/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第一夜 鹿島太刀
/第三錠
「はすの!? だいじょーぶ!?」
上空からはすのさんを発見したりんごさんが、はすのさんの側に不安げな顔でふわりと降り立ちました。
「ん……平気」
「あれ、ひょっとして雷禍!? なんでこんなとこに――」
「わからない。くくりさまは?」
「ニキーダの調整中。あれどーすんの? 倒さなきゃやばいんだよね!?」
「雷禍なら、たぶん」
「おーし! なら、おねーちゃんに任せろっ! こーゆーの、あの蛙以来だから、なーんか燃えてきたぞー!」
ぽきぽき指を鳴らして意気込むりんごさん。周囲を見渡すと、雷禍がへし折った木々に向かって手をかざします。するとどうでしょう、水分をたっぷり含み、大のおとなが数人がかりでようやく担げるであろう倒木が、音もなくふわっと空中に持ちあがったのです。それも何本もの木が、同時に、何かに触れることもなく。
天手――見えず聞こえずさわれず無味無臭、しかして金剛よりもなお不壊不折。これぞりんごさんを偽神たらしめている比類なき御業です。
「いっけぇぇぇ!」
りんごさんが掛け声とともに腕を振り下ろすなり、天手で浮かんでいた木々は矢のごとく凄まじい初速で射出。風を切って次々と雷禍の背部に突撃していきますが――予想外に、木の砲弾は雷禍を易々と手応えなく貫通し、そのまま慣性に乗ってすっ飛んで行きました。
雷禍には穴が多少開いて動きが鈍ったものの、瞬く間に修復、何事もなかったかのように行進続行です。
「うっそ!? ちょっと止まった気がするけど、全然効いてないじゃん! どーすんのあれ!」
「ん……どうしよう」
はすのさんとしてもりんごさんを頼りにしていましたので、切り札がこれっぽっちも通用せず、途方に暮れるしかないふたり。
と、頭上から、聞き慣れた甲高いタービン音が。空を切り裂くように鋭角的に滑り落りてきたのは、くくりさんが跨った、細長い流線形をした漆黒の金属の塊――ニキーダ・バイラヴァです。
「ぬしら、無事か!?」
このニキーダ・バイラヴァもまたタマちゃん同様、大昔にくくりさんが乗り回していた対鬼決戦式黒灰女王蜂とかなんとかだそうですが、はすのさんにはちんぷんかんぷんです。なお、こちらもうてなさんが愛称をつけようとしましたが、まだ現役だからやめろとくくりさんには却下されました(ちなみに候補はゴキちゃんだったとのこと。……説明は不要ですね!)。
「あたしらはね。でも手も足も出ないんだけど!」
「あれはぬしらではどうにもならぬ! わしが相手する! ぬしらはその間にみなを逃がせ!」
くくりさんはそう指示を飛ばすと、ニキーダ・バイラヴァを上昇させ、雷禍の正面にまわり、帯刀していた
「はっ! 今頃面を出しおって、ほとほとうつけじゃな! 所詮は化外、化生、
調子よくぐだぐだと口上を述べていたくくりさんは、しかしわずらわしげに振るわれた雷禍の腕に弾き飛ばされ、林の向こうに墜落してしまいました。
「……おくーさま、なにしにきたの?」
「……眷属として、恥ずかしい」
すっかり幻滅して緊張感を失いかけるふたりでしたが、雷禍は止まってくれません。
むしろ先ほどよりも動作がきびきびしているというか、曖昧だった輪郭がはっきりしてきたような印象です。はすのさんはいち早くその変化を察知していました。
「りんご姉、雷禍、さっきより歩くのはやくなってる」
「うー、そーかも? とりあえず足止めはしとかなきゃだよね……あんまし効果ないかもだけど、さっきみたいにあたしが攻撃しまくって遅くするから、はすのはその間におくーさま探すってのはどーお?」
