間に昼食を挟んで夕方まで練習は続いた。順も最後の最後でようやくつかさの合格をもらうことが出来た。全員でステージの上を片付ける。
「おー、そいえば菅野女史のトコに行くの、忘れてた」
ギターをケースにしまいこみながら和也が漏らす。傍にいたつかさが呆れた声を上げた。
「あんたねえ……。そーゆーことは最初にしときなさいよお」
「何で菅野さん?」
何となく順はそう訊ねた。片付け終わってベースを担いだ黒田がぼそりと告げる。
「講堂は無断では使えないだろう?」
大学の施設であるこの講堂を使うにはそれなりの手続きが要る。そのことに思い至って順は頷いた。聞けば、講堂を使用する許可は和也がとったのだという。それを聞いて順はようやく文江が学生会の役員であることを思い出した。
「じゃっ、アタシたちは校門のとこで待ってるね」
そう言ってつかさが黒田と静の腕に両手を絡めて笑いながらステージを降りる。うひひ、久しぶりの飲みだー! と騒ぐつかさの両脇を挟んだ二人が困ったように顔を見合わせる。だがそれでもつかさを振り払うでもなく大人しくついて歩いている。あれは両手に花だな。順は何となくそう呟いた。
「でも何で俺まで付き合わなきゃならないんだ」
「その方が菅野女史の反応がいいから」
不服を零した順に和也がそう答える。その意味が理解出来ず、順は和也の後をついて歩きながら首を傾げた。校舎の中は驚くほど静まり返っている。夏休みというだけでこんなに静かなものなのか。順はそう呟いて和也を見た。和也は片手に握った缶ジュースを傾けている。
「んあ? まあ、こんなもんなんじゃねえの? オレも休み中に来るのは初めてだしなあ」
「ふうん。じゃあ、普段は別のところで練習してるのか?」
「ああ。いっつもはスタジオ借りてやってる」
時間幾らで借りられるスタジオというものが街にはけっこうあるらしい。和也は普段はそこで練習をしているのだと説明した。なるほど、と頷いてから順はふと疑問を覚えて訊ねた。
「え、じゃあ何で今日は」
「やっぱ、音響はチェックしとかないとまずいだろ」
本番は九月だしよ。そう続けた和也を順は凝視した。
「本番!?」
思わず立ち止まって順は声を張り上げた。人気のない廊下に声が響く。和也はのんびりと順を振り返って何でもないことのように頷いた。
「おう。学祭は九月だろ?」
「ま、まさかそれ、俺に出ろとか言わないよな!?」
そう叫んで順は和也を指差した。呆れたような顔をして和也が深々とため息をつく。どうやら和也にはそのつもりはないらしい。和也の表情をそう読み取って順はほっと息をついた。
ジュース片手に和也がおもむろに順に歩み寄る。軽く肩を叩かれた順は嫌な予感を覚えて和也をうろんな目で見上げた。
「新メンバー歓迎会の開始予定時刻は六時だったかな」
「何で!? 俺、メンバーになるなんて言ってないだろ!?」
順は思わず素っ頓狂な声を上げた。だが和也が笑いながら再び歩き出してしまう。順は慌てて和也に追いついて肩を強く引いた。おっと、と呟いて和也が嫌そうに振り返る。
「零しちまうだろが」
「だから! 俺はバンドに参加するなんて言ってない!」
「何だ。面白くなかったか?」
そう問われて順は口を噤んだ。楽しくなかったと言えば嘘になる。身体はとても疲れたが、その疲労感も妙に心地はいい。練習の合間の会話も面白かった。日常とは全く違う雰囲気を順は心の底から楽しんでいたのだ。
「……そういう……訳じゃないけど」
「じゃ、いいじゃん。今から別の歌係探すのも手間だしよ」
和也が豪快に笑って順の肩を叩く。うたがかり。そう呟いて順は額を押さえて呻いた。
「あ、つかっちのが伝染っちまったかな」
どうやらつかさはバンドのボーカル担当のことを歌係という癖があるらしい。その話を聞きながら順は再び歩き出した。学生会室を目指しながら和也が笑いをまじえて話を続ける。
「つかっちの面白語録は他にもあるぞ。曲専務とか」
「……は? それって作曲担当のことか」
