/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第一夜 鹿島太刀
/第二錠
「……? かぐつ……? でんしょ……?」
「なに、そのカナヅチなんとかって」
カグツチも伝承再現も、はすのさんとりんごさんには聞きなれない言葉。巡礼以上のこと、と脅されても、さっぱり全容が掴めません。
くくりさんはお茶を淹れ直し、一口飲むと、滔々と語りはじめました。
「天帝院には護摩壇があるじゃろ。界のガイアは、護摩壇の火のちからで補助されて、うまいこと循環しとる。この火はな、一二〇〇年前に各地に天帝院が建立された折、カグツチなる火神が金剛山の護摩壇に灯した祖火を、分祀したものなのじゃ。いわばフタナにおける最初の文化の火――魂の火、と言ったところかの。ゆえに民草の信仰の対象であり、同時に信仰の炳現でもあるのじゃ。同じ信仰対象でもある納札と御朱印帳でなければまともな竈木にならぬのは、そういうゆえんじゃな。銀稲のガイアは信仰効率が長じとるから、これまでは黒米の藁を炭代わりにしてなんとか紛らわせとったが――、このまま信仰が落ちれば、さすがに限りじゃ。わしの見立てでは、もってあと三、四年かの」
「……っ!?」
「おくーさま、それマジで言ってるんだよね……?」
「まじじゃ。それも、長うて、三、四年じゃ。弱まれば弱まるほど、なんぞ弾みでふっと消えることもあるやもしれぬ。そうなれば、終いじゃな」
「……」
「マジ……?」
「おおまじじゃて」
突然打ち明けられたアワタノの喫緊の問題に、ふたりは愕然とします。
護摩壇の火が消えれば、アワタノのガイアは次第に循環しなくなるでしょう。いずれ州からも外され、ますます民はよそへ移り住んでしまうでしょう。
くくりさんのように、ただそこに存在して名前が知られているだけで純然たる神格を発揮し、自動的に必要な分の信仰を人々から汲み上げ自己補償して生き長らえられる単体で種たる化身とは異なり、はすのさんのような、民の信仰を糧としなければならない個たる眷属は、すなわち――。
「納札か御朱印帳をくべれば多少伸びるじゃろうが、アワタノのために跋渉廻界する民などもうおらぬ。じゃが――カグツチの祖火を、御業として扱えるとなれば話は別じゃ。己の思いのままに信仰盛り放題、ガイア循環させ放題じゃからの。納札も御朱印帳もいらぬわ。今より遥かに実りも増えて、仕事も楽になろうぞ。稲荷のくさや狐になびいた愚民どもも、必ずや戻ってこようて。それを成し遂げるのが、カグツチの伝承再現なのじゃ」
「んー……、はすの、意味わかった?」
「……全然」
「だよね。まー、あたしもよくわかんなかったけど、とにかく、その昔の神様の特別な火を使えるよーになればいーってこと?」
「ま、今はそれだけわかっとればよい。次に、カグツチを伝承再現する手立てじゃが、これが肝じゃから、よう聞け。カグツチは、伝承において父親のイザナギに斬り殺されたことになっとる。その折にカグツチの血や死体から産まれた神々がおって、これらはホムスビ一六神と呼ばれとるのじゃ。カグツチはもうフタナにはおらぬが、ホムスビ一六神の眷属はまだしぶとくフタナのどこかで生きとる。カグツチの伝承再現とは、きゃつらの血をひとつに縒り集め、カグツチの死の伝承を逆行さすれば、カグツチをいくらか再現できるはず……、という理屈じゃ。まぁ完全に、とまではいくまいが、火を灯すだけならそれで十分じゃろ。巡礼はついで、ではないがの、どうせ、フタナ中をまわるのじゃから、巡礼者としてまわった方が接待にもありつけるし薬湯にも浸かれるしでむしろ安し楽しじゃ。仮に伝承再現がうまくいかぬとも、巡礼さえ済ませとけば、ぬしらの御朱印帳で延命できるしの。……小癪にも、ぬしらはわしから見ても、なかなかやりおる。ふたりで行けばそこらの堕天民より、楽にまわれようて」
「ふーん……はすの、わかった?」
「……カグツチが死んだとこだけ」
「あー、うん、まー、居眠りしてないだけましか。えーっと、つまり、巡礼しながらその一六人から血を集めればいいってこと?」
「そういうことじゃの」
「なんかズルっぽいけど、天帝院とか、お大師さまに怒られたりしないの?」
「信仰の水増し、もとい、火増しをしてはならぬという戒律などありはせぬ。それに天帝はもうおらぬ。死人に口なしじゃ」
「やー、仏だとむしろすっごい説法されそーな気もするけどね……」
