/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第二夜 釣召天星
/第三錠
尾を引く絶頂の名残で足をもつれさせながらも、とるものもとりあえず、りんごさんは院内着の浴衣だけを羽織って個室から飛び出しました。吹き抜けから階下の様子をうかがうと、平時とは異なり、天帝院の大広間はどよめきと怒号で空気が張りつめています。どうやら人々が一階の大広間の片隅から距離を置こうと、押し合いへし合いをしているようです。
そのひとだかりのなかに生じた空隙には――網膜を焼かんばかりに燦然と輝く巨大な黄金の光の塊。
絶えずまばゆい光を輻射しているせいで直視は困難ですが、その光塊は四本足で、馬のような胴体、そして馬ならば首に相当する部分にはヒトの上半身を有した――すなわち人馬のようにも見えます。人馬の背部には、羽の生えた光の輪のようなものが浮かんでいました。
三メートルほどはありましょうか、巨大な光の人馬はどうしたことか、苦しみもだえるみたいに低いうめき声をあげ、しきりに頭部を壁に打ち付けているのでした。
「きゃー! なにかしらなにかしら! なにがおこったのかしら!」
「ありゃ、見てなかったのかい、サリー? 女の子が苦しそうにしてたと思ったら真言を唱えはじめて――」
「ばかばか! なにゆってんの、ぐずトロエ! そんなの見てたわ、見てたわよ!」
「えっ。なら、どうして騒いだりしたんだい」
「ほんっとおまぬけさんね、へぼ詐欺師! みんなの意識をあっちに向けさせて、今のうちに財布を抜き取るの、むしりとるのよ!」
「……あのですねー、お嬢さん。ここ、天帝院のなかなんですけどねー……」
「油断してる方が悪いの、ばかなのよ! ほら、そこのエロ鎧のおちびのがチャンスよ! やっちゃいなさい!」
「はぁ……へいへい、やりますよ、やりゃいいんでしょ、っと……あ゛ーとんでもなくカルマ流入するねこりゃ――」
(あれ、ヒトだ――)
りんごさんは直感しました。あの人馬の本性、それはまぎれもなく、人間であると。
まひるさんが受付から声を張り上げます。
「そこで壁と格闘しているあなた、ただちに暴れるのをやめてください。繰り返します。ただちに暴れるのをやめてください。これ以上の天帝院内での迷惑行為は、天帝院への敵性行動とみなし――」
と、まひるさんの説得の効果があったのかなかったのか、光る人馬はそこで自傷行為をやめ、ふらふらよたよたしつつ辺りを見回しました。そして受付の奥、護摩壇に注目するや、耳を聾する咆哮。今度は護摩壇に向かって駆け出し、人々を蹴散らしはじめたのでした。
慌ててまひるさんたちが受付から飛び出し、迎え撃とうとしますが、それより先に漆黒の疾風が人馬の足元を背後から吹き抜けて、先回り。鞘に納めたままの大太刀で人馬を食い止めました。はすのさんです。
「すみません、そのまま抑えておいてもらえますか!」
「ん」
両の拳が双子の太陽さながらに赫奕燦爛と輝くと、光線が曲剣さながらに展開。人馬は光剣を素早く振りまわし、羂索を焼き切りました。
返す刃で顔面を炭にされる前に、はすのさんは跳んで後退、抜刀。直後に振り下ろされた双剣を、はすのさんの愛刀・フツノミタマが火花を弾かせ受けとめました。
人馬とはすのさんは、その体勢で拮抗――ならず、フツノミタマを支点に人馬が前宙するように跳躍、巨体に似合わぬ羽毛のような軽やかさではすのさんをふわりと飛び越え、天井に着地。
そして蝙蝠よろしく天井から宙づりになった体勢のまま、双剣の柄頭同士を接続、長大な光弓を形成。もう一本光線を生成し、宛然矢のごとくつがえると、かがよう矢尻で直下にいたはすのさんに狙いを定めます。
はすのさんは手も足も出せず、かと言ってその場を動けばほかの人間が巻き添えを食らってしまう恐れがあります。はすのさんは大太刀で矢を受け止めんと構え――。
「あたしの妹にぃぃぃ――、手ぇ出すなぁー!」
人馬が突如として急速落下。ずしん、と巨体を床に沈めました。
広間に飛び込んできたりんごさんに、全力の天手を叩きこまれたのです。
金属塊をも投げ飛ばす怪力のりんごさんの御業を直撃し、さすがにひとたまりもなかったのか、若干床にめり込んで、人馬はようやく活動停止。横たわった巨躯から、光の粒子がほどけ、大気に溶けてゆきます。
(ぃ……っ!)
