劇場版魔法少女リリィ5!! ~推しの物書きVtuberは百合小説の夢を見るか~ 作:百合道いおりん
町はずれにある倉庫。
利用していた運送会社が潰れ、今では誰も足を踏み入れることがなくなり、存在を忘れられた様な場所。
色褪せた立ち入り禁止の看板が半ばから折れ、千切れた警告色のテープが垂れ下がった様子からもう誰もこの場を訪れていないことが分かる。
その前の五人の少女が立っていた。
立花クロエ。
立花シロエ。
鎌坂黄美。
小久保桃姫。
羽佐間蒼。
五人は倉庫の内部から強い魔力の奔流を感じ、相手の強大さを実感しながらも一切の怯えはなく、力強い眼で倉庫を見ている。
その中でも一際鋭い眼を向けているのはクロエだった。
バディムを追って三階から落下し、奇跡的に大きな怪我こそなかったもののそこら中に切り傷があり、服に隠れているがいたるところに青あざができている。
しかしそれ以上に痛みを感じている心がクロエの感情を昂らせる。
その目は猛禽類を思わせるように鋭く、獰猛な光を秘めていた。
クロエの中にあるのは、怒りであった。
ただひたすらの怒り。
火山のように噴き上がるような怒りではない。
じわじわと、湿度さえ感じさせるような粘り気のある昏い炎に焦がされていくような怒り。
もしもこれが燃え盛る炎のような怒りであったらよかったのに。
クロエは思う。
それならば怒りのままに暴れられる。
全てを忘れて一匹の狂犬の様に。
唾液と血と小便とクソを身体からまき散らし、人でなくなりたい。
「…クロちゃん、大丈夫?」
シロエが声を掛けてくる。
その愛しいはずの声すらも、いや、愛しい声だからこそクロエの怒りをかきたてた。
大丈夫な訳ないだろう。
クロエは思う。
誰のせいでこんな思いをしているんだ
クロエは思う。
誰のせいでこんなに苦しいと思ってるんだ。
クロエは思う。
言葉を紡いだ唇が憎い。
クロエは思う。
艶やかで潤みに満ちた唇。
クロエは想う。
幾度となく自分に触れた唇。
クロエは想う。
私の物だ。
クロエは想う。
私のモノだ。
クロエは想う。
誰かが触れるのなら──
クロエは想う。
切り取って、私だけのモノに──
「大丈夫だよシロエ、早く母さんを助けよう。」
出た言葉はそれだった。
はたして自分はこの言葉をどんな表情で言っているのか、クロエには分からなかった。
昏い怒りの火がまた、クロエの胸にまとわりつく。
シロエは不安そうな表情を浮かべながらも頷き、引き下がる。
「ほな行くで皆、覚悟はええな?」
黄美が皆に声をかけながら倉庫の扉の前に立ち、扉にそっと指先を触れさせる。
「はい、行きましょう。」
「ここまで来て覚悟してない訳ないって。」
蒼と桃姫が頷き、クロエとシロエも大丈夫だと視線を送る。
黄美は皆の反応を見て、指先で触れた扉に視線を戻す。
スッ、と黄美の身体が僅かに沈んだ。
まっすぐと、急に黄美の足元にあったはずの地面がなくなってしまったかのように沈む。
「噴!!!」
沈んだ黄美の身体が止まった。
止まった瞬間、気の籠った声とともに倉庫の扉がひしゃげて蝶番が弾け跳び、固定具がなくなった扉はゆっくりと倒れていった。
中国武術において寸勁、暗勁などと呼ばれる半ば密着した状態から放たれる一撃である。
腕の力を使うことを極力排除し、あくまで力の伝達経路にしながら他の部位から生じる力を伝える。
黄美は扉を撃ち抜いた際に身体が沈む力を利用した。
身体を沈めるために足を開くと自然と上半身が開き、胸が開くことで肩甲骨が動くと拳が突き出される。
突き出された拳が扉までの距離、指半分ほどの距離を埋めて扉の表面に触れたとたんに黄美は沈む身体を止める。
身体が開く力、落下した身体が止まる反動、その際に地面を蹴る力。
他にも数多ある細かな動き、その全てから生じる力のベクトルを一本の線にして身体を通し拳に伝える。
すると小さな動きからは信じられない威力を生み出すのだ。
中国武術──その中でも八極拳と呼ばれる流派を基に組み立てられた格闘術。
それが黄美の戦闘スタイルであった。
破壊した扉を踏み越え、五人が倉庫の中に突入する。
五人がまず見たもの大量の抜け殻のようになった屍の山と、その上に吊るされた女性。
「「母さん!!」」
女性を見たとたん、シロエとクロエが叫んだ。
