「この通りなんだよね、ワタシ達が轢かれたところって」
そんな縁起でもないことを急に言われて動じない人間がいるだろうか。隣の本人は至って平常なのか、まるで調理器具のしまう場所を確認するかのようにあっけらかんと聞いてきた。気分が沈んでいるわけではないようで何よりだが、まだ日の高いうちから公衆の場でそんなことを言われる身にもなってほしい。
当然俺はすぐに言葉を返すことはできなかった。しばらく唖然とした後に不思議そうにこちらを見たナツメと目が合いようやく口が動く。
「……悪い、急にどうしたんだ」
いまだにその意図をはかり知りかねて、単刀直入に聞かざるを得なかった。自分がどんな発言をしているのか自覚できているのだろうか。
「いや別に。生きててよかったなーって」
残すところ三ヶ月と数日だというのに、今年の不謹慎対象を受賞しそうな勢いで不穏な発言をワッと浴びせにかかる四季ナツメ嬢。何か思うところがあっての言動だとは思うが、いまだに意図はわかりかねている。
「ワタシは確か、スマホをいじってたかな。昂晴は?」
横断歩道に辿り着く前に信号が赤に変わる。特に急ぐ用事もない俺達はそのまま次に青に変わるまで待つことにした。
「あの時は俺もスマホを見てたな」
「何してたの?」
「バイト先を探してた。つっても、どこも胡散臭い文句で過去のブラックなところと同じだろうって頭抱えたよ」
直前の夏休みに何もせず時間も金も無駄に浪費したのだから、当然の顛末と言える。最終的には神の巡り合わせというか運命というか、こうして幸せのただ中にいられることを思えば、それでよかったのだろう。
「ふーん。じゃあ、二回目は?」
道路の方から大型トラックが通過する轟音が響いた。
あの時の事故、そしてあの日を二回経験し記憶も持っているのは俺だけ。ナツメは事故の当事者であってもやり直しをした本人じゃないから記憶も引き継がれていない。
「……身構えてた、かな」
先にある危険を知っているのなら、警戒をしないわけがない。せめて巻き込まれないようにとだけ注意していた。思えば交通事故が起きなかったことだけが一回目と二回目で唯一違うところだったが、それも死にたくない願いで運命が変わった結果なのだろうか。
ともあれ事故が降りかかることはなかった。結果的に死神自体は俺のところにやってきたのだけれど。
「こう言っちゃなんだが、ナツメの方はよく覚えてたな」
「覚えてたというか、あの日のあの時に本来お前は死んでいたんだって伝えられるとね。道路で車同士の揉め事を目の当たりにしたのも珍しいから、記憶に残っちゃってたのもあって余計に」
さっきまで何食わぬ顔でいたはずなのに、そう言いつつ俺に向けた笑顔はとても乾いて見えた。
少しずつ見えてきた、今のナツメの精神状態。
彼女の魂は常人程度にまでは戻っていて、病気は綺麗さっぱり、兆しすらなくなった。多少体調に問題が出たとしても、魂に欠けたところもなく諦め気味な思考も持たなくなったなら乗り越えられる、それくらいまで快復しているはず。
だが人間の不安や悩みは一概に消し飛ぶほど単純なものではない。それどころか次々と湧いて出てくるものだと認識してもいいくらいだ。
今この状況でナツメが抱える不安といったら……。
「さ、無事に渡り切れますように」
「またそんなことを」
信号が青に変わる。安全に渡れることを示すエメラルドグリーンのLEDライトは、事故を想起させる死の光となった。というのは大袈裟だが、こんな皮肉があるものかとも思う。
笑えないブラックジョークを流しながら二人で歩き出した。
事故の瞬間どんな感じだった?やっぱり轢かれた時って痛かった?本当に童貞のまま人生を終えたくないって思ったの?と質問されることはなかった。俺の方はそう予想し答えまで用意していたというのに、ただ無言。ナツメはさっきまでと打って変わって一言も喋らなくなり、その様子を見て俺はじっとナツメを見守っていた。
異変に気付けたのは早かった。真ん中あたりで目に見えて足取りが重くなっていることに気付いた俺はすぐさま彼女の手を取った。
「大丈夫か?」
少し強引だったものの、立ち往生する方がよっぽど危ない。いつもより細く感じられた腕を優しく引っ張りながらすっかり覇気の失せたナツメに声をかける。
「うん……ごめん……」
こんなナツメは過去に何度か見たことがあった。記憶にあるのはどれも昨年までのことばかりだ。
弱々しい、脆い、儚い。少しのことで砕けてしまいそう、まるでガラス細工のように。
魂までそうはならないでいてくれ。そう願いながら、反対側の手で彼女の手首をしっかりと握り直し、もう片方の手で肩を寄せながらなんとか前へ前へ進む。ナツメの呼吸は少し荒くなり運ぶ足もふらついていた。うつむいて表情は窺えないが、一刻も早く休ませないと危険だということだけは理解できた。
信号が赤に切り替わる直前にようやく渡り切り、すぐ目の前にあった階段に腰を下ろさせる。高熱の確認に額に手を当てたところ異常はなかったが、着ていたコートを念のため肩に被せてやった。
ナツメはその間も無言、というよりは話せる準備が整っていないようだ。
「大丈夫だ。焦らず自分のペースでいい」
するとナツメは小さく「背中……」と呟いた。さすろうかと聞くと首を縦に振ったので、背中の上で手をゆっくりと上下させる。
病気が再発する心配はない。そう断言されていたものの、その可能性ばかりが頭の中を巡っていた。魂は元の状態に戻った、小さい頃からの懸念もなくなった、周囲の人に恵まれた、そして身体の状況も良い。しかしこれだけ安心できる材料がありながら、現実にこんなことが起こった。無事を疑わないわけがないだろう。
