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私たちは女神様から生まれ、選別され、【失敗作】として追放された。そこに疑問を持ったことはなかったし、疑問を持つべきではないと思っていた。しかし、彼女たち……輝花たちが来てから、心に不思議な感情が浮かんできた。むずがゆくて、その感情に身体の全てを任せてしまいたいような衝動。彼女たちなら、この理不尽な世界を変えてくれるかもしれない。それは気のせいかもしれない、ただ何か”違う”雰囲気があるだけの、私の考えすぎなのかもしれない。でも、可能性に賭けるぐらいなら。こんな不自由な世界を変えてくれるかもしれないとするのなら。私はこの命を、女神様の慈愛のように、全て捧げてみようと思う。せめて、あの子だけでも、遠くに……
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彼女たちの住んでいる場所は、なるほど、確かにそれほど良い場所ではなかった。毛布はないし、ソファーもない。あるのは奇妙な植物(昔、森の方に生えているのを見た記憶がある)を敷き詰めただけの、簡素な寝床だった。私やミトラは特に気にしないが、咲夜は嫌そうな表情をしていた。やれ「ふかふか毛布がない」「布団がゴツゴツする」などと散々な不満をぶつけてきたが、次第に疲れたのか、そのまま眠ってしまった。ここまで偉そうにしているのに、寝顔だけは可愛いのが憎らしくも愛してしまう。本当に、あの時に”成功”して良かった。そう、強く思う。
そんな寝顔を見ながらも、私とミトラはまだ眠らない。どうせほとんど一文無し(何かを売買する行為をしていないから当たり前なのだが)なので盗まれて困るものはないが、肌着を盗まれてしまう可能性は否めない。もし裸でこの町の外を歩いていたら、さすがに悪目立ちがし過ぎるというものだ。木の板で雑に補修された壁から吹く風に身を震わせながら、私たちは悪魔の到来を待つ。
それから数時間が経った頃。月明かりも雲に隠れてしまい、世界が真っ暗に染まった時。部屋の中には咲夜の寝息と、私たちの呼吸が一定のビートを刻んでいた。それは私に安寧と、それとは逆のずっしりとした感情を滲ませる。長時間起きていることに慣れてはいるが、それはデスクワーク故に疲労の蓄積が少ないからに過ぎない。こう飛空艇のことを意識しつつ早歩きで野道や街道を歩いていると、肉体的負担は私の目蓋を闇の中に閉じ込めようと計略を張ってくる。まだまだ目をパッチリ開けているミトラを見て、ひとかけらほどの嫉妬心を抱く。
「……来るよ」
感情の一方、現実はマイペースに流動していく。名も知らぬ少女の、凶器のような鋭利な声。まるでその声が布の端を掴んだように、「肌寒い」と思う程度だった風が、突然瞬間冷凍したように冷え込んでしまう。「何かが来るのだ」と予感させる、確かな恐怖が部屋の中の共通認識のように、(寝ている咲夜以外の)私たちの顔に浮かんでいた。ドタドタと何かが走ってくるような足音、ジャラジャラと鎖と地面が擦れ合う音、マグマが煮えたぎるような雄叫び。部屋の恐怖感が最高潮まで上がった、その時。部屋の扉が、ギィィと音を立てて開いた。
そこに見えたのは、”本物の悪魔”だった。目が爛れ、融解した鼻と口は一つの器官のようになって奇妙な体をなしている。引き伸ばされたかのような耳は頭の頂点すらも超えるほどの長さを持ち、二十ある手足はたった四本の、ギロチンの刃のように鋭く光沢を輝かせてくる。その光が暗い部屋の中で、月明かりと共謀して、その強靭さと残虐性を強調していた。血の付いた爪先を舐めると、悪魔は私たちの方をその血で塗り固めたような色の瞳を向けてくる。
『……女神に捨てられた、哀れな捨て子。今宵も、”大切なもの”を攫いに来た。だが……』
その恐ろしい風貌で、恐ろしい声で、恐ろしい瞳で。品定めでもするように、商品価値を考えでもするように。”悪魔”は私と寝ている咲夜を見ると、表情筋と思わしき顔の筋肉をニタリと動かす。
『外からの訪問者。……いや、”女神を殺す力のあるもの”か。それは等しく、かつ平等に』
