パンツですがエロシーンではないです。
午後からの講義にもろくに身が入らなかった。うんざりした気分で順はアパートの部屋への階段を上がった。電気が点いているところを見ると和也はどうやら先に帰宅しているらしい。
もしかして何か言われるかな。そう思いながら恐る恐るドアを開けた順は次に目を見張った。丁度、風呂上りの和也と出くわしてしまったのだ。慌てて入ってからドアを閉めて鍵をかける。
「おー、おかえり」
「何で裸なんだ! 何か着ろ、何か!」
近所迷惑にならないよう、出来るだけ声を押さえて順はそう告げた。語気の荒さから順が怒っているのを理解したのだろう。和也が怖い怖い、とわざとらしく言いながら部屋に入っていく。
やれやれとため息を吐いて靴を脱ぐ。順は疲れた身体を引きずって自分の部屋に入った。壁のスイッチを入れて明かりを点ける。鞄を床に放り出してベッドに腰掛ける。だがどうにも落ち着かない。苛々しながら立ち上がり、順は和也の部屋に向かった。
「ちょっといいか?」
閉じたドアの向こうに声をかける。すると中からおう、という和也の声が聞こえてきた。順は出来るだけ苛立ちを抑えながらドアを開けた。同時に煙のにおいが鼻をつく。和也が煙草を吸っている姿に顔をしかめつつも順は無言で部屋に入った。
「何だ。今日は随分遅かったんだな」
「訊きたいことがあるんだ」
和也の言葉を無視して順はそう切り出した。とにかく誰かに訊ねたい。その気持ちが強すぎてとても和也の言うことを聞いていられない。順は手招きする和也に従ってテーブルの傍に腰を下ろした。和也はベッドに背をもたせかけて抱えたギターをいじっているところだ。
「コンパってああなのか!?」
「……は?」
それまでギターを見下ろしていた和也が不思議そうな声を漏らして顔を上げる。順はテーブルに手をついて身を乗り出し、真剣そのものの顔で和也に詰め寄った。
「だから、コンパというのは全てああなのかと訊いているんだ」
「あー……」
早口でまくし立てた順を見つめつつ、和也が一人で頷く。
「要するに初めてコンパに参加したと。おめっとさん」
「参加したくてしたんじゃない! 無理やり連れて行かれたんだ!」
つい、そう叫んでしまってから順は慌てて口を押さえた。もう、夜も遅い。こんな時間に大声を張り上げればきっと近隣に迷惑がかかるだろう。だが慌てて口を覆った順を見ながら和也が苦笑する。
「あー、ここは大丈夫だ。完全防音だからな」
そう言いながら和也が軽く手を動かす。弦を弾くのに合わせて小さな音が鳴る。どうやら和也は先ほどから調弦しているらしい。
「四つ目のG、低い」
しばし和也が弾くのを眺めていた順は何気なくそう告げた。すると和也が驚いたように目を見張る。順は眉を寄せて和也の抱えるエレキギターを指差した。
「だから、Gが低いって言ったんだ」
「いや、言われたこたあ判るが……お前、楽器やるのか?」
言いながら和也が弦の張りを調節する。順は首を横に振って否定した。楽器を触ったのは高校の音楽の授業の時が最後だ。アルトリコーダーの演奏をしたことを思い出して順は思わず小声で笑った。アルトリコーダーのテストの課題曲はグリーンスリーブスの変奏曲だった。運指の難しいその曲をみんな必死で練習していた。だが順は大した練習もせず、一人のんびりとした気分でテストを受けた。
「リコーダーくらいしか吹いたことはない」
「あ? でも学校の音楽の授業じゃ、Gなんて教わらねえだろ」
ほら、ドレミで言うじゃん。それかハニホヘトイロハ。そう続けた和也に順はそうだな、と答えた。
一気に音楽室が静まり返ったことをよく覚えている。それまで雑談に興じていたクラスメイトたちが口をぽかんと開けていた。ピアノ伴奏をしていた音楽の教師は相当慌てたのか何度かミスタッチしていた。そんな中で順は十五曲で構成されたその曲を一気に吹き切ったのだ。