「ん、りんご姉にまかせる」
はすのさんが同意するやいなや、りんごさんは再度天手で樹木を持ち上げて、雷禍の足元めがけて投擲します。はすのさんはその傍らを抜け、くくりさんの捜索にあたるつもり――でしたが、目論見外れ、なんと今度は鈍い音と立てて木が雷禍に直撃。雷禍はその場でぐらりとよろめいたのでした。
「うっそ、当たった!? なんで!?」
これまでふたりには見向きもしなかった雷禍が、足を止めて振り向き、こころなしか敵意の籠った眼差しで凄んでいるような気もしますから、今回の一撃はきっと効果があったのでしょう。
りんごさんは大量の木や土塊に天手を伸ばしつつ、にやりとしました。
「よくわかんないけど、今ならあたしでも倒せるかもってことだよね!」
攻撃が通るならこちらのもの、とばかりに、土石流にも等しき質量の奔流を浴びせかけます。
しかし、ことはそううまく運びませんでした。くくりさんの函杖が刺さった雷禍の右腕が、細く鋭く直線的に伸長、剣状に変化すると、りんごさんの投擲物をことごとくずばずばと叩き切ってみせたのでした。
そればかりか、妙なる剣技に度肝を抜かれていたりんごさんに恐るべき俊敏さで踏み込み、巨剣を振りかぶりました。
「え――」
りんごさんには天手という不可思議な御業はあれど、基本的な肉体性能はヒトのそれと大差はありません。雷禍の稲妻がごとき斬撃に、りんごさんが反応できるわけがなく――、あわやというところで、割って入って切り結んだはすのさんに助けられたのでした。
「ゎ、あ、ありがと――」
「りんご姉! 離れて!」
「うんっ」
一秒にも満たぬ間の攻防にまったくついていけなかったりんごさんが、肝をつぶした様子で慌てて後退。直後に雷禍の剣がさらに閃き、はすのさんはフツノミタマで捌きますが、雷禍は重々しく、しかし次から次へと切りかかってきて、猛攻はますます加速。嵐のような丁々発止の打ちあいへと発展します。
雷禍が存外に剣の達人だったことに、はすのさんは鬼胎を抱いていました。雷禍は、当今のフタナ全土を脅かす災害です。州主といえどひとりの眷属ごときが撃退できるわけがないということは、重々承知の上でした。
それでもはすのさんの肉体の頑丈さは人外のそれです。そしてそれ以上に、剣の腕にはそれなりに自信がありました。剣をもってすれば時間稼ぎ程度なら自分にだって、という自惚れが、頭の片隅にあったのです。
しかし現実には、雷禍もまた卓抜した剣士であり、はすのさんは防御で手いっぱい。それどころか、雷禍とはすのさんの体格差は、おとなとこども以上。手足の長さの差から、攻勢に転じられる隙はなく、このままではじり貧です。
雷禍の重すぎる一撃を受けとめるたび軋む関節の痛みに、嫌な汗が噴き出し、両手で握るフツノミタマが倍旧に重くなっていく感覚――。
「うー、どーしよどーしよどーしよ……!」
素人目でもそれは察せられたのでしょう、周囲を調べて打開策を求めるりんごさん。
「木とか土がだめそーなら――あ!」
そしてなにかに気がつくや、天手ではすのさんの肩を二度、とんとん叩くと――なんと、どこかへ飛び去っていってしまいました。
「……っ!」
恐るべき雷禍を相手に、たったひとり取り残されたはすのさん。剣戟の暴風雨は、さらに苛烈さを増していきます。
しかし――数秒前まで危懼で淀みかけていたその漆黒の瞳は、今や勝機を見出したかのように、静かな闘志を滾らせていたのでした。
地を這うような峻烈な雷禍の横薙ぎ――飛んで避けざまに雲霞の刀身を踏みつけ軌道をずらしつつ、遠心力を獲得――雷禍の返す刀はわずかにぶれ、回転する獲物の芯を捉えきれず弾き飛ばすのみ――そのまま勢いで視界から外れ、着地と同時に慣性を保ったまま疾走、隣の畦道に――。