みな一様に緊迫し、恐慌のるつぼと化していた広間は、一転して歓声と拍手で満たされました。
はすのさんもほっとした様子で、りんごさんの傍に寄りました。
「りんご姉、ありが――っと、りんご姉!? りんご姉っ!」
頭蓋が断ち割れそうなほどの猛烈な頭痛に見舞われ、りんごさんが昏倒したのは、それから一秒と経たないときのことでした。
ぎしぎし、びりびり、じくじく。
脳に錆びた釘を打ち込まれ、ひっきりなしに揺さぶられているかのごとし――りんごさんを目覚めさせたのは、そんな鋭い疼痛でした。りんごさんは起きるなり、かつて味わったことのないひどい頭痛と嫌悪感にさいなまれ、呻吟しました。
「……っだ、……い゛っだ……」
「りんご姉……!」
「んん……、……はすの?」
降り注いでくるはすのさんの焦燥に駆られた声に、りんごさんははすのさんの膝を枕にして気を失っていたのだと理解しました。
「よかった……っ、よかった……、りんご姉、りんご姉……っ」
「むぎゅ」
今にも泣きだしそうな声音で、ぎゅっとりんごさんの頭を抱きかかえ、何度も同じ言葉を繰り返すはすのさん。りんごさんの鼻孔が、獣っぽいような、香ばしく甘いような、お日様の匂いでいっぱいになり、幾分頭痛が和らぎます。
(ぁ――、この子――、おかーさんと……おなじ、におい――)
りんごさんは天手ではすのさんの腕を押し退けようとしましたがなぜか空振ったため、代わりにぺしぺしとちからなく叩きました。
「はふの、いひ、でひにゃい」
「ぁ……、ごめんなさい」
はすのさんはぱっとりんごさんの頭を解放すると、安堵半分沈痛半分の表情に。
「りんご姉、大丈夫なの」
「んー……、すっごい頭痛い」
はすのさんはさも不思議そうに言いました。
「まひるさんがお礼に、って薬湯を使わせてくれたから、念のために浸からせたけど……なんなんだろう」
「……あんたが入れてくれたの?」
「え……、ん……、ごめん……」
頬を赤らめるはすのさん。
「なんで謝ってんの、ありがと」
りんごさんはのっそり起き上がり、こめかみを揉みほぐす仕草で顔を手で覆い隠しました。
(……なんだろ、すっごい――はずい……おかーさんに、お風呂に、入れられたみたいに――)
「目を覚ましましたか、よかったです」
互いに気恥ずかしさで得も言えぬ沈黙に包まれていると、まひるさんがひとりやってきました。その段になって、りんごさんは自分が天帝院の宿坊らしき大部屋で休んでいたことを知りました。
「あ、うん、なんか急に倒れちゃったみたいで、ごめーわくおかけしました」
「いえ、とんでもない。こちらこそ、ご協力いただいてとても助かりました。体調の方はどうですか?」
「まだ頭痛い、かな。あと――」
りんごさんは周囲を見渡すと、自分の背嚢を発見。天手を伸ばして引き寄せようとしますが、なぜだか思うように力を込められず、背嚢を少し引きずるだけにとどまりました。
「御業が、あんまり使えないかも」
まひるさんは眉をひそめました。
「妙ですね。はすのさんには一応確認しましたが、生まれつきのご病気は持っていないんですよね」
「うん、こんなの初めて。生まれつきだったら、薬湯じゃ治せないんだ?」
「はい、薬湯は本来の姿かたち特質には影響を及ぼさないようになっているんです。残り湯の観測結果も異常なさそうでしたし、となると――権能の低下でしょうか」
「けんのー?」
「化身や亜人、眷属のなかには従わなければならないルールと言うか、習性を持つ方がいます。それを破ってしまうと、その種としての権能、つまり力が喪われてしまうんですよ。天上民に課される戒律のようなものですね。りんごさんはたしか、相手が人間かどうか判別できるんでしたね。おそらく、御業で人間を攻撃するというのが、りんごさんの禁忌だったのではないかと。人間を認識する感覚も、その一環だと思えば、説明が付きます」
「なーる、やっぱあれ、人間だったんだ。言われてみれば、殴る前にやな感じしたんだよねー。低下したけんのーって、元に戻んのかな?」
まひるさんはすまなさそうに言いました。
