/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第四夜 同行五人
/第二錠
上空の
本日の目的地は、山腹の温泉街。前の宿場町で聞いたところによると、景勝地である上に旅の疲れによく効く温泉が湧いていて、おフタナさん以外でも賑わう観光地になっているのだとか。
はすのさんもりんごさんも温泉はお好きらしいので、とりわけこころ待ちにしている雰囲気でした。
しかしお腹が空いていては山は登れません。ちょうど麓のおじどうさんの周辺が開けていて、腰を落ち着けるにはちょうどよさそうでしたので、御同行は小休止してお弁当を広げることに。
考えることはみな同じなのでしょう。他にも同様に、お昼寝している先客や、後続のおフタナさんも行李を降ろして松林を眺めながら干し肉を齧りだしました。
『イノシシ注意! 狩猟厳禁! 土地の大切な仲間です!』というフタナ語の御触書の下で無防備にお腹を晒して熟睡中の、狼の眷属らしき少女のおフタナさん二人組を、エルシンシアさんは眉をひそめて見咎めました。
「こんなところでよく眠れるものですの」
りんごさんは肩を竦めました。
「ここだからこそって感じだけどねー」
「どういう意味ですの?」
「おじどーさんが見張ってるからだよ。おじどーさんの前で悪さしたら、罰が当たるんだってさ。ま、実際に当たったひとを見たことないってか、みんなこわくておじどーさんの前ではおとなしくしてるんだけど」
「そうだったんですね。野営をする際は、おじどうさんの前がよさそうですねっ」
「……サンってさ、フタナのことは、記憶にないんだね」
「そう、ですね……、天帝院や、巡礼のことも、知らなかったですし」
「ひょっとしたら、サンって、フタナ島の外から来たんじゃないのかな」
「それは、どうでしょうか……フタナ語は不自由なく読めてますし、特定の
と、そこへエルシンシアさんが苛立たしげに割って入りました。
「そのお話、食べながらでもできるんじゃないんですの?」
「そうですね、まずはごはんにしましょうかっ」
本日のお弁当は、海苔で巻いたおにぎりです。具は、朝食の焼魚のほぐし身や、山菜を甘辛く味付けしたもの。手早く簡単に栄養補給できる、おフタナさん定番の携行食です。
はすのさんが担いできた挟み箱を、食卓代わりに囲みます。が、エルシンシアさんだけは、サンセットさんから竹の葉包みを受け取ると、やや距離を置き、木立ちを背に、広場が一望できる場所に陣取りました。
「ごはんぐらい一緒に食べればいーのにねー」
何日か前に一度揉めたことで諦めがついたのか、ため息を漏らすにとどめるりんごさん。
サンセットさんは物悲しそうにフォローしました。
「きっとまだ、警戒していないと、安心できないんだと思います。あんなお辛い事件があったあとですし……」
サンセットさんは、はすのさんとりんごさんがエルシンシアさんに出会ったその日に起こった出来事――エルシンシアさんが、何者かに暴走させられた事件について聞き及んでいたため、同情の念を抱いていました。
「キューなんとか、だっけ。エルシィのこと疑ってるわけじゃないけど、天帝院のなかにいたのに、まひるさんさえ見てないって時点で、かなーり望み薄っぽいけどなー」
「いかにも黒幕のようなお名前ですし、きっと隠れてこっそり悪事を働くのがとってもお上手なんだと思いますっ」
「あ、よくあるやつだよねー、それ。一番最初に出会ったやつが、一番最後に出てきて、これまで裏でしてきた悪いこと全部ぶちまけるってやつ!」
「ん……、わたしたちが旅に出て、最初に会ったのって――まひるさん?」
「あー、言われてみれば」
「黒幕感たっぷりですねっ」
非常に不謹慎な(本当に不謹慎ですよ!!!)話題で盛り上がる三人。
「ともあれ、どんなかたちでも、エルシンシアさんがそのとき一番おいしいって思えるように召し上がっていただければ、サンはそれでしあわせですっ」
