第一錠
さてさて、このたび御同行が訪れたのは――燈松の州・ハタネカ。
ハタネカは州の九割を占める広大な山林が特徴的な、自然豊かな州です。とくに固有のアカマツは、温暖で雨が少ない環境のために
ところでハタネカには、州を象徴する動物がいます。名はハタネカジシといい、小山のような図体に、貪欲そうに突き出た鼻面、その脇には強固そうな二本の牙、つぶらな瞳もふたつ、と外見は巨大な猪そのものです。このハタネカジシが、害虫のカミキリムシ(アカマツの天敵である線虫を腹に飼っているからです)を好んで食べてくれるおかげで、アカマツは病気知らずですくすく成育しているわけです。
ちなみにこのハタネカジシ、ハタネカ原産ではなく、一〇〇〇年近く昔にお隣に存在していたオオボケという堕天民の小さな教団の治める村が、品種改良して生み出したものです。さらに言えば、実は猪ですらありません。その正体は菌類で、マツタケの親戚なんです。よく見れば目はかさかさの松かさですし、牙はその辺に落ちていた鹿か熊かなんかの骨なので、みなさん完全に名前に騙されて猪だと思い込んでいるだけなのです。
ハタネカの民からすればいつの間にか住みついていて、うまく共存できていたので、州の動物としてハタネカジシなんて名前をつけて愛着を持っていますが、正確にはオオボケ菌と呼称されるべきでした。
このオオボケ菌が開発された理由はたったひとつ――それは、まだフタナ道が定まっていなかった頃、オオボケがハタネカとの州認定争いに打ち勝つためでした。
オオボケ菌はカミキリムシを食べることで線虫を蓄え、マツタケを形成します。その蓄積した線虫を胞子に乗せて散布することで、ハタネカのアカマツを一瞬にして絶滅させようというのが、オオボケ民の邪な目論見でした。
ところが悲しいかな、オオボケ菌の方は餌が豊富なハタネカの土地柄を気に入ってしまい、ハタネカを滅ぼすことをよしとしませんでした。オオボケ菌は線虫を撒き散らすことなくそのまま体内で飼殺すことを選び、それ以来ハタネカのアカマツはなにものにも害されずのびのびと生い茂ることとなったのでした。さらにハタネカジシはマツタケに寄生し成長を阻害する腐生植物(要するに一部の山菜ですね)も好物なので良質なマツタケまでも提供し、これもハタネカの特産物のひとつに加えられています。
そのような経緯もあり、当然の帰結として、州認定争いの軍配はハタネカに。オオボケはそのまま衰退の一途をたどり、自然消滅してしまいました。
まぁ、悪いことはするなということでしょうね。
さて、閑話休題、御同行が四人組となって早一〇日。参拝した界はまだ四か所ですが、旅の次第もわかってきて、みな、こころなしおフタナさんらしい顔つきになってきました。
というのも、おそらくもっとも年若いはずであろうはずのサンセットさんがおそろしく旅慣れていて、三人をよく導いてくれていたからでした。
今回は、ようやく軌道に乗りはじめた御同行の旅の起居をご紹介致しましょう。
これは――。
天をして無間地獄がごとき。
魔をして色究竟天がごとき。
人をして大悲胎蔵金剛大螺旋がごとき。
うたかたのような、ふたえの国の夜伽薬。
ではではみなさま、お
/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第四夜 同行四人
/第一錠
――ぱちっ。
東の空がわずかに白んできた頃、サンセットさんは覚醒します。
目覚めすっきり、欠伸ひとつせずに起き出してこうべを巡らせると、筵敷きの室内には、主を失った毛布に、すやすや夢見るりんごさん、部屋の片隅に張られた幕には朝の
昨晩、御同行が寝泊まりしたのは、宿場町の片隅にある、こじんまりとした町家の木賃宿。木賃宿は、たいてい家主は別宅に住んでおり、旅籠や宿坊とは違って食事は給仕されませんし、お風呂や竈すらなく、納屋を使いまわしたような陋屋さえありますが、一軒丸ごと一晩借りてもとにかく安上がりなのが特長です。
天帝院の大部屋に抵抗感を覚える年頃の女の子たちにとっては、なおのこと。夜遅くまでぺちゃくちゃしゃべり倒しても、誰かに怒られることもありませんしね。
暁闇のなか、サンセットさんは放置された毛布と自分のそれとを片付けると、てきぱきと着替えました。そしてお米を炊く準備を済ませたところで、エルシンシアさんの幕が取り外され、しっとりした白檀の香りが強まりました。