「なんとも言えません。種によりけりとしか。ですが、期待はしないほうがいいでしょう。ただ、それが徐々に進行して行って、健康に害を及ぼすほどに悪化するようなことはないと思います。いわば戒めの作用ですから予防的に、あるいは懲罰的に、すぐさま効果が現れるものなんです」
「マジかー、旅に出ていきなりパワーダウンってことかー。きっついなー……」
「……ごめん、りんご姉。わたしを、助けようとしたから――」
「なーに言ってんの、あんたは悪くないでしょ。どー考えても、悪いのは暴れてたやつじゃん。そーだ、あいつは? 何者だったわけ?」
「どうやら巡礼目的でフタナに来たばかりの天上民だそうです。現在尋問中ですが、なにを訊いても知らない記憶がないの一点張りで、埒が明かない状況ですけども」
りんごさんは無性に、その天上民の安否が気にかかるようになっていました。それどころか、胸に巣食う罪悪感にも似た後味の悪さが、次第に膨張していくのを明確に感知していたのでした。
(……けっこー思いっきりやっちゃったからなー)
ゆえに、りんごさんははからずも、とんでもないことを口走っていたのでした。
「あのさ、まひるさん、そいつに会ってみてもいい?」
まひるさんはぴくりと狐耳をひくつかせ、ただならぬ張りつめた雰囲気を漂わせて狐疑しました。
「不要な諍いが生まれる懸念があるので、容易には許可できません。どういう理由ですか?」
「……決まってる。りんご姉の、仇討」
刀を握りしめて立ち上がろうとするはすのさんを、りんごさんはげんなりして引きとどめました。
「それがだめなんだってば。ってか生きてるっての! ――あたし、天上民と知り合いになりたくってさー。ひょっとしたら、あたしの正体がわかるかもだし。そしたら、けんのーの取り戻し方の、ヒントになるかもだし。それに……めいっぱい殴っちゃったから、痛かったかもだし。謝っときたいんだよねー。……だめ?」
りんごさんをじっくり観察しつつ、よく吟味するように何度か頷くまひるさん。
「……信用しましょう。承りました。ただし、
まひるさんに導引され、連れてこられたのは、天帝院地下の回廊の奥――、一条の光も届かぬ真の頻闇です。先行くまひるさんの肩に手を添え、りんごさんはえっちらおっちら壁伝いに歩きます。
鼻をつままれてもわからないとはまさにこのこと、自分が本当に立って歩いているのかすら自信がなくなってきます。
「っつ」
壁に足をぶつけたのでしょうか、背後から、りんごさんの肩を掴んでいるはすのさんの手に力がこもりました。
「ねー、まひるさん、なんでここ灯りつけないの?」
「胎内めぐりと言って、ありとあらゆる観測から切り離すための部屋だからです。ここには信仰がまったく存在できないので、天上民の御業すら封じられるんですよ」
「え、はすのはやばくない?」
「一日程度なら、平気ですよ」
「ん……、あんまり嫌な感じはしない……むしろ、悪くない気分かも」
「あんた、マゾなの?」
「自己観測が抑制されるために、一時的に開放感を得る眷属の方もいるみたいですね」
何度か曲がり角を折れたところで、暗黒を和らげる光明が見えはじめ――。
「だから何度も同じことを言わせるなですの! 覚えてないものは答えようがないですの! たしかにその光の人馬とやらはわたくしの御業に共通点がなくもないですけど……、きっとだれかに術をかけられて、暴走させられたに違いないですの!」
甲高い少女の怒鳴り声が反響してきました。
胎内めぐりの最奥、暗黒のなかにぼんやり浮かぶ、岩塊を掘削してこしらえた洞窟か祠のような一室。手枷足枷を嵌められ、鎖で剥き出しの岩壁に留められているのは、齢一〇を超えたばかりとおぼしき少女。それも、おとぎ話の妖精かと見紛うほどの、かそけき高潔さとでも言うべき、整いすぎているくせに違和感を与えず主張もしすぎない端麗な容姿をしたとびきりの美少女です。
精緻な刺繍が入った深緑の外套から覗く金髪は、金細工さながら典雅に曲線を描いて灯明の光を照り返し、彫琢された
りんごさんは、ひと目見た瞬間からその地上の生き物とは思えぬ美しさに、無意識に息を呑んでいました。
(なに――この子……! 天上民って、みんなこんなに、かわいーもんなの――!?)