一縷の希望にかけて、はすのさんは駆けつづけます。
自身の身体よりも重く長大な雷禍の黒剣を、いなし、流し、受ける――そのような芸当を、普通の人類にできるはずがない――はすのさん自身、最初はそう思い込んでいました。
ただ、雷禍を天帝院から引き離し、射鶴木山のある方へ誘導しながら、一〇合、二〇合、三〇合と打ちあえば打ちあうほど、はすのさんは自分が振るう剣術が洗練され、研ぎ澄まされていくのを実感していました。
交鋒した当初は腰を落としてその場でしっかり踏ん張り、ぎこちなく相手の動きに合わせて対応していましたが、今では飛んだり跳ねたり廻ったり、長身に似つかわしくない機敏で目まぐるしい身のこなしで、ともすれば雷禍を翻弄しているようにも見えます。
それを可能にしているのは、人間離れしたはすのさんの反射神経に肉体の頑健さ、それに父である香散見さんから受け継いだフツノミタマと、稀有な剣技。そのすべてが揃い、調和していたからこそ、はすのさんは単身で雷禍を相手どってまだ立っていられるのでした。
刀身だけで一メートルを超す直刀・フツノミタマは、祭具ではないにも関わらず、折れず曲がらず錆びず手入れいらずの奇怪な代物です。これを豪快に振り回しつつ重心を操作し、体力にものを言わせて絶えず足を動かす独特の立ち回りのおかげで、はすのさんは致命的な一撃をもらうことなく、雷禍を引きつけ続けられていました。
それは、奇跡的な偶然が続いているわけでもなく、まるでこの刀も剣術も、初めからこの雷禍と相対するだけに生み出されたかのごとく、ぴったりうまく型にはまっているかのような感覚を、はすのさんに与えています。
香散見さんから伝授されていたむやみやたらに動きまわる剣技は、狭い道場で木刀を使っていた際はほとんど役に立ちませんでしたが、まさかこんなところで大活躍するとは――はすのさん本人も、驚愕を禁じ得ないのでした。
薙ぐような渾身の切り上げをいなすも勢いを殺しきれず打ち上げられ――宙で二合打ちあった直後、地面に降りるよりも早くさらに追撃してきた音速の打ち降ろしに、これを読んでいたはすのさんは縦の廻し蹴りで雷禍の黒剣の側面を蹴り――間一髪で回避し、着地の隙を狙った一閃を払って流します。
はすのさんは、ひとつ間違えば己を挽肉に変えていたであろう脅威を乗り越えるごと、胸懐を満たしていく熱に自然と笑みをこぼします。それは試合とは、まるで別種の昂揚感。これこそ本当に自分が渇求していた充溢なのだと確信に到るほどの、胸の高鳴り。同時に、否、ゆえにこそ、異様なほどの飢餓感。
もっとほしい――、もっと動ける――、もっと――、と。
慊然と、自己を際限なく高めてくれるさらなる剣戟を求めていきます。それが――慢心を生じさせ、当初の目論見をわずかの間忘れさせたのでした。
ひょっとしたら、攻撃に転じれば――自分でも、押し切れるのではないか、と――。
射鶴木山の麓、やや開けた場所に出ると、はすのさんは雷禍の太刀筋を巧妙に誘導し、腕を伸ばしきる刺突を誘発しました。果たしてその欲していた通りの裂帛の一突きが繰り出されるや、はすのさんは前宙で回避、峰に着地。
そのまま剣を一気に駆けのぼり、雷禍の手首の上で身を翻転、遠心力と体重を乗せた一刀を叩き込みます。
手応え確かに、フツノミタマは見事に雷禍の手を切断して見せましたが――はすのさんの眼前に、小さな透明の玉がふわりと漂ってきました。
「……泡?」
はすのさんの認識どおり、それはどうやらしゃぼん玉のようでした。出所は雷禍の右腕の断面。泡はぽこぽことみるみるうちに溢れ出てくると、はすのさんの着流しに触れ、弾け――。
