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『どうしてこの場所に、こんな今では誰も使わない施設に、誰も読まないと分かっているのに。”間違っている”と思うのなら、通りの真ん中で叫んだ時に死ねば良かったのだ。死はそこに強烈な印象を残していく。その結果、女神に殺されたとしたって構わない。それでおねぇが生きているのなら。僕の人生にとって、おねぇの存在が全てだった。生まれた時からずっと一緒にいて、それで、僕が”やらかしてしまった”時にも一緒に付いてきてくれた。おねぇは追放されなくても良かったのに。僕がその時、「どうして」って、荒れた精神で聞いた時。おねぇは笑顔で言ってくれた。「貴女が大切だからよ」ってだけ。それが救いだった。それだけが僕にとっての救いだった。偽りの女神の慈悲なんかではない、本物だったのだ。だから、例え僕が死んだとしても、せめておねぇだけは……』女神凶典 最終章 雑記
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機械くんに導かれるままに図書館の中を進んでいく。迷いなく進んでいく姿に、思い浮かびそうになった姿をかき消す。会わない時間が長くなってきたからだろうか。代わりに、機械くんのツルツルの頭を見ることにする。身体中が錆びているというのに、比較的綺麗な頭。空気に当たる面積的にはすぐ錆びてしまいそうなものだが、どうしてこんなにも奇麗なまま保持されているのか。もしかすると、誰かが錆びを取ってくれていたのか。そんな風に思考を重ねている内に、いつのまにか姿も思考も消えてしまった。
図書館の奥まった場所まで来ると、機械くんは足を止めた。ここにあるのだろうか。そう思っていると、突然機械くんは壁に向かって歩き出した。場所を間違えているのかと思っていると、機械くんはそのまま壁の向こうに消えてしまった。ミトラと顔を見合わせる。軽く深呼吸をすると、そろりと壁に手を当てる。予期していた壁の手触りはなく、手は壁にめり込んでいた。これは……安全なのだろうか。手を適当に動かして、向こうに何かないかを確認する。空気、クウキ、空虚。ただ宙を切るだけで、何にも触れることができない。中はそれなりに広いのだろうか。私はもう一度深呼吸をすると、思い切って身体ごと壁の奥へと投げ込んだ。呼吸が一瞬、できなくなる。まるで肺の中までセメントで埋め立てられたようで、通り過ぎて空っぽになった肺の中に空気を注ぎ込む。数秒後にやってきたミトラも同様で、私がだらしなくよだれを垂らしながら床に這いつくばっているのを、心配そうに見下げてきていた。大丈夫と聞いてくる声へ復唱するように同じ言葉を返す。そういうミトラは平気そうなのが不思議だ。しばらく呼吸して落ち着いてくると、大分周囲の状況が見えてきた。明かり一つない真っ暗な部屋。目が慣れるまではよく見えなかったが、慣れる必要もなく、この部屋の中にはただ一つを除いて何も存在しなかった。
本。割れたガラスケースの中に、ポツンと置かれた一冊の本。ミトラに肩を貸してもらいながらその場所まで歩いていくと、先に来て待機していた機械くんが破損したガラスケースを退けてくれた。頭を撫でてお礼を言うと、「ごゆっくり、どうぞ」とだけ言い残して、また本の整理作業に戻って行った。私はその本のタイトルを凝視する。『女神凶典』、うん、間違いない。だが、それにしても破損が酷い。ガラスケースが割れていたのもそうだけど、読めない……レベルではないが、いくつかのページが破り抜き取られている。そのせいか、分厚い表紙に対してとても軽い。三日でやめた日記ぐらいの軽さだ。
