気がつくと、狗竜はうつ伏せで見覚えのない地面に寝そべっていた。身体のあちこちが鈍く痛い。
肘をつき、なんとか上体を起こす。端の方が白み始めた空を渡り鳥が飛んでいるのが見えた。
ふと横へと視線を巡らせると、巨大な竜が寝息を立てていた。
狗竜はその瞬間に全てを思い出し、さあっと顔や末端から血の気が引いていくのを感じた。
一刻も早くここから逃げなければ。
恐暴竜は己の食欲のままに闊歩する生き物だ。ここに居続ければ、この恐ろしく、憎い竜の胃袋に収まることになるのは時間の問題だろう。
極度の恐怖と緊張のせいか、腹に刺すような痛みが走り、狗竜は呻いた。
そういえば、昨夜は散々精液を体内に出され、疲れ果ててそのまま意識を手放してしまったのだった。
この雄竜の一部が、己の体内に在るということが酷く気持ち悪い。
一刻も早く出さなければと立とうとするも、右の脛に激痛が走り、狗竜は悶絶した。
顔をしかめてそちらを見やると、脚は果実のように腫れ上がっていた。
毒虫に刺されたのとは明らかに違うその様子に、狗竜は小さく舌打ちをした。
いとも容易く行われた破壊。
てっきり、自分が苦しみ喘ぐのを見て楽しむために折ったのだとばかり思っていたが、もしかしたら、こちらが本当の目的だったのかもしれない。
「火竜の番が二組、それから雷狼竜も最近この辺りに縄張りを構えたようだ」
唐突に背後から聞こえてきた声に、狗竜は肩を跳ねさせた。いつのまにか起きていた恐暴竜は、表情の読めない目でこちらを見下ろしていた。
「何を……」
狗竜はじりじりと後退し、僅かでも恐暴竜から距離を置こうと図った。
その様子を、竜は鼻で笑った。
「命が惜しいならば、精々賢明な判断をすることだな」
そう言い残すと、恐暴竜は岩棚から降りて何処かへと去っていった。
恐暴竜が立ち去った後、狗竜はぎり、と下唇を噛み締めた。こめかみの辺りが下から熱くなっていく。
(どこまでオレを侮辱すれば気が済むんだ。ふざけやがって……!)
狗竜は地面に拳を叩きつけた。
風化して脆くなった白骨が、乾いた音を立てて崩れた。
発言からして、どうやらあの竜はしばらくの間は自分を食うつもりはないらしい。
それも情けをかけられているようで腹が立った。
興奮のあまり、目の表面が潤む。
狗竜は荒く呼吸をしながら、怒りの雫であったそれが、次第に絶望からくるものへと変わっていくのを、頭の何処か冷静な部分で感じていた。
自分たちの種の雄は、群れの長になるために死ぬ気で生き抜くが、晴れて頭領の座を手にしたとしても、なんらかの形で一度でも群れから外されれば、残る道は二つしかない。
独りでその後の一生を全うするか、みっともなく他の群れの頭領の座を奪うか。
後者は何があろうと決して選ぶつもりはないけれど、前者の場合、殆どがそう長くは生きられない。
権利を勝ち取るために争った結果、ひどく疲弊してしまうのだ。
そして、それを腹を空かせた捕食者たちが見逃すはずはない。
狗竜は息を深く吸い込んだ。
しかし喉が震えてしまい、うまく肺に酸素を取り込めない。
どうせもう自分に望みはないなら、早く食ってくれれば良いものを。
ふと浮かび上がってきた、生き物らしくないその願いに、狗竜は滲む視界の中で、苦く笑った。頬はきっと引き攣っていただろう。
こんな惨めな思いをしてまで、生き長らえるのは御免だ。
頭ではそう思うのに、いざ身に危険が迫るとそれを回避しようとする本能に嫌気がさした。
結局、狗竜は巣を出ることはせず、隅の方で用を済ませた。
本当は、あちこちにこびりついた精液を川で洗い流したかったが、身体が言うことを聞いてくれそうにない状態で、よく知らない場所を歩き回るのは気が引けた。
四つん這いで元の場所に戻ると、狗竜はそれだけで疲れてしまい、地面に身体を横たえた。