今まで年上としか交際経験のなかったりんごさん(年下の子をたぶらかすのは立場上問題があろうということで、
「あとちょっとで終わりますので、すみませんが少しお待ちくださいね」
りんごさんたちを連れてきたまひるさんはそう謝りましたが、りんごさんはすっかり少女に見惚れていました。
ずっと尋問していたらしい別のまひるさんが、巻物に何事かを書きつけると、疲れきった様子で追及しました。
「わかりました。これ以上は何を訊いても時間の無駄でしょうから、動機については一旦保留にします。天上民に対して、そんな術をかけられるものがいるとは到底信じがたいですが――というか、そもそも事象編集で見知らぬヒトを操作するなんて二重伝承統一理論上は不可能に近いはずですが、仮にあなたが主張するように、誰かがあなたを暴走させたのだとしましょう。最後に見たひと、話したひとについて、なにか覚えていることはないんですか、エルシンシアさん?」
「そ、それは――むぐぐ……」
エルシンシアと呼ばれた少女は、返答に窮しました。まひるさんは追撃します。
「どうなんですか? 言えないんですか?」
「い、言えますの! ……狐の
まひるさんはこれ見よがしに長嘆してみせました。
「天帝院には
「だから言いたくなかったんですの! でも、本当ですの! 最善最勝なるアシャ・ワヒシュタに誓って、わたくしは嘘偽りを口にしないですの!」
「教義の点に関しては、もちろん天上民の方は信頼しています。あなたたちの力の原動力ですからね」
と、そこでエルシンシアさんがふとなにかを閃いたように訴えました。
「待つですの!
まひるさんは側頭部に手を当て、遠い眼をしました。
「キューなんとかという名の狐――、だめですね、とくになにも思い当りません。その方は見つけ次第、参考人として話を聞かせてもらうとして……、あんたには罰を受けてもらいます」
「な――ッ! どうしてですの! わたくしは被害者ですのよ!?」
「被害者はあなたに吹き飛ばされた方たちです。キューなんとかさんが関与しているかもしれないとはいえ、あなたが天帝院内で御業の制御を失って治安を乱したのは揺るぎない事実です。あなたは、咎人としてほかのおフタナさんの監理の下、巡礼に出てもらいます。御朱印帳や納札は自由に使用してもらって構いませんが、途中離脱は認めません」
エルシンシアさんは優しげな天使の見た目に反して荒々しく激昂し、鎖をじゃらじゃら鳴らしました。
「なァッ!? け、眷属なんかが、わたくしに指図するなですの! いったい、わたくしを誰だと思って――!」
「
「どっちでも同じですの!」
「では、聴取は以上です。同行さんが見つかったらすぐに出発ですので、それまでゆっくり休むことをお勧めします」
「わたくしは認めてないですの――ッ!」
ぎゃんぎゃん喚くエルシンシアさんでしたが、もうなにも言うことはない、と尋問係のまひるさんは巻物と筆を片付けはじめました。案内してくれたまひるさんが目配せをしたので、りんごさんはエルシンシアさんの正面に立ちました。エルシンシアさんの周囲には、白檀の薫香がしっとりと香っています。
「あびーあびー」
「あび……? なんですのあなた」
エルシンシアさんの青みがかった翠緑の虹彩が、胡乱げにりんごさんを下から上へと眺めます。
「あたし、天木 りんご。あんたは?」
「……エルシンシア・アストワト・ウルタ。何か用ですの?」
りんごさんはとびきりひと懐っこそうな笑みを浮かべ――。
「やー、ちょっと訊きたいことあってさ。あんた――あたしらと、一緒に巡礼しない?」
「……は?」「えっと、りんごさん?」「……りんご姉、なに言って――」
りんごさんの突拍子もない発言に、その場に居合わせた面々は置いてけぼりを食らいます。
「まーまー。あんたさ、誰かと旅しなきゃなんないんでしょ? なら、あたしと――そこにいるあたしの妹と、一緒に行かない? おなじぐらいの年の女子同士の方なら、安心できるでしょ」
「どうしてあなたなんかと――というか、なんですの、あなたたち」
「このひとたちが、暴走したあなたを鎮めてくださったんですよ。――りんごさん、手続き上、問題はありませんが、あなたはエルシンシアさんのせいで――」
「んー、あれは事故みたいなもんだし、あたしは気にしてないってゆーか、むしろ弱くなっちゃった分、天上民みたいなこころ強い道連れがいたほうがいーかなーって。はすのも、いーよね?」
「……りんご姉に、任せる」
まったく納得していない面持ちで、はすのさんが応じました。
「……承りました。ではすみませんが、よろしくお願いします。天帝院としては正直なところ、非常に助かります」
まひるさんが頭を下げ、うまく話がまとまったかと思いきや、エルシンシアさんが苛立たしげに声を張り上げました。
「ちょっと! わたくしはなにも了承してないですのよ! わたくしは誰にも指図など受けないし、ひとりで巡礼しますの!」
「それは天帝院が認めません。従わない場合、島外擯出を言い渡しますよ」
「ッ!? ぁ……、そ、それは――……それだけは、困り、ますの……」
まひるさんにばっさりと切り捨てられ、途端に威勢を欠くエルシンシアさん。
「ではりんごさんの指導の下、巡礼してください。よろしいですね?」
「むぐぐ……!」
りんごさんを親の仇のごとく睨みつけて威嚇し、悔しげにエルシンシアさんがぎりぎりと歯噛みします。
(……怒った顔もかーわいー!)
