/ぴるぐりっ! ~はちはち異界巡礼譚~ 日本語版
/摧一切善阿密哩多 胎蔵界編
/第五夜 鉄樹開鹿
/第三錠
エルシンシアさんを下敷きに、地面に倒れ伏したライラさんの背には、鋸歯状の刃が深々と食い込んでいました。あとからあとから、青い血が溢れてきます。
「む……っ! も……っ! ぴぎゅ……っ!」
「ごめ、ん、っす……、今、どく、っすから――」
「ちょお、ライラ! すっごい血出てる! 血!」
押しつぶされた子豚にも似た悲鳴を上げるエルシンシアさんの上から降りようとするライラさんを、りんごさんは天手で手助けします。
「ぷぁっ! あなた、このわたくしの上にのしかかるだなんて、なんていい度胸してますの! というか、なんて重いひとなんですの! ちょっとはお痩せになったら!?」
「いま……、絶賛、出血、ダイエットちゅー、っすよ……」
脇腹と背中からだばだば血を流し、苦悶の表情で軽口をたたくライラさん。
「喋んない方がいーって!」
りんごさんの緊迫した声で、エルシンシアさんがようやくライラさんの負傷に気づき、ぎょっとします。
「あなた……、わたくしをかばって――ッ!? りんごさん、天手ではやく傷口を押さえるんですの!」
「あっ、うんっ!」
エルシンシアさんにあれこれと命じられた通りに、りんごさんは背に刺さった刃は固定し、脇腹の方は圧迫して止血しました。エルシンシアさんの的確な処置方法と、天手のちからによって応急処置はできましたが、一刻も早くちゃんとした手当をせねばなりません。
はすのさんの方は幸運にも気絶しているだけで深手は負っていないらしいことを確かめると、りんごさんはエルシンシアさんに意見を求めました。
「ど、どーしよ、エルシィ、天帝院に戻る?」
エルシンシアさんは険しい顔つきで否定します。
「このひとがどれだけ頑丈かわからないですけど、たぶん間に合わないですの。それに外には、あの魔物がいるんですのよ」
「あー、だよね……」
ライラさんが額に油汗を浮かせて呻きました。
「お……く……に――」
「え、なに?」
「……」
「気を失ってるですの。とにかく、奥に行ってみるですの」
御同行が逃げこんだその洞窟は、ライラさんの住居とはうってかわって、配線やら大型の装置やら書類やら実験器具やらで足の踏み場もないほどごちゃごちゃ煩雑としていました。
(機械ばっかり……、なんか、メトロみたい?)
りんごさんは、ふと目についた紙切れを拾い上げました。
『飛散期における
(れぽーと? 論文? ……ってやつ? 全然わかんないや……やっぱメトロのひとがいたのかな――)
片隅は生活空間になっているらしく、ひとが住んでいたような気配があります。妙にしっとりした馨香を立ち昇らせる寝台にライラさんを寝かせると、エルシンシアさんがりんごさんを呼びたてました。
「りんごさん、あれ、おじどうさんじゃないんですの?」
「え、ほんとだ。なんでこんなところに……って、今はそれどころじゃ――」
「なに言ってるんですの。サンセットに伝話をして、まひるさんにどう手当てしたらいいのか相談させるですの」
「あ、そっか」
おじどうさんに天帝院の番号を伝えるなり、おじどうさんの口からサンセットさんの気遣わしげな声が響いてきました。
『もしもし、こちらサンセットですっ。ご主人さま?』
「こちら、りんごちゃんです。はすのは……あー、いろいろあって、まだ気絶しててさ」
『えっ!? どうなさったんですか!?』
「ごめん、今ちょっと立て込んでて、説明は後回しで。悪いけど、まひるさんに取り次いで――」
「りんごさん! 手を貸すですの!」
「なに、エルシィ――ちょお!? なにしてんの、ギン!?」
りんごさんは焦燥に駆られました。振り向くと、ギンバイカがライラさんの服を咥え、寝台から引きずり降ろそうとしていたのです。
「ギン! 動かしちゃだめだって!」
りんごさんは慌ててギンバイカを引き離そうとしますが、逆にエルシンシアさんに叱咤されます。
「違うですの、りんごさん! ギンバイカに手を貸すんですの!」
「へ……?」
「よくわからないですけど、ギンバイカはあそこに連れていこうとしているですの!」
エルシンシアさんがびしっと指差した先――洞窟の最奥には、七色に輝く小さな泉。
「え、でもあれって毒って……」
思わずギンバイカのつぶらなトパーズを覗きこむりんごさん。それは血迷った色相とはほど遠く、ひとえにライラさんを救うためだという揺るぎない意志が宿っていて――。
――わたしを信じていただけませんか。
そんな想念が汲み取れるような気さえして。
「……あー、も、信じるからね、ギン!」
ライラさんの首から下を、けばけばしい池のなかへそっと浸からせたのでした。すると、にわかに泉が淡く発光するや、ライラさんががくがく痙攣しはじめました。
(やっぱやばかったんじゃ……!?)