「あびーですっ、エルシィさんっ」
「……あびーですの、サンセット」
まだちょっぴり抵抗を残しつつも、渋々
「ふん、もう日も登りかけているというのに、このひとはいつまで寝こけているんですの」
「ふふっ、昨日はたくさんお荷物を持って頂きましたし、今日も頑張って頂かないとですから、りんごさんはたっぷり寝るのもお仕事のうちですよっ」
「……ふん」
木賃宿の土間にでんと鎮座するは、嬋媛な螺鈿の施された鍵付きの木箱――天帝院の挟み箱です。
路銀稼ぎにと、御同行は前の天帝院から荷運びの仕事を請け負ったわけですが、サンセットさんもエルシンシアさんも体格は小柄で、見た目通りの筋力しかありませんので、こういった力仕事はもっぱらはすのさんの役どころになります。
そうなると、普段はすのさんが担いでいる御同行の諸々の重荷は、代わりにりんごさんが背負うことになるのでした。
「エルシィさんは、とっても早起きさんなんですねっ」
「ゾディヤストラでは、早起きすると天国に行けると、言われているんですの」
「どうしてなんでしょう? 天国は定員があるから、早い者勝ちだからとかでしょうかっ」
「単純に、早起きは勤勉の証で、善行を積みやすいからですの。というか、そんな天国、嫌ですの……。さっさとあの世に行けと言ってるみたいですのよ」
「では、お寝坊さんは長生きの秘訣ですねっ」
「たしかに、このひとはしぶとそうですの」
サンセットさんとエルシンシアさんは、りんごさんの寝顔を見てくすくす笑い合いました。
エルシンシアさんは、未だにはすのさんとはほとんど言葉を交わしていませんでしたし、りんごさんに対してはことさら警戒してなにかにつけて衝突し合っています。が、サンセットさんとは時折このように談笑する程度には、打ち解けていました。サンセットさんの持ち前の利発ながらも天真爛漫な性格が、そうさせるのでしょう。
サンセットさんは買い出しに行くため、りんごさんから預かっている財布を握りしめて宿を出ました。表では、はすのさんが長大な直刀を振るい、鍛錬に精を出しています。
無口で無愛想かつ、顔立ちも地味ですし、平時は気だるげな愁いをたたえた面持ちをしていて、ぱっとしないはすのさんですが、朝日を浴び、こうして剣を握っている姿は、どこか崇高で侵犯しがたいあらたかさをまとっています。高い神格の顕れというものでしょう。
はすのさんはサンセットさんに気がつくと、手を止めました。
「ん……、あびー、サンセット」
「あびーですっ、ご主人さまっ。すみません、お邪魔をしてしまってっ」
「……いい、今終わったところだから」
「では少々お待ちをっ」
すかさずサンセットさんは宿から瓢箪の水筒と手拭いを持ってきて、はすのさんに差し出しました。
「どうぞっ」
「ん……、ぅん」
無垢な笑みをまっすぐに向けられ、はすのさんは誤魔化すように手拭いで顔を覆いました。
サンセットさんの背丈はエルシンシアさんとほとんど差はなく、りんごさんより頭ひとつ分低いぐらいです。ところがはすのさんの長身は、成人男性の平均的な身長よりもわずかに勝っているほどですから、こうしてサンセットさんとはすのさんが並んでいると、こどもとおとなのようです。
「ご主人さま、お身体の調子はどうでしょう? 昨日はあんなに重いお届け物を、ずっとおひとりで運んで頂きましたしっ」
「……ん、あれぐらい、平気」
「さすがご主人さまっ」
「……鍛えてる、から」
運動したせいか、あるいは別の要因か、はすのさんは気持ち頬を紅潮させていました。
「ずっと毎朝、鍛錬されてるんですか?」
「一〇年ぐらい、前から。お昼にやるときもあるけど、朝は、かならず」
サンセットさんはきらきら琥珀色の瞳を丸くします。
「すごいですっ! ご主人さまは、とっても頑張り屋さんなんですねっ」
「……そんな、こと……剣と、自分があれば、できることだし……ただの日課みたいな、ものだし――」
「日常的なことだからこそ、後回しにしちゃったり、さぼっちゃったりすることもあると思うんです。それをずっと続けられているって、すごいことだと思いますっ」
「んぅ……」
手放しに称賛され、はすのさんはそれと見てわかるほど赤くなり、逃げるように話題を変えました。
「ずっと気になってたけど……どうして、わたし、ご主人さまなの」