その瞬間、音が消失。全身を軋ませる衝撃とともに、はすのさんは何十メートルも吹きとばされました。
地面を転がり、あちこちに背中をぶつけ、水路のなかに突っ込んでようやく停止するはすのさん。事態が飲み込めぬまま、どうにか立ち上がろうとしますが、うまくいきません。
頑強すぎる肉体のおかげでほぼ擦り傷と打ち身ぐらいの負傷でしたが、脳を揺さぶられ、手足が制御不能に陥ったのでした。杖にしようにも、フツノミタマもどこかに弾き飛ばされていった模様で、手元にありません。
しかしそれでも雷禍の地響きだけは無慈悲に、終わりを告げるかのごとく接近します。やがて目の前で立ち止まり、まわる視界のなかで、はすのさんが仰ぎ見たのは、再生させた右手に剣を握った雷禍。
禍々しく火花を弾けさせる雷禍の巨剣が、振りあげられ――。
「あたしの妹にぃぃぃ――、手ぇ出すなぁー!」
頼もしい怒号とともに、雷禍の土手っ腹へ、巨大な金属の塊がぶちこまれたのでした。さしもの雷禍もたまらず、体勢を崩し、押し倒されます。
「りんご……ねえ……」
りんごさんが、雷禍に向かって投げつけたのは、いつも修行で使っている金属の像――タマちゃんでした。これなら斬り捨てられることはないと、りんごさんは修行場まで取りに行っていたのでした。天手の合図でその意図が伝わっていたため、はすのさんが射鶴木山近辺まで雷禍を誘い出していたのも、間に合った要因でしょう。
もっとも、はすのさんとしては、まさかそのまま投げて使うとは予想だにしていなかったことですけども。
りんごさんは悠然と宙から降りてきながら、天手ではすのさんを立たせると、フツノミタマを投げてよこし、にこやかに言いました。
「これで、おあいこだ」
「……ん、ありがと」
こっくり頷き、見つめあうと、りんごさんは立ち上がった雷禍へ、再三になる木の弾幕を仕掛けます。雷禍は労なくこれを切り払いますが、弾幕の影から飛び込んできたタマちゃんへの反応がやや遅れます。
返す太刀でタマちゃんを吹き飛ばそうとするものの勢い足りず、けたたましい接触音を奏で、りんごさん操る金属人形はフレームを歪ませながらも巨剣を把持してみせました。
雷禍は左手からも黒雲の剣を生成させ、大上段から音を切り裂く唐竹割りをタマちゃんにお見舞いします。さしもの堅牢さがとりえのタマちゃんもその一太刀には耐え切れず、胸部の真ん中まで剣がめり込み――雷禍の腕が、完全に固定されます。
すかさずタマちゃんの背から飛び出した漆黒の颶風――はすのさんが、目にも留まらぬ速さで雷禍の左腕を駆け昇っていき、宙で今日一番に冴え渡った一閃を披露。巨人の首を、すぱっと刎ね飛ばしてみせました。
着地するやいなや、泡を警戒して離れるはすのでしたが、今度はあの不意打ちの心配はないようです。首を失った雷禍の肉体は、ずしんと膝頭を地につけて、徐々に黒い煙を噴いて消えていきました。
そしてようやく――空に低く立ち込めていた暗雲もたちまち掻き消えて、アワタノには穏やかな、あえかなる陽光がもたらされ、みいつの偉業を讃えるかのごとく、蒼穹が虹霓の冠を頂いたのでした――。
「うっわ、けっこーひどいねこれ……」
「ん……」
雷禍との激闘で、泥酔したくくりさんのようにぐにゃぐにゃになったタマちゃんを山中の修行場に戻すついでに、全体の被害状況を確認するため、はすのさんとりんごさんは見晴らしのよい射鶴木山の霊園を訪れていました。
つい一時間前までの、アワタノの誇る素朴ながらも閑雅な景観は面影もありません。収穫前の稲穂は焼け、民家や畦道は踏みにじられ、土壌をほじくりかえされて、復旧にはかなりの時間を要するでしょう。