悪魔は血の付いた指先で咲夜に触れると、そっ……と寝たままの姿で持ち上げてしまう。思わず声を出しそうになったが、悪魔はそれを予期したかのように私の瞳を睨み付けた。
『信仰から性欲に、性欲から言葉に。”大切なもの”をもう一度、手に入れたいのなら。女神を殺せ、神を滅ぼせ。この国ごと、かの空の監視者が虚構に戻す前までに』
悪魔は背中から黄金に輝く羽を肉体から突き出させると、そのまま空の彼方へと飛び去ってしまった。やっとこさ動けるようになった時にミトラと空を見たが、もう悪魔のいた痕跡はどこにもなく、ただ至極普通の世界へ戻ったかのように思えた。その瞬間、実感の湧かなかった出来事たちも融解され、私の中で動き始めた。咲夜が、最も私の大切で生きがいの彼女が攫われてしまったのだ。どうにか、しなければ。思考すればするほど、ズルズルと地底の奥深くへと落ちていくようで。焦りが私を走らせて、環境が私を地の底に落とそうとしてくる。
「…………大丈夫……なの、です?」
「……うん。多分、きっと」
ミトラはそれ以上、何も言わなかった。ただ私の方を振り向くと、顔を背けて頭を床に預けた。彼女は私を信頼してくれているのに、それに応えられるほどの実力や才能が私にはない。あの悪魔に対抗する力も、その言葉の真意を読み取る力も、何もない。ただ、逃げることしか私にはできない。私は圧倒的弱者でしかなく、誰も救えないのかもしれない。その日、私はただ常闇に溶けるようにトロトロと眠りに落ちた。
次の日に目を覚ますと、双子もミトラも既に起きていた。ミトラが散歩がてらなのか双子の片割れを乗せて、低空飛行で辺りを見渡していた。その一方、双子のもう片割れの方は屋根裏から楕円で細長い物体を持ち運んできていた。サイズ感や見た目の強度からして、武器……なのだろうか。まさか今から誰か殺しに行くのかとひやひやしていると、彼らは部屋の中央に置かれた穴だらけの木の上にそれを置いた。
「……あの、これは?」
「……もしかしてお姉さん、知らないの? この町で一番有名なモリタベーカリーで焼かれた”慈悲のパン”だよ!」
「……慈悲の、パン。それって、どんな武器なの?」
「ぶ……き?……”ぶき”が何なのか私にはよく分からないけど、これは私たちの命の糧。女神様から、追放者へのやんごとなき慈悲だよっ!」
そうなんだ、と適当な相槌を打つ。この町に入ってきてからずっと思っているのだが、あまりにも言葉がふわふわし過ぎている感じがする。こういう時に咲夜がいたら深層まで楽々と聞いてくれるのだが、どうにも私にその気概がない。ただ問題だけが堆積して、身体が押しつぶされそうになっている。女の子がミトラたちを呼びに行っているのを見ながら、胸に巣食うモヤモヤから溜息を漏らす。二人が降りてきたのを見ると、女の子はあの細長い物体の表面部分を持ち前のナイフで剝がしていった。”研磨”、という言葉が過ったがこれが武器でなかったのだと思い直す。表面部分をはがすと、中から柔らかくてふわふわな本体部分がでてくる。これが彼女の言う、”命の糧”というものだろうか。ぼんやりその様子を眺めていると、彼女はその白い部分をちぎり、私に渡してきた。
「えっと……これは?」
「女神様の慈悲の、お裾分け。本当は女神様の五つのキョウデンを知らない人には慈悲を与えちゃいけないんだけど……お姉さん、さっきからずっと暗い顔をしているからさ! ……ね?」
感情豊かな少女の顔に、ほんのりと甘酸っぱい微笑が宿る。それはまるで……言葉が生み出されるのが停止する。その先の言葉を生み出せば、私はまた終わらない沼に落ちてしまうかもしれない恐怖感。私は未整理の気持ちを有耶無耶の向こう側へ姿を消すと、渡された白い物体を受け取る。軽くつまむだけで、簡単に圧縮することができる物体。何か、武器以外の用途があるのだろうか。一人首を傾げていると、目の前のミトラ含め、三人ともがそれを口内へと放り込んだ。淡々と咀嚼音を鳴らす三人。
「…………食べない……なの、です?」
「……う、ううん。何でもない、食べるよ」