女神凶典を持ち上げると、本に付いていたガラスの破片がチラチラと床に落ちた。何か、引っかかる。頭の中がモヤモヤしていたが、今はこの本の内容である。いもーとに予め聞いていたページ、164ページを開いた。そこに何が書いてあるのかは教えられない、でもそのページを見ればすべてが分かる……なんて曖昧な発言をされていた。どちらにせよこの本自体も必要らしいが、そのぐらいの内容は先に教えてくれたら良かったのに。私はページを覗く。……淡々とした文章だ。それは女神誕生についての記述であり、特段私がマザーに聞いたことがある話との違いが観測できなかった。よくある話……とまでは言わないが、そこまで異端というほどでもない。ページの端の方まで読み終わりそうになった時、ふとその本の下に落書きがされていることに気付く。見た感じ、最近書かれたらしい筆跡をしていた。それも、ここ数日の間に。
文字は酷く乱雑に書かれており、急いで書いていたのが伝わる。誰かに追われていたのだろうか。文字を読み取ろうとしても、部分的にしか読み取ることができない。しばらく文字と睨み合いを続けていたが、ついに諦めてしまった。何もわからない。もういもーとに直接意図を聞いた方が早い。本を閉じると、手の中に抱え込む。これを早くいもーとの元まで届けないと。壁と相対しながら深呼吸をすると、思い切って壁を潜り抜けようとする。苦しいのは一瞬だけなのだ。思い切ると、本を抱きしめる腕にギュッと力を入れる。壁へと向かって、飛び込もうとする。だが、私の身体は”壁”と激突しただけだった。ぶつけた額を擦りながらミトラも見ていたが、彼女も同様らしかった。
「……どうしようか、ミトラ」
「…………こういうのは、私よりもそちらが詳しい……なの、です?」
「そう言われても……こういうの詳しくないし」
互いに譲れない領分で、お互いに黙り込んでしまう。でもこればっかりは分からないのだ。いつも会議室のドアはボスが勝手に開けていたし、それがどんな仕組みで開けていたのか不明だ。(だからこそ、停電というリスキーな強行手段を使ったわけだし)こういう網羅できない面倒事に対応できる人材がつくづく欲しくなるが、こんないつ死ぬかも分からない旅に付いてきてくれる人なんて早々いないだろう。通れない壁を二人でキックしながら、機械くんへと呼びかける。しかし、一向に返事をかえしてくれない。本の整理をしているのか、はたまた突然機能停止でもしてしまったのか。数分間殴り続けた末、ついに疲れてその場にへばってしまう。ミトラはまだまだピンピンしているようで、普通に壁を殴り続けているが、私にはそれほどの元気が残っていない。所詮は引きこもりの研究者。あるのは人を蘇生する技術だけで、他の能力は0に近い小数点以下しかない。確かな焦りがそこにあった。
それからまた数分後。まだまだ体力の有り余っている様子のミトラだったが、さすがに掌が痛くなってきたらしい。私の隣に、うつ伏せ姿で倒れ伏していた。このままでは時間までに間に合わないどころか、この場所で餓死してしまうかもしれない。どうにか良い方法を考えなければ。暗い部屋の中を凝視して、どこかに抜け道がないかと捜索する。暗い部屋の壁も床も白い石レンガ造りがされており、開架同様に年月を感じさせる古さがあった。そういえばこの町に来た時から思っていたが、どうして科学の技術レベルの水準は高いのに建物は古いままにしてあるのだろうか。それが普通に育った社会であるのなら、科学技術の上昇に伴って建物も上等なものになるはずなのだ。一応、私は生命科学に絡んで人間社会についても勉強したことはあった。(とはいえ、情報規制で画像がなかったり、かなり曖昧な文献ばかりだったが)
例えばミトラの住んでいた鳥羽族の里であるなら、科学技術が皆無に等しい(毛布があった辺り、過去に”古王時代”と呼ばれていた頃の水準に近いと考える)からこそ、住むための家は元からある木をリノベーションして作られたツリーハウスだった。であるなら、この場所に近いのは……私や咲夜がいた教会の方だろうか。あの場所には科学技術がそれなりにあった。それは金属加工がなされた品々だったりがあった。どんなタイトルの本だったか忘れたが、昔の人間は石製のツールを使っていて、その次の段階で金属を使い始めた……と書かれていたのを読んだ記憶があるので、おそらく間違えていないと考える。ともかく、そんな技術の必要なものに溢れた場所だったが、建物はここと同様に石製だった。それは人里離れた場所、という点が強かったのだろう。時々疲れた表情のマザーが私と咲夜を膝の上に乗せて話してくれたことがあったが、遠い場所の教会ではもっと美しい建材を使っている……と聞いた。森の向こうにある町から引っ越し来る時に細かい品々は買ったのだが、もちろんそれらを組み上げる技術も知識もマザーにはなかった。野草や魚釣りの知識だけは妙にあったのだけれど。……っと、問題はその前提とここから抜け出すための方法である。