やはり引き上げるべきか、逡巡するりんごさんの前で、ライラさんがかっと目を見開き、おもむろに口を開きました。
「構造機能の重大欠損を検知――損傷度の精査開始――致命的な損傷二点、重大な損傷四点、機能障害八点――敵対対象をアロンの十一番目の魔女と推定――リソースの再分配中――
「え、な、な、なに?」
突如として、りんごさんにはまったく意味不明な言葉の羅列を並べはじめたライラさん。りんごさんは説明を求めようとエルシンシアさんを見やりましたが、さしもの天上民も困惑している様子。
が、それも束の間のこと。ライラさんの出血がすっと止まり、刃が排出され、みるみるうちに癒えていくさまを目にして、御同行の間に安堵の空気が漂います。
「わ、見てエルシィ、ライラの傷、塞がってってる! はー、よかったー……」
「ギンバイカ……、ギン、やはりあなたは、素晴らしい子ですのね……」
――わたしの言った通りでしたでしょう?
というすまし顔のギンバイカに対して、マスク越しに、ふわりと優しげに翠緑の瞳を細めるエルシンシアさんを前にして、妙に温かいものを胸に感じながら、りんごさんの頬もひとりでにほころびます。
(……っ、なんだ、やっぱり笑えんじゃん……)
もっとも――ライラさんの意識の方は、まだ正常とは言えませんでした。
「――
ライラさんらしからぬ抑揚のない声音で、淡々とそう告げはじめます。
「警告します。当区域は
「……ラ、ライラ……? マジでどーしちゃったの……?」
どうやら冗談でもなさそうな雰囲気に、りんごさんは別の意味で恐ろしくなっていました。一方で、エルシンシアさんは業を煮やしたように声を荒げました。
「ちょっとライラさん、おふざけも大概にしてくださる!? さっきからなんなんですの!? ぱんげあだの魔女だのと!」
「エルシィ、待ちなって、怪我人なんだし――」
りんごさんが憤慨するエルシンシアさんを制さんとしたところで、しかしライラさんの反応には、変化が見られました。
「登録人類の質問を検知――回答します。
溢れ出る言葉の奔流――りんごさんとエルシンシアさんは目を見合わせて、どうしていいかわからずにふたりして途方に暮れました。エルシンシアさんでさえ、さすがに戯言にしては意味がわからなさすぎるとようやく察しはじめたようでした。
伝話を通じて話を聞いていたらしいサンセットさんを、除いては。
『GAIR……? エーテル活動群……? 超密生体鋼盤……? どこかで……聞いたような――』
「アロンの魔女とは、
と、引き続き理解不能な言葉を紡いでいたライラさんが、やにわに不穏なひきつけを起こしたかと思うと。
「ヴヴヴ――。……」
りんごさんが驚く間もなく、ライラさんはすぐに沈黙。すうすうと寝息を立て、存外に可愛らしい寝顔を晒しました。
「いったい、なんだったの……」
「……さっぱりですの」
りんごさんとエルシンシアさんは、深まる謎に首を傾げることしかできませんでした。
ライラさんが、正常な会話ができる意識を取り戻したのは、それからまもなくのこと。目を覚ましたはすのさんに、現況を伝えた直後のことでした。
「ところで、ここはマスクとってもへーきっすよ」
負傷が完治したことを検めると、ライラさんは泉から出て、一緒に浸かっていたギンバイカの脚の具合を確認しつつ、ライラさんが思い出したように教えてくれました。
「前にここを使ってた子が、住み込みで研究するために、浄化装置を入れてたんすよ」
「マジ? よかったー、これ蒸れて蒸れて気持ち悪かったんだよねー」
数時間ぶりにマスクを外せて、いささか蒸し暑さが和らぎます。解放感にほっと一息する間もなく――。
「ぴゃあん!? ギン!? 急になにを――ぴゃ! くすぐったッ!」
露わになったエルシンシアさんの天使のかんばせを目にするやいなや、ギンバイカが鼻息荒くすりよってきて、しきりに汗をべろべろと舐めはじめたのでした。
「ちょっと、やめ、やめてくださる!? そんな、きたな――びゃッ!」
ライラさんはあちゃあという顔になりました。