はすのさんとりんごさんの活躍もあり、州民に負傷者は出ていませんでしたが、信仰の低下著しいアワタノにとっては充分甚大な被害です。
と、そこへ、甲高いタービン音を響かせ、くくりさんの駆るニキーダ・バイラヴァが降り立ちました。
「なんじゃぬしら、ここにおったのか」
「あ、ごめん、おくーさまのこと忘れてた」
「相も変わらず不遜なやつじゃ。……ま、雷禍を撃退したようじゃし、特別に目を瞑ってやるわ。ぬしら、ようやったの。――
「ん……、それは、恥ずかしいから、やめて……。くくりさまこそ、平気なの」
「腰をやってしばらく動けぬかったが、あれしきのこと、なんともないわ」
はすのさんは、雷禍に刺さっていた函杖をくくりさんに返しました。
「くくりさま……、どうして雷禍は、アワタノに?」
「さての。雷禍が来たるまことのゆえは、誰にもわからぬ。じゃが、おおかた、隣のコトイサと思いまごうたんじゃろ。はっ! 信仰は奪うわ、雷禍は押しつけるわ、つくづく難儀な手合いじゃ!」
べっと唾を吐き捨てるくくりさん。
「おくーさまさー、仮にも霊山なんだからそーゆーのやめなよ……」
「唾ぐらいなんじゃ。一二〇〇年もおったら、その辺でゆまりもくそも垂れとるわ。この山はわしの雪隠みたいなもんじゃ。ぬしの足元でも、たぐりをげろげろしてやったぞ」
「げっ!? あ、でも大昔のことか」
「いや、一昨日飲みすぎたときじゃ」
「ちょお!? ほんっとさいてー! おくーさまもコトイサと変わんないじゃん!」
「なんじゃと!?」
きゃんきゃんと騒がしいりんごさんとくくりさんをよそに、はすのさんは普段以上に物憂げな黒い瞳で、下界を見つめていました。
(これから、守っていかなきゃ、いけなかったのに――)
巨壑半渡って片楫たちまちに折れ、大虚未だ凌がざるに一翎たちまちに摧かるがとく――州民を気遣う気持ちもありますが、それ以上に、母の想いを傷つけてしまったことが、はすのさんを大いに慨嘆させているのでした。
くくりさんは咳払いをひとつして、滅多にない神妙さで切り出しました。
「――香散見じゃがな。うてなにはきつく口止めされとったが……、きゃつも、巡礼者をやっとったのじゃ」
「……父さんが?」
「うてなのために、な。カグツチの伝承再現を最初に試みたのは、香散見なのじゃ。こどもにいらぬ心配をかけたくないだの、郷愁でこころが迷うだの並べたてて、ぬしには何も言わなかったがの、旅の最中、香散見はうてなとは伝話でやり取りしておった。じゃが――帝釈の転があった日から、沙汰がのうなっての」
「……!?」
「あの日、香散見になにがあったのかは杳としてわからぬが、無事でなかろうことは、顕明じゃった。りんごが、香散見のフツノミタマを持って落ちてきたからの。ただごとではなかろうよ」
「……ちょっとごめん、じゃあやっぱり、記憶がなくなる前のあたしが、たまたまどっかで剣を拾ってきた、とかじゃなさそーなんだ。あたし……はすのの父さんとか、帝釈の転と、なんか関係あるんだ――」
「さてな。帝釈の転のことは、誰も、なにもわからぬ。フタナ島全体が、ひどい混乱じゃったからの。期待はせん方がいいじゃろ。それから――わしは何度も、はすのを代わりに旅に出せ、と言うた。じゃが、うてなは頑として首を縦に振らんかった。うてなは自分のせいで、香散見を喪ったと思い込んで、巡礼そのものがとらうまになっとったんじゃな。香散見が帝釈の転の巻き添えを食ったのは、まことただの不運じゃったろうが、旅が危ういのは変わらん。じゃから、自分のために、娘を父親と同じ目に合わせたくなかったんじゃろ」
「……ん」
「射鶴木は本来、つがいを必要とせん。むしろつがいをつくれば、伝統を破り、信仰の低下を招く。それはぬしでもわかるじゃろ」