どうやら熱が出ているらしい。そのせいか、酷く身体が怠かった。
どうしようもない憤りと悲しみに苛まれる中、狗竜はそれら全てを遮断するように静かに目を閉じた。
頬を濡らすその冷たさが、これが現実であるということを無慈悲に突き付けていた。
***
「食え」
その言葉とともに投げられたのは、新鮮な肉塊だった。
大きさと肉質からして、おそらく狗竜も普段よく食べている草食竜のものだろう。
美味そうではあったし、夕方になって腹も空いていたが、憎い相手の施しなど口にする気にもなれず、狗竜はふいと顔を背けた。
恐暴竜は地面に噛み付いて古い歯を削ぎ落としていたが、狗竜のつれない態度に、腹立たしげに顔を上げた。
「聞こえなかったのか? 食え」
「要らねえ。テメェが食えばいいだろ」
その答えに、恐暴竜はグルルと唸った。
「わざわざ取ってきてやったのだ。貴様が食わぬ道理は無い」
狗竜はハッ、と乾いた笑いを漏らし、大きなお世話だ、とそっぽを向いた。
「食いもんの為に食いもんを用意するなんざ、随分酔狂じゃねえか。生憎オレはテメェの雌になるつもりはないからな」
狗竜がぶっきらぼうに言い放つ。
今度こそ食われるかもしれない、と身を縮こませていると、やがて恐暴竜はその肉を一飲みにした。
狗竜は口内に滲んでいた唾液を飲み込み、目を逸らした。
「なら、準備は終いだな」
そう言うやいなや、恐暴竜は狗竜の尻尾を噛んで無理やり引き摺り寄せ、いつの間にか昂って血管の浮き上がっていた男根を、散々使った孔に当てがった。
「う、がァっ……!」
何の準備もなく、硬く熱い鋒で体内を穿たれる。やっと痛みが引いてきていたというのに、これでは逆戻りだった。
「ッ、うぅッ……!……ぃッ……」
まだ大して濡れてもいない肉棒で、交合の為の器官でない場所を貫かれれば、摩擦による痛みも生じる。
故に、狗竜はまともな悲鳴すら上げられず、ひたすらに息を詰まらせるばかりだった。
フ、フッ、と荒い息を吐きながら、恐暴竜は足を踏み替えて己の欲を最後まで挿入し、やがて最奥まで達すると、ゆっくりと腰を引いた。
その動きが何を意味するか、昨日の交尾で知ってしまった狗竜は、怯えた声を上げる。
「ぅあッ……やめろ、嫌だ、やめてくれ……ッ!」
そんな懇願など聞きもせず、恐暴竜は一気に腰をぶつけた。
ばちん、という音と共に、狗竜がびくりと背をのけぞらせた。
「がっ、ああッ!……っく、……うぅっ」
生理的に滲んだ涙で視界が滲む。
慣れることのない痛みに、がりがりと前脚の鉤爪が地面に食い込み、硬い土を抉った。
そんな狗竜に構わず、恐暴竜は己の快感だけを追って腰を前後に振り続ける。
狗竜の肛門は真っ赤に腫れ上がっており、恐暴竜の先走りが男根の行き来によって泡立ったものがたらたらと縁から溢れていた。
そんな自身の身体のことなど知らず、痛い、嫌だ、とうわごとのように口にする狗竜は、力なく揺さぶられるばかりだった。
それまでの体調の悪さも相まって、狗竜は程なくして意識を失ったが、恐暴竜は気にも留めずに挿入を繰り返す。
時折びくりと身体を震わせるものの、その晩狗竜が正気を取り戻すことはなかった。
性欲をぶつけるだけの、愛情の欠片もない行為は、その後も幾度となく繰り返された。
***
日常を壊されてから、数日が経った。
隣でのそり、と誰かが起きる気配がして、狗竜は眠りから目覚めた。
微かに痛む頭を巡らすと、まだ日も昇りきっていないというのに、食料を求めて出かけようとする恐暴竜の姿があった。
狗竜はその様子をぼんやりと眺めていたが、寝返りを打った際、臀部の違和感に顔をしかめた。
早く清めなければ、また腹を下すだろう。受け入れる為の作りでないこの身体は、自分以外の存在を異物と見做す。後処理を疎かにして、腹痛に苦しんだことはまだ記憶に新しい。