「あー、ごめんっす。頭領は金髪翠眼ぺったん娘にめっぽう弱いんすよ……」
「え、なにそのピンポイントな性癖」
「だから忘れてたっす。ほーら、頭領、どーどー」
「むぐぐ……、聖なる動物に好かれるのは悪いことではないですの……ってぺったん娘ってどういう意味ですの!?」
――せっかくこれほど美しい壁に出会えたというのに……。
とばかりに残念がるギンバイカを撫でて落ち着かせ、ライラさんは気を取り直すと、自嘲気味に謝罪しました。
「――みなさんには、ほんと悪いことしたっすね。大口叩いといて、危ない目に合わせて、自分は勝手に死にかけて――恥ずいったらないっす」
「その上、こんなところに閉じ込められて……いったい、どうしてくれるつもりですの!?」
『まぁまぁエルシィさんっ、ひとまずみなさんが御無事でよかったですっ』
腕組みして鼻を鳴らし、追い討ちをかけるエルシンシアさんを、おじどうさん越しにサンセットさんが宥めます。
りんごさんは率直な疑問をぶつけました。
「ライラはさ、鉄獣の眷属なの?」
「……それが、わかんないんすよ。気が付いたら、あたしはもうあたしで、狩人として活動してたっす。ここは文化制約がきついくせに知識はあるし、いつから記憶がないのも、曖昧としてて――鉄獣と人間の間に子供はできないらしーっすから、眷属ではないはずっす」
「ここの界民、じゃないの? ほら、姿も見せないってゆー」
「あー、連中っすか。実はあたしも見たことなくて。砂鉄のメッセージで、牛鬼を狩れって命令だけはしてくるんすけどね。ほかにすることもなければ行くところもなし、あたしには牛鬼を狩るだけのちからがあるから、鉄獣たちを守るためにも、しょーがなく言うこと聞いてるっすけどね。ま、見てのとーり、この泉で怪我は治るし、マスクなしでも生きていけるし、食事は
ライラさんはギンバイカのぴこぴこした耳を愛おしげに弄びます。
「なにより、言葉が通じなくとも、あたしは鉄獣たちを愛してるって思うし――、ギンとは、交尾だってするっすからね」
「……まじ?」
「な……ッ!?」
「んぅ……」
『それはそれは――』
それぞれ異なる種類の驚きを示す面々にお構いなく、ライラさんは目を細めて語り続けます。
「……今はあんなになっちゃったっすけど、あの牛鬼――クルーエルは、前の頭領で、あたしのパートナーだったっす。牛鬼は生まれたときから凶暴なんじゃなくて、徐々におかしくなっていった鉄獣のなれの果てなんすよ。本当はなりかけのときに処分するのが、あたしの務めなんすけど――、クリュちゃんだけは、どうしても、手が震えて……びびっちゃって、できなかったっす。そうこうしてるうちに、みぃねってゆー、
「はー……、なんてゆーか、エーテル? のくだりはさっぱりだったけど、そんなヘビーな話だったんだね……ってはすの、寝んな」
「ん……、寝てない」
「いや、寝てたからね、あんた」
「むつかしすぎて、気絶してただけ」
「この状況で、どれだけ図太い神経してるんですの、あなた……」
げんなりしてみせるエルシンシアさんでしたが、ライラさんはにやりとしました。
「むしろそれぐらい抜けてくれてた方が、こっちとしては安心できるっす。クリュちゃんが牛鬼になっちゃったうえに、このところあたしみたいに姿を消せるらしい密猟者がいるっぽくて、気が滅入っちゃって滅入っちゃって。ぶっちゃけはすのさんが犯人かと疑ってたっす。その嫌な感じの剣、持ってたっすから。だからクリュちゃんにけしかけて、潰し合いをさせてやろうかと思ってたんすよ」
『むむ……、含むところはありますが、なるほど理には適っていますね……』
「えっ、じゃあ最初にエルシィを攻撃したのも……?」
苦々しげにエルシンシアさんが認めました。
「……あれはわたくしが引き寄せただけですの」
「誓ってその通りっす。みなさんのことは、あくまでクリュちゃんにぶつけるために、利用しなくちゃだったっすから。あの時点では死なれたくなかったっす。ま、ほんとに密猟者だったなら、仮に死んだとしても惜しくはなったっすけどね」