一分か二分経つと呼吸は本来の調子に戻りつつあった。できることは済ませた、早く救急車を呼ばないと。
だが携帯電話を取り出したところで、か細い声に制止される。
「ワタシは、大丈夫、だから……手、握ってて」
明らかに普通じゃない。それなのに誰も何も呼ばないのは大丈夫とは言えないはず。
だがナツメは自分のことがわからない人間じゃないのは、俺も当の本人も知っている。その言葉を信じて、外気に触れ続けて冷たい俺の手でナツメの手を握る。
「……ふふっ、ちょっと冷たい」
ようやく上がったナツメの顔。青ざめるまではいかないものの顔色は優れないまま。そしてこれは完全に俺の感覚ではあるが、何かを怖がっているように思えた。
「もういいのか?」
「うん。あ、ごめん。歩くのはまだ……」
「大丈夫、待ってる」
ひとまず会話できるくらいには回復したようでよかった。
俺は自分から問いただすことはせず、深呼吸しているナツメの次の言葉をじっと待っていた。
やがてポツリポツリとその小さな口から紡がれた。
「もう過去のことだって、起こらないことだっていうのはわかってるつもり。だって気を付けていたら巻き込まれるなんてないはずでしょ。
それでも……轢かれる時の痛みだとか、車がこっちに突っ込んでくる怖さだとか、ワタシが体験したわけじゃないのにそういうので頭の中で一杯になっていっちゃって。
それに、本来ならそこで死んでたんだって思うと、もちろん今こうやって生きてる安心感がないわけじゃなかったんだけど、でも……それでワタシっていうのが終わってたんだって……昂晴やみんなといられなかったんだって……。
病気で死ぬって思ってた時にはこんなことなかったはずなのに、なんでかな」
頭や身体の記憶とは別に、魂も記憶を持つことがある。生まれ変わった先の魂にはその前の者の記憶が引き継がれることがある。そしてこれは本人の脳に残るではなく、生まれ変わる前に関係し影響する何かの出来事を引き金にして持ち主に記憶を刻み込まれるのだと。
例えば生前で最も記憶にあったことは次の代でも繰り返し行う傾向にあったり、生前の関係者、それこそ血縁者にでも会うとその時の記憶がしっかりと思い出されたり。
ナツメは前者に近い状態だ。本来なら時間の巻き戻しも魂にかなり作用していたはずだが、『取りこぼし』があったのなら完全な出戻りとまではいかなかった。おそらく零れ落ちた方の魂が憶えていたのだろう。そして今日こうしてトラウマを想起してしまった。場所、時間帯、通った車、そして俺自身と考えられるトリガーはいくつかあるが、今この時に探っても仕方ない。
とはいえ俺にできることなんてたかが知れていた。
「怖くてしょうがないのはわかるよ。俺も、あの時本当に死んでいたらって思って血の気が引くことは何度もあった」
ナツメの手を少しだけ強く握る。俺よりも小さくて、震えもまだ収まりきっていない。
俺は今でも思う。もしステラのみんながいなかったら、俺はこうして生きていたのかと。店を盛り上げるために死に物狂いで駆け抜けたのは最終的には自分の為でもあった。けれど裏を返せば、誰かがついていなかった時の俺は生きるために頑張れていなかったかもしれない。
まして死の恐怖を乗り越えるなんてのは自分一人でできるものじゃない。それは同じ体験をして記憶もある俺だからこそ言えることだ。
彼女の声を呼び、しっかりと目線を合わせる。
「でも、もうナツメ一人じゃない。俺がいる。ステラのみんなや、その周りの人だって力になってくれる。染井さん達だって子供の頃からの仲じゃないか」
もう一人だけで抱え込んでいた頃とは違う、ナツメはたくさんの人に囲まれて生きている。ステラで幸せを運び続ける女の子に味方しない人なんていない。
だから、安心して頼っていいんだ。
「………………」
大きな瞳いっぱいに涙を浮かべたナツメは、その顔を俺の胸元に埋めた。
「はぁ……また情けないところ、見せちゃったかなあ」
「一人で死のうとするよりはいいさ」
過去を蒸し返すようで悪いが、それでも俺にとっては頼るという選択肢を考えてくれてるだけで嬉しい。本当の意味で二人で一緒に歩いていられるようで。
「……ありがとう、昂晴」
離れないようにしっかりと抱き寄せる。体の震えは恐怖とは別のものに変わり、手の震えもない。
そして握った手からは、確かな温かさが感じられた。
作中の小ネタ披露となりますので、こちらは本作読了後の閲覧を推奨します。
2021年に何も投稿しなかったってマジ?
どうも、サボり魔です。
今回はナツメの魂に関するお話を書かせていただきました。
普段はカップルがしそうなことを綴るばかりでしたので、自分で設定の解釈を広げるというのは初めての試みでした。解釈違い起こしてないかな……こわひ……。
お察しのいい方は初見でおわかりだったかもしれませんが、魂の記憶に関する例として各自ルートの栞那と希を、ついてくれる人のいないIFの昂晴にはバッドルートをネタとして出しました。伝わっていただけたら幸いです。
こうして見るとゆずのヒロイン達は主人公に負けずみんな成長してていいですね。特に愛衣ちゃんは女体盛りからのヘソに溜めた醤油で刺身を食べさせてくれるくらいには昂晴の性癖に寄り添えるだなんて……え、妄想?(詳しくはツイッターにて
ツイッターの方に文庫本2ページ程度ですが【比較的】高頻度で作品を上げてるので、よろしければそちらも読んで頂ければと思います。