二人は床に横たわる屍の山など意に介さず、血にまみれ傷だらけの母親に駆け寄り助け出した。
呼吸と心臓の音を確かめると、弱くはなっているものの呼吸自体はしっかりとしており、心臓も鼓動を続けている。
しかし出血が酷い。
このまま時間が経てば命を失ってしまうことは想像に難くなかった。
クロエとシロエの表情が強張る。
その時、パチン、と指を弾く音が響いた。
同時にクロエとシロエは足元が動き出す奇妙な感触を感じ、その場から母を抱えて飛び退く。
屍たちが動き出した。
もう動かぬはずの屍たちが、魔力によって仮初の生を与えられ、異形と化し、蘇る。
「へへっ、久々やなこいつらの相手するんも。」
「そうですね、しかしクロエとシロエの母上が心配です…とっとと片付けますよ。」
「そうだね、本気でいくよ、みんな。」
桃姫の言葉に黄美と蒼も頷く。
クロエは助け出した母を倉庫の隅に寝かせ、全裸にされた身体に父の遺品である革ジャンを被せる。
「…父さん、母さんを頼むよ。」
「母さん、私とクロちゃんがすぐ終わらせるから…もう少し頑張って。」
シロエが母の手を両手で握り、祈る様に額で触れる。
暖かい魔力が、シロエの身体から母に伝わった。
人の身である母に過剰な魔力は与えられないが、微かな魔力程度であれば気休め程度だが力になるはずだ。
互いに母の加護を祈り、二人は立つ。
「…いくよ、クロちゃん。」
「……ああ。」
シロエの声が響く度、クロエの心の昏い炎はさらに昏さを増す。
クロエはその炎に身を委ねるように心を昂らせた。
もう、戦いに対する恐怖は、昏い炎によって消え失せようとしていた。
恐怖を無理やり、怒りで覆いつくす。
怒り。
怒り。
それ以外考えるな。
クロエは瞳を閉じる。
怒れ。
怒れ。
イカれ。
イカれ。
イカれてしまえ。
イカれてしまえ。
心の炎が燃えるがままに。
「くふっ…ふふふ…。」
全てが消える。
私は炎になる。
昏い炎に。
心の形のままに。
炎は何も考えない。
嗚呼、簡単じゃないか。
こんなにも簡単だったのか。
クソったれが。
クロエが走る。
屍に向かって走る。
何もかもが気に入らない。
目の前の異形も、シロエの気持ちも、自分の弱さも、今この状況も。
良かった。
それで良かった。
お陰で全部忘れられるんだから。
「変身!!!!!!」
クロエが叫ぶ。
あの時言えなかった言葉を叫び、拳を振り上げ、目の前にいた屍を渾身の力を籠めてぶん殴った。
肉が潰れる感触が伝わる。
気にくわない。
骨が砕ける感触が伝わる。
気にくわない。
顔に肉片が飛ぶ。
気にくわない。
血で拳が濡れる。
気にくわない。
気にくわない。
気にくわねえ。
気にくわねえ!
──ね!
─死ね!!
死ね!!!
死ね!!!!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!
死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
クロエの身体が昏い炎に包まれる。
その身に纏う衣服が変化する。
革ジャンを脱いでシャツと制服のスカートを身に着けていただけの姿から。
まるで自信を覆い隠すような漆黒の衣装に。
黒いロングコートを身に纏い、襟、袖口、裾にはカラスの羽の様な黒いファーが炎の様に生えている。
黒いショートパンツにタイツを履き、靴は爪先が尖ったショートブーツ。
一匹の屍が魔力を飛散させて倒れ伏した。
クロエは横にいた別の屍にまた右の拳を叩き込む。
どこに当てるかなどと考えなかった。
どこに当たってもいいと腕を振った。
姑息にも屍は頭を覆う様に腕を上げ、防御をしようとしたがおかまいなしにクロエは腕を振る。
右の拳を腕越しに受けた屍が身体をぐらつかせた。
返す左の拳を受けて屍の防御が崩された。
さらにもう一発放たれた右の拳が、屍のこめかみを打ち抜く。
ぐちゅ、と音が鳴った。
頸椎が衝撃に耐えきれずに外れ、首の骨が外れてしまう音。
折れた首が綺麗な九十度に曲がって力なく揺れ、屍は倒れる。
クロエの右肩に熱さが奔る。
胸を焦がす昏い炎の熱とは違う、冷えを感じさせるような鋭い熱さ。
背筋に虫が這うような悪寒を感じ、クロエは右手を振り回した。
右手の甲に何かが当たる感触が伝わる。
同時に右肩の熱が鋭い者からじんわりとしたものに変わった。
なんだ?
