「……」
「……」
佐伯家。そのリビングは途轍もなく重い雰囲気に支配されていた。
家の主でもある姫子は椅子に座った状態で不安げに目の前に座るヒナタを見つめている。一方、ヒナタはまだ警戒した様子で姫子を見つめ返していた。互いに見つめ合うも、そこにあるのは不安と疑心。やがてヒナタが大きく息を吐いた事で、姫子は肩を震わせる。
「状況は大体理解出来ました。……多分、今の姫子さんなら大丈夫ですね」
「ひ、ヒナタちゃん。無垢が何処に居るか、知ってるの?」
「はい。無垢は私の家に居ます」
「!」
ヒナタは今の姫子が無垢の話したおかしな状況に無い事を察して正直に伝える。それに驚きながらも安堵した様子を見せる姫子の前で、ヒナタは自身のスマホを使って自宅に居る無垢へ連絡を行い始める。もう自宅は大丈夫だと、電話越しに伝えている姿を見て更に安堵する姫子。電話を終えた後、ヒナタは再び目を合わせる。
「今から無垢を迎えに行ってきます」
最初から姫子に会うところへ無垢を連れては来ず、まずは自分が会って確認する。それがヒナタのした事である。無垢が無事であり、会える事に胸を撫で下ろした姫子を見てヒナタは『但し』と更に言葉を続けた。
「無垢は姫子さん達に怯えています。どうしてかは、分かりますよね?」
「うん。私は、それだけの事をしてしまったの。あの子に……」
自覚している様子を見てヒナタは立ち上がると、家を後にする。そして無垢を迎えに一度自宅へ帰り、共にもう一度佐伯家へ。ヒナタの背に隠れながら帰宅した無垢の姿を目にした時、姫子は抱き締めたい衝動をグッと抑えて出迎えた。それでも怯えてヒナタから離れない無垢に、姫子は最愛の妹と出来てしまった溝の存在を感じてしまう。
「大丈夫よ。今の姫子さんは」
「……」
ヒナタが告げても、その不安は容易く拭えない。姫子は『仕方ないのよ』と告げて、リビングへと向かう。そうして無垢も交えて話は再開される。その内容は当然、スマホの存在。姫子は無垢へ説明する様に、自分がとある女性から渡されたスマホについて話始める。無垢が部屋に籠ってしまった事で、それを使うに至り……何時の間にかその行動は無垢を襲うまでに歪んでしまっていた事を。
「昨日話した通り、あの女の人は私にスマホを使わせようとしていた。もしおかしくなってしまう切っ掛けがスマホなら、姫子さんの話も納得いくわ」
「みつちゃん達もこれを持っていて、無垢を襲ったのよね」
「……」
姫子の言葉に無垢は弱々しくも肯定する為、頷いた。みつの事は姫子が。のぞみやみここの事はヒナタが詳しい。姫子の知るみつはそんな事をする人物ではなく、ヒナタの知る2人は少々怪しい部分もあるが、嫌がる無垢を無理矢理襲う様な人物では無かった。そして一様にスマホを使っていたとなれば、状況は同じだろう。
「姫子さんはスマホのせいで可笑しくなっていた。だけど、それを無垢が持ち出した事で正気に戻れたんだとしたら……」
「みつちゃん達の持っているスマホを取り上げてしまえば、元に戻るかもしれない。という事ね」
「!」
「やり方を選んでる余裕は無い。遠隔操作で何時無垢に仕掛けて来るか、分からないもの」
やるべき事は明白だった。無垢が姫子からスマホを奪った様に、3人からスマホを奪ってしまう事で正気に戻す。現在、事の次第を理解して居るのはこの場に居る3人だけであり、被害者の無垢を救う事が出来るのはヒナタと姫子の2人だけである。
「多少強引だけど、仕方ないわ。私達で協力して、皆を正気に戻しましょう」
「えぇ。罪滅ぼしになるとは思わないけど、今度こそ姉として妹を守るの」
『お願い』
ヒナタは姫子と協力して、この問題を解決すると決意する。行動を開始するのは翌日からとなり、その方法は1人1人考える必要があった。故にそれからの時間は姫子とその方法についての話し合いに。やがてそれも終わった時、ヒナタは帰る為に席を立つ。
「!」
「きゃ! 無垢?」
「……そうよね。……ヒナタちゃん、無垢をお願い」
「……分かりました」
無垢はヒナタが帰ろうとした事に気付いて席を立つと、彼女の傍へ近づいた。そして服の裾を握る姿に姫子は察する。姫子が元に戻ったと分かっても尚、無垢は不安を感じているのだ。責任を感じた姫子は悲し気な面持ちで、ヒナタへ無垢を預ける事を決める。ヒナタも察してそれを受け入れると、無垢を連れて佐伯家を後にした。
藤浦家。
ヒナタと共に帰って来た無垢だが、彼女はヒナタから離れようとはしなかった。彼女と接触している間は遠隔操作が効かなくなるからであり、しかし無垢にはそれとは別に自分を昔から守ってくれるヒナタへの信頼もあった。
明日の学校は普通に登校すると話し合いの末に決定した。自宅にあった無垢の登校や夜を明かすのに必要な荷物は持ち込んでおり、明日を迎える準備は整っている。
昼食は佐伯家で済ませ、本来であれば午後の授業に出ているにも関わらず家にいる罪悪感をヒナタは感じる。だがそれも無垢を守る為だと思えば、必要な事だったと自らに言い聞かせていた。