くくりさんが言及しているのは、フタナ島を統括的に管理している天帝院の
「それさー、ぱぱっと伝話して血だけ送ってもらったりできないわけ? わざわざあたしらが行く必要あんの?」
りんごさんが億劫そうに親指で庭先を指しました。射鶴木邸の庭にあるおじどうさんは、くくりさんが旧フタナ道から勝手に引っこ抜いて持ち出したもので、一見機能停止しているようですが、くくりさんの改造によって伝話機能だけは健在なのでした。
「当たり前じゃ。伝話など無礼にもほどがあるじゃろが」
「あ、それ、おくーさまが言うんだ」
「第一な、この手の伝承再現はただ血を混ぜ合わせればよいというものではないのじゃ。瓢箪のなかの一六柱分の血を、誰も神とは思わぬじゃろが。神の部分的な降臨じゃから、依代となるものに直接神宿る血を移す行為が欠かせぬのじゃ。そしてその依代の役割を果たすのが、ほかならぬ――、はすの、ぬしじゃ」
「……わたし?」
だしぬけに名指しされて、はすのさんは背筋を伸ばしました。
「ぬしには、ホムスビ一六神がひとつ、雷神タケミカヅチの血が流れとる。ぬしの父親が、タケミカヅチの眷属じゃったからの。カグツチの依代には、ホムスビ一六神の眷属しかなれぬ。ゆえに、ぬしが巡礼して、一六柱の血を集めるしか、アワタノを救うすべはないんじゃ」
「ん……、……わたしが巡礼しさえすれば、アワタノの信仰を取り戻せた、ってこと……?」
「そうじゃ――ま、集めるのは一六人と言うたが、厳密には、あと一五人じゃな」
「何人でも変わんないって。結局フタナ一周するんでしょ? めっっっちゃだるそー……」
「ぼちぼち行っても二年もかからぬわ。それでアワタノが救われるんじゃから、安いもんじゃろ」
「二年もかかんの!?」
さーいーあーくーだー、とごろごろ身悶えするりんごさんの傍らで――俯き、静かに肩を震わせながら、はすのさんがぽつりと呟きました。
「……くくりさま」
「なんじゃ」
「それ、もっと前からやってたら――、母さんは、助かったんじゃないの」
「そうじゃな」
くくりさんにすげなく即答され、がばっと面を上げるはすのさん。普段は物憂げでぼんやりした表情しか見せませんが、このときばかりは今にも抜刀せんばかりの瞋恚を滾らせ――。
「信じられない……! どうして……、どうして、いまさら――!」
しかし残念ながら表現力に乏しいはすのさん、続く言葉が見つからず、その場にもとどまれず、逃げるようにして屋敷を飛び出していったのでした。
はすのさんがあてどなく彷徨して辿り着いたのは、本人にとってはやはりと言うべきか、アワタノの神奈備(旧フタナ道が通っているので神域らしくはないですが)たる射鶴木山の八合目にある霊園、うてなさんが眠る奥都城でした。
はすのさんはなにかの感触を求めるかのように、そっとうてなさんの霊号をなぞりました。指先に染み込んでくるは――石の冷たさだけ。
時間の問題だというのは、はすのさんも幼少の時分より理解していました。ここ数年ずっとうてなさんの体調は芳しくなかったですし、うてなさん自身、諸々の準備を進めてくれていましたので、神葬祭も拍子抜けするほどあっけなく終わりました。
ゆえに、だからこそ、あれこれと思い偲ぶ猶予が与えられすぎ、かえってはすのさんはうてなさんへの気持ちの整理がつけられず、余計にこんがらがってしまうのでした。
はすのさんは奥都城から離れ、麓の景色に黒い瞳を向けました。眼下に広がるは、くくりさんによって調整された陽光と軟風を浴びて、緩やかに波打つ銀の海原。そのそこかしこで、州民が畑仕事に精を出しています。
こうべ低くたたなずく翠巒に囲まれたアワタノは、平地のかなりの部分を開墾し、黒米の水田に費やしていますので、こうして高所から眺めてみると、光風にそよぐ長閑な黒銀色の田園風景はちょっとした見物です。
古ぼけた射鶴木神社の拝殿に、旧フタナ道に面する、荒廃した聖佛教風のちょっと小太り気味な建造物――天帝院のおかげで、いささか辺鄙さも否めませんけども。
うてなさんはこの光景を愛していました。誰よりもアワタノを愛して、アワタノの州民もまたうてなさんを慕っていました。うてなさんは優しいひとでした。温かくて、どんな相手でもほっと安心させるような、素敵な州主でした。
しかし無情にもその神格は今のアワタノの信仰力とは見合っていないほど高すぎ、もともと頑丈とは言えない御身をどんどん蝕まれていったのです。