ここは教会に近いとはいえ、それとは厳密に違う気がするのだ。教会は「常識的な範囲のズレ」だ。例えば私はお菓子を食べていなかったが、咲夜はお菓子を食べていた。その程度の違いだ。それに対してこの町は「常識を超えたズレ」なのだ。例えば、生まれたばかりの赤ちゃんにスマコンを渡したところで細かい機能を使うことはできない。それと同様に、いくらそれが便利なものでも誰もが使おうとは思わない。なのに、人々はいとも普通にスマコンを使っていた。少なくとも、目視することができた人たちは全員。それはまるで、”この町の人たち全員が同じ思考を保持している”ようだった。
「……ねぇ、ミトラ。この町って、もしかして……あれ?」
あれこれ考えている間に、いつの間にかミトラの姿も消えてしまっていた。まさか、ミトラまで悪魔に誘拐されてしまったのだろうか。焦ってVRの通れない壁をしつこく叩いていると、背後から私の肩を叩く感覚があった。悪魔かと思って咄嗟に振り返ると、いつ戻ったのかミトラが少し嬉しそうな表情をして私の方を向いていた。びっくりしている私をよそに、ミトラは突然私の身体をがっちり掴んだ。一体、何を。ミトラは私を持ち上げたまま空中に浮かび上がると、VRではないただの壁の方に向かって突進し始める。壁が迫り、迫り、迫って……そして私の目に、もう暮れかけた太陽が映り込んだ。自分の身体に何も起こっていない事実にびっくしていると、ミトラがそのまま空に浮かび上がった。
「…………ずっと、この町に入った時から違和感があった……なの、です。でも、分かりました……なの、です」
そう言ってミトラはかなり上空まで上昇していくと、飛空艇のことなど考えずに、私に下を見るように言ってきた。あまり高所は得意ではないのだけれど。そう思いつつドキドキする胸のまま町を見下ろしてみると、”それ”が明らかになった。
『この町は、所詮まやかしなんだよ。女神への信仰と異端技術が融合した町、それがこのルクシェというクソみたいな町なんだよ』
もの悲しそうな表情を浮かべながら、いもーとが語ってくれた言葉。あの言葉の真意が、やっと分かった。上空から見上げた町はとても広大で、それでいて……空虚だった。それはただの廃墟と化した町だった。郊外の街並みと同じ、と言えばいいだろうか。住む分には問題がないのだろうが、一部の家は老朽化が進んで奇跡的なバランスで成り立っていた。あと一年もしない内に崩れてしまったのかもしれない。いや、既に崩れている家もある。だが、あんな場所に”家はなかった”はずだ。あそこは確か最初にビールが描かれた看板のあった土地の真横で、方なんとなく謎のお皿の看板があった方に気が取られていて、そちらに意識を向けることはなかった。
だが、そんな中でも女神像のあった神殿みたいな建物だけは異様だった。その建物だけ、全く老朽化していなかったのだ。それはまるで、この土地の生気を全てあの場所が吸い上げているようにも見えた。私がぼんやりしていると、ミトラはそのまま神殿の前まで空を駆けていた。空を切る感覚が相変わらず楽しい。
「でもかなり私を持って上昇してくれたけど……体力、大丈夫なの?」
「…………神殿の前まで着いたら、あとは任せる……なの、です」
そういうと、時間差で疲れが来たかのようにフラフラと神殿前へと墜落していくミトラ。地面スレスレのところでバタンキューと倒れてしまうと、そのまま地面で眠りについてしまった。神殿の奥には人だかり、耳をつんざくような罵声。そして、女神像の掌の上で何かを持っているいもーとの姿。私は決心をすると、その人だかりの中へと潜り込んでいった。