それはですね、とサンセットさんは嬉しそうににこにこしました。
「サンは足手まといのくせに、ご主人さまにごはんを頂かないと生きながらえることができないですから、これはもう、旅の道中、ご主人さまの身体の一部として、この手足潰えるまでご主人さまにお仕えするしかないとっ。少なくともご主人さまが故郷復興の大義を果たされるまでは、サンが身の回りのお世話をさせて頂こうかと思った次第ですっ。ちょうどこんな恰好もしていますしっ」
そう言うと、サンセットさんはふわりとエプロンドレスを摘まみ上げました。
丈の長い地味な黒いワンピース、清潔感のある白いエプロンドレスに、ヘッドドレスと手袋を添えた出で立ちは、一見するにこどものおめかしのようで、サンセットさんのあどけなさをいや増させています。ですが、サンセットさんは活動的なようで動作のひとつひとつがあか抜けていますから、その仕事ぶりを目の当たりにすれば一転して、実はこの娘は熟練のメイドさんなのではという印象を抱かせます。
サンセットさんを拾った界、ムロバラでは、ポタウニー用のメイド服が余りがち(生地に染み込ませた虫除けハーブの成分が飛び切ると無用の長物と化しますので)で、財布にこころ許ない御同行でも手頃に手に入ったため、サンセットさんには苟且の普段着としてメイド服を着てもらうことになったわけですが、サンセットさん本人はこの衣装をいたく気に入っているご様子です。
「べつに、そこまで、しなくとも……ただの血だし、仕えるとか、そういうのは――」
「いえっ! サンがそうしたくてしているだけですので、ご主人さまは気になさらなくていいんですっ!」
「ん……、ん」
はすのさんはやや当惑して何事かを言いたげでしたが、うまく言語化できないのでしょう、まごついてしまいました。
サンセットさんはその沈黙を是と受け取ると、おずおずと用件を切り出しました。
「あの、それで、ご主人さま、たった今運動されたばかりで恐縮ですけど……本日のごはん、頂いてもよろしいでしょうかっ」
「あ、ん……、どうぞ」
はすのさんは水で手汗を洗い落とすと、小刀でちょこっと手首の血管を裂き、瑞々しく紅々とした血をしたたらせました。
「失礼しますっ、あむっ」
サンセットさんはぺこりと一礼、はすのさんの傷口を小さなくちで覆い、ちゅるちゅると啜りはじめました。
サンセットさんには内臓がなく、普通の食べ物を消化することができません。そこで、オオゲツヒメ系稲荷神の眷属たるはすのさんに流れる栄養豊富な血液を、一日の糧としているのでした。
「ん……ちゅ、ちゅぷっ」
しかし一方で、はすのさんは高い神格を持っているため肉体の再生力も尋常ならざるもの。瑕疵はすぐ癒えてしまいます。なるたけ傷つける回数を減らすためにも、サンセットさんは傷口に吸いつき、舐めて刺激し、一度で可能な限りたくさんの血を飲まねばなりません(容器などに蓄えておくのも衛生的ではないですし)
そういう意味でははすのさんの運動後こそ、サンセットさんの食事時にふさわしいのでしたけども。
「はぶっ、ちゅぅ……、ぇろっ、ちゅむっ」
「……っ」
はすのさんは息を止め、顔をそむけ気味にしつつも、横目でしっかりとサンセットさんの食事風景を凝視しています。サンセットさんとしては真剣に食事を摂っているだけなのですが、手首という存外に敏感な部位を愛らしい少女に熱心に舐られ、傷が塞がりきる頃には、はすのさんは茹蛸よろしく赤面していました。
「ぷは……ごちそうさまでしたっ。毎日、本当にすみません……」
「……んぅ」
言語を熄滅してしまったかのごとく、相槌を打つことしかできないはすのさん。
「サンの食事なんかのために、毎回お身体を傷つけて頂くのも忍びないので、なにか早急に手立てを考えますねっ」
「ん……」
ぐっと握り拳をつくってやる気を見せるサンセットさんに、まともに目を合わせられなかったはすのさんは、ふらふらと宿に戻っていくのでした。
サンセットさんが市場から戻ると、炊煙もくもく竈の前でりんごさんが火の番をしながら、大欠伸をしていました。
「ただいま戻りましたっ」
「おかえりー。ごはん炊いてるよー……ふわ」
「ありがとうございますっ」
宿の奥では、エルシンシアさんがなにかを探しているのか荷物の中身をひっくり返していました。はすのさんは御業で風を吹かせ、りんごさんが洗濯したのであろう衣類を乾かしています。