なんだなんだ?
なんだなんだなんだ?
分からない。
分からないのに勝手に身体が動いて気が付いたら屍が寝ている。
分からない。
まぁいいか。
私は炎だ。
炎は考えない。
ただただ広がればいい。
広がって広がって広がって。
全てを焼き尽くした果てに消える。
それがよかった。
それでよかった。
「クロちゃん!クロちゃん!!」
シロエは狂ったように暴れるクロエに懸命に声を掛けるが、その声は一切届かない。
骸に噛みつかれ、血を流そうともクロエは一切意に介さずひたすらに拳を振るって暴れまわる。
シロエが見たことのないクロエの姿だった。
衣装も、かつてクロエが魔法少女として戦っていた時の姿とは違う姿であった。
困惑しながらもシロエは駆け出す。
とにかく今は母を──そしてクロエを助けなければならない。
クロエに背後から襲い掛かろうとする屍の一匹、背後からその首に向かって回し蹴りを叩き込む。
鞭のように脚がしなり、足の甲ではなく脛で首を刈るように放たれた蹴りは一撃で屍の首を蹴り砕いた。
シロエが現れたことにより、クロエに向かっていた屍の一部がシロエに向かって襲い掛かってくる。
左右からほぼ同時に二体の屍。
シロエはまず右ミドルキックを左から来た屍の打ち込み、動きを止めつつ反動を利用し右の屍にサイドキックを放った。
さらに右足を降ろす動きを利用して跳ねるように左足を浮かせ、膝がほぼ真下を向くほどまで蹴り足に角度をつけながら蹴りを放つ。
斜め下から上にではなく、斜め上から下へと振り下ろされる上段蹴りであった。
蹴りを受けた屍の身体から力が抜け、地面に倒れていく。
しかしシロエの動きはそこでとどまらない。
蹴り足を右斜め前、もう一体の屍がいる方に向けて降ろしつつ身体を一回転させる。
そしてシロエがくるりと身体を回し終えた時、二体の屍がほぼ同時に地面に倒れ伏していた。
回し蹴りから連なる神速の後ろ回し蹴り。
常人では目で捉えることも難しい速度で蹴りが放たれていたのだ。
「変身…!」
蹴りを放ち終えると同時に、シロエがそう言い放つ。
シロエの身体が光に包まれた。
新雪を照らす陽の光の様に美しく、神々しい光。
その身を新たに包むのは白き衣。
ボディラインを強調させ大きく両側にスリットが入ったナイトドレスの様な優雅な装い。
その上から金の刺繍が入り襟もとに白い羽毛の様なファーがついた裾の短いジャケットを羽織っていた。
いずれも絹を思わせる髪と同じく、艶やかさと滑らかさを併せ持つ生地によって構成されている。
ただその足を包む靴だけは違った。
ハイカットの白い革製のブーツの上から武骨ささえ思わせる金属製のプレートが鎧の様に重ねられ、爪先も槍の穂先の様に尖っていた。
それは彼女の戦闘スタイルが蹴りを多用する故に発現したものだった。
我流の、シロエ流の格闘術であった。
ムエタイでも、空手でも、サバットでも、テコンドーでも、カポエイラでも、骨法でもない。
それらの格闘技に似た動きもあるが、似ていながらも異なっている。
それはちょっとした拍子の取り方であったり、構えであったり、軸足の使い方であったり、様々だ。
故にその動きは、シロエ流としか形容できないのである。
ふわり、とシロエが片足を上げる。
その姿は見た目だけなら日本画の白鶴のように美しく、優雅だった。
しかし今のシロエの前に立った者は、そのような印象を抱くことはできないだろう。
例えるならば、拳銃が入ったホルスターに手を添えた銃士。
例えるならば、腰に差した刀の鯉口を切った剣客。
例えるならば、鎌首をもたげ牙を露にした大蛇。
屍が哀れにも一匹、シロエの──大蛇の牙に向かって不用意に踏み込んでしまう。
アルビノの大蛇が屍の首に喰らいつく。
槍の穂先の様な靴の爪先が屍の喉を穿ち、貫いていた。