――もっとも、サンセットさんのその願いは、十数秒後に儚くも潰えてしまうんですけども。
「――っ!」
だしぬけに、はすのさんが緊迫した面差しで立ち上がり、正面に座っていたりんごさんがびくっとしました。
「なに、はすの――」
「むぐ……ごくっ、エルシンシア! うしろ!」
おにぎりを頬張っていたはすのさんは、一拍遅れて声鋭く警告しました。やにわにきつく名前を呼ばれ、頬に米粒をつけた童顔で不快感をあらわにするエルシンシアさん――。
「……いったい何事――」
の、おにぎりを持つ手が、ぬっと背後の藪のなかから現れた、黒々とした大口にかぶりと丸呑みにされました。
「ぴゃああああ!?」
絶叫するエルシンシアさんの手にかぶりついていたのは、巨大な猪です。
体毛に絡みつき全身を覆う褐色の土は鎧のごとしで、その巨猪の体積をさらにひとまわりもふたまわりも膨らませていて、さながら動く小山のようです。強固そうな二本の牙がなければ、ひと目で猪だと判別するのは至難の業でしょう。
地元ではハタネカジシと呼ばれているハナタカ固有の種――そのなかでもとりわけ巨大な個体でした。
エルシンシアさんは転げるようにしてハタネカジシから離れました。粘液まみれになったものの、幸運にも大事には至っていないようです。ただひとつ、おにぎりだけを除いて。
「わたくしの山菜おにぎり!?」
ハタネカジシのくちから解放されたエルシンシアさんの手が掴むは虚空。ハタネカジシは大層美味そうに咀嚼しており、おにぎりの行方は確かめるまでもありませんでした。
「エルシィ、だいじょーぶ!?」
りんごさんが慌てて駆け寄り、他のおフタナさんたちもハタネカジシに気づいてどよめき、腰を浮かしています。
エルシンシアさんはかつてないほどの赫怒を燃やす緑の双眸でハタネカジシを睥睨しました。
「あなた――、あなた! 絶対に許さないですの! ――
「ちょお!? やめなって、エルシィ!」
りんごさんの制止の声には聞く耳を持たず、灼然たる敵愾心をもってエルシンシアさんは
「
そう述べ終わるや、その小さな背に、いやちこなる炎の光輪が、光の粉を撒き散らしながら羽根を広げました。
次いで、光輪のなかに浮かぶみっつの小さな火の玉が一二に分かれ、配置されなおすや、エルシンシアさんの左手に光の短弓が、右手には光矢が出現。エルシンシアさんは矢をつがえ、ハタネカジシの眉間に狙いを定めました。
「エルシィってば! 猪は狩猟厳禁ってそこに書いてんじゃん!」
「ふん! わたくしに読めない字で書いているんだから、わたくしには関係ないですの! 第一、獣が一匹ぐらい灰になったところでなにも変わらないですの!」
「一匹だろーと一〇匹だろーと、ここのひとたちが困るかもしれないんだって!」
「こんな獣をほったらかしにしてる方が悪いんですのよ! わたくしの食事を奪い、わたくしを害したこの獣を燬き滅ぼさないことには、わたくしの溜飲が下がらないですの!」
「だから……! あーも、エルシィが悪いんだからね!」
「――ッ!?」
すると、突然、エルシンシアさんは全身をかちこちに強張らせ、その場に倒れ込んでしまいました。エルシンシアさんに刻まれた呪い――
広場に張りつめた緊張感とは裏腹に、ハタネカジシはエルシンシアさんから頂戴したおにぎりで満足したのか、土をぼろぼろ落としながら、のそのそと木立のなかへと消えていきました。
居合わせたひとたちともども、ほっと胸をなでおろす御同行。
「珍しーね、あそこまで近づかれるまで、はすのがわかんなかったなんて」
「……ん、土のなか、潜ってきたみたい」
「あの、りんごちゃん、エルシィさんがとっても息苦しそうですけど――」
「あ、忘れてた」
「ぶはァッ! ことごとくわたくしの邪魔ばかり……! あなた、やはりよそさまの化身ですのね……ッ!」
地面に降ろされ、言動阻害が解除されたエルシンシアさんが飛び起き、りんごさんに食ってかかります。