そんな話をしながら廊下を進む。学生会室に近付いたところで二人はどちらともなく会話を止めた。和也が学生会室のドアを叩いてすいませーん、と間延びした声をかける。ほどなくドアの内側から入室を許可する旨の返事がきた。
ドアを開ける。和也はドアから部屋に入ろうともせず、その場で文江を呼んだ。どうやら作業をしていたらしい。学生会室の中には文江の他にも数人の学生がいる。文江は彼らに断りを入れてドアのところまで寄ってきた。
「なに? 用件は手短に……あら?」
「こんにちは」
和也の影に隠れるようにして立っていた順は慌てて文江に頭を下げた。それまで険しい表情をしていた文江が何故か急に紅潮する。順は訝りに眉を寄せて文江と和也とを見比べた。
「あー、いちお、ステージ練習終わったって報告しよっかなと思って」
「そ、そう。それは……ええと、お疲れ様」
どもりながら頷いた文江が視線を泳がせる。もしかしてこの場にいたらまずいのだろうか。順は文江の態度をそう受け取ってそろそろとその場から離れようとした。だが歩き出そうとした矢先に和也が順の腕を強く握る。
「で、だね。出来ればまた借りたいんだけどさ。ほら、本番までこれ以上のステージ練習ナシってのもねー」
そう言いながら和也が愛想笑いを浮かべる。作ったようなその笑いを横から眺めて順はやれやれとため息をついた。文江は戸惑っているらしく、腕組みをして眉を寄せて和也を見上げる。
「あ、こいつ? 今度うちのバンドに入ることになったんだよ。新メンバーってわけ」
文江は和也の言葉に仰天したように目を見張った。今度はあからさまに和也と順とを見比べている。何度か二人の顔を交互に見た後、文江は恐る恐るといった態で順に話し掛けた。
「あ、あの、木村君。それ……本当なの?」
疑いの目で順を見ながら文江が小声で訊ねる。どう答えようかと順はしばし迷った。だが迷っている間に和也がさりげなく順の足を踏みつける。痛みを堪えて順は文江にぎこちなく笑って見せた。
「そうなんだ。ええっと、渡部に誘われて」
順は半ばやけくそで消え入りそうな声でそう告げた。それを聞いた文江が目を丸くする。何やら納得出来ない気分で順は隣に立つ和也を見上げた。和也は一人でうんうんと頷いている。
……あ。なんか嫌なこと考えてる。これまで和也と過ごした経験から順は和也の表情をそう読み取った。
「ほら、菅野女史もコイツの歌、ちゃんと聴きたいと思うよな? 本番で失敗したらヤバいと思うよな? 何せ新入りだからよ。練習はきっちりしないとさ」
「え、あの……」
動揺しているらしい文江が助けを求めるように視線を彷徨わせる。この時点で文江の顔は真っ赤になっていた。
「だからさあ。頼むよぉ」
酔っ払いの親父か、お前は。くだをまく酔っ払いよろしく猫なで声を出した和也を横目に見ながら順は内心でそう呟いた。拝むように片手を上げて和也が文江に頭を下げる。順はそっとため息をついて和也に合わせて頭を下げた。
「お願いします」
どういう事情かは判らないが、講堂での練習はそう頻繁に許可されないらしい。そこをあえて和也は頼み込んでいるようだ。順は言葉を沿えて頭を下げながらそのことを理解した。
しばしの後、文江が観念したようにため息をついた。
「……判ったわ。ステージを使える日と時間が決まったら連絡するから。……これでいいわね?」
「おお! サンキュ! 菅野女史!」
歓声を上げる和也に文江が困ったように苦笑する。順もありがとうございますと頭を下げた。
扉が静かに閉まる。そこで順は横目で和也を伺った。
「良かったな」
「おう。これでみんなに殴られずに済む」
浮かれた調子で言いながら和也が踵を返す。順は苦笑して和也の後ろに続いた。
主人公はこの辺りまで普通の日常というのを体験したことがありません。
学校生活は送っていたのですが、諸般の事情で周囲を警戒しまくっていたので……
主人公にとっては初めてのことばかりなのですw