第0話 導入
私の名前は藤浦 ヒナタ。学校では風紀委員長なんかをやっている。
そんな私は今、一度だけ話した事のある名前も知らない女の人に声を掛けられていた。明らかな不審者で、訳が分からない得体の知れないスマホを渡して来た女の人。また出会った時に突き返すつもりで持っていたから、丁度良い。何故か手に持つだけで自分が自分じゃ無くなる様な気持ち悪さを感じたこれを、私は一刻も早く手放したかった。
なのに、その女の人は私の言葉を聞いて笑いながら言う。『本当に良いの?』と。
「こんな気持ち悪いもの、早く手放したいのよ」
「ふーん。……それじゃあ、それを返して貰う前に君に見て欲しいものがあるんだ」
そう言って女の人は自分のスマホを取り出して、何度か操作をしてから私に画面を見せる様に差し出してくる。一体何を見せたいのか分からないけど、何を見たって私の意思は変わらない。
……そう、思っていた。
「な、なによ……これ……っ!」
「ふふ、これはそのスマホを使った人がした事だよ」
受け取ったスマホの画面に映っていたのは一枚の写真。そこに映る人物を私は知っている。認めたく無かった。だけど、その姿は間違える訳が無い。
「彼女はとても人気者みたいだね」
佐伯 無垢。小学生の頃から付き合いがある、私の友達。彼女の抱える問題を馬鹿にするクラスメイトに腹が立って、ガツンと言ってやったのが彼女と関わる切っ掛けだったと思う。そのまま自然と気付いたら一緒に居る様になって、普通の人より不利な状況でも健気に生きる彼女の姿を見て守ってあげたいって思う様になっていた。
そんな彼女が、誰かの手で胸やアソコを触られて悶える一枚の写真。画面の下を見れば、その写真は一枚だけじゃ無い。横へスクロールすると、別の写真が画面に映し出される。それもまた別の場所で誰かに攻められている無垢の写真で、誰がそれをしているのかは映っていないけれど、さっきの人とは別の誰かである事は間違いない。
「あのスマホを渡したのは君だけじゃ無いという事だよ。そして君以外が自身の欲望に忠実となって、好きな子を襲った」
「そんな……それじゃあ、今無垢は……」
「何処で何をして居るんだろうね? もしかしたら、誰かに捕まっちゃってるかな?」
「っ!」
私は急いで自分のスマホを使って無垢に電話を掛けた。喋れない彼女に掛けたってしょうがないのは分かってる。だけど、出てくれるだけでも良い! 何度もコールの音は聞こえるのに、何時まで経っても出ない事で徐々にパニックになって……その時、女の人は私に言う。
「君が返そうとしたスマホを使えば、簡単に呼び出せるだろうね」
「……」
起動した事も無い、不気味なスマホ。女の人は、これを使う事で好きな相手の身体を操作出来るって話し始める。そんな事、ある筈ない。そう思いたいのに、あの写真が脳裏に過る。もしかしたら、ただ無理矢理されただけかもしれない。それだって十分問題だけど、だとしても何人もの相手に襲われたなんて考え難い。焚き付ける何かが、きっとあった。そしてそれは、私の持っているこの女の人が渡して来たスマホ。
「それで思い通りに彼女を操れば良い。君は特に、あの子に対して溜まっているみたいだからね」
「訳の分からない事を言わないで! 私は……絶対にこんな物に頼らないわ!」
無垢が襲われる切っ掛けになったこれを使うなんて、嫌だった。私は無垢を守りたい。もしあのスマホが誰かの無垢を襲う切っ掛けになったのなら、こんな物の所為で無垢が酷い目に遭っているって事。絶対に、許さない。
私は無垢を探す為にその場を後にした。多分、家には居ない。家に居るのなら、電話に出ると思うから。勝手に寄せてる信頼かもしれない。でも無垢は私のメッセージや電話に反応しない事が殆ど無かった。電話に出なくて、手元にあるのならメッセージくらい返してくる。それすらしないって事は、それを出来る状況に無いって事。
「何処に……無垢っ!」
思い当たる場所を考える。酷い目に遭った今の彼女は間違い無く傷心していて、そんな彼女が行く場所は……。
パッと一ヶ所だけ思い浮かぶ場所があった。果たしてそれが当たっているのかは分からないけれど、藁にも縋る思いで私は駆ける。ポツポツと雨が降り始めて、傘を持っていなかった私は徐々に雨が激しくなると共に濡れてしまった。それでも構わない。今は何よりも、彼女を見つける事が最優先だから。
「はぁ……はぁ……お願い、ここに居て!」