メトロ・ミルトンの美容整形企業・ターデン社の売れ筋商品たる万能石鹸は、身体でも食器でも衣服でもなんでも洗える画期的な代物で、フタナ民愛用の品ですが、ひとつだけ難点があり、それは非常に泡立ちにくいこと――。りんごさんの天手をもってすれば容易に泡立たせられますし、濡れずに手早く洗えますので、射鶴木家では昔から洗濯と言えばりんごさんのお勤めなのだそうでした。
サンセットさんは市場で仕入れてきた食材を広げると、てきぱき要領よく料理をはじめました。
朝餉の献立はアマゴの塩焼と、昨晩つくったワラビの煮物の残り物、おナスのお新香、それとフキノトウのお味噌汁。まずはアマゴを洗ってワタを抜きます。
りんごさんはサンセットさんの手つきを眺めつつ、感心した風に言いました。
「やー、何度見ても手際いーよねー」
「りんごちゃんも、お料理するんですよね」
「んー、いちお。でもサンほどさくさくーってできないし、すっごいふつーの味だと思うよ、我ながら。おかーさんよりかは、うまかったけどね」
「りんごちゃんは、お母さまから習ったんですか?」
「基本だけね。おかーさん、あんましレパートリーなかったし。あたしのは、ほとんどメトロとか租界で盗んできた味かなー。かなりてきとーだけど。サンは、なんでそんなにうまいんだろーね。旅慣れてるし、武者修行中の料理人だったのかな」
「どうでしょう……あまりしっくりこないですけど、自分で食べられない食事をつくり慣れていたということは、たしかにその可能性はあるかもしれないですね」
サンセットさんはなにか思い出せないかと思案顔をしますが、調理が滞ることはありません。
現在、サンセットさんが持つ記憶は、御同行に纏多草から救出されてから今までのたった一〇日間きり。それ以前の出来事はなにひとつ憶えておらず、しかし幼く愛らしい外貌の割に、旅や野営についての知識や経験が豊富でしたし、なにより素晴らしい料理の腕前をしていました。
当初はサンセットさんを御同行に加えることに激しい抵抗を示したエルシンシアさんが、サンセットさんのごはんがおいしいと知るやいなや、口を閉ざしたほどに、です。
出会いは偶然で奇態なれど、今のところ、サンセットさんのおかげで、御同行の旅は成り立っていると言っても過言ではないでしょう。
「やーっぱ、あそこになんかヒントがあったのかなー……」
りんごさんの紺碧の瞳が、遠い彼方を見つめます。
仮にサンセットさんが旅をしている最中だった場合、食べ物を持っていた可能性があります。それがサンセットさんの故郷を発見する鍵となったり、あるいは記憶を取り戻すのにも役立ったかもしれない――いつからか、りんごさんはそんな憶測に悩まされているらしかったのでした。
「はー……へたに動かなかった方が、よかったよねー、やっぱ……、言い訳だけど――あたしも記憶喪失で拾われたから、なんてゆーか、ほっとけなくって……、ごめんね?」
「いえいえ、滅相もないっ。記憶がない分、かえって気にしてないですし、サンの食糧が見つかるとも限らないですし――、なにより、サンは今、とっても楽しいですからっ」
御同行に加わったことがこの上なく喜ばしいことだったと表すように、サンセットさんは無邪気に微笑みました。
「そういえば、サンの食べ物ってどんなのだろーね」
「普通のミルクや果物の果汁ではちっとも足しになりませんでしたから、ガイア絡みの、想像もつかないようなごはんなんだと思いますっ。おいしいごはんだったらいいんですけど――」
「あんましおいしくなくても、栄養だけはめちゃくちゃすごそーだけどね、んっふふ……!」
りんごさんはにたにたと下卑た笑みを浮かべました。
「サン、エルシィより年下っぽいのに、なかなかおっきなおもちをお持ちじゃん? 謎の食べ物に、秘密がありそーだよねー……!」
りんごさんのいかがわしい視線を引きつけていたのは、エプロンドレスをふっくら押し上げる、柔らかそうな双丘です。サンセットさんはエルシンシアさんよりもひとつかふたつ幼そうな顔つきをしていましたが、その肉体は、出るとこは出て、引っ込むところは引っ込み、小柄ながらもしっかり成熟した肉感的な女性のそれだったのでした。
「サンよりも、りんごちゃんの方がずっと豊満で、女性らしいですよっ」