狗竜は小さく溜め息を吐いた。怪我をした脚を庇いながら近くの小川まで行くのは、なかなかに骨が折れるのだ。
恐暴竜はこちらを一瞥もせずに、その体格にしては狭い穴から出ていった。
この竜が塒にしているのは、自分たち狗竜が代々住処として使っていた谷をずっと上った先にある、崖から張り出した岩棚だ。
高所にありながら、どの飛竜の縄張りにも属していないらしい此処は比較的静かで、ゆったりとした時間の流れる島の片側の景色を一望することができた。
とはいえ、その長閑な雰囲気も、恐暴竜の塒であるということで台無しになっているのだが。
眠る時以外の殆どを腹拵えに費やす竜は、日中はまず巣に帰ってこない。
だが以前一度だけ、狩人に鉢合わせたらしく、夜更けまで戻らなかったことがあった。
心底憎い相手のはずなのに、遂に見捨てられたのではないかと気が気でなかった自分に驚いたものだ。
それ以来、狗竜は竜が帰るまで眠れなくなった。
いつまでもこうしていては埒があかないと、狗竜は怠い身体に鞭を打って腰を上げた。
今しがた竜が出て行った場所へと、前脚を使いながら四つん這いで移動する。腹が擦れて痛いが、他に手段はない。
穴の外に出ると、さほど高くない──しかし今の自分が降りるには、やや苦戦する段差がある。
身体の向きを変えて鉤爪を地面に引っ掛け、上半身に力を入れて安定させると、そろそろと後ろ脚を下ろし、なるべく負担がかからないように前脚を離して着地する。
五体満足ならこんな段差なんか屁でもないのに、と独り言ちながら、その行程を何度か繰り返した。
しばらく行くと、川のせせらぎが聞こえてくる。
狗竜は前脚をついて立ち上がると、壁を伝って、片足で跳ねるようにしてその音の方へと進んだ。
小川に着くと、腰を屈めて冷たい清水に鼻先を浸し、ゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。
乾いていた喉が潤うと、生き返るような心地がした。
一息つくと、狗竜はいそいそと小さな滝の下へと行き、細い水流を浴びた。
そして周りに何も居ないことを確認すると、狗竜は尾を上げて孔に流水が入るようにし、脇へと逸れて排出した。
冷たい水が敏感な場所に入ってくるのはやや辛いが、普通に力むだけでは体内に違和感の残る恐暴竜の子種を出し切るには、これ以外に方法が無いのだから仕方がない。
ある程度動けるようになってから続けている一連の流れは、もう染み付いてしまい、今更何かを思うわけでもなかった。
初めの頃はあんなに嫌だった行為も、慣れてくると次第にその感覚が麻痺していき、今では日常行動に組み込まれてしまっている有様だった。
そのことに対し虚無感はあれど、もう絶望を抱くまでの気力はなくなってしまった。
粗方排泄し終えると、再び川の水で洗い流した。
本当ならば全身で水浴びをしてしまいたいが、小柄なうちはまだしも、今の狗竜の体格でそれをできるほどの水量はここにはない。
もう少し下に降りれば大きな滝はいくつかあるのだが、生憎そこは自分の元いた群れの縄張り内であり、仲間に会ってしまうかもしれないことを考えると、足は遠のいた。
残してきた群れは心配だし、できることならば今すぐにでもあの巣から逃げて家族の元へ帰りたい。
しかし、何度も考えたことだが、こんな怪我をしているようでは群れを守るどころか、己の身を守れるかどうかすらも怪しい。
それに、仲間もまさか恐暴竜に襲われた者が生き延びているとは思わないだろう。
もう彼処は、自分の帰るべき場所ではないのだ。
そこまで考えて、狗竜はハッと顔を上げた。
(……そうだ、オレがいなければ、隣の群れに縄張りを奪われてしまう……!)