「そこまであけすけに白状されると腹が立つですの……」
「結局、無様なところを見せちゃったっすけど。あの雷のせいで――」
「あぁ、あの落雷……、あれがあってから、ギンが外に出ようとしたんですのよ」
――嫌な予感がしたのですよ。
ギンバイカが慰めるように、ライラさんの指の間を舐めました。
「頭領にはかなわないっすね……。実はあたし……、電気がどーも苦手なんすよ。――前世で、感電して黒焦げになって死んだような気がして」
照れくさそうにぽりぽり頭を掻くと、ライラさんが真摯な眼差しで御同行を見つめました。
「あの落雷の影響かどうかはわかんないっすけど、クリュちゃん、いよいよ凶暴になっちゃったみたいっす。今度こそ、あたしひとりじゃ手に負えないほどに。てか、ひょっとしたら、四人で挑んでも厳しいかもしれないっす。だから、みなさんがこのまま下山したとしても恨まないし、そーした方がいいとも思ってるっす。それでも――、もう一回、あたしに手を貸してくれないっすか」
「どーする?」
答えは訊くまでもないだろーけど、という風にりんごさんは、はすのさんとエルシンシアさんにたずねました。
寝具で間に合わせの靴をつくり終えたはすのさんが、りんごさんに目配せしました。
「ん……、やる」
「珍しーね、あんたがやる気なの」
「負けっぱなしは、悔しいから」
例によって抑揚のない口調ですが、はすのさんがかつてないほど発奮し、闘志に燃えているのを、りんごさんは薄ら感じ取っていました。
ライラさんにもその意気が伝達されたのでしょうか、こくりと期待に満ちた様子で頷きます。
「とんでもなく助かるっす。はすのさんしか、白兵戦でクリュちゃんは抑え込めなさそうっすから」
「……ん。次は、負けない、けど――、思いっきり、痛めつけるかも。いい?」
「その太刀でクリュちゃんを斬られるのは正直、癪っすけど、やむなしっす」
「ん」
「エルシィは?」
ぷいと顔をそむけ、もごもごと言い訳するようにエルシンシアさんが言いました。
「……先ほどかばってもらった借りぐらいは、返してやるですの。それに……山を下りている最中に、牛鬼に後ろから襲われたくはないですのよ」
「おーし! そーと決まったら、まずは作戦会議だ!」
りんごさんは、高らかに開会を宣言しました。
洞窟の入り口――鉄塊の裏側。ギンバイカにまたがったエルシンシアさんの後方から、鞘にくくりつけたりんごさんのお守りを握って待ち構えるはすのさんと、回路を起動して闇のなかに消えゆくライラさんを、りんごさんは固唾を飲んで見守ります。
雷狐の異名を取り、地元でも並び立つものがいないほどの剣術の腕を持つはすのさん。こと荒事にかけて、りんごさんははすのさんに絶大な信頼を置いていますが、相手は道理も言葉も通じぬ怪物・牛鬼。
手加減していたとはいえ、一度後れを取っている以上、妹思いなりんごさんの緊張は本人のそれより勝っているでしょう。
なにせはすのさんはこれから、どんな生物よりも剽悍で狂猛な牛鬼と五分以上も死闘を演じなければならないのですから。
洞窟を塞いでいる鉄塊の前で、小さな火が、宙にぽっと灯されました。作戦開始――静かに鉄塊がふわりと浮きあがり、ぎらつく晴象限の白光が洞窟の闇を払うと同時、はすのさんが抜刀しつつ身をかがめて狭い隙間から飛燕のごとく踊り出ます。
直後、鋼が打ち合わされるけたたましい音が立てつづけに鳴り響き、次第に離れていきました。鉄塊が上がりきって停止する頃には、はすのさんと牛鬼の剣呑極まる乱舞は数十メートル先の出来事。抜かりなくことを運んでいるようです。
次いでエルシンシアさんの駆るギンバイカが飛び出し、光矢で牛鬼を牽制しはじめるのと同時、りんごさんは重い寝具の中身をじゃらつかせないよう天手で慎重に運び出しつつ、透明化したままのライラさんとともに洞窟の裏手にまわりました。陽光を背に浴び滝のごとく汗をかいて、険しい勾配をよじ登ります。
「づっ……」