「いいから弾けよ」
当時のことを懐かしく思い出しながら順は肘杖をついた。和也が怪訝な顔をしつつもギターをかき鳴らす。アンプに繋がっていないギターから流れる音はどこか弱々しく頼りない。
「何か変だな。パンツにギターって」
「うっせい。暑いんだから仕方ねえだろ」
そんな話をしつつも和也は慣れた手つきで調弦していく。ぼんやりとその様子を見ているうちに順の苛立ちはいつの間にか消えてしまった。
「なあ、アコースティックギターはないのか?」
「あー? まあ、あるけど」
「弾かないのか?」
本当は弾いてくれないか、と頼もうと思っていたのだが、照れくささから順は正直には言えなかった。和也が順と腕の中のギターを見比べてやれやれと腰を上げる。和也が開けたはめ込み型のクローゼットの中を見た順は驚きに目を見張った。
服は一着もない。代わりにクローゼットに詰まっていたのは何台ものギターだった。色んな形とサイズ、そして色もそれぞれが違っている。順は思わず凄いなと呟いてクローゼットに近付いた。
「あー、あった。これだ」
クローゼットの一番隅に和也が手を伸ばす。和也が取り上げたのは木の色をした一本のアコースティックギターだった。
「しばらく弄ってないからなあ。機嫌、悪くしてなきゃいいが」
「ギターにも機嫌があるのか?」
和也に合わせて元の場所に戻りながら順は素直に問うた。ああ、と和也が頷く。
「そこは女と一緒だな。やっぱ頻繁に構ってやんないと拗ねる」
ベッドにもたれた和也が軽く弦を鳴らす。先ほどとは違い、ギターの音はとてもよく響いた。が、若干音がずれている。順はふうん、と呟いてじっとギターを見つめた。確かに見ようによってはギターの形は女性の身体にも似ている気がする。
「オレはチューニングしてっからビールとつまみ持って来いよ」
「何で俺が」
反射的に言い返した順を和也が睨む。だが本気ではないのだろう。目にそれほど脅威は感じない。仕方ないな、と呟いて順は腰を上げた。ついでにテーブルに乗っていた灰皿を和也の傍に寄せる。長く伸びた灰を灰皿に落としながら和也は顎をしゃくった。
「冷蔵庫にチーズあるから切ってくれ。ついでにラデッシュつけて」
「判った」
そういえばここのキッチンに入るのは初めてかも知れない。そう思いながら順は言われた通りに冷蔵庫の扉を開けた。この部屋のキッチンは順の使っていたところよりはるかに広い。システムキッチンは広々と使いやすいし、ガスコンロも大きい。特に違うのは換気扇だろうか。このキッチンの換気扇は大きく、しかも取替え式のカバーまでつけられている。小さく汚れた換気扇のことを思い出しながら順は少し笑った。結局、家を出るまで換気扇も掃除出来なかった。
冷蔵庫の中は恐ろしく整頓されていた。和也の乱暴な喋り方からはとても想像出来ない整い方だ。そういえば和也の部屋はいつ見ても整理整頓されている。
「もしかして潔癖症かな。顔に似合わず」
そんな失礼なことを呟きながら順は冷蔵庫から三本ほどのチーズを出した。キッチンの引き出しを開けると器具が綺麗に揃えて入れてある。中からチーズカッターを取り上げて順はチーズを数枚ずつ切り分けた。
「問題は、だ」
皿に切った分のチーズを乗せて残りを冷蔵庫に片付けながら順は口許に指を当てた。しばし冷蔵庫の中を覗きながら思案する。ラディッシュは野菜室に確かに入っている。が、これをどうすればいいのだろう。
「千切り……は違うか。やっぱり輪切りかな」
不安を覚えつつも順はラディッシュを洗って輪切りにした。チーズとは別の小皿に切ったラディッシュを乗せる。ビール缶を二本とつまみをトレイに乗せて順は和也の部屋に戻った。
グリーンスリーブス変奏曲は自分も実際に吹きました。
YouTubeなどに動画があるのですが……
自分が吹いた時は、こんなゆったりしたテンポじゃなかったよ!!!w
指が回らなくてマジヤバでした。