それよりも今彼女が現状で悩んでいるのは、自分にくっ付いて離れない無垢をどうするかである。理由を理解しているせいで、下手に離れて欲しいとも言えない。だがトイレにまでくっ付いて来ようとする場面では、流石に困ってしまう。
無垢とくっ付いたまま、時間を過ごしたヒナタは外が茜色に染まる頃に夕食の準備をしようとする。無垢も普段から自宅で料理を頻繁に作っているため、その手伝いに。
……だが、包丁を持った無垢は突然身を震わせてそれを落としてしまう。
「っ! 無垢っ!」
何が起こったのか、ヒナタにはすぐに分かった。料理をしようとしたその瞬間、ヒナタに触れていなかった無垢に遠隔操作の手が及んだのだ。流し台に包丁が落ちた事で大きな音が響く中、ヒナタは即座に無垢の傍へ駆け寄ってその身体を抱きしめる。無垢が震えながらも救われた事でヒナタにしがみ付き、油断出来ないとヒナタは改めて思う。
「いいわ。料理は私がやるから、無垢は私に触れてなさい」
『ごめん』
「貴女が悪い訳じゃないわ。貴女に破廉恥な事をしようとする誰かが悪いのよ」
既に授業も終わっているであろう時間。3人全員に可能性があり、ヒナタはその姿を思い浮かべて怒りの眼差しを虚空へ向ける。
それから何事も無く出来上がった夕食を食べて、前日と同じ様に共にお風呂へ入った2人。今回は無垢のパジャマもあり、まだ早い段階から無垢と一緒にベッドへ入ったヒナタは今後の事を考えて重めの溜息を吐いた。
『ヒナタ』
「何?」
「……」
突然、無垢がヒナタへ何かを伝えようとする。だが聞き返された時、無垢は答えをすぐにメモへ書く事が出来ない様子であった。その目には昨日の様な不安と、何処か熱の様な物を感じられる。
「言いたい事があるなら、言いなさい」
「……」
何を言おうとしているのか、気になったヒナタの言葉に無垢はやがてメモにペンを走らせる。そして見せた言葉に、ヒナタの目を大きく見開いた。
『ヒナタは、私に我慢してるの?』
「……どういう意味よ?」
『スマホを貰ったみつさんも、のぞみもみここも、お姉ちゃんも、私の事を襲って来た。皆、こうしたかったって』
「……」
『スマホを貰った人は、全員私に関わってる。だけど、クラスメイトなら他にも居る。だから』
無垢はどうして5人がスマホを渡されたのか、気になっていた。そして彼女が導き出した答えは一見自意識過剰と言われても仕方ないが、それが一番可能性のある答えでもあった。
それは『
『ヒナタは』
「!」
「以前、貴女は自分の容姿に対して『気味が悪い』って言ってたわね」
メモを見せて次の言葉を見せようとした時、それを止めたヒナタが話始める。何時か、無垢が学校でのぞみとみここも交えた4人で話していた時の言葉。ヒナタの問いに頷いた時、無垢は頭に手を置かれて撫でられ始めた。
「私は初めて見た時から、そんな事一度も思った事無いわ。桜さんも、桃田さんも、絶対に思った事無いでしょうね」
「……」
「2人は可愛いんでしょうね。私は私をそう思った事は無いけれど、貴女が言うのなら私も。……だけど私達は全員、誰よりも貴女が可愛いと思ってたのよ」
『私が?』
「愛らしい、と言ってもいい。貴女は自分が何も無いと思っていたかもしれないけど、魅力なら十分過ぎる程にあるの。他の皆がスマホのせいでおかしくなったのは間違い無い。でも貴女に好意を抱いていたのは本当の事だと思う」
無垢を慰める様に、だが自分の本心も明かす様に語ったヒナタ。その頬は恥ずかし気に赤く染まっており、それは無垢の問いに対する肯定でもあった。自身の内にある感情を赤裸々に語ったのだ。ヒナタは無垢と目を合わせられず、沈黙の中で何時の間にか鼓動の速くなった心臓の動悸を強く感じる。
「っ! 無垢?」
『ヒナタ。嫌なら止めて』
「何を……んっ!?」
ふと、無垢の身体を突く行為に顔を上げた時。書かれていた言葉に疑問を投げ掛けるよりも早く、無垢が身を乗り出して下からヒナタの唇に自身の唇を宛がう。自分が口付けされた事に驚き目を見開く中、無垢は至近距離に顔を残したまま、メモを見せた。
『私はヒナタの事が好き』
「!?」
幼い頃から自分を守ってくれた親友であり、今も自分の事を救おうとしてくれる人。それが例え同性であったとしても、好きになるのにそれ以上の理由が無垢には必要なかった。自分の容姿を不安に思う心すら優しく包む様なその言葉と姿を前に、
『ヒナタになら、何をされても良い』
「は、破廉恥な事は……んっ!?」
言葉を遮る様に、再び口付けをした無垢は小さなその身体を使ってベッドへヒナタを押し倒した。今度は舌を入れて、より深い口付けを。ヒナタは目を見開きながらも、容易く押し返せるその身体を何もしないで受け入れ続ける。やがて口付けを止めた時、普段の無表情を若干崩して荒い息をする無垢を前に……ヒナタの中の何かが弾けた。
「!」
「今更嫌がっても、遅いわよ」
「……」
無垢の両肩に手を置いて横に転がり、覆い被さる様な姿勢になった時。ヒナタの告げた言葉に今度は無垢が目を見開きながらも、やがて頷いて受け入れる姿勢を見せた。
破廉恥な事を心底嫌う学校ではお堅い風紀委員長も、愛した相手に求められて受け入れられれば、スマホを介さずとも欲望に忠実となる。