足を腕を脇腹を引っ掻く銅葉に、りんごさんは顔をしかめます。
(パーカー、置いてきて、マジでよかった……)
三分も歩かぬうちに弊履と化したスニーカーを嘆き、ライラさんに引っ張り上げてもらいつつ、目的地に到着。
腹持ちが悪く鉄獣たちにはやや不人気な
(……すご)
此度のはすのさんの太刀捌きには一切の容赦がなく、はすのさんの修行風景や試合を見慣れていたりんごさんでさえ、別人かと思うほど。たった数瞬の間に数えきれないほどの斬撃を浴びた牛鬼は全身から青く赤い血を垂れ流させ、猛り狂ってはすのさんを追いまわしています。
時折危なっかしい場面もありましたが、そこはエルシンシアさんが光矢でうまく封殺しています。あまり言葉を交わしていないふたりでしたが、なんだかんだでよい連携を発揮しているようでした。
はすのさんが捲土重来を期す間、りんごさんはライラさんと手分けして、サンセットさんのアドバイス通りに鎖を周囲に張り巡らせていきます。初めての作業でしたが、手先の器用なふたりでしたので、よどみなく作業は進捗していきます。
「こっち完了っす」
「はやっ! さすが狩人」
「罠なんてしかけるの、初めてっすけどね」
「え、そーなの?」
「罠自体は知ってたっすけど、ここじゃ穴も掘れないし、ロープはもちろん鎖もすぐに切られちゃうっすから。標的以外の子が引っかかるかもだし、姿を消して矢で射るので充分なんすよ」
「なーる。狩る相手は最初から決まってるもんね。牛鬼のほかには――あたしたちみたいな密猟者?」
「やー、痛いとこついてくるっすね。……でも――、余計なお世話かもしれないっすけど、あの太刀には、本当に気を付けた方がいーかもっす。たぶん、よその鉄樹の森絡みっすから。ここの密猟者とは無関係かもっすけど、少なくともどこかで鉄獣を狩りまくってるはずっす」
「鉄樹の森って、ここ以外にもあるんだ?」
「聞きづてっすけどね。ほかのとこでは、もっと効率的に雷を発生させて収穫する、いわゆる雷畑になってるらしーっす。それで、地下の菩提樹の根を通して、フタナ島全体の帝網の電力をまかなってるんだとか」
「雷……そーいえば、はすのには雷神の血が流れてるんだったかな……」
「はすのさんのあの身のこなし、立ちまわり――あれほど鉄獣狩りに適した技術は、今までお目にかかったことがないっす。まだ発展途上っぽいっすけど。はすのさんのお父さんの出身は、たぶんよその鉄樹の森辺りのはずっす。きっとそこではあの太刀は恨みを買いまくってて、本当に容赦なく鉄獣に襲われるかもしれないっすから、事前に確認しといた方が――っと、時間っすね」
眼下では、牛鬼の相手がはすのさんからエルシンシアさんとギンバイカへ選手交代。じぐざぐ華麗なステップと、いざなうような
ライラさんは透明化、りんごさんは草陰に身をひそめ、その瞬間を張りつめた面持ちで待ち受けました。
一秒、二秒、三秒――気が遠くなりそうなほど長い数十秒ののち、銅の地肌に金の蹄が打ち付けられる音と、牛鬼の鐘を打ち鳴らすような咆哮が近づいてきました。
やにわに、じゃらりとりんごさんの手元の鎖が引っ張られ――。
(今度こそ――!)
りんごさんは天手を全力で発動。鎖を思いっきり手繰り寄せます。四方に張り巡らせ、草叢に伏在していた鎖がぴんと張られ、牛鬼をがんじがらめにしました。
一層ちからを増した牛鬼なら、すぐにでも振り払われそうなものでしたが、十二分に怪力を揮えず、苦患に呻いて巨躯がうずくまります。
それもそのはず、サンセットさんの提案で、鎖に塗り付けておいた高純度エーテルが、はすのさんたちとの交戦で負った切創から浸入していたのでした(顔に似合わずかなりえぐいことを考える子ですね……)。
はすのさんに時間稼ぎをさせ、エルシンシアさんを囮にしてまで、足が止まり視野も確保できず、牛鬼に有利な働きそうな立地をわざわざ選んだのは、このためだったんですね。
そして――身動きの取れなくなった牛鬼に、どすっと太い首筋に突き刺さる、三本の鉄矢――決定的な一撃。
(やった!?)