今まで隣の群れが幾度となく手を出してきても、大した被害もなくいられたのは、頭領という肩書のある雄が、自分たちの群れに存在したからだ。
頭領がいなくなったとなれば、そんな好機を見逃すはずがなかった。
自分が頭領になってそう時間は経っていないのだから、成熟した弟達が群れに戻ってくる時期にはまだ遠い。
狗竜は目を泳がせた。
今からでも遅くはないだろうか。しかし、無駄足になるばかりか、事態が悪化することも有り得る。
(どうする……オレは、どうすれば良い……?)
結局いくら考えても答えは出ず、重い苦悩を抱えながら、その日は恐暴竜の塒へと引き返した。
***
「ふ、ふっ……ぐうぅ……!」
「う、ぅンンッ……あぅ……!」
連日この交尾紛いの行為を繰り返しているというのに、未だ恐暴竜の性欲は収まる気配を見せない。
今日もたっぷりと種付けをされ、それでもまだ足りぬとばかりに、凶悪な逸物は硬度を保っている。
初めは、痛みと恐怖と嘔吐感にひたすら耐えるのみだった狗竜だが、恐暴竜がいつまで経っても己を食おうとしないことに気付いた。
だが、その副産物として生まれてしまったものがある。
狗竜は、その行為の中に快感を見出していることを、次第に否定できなくなっていた。
挿入を幾度となく繰り返されるうちに、狗竜にも情欲が燃え移り、気づけば恐暴竜のモノと比べると色も淡く小ぶりなソレが、隙間からぴょこりと覗いていた。
それを恐暴竜に見せてなるものかと、なんとか堪えるものの、地面と擦れるうちに、血流がドクドクと下半身に集まってしまう。
(まずい、このままじゃ隠せな、……!)
「ンあっ……!」
一際強く弱いところをごりゅ、と突かれ、狗竜は舌を突き出して喘いだ。
こんな行為に快感など感じたくないのに、身体がどんどん作り替えられてしまう。
そのことを認めたくなくて、怖くて、狗竜はかぶりを振った。
「くく、何だ今の声は。……よもや、貴様その気があったのか?」
面白そうに口角を上げる恐暴竜に、狗竜は顔がカッと熱くなるのを感じた。
「う、うるせッ……そんな、こと、な……ああっ、ンッ……!」
認めない。絶対に、認めてなるものか。
そう思うのに、己の男根はどんどん熱を増してしまう。
「な、んでっ……いつも、へ、き……なのにッ……あ……!」
思っていたことが口に出てしまっていたらしい。
恐暴竜がふいに腰を止めた。
何事かと狗竜が顔を上げると、肩を大きな足で掴まれ、そのままぐい、と仰向けに転がされてしまった。
「!」
そして露わになるのは、そそり立つ薄桃色のソレ。
先走りをたらたらと溢れさせ、今にも子種を吐き出さんとしている。
「や、ちが、違う! 見るなぁ……!」
「ほう、何が違うと言うのだ」
狗竜は恥じ入って股を閉じようとするが、押さえつけられているため叶わない。
そんな狗竜を、恐暴竜はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて見下ろす。
とうとう見られてしまった。超えてはいけない一線を、また超えてしまった。
無理矢理身体を使われるだけなら、自分が純粋な被害者だと思い込むことができる。
しかし、そこに快楽を見出してしまえば、自らそれを望んでいると言っているようなものだと思っていた狗竜にとって、耐え難い屈辱だった。
自分が情けない。この上なく惨めだった。
恐暴竜の足の下で暴れても、接合部がぬちゃりと音を立て、昂った雄がはしたなく揺れるばかり。
狗竜は前脚で目を覆った。