喉越しに爪先を頸椎に突き刺された屍は一撃で絶命する。
他の屍が攻撃中のシロエを狙おうと殺到するが、シロエは一歩後ろに下がりながら爪先を引き抜く。
そしてとん、と着地しながら宙を斬るように後ろ回し蹴りを放った。
まだ屍は間合いに入っていない中で放った、空振りの蹴りだ。
だがその一蹴りは殺到する屍の前進を止め、勢いを殺す。
屍たちは踏み込むことを躊躇った。
警戒するように後ずさりしながら、シロエから距離を取る。
シロエは屍共の躊躇いを感じ取った瞬間一気に駆け出す。
一定の距離で横に並んだ屍たちの首に後ろ回し蹴り一閃。
さらに回し蹴り
後ろ回し蹴り
回し蹴り。
後ろ回し蹴り
回し蹴り
後ろ回し蹴り
それは舞いの様であった。
バレリーナのように優雅に、ブレイクダンサーのように激しく、円を描きながら屍の群れの中で舞う。
舞うたびに、屍が倒れる。
シロエが背後から迫る屍に向けて足を振り上げようとステップを踏む。
弾、と音が鳴る。
鉄板が地面に叩きつけられた時に出るような、重く、硬質な音。
音が鳴ると同時に背後から迫った屍は何者かに吹き飛ばされ、ボロくずのように地面を転がっていった。
「へへ、あんたら姉妹だけに任せるわけにはいかへんしな。」
「黄美!」
黄美が掌底突きを屍に放ったのだ。
突き出した右掌を胸の辺りまで引き、やや深く腰を落として、左掌を軽く肘を緩めて前に。
前方から迫る屍が黄美に向かって大ぶりの右パンチを放つ。
黄美は左肘を振り上げてパンチを弾き、そのまま前に踏み込んで体当たりの様に肘を叩き込む。
さらに肘を引き、身体をわずかにたわめさせながら半歩踏み込んだ。
またしても硬い音が響く。
「変身!!!」
肘から連なる肩を利用した体当たりによって屍が吹き飛び、黄美の身体が光に包まれた。
水面に映る夕陽の如き、優しく穏やながらも煌びやかな光。
黄美が元の構えに戻った時、その身は黄色い衣装に包まれていた。
素肌の上からへそが出るほど丈の短く分厚い革のライダースを胸元を大きく開けて身につけ、同じく革製のショートパンツを履いている。
なだらかな曲線を描く生足の先にはハイカットのスニーカーを履いており、黄美は分厚い靴底の丈夫さをたしかめるようにその場で地面を踏んだ。
弾、と音が鳴った。
踏み込みの際、音が響くほど強烈に地面を踏むこの動きは震脚と呼ばれている。
中国武術の動きだ。
様々な中国武術に同様の動作があるが、黄美が基にしている八極拳は特にこの震脚を重視する。
震脚が洗練されているか、それが八極拳をどれほど身に着けているかの簡単なものさしになる程だ
黄美の震脚はまだ荒々しさを残しながらも強烈であり、相当な量の修練をこなしてきたことが分かる。
「オラオラオラァ!」
震脚が鳴る。
鳴るたびに黄美の拳が、肘が、肩が、背が、頭が、腰が、膝が、足が動く。
八極の名の如く、身体のあらゆる部位を利用して屍を斃して征く。
とにかく目についた屍を片っ端から叩きのめしていた。
目の前にいる屍の顔面に向かって掌を打ち込むため、黄美が足を踏み出した。
しかし、目の前の顔が、消えた。
頭はある。
しかし、顔が、異形の屍が人間であった名残をかすかに残す顔がのっぺらぼうの様になくなった。
黄美が思わず掌を止め、相手をよく見れば首が後ろに向かってねじれて半回転し、後頭部が身体の前面に向いていた。
そのせいで突然顔が無くなったように見えたのだ。
驚く黄美の隙を狙った屍が一匹背後から襲い掛かり、気配を感じた黄美が振り返る。
しかし振り向いた瞬間に屍は身体を震わせたかと思うと動きを止め、口の隙間からぶくぶくと大量の血の泡を吹き出した。
「ちょっとー、私と蒼のこと忘れてない三人とも。」
「全くですよ…出番がなくなるかと思いました。」