サンセットさんはりんごさんのセクハラにも動じず、おかしそうにくすくす笑いますが、りんごさんは自分のそれらを確かめるようにたぷたぷと持ち上げました。
「んー、でもあたしのは、えっち覚えてからここ数年で一気にってやつだし。サンぐらいんときは、はすのぐらい、ぺなっぺなだったんだよねー。その歳でそのおっきさは反則ってゆーか……んふ、ねーちょっと、揉ませてみ? りんごちゃんのも揉んじゃっていーからさ」
指をわきわきさせるりんごさん。
「ふふ、今はお料理中ですから、危ないですよーぅ」
「えー、じゃ、あとでならいーってことー?」
「サンはかまわないですけど――」
にまにまと食い下がるりんごさんに――、サンセットさんのまとう雰囲気が一変。冷艶な光をたたえた琥珀の双眸で、りんごさんを試すように意味深に見つめました。
「――その後については、りんごちゃんは自己責任ですよ?」
「~~っ!?」
鳥肌を立たせ、ぶるるっと身震いするりんごさん。あたかも、愛玩していた仔猫が実は獰猛な虎だったと悟ったかのごとく、硬直してしまっています。
と、サンセットさんは何事もなかったのようにひりついた空気を霧散させ、アマゴの焼き加減を確かめると、申し訳なさそうになりました。
「サンこそ、せっかく拾って頂いて、お洋服を見繕って頂いたり、お部屋まで一緒にお世話になってしまってるのに、納札も出せないし、依頼も受けられなくて、なんとお詫びしていいのやら――」
りんごさんもちょっときまり悪そうに、竈に視線を戻します。
「……え、……あー、うん、そんなのたいしたことないって。あたしもはすのもエルシィも、もうすでにかなーり助かってんだからさ!」
おフタナさんになるには条件があり、ひとつは九善戒という戒律を守ること、もうひとつは納札を出せる体質であること、このふたつを同時に満足せねばなりません。
納札の主成分は炭であり、それはおフタナさんの体組織で賄われます。まひるさんによれば、サンセットさんは納札を出せるほどの余裕がないとのことで、おフタナさんにはなれなかったのでした。
「これからも頼りにしてるし、むしろ足りないものとかあったら遠慮せずにどんどん言ってよね。楽はするに越したことないしさー」
「足りないもの、ですか……そうですね、テントとマットでしょうか。行程が順調なら、ここのように宿場町がありますけど、事情があって急いでいたり足止めされちゃったりして野営を余儀なくされたときに、テントとマットがあると、どんなところでも快適にぐっすりすやすやですっ」
「はー、なーる。お金なかったり、前みたいにひとがいっぱいでどーしても宿取れなかったときにも使えそーだしねー。メトロか租界に寄ったときに、探してみよっか。ほかにはほかには?」
「野営繋がりで、ショベルがあるととっても便利ですねっ。一本で切るも払うも掘るもできますし、お料理にも使えます。あと、お料理と言えば、必要なものではないですけど、お外でもっといろんなごはんがつくるためにも、クッカーがあると便利ですねっ。かさばらないですしっ」
「おー、いーね! うちからは鍋一個しか持ってこなかったからなー。租界に着くまでに、お金貯めて――」
「サンセット! ちょっと来てくださる!? わたくしの下――服が見つからないんですの!」
と、自分の荷を床に撒き散らしたエルシンシアさんが、鋭い声音でサンセットさんを呼びたてました。
「はーい、ただいま!」
本人は無自覚ですが、なんだかんだと言ってサンセットさんに一番頼っていたのはエルシンシアさんでした。使用人かなにかと誤解している節も、たまにうかがえますが――。
もっとも、サンセットさんは甘えられ頼られるたびに、嬉しそうにしています。
「サン、忠犬みたいだね」
「……」
諧謔めいて言ったりんごさんの一言に、サンセットさんは表情をこわばらせて硬直しました。初めて見せる反応に、りんごさんは焦った風にとりつくろいます。
「あ、ごめん、やだった?」
「……いえ! なんだか、懐かしいような――寂しいような――そんな気がして――」
「……サン?」
「いえ、なんでもないですっ。忠犬っ! いいですねっ、とってもしっくりきます! サンは忠犬メイドですっ!」
「見た目は猫だけどね」
エルシンシアさんに再び呼び出されるまで、くすくす笑い合うふたりなのでした。