「そろそろ貴様にも、良い思いをさせてやろうと思っていたが、こうして涎を垂らしているなら、触れてやらぬ訳にもいくまい」
そう言うと、恐暴竜はそれまで挿入していた孔から亀頭を滑らせ、狗竜の逸物の収まっていた孔へとあてがい、一息に挿入した。
恐暴竜の雄と狗竜の雄が擦れ合い、独特の快感が生まれる。
「アッ……やめ、やめ……ッ!」
これまで無理矢理与えられていたものと違う、雄としての快びに、狗竜は喉をくっと逸らせた。
思わず伸ばした前脚の鉤爪が、恐暴竜の厚い胸を引っ掻く。
ず、ず、と抜き差しされる度に、地面に擦れる背が痛かったが、それすらも快感に塗り替えられてしまう。
好きでもない雄にこんなことをされて、気持ち悪いと思うのに、いつしか慣れ始めてしまっている自分が嫌だった。
「ン、ふ、うッ……」
目を固く閉じて快感の波に耐える狗竜は、不意におい、と声をかけられて目蓋を開いた。
次の瞬間、眼前に影が落ち、狗竜は肩を跳ねさせた。
「ンンッ……!?」
ぬるりと突起のある何かが入ってきた、と思った次の瞬間、痺れるような痛みとともに、ジュウウと有り得ない音が口から聞こえて、狗竜は目を見開いて身を捩った。
恐暴竜の唾液は、強い酸の性質を持つ。
それは獲物の甲殻を溶かし、その匂いを辿って追い詰め、食らうためのものである。
そんなものが弱い粘膜に触れれば、どうなるかは明白だった。
口同士で触れているところ全てが痛い。
自分の身体がどうなってしまうのか、恐ろしくて仕方がない。
そして何より、接吻をされたということに頭がついていかなかった。
涙がぼろぼろと溢れ、息継ぎもうまくできずに狗竜は悲鳴にならない悲鳴を上げた。
上顎をなぞられ、唾液を流し込まれ、ゴツゴツとした巨大な口で柔く食まれる。
恐暴竜は好きなだけ貪ると、やがて尚も糸を引く口を離した。
放心状態になった狗竜は、ぜえぜえと肩で息をしていたが、ふと下を見てぐしゃりと顔を歪ませた。
「う、うそ、こんなの、ありえない……!」
狗竜の陰茎は、腹に大量の精を吐き出して、くたりと寝そべっていた。
接吻されて絶頂を迎えたという事実を信じられなくて、信じたくなくて、とうとう張り詰めた精神が限界を迎えた。
未だに痛む口内にも構わず、狗竜は舌ったらずな口調で泣きべそをかいた。
「うう、こんな、こんな……ひどいッ……と、さん……かあ、ッア、さん……ご……めッン、なさ、うぅ……」
幼子のように泣きじゃくる狗竜に、恐暴竜はわざと顔を近づけて嗤った。
「そんなに嬉しかったか。ならば、もう一度くれてやっても良いぞ」
恐暴竜の揶揄いに、狗竜は鼻をすすり、いやいやと首を振る。そしてそのまま蹲ってしまった。
その時恐暴竜は、狗竜の様子がおかしいことに気がついた。
あまりに嘆くので、恐暴竜が仕方なく前脚で涙を拭ってやる。すると、狗竜は弱音を溢した。
「も、やだ……かえりたい……ッ」
「帰って何になる? 今の生活は、食事に困ることもなかろう」
最初のうちは頑として受け付けなかった肉も、とうとう狗竜は空腹に耐えかねて口にするようになったのだった。
呆れて溜息を吐く恐暴竜に、狗竜はしゃくり上げながら言った。
「お、オレが、っう、いなきゃ……ッ、家族が……っ、まもら、なきゃ……いけな、のにッ」
「……そんなに、家族とやらが大事か」
狗竜はこくこくと頷く。
恐暴竜は、実はまだ達していなかったが、すっかり萎えてしまった陰茎を抜いた。
これまでならば、泣き喚こうが失神しようが知ったことではなかった。