首が半回転した屍が倒れ、桃姫が姿を現す。
口から血の泡を吹いた屍が倒れ、蒼が姿を現す。
「首折に…内臓ぶっ壊したやろこれ…怖いわぁあんたら。」
倒れた二体の屍を前に、黄美が寒気を感じながら笑みを浮かべた。
悠然と立つ桃姫の背後から、新たな屍が右拳を振り上げて襲い掛かる。
桃姫は余裕を崩さぬまま、ゆらりと頭を下げつつ振り向き、屍の右拳を避けた。
避けつつ屍の懐に潜りこみ、左腕を胴に回して組み付きながら右掌を屍の顎に叩きつける。
屍の重心が、微かに浮く。
重心が浮いて安定を欠いた瞬間、狙いすましたように桃姫が屍の足を刈った。
屍の身体が浮き、くるりと滑るように宙で回転する。
形だけで言えば、柔道の大外刈りに似ている投げだった。
決定的に違うことは、右掌が屍の顎を抑えたままであることだ。
地面に、屍の後頭部が叩きつけられる。
潰れた。
屍の後頭部が、砕け、中身が、飛び散った。
硬い地面だ。
畳の上ではない、硬い地面の上で放たれた投げ。
しかも故意に後頭部を破壊するため、顎に手を当てたまま投げたのだ。
投げた勢いのまま、桃姫はころりと地面を転がり、その場から退きつつ膝立ちになる。
膝立ちになったところを狙って、屍が蹴りを放ってきた。
サッカーボールを蹴るような下から振り上げる右足の蹴り。
桃姫は膝立ちから寝転がるように回転して屍の蹴りを避けつつ、屍の左足に右手を伸ばした。
屍の足を取ると、肩の後ろの部分を使って逆立ちするように下半身を起こし、屍の股の間に右足を突っ込む。
さらに足首を抱えながら身体を捻った。
身体をツタのように屍の左足に絡みつかせて固め、股の間に差し込んだ右足で屍の右足を刈った。
呆気なく、屍が仰向けに地面に転ぶ。
イマナリロールと呼ばれている、寝技の──ブラジリアン柔術の技術であった。
桃姫は屍を転ばせながら足首の関節を極め、一息に身体を捻る。
その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
「へんしーん…!」
桃色の光が桃姫を包む。
華やかさのある明るい桃色に、どこか妖しく艶やかな、桃色の中に一滴の青いペンキを混じらせたような光が放たれた。
同時にすごい音が鳴った。
ブチブチと音が鳴った。
ギチュギチュと音が鳴った。
ぼくんという音も鳴った。
ぶつんという音が最後に鳴った。
膝を固定した状態で、足首を固め、捻る。
すると折れるのは足首ではない。
膝が、横向きの回転に耐え切れず、破壊される。
ヒールホールドと呼ばれる関節技である。
だが桃姫のヒールホールドは、関節を破壊するだけで終わらなかった。
桃姫は屍の左足を膝から捩じり切っていた。
靭帯が千切れた膝を身体を起こしながらさらに捻り、関節が外れた膝をさらに捻り、筋肉を引きちぎりながら捻り、最後にぶつんと、皮膚を、千切った。
屍の千切れた片足を手に桃姫が立ち上がり、地面を這いどうにか立ち上がろうとする屍の頭を踏み潰す。
桃姫の身体が、桃色の衣装を身に纏っていた。
ところどころにフリルがついた可愛らしい桃色のベストに、胸元には大きなリボン。
ベストの下には袖口がピンクで彩られている白い長袖ブラウスを着ている。
下半身には太もも半ば程の短い桃色のプリーツスカートを履き、白いタイツを身に着けている。
靴は桃色のヒモブーツだ。
全体的にアイドルやお姫様を連想させるような可愛らしいもので構成されていた。
故に、その手に持たれた千切れた足がミスマッチで、おぞましさを感じさせる。
桃姫は手にした足を捨てなかった。
捨てずに、近くの屍に向かって、その足を武器の様に叩きつけた。
屍が怯んだ隙に桃姫は足を捨て、姿勢を低くして屍の懐に潜り込みながら腰に組み付き、背後へと回り込む。