アワタノをお願いね――そう言い残して霞が消えるように息を引き取ったうてなさん。はすのさんは、そのアワタノが母さんに合わなかったのに、と思わざるを得ません。そしてこれから先、そんな州の主が自分なんかに務まるのかという心細さも相まって、はすのさんは輾転反側する夜を重ねていたのでした。
天帝院の薬湯でも、信仰由来の眷属の衰えだけはどうにもなりません。一〇年前、りんごさんが勧請され、縁結びの神様としてしばらく人気を博していたことで一時的にうてなさんの体調が回復した事実が、それを如実に証明していました。
もう一度、不思議な御業を持った女の子でも降ってきてくれたら、とはすのさんは手前側へ視線を移します。山中に、踏み均されてそこだけ禿げた広場があります。広場の中央には、はすのさんよりも五割増しほどの背丈の、金属でできた像――タマちゃん(うてなさん命名。卵みたいだからとのこと)が鎮座していました。
全体的に鶏卵に似た丸みを帯びたフォルム、黒い骨格に白い甲殻、やや猫背気味で短い首の人間、といった像容のタマちゃんは、曰く正式には対GAIR用戦闘機動ユニット・シェルウェア:強襲科兵装という名前だそうで、大昔にくくりさんが乗りこなしてたとかなんとか説明されたことがありますが、はすのさんにはなんのことやらでした。
今となってはがらくたに過ぎず、ただしやたら頑丈で手足は可動なので、りんごさんの天手で動かしてもらい、はすのさんの修行相手になってもらっています。帝釈の転のあの日――りんごさんが天より落ちてきたのは、はすのさんの修行場のひとつでもある、タマちゃんがいるこの広場なのでした。
「……父さん、ごめん……」
黄色く熟した実をぶら下げ甘酸っぱい芳香を放つ、霊園に一本だけある梅の木にもたれかかり、修行場を俯瞰しつつ、ひと知れずぽつりとひとりごちるはすのさん。しおれた狐耳と、右の泣き黒子が、そこへますます憂いを添えています。
くくりさんのカグツチの話題のなかで挙がり、久方ぶりに意識した父親、
父がどこに行ったのか、昔はよくうてなさんに尋ねたものでした。最初のうちは、その都度に内容が変わる、嘘かまことかわからない冗談でかわされていた覚えがありましたが、いつからか答えを濁されるようになり、りんごさんがやってきたどたばたもあって寂しさも薄れ、自然とはすのさんのなかで香散見さんがいないことが日常となってきて、その存在は消えていったのでした。
ただ、あの修行場で香散見さんに稽古をつけてもらった少々の思い出と、ある約束だけは、はすのさんの奥底に刻み付けられていました。
「母さんのこと……守るって約束……破っちゃった」
伝話もなく、文の一つも寄越さず、もはや生死も定かではありません。顔も覚えてないので案じる想いもすでになく、ゆえにむしろ恨み言が連なります。
「でも……父さんがいてくれたら……こんなことには、ならなかったのに――」
なぜかりんごさんが持っていた香散見さんの愛刀・フツノミタマを胸に掻き抱き、はすのさんは密かに父を呪いました。
帝釈の転以降、
そのとき――。
喪失感、重圧、やるせなさ、怒り――どんどん混迷していくはすのさんの脳内を反映したかのように、にわかに空がどんより重苦しい雲に覆われはじめたのでした。この時期にしては冷たく、胸騒ぎのするような風も吹き、鳥たちがばさばさ慌てて飛び立ち、いずこかへ飛び去っていきます。
「なに……この感じ……」
今日の天気の予定は終日晴れだったはずなので、一瞬、くくりさんがなにかやらかしたのではと邪推しかけましたが、なにやらただならぬ雰囲気を感じ取り、思考中断。腰を上げかけたところで、ぽつぽつ狐尾を雨粒が叩きはじめ、やがて鉄の天がごとく圧迫感のある黒雲がぴかぴか稲光を発し――。
次の瞬間、轟音とともに視界を埋めつくす巨大な光の柱がごとき雷が、銀の海原を突き穿ったのでした。
「――ッ!?」
そのまばゆさに目が眩み、はすのさんは思わず瞼を固く閉じます。そして視力を取り戻したはすのさんの視野に映りこんだものは――無惨にも深くえぐられ、煙を上げる田園の姿でした。
「そんな……」
さらに驚くべきことに、被害のあった中心地にはなんと、ばちばち紫電をまとわせた黒い巨人が佇んでいたのでした。
「なにが……起きて――」
かつて直面したことのない事態に、はすのさんは呆然とすることしかできません。
