※この作品はR-18です。

冥界への案内人   作:伊駒辰葉

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主人公が歌います♪


早春賦

「待たせた」

 

 順はそう断ってテーブルに皿とビールを乗せた。和也は目を上げてテーブルを見た途端に呆れたような声を上げる。

 

「な、何だよ」

「超極薄スライス!」

 

 言いながら和也がラディッシュを一枚、指で摘み上げる。順は言葉に詰まってラディッシュの乗った皿を見た。確かに薄くは切ったつもりだが、何かまずかったのだろうか。和也はなにが可笑しいのか笑い転げている。

 

「お前、これ向こうが透けて見えるんじゃねえか? ここまで薄く切れるのも凄いが」

「いいだろ、食えれば! 文句言うなら食うな!」

「いえいえ、頂きますとも。お、チーズはまとも」

 

 恥ずかしさから声を張り上げた順ににやにやと笑ってから和也がチーズを一つつまむ。ラディッシュを数枚乗せてから和也はチーズを口に放り込んだ。

 

「んで? なに弾けって?」

 

 チーズを噛み砕きながら和也が問う。順はビールを一本テーブルからさらってそっぽを向いた。プルトップを引いて缶に口をつける。

 

「じゃあ、ショパンの幻想即興曲」

「ぶっ」

 

 順と同じようにビールに口をつけていた和也がいきなり吹き出す。順は慌てて周囲を見回して床に放り出されていたタオルを取り上げた。ビールの飛沫を拭きながら不平を漏らす。

 

「何だ、弾けないのか」

「アホ。何でギターで、んなもん弾かにゃなんねんだよ。もっとまともな注文しろや」

 

 バッハ、ベートーベン、ドボルザーク。次々に注文を却下されて順は眉間を指で強く押さえた。

 

「シューベルトの野ばら」

「お。やっとまとも」

 

 苦肉の策で言った順に和也が頷く。ビール缶をテーブルに置き、和也は順の注文した曲を弾き始めた。

 

「大体なあ。ギターで注文するっつったらあれだろ。歌謡曲とかさ。そういうの頼まないか? 普通」

 

 柔らかなメロディを奏でながら和也が唇を尖らせる。順は肩を竦めてビールの缶を傾けた。自慢ではないが歌謡曲の類は全く知らない。そう告げると和也が苦笑する。

 

「じゃあ、こういうのはどうだ?」

 

 そう告げて和也は急に曲を変更した。順の知らない曲を奏でながら和也が歌い始める。和也の歌声は喋る時とは一味違う。順は驚きに息を飲んで和也を凝視した。落ち着いたテンポで曲は流れていく。

 

「まあ、こういう曲も世の中にはあると。で? ホントは何を話しに来たんだ」

 

 歌うのをやめて和也が訊ねる。順は少しずつビールを飲みながら告げた。

 

「今日、何か俺、変で」

 

 そう切り出して順は今日あったことを話し始めた。周りの人々がまるで違って見えたこと。まるでさかりのついた猫のようだと自分のことを思ったこと。コンパが何のことかを知ったくだりでは和也は必死で笑いを堪えているようだった。だが順はめげずに全部を話し終えた。

 

「あー……しょーもないなあ、お前も。だからんなところに跡つけてんのか」

「えっ」

 

 慌てて順は首を手で押さえた。コンパに連れて行かれ、そこである女性が順の隣でものの見事に酔っ払ってしまったのだ。その女性はどうやら酔うと誰かれ構わずキスする習性があるらしい。おかげで順もとばっちりを受けたのだ。

 

 あの状況で笑っていられる神経が信じられない。順は情けない気持ちで俯いた。誰もその女性を止めようとはしなかった。順は必死で抵抗しようと試みたが、何しろその前に勧められるままに酒を大量に飲んでいたのだ。大して薬物の効かない体質でも、量を重ねれば多少は身体にも影響が出る。

 

 結局、その女性がその場で眠るまで順は席を立つことすら出来なかった。

 

「まあ、いんじゃねえの? オンナに欲情するなんざ普通だろ」

 

 どうせならやっちまえば良かったのに。気軽に笑う和也を順は鋭く睨みつけた。

 

「そんな真似、出来る筈がないだろう!」

 

 相手は名前くらいしか知らない女性なのに。そう続けた順に和也は呆れたように息をついた。次いで曲調が変わる。今度の曲は少し暗めのメロディだった。

 