そのまま強引に屍の身体を地面から引っこ抜き、虹の様なアーチを描きながら背後へと反り返る。
ジャーマンスープレックス。
近代のプロレスにおいて、最も有名な技と言っても良い技。
相手の背中から組み付き、後方に反り返って真っすぐに頭から落とす、シンプルな技。
シンプルにして奥深く。
シンプルにして美しく。
シンプルにして、強い。
一撃で屍が絶命する。
投げ技、寝技、関節技。
これらを駆使することが桃姫の戦闘スタイルであった。
近代的なブラジリアン柔術の動きにくわえ、プロレスの豪快な一撃必殺の投げ技、柔道に古流武術を組み合わせた壊す投げ技。
多くの技術を基に相手を破壊し、蹂躙する。
それが小久保桃姫であった。
そしてその桃姫を護るように立つ影が一つ。
羽佐間蒼が構える。
その構えはまず言葉に表すと、重厚、であった。
腰を深く落としているわけではない。
軽く肩幅程度に足を開いているのみで、変に重心を落としてはいない。
あくまで自然体だ。
しかし、その佇まいが重い。
軽く爪先に重心を置きながらも、ボクサーの様に軽やかな拍子をとらない。
頬の横に拳を上げるボクシングに似た構えをしながらも、膝を曲げるリズム、肩の揺らし方、重心の置き方、全てが違った。
ボクシングの動きを蝶と蜂に例えるなら、蒼の構えはカブトムシの様であった。
屍が蒼に拳を放つ。
顔面に向かって力強く、ぶんと音を立てながら右拳を振るった。
蒼は動かない。
動かないまま、屍の攻撃を待つようにその場で構える。
浅く屍の拳が蒼の額に当たった。
コツン、と音を当てて屍の右拳が届く。
蒼は表情を変えない。
蚊でも触れたかとでも言う様に眼を閉じず、真っすぐに前を見据えている
ぐらり、と屍の身体が揺れた。
揺れた身体の膝が折れ、そのまま仰向けに倒れていく。
倒れた屍の右胸が、拳の形に凹んでいた。
馬に蹴られたらこうなるのだろうか、ハンマーで叩けばこうなるのだろうか、あるいは車のバンパーの凹凸に衝突したらだろうか。
しかしそのどれでもない。
屍に触れたものは蒼の身体だけなのだから。
蒼が放ったのは左の正拳突き。
それだけである。
相手の拳が浅く当たるほどまでに引き付けたうえで放った、カウンターの正拳一つ。
一撃であった。
空手の一撃であった。
空手の正拳突きであった。
新たな屍が蒼に襲い掛かる。
大きく足を振り上げ、足裏をぶつけるような前蹴りを放ってくる。
蒼は避けない。
避けずに、前腕を叩きつけるように屍の脛にぶつけ、受けた。
下段受けである。
しかし空手の受けはただの防御ではない。
蹴りを受けられた屍が足を降ろすと、その身体ががくんと傾いた。
屍の脛が折れていた。
蒼が受けと同時に屍の脛を破壊したのである。
幾度も硬いものに骨をぶつけ、薄皮を幾層にも幾層にも幾層にも重ね合わせるように地道に鍛え、さらに硬質化した骨。
その骨で相手の骨を砕く。
骨は真っすぐな棒ではない。
湾曲し、凹凸があり、厚みがある部分もあれば薄い部分もある。
それを利用することが空手の受けであった。
「変身!」
光に包まれた蒼が体勢が崩れた屍の顔面を正拳で貫く。
光は青色。
空が綺麗に映った海原のような透き通った青。
しかし光の根源からは深海を思わせる、深く、暗い青の光が漏れ出ていた。
拳を叩き込まれた屍は真っすぐではなく、地面に向かって斜めに潰れるように倒れた。
軽く拳を腰に引き、蒼が残心をとる。
同時に光が弾け、蒼の衣装が変わった。
ノースリーブのへその上までしかない白いシャツに、空色のベストを身に着け、首には濃紺のアスコットタイ。
下には大きくスリットの空いたロングスカートを履き、靴は履いておらず素足であった。
空手。
その言葉を示すかのような素手素足であった。