しかし付近で収穫していた州民たちはたまったものではありません。不幸中の幸いか、怪我人はいないようでしたが、突然田圃を破壊されて大混乱です。その上、黒い巨人は緩慢にかつ厳然として足を踏み出し、稲田を蹂躙しながら歩き出したものですから、州民たちは蜘蛛の子を散らすように逃げまどっていました。
その段になってようやくはすのさんは正気を取り戻し、鞘にくくりつけていたりんごさんお手製のお守りをぎゅっと握りしめ、勇気を振り絞ると――。
「……助けなきゃ――!」
州主としての務めを果たすため、山を駆け下りたのでした。
次第に強まり、いつしか豪雨となった悪天候のなか――黒巨人の歩行速度は遅々としていたおかげで、はすのさんが追いつくのは容易なことでした。しかし近づけば近づくほどその侵攻を食い止めるのがたやすいことではないと、はすのさんはひしひしと感じ取っていました。
身の丈は目測で一〇メートルほど。手足があり、首らしきものに乗った頭部があり、二足歩行していますので、一見する限りではおよそ人間のようですが、なにせその肉体はもやもやした黒い煙のようなもので構成されていますから、輪郭が掴めず、正体ははっきりしません。
ところがはじめて目にするとは言え、聞き伝わっていた情報から、はすのさんは巨人がなんであるかを悟っていました。いえ、はすのさんに限らず、フタナの住人なら誰だって知っているはずでした。
「――雷禍。界でもないのに、どうして――」
フタナの護法善神たる帝釈天が転化したと言われている雷禍は本来、信仰の強い界にだけ現れる性質を持っていたはずです。アワタノのような州に、それも信仰が落ちこんでいる州に、神体を伴うほどの高強度の雷禍がやってくるなど、前代未聞です。
一方、事実として、巨人は廃院となった天帝院を一直前に目指していました。雷禍は護摩壇を襲撃する習性があるので、巨人は雷禍と断定してほぼ間違いがないでしょう。
雷禍の神体は雷雲でできているようでしたが巨体の見かけどおりに重く、力強いらしく、進路上のあらゆるものは折れ砕け、吹き飛ばされ、焼け焦げていきます。追いついたまではよいものの、雷禍の足元でうろつき、逃げ遅れた州民を助け、巻き込まれないか監視するので精一杯。
旧フタナ道を上って行き、天帝院跡がすぐそこに迫るにつれ、次第に焦りを募らせていくはすのさんが、攻撃を仕掛けるべきか悩み始めた頃――雑木林を抜けたところで、前方に一軒の木造の民家が。
「……! 伊豆さんちの……!」
州民は大方逃げたはずですが、はすのさんは念のため全力で先行、伊豆邸を覗きこむと、はたして嫌な予感は的中しました。にけさんが、まだ残っていたのです。
「なにしてるの!?」
「あっ!? は、はすのさま!?」
壁に向かってごそごそなにか作業していたにけさんは、振り返った先にはすのさんを認めて飛び上がらんばかりに吐胸をつかれたようでした。
「はやく、逃げて! 雷禍が来てる!」
「で、でも、りんごちゃんのお守りが――!」
にけさんは、どうやら信仰回復のためにりんごさんが売っていたお手製のお守りを持ちだそうとしていたようでした。それも、ずらーっと壁一面にくくりつけていたものを、ひとつずつ取り外して。
「――っ!?」
りんごさんがぼやいていた、にけさんの愛の重さ(と気味の悪さ)を思い知ってぞっとするのも束の間、伊豆邸がぐらつくほどの地響きで雷禍が肉薄しているのを悟るや、はすのさんは迷いなく抜刀。
「どいて」
低い声で一言、短く息を呑んで竦むにけさんを脇に押しやって一閃。納刀。お守りを飾っていた壁を切り離しました。さらに。
「動かないで」
そう告げてから壁を片手に担ぎ、もう片手でにけさんを抱えると全力で脱出――と同時に、はすのさんの背後でばきぼきけたたましい音を立て、伊豆邸はぺしゃんこになってしまいました。まさに間一髪でした。
はすのさんは冷や汗を拭いつつ、にけさんを降ろして確かめました。
「ふぅ……怪我は?」
「は……はひ、なひ、でふ……」
「そう。じゃあ、これ」
「あ、あの、はすのさま、ありがとうござ――ってこれ重――!?」
押しつけられた壁の重量で、なわての泥だまりのなかに倒れ込むにけさんでしたが、そのままじっとしてくれたほうが安全だと決めつけ、はすのさんは改めて雷禍を追跡します。
りんごさんが合流したのは、それからまもなくのことでした。