『毒』ではないのだ。意を決して、舌の上に置く。彼らを真似するように、咀嚼してみる。噛む度、失われていく口内の水分。明らかにいつも食べていた【完全栄養剤】の方が効率的なのかもしれない。甘味。それが、なければ。咲夜はよく、”味”の存在するお菓子を食べていた。それは栄養剤としては不十分であったが、研究所内の彼女の扱いは”研究生物”でしかなかった。研究生物の健康被害、などというものはもちろん管理対象に含まれていなかったのだ。だからずっと、不思議だった。どうして彼女があんなにお菓子に固執するのかを。私は女の子から、パンをもう一口分ちぎってもらう。それをまた口の中に放り込み、そして咀嚼する。
「……甘い」
「お姉さんにも分かるんだね! このパンはサトウ……えっと、とっても”甘い”物質が入っていないのに、不思議と甘いの。こねる前の小麦粉はパサパサして美味しくないのに、焼き上げられたパンが美味しいのって不思議だよね! これも、”女神様の奇跡”なのかな」
キラキラと目を輝かせる彼女。噛めば噛むほど、こんなに心躍る快感を与えてくれる食べ物が存在するなんて思ってもみなかった。それは彼女が女神様に抱く尊敬と同等、またはそれ以上の大きな感動だった。私が二口食べる間にパンの半分程度を完食していたミトラは、けぷぅと息を漏らした。
「…………もう、お腹いっぱい……なの、です」
「うん、朝は……このぐらいで良いかな。美味しいご飯をありがと」
「こちらこそ、ミトラちゃんの食べっぷりは見ていて楽しい気分になったよ! ね、いもーと?」
「……そうか? 僕たちの貴重な非常食を容赦なく食い漁っただけだろ」
「もう、いもーと! ……ごめんなさい、彼女は口が悪くて」
「いえいえ。でも、本当に朝ごはんをあんなにもらって良かったんですか?」
「……えぇ、まぁ。どうにかなると思います! ……そんなことより、お二人はこれからどうするんですか?」
「今日は……咲夜のこともあるし、もう一度、町の中を探索しに行くと思います」
「……はぁ? 教を持たない人が町に入ったら、追い出されるだけだろ」
「追い出され……るの?」
「少なくとも、僕たちみたいな貧民は町と郊外の間にいる”神官”どもに止められるぜ。”神に愛されてないから”って」
神官。私たちがあの丘から逃げ込んできた時、住宅街には”神官”に当たる人物はいなかった。それと同様に、この町の郊外へと迷い込んでしまった時も。なんだか、おかしなことになってきた。
「その”神官”って人は、どんな顔とか……恰好をしていたか覚えてる?」
「……」
「……いもーと」
「……黒い服と、サングラスを付けてたよ。……おねぇ、僕ちょっと”仕事”してくる」
走り去っていく彼女に、女の子は溜息を漏らす。
「ごめんなさい。神官さんたちと貧民街に生きる人たちの間には、色々軋轢があってね。……それより、他に質問はない? 私に答えられることなら、なんでも答えるけど」
「えっと……その神官さんとは、どの辺りで会ったの?」
「えっと……この郊外から町へ入るには、大まかに三つの方法があるの。その内のポピュラーで正式な方法としての、”寵愛門”から入ろうとした時に止められたの」
「正式……ってことは、他にも方法が?」
「うん、まぁ。例えば郊外の中でも開けた場所、”斬首牧場”からも入れるんだけど……昨日から警備が強化されちゃってるみたいで、今は無理だと思う。だから、行くなら”路地裏”しかないよ」
路地裏。確かにあの石像を見た後、私はがむしゃらに細い道を進んでいた記憶がある。あれはとても幸運なことだったようだ。もしも見つかっていたら、多少は面倒なことになっていたのかもしれない。私は行く先を見定めると、席を立ちあがる。
「それじゃあ、私たちは行くね。泊まらせてくれたり、朝ごはん食べさせてくれたり、色々教えてくれてありがとう」
「ううん、気にしないで。……それじゃあ、またね!」
「うん、”またね”」
ミトラを呼ぶと、私たちは名前も知らぬ彼女に背中を向けて歩いていく。咲夜を救出して、早くこの国から脱出するため。計画を成功に導くため、彼女だけは絶対にいなくてはならない。例え、この命がはかなく散るとしても。狭くて薄暗い路地裏が見えてくると、私たちはその中へと消えていく。