まひるさんは机の引き出しから一枚の檀紙を取り出しました。
「さっそく
「うっちゃ……? なにそれ」
「
「ぜったいふくじゅーって……なにもそこまでしなくても」
「もちろん、なんでもかんでも言うことを聞かせられるわけではありません。再犯防止のために、
すかさずエルシンシアさんが強く抗議しました。
「なッ! そんなの嫌ですの! 悪用されたらどうするんですの!」
「そんな危険のあるひとに
「狼藉を働かれてからでは遅いですの! どう責任を取るつもりですの!?」
「不逞の輩はどちらですか。少なくともりんごさんはあなたのように、他人に危害を加えない良識ある方であると認識していますよ」
「やー、それほどでも」
「むぐぐぐ……! 人権侵害ですの!」
「最低限の規則も守れず、平和を侵害したひとに権利は認められません。それともやはり天上に帰られますか?」
「むぐぐぐぐ……!」
エルシンシアさんは怒気と屈辱で首から上がほとんど紫色になっていましたが、どうやらなんとしてでもフタナに留まらなければならない事情があるらしく、それ以上は抵抗を続けられないようでした。
「では、同意も得られたので、契約の手続きをさせていただきます」
まひるさんはエルシンシアさんに近づくと、やおら外套とその下の
「ぴゃあぁぁあ!? な、なななな、なにするんですのッ!?」
今度は羞恥でしょう、耳まで真っ赤に染めて、身をよじりばたばたするエルシンシアさん。その新雪のようにすべらかで白い肌には、妖しげな模様が描かれていました。
まひるさんは首をひねりました。
「あら? すでに契約済みですね?」
濃い紫の染料で彩られたその紋様は、臍の下、幼い下腹部で、二匹の踊り狂う蛇を模しており、どこか扇情的と言うか、危うい艶めかしさを孕んでいました。
「別の
まひるさんはりんごさんの指先を小刀で引っ掻くと、もがくエルシンシアさんの紋様に押しつけさせました。
「ぴゃんっ!? な、なにしたんですの!?」
すると、かすかにぴりりとした痺れが走り、りんごさんのなかに、なにかがかちっと繋がったような感覚が生じます。
「ありがとうございます。薬湯のように加熱していない金剛山の甘露を直に浴びれば、その紋様は洗い落とせますから、そのときをもって契約解除となります。それまで大変かと思いますが、エルシンシアさんをよろしくお願いしますね。
「はーい、りょーかい」
りんごさんは、恥辱と怨恨で童顔を歪ませたエルシンシアさんと目線を合わせ、微笑みますが――。
「これからよろしくね、エルシンシア――って、長いね。エルシィでいーい?」
「……ふん!」
口も利きたくないと言わんばかりに、そっぽを向くエルシンシアさんなのでした。
さてさて、ひとつ目の界からいきなり大波乱な御同行。これからどうなることやら、先が思いやられますが、そろそろお時間となってしまいました。名残惜しくも、今宵のお
次回もお楽しみにお待ちくださいませ。
巡礼済み天帝院:一/八八
蒐集済みホムスビ一六神:一/一六
ひょんなことから
次回「第三夜 天満夕餐」