「だからビールなんて飲んでるのか。木村が飲めるなんて知らなかったが」

 

 そう言いながら和也が手を止める。曲が止まると急に辺りの静けさが耳に染みた。順はべつに、と呟いて一気にビールを空けた。

 

 ふらりと立ち上がってドアに向かう。おい、と呼び止める和也を振り返って順は空になった缶を掲げてみせた。

 

「代わり、取って来る」

「オレのもな」

「判った」

 

 それからしばらく順は黙って和也の演奏を聴いていた。和也も時折ビールを飲みながら次々に曲を奏でていく。どうやら順が判るように選曲しているようだ。和也が奏でる曲は殆どが中学・高校時代に音楽の教科書で見かけたものばかりだった。

 

「……あ。早春賦」

 

 ふと、懐かしい曲を耳に捉えて順は何気なく呟いた。和也がそうそうと頷く。

 

「歌、知ってんだろ?」

「ああ、知ってるけど」

 

 三本目のビールを飲みながら順は頷いた。

 

「春は名のみの風の寒さや。……だっけ」

「そうそう。次が、谷の鶯歌は思えど」

 

 即興で間奏を作りながら和也が笑う。時折、リズムが速くなって曲調が派手になるのは和也がふざけて現代風にアレンジしているからだ。みょーん、と口で言いながら和也がでたらめに早弾きをする。どうやらそれで本人はチョークをかけているつもりらしい。

 

「ほら、歌えよ」

「何で俺が」

 

 呆れて言い返した順を和也がねめつける。あんだってー? と低い声で言った和也に順はため息を返した。

 

「上手くないぞ」

「いいじゃん別に。遊びなんだし」

 

 やがて旋律が元のシンプルなものに戻る。順は仕方なく伴奏に合わせて歌い始めた。ギターの音に合わせて懐かしい旋律をたどる。

 

 春は名のみの風の寒さや。

 谷の鶯 歌は思えど

 時にあらずと 声も立てず。

 時にあらずと 声も立てず。

 

 歌っているうちに次第に順の脳裏にはっきりとあの頃の光景が思い浮かんだ。中学生の頃、音楽の時間にこの歌を習った。順の通っていた中学では音楽の時間に歌唱のテストがあり、早春賦はその課題曲だったのだ。

 

 学校の帰り道、友達と一緒にこの歌を歌った。友達はどうしても高音のところで音を取れなくて困っていた。丁度変声期を迎えていたからだ。順はそんな友達に付き合って何度もこの歌を歌った。

 

 結局、友達は変声期を無事に越え、練習の時とは異なり一オクターブ音を下げてテストを受けた。友達の声は変声期を境にまるで変わり、声だけ聞けばまるで別人にも思えた。

 

 懐かしいなあ、と呟いて順はビールの缶を取ろうとした。だがそこで不意にギターの音がやむ。

 

「やっぱ思ったとおりだなあ。木村、お前けっこ上手いじゃん」

「俺の歌は音をたどっているだけで上手くはないと思う」

 

 順は何となく正直にそう告げた。ふうん、と合鎚を打ちながら和也がビールを取る。順は残っていたチーズの一枚を口に入れ、小さく笑った。

 

「音を取るのは得意なんだ。楽譜通りに音を出すことは出来る」

「まあ、確かにな。教科書通りって感じはしたかな」

 

 初めて誉め言葉とは別の言葉を聞かされ、順は驚きに絶句した。和也がのんびりと煙草に火を点ける。

 

「譜面通りになぞるだけでも実はけっこー難しいと思うが、まあ、木村の歌って色気はないわな」

「そうかも知れない」

 

 素直に同意しながら順はビールを半分ほど空けた。大きく息をついて何気なく和也を見つめる。すると和也は眉を寄せてビール缶で順をさし示した。

 

「……もしかして酔ってるか?」

「そう、なのかな。よく判らない」

 

 無意識に微笑んで順は再びビールに口をつけた。冷たいビールが妙に心地いい。今までアルコールの類は口にしたことがないため、その味は順には酷く新鮮に思えた。




この早春賦という歌は、主人公にとっては重要な曲でして。
他の話を公開するかどうかは判らないのですが、もし公開したら「あー、あれ」と笑ってもらえると嬉しいです。
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