朝礼を行い、授業に移っても俺は未だ京子さんのことを考えていた。
いやらしい妄想ではない。断じてない。
ただ、もし関係が発展したとして、俺は京子さんと真っ当な恋人関係になることはできるのだろうか。
それは歳の差から来る心配。
彼女とは一回りとは言わないが、確実に五は年齢が離れている。
歳の差は割と大きな障害だ。
寿命とか老化とかそういった将来的な問題ではなく、生きてきた時代が違うのだ、話題も当然合わないだろう。
女性に気を使わせるほど男として情けないことはない。
夫婦となればそのプライドも知らず風化するのだろうが。それでも恋人関係の時はそのプライドを守っていきたいと思っている。
これはただ自分が意固地になっているだけなのだろうか。
そして何よりの問題は、彼女は自分を男として見てくれているかどうかだ。
おそらく見てくれていないだろう。きっと弟のような存在だと思っているはずだ。
悲しいかな、こればかりはどうしても埋めることが出来ない溝。
時間という多大な対価を払ったら、その溝も埋まってくれるかもしれないが、こんなことを女々しく思っている今の俺に対価を払う勇気はとてもじゃないがない。
「じゃあ次、園田ー」
しかし逆に考えてみよう。
なぜ時間を払うことを躊躇してしまうのだろうか。
関係の進展とはより互いを知ることではないのだろうか。進展、理解にはもちろん時間が必要だ。
それを避けると言うことは言わばおっぱいが大きくて包容力の高い女性なら誰でもいい。
つまりは彼女をただのテイの良い存在としてしか見ていないということになる。
「おい、園田?」
そうなのかな……。
そう思った瞬間に自信が揺らぐのを感じる。
結局は彼女を好きになったのは風貌だけが理由なのか?
良い服があったから欲しい、とほぼ同じ意識で彼女に恋している。
いや、もはや恋じゃないな、好いているということなのか?
溝を埋めるどころか、溝にハマっていく。
こういうのをドツボにハマるというのだろう。また大きく感歎の息を吐いた。
「授業を聞かずにグラウンドを眺めるとはいい度胸だな、そ・の・だ・く・ん?」
「えっ……?」
教師が教科書で俺の頭を叩いた音が教室内に鮮やかに響く。
同時に俺は理解した。
俺は京子さんというドツボにハマっているということを。
◇
昼休み。
友人がため息を吐きながらこちらに近付いてくる。
ただしそのため息は俺のもどかしい感情とは何も関係ない。
呆れが多大に含まれていることは言うまでもないか。
「お前、朝から何ボーっとしてるんだよ」
昼食の弁当を俺の机の上に置き、友人は問いてくる。
俺はそれを食そうと手を伸ばすと、見事に手を弾かれた。
「ちぇ」
「ちぇ、じゃねぇ。可愛くない。むしろキモイ。というか話題を逸らすな」
どうやら友人は本気で理由を聞き出すつもりのようだ。
睨むような細い眼からは微量の苛立ちを感じ取れる。逃げることは許されないようだ。
決心か、諦めか。
鼻で息を大きく吐くと、俺もカバンから昼食を取り出し、食事をしながら会話を進めることにした。
「なぁ、お前は恋をしたことあるか?」
「藪から棒になんだよ」
「お前が原因話せって言ったから話してんだろ?」
それを聞き、友人が固まる。
「原因ってもしかしてそれ?」
「あぁそうさ。解決策があったら教えてくれ」
「で、何組の誰が好きなんだよ。もしかして先輩?」
話をはぐらかされ、恒例の好きな人当てゲームが始まる。
このゲームは否定すらもヒントとなり得るので無視するに限るのだが、俺はバカ正直に、しかも具体的に否定する。
「学校にはいないよ」
「えっ、じゃあバイトの先輩とか?」
なぜ先輩ばかりに焦点が行くのか。
しかし年上というところは間違っていないという点がなんとも歯痒い。
「俺、バイトしてない」
「じゃあ誰なんだよ」
友人の声のトーンが一気に下がる。よく見れば睨む目も険しくなっていた。
もう後には引き下がれない。
固唾を飲み込む音が静寂の間によく響く。なんとか声を出そうとして代わりに出る吐息も同じく。
対し、友人は真顔で無言のままだ。食事の手も止まっている。
余計にかかるプレッシャー。スポーツ選手にかかる圧力を疑似的に体感している気分だ。
だからバットを振らなければならない。振らずに逃げたらプロ失格だ。
恥の上塗りでもいい。ファールでも空振りでもいい。とにかく振らなきゃいけないんだアァァッ!!
そう謎の鼓舞を行い、俺は眼をカッと見開く。
行ける。いまこの勢いなら、イケる!!
「アパートの、隣の部屋の……お姉さん」
その心意気とは裏腹に出てきた声は非常に弱々しいもので、耳を澄ましていなければ聞こえないほどだった。
それでもなんとか友人には届いていたらしい。
聞き返すことなく、真顔のまま俺を見つめている。
やがて「クッ」と何かを堪える声が聴こえたかと思うと、連なり友人が大爆笑を始めた。
昼休みで教室にほとんど生徒がいなかったのは不幸中の幸いか。こんなことになるなら逃げたほうが良かったか。
きっとミスした選手はこんな感情なんだろうな。
そうやって俺は心の中で逃げた。
「なに、なに!? いわゆる一目惚れってやつ? マジで? そんな人間、この世にいたの? えっ、どんな人? 可愛いの? 胸でかいの? 名前は? というかどこで惹かれたの?」
しかし友人は逃がそうとしない。
当たり前だ。手負いの獣を逃がす狩人がどこにいるのか。
それでも獣は逃げる。
生きるために。人間で言うなら社会的に死なないために、か。
「どうでもいいだろ……」
「え~、教えてくれよ~」
どれだけ逃げても食い下がって来る友人。
良かろう。
ならばここは人間の術、交渉を使わせてもらう。
ギブアンドテイクというものだ。
「じゃあ恋愛術かなにか教えてくれよ。人の恋愛に土足で立ち入ろうとしてるんだ。それなりの経験があってのことだろう?」
「いや、ない」
案の定な答えに呆れた視線を返す。
真顔で一言述べた友人だったが、目があった途端、ニヤリと口元を緩めた。
まったく。入学早々出来た友人は悪友でしたと。
末代まで語り継がれるな、これ。
「じゃあ教えても意味ないじゃないか」
「ある。俺が楽しい」
「最低だな、お前」
苦笑を浮かべ、また窓の方に目を向ける。
あぁ、早く帰って京子さんに会いたい。
この恋慕、叶わなくても、せめて共にいる時間だけは長くあり続けたい。
それは欲張りな願いなのだろうか。それともただの逃げなのだろうか。
また一つ、ため息を吐き出しながら彼女を想った俺はカメレオン。
失恋しても片足で踏ん張るフラミンゴになる勇気はない。