神格とは、要するに神の血の純度です。化身を一〇割とすれば、ヒトと交わった眷属の神格は五割です。もちろん場合によっていくらでも上下します。再び神と交われば増しますし、ヒトや他種の眷属と交われば下がります。射鶴木一族は、単独で子を成すことでずっと高い割合を維持してきたのでした。
「じゃが、うてなはあえて香散見を婿にもろうた。なぜだかわかるかの?」
「……わからない」
「それは、ぬしの神格を下げて、必要な信仰量を下げるためじゃ。うてなは身体が弱い、うてなの子はもっと弱いかもしれぬ、しからば今の信仰では到底足らぬ、そう思うてな。ぬしを生かすために、うてな自身の信仰が下がるのを覚悟で、わざわざよその眷属を呼んだのじゃ。うてなは……うてなは、そういうやつじゃ」
「……」
顔を伏せ、なにかをこらえるようにしていたはすのさんに、りんごさんが優しく語りかけました。
「あのさ、たぶん――、あんたが考えるほど、重荷に考えなくていーと思うよ」
「……でも……父さんができなかったこと……わたしなんかが、うまくできる気がしない……失敗したら、みんなも困るし……ガイアが……」
「んなのどーでもいーでしょ。ガイアがなくなっても、ぶっちゃけ、みんなよそに移り住めばいーだけじゃん。にけんとこみたいにさ。でもさ、あんたはそれどころじゃないでしょ。消えちゃうんだから。ガイアがなくなって一番深刻なの、あんただよ。一番諦めちゃいけないのは、はすのなんだよ」
「……」
「あんたは、あんたのために、あんたの理由で、巡礼に出る、ってのでいーと思うけどな。……あたしも、ついてくしさ?」
「りんご姉……いいの?」
「ぶっちゃけしんどそーだけどさ、かわいー妹の危機だもん。おねーちゃんだから、当然です、ってね」
「……ん、ありがとう」
はすのさんは、うてなさんの奥都城の側に歩み寄りました。そしてフツノミタマを胸に強く抱き――。
「母さん……いつもしつこく、父さんから教えてもらった鍛錬を怠るな、って言った……。きっと……、わかってたんだ、いつか、旅に出なきゃいけないこと――」
みんなのため。自分のため。そしてなにより、父と母の、想いのために――。
「……わたし、行くよ」
――今度こそ、母さんとの約束を、守るために。
りんごさんは満足げに笑うと、ぐっと背伸びをしました。
「おーし! そーと決まったら旅支度しなきゃなー。服と裁縫道具と鍋と
「それはならん。みなには旅のことは黙っとれ。勧請神と州主が長期間不在と知れたら、ますます信仰が落ちようて」
「え、絶対いつかばれると思うんだけど」
「今日のは民どもも見とったからの。幸い、しばらく顔を見せんでもよい程度に、信仰は回復したはずじゃ。あとは手負いが長引いとるとかなんとか言うて、紛らわしとくわ。……ま、最悪、寺子屋を再開じゃな」
「えー……、むしろなんかめっちゃ不安なんですけどー?」
くくりさんは目を細め、梅の木を見上げました。
「州の外はもう春が来る頃じゃろ。鹿島立ちには、ちょうどいい日和じゃて――」
かくして、故郷復興のため、フタナ道へと踏み出したはすのさんとりんごさん。波瀾万丈、禍福倚伏の道行きは、ここからはじまったのでした。
さてさて、そろそろお時間となってしまいました。名残惜しくも、今宵のお
次回もお楽しみにお待ちくださいませ。
巡礼済み天帝院:〇/八八
蒐集済みホムスビ一六神:一/一六
故郷アワタノから最寄りの界、沃都の界・コトイサに向かったはすのさんとりんごさん。とくに何事もなく天帝院に辿り着き、晴れて発願、おフタナさんとなったまではよいものの――、観光気分の抜けないりんごさんには、なにやらよからぬ企みがあるようでした。
次回「第二夜 釣召天星」