は半目を瞑りながら貪るような接吻をしている。一体、何を表しているのだろうか。
「ねぇ、さく……」
大切なものが"ズレてしまった"。不思議な認識が頭の中に、まるでデータをインプットしたかのように浮かんできた。先程まで眠そうにしていた咲夜の表情が、世界が、いや彼女自身が、"ズレてしまった"。その隣で眉を顰めて像を見つめるミトラとの差が、補色のコントラストのように強烈にその"ズレ"を強調する。ふと、咲夜と目線が合う。
「のぅ、お主。アレは一体、何をしてるんじゃろうか」
「さ、さぁ? 意味のない行為……だと思うよ」
「本当に? それは胸の奥にある言葉なのか」
「私が咲夜に"嘘"をつく訳ないじゃん! それよりもほら、早く、品質の良いふかふかソファーを探すよ」
「あぁ……そうじゃの」
心臓に冷や汗が走る。比喩表現ではなく、それは現実的に起こったように思えた。未だピリオドの杭は打ち込めていないが、まず一角を打てたような安心感。一旦は"ズレ"を見えない底へ押し返したが、それはまだ一時的なものでしかない。まだ咲夜は、咲夜に戻っていない。彼女の腕を掴むと、なるべく像から離れた場所へと引っ張っていこうとする。一歩でも、一ミリでも遠くに。……私は"怖くなった"。
気が付くと、一風変わった路地裏に迷いん混んでしまっていた。未だ薄ぼんやりと思考に耽る姿に、私の心臓は音を鳴り止めなかった。しかし着実に思考の沼から這い上がっており、段々と目の中に色が灯り始める。その事実に一仕事を終えた時のような、思慮深い息をこぼす。完全に解消された訳ではないが、ズレはもう気にならない程になっていた。
「それで……ここがどこか分かる、ミトラ?」
「…………歩いて来たの貴方、じゃ……なの、です?」
「それは……そうだけど、今は重要じゃないよ」
「…………ここは路地裏、みたい……なの、です。住宅街の端の方、人気と生気があんまり感じられない場所……なの、です」
「ちなみに、宿泊施設っぽいの……ある?」
「…………存在が、発見できない……なの、です。ですが、コチラを見てくる者が二人ほどいる……なの、です」
ミトラが指を差した先。建物の物陰から、チラリと姿を見せる二人の女の子の姿。ボロ切れみたいな煤けた衣服を纏い、足には靴下一枚すら履いていない姿。それがまるっきり同じで、しかも身体的特徴すらもほぼ同一であるように見えた。強いて違う点を言うならば、髪留めの色ぐらいだろうか。私が近付こうとすると、その距離の概算を測っているみたいに同程度後ろへと歩いて行く。逆に私が後ろに下がると、彼女たちもこちら側へと向かってくる。
「全く……何を遊んでいるんじゃ」
「えっ……あっ……」
私の行動の意を介さず、彼女はズカズカと双子の元へと歩いて行く。彼女たちもあまりに突然の事だったのだろうか、逃げる事も出来ずにただその場でぽっかりと口を開けていた。
「お主ら、名をなんというのか?」
「……名前?」
「あぁ、名前じゃ。両親がおるなら、それだけ見た目の区別に違いがなくてもあるじゃろ名前」
「……両親、って何のこと? 私たちは、"女神様"から生まれたんだよ!」
決定的な欠如。人間が人間であるのは、それは人間から生まれた存在であるからだ。これは奇妙な偶然だろうか、それとも本当にその言葉の意味なのか。彼女らの母親がそのように教育をしたのか、それともまた私の社会への捉え方がズレているのか。深まり層を成す像に首を傾げながらも、咲夜と双子の話を聞く。
「その……"女神様"とはなんじゃ。神なのに人を生み出すのか?」
「違うよ! 女神様は"この町の中央で世界を見守っていられる"んだよ!」
「……毎日、毎週、毎月、毎年。子どもを世界に生み出しては、町の”正しい”市民に育てさせているんだよ」
「私たちみたいな貧民も、いつかちゃんと死ねば、魂は女神様の中に戻れるんだ。女神様の糧になれるんだ!」
「……そうか」
咲夜と目を合わせる。"今ここで話すべき内容ではない"、そう言ってるように見えた。私は彼女から目を逸らすと、彼女たちに目を合わせる。
「それじゃあ……どこか休める場所って知らないかな」
「休める場所? ……ここら辺は皆貧乏だから、泊まったら"悪魔"が全て奪っていくよ?」
「悪魔……どうして、市街には近付かないの?」
「……市街には女神の加護があるから、侵入した悪しき者は滅びてしまうんだよ。だから、消去法で加護のない僕たちみたいな”はぐれもの”へ悪を成すようになっちゃったんだ」
「そうなんだ。……えっと、市街ってどっちか分かる?」
「えっと……あっち! でも市街に泊まる場所ってあるのかな。国賓? って人たち以外はダメ……らしいんだけど」
咲夜の姿を見る。言動や行動から見栄っ張りな所がある今の彼女だが、いつもダラけていたからかさすがに眠そうな表情を見せていた。"国賓"というのがどのようなものか知っているが、残念ながら私たちは招かれざる客であるのは間違いがないだろう。
もしもこの国の上層部に”ボス”と繋がりのある人間がいた場合、この場所は私たち諸共消し飛ばされるかもしれない。それは避けたい、いや圧倒的に避けるべきなのだ。まだこんな所で旅を終える訳にはいかない。私は深呼吸をすると、双子に頭を下げる。
「一晩で良い、私たちに宿を貸してくれないかな」
「私たちの家に泊めて……ほしいの?」
「良いけど……悪魔が襲ってくる。"最も大切なもの"を盗んでいくかもしれない。それでも、良い?」
「よく分からないけど……仕方ないよ。私が起きて見張っておくから、多分大丈夫だよ」
咲夜を見ると、少し不満げな姿をしていた。何かを言いたいのだろう。でと私は言葉を言わない。彼女に微笑むだけで、それ以上の言葉は必要がない。私は双子の背中を見つめながら、悪魔の訪れに胸を縮こまらせていた。