辿り着いたのは小さな公園。小学生だった当時の私には広く感じていた場所で、虐められる無垢と始めて出会った場所でもあった。ここで声も出せずに泣く彼女を囲むクラスメイトの間に割って入って、『止めなさい!』と言ったのは今でも覚えている。当然それで止めてはくれなくて、ちょっとした掴み合いになったところで大人が来たんだ。
「……」
「……ぁ」
私に取って思い出の場所。そしてそれは無垢にとっても同じ……そう信じた。だからこそ、そこに彼女が居た事で私は声にならない声を漏らす。
「……無垢」
「!?」
言葉が出なかった。ただ彼女の名前を呼んで、驚いて振り返ったその顔が泣いていると私には分かる。全身を雨で濡らしていて、でもその目から流れるものだけははっきりと見て取れた。『どうしてここに居るのか分からない』。そんな感情を目で訴える姿に、私は何も言わずに近づいて……抱きしめる。
言葉は要らなかった。ただ抱きしめるだけで、私は彼女に思いを伝える事が出来たのかもしれない。私に抱かれた無垢はやがて本格的に泣きだして、私の背に両手を回して抱き返しながら涙を流し続ける。黙ってそれを受け止める事が、今の私が無垢に出来る最大の事だと思った。
「今、お風呂を沸かして来るわ。これでしっかり身体を……いえ、一緒に行くわよ」
私は無垢を家へ連れて帰った。一人暮らしを始めたお姉ちゃんは偶にしか家へ帰って来なくて、仕事でお父さんも偶にしか帰って来ない。だから殆ど一人暮らしみたいなもの。何も問題無かった。
お互いに濡れ過ぎてしまった身体を温める為にも、まずはお風呂を沸かす。だけど無垢は精神的にかなり弱っていて、私が一時的にでも離れようとしたところで服の裾を握ってそれを嫌がってしまう。だから仕方なく。そう、仕方なく! 私は無垢と一緒にお風呂へ入る事にした。
無垢も私も、互いに裸は何度か見て来た。プールの時間に更衣室で着替える際や、修学旅行なんかでお風呂に入る時なんかに。無垢の家へ泊まりに行った事も、我が家へ泊まりに来た事だってある。だから何も思わない。……と思ってたのに、あんな写真を見た後だと複雑に感じてしまう私が居る。 この小さくも愛らしい身体を、誰かが穢したんだって思うと怒りすら湧いて来る。
酷い事をされた無垢に何かをしようなんて思わない。私はそんな人で無しじゃない。優しくお湯を掛けてあげて、無垢に温まって貰う為に全力を尽くした。ちょっと無垢が私から離れようとしなくて、湯船でも背中を預けて来た時は込み上げて来る物があったけど、我慢出来たわ。
「ん? これ……」
「っ!」
お風呂から出て、タオルで身体を拭いていた時の事。無垢が脱いだ服の中に何かがあるのに気付いた私はそれを手に取った。瞬間、それを見た無垢が私の手を取ってそれを床へ落とす。……それは、あの女の人が私に渡したのと酷似したスマホ。無垢の物、とは思えない。だって明らかに彼女はこれに対して怯えているから。
「大丈夫、大丈夫よ。私はこんなもの、使わないわ」
「……」
床に落ちたそれを見せない様に、私は無垢の前に立って外でしたのと同じ様に抱き締める。無垢が徐々に落ち着いてくれば、私達は服を着る。私は自分の服があったけれど、無垢の服は我が家に無い。そこで色々服を探していたら、いつの間にか無垢は私のYシャツを裸の上に着ていた。大きいからそれ一枚で膝上まで隠せているけど……破廉恥過ぎるわ!
「そんな恰好駄目よ! もっとちゃんとしたのを……」
色々な服を取り出す。全部私の服だけど、サイズの問題でパジャマを着せても大き過ぎて肩がずり落ちたりして結局破廉恥な姿になってしまう。
「……」
「ちょっと、匂いを嗅がないで」
Yシャツの時もそう。私の服を着ると無垢はその匂いを嗅いで本の僅かに微笑む。無垢が『良い匂い』と思っているのが不思議と伝わって来るから、余計に気恥しく感じてしまう。思えば私の服に無垢が包まれているっていうのが余計に……これ以上は考えちゃ駄目ね。
「無垢。何があったのか、私は無理に聞かない」
「……」
「でも私は貴女の味方でいると約束する。好きなだけここに居ても良いわ」
「…………」
無垢を追い詰めたあの女の人のスマホ。私の元に一台あって、無垢が持っていたもう一台があって、確実に他にもそれを持っている人が存在している。どうすれば無垢を守れるのか分からないけれど、私は無垢をこれ以上酷い目には合わせない。絶対に、守ってみせる。