ついに牛鬼は脱力、その巨体を大地に沈めていき――、ライラさんが姿を現す、その直前。
全身から紅蓮の業火を噴きださせ、牛鬼は火だるまになりました。
「あっづ!?」
目睫で生じた凄まじい熱風と、燃え移った
「な……ッ!? ライラさんがやったんですの!?」
「違うっす……! まさか――、エーテルを自分ごと焼くつもりっすか!?」
戦慄するライラさんに、りんごさんが警告します。
「ライラ……! 牛鬼、すんごい引っ張ってる……!」
懸命に天手で押さえ込もうとしますが、どうやら時間の問題。むしろ鎖が溶ける方がはやいかもしれません。
ライラさんが素早く次々と矢を射かけるものの、牛鬼に刺さる前に高純度エーテルが蒸発してしまうのか、まるで効果がありません。
「く……! やむなしっすか……!」
意を決したようにライラさんは高純度エーテルの滴る山刀を抜き放ちました。
「クリュちゃん……、ここまで苦しめて、ほんとに、ほんとに……あたし……、つがい、失格だったっすね……!」
そして猛火の鎧まとう牛鬼の下に潜り込み、全身を焼き焦がされるのにもかまわず、その胸元に刃を突き立てました。
牛鬼の抗うちからは明らかに激減しましたが、あいにくと火勢なお強く、追加のエーテルもみるみるうちに揮発し、これでは元の木阿弥です。
牛鬼はがぱっとあぎとを開き、喉奥の炉心を熾しました。りんごさんには見覚えがありました。あの鎖すら焼き切る熱線の予備動作です。
「ライラ! 避けて!」
牛鬼を縛り付けている鎖で手いっぱいのりんごさんには、注意を促すことしかできません。恐るべき熱線が、ライラさんの額目がけて放たれる寸前。
鋼の歯列が並ぶ口内に突き刺さるように、光矢が飛び込みます。同時に足元に火花を咲かせつつ、エルシンシアさんを乗せたギンバイカが突撃。たじろぐ牛鬼に頭突きをお見舞いします。
牛鬼とギンバイカの角同士ががっちり組み合い、黄金の鹿角も爆ぜるように発火。金枝に赫赫とほむらの華が咲き誇りました。
黒鋼と黄金、炎と炎のせめぎ合い、押し合い圧し合い、厖大な熱量と圧力に、鎖は灼爛、鉄の大地もぬかるみ、大気が火花が悲鳴を上げて、倍旧に激甚に苛辣に太陽よろしく二頭の獣が燃え競います。
しかしその体格差は火を見るよりも明らか。次第に押されつつあるギンバイカを後押しするように、アシャの顕加においても肌を燬かん灼熱に包まれながら、エルシンシアさんが牛鬼の眉間に光矢を連射。牛鬼がたまらず仰け反ります。
「ライラさん! 今のうちに、さっさととどめを刺すですの……!」
毒刀を手放し、矢筒からじゃこんと飛び出した赤熱する二本の山刀を抜くライラさん。ごりっと牛鬼の双角の根元に、橙色の刃を食いこませ、回路が発光、腕がふたまわりも膨れ上がり――。
「――クリュちゃん……、ごめん――!」
人並み外れた膂力を発揮。すぱっと滑らかに、鋼の角を切り落としたのでした。
臓腑に響く、断末魔の声をあげる牛鬼。頭を左手で押さえ、よろめき、右腕をめちゃくちゃにふりまわしています。
「ライラ! 危ない!」
その暴れ狂う爪の軌道上には、ちから尽き、地面に膝をついたライラさんの頭部があり――その首が跳ね飛ばされる一瞬前に、ギンバイカが割り込みました。
耳をつんざく高音とともに、宙を舞うは、黄金角――左の。
「ギン……! このッ、なんて往生際の悪いひとですの……ッ!」
崩れ落ちるギンバイカの背中から射ち放たれしエルシンシアさんの赫怒の一射が、牛鬼の胸部を鋭く打ちつけました。牛鬼はその勢いでよろよろ後退していき、そして崖から足を踏み外しました。
そのまま脱力して転落――淵に突っ込み、ずぶずぶと引きずり込まれるようにして、黒き怪物は泉の底に沈んでいきました。
こうしてようやく――、長かった牛鬼との戦いに、幕が下ろされたのでした。