「準備の方はどうですか?」
滞在先のホテルへ向かうタクシーの中、俺は進捗の具合を工藤さんに聞いてみた。
「順調……とは言い切れないかもしれません。当日の準備には支障ないんですけど、プロモーションや商品の方が詰めきれてないですね」
「そうですか。そちらの方で何か手伝えることありましたらいつでも連絡下さい。本当は俺がやらないといけないのにすみません」
「いえいえ。北原さんはヨーロッパで彼女をずっと支えてくださっていましたし。何より日本でのイベントや交渉を担当するための日本支部ですから。ここは私に任せて下さい!」
「わかりました。あんまり無理なさらないでくださいね…」
「その言葉は鏡を見て言ったほうが良いんじゃないのか?」
しばらくだんまりだったかずさが口を開く。
「そう思うんなら少しは手伝ってくれようとか、考えてはくれないのか?」
「あたしはピアノを弾く。他は春希がやる。そういう決まりだろ?」
「きっちりと明文化した覚えはないんだけど…」
「じゃああたしにインタビューの対応とかさせてみるか?春希の助け舟無しで。あたしの言葉を産地直送で」
「それは俺が後始末で仕事量が倍以上になるから勘弁してくれ……」
かずさはそれ以降また黙り込んでしまった。手帳でこのあとの予定を確認したかったが、かずさが右手をずっと握っている為何も出来ない。彼女の様子をちらと窺ってみたけれど、離したら間違いなく機嫌が悪くなりそうな気がする。
「今回はアンサンブルさんの密着取材がまた入るんですよね?」
タクシーの助手席に座る工藤さんが口を開く。
「何だって?また取材?しかも密着なんて聞いてないぞ……!」
「日本に来る2週間くらい前にそう伝えたじゃないか。その時にちゃんとお前は返事もしてたぞ」
「してない!何かの間違いだろ!」
「やっぱり話聞いてなかったんだな…。とはいえ、これは社長である冬馬曜子の意向でもあるからかずさに拒否権はないけど」
「密着なんて一回やれば十分だろ?」
「今回はピアニスト冬馬かずさのプライベートというよりはプロとしての仕事ぶりを取材するっていうコンセプトなんだよ。前みたいに家に付きっきりで炊事や家事をするなんてことはないから安心していいぞ」
そもそも前回の俺の密着取材は取材というか家事代行サービスと言ったほうが正しいのかもしれない。今や俺の職業はマネージャーと家事代行の両立になっているから、今も昔と変わらないな……。
「それは春希だったから良いんだ。春希じゃない男に密着取材なんてされるなんて御免だ!」
「今回の取材を担当する開桜社の社員は女性だぞ?」
「ならもっと駄目だ。どうせ見た目がいい女なんだろ?」
「いや、お前が嫌がるだろうから、密着取材をするなら女性を担当にしてほしいと俺は伝えただけで、容姿に関しての注文は一切してないんだけど……」
「どうだか。この浮気者…」
「それを言われると凄く反応に困るんだが……」
こいつ、自分たちの馴れ初めを完全に棚に上げて話してるな。
「アンサンブルであれば北原さんのお知り合いがいらっしゃるかもしれませんね」
「そうですね」
流石に開桜グラフのメンバーが担当することはないだろう。かといって他部署とそこまで仲が良いかと聞かれればそこまででもなかったので、来たとしても良くて知り合い、高確率で初対面に違いない。
「そういえばグラフの編集長さんが北原さんに挨拶がしたいと言っていましたよ。なんでも昔当時大学生だった北原さんの面倒を見ていたらしくて、どうしても一目会いたいと…」
「……え?それってもしかして……」
「っ!」
かずさに握られていた右手に痛みが走った。握力測定じゃないんだからそんなに強く握らなくてもいいじゃないか…。
いや、そうじゃない。
”当時大学生だった俺の面倒を見ていた”
そんなことが言える人は一人しかいない。
「そうですか。是非一度、お会いしたいですね。あの人には物凄くお世話になりましたから…」
「…美人で歳上の元上司に会いたいだけじゃないのか?」
「まぁそれは……言葉通りの意味でとればそれも一つの理由だけど」
「……っ!」
「別に下心はないって!あの人には感謝しかないんだから」