「なに言ってんのかよくわかんないけどさ、さっきの猪みたいな、ほかのとこにいないよーな特別な動物とか植物は、ガイアってこともあるかもだし、部外者が勝手に傷つけちゃだめなんだって」
「先に襲ってきたのはあちらですのよ!」
「おにぎり食べられただけだったじゃん? 攻撃するのは、やりすぎだって」
「では本当に襲われたらどうしろっていうんですの!?」
「それは……さすがに抵抗しなきゃだけど。てゆーか、マジで食べられてたんなら、手遅れだったでしょ」
「なッ!? わたくしがあんな獣の餌になってたとでも!? 最善最勝なるアシャ・ワヒシュタの加護があれば、あんな獣ごとき楽勝ですのよ!」
「ぜんぜんらくしょーのわしゃわしゃってのは、そのべっとべとの涎からは守ってくれなかったみたいだけど?」
「アシャ・ワヒシュタですの! さ、さっきは、ちょっと油断していただけで――、むぐぐ……! サンセット! 手拭いはどこですの!?」
「はいはいただいまっ。……ご主人さま?」
第二の被害者になりたくはないと、広場の利用者が木立ちから距離を置くなか、はすのさんはすんすん鼻をひくつかせながらハタネカジシが現れた場所へ歩み寄り、落としていった土くれを漁りはじめました。
「なにしてんの、はすの」
「……あっ! ご主人さまっ、おそらく土の白い辺りにあるのではないかとっ」
「ん……、あった」
なにかを察したサンセットさんのアドバイスに従って、はたして土のなかからはすのさんが引っ張り出したのは――はちきれんばかりに成育した、おおぶりの春マツタケでした。
「ん……、おいしい」
「んー、うま! やば……、マツタケってこんなおいしかったっけ!」
さっそくアカマツの葉枝を集め、火を熾してサンセットさんが焼いた春マツタケに舌鼓を打つはすのさんとりんごさん。思わぬごちそうに大喜びです。
サンセットさんも釣られてにこにこ、頬を緩ませています。
「新鮮で、傘が開く直前のものだからですよっ」
棚ぼたで、なおかつこの場ではほかに調理のしようもありませんでしたし、なにより虫食いもなく焼くにもっとも適した状態でしたので、今回はシンプルに土を落として適当なおおきさに裂き、塩を振って網焼きです。
ただしぱさぱさにならないよう、焼き加減は慎重に。食べ頃になったら、スダチを絞って召し上がれ。ハタナカの脂の乗った松の風味を閉じ込めて醸成した、しっとり上品で馥郁な木の香りが、スダチのさわやかな酸味でしゃきっとまとめられ、おくちのなかに広がるでしょう。
おっと、だめですよ、もったいない! 飲み込むにはまだ早いです。アカマツの焚火でつけた香りも絡まりあって、噛めば噛むほど、重層的な松の薫香が染み出て旨味になっていくんですから。しっかり口内の隅々までマツタケの風味で満たしてから、はいどうぞ、甘めの清酒で、くっといってください、くっと。
どうですか? マツタケの香りが、舌触りのいい清らかな酒気でふわっと鼻の奥まで届いて――ふふ、たまらないでしょう? 焼くだけだと侮るなかれ、ハタナカのマツタケはこれが一番贅沢な食し方なのです。
なぜなら、ハタナカのマツタケは、ハタネカジシが天敵である虫を食べ、州民が燃料とするため適度に葉や枝を拾って掃除するので、生育にもってこいの環境である一方、すぐに傘が開いて香りが逃げてしまうのです。現地でしか楽しめない幻の一品だったんですね。
エルシンシアさんの目にはしかし、ハタネカジシにくっついていたキノコをただ焼いただけにしか映らなかったのでしょう、清めの儀式をしている間も横目でちらちら様子をうかがってはいましたが、そんなものがおいしいものかとサンセットさんたちを懐疑しています。
「エルシィさん、本当に召し上がらないんですか? エルシィさんの分、食べ頃ですよっ」
「……やめておくですの」
むすっとしてエルシンシアさんは断りました。サンセットさんは一呼吸、間を置くと――。