しかし、何日間か寝食を共にしたことで、あろうことかこの小さな鳥竜に、情が湧いてしまったのである。
「なん、で」
嗚咽を堪えながら、狗竜が恐暴竜を見た。
「なんで、オレ、なんだよ。他、にも、いるだろ……ッ」
恐暴竜は、狗竜の充血しながらも金色の光をたたえる瞳を見つめた後、大きな溜息を吐いた。
それから暫く黙り込んだ後、重い口を開いた。
「……あの日、俺は満腹だった。腹が満たされると、別の欲が出る」
お前を見たのはそんな時だったと、恐暴竜は視線を逸らした。
「俺は、家族を知らぬ。兄弟すら、最初の獲物だった。──だからお前が、お前の家族と幸福そうにしているのを見て……たまらなくなった」
狗竜はそんな理由で、と詰め寄りたくなったが、恐暴竜の横顔に浮かぶ深い憂いに、何も言えなくなってしまった。
この自分よりも遥かに大きな竜に、ぽっかりと空いた虚を見出してしまったのだ。
家族や仲間を、何よりも大切にする種族に生まれた自分には、元よりそれらが存在しない、ということを想像するのは難しい。
けれど、きっと酷く寂しいのだろう、と見当をつけた。
「欲を満たさねば、俺は生きてはいけない。お前から幸福を奪って、ぶつけさえすれば、この欲も満たされると思った」
恐暴竜はそれ以上言わなかったが、その欲というものが、叶わなかったことが察せられた。
狗竜は目を閉じた。眼球を覆っていた過度な水分が、目尻を伝った。
──無茶苦茶だ。とんでもなく無茶苦茶な理由だ。自分の竜生は、この雄竜の孤独によって壊されたのか。
そう思っても、不思議ともう激しい怒りは湧いてこなかった。
その代わり、腹の底まで広がるような、苦い哀しみだけが満ちていた。
「……それなら」
狗竜が呟くと、恐暴竜が目線だけをこちらに寄越す。
もう横隔膜の痙攣は収まっていた。
「オレを生かして、どうするつもりなんだ。オレはあんたの望みを叶える存在じゃなかったんだろ。……何故食わない?」
あんた達は何でも食っちまうんじゃなかったのか、と重ねて問う。
再び、沈黙が降りた。
静かな夜風が木々を揺らす音が聞こえる。
沈黙を破ったのは、恐暴竜の深い溜息だった。
「……わからぬ。何故お前を生かしているかも、何がしたいのかも」
狗竜は目を丸くした。事情があった訳ではなかったのか、と肩透かしを喰らった気分だった。
「はは……ホント、酷ぇ雄だよあんた。」
すっかり泣き腫らした目で恨み言を呟く。
「もう、オレは二度と戻れない。でも、オレが……頭領がいなけりゃ、家族は肩身の狭い思いをしなきゃいけなくなっちまう」
群れ長としての責任と、自らの弱いところを卵の殻のように覆う自尊心が、狗竜を苦しめていた。
「オレの居場所はあっても、家族に居場所が無くなっちまうのは辛い。恩を仇で返すようなもんだ」
もう何もかも捨てられたら、これほど楽なものはないのに。
荒みきった心の、本音だった。
「……そういうものか、家族とやらは」
「ああ、そういうものさ」
ここに居るのは奪った者と奪われた者。しかし、どちらにも埋まることのない虚があった。
巣の隙間から風が入り、それまで慣れてしまって忘れていた性のにおいが鼻をつく。
生まれるもののないこの行為に、一体何の意味があるのだろうか。
何ひとつわからないまま、二頭はその晩、初めて寄り添って眠った。
狗竜、つまりドスジャギィですが、一番最初に出会った大型モンスターなので愛着があります。
群れを率いるリーダー、良いですよね。