「どうだか……だってあたしにちょっと似てたんだろ?その人」
「本当にそういう野蛮な気持ちはないんだって…」
「あはは……(それはそれで残酷な気もするなぁ……)」
何故か工藤さんが苦笑いをしていた。
「もしその人が密着取材をしてきたらどうするんだ?」
「編集長が記事を書くなんてことは基本ないから杞憂だよ」
「じゃあ”会いたい”ってのは、”プライベートで二人きりになりたい”ってことか。やっぱり浮気じゃないか」
「そういうならかずさもその場に来れば良いじゃないか…」
「馬鹿野郎。あたしだってそこまで無粋じゃない」
「無粋って。向こうだってかつての部下に会いたいだけだって。やましい気持ちがあるとは思えないよ。何より俺なんかと絶対に釣り合わないし」
「じゃああたしなら釣り合うって思ったのかよ!?」
「そうは言ってないだろ……曲解しないでくれよ。今でも偶にどうして俺なんかがかずさみたいなレベル高い女性の側にいられるのかって昔を省みることあるんだからな」
「……それは……こっちのセリフだ……馬鹿」
急にかずさがしおらしくなってそっぽを向いてしまった。
「またインテグラルか?」
「かずさがあのホテルのスイートを気に入ってるみたいだったからそこにしたよ。それに色々とアクセスの都合も良いから」
「安牌を選んだだけだろ。うちの旦那は安定志向だからな」
「その性格のおかげでマネージメントが上手く行ってるんじゃないか」
「その性格を家にまで持ち込まなければ最高の男なのに」
「お前はもう少しプライベートの時もしっかりしてもらわないと困る」
「また説教かよ。日本に来てまでそんなのは御免だ」
「なら説教しなくても良いようになってくれ」
「ふふふ…。本当……仲が良いですよね…」
工藤さんが生暖かい目でこちらを見守っている。それがなんだか気恥ずかしくて窓の外に目をやった。隣の席を盗み見るとかずさも同じように外を見て紅くなった頬を冷ましていた。
ようやく、滞在先の一室にたどり着いた時には俺もかずさも疲労が顔に出ていた。
「流石に疲れたな」
「そうだな。もうこのまま寝よう。ほら、早く来いよ春希」
バスローブを着たかずさが後ろからまとわりついてくる。
「俺はまだシャワー浴びてないんだよ…。それにメールの返信が残ってるから、寝るにしてもそれを終わらせてからだ」
正味、そこまで急ぐ必要もないけど、やっておかないと心がどうにも落ち着かない。嫌々ながらパソコンを開いて受信BOXを確認すると30件近いメールが溜まっていて早くも後悔しそうになった。
「なぁ〜……春希〜〜寂しい〜かまって〜……」
「おい……かずさ……抱きつくなよ……キーボードが打ちづらい…」
「返事なんて明日でいいだろ?早く一緒の布団に入ってイチャイチャしよ?」
「お前疲れてたんじゃないのかよ…?」
「セックスは別腹だ」
「身も蓋もないな……」
直前まで曖昧な言い方にして濁していたのに……。
「早く寝ておけよ。明日にも取材が入るんだから寝不足でクマが出来上がってる冬馬かずさを雑誌の表紙にするわけにはいかないんだから」
「あ……明日から取材なのかよ!?そんな急じゃなくても良いじゃないか!どうしてこう、余裕ってものを感じさせないんだお前は」
「安心しろ。別に、密着は明日から始まるわけじゃない。明日は単純に巻頭のインタビュー記事の部分だけだからそれが終わればラスカルのプリンを買いに行けるぞ」
「明日の朝から行きたかったのに……」
「セックスした後に朝から出かける程の体力があるとは思えないんだけど…」
「なんだ。春希もやっぱりしたいんじゃないか」
「したくないわけないだろ」
「ふふ……は~るき~」
「あ……こら!ちょ……ま………ズボンを脱がすな……!」
……………。
……結局返信もままならないまま、朝を迎える羽目になってしまった。飛行機の中で仮眠を取っておいて本当に良かった。
そして……………。
「……………」
「……………」
「はじめまして、冬馬かずささん。本日インタビューの方を担当します杉浦小春と申します。本日はどうぞよろしくお願い致します。そして……」
この展開は全く予想していなかった……。
「ご無沙汰してます、先輩」
続く