「わかりました。でも、どうしてなのか、理由を聞かせて頂けないでしょうかっ」
「む……だって……、火で炙っただけじゃないですの。それでお料理と、言えるんですの?」
「なるほど、たしかに一番簡単な、言ってしまえば手抜きのお料理ですねっ。でも素材には、それぞれ適した調理法や味付けがあるんです。たとえば、今朝食べたアマゴをシチューに入れちゃったりすると、アマゴの上品な味が台無しになってしまうんじゃないでしょうか?」
「むぐ……」
「いかがでしょう? サンに騙されたと思って、ひとくちだけ、ひとくちだけ、試してみませんかっ」
サンセットさんに焼きたてのマツタケを差し出され、鼻孔を広げるエルシンシアさん。
「……ぐ……、ひとくちだけ……ひとくちだけですのよ――」
と、エルシンシアさんはこわごわくちを寄せ、一息にぱくりとかぶりつくと――。
「はひゃ……はほ……」
妙なる香に酩酊したかのごとく、
「んひ……、ぉふ……」
「ふふっ、いかがですかっ」
エルシンシアさんは心底口惜しそうに呻きました。
「むぐぐ……こんな……こんな、わたくしではとても、形容できない味があるだなんて……ソイレントでは、考えられないですの……」
「おくちに合いませんでした?」
「うぅぅ……、おいしいですの! もっとよこすですの!」
「はいっ、ただいまっ」
かくしてエルシンシアさんはこの日この瞬間に、サンセットさんに完全に胃袋を掌握されてしまったのでした。
そんなこんなで腹ごしらえをして山に入り、黄昏どきには温泉街に到着した御同行。納札一枚と引き換えに、そこそこの旅籠で一部屋を借りました。
一部屋で四人も、というならお食事は別料金、とのことでしたので、地元の猟師さんにハタネカジシではないらしい猪のお肉を売ってもらい、これまた季節外れの牡丹鍋としゃれ込みました。
お腹を満たし、お待ちかねだった天然温泉も露天で満喫、今日はたくさん山道を歩きましたので、明日に備えてそろそろ就寝という頃合い。
荷を整理していたサンセットさんが、不思議そうに首をひねりました。
「……あら?」
「んー? どーかした、サン?」
旅籠の浴衣に着替え、布団の上で濡れた赤髪を乾かしていたりんごさんがたずねます。
「サンの下着が、ひとつ見つからなくて……ひょっとしたら、脱衣所に置きっぱなしにしちゃったのかもしれません」
「あー、さっきので」
「……ふん!」
部屋の片隅、幕の向こうでエルシンシアさんが、思い出させるなですの! と言わんばかりに鼻息を荒げました。
いつもなら人の少ない時間帯を狙って湯浴みしていたエルシンシアさんでしたが、今日は利用者がとても多いということで、部屋ごとに温泉に入れる時間が割り当てられてしまっており、御同行と温泉に浸かることを余儀なくされていました。
今日はお疲れでしたし、さっさと汗を流して眠りたかったのでしょう、貫頭衣を着て意外にすんなり受け入れ一緒に入浴したかと思いきや、お風呂から出て着替える段になって、りんごさんがエルシンシアさんの貫頭衣の間から素肌を見たとか見てないとかで大騒ぎ(りんごさんらしいというか、こそこそしていなかったので無論失敗に終わりましたが、盗み見ようとしたのは事実でした)。あれをこれをと手当たり次第に投げつけて、ひと騒動起こしていたのでした。
サンセットさんはなんとかしてエルシンシアさんを宥め、一応元通りに片付けたつもりでしたが、自分の下着はどこか物陰に紛れ込んでしまったのかも、と推考します。
「サン、ちょっと探してきますねっ」
次のお部屋の割り当て時間まであまり猶予もありません。長風呂のはすのさんはそろそろあがる時機と思われますので、最悪はすのさんにも手伝ってもらおうとも思いつつ、脱衣所へととって返したサンセットさんでしたが――。
「……ご主人さま?」
脱衣所でサンセットさんが目の当たりにしたのは、己の主人が左手に下着を握りしめ、右手で雄々しくいきり立った一物